1:酷い茶番
「レティシア・スフィール、お前から大聖女の称号を剥奪する!それに伴いお前との間にあった婚約も破棄、そして『門』の維持などという馬鹿げたペテン行為も終わりだ!あんな茶番の為にどれだけの血税が垂れ流されているのか…お前達はその事がわかっているのか!?」
王宮の応接室、いきなり呼び出されたかと思ったら護衛やら従者やらに傅かれている金髪の男性からそのような叱責を受けてしまったのですが……。
(この人は…いきなり何を言っているのでしょう?)
婚約云々の話は今日初めて聞きましたし、教会の運営方針を決めるのは大司教様や枢機卿の皆様方ですし、『門』の浄化を行っているだけの実務担当者にそのような事を言っても意味がなくて……私は世間では整った甘い顔と言われているジュリアン・デルブレル・ド・ラークジェアリー……私より3歳年上の御年26歳になるラークジェアリー聖王国唯一の正当後継者であらせられるご尊顔を眺めながらそんな事を考えていたのですが、よくわからな過ぎて首を傾げてしまいました。
(怒っているのは理解できるのですが…こういう時はどうしたらいいのでしょう?)
些細な反論でも自分の意見を全否定されたと思い込んで怒りだしそうなタイプですし、出来たら王子の側近の皆様がその辺りの勘違いを訂正して欲しいのですが……王子の周囲を固めている人達は「我が意を得たり」といった様子で頷いているだけですし、何かとてもややこしい状況になっているような気がするのですよね。
(う~ん、参りました…ずっと浄化作業に当たっていたので世情にも疎いですし…下手に口を挟むと色々と問題が起きてしまいそうなのですよね)
考えすぎるのが悪いのか、それとも聞き手の能力を過大評価しすぎているのか言葉が足りないと言われる事が多いですが、コミュニケーション能力に問題を抱えた私が喋り始めたら色々とややこしい事になりそうですし……というよりこの辺りはあまり政治的な話とは縁遠かった私でも知っているラークジェアリー内の派閥争いの延長線上と言いますか、きっと彼らが私の後継人でもあるロッシ大司教が言っていた“国王派”という人達なのかもしれません。
(水と油…でしたっけ?ロッシ大司教はなかなか面白い表現をしていましたが)
安念の為に祈りをささげている聖女を最上のものと考える“聖女派”と国家の運営を取り仕切っている“国王派”はとにかく仲が悪い事で有名で、よく話し合いが平行線を辿ってしまう事が多いのだそうです。
(どう…しましょう?)
下手に口を挟むと「無礼者!」と護衛の人達が出て来るだけだと思って黙っていたのですが、根本的なところに齟齬があると話し合いも難しくて……因みにジュリアン王子の言う『門』の維持というのは瘴気を払う力を持った聖女達に課せられた使命の一つであり、ドンケーへ続く門ではないかとまで言われている巨大な瘴気の塊を浄化する作業の事を指していました。
正確に言うと開いた穴から周囲の瘴気が噴き出して来ている大穴があるのですが、その穴の浄化を行う任務に就いた聖女が大聖女と呼ばれており、任期は概ね1年前後、常に瘴気に曝される生活が続くので大聖女になるという事は大変名誉な事ではあるのですが、大変過酷な役職でもありました。
事実先代の大聖女であり聖女の基礎を私に教えてくれた大恩ある先生、欠損した四肢はおろか死者ですら蘇らせる事が出来るといわれた治癒の天才であったリヴェイル先生は3年間ものあいだ国家安寧の為に祈りを捧げて……亡くなられました。
そして私の場合は浄化に対する適性があったからなのか、そのような過酷な使命を果たす事……10年余り。
なかなかしぶとく近年稀に見ないレベルで大聖女の役職を全うする事になったのですが、過酷な使命によって体のあちこちがボロボロで……もともと薄い金色だった髪は擦れて白色になり、前半分は瘴気に侵されて黒色のメッシュが入ったような状態になっていました。
これらは噴き出た瘴気と聖女の力がぶつかり合った時に起きる現象なのですが、ゆったりとした聖女のローブに覆われていなかった顔の右側3分の1が結晶化と呼ばれる水晶に覆われており、右目もテラテラとした濁った白色に変色し、右耳は完全に聞こえません。利き手だった右腕は動きませんし、左手もまともな握力が無い状態で……更に大聖女は1日の大半を祈りを捧げているので萎えた両足は補助魔法をかけなければ歩く事もままなりませんでした。
そんな過酷な使命を果たしながら後任の大聖女が決まらないとか何とか色々な理由で伸ばしに伸ばされていた王宮からの呼び出しがやっとの事で来たのですが、ようやく後任の大聖女が決まったのかと思って来てみれば……ぶつけられたのがピントのズレた罵倒だけです。
(それだけなら…良かったのですが)
文句を言うだけ言ってスッキリとした気持ちでお仕事に戻ってくれるのなら何時間でも愚痴を聞いてあげられるのですが、流石に大聖女の務めを軽視するのは問題だと『門』の浄化の意味やその必要性を説明しようとして……王子達はそんな事はとっくの昔に知っているようですし、この人達の中では「大聖女の役職を無くす」という結論は揺るぎないもののようで、私がどれだけ説明を重ねても徒労に終わるような気がします。
というより10年の長きに渡るお勤めに疲弊していた私は反論する気力が湧いて来ないくらいに疲れ果てていましたし、そもそも大聖女の役目もつい先ほど解かれたばかりなのだと思いなおして……その事が無性に可笑しかったのですが、私は自分が思っているより疲れているのだという事を自覚する事になりました。
ただでさえ命を削るような浄化作業だというのに、何故かここ1年くらい噴き出る瘴気の量が増えていて……それを何とか押さえ込んで安定してきたのがごくごく最近なのですが、不眠不休で『門』を安定させてようやく休めると思った矢先の呼び出しが……“これ”でした。
ジュリアン王子は「大聖女一人を輩出するために国中で行っている聖女の適性検査の費用」だとか「数百人の見習い聖女を訓練するための寄宿舎の運営費」だとか「聖女の修行や諸々の訓練にかかる費用」だとか「退任した大聖女の貴族並みの年金」だとか色々と言っていたのですが、ジュリアン王子は聖女にかかる費用をもっと別の事に使う事が出来れば有意義な結果になるだろうという考えの持ち主のようで……私達聖女という存在を快く思っていないようです。
(何やらそれ以外の思惑も感じなくもないのですが)
よく言って無駄飯食らい、悪く言えば国家に対する寄生虫だと考えているようで……。
「そもそも聖女というのは本当に必要なのか?国中を見ても魔物の被害はおろか瘴気が漏れ出して来たという話すら聞かないではないか…お前達はありもしない問題をあると言っているだけの詐欺師の集団ではないのか?」
ジュリアン王子のあまりの言いぐさに「それは私達が瘴気の浄化を行っているからで」と説明しようとしたのですが、同席していたドミニク・ド・ブリュエル大司教が目配せで黙るように言ってきていたので、説得を譲る形で口を噤みました。
「誠に申し訳ございません…いやーそれにしても王子の慧眼には恐れ入ります、聖女の浄化など適当でも何とかなるものですし、聖女に関わる諸々の費用は縮小していくべきでしょうな」
そして説得を託しはしたのですが、私はドミニク大司教の事をよく知りませんでした。というのも4~5年前に前任のロッシ大司教が高齢の為にその職から身を引き、私が『門』の間に籠っている間に後を継いだのがドミニク大司教でした。
前任者であるロッシ大司教は数日おきに様子を見に来てくれていたのですが、ドミニク大司教は就任してから一度も『門』の間にやって来る事がなくて……人となりを知る機会がありませんでした。
なので私の代わりにジュリアン王子を説得してくれると思ったドミニク大司教がそんな事を言い出した事に対して、私は目を丸くしてしまいます。
(ああ、なるほど)
なかなか会いに来れないのは前任者からの引き継ぎや日々の業務で忙しいのだろうと考えていたのですが、どうやら最初から聖女という存在が気に入らないようで……。
(酷い、茶番ですね)
王子は瘴気を払う聖女の事を国に集る寄生虫だと思っているようですし、ドミニク大司教は大司教で国民が教会ではなく大聖女を敬っている事が気に入らない様子で……というのも大聖女は1年くらいで代替わりするものなのですが、私の場合は10年近く大聖女を務めていたという事もあってちょっとばかり名前が知られている存在になっていたようです。
なのでドミニク大司教からすれば教会のトップである自分が敬われる立場である筈なのに、大聖女である私ばかりが持て囃されているという状態が気に入らないようで……私の事を憎々し気に思っているという事がその言葉の端々から伝わってきました。
その事に気がついてしまうと反論する気が起きなくて、聖女に対する文句を言い続けている2人を眺めながら次の祈りの時間までに少しでも休まなければと考えていたのですが……大聖女の任を解かれた後でも『門』の浄化に戻っていいのでしょうか?
「に、しても…次期国王である俺の前で跪きすらしないとは…聖女というのは余程偉い存在とみえる」
私が無反応であったらあったらで気に入らないようで、醜悪な化け物を見るような目で私を睨むジュリアン王子がそんな事を言ってきました。
因みにいくら大聖女という役職についているとはいえ平民である私が跪くのが礼儀だという事はわかっていたのですが……大聖女は瘴気に触れ続けている都合で何かしらの障害を抱えている人が多く、あまり礼儀作法に対して五月蠅く言われないのが通例でした。
私の場合も脚力の問題や左右のバランスの関係で立ったり座ったりの動作が苦手ですし、一度座れば数日単位でその姿勢を保てるのですが、瞬間的な動作は段々と難しくなって来ているような気がします。
「おい、レティシア!王子の御前であるぞ!!」
そうしてドミニク大司教は当然のようにジュリアン王子の肩を持つようで……確かに大司教の上の役職となると聖王と呼ばれる王家の人達が居るだけですし、唯一の後継者であるジュリアン王子に反論しづらいというのはあるのかもしれませんが……教会と王家は別々の立場から政治を行うといった建前があるにしては酷い癒着だと思います。
前任者であるロッシ大司教ならもう少し適切な距離を取っていましたし、大聖女側の事情を理解し庇ってくれたのかもしれませんが……ドミニク大司教はどこまでもジュリアン王子を持ち上げ続けるようで、ここで我を通しても仕方がないとフラつきながら跪くと、ジュリアン王子は「跪く事すらまともに出来ないのか」と鼻で笑ったのですが……私は目を伏せるだけで汚い言葉を受け流しました。
聖女としてこのような事を考えてはいけないと思うのですが「さっさと開放して欲しい」という思いでいっぱいで……そもそも『門』を安定化させたといっても「一応」とか「なんとか」というレベルの話で、恒常的に安定しているという訳ではありません。
こんな意味のない呼び出しを受けるのだったら休憩時間に当てていたかったと思いながらジュリアン王子を見上げると、彼は少しだけ怯んだように仰け反りました。
仰け反るくらい瘴気に侵された私の見た目が醜悪なモノだという事で、ジュリアン王子はまるで化け物に見つめられたような顔をしてから、誤魔化すように咳払いをしてから話を続けます。
「で、では改めて…元大聖女であるレティシアに次の任を伝える!わざわざ王太子である俺が伝えるのだ、心して聞くがいい!」
そして私は「次の任」という言葉に首を傾げる事になるのですが……。
「お言葉ですが、大聖女は瘴気に侵され力が減少しております、すぐに次の任と言われましても…それに『門』の間から離れるにしても次の大聖女はどうするおつもりなのですか?」
結晶化はマナの流れを阻害する為、すぐさま「次の任」と言われても困ってしまいます。
(どれくらい下がっているかは試してみないとわかりませんが…右半分だから半分くらい、でしょうか?それとも三分の一か五分の一か…体感だともう少し下がっているような気がするのですよね)
幸いな事に、結晶化は不治の病という訳ではなく聖女の自然治癒能力があれば徐々に治っていくものなのですが……それには十数年という年月が必要で、大聖女の任が解かれた後は大聖女宮という場所でのんびりと治療に専念するというのが慣例でした。
なので「結晶化が治るまで休ませてほしい」と「誰が私の後を継ぐのですか?」という当然の質問をしただけなのですが、王子である自分の発言を遮りあまつさえ問題点を指摘したという事がジュリアン王子の癇に障ったのか、ツカツカと乱暴な足音をたてて近づいてきたかと思うと……パン!!と、ジュリアン王子は私の左頬を叩きました。
「誰がお前の意見を言えと言った!ジュリアン・デルブレル・ド・ラークジェアリーがわざわざお前のような下賤な詐欺師に時間を割いてやっているのだぞ!分を弁えろ!!」
殴られた痛みよりジュリアン王子が浮かべている不安定な揺らぎの方が気になったのですが、答えを探すために周囲に視線を向けるとドミニク大司教達は私が殴られたという事に対して昏い喜びを見出しているのかニタニタとした笑みを浮かべているだけで、彼の身に何が起きているのかがよくわかりません。
「安心したまえ…『門』だか何だか知らんがたかだか聖女一人で抑えきれるものなのだろう?お前の代わりなぞこの聖王国には幾らでもいるのだ…いちいち口答えをしなくてもよろしい」
聖女や教会の存在意義より政治的な工作に明け暮れていたドミニク大司教は『門』についての詳しい情報を持っていないようで、「言うほど簡単な物でも」と思いながら……そもそも彼らは私の返事を必要としていないのだと思い口を噤みました。
「わかりました…申し訳ありません」
彼らがそれを望んでいるのだと思い頭を下げると、それで二人は満足したのか「次の任」についての話しを始めたのですが……どうやら私が『門』の間に籠り続けている間にアインザルフ帝国との戦争があったようで……正確には1年くらい前にアインザルフ帝国が隣国のドヌビス王国に攻め入り、友邦を支援するためにラークジェアリー聖王国が参戦していたようで……そう、1年前です。
負の感情の塊ともいえる瘴気が激増していた理由をこの時初めて知る事になったのですが、今の私には「そうだったのか」以上の感想が湧いてきませんでした。
(こんな事では…いけないのですが)
聖女としてはこの戦争で亡くなられた人達の事や焼け出された人々への救済などを考えねばならないのですが……ジュリアン王子の語る戦争はまるで盤上のゲームか何かと勘違いしているような口ぶりで「ようやく活躍できる機会が」とか「アインザルフ如きに負けるとは、騎士団の方も改革しなければ」とか言っていました。
そんな勇ましい事を言っている割にはジュリアン王子は戦場に立った事がないようで……まるでもう少し戦争が長引いていれば辣腕を振るい後世に名を残せたといわんばかりの様子なのですが、そのズレた感性に何とも言えない気持ちになってしまいます。
とにかく色々あった末にドヌビス王国がアインザルフ帝国に降伏してしまい、ラークジェアリー聖王国は参戦理由をなくす形で敗戦し……戦勝国であるアインザルフ帝国が傷ついた者を癒すためという名目で『聖女やポーション類の提供』を要求してきた結果、その話が回りに回って私に持って来られたという感じなのだそうです。
「ドヌビスの奴らが弱腰なせいでこのような図々しい願いを…まったく、足を引っ張るしか能のない連中だが…ドヌビスの連中も賠償の問題で首が回らんらしくてな、聖王国なら聖女の数も多いだろうと泣きついて来られては友邦としての義務を果たすのもやぶさかではなく…それでもともと大した聖女もいないような帝国ならお前のような詐欺師でも物の数には入るのだろうという事になった訳だ」
王子達が考えているように大聖女は誰でも務まるというものでもないのですが、よくよく考えたら大聖女は一世代に一人というよくわからない慣習を無視して数人がかりで浄化すれば良いだけの事ですし、帝国が聖女を求めているという事は帝国は帝国で聖女の力を必要としている人達がいる筈です。
人々に貴賎なし、救済する人はラークジェアリー聖王国でもアインザルフ帝国でも変わりはない筈です。
「わかりました、レティシア・スフィール…アインザルフ帝国に赴き任に励みたいと思います」
リヴェイル先生の後を継げなかった事だけが心残りなのですが、もともと1年間務めあげれば良いという役職に固執している訳でもありませんし、後任に大聖女の座を譲って必要としてくれている人達の元へと行くのだと思い直して……私は頭を下げました。
※基本的に書き溜めは無いため不定期更新になります。のんびりと進めていく予定であり、安心安全と誤字脱字は標準搭載とさせて貰っています。そのようなスタイルでよければどうぞよろしくお願いいたします。
※大聖女というのはラークジェアリー聖王国でもっとも能力の高い聖女という意味でしかなく、レティシアが言う通り何かしらの権限があるという訳ではありません。ただ大聖女になれるだけの能力があるというのはわかりやすい指標となりますし、大聖女になった後に教会に戻って来る聖女は仲間思いで愛国心の高い人が多く(終わらない『門』の浄化に嫌気がさした人や10年以上のブランクを抱えて燃え尽き症候群気味に教会から離れる大聖女が多数を占めています)戻って来た人達は将来的に教会の運営に携わって行く事が多々ありますし、自他とも認めるトップという事でそれなりに尊敬されるポジションではあります。
※レティシアに戦争の事が伝えられていなかったのは万が一でも大聖女の出陣、そして大勝利なんて事になったら目も当てられないからです。まあ実際には『門』の浄化があるので離れられないのですが、その辺りの事情を理解していない認識のズレといいますか、一種の脅迫概念にも似た何かがありました。
※王子の事を不安定と称したのですが、実はこの王子はライブ感満載で生きています。殴った時も「ちょっとやりすぎたかな?」くらいは思っていたのですが、そういう擦れ違いが埋まる前にレティシアが旅立つ事になります。
※瘴気については後々もう少しだけ詳しく説明をする箇所があるのですが、ラークジェアリーでも“確実にこういう物”だという事がわかっておらず、漠然とした魔物を生み出す悪い力というくらいの認識をしていただけると助かります。
※ちょこちょこと訂正しました(5/13)。