だからね、そんな理由だったの。私が婚約破棄された理由は。
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ごきげんよう。セレンと申します。
今、婚約者のダニエルと月に一度のお茶で交流会を開いておりますの。
雲ひとつない澄んだ空気、素敵なガゼポ、真っ白なテーブルクロス。
庭師が丹精込めて育てた薔薇がふんわり香る庭が鮮やかに周囲を彩っている。
しかし、私と婚約者 ダニエルの空気は固い。
今、ひとつの食べ物をめぐって対立しているのだ。
お互いに自分の意見を曲げずにいるため、最近では喧嘩続きである。
そろそろ帰りたいですわね…来たばかりですけれども。と私は考えておりました。
なので、食べることにしましたの。婚約者 ダニエルが嫌いなものを。
テーブルには可愛らしい色とりどりのお菓子が並んでいる。私はそのなかでもお気に入りのチョコを口にいれた。
それを見て顔面を真っ赤にしながら目の前の婚約者、ダニエルが叫び出す。
「セレン、おい聞いてるのか。」
「ええ、聞いておりますよ。」
「俺は何度も言っているぞ、チョコは食べるなと。」
「ええ、仰ってますね。でもわたくしはそれを拒否しておりますわ」
「ビッリ国で教わったがチョコは毒だそうだ。この毒女!」
「…毒ではございませんわよ?」
「うるさい!それは毒なんだ!お前は不勉強だから知らないと思って教えているんだぞ!少しは従ったらどうだ」
「お話を聞いてくださる?少し落ち着かれて?」
「お前の話なぞ聞かぬ!私を侮辱するな!」
「侮辱してなどおりません。毒ではないと言ったのです。」
「セレンは毒女だからチョコを食べても平気かもしれないがビッリ国では毒なんだぞ!それを平気で食べるとは…恐ろしい!!!!こんな恐ろしい女と一緒にいられるか!!!!今日は失礼させてもらう!!!!」
「はい!おしまいですね!それではまたお会いしましょう」
「二度と会うか!この毒女!チッ………あーセレン!…じゃあな
!!!!」
ばん!!!!と大きな音をたてテーブルを叩いてプリプリしながら護衛と共に婚約者のダニエルは去っていった。
「あの人…どうしてあんなに頑ななのかしら…」
「留学国がビッリ国でしたから、チョコは毒という知識に囚われているのでしょう。ビッリ国では食べてはいけない人々がおりますからね。大方、最初の説明部分だけ聞いて思い込んだのでしょう」
メイドのアンナがテーブルの残った食べ物をバスケットにつめながら返事をした。
「まあ、困るのはダニエル様なのに。」
「困ればいいのでは???それにお嬢様に対して毒女なんて失礼ですわ!!!!!それよりお嬢様、これからどういたしますか?」
「困ればいいのでは?ってアンナは厳しいわね」
「チョコはうちの特産品ですからね、侮辱されては困りますよ。外交の名産として売り出す予定なのに!」
「婿入りしたあと、我が家で取り扱うのがチョコだと知っているはずなのにあの態度はいただけませんわ」
セレンとダニエルは、完全に政略婚約である。
ダニエルの家がどうしてもと頼み込み、セレンの家のまわりに年が合う男がいなかったため仕方なく組まれた。
セレンの家のほうが家格が上のため、次男のダニエルを婿入りさせてもらう予定なのだ。
ダニエルがビッリ国へ留学する前までは、素直な性格をしていた。
婿入りさせていただくのだからチョコに関して学ばせてくださいとキラキラとした目でセレンの父に頼み込んでいた。
そうか、それならとセレンの父がビッリ国へ留学できるように手はずを整えたのだ。
しかし、ビッリ国へ留学して帰ってきてからはチョコは毒だとセレンの前で拒否するようになった。
セレンの家ではチョコの材料をビッリ国と取引しているのだが……。
なぜ自分がビッリ国へ留学したのかすぽんと頭から抜けてしまったようだ。
そしてビッリ国へ留学までして学んだのだからダニエルはセレンより頭がいい、セレンは不勉強だから世間を知らないと決めつけてくる。
「あんまり酷いようなら、ダニエルのことどうにかしなきゃね」
「室内に戻りましょうか。お嬢様。」
「そうね、ダニエルのことは半月後にビッリ国との外交があるからそのときのダニエルの様子を見て決めるわ。お父様と相談しなきゃ」
「お嬢様、なんてお優しい」
「一応まだ婚約者だから、ね…」
セレンはため息をついた。
半月後、セレンはしぶしぶ迎えにきたという様子のダニエルにエスコートされて社交場にいた。
ダニエルが留学していたビッリ国の学園メンバーがこちらの国の社交場に顔をみせにくるということでダニエルは誰が来るのだろうと落ち着きなくそわそわとした様子でいた。
入場してすぐダニエルの顔見せの挨拶まわりのためにセレンが付き添っているのに、ダニエルはビッリ国のメンツを探そうとキョロキョロしている。
そんなダニエルに対してセレンはムッとしてちゃんとしてちょうだいと苦言を呈した。
「うるさいぞ毒女…あー、セレン」
「二人のお茶会ではなくきちんとした外交の場なのですからせめて毒女は止めてくださいな」
「わかってる、ちょっと間違えただけだ。それより、もういいだろう」
その言葉にセレンはぴしりと固まり、そしてにっこりと淑女の仮面をかぶりなおした。
「なにがもういいのですか?」
「エスコートだ。ここで別れよう。セレンにはわからないだろうがセレンと違って俺はビッリ国に留学していたのだからビッリ国との関係を深めるために挨拶に行かなくては」
「お一人で向かわれるつもり?」
「当たり前だろう。チョコなんて毒を食べる女を紹介なんて出来るか」
「ダニエル様はエスコートはここで終わらせるつもりですのね?」
「ああ、安心しろ。これでも一応婚約者だから、セレンの父のところまでは送ってやろう」
「ダニエル様、挨拶まわりをまだはじめていませんのよ?」
「うるさいな、俺がビッリ国との関係を深めておくからお前はそれ以外の社交を担当すればいいだろう 」
「なるほど、わたくしのみのご挨拶となりますわね」
「ああ、そうだ。」
「ダニエル様はそれでよろしいのね?」
「しつこい、ここでエスコートを放棄してもいいんだぞ」
「ふぅん…それで結構ですわ。ちょうどあちらにビッリ国の学園でのご学友がいらっしゃるようですし」
セレンとダニエルの近くにいかにも社交慣れしていない制服を着た集団がいた。
ダニエルはそのメンツを見てぱぁっと顔を輝かせる。
そしてダニエルは早く離せとセレンと組んでいる腕を忌々しそうにみた。
セレンは手をはなした。
制服の女が1人、ダニエルのことを見つけて大声を出した。
「ダニエル!」
ダニエルはビッリ国の制服の女にかけよった。
「久しぶりだな!」
「久しぶりねー!!ねね、見てよこれ!チョコは毒なのに!!!ビックリしちゃった!!!!」
その言葉を聞いたビッリ国の生徒達がさあっと散らばって
ダニエルと女から逃げた。
皆一様に、信じられない顔をして二人を見ている。
勇気のある生徒が、ささっとかけより隣国なのだから静かにしてと注意する。
「だってチョコは毒なのよ!」
「君には毒だろうけども!黙って!!!窓際に行って!!!!早く!!!!!大人しくしてて!!!!」
勇気のある生徒に怒られた女は不満そうにダニエルに腕を絡め、二人で窓際へと移動した。
その様子を見た生徒はだめだこれはと大きく息を吐き、キョロキョロと慌てた様子で人を探しにいった。
窓際で反省しない女は一部の人間に特別に配られた皿を指差す。そして響きわたる声でチョコを食べるなんてと話す女。
周囲が制服の女を見てなるほど、不勉強なのねと失笑した。
ダニエルもさすがに社交場で出ているものは大声で批難できず、こちらではチョコは当たり前のように出てくるんだと小声で女に言った。
仲睦まじく話す二人。
制服姿の女とバッチリ正装のダニエルを見て入場時にエスコートしていた令嬢を放り出すなんてと眉をしかめる婦人達。
久しぶりのせいか話が盛り上がり、二人の声量が増していく。
「ダニエルは毒を食べさせられているの?ひどい!!!!!」
「そう思うだろう。安心して、食べてない。こちらではチョコは当たり前に食べられているんだ」
「毒なのに…!?ダニエルのことが心配だわ…!留学できるほど財力があるダニエルの家にはかなわないけれど…うちだって爵位があるんだからうちに婿入りしなよ!」
「それは…出来ることなら毒女なんて捨てて婚約破棄して君と結ばれたいよ」
「毒女?」
「そう、公では批難できないけど。チョコを食べている毒女が婚約者なんだ」
「ダニエル可哀想!チョコなんて食べる毒女が婚約者なんて。婚約破棄は出来ないの?理由は毒を食べさせてくるからって」
「出来るもんならしたいよ。だってチョコは毒だろう」
「練習しましょうよ!婚約破棄の!」
「この毒女!チョコは毒なのに食べさせようとするなんて、なんて最低なんだ!お前とは婚約を破棄して俺はビッリ国に婿入りする!!!」
「きゃあ、ダニエル!かっこいいわ」
「うちが取引先だからと下手に出ていれば、調子にのりおって!お前のところの製品などどうせ劣悪だろう!」
「そうよそうよ!」
「年齢が合う男は俺以外いないからな」
周囲がその言葉に顔をしかめた。
セレンはあーあ、と思いながらそれを見ていた。
第一、婿入りが格好いいものか。笑わせてくれる。
突如セレンの肩にぽんと大きな手がのった。
びっくりしたセレンが、振り向くと父母の姿があった。
「セレン、紹介したい人がいるんだ。こちら、取引先の紹介で先ほど仲良くなったカッツェ公爵夫妻。そしてその御子息様だ。」
「はじめまして、ただいまご紹介にあずかりましたセレンと申します。どうぞよろしく」
セレンはカテーシーをして、ご挨拶する。
「カッツェ公爵。大変、大変に申し訳ないがどうやらあちらで我が家に苦情を申し立てている二人がいてね。意見を伺いにいこうと思います。セレン、突然悪いがお相手を頼むよ。カッツェ公爵夫妻はマタタビ香水にご興味がおありだそうだ」
「あら、カッツェ公爵一家はお目が高いのだわ」
セレンは目を輝かせて、ドレスの隠しポケットから新作のマタタビ香水を取り出してプレゼンをはじめた。
その様子を確認したセレンの父母はセレンにいうために婚約破棄の練習をするダニエルと女に近づいていった。
そして肩にぽんと手をおいて冷たく言い捨てた。
「ダニエル君と娘はまだ婚約候補だから結ばれていない婚約に破棄もなにもないけれどね。やあ、お嬢さん。たしか取引先の娘さんだったね。なるほど、うちの製品がそんなに気にくわないのなら今日限りで君達の家の契約は解除させてもらうようにしよう。気がつかなくてすまなかったね。おや、ちょうどダニエル君と君のご両親がいらしたようだ」
ダニエルと女の視界にそれぞれ般若の顔をした両親が向かってくるのが見えた。
「「「「この馬鹿!!!!!!!この度は大変申し訳ありません!!!!!!」」」」
「ご家庭で種族差は教えていないようで、びっくりしました。今まで我が家が無理強いをしてご負担をお掛けしていたようで申し訳ない。ご安心ください。今日を持ちまして全契約を解除いたしましょう」
「そんな、ご迷惑なんて…謝罪いたしますからどうか契約解除だけは」
「いやあ、そんな無理して気をつかっていただいて申し訳ないですね。そこの娘さんがおっしゃるにはすべての人にとってチョコは毒だそうですから私の一族は皆、毒一家となりますのでそんな一族と取引はお嫌でしょう。チョコを食べておりますし。」
「そんな、そんなことはございません。たとえ取り扱いの一部にチョコがあろうとも我々猫の血を引く一族には近寄らせもしないではないですか」
「猫の血を引く一族にはチョコやカカオは確かに毒となりますからね。いやはや、我々のような人にとってはカカオは薬でありますが、確かに毒となりますからねえ」
「躾が行き届かず大変申し訳ありません!!!!!!本日も我々猫の血を引く一族のために配慮していただいているというのにこの馬鹿どもが!!!!!」
「なによお父さん!私はカカオもチョコも毒だから食べちゃいけないって教わったわよ!!!」
「馬鹿たれが!!!!!種族によって食べられるものと食べられないものがあるのは当たり前だろうが!!!それに変化さえうまくいけば、チョコだって毒ではない!それにダニエル君の国ではチョコは毒ではない!薬だ!!!」
「パパ、セレンと結婚なんてしたくありません!」
「ダニエル!!!!!!あくまで婚約者候補として特別待遇で学ばせていただいたのに恩を仇で返すとは何事だ!!!」
「あんなチョコなんて食べる毒女の婚約者になんてなりたくなかった!!!!!」
「お前が幼い頃、寝込んだときにご飯も食べずに飲んでた飲み物はなんだと思っている!あれで健康を崩したことはあったか?」
怒髪衝天の勢いで言い争う家族を、セレンの父母は冷めた目付きで見ていた。
そして、セレンの父がおもむろにぱぁんと手を叩いて音をたてた。
興奮していた面々が、今いる場所を思い出したのかはっと静まりかえる。
興味津々で、野次馬していたフロアの人々が気まずげに踊りやおしゃべりに戻っていく。
「いやいや、私も娘や一族 商品を侮辱されて落ち着きをなくしていました。後日あらためて場をもうけましょう。今日する話ではなかった。取引に関してはそのときまではやり取りさせていただきます。それでは失礼。」
セレンは、カッツェ公爵夫妻にマタタビ香水のプレゼンをしながらその様子を見ていた。
なんだかんだでお父様は猫の血を引く一族には優しいからひどいことにはならないと思うけど、ダニエル様のところはどうだか…。
カッツェ公爵はセレンの様子を見てふむ…と考える仕草をした。
そして近くでお魚を食べていた自身の息子を捕まえて、肩をぐいっと引き寄せた。
「セレン嬢、こちら私の息子。名前はキャッツ。セレン嬢の2歳下。特技はお魚クッキーキャッチ。おすすめはまだうまく変化出来てないお手手をもふもふすること。肉球手のひらなんてぷにっぷに。ちょっとまだにゃん語混じりだけどそのうち落ち着きます。」
「は…?ええと…?」
「カッツェ公爵のうりはね、広大な大地と海、新鮮なお魚、それにお魚クッキーが美味しい。屋敷では使用人のもふもふの子供達とふれあいができて、我が家ではチョコとかも自由に食べられる。猫の血を引く一族にはチョコは毒なのでは?って思うだろうけどあれ実は、猫の血が強いところだけに影響があるからもう血が薄まってる僕らにはあまり関係ないんだよね。保守派が食べられない毒だと教え込んでるだけで。ただ一応、猫の血を引く一族のために配慮はするよ。でもうちのなかだと食べ放題。」
「あの…?」
「家格も対等、おすすめ物件。お友達からいかがかにゃ????君も、猫好きでしょ????我が家は長靴をはいた猫の紋章だよー。とっても可愛いにゃん。我が家は婿入りでも嫁入りでもどっちでもいいよー。」
息子の体を使ってにゃあにゃあポーズをとらせるカッツェ公爵。
そしてそれを見て満足そうにするカッツェ公爵夫人。
目を見開いてされるがままの息子、キャッツ。
「か…かわいい…」
セレンの脳内からダニエルのことがすっぽぬけるくらいには可愛い仕草。
その言葉ににこぉっとキャッツは笑った。
「宜しくお願いしますにゃ、セレンにゃん。」
キャッツが手をさしのべてきた。
「ぜひ!仲良くなりましょう!!!!キャッツ様!!!!」
もふもふで、ふわふわの手にセレンはめろめろになった。
そのあと、ダニエルと女がどうなったのかセレンは全く興味がなくなったのだった。
さて、ではなぜそんな話をしていたのか。
それはセレンと仲良くなったキャッツが頬を膨らませてなんで僕が婚約者候補第一号じゃなかったのかと拗ねたから。
「だからね、そんな理由だったの。私が婚約破棄された理由は。」
「ふぅん、大変だったにゃー。」
「そう、くだらないでしょ?」
「たったそれだけの理由でねぇ…今ごろきっと後悔してるにゃ。」
「そうだと面白いわね」
「まさか婚約破棄した理由が"チョコを食べていたから”にゃんて」
「ふふっ。」
「まあ、ここじゃあチョコを食べていたから婚約破棄にゃんて誰も言わないから存分にお食べにゃさい。僕はいらにゃいけどね」
そういってカッツェ公爵子息は私のためにぬるいお茶をティーポットからカップに注いだ。