とある宿屋さん
数秒後、その客とウエイトレスのもとに長いひげの生えた男が駆け寄る。
「お前が店長か」
「申し訳ありません…お客様、料理を作り直して、他のウエイトレスに運ばさせてもらいます」
「ちっ、はやくしろよ」
店長はウエイトレスを連れてさっさと厨房にさがる。近くの他のウエイトレスが床を布巾で吹き始める。
「あいつ…」
「ハコ姉!?」
ハコ姉が勇み足でその客に近寄る。
「おい、貴様」
「はぁ?なんだお前は」
「さっきの料理がよほど気に入らなかったみたいだな」
「ちげーよ、気に入らないのは野蛮な獣人だ」
ハコ姉の握っていた拳が震える。
「獣人と人間は同じだ」
「…へぇ……お前『セントウ』だろ。いきなり突っかかってくるのは獣人の野蛮さがうつったんじゃねえか?」
何か納得した様子の男がそう言った瞬間、ハコ姉の拳が素早く振り上げられる。
しかし彼女の腕はいつの間にかそっちに移動したヒカルによってがっしりと掴まれていた。
「騒ぎを起こすな、こんなことしても無駄だ」
「……くそっ」
ヒカルの手を振り払うと、悪態をつき、ハコ姉は店の玄関に向かう。男は呆然としていた。
「どこ行く」
「宿で待っている。十二番地のワンターンという宿屋だ」
そういって、彼女は店を出る。
ヒカルはそれを見届けると私の座っているテーブルに戻ってきた。
「本当にまるで人が違うな」
「うん…あんな怒り方初めて……ましてや暴力を振るおうとするなんて……」
「…気まずいだろうが食事がすんだら宿屋に行って今後の計画を立てなきゃならない。普段通りに接してほしい」
出てきた料理の味はよくわからなかった。何しろ二つのショックがいっぺんに襲い掛かってきたのだから。
食べ終わると、事前にハコ姉に貰った硬貨を数枚ウエイトレスに渡した。そして数枚の銅色の硬貨を受け取った。他の客の会計の様子を見ると紙幣らしきものを出している客も見受けられた。
店を出るとヒカルはワンターンという宿屋の場所を通りにいた一回り年下の少年に尋ねる。
するとその少年は親切にもその場所まで案内してくれた。
「ここだよ、ワンターン」
少年が指さした木造の建物は看板があり、その文字は読めなかったが部屋がいくつもあるように見え、確かに宿屋っぽかった。
「ありがとう、助かったよ。これで好きな菓子でも買うといい」
ヒカルはハコ姉に万が一の為にと貰った硬貨の一枚を少年に投げる。
「へへ、どうも。ところでお二人さん駆け落ち?」
「ば、ばかっ、んなわけねーだろっ。その金返してもらうぞっ」
「やなこったー、それではお熱い夜を~」
カオルを男と勘違いしたのか、そうからかいつつ少年は人ごみに紛れていった。
「ったく…あのガキ……」
「ま、まあ案内してくれたからよかったじゃない」
ヒカルをなだめつつワンターンのドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
カウンターらしきところに立っていたのは若い女性。白くて長い髪。青い瞳。質素なチュニックとショールを身にまとっているが、すらりとした体型のかなりの美人だった。
「あの、ここにハコ…黒マントの女が来たと思いますけど。知り合いなんです」
「ハコネ様ですね。二階の部屋で休んでおられです。ご案内します」
ヒカルが取り繕う必要はなかったようだ。私とヒカルは彼女についていく。階段を上り、しばらく廊下を歩くとある扉の前で止まった。
「こちらの部屋です。どうぞごゆっくり」
そう言うとその女性はすぐに戻っていってしまった。
その扉を開けるのが怖かったがしばし深呼吸した後、そろりと開けた。
ドフッ!
「うぐうっ!」
「ごめんなさぁぁい!……う…ぅぅ………」
ハコ姉が私の腹に飛び掛かり、抱きついて泣きじゃくる。
元に戻っているじゃねーか
「はは…」
ヒカルはあきれたように笑った。
「さて、今後について話そう。前提としてだが転移魔法は魔法世界からだとどこでも使える。よって、危険だと判断した場合にはすぐに帰ろう。同意してくれるか?」
「わかった」
「うん……」
ハコ姉が落ち着いたところでヒカルは話し始めた。さっきから思っていたが魔王にしては良心的すぎるだろ。
「よし、それじゃあハコネ、話を聞いてもらえそうな魔術師は何人だ?」
「さ、3人……まずは一番近いところがいいと思う…」
「待て、それより一番信用できそうな人物は誰だ?できればそっちを優先したい」
「わ、分からないよ…みんないい人だったし……」
「…そうか……、それじゃあハコネの言うように一番近場から攻めよう。場所は?」
「セトラ地方の…コロタ村……」
「セトラ地方だって?結構遠いじゃないか…」
「ねえ、それってどのくらいの距離なの?」
「馬よりはるかに身体能力が高いケバトカゲを使っても10日はかかるよ」
トカゲ…?なんとなくラプトルっぽいものを想像した。
「しかも餌代がかなりかかる。ハコネ、10日分の旅行費と餌代出せるか…?」
「無理ではないけど…」
「まだ一人目だしな…お前なら国王に言えばいくらでも出してくれそうだが、何をしているか感づかれたらまずい。どうにかして今の持ち金でやりくりしたいところだ…」
「そういえば、ハコ姉は魔法世界でどうやって移動してたの?」
「ド、ドラゴン…」
「ドラゴン!?」
「確かにお前乗っていたな。女神側のドラゴン。でももちろん女神側だからひろ子を容赦なく襲うぞ」
ドラゴンと言えばどんなゲームやアニメでも常に最強格の生物だ。おそらくこの世界でもそうであろう。そんなのには襲われたくない。
「まあ、今日は休むか。ひろ子も慣れない環境で疲れたよね」
「そうかな、なんだかまだ現実感がなくてふわふわした気分だよ」
「そういうのが一番危険だと思うな。早く寝るといい。打開策はなんとか僕が考える」
ヒカルはそう言うと私に手をかざす。すると体がしばらくほんのりと発光すると、心なしかすっきりした気分になる。
「魔法でひろ子の身体を洗浄した。これで風呂とか入らなくていいだろう」
「凄い!こんなことできるの!?」
「力が弱まっているとはいえ、一応魔王ですから」
ヒカルが誇らしげに胸を張る。
「あ、ねえ、一つ質問していい?」
「なに?」
「私が魂結器だって街を歩いていても誰も気づかなかったよね。魔法で感知とかされないの?」
「よほど腕のいい魔術師が常に集中して感知結界を張り巡らしていない限りね。まあほとんどないよ。それにそんな濃い結界はこっちが先に気づくさ」
「へえ……」
話し合いをした後、ヒカルとしばし談笑をしてから、ベットに入った。ハコ姉は用事があるといって部屋から出ていった。私は止めようとしたが、ヒカルは「ハコネが危ない目にあうことはないよ」と言って外出を許した。
一体どこに行ったのだろう。
「…ん……」
ベットに入ってからは眠ったり起きたりを繰り返していた。固い布団と固い枕が身体に合わない。そしていつの間にか隣のベットにハコ姉がいた。
「…トイレいこ……」
部屋の扉を開け、廊下の突き当りのお手洗いを目指す。眠気眼でふらふら歩いていたら、前から灯りが近づいてきた。
「これはこれは、ハコネ様のお知り合い様ではないですか。どうされました?」
受付の白い長髪の女性だった。灯りのともるカンテラを携えている。
「…えと…お手洗いに……」
「そうですか。こんな暗い中では心細いでしょう。ご案内します」
「あ、ありがとうございます」
正直、ほんとに怖かったから助かった。愛想のない人だと思ったけどいい人そうだ。
案内され、お手洗いをすませた後、こんなことを言われた。
「もしかして眠れないのですか?」
「ええ…ちょっと……」
「それでは下のロビーで何かお話しでもしませんか?温かいミルクくらいならばご用意できます」
「えっ、でも悪いですよ…」
「見回りも終わりましたので。それに久々に誰かとゆっくり雑談をしたいのです。むしろこちらがお願いしたいくらいです」
「それじゃあ…お言葉に甘えて……」
ロビーに降りると彼女は暖炉でミルクを温め、私に出してくれた。そのミルクは普段飲んでいる牛乳より少しくせが強かったが、体にしみる感覚の方が印象深かった。
私たちはロビーの隅のテーブルにかけて話をした。そのテーブルの面積の半分は本の平積みに占拠されている。彼女はその傍らにカンテラを置いていた。
彼女はジャスティスと名乗った。真面目な口調だが、その口から聞かされるこれまでに来た客の数々の面白エピソードは腹を抱えずにはいられなかった。
夜中なので大声を出せず、かみ殺したような笑いが余計に腹筋にくる。一方ジャスティスさんは大笑いはしないかったが、顔に幸せそうな微笑みがにじみ出ていた。
「それじゃあ、ジャスティスさんはここを一人で切り盛りしているのですか!?」
「繁忙期には手伝いに来てくれる友人がいますけど。基本的にはそうですね」
「へえー、すごいです。こんな大きな建物だと掃除も簡単でしょうに」
「いえ、魔法がありますのであまり手間はかからないですね。家事全般は魔法の補助が大きいです」
「魔法かぁ…どんなふうに使っているんですか?」
「埃は風魔法で飛ばせますし、洗濯は水魔法を使います。火を灯すには炎魔法が便利ですね」
………
いやちょっと待て。
確かヒカルは二種類以上の属性を使えることは稀だと言っていた。
しかし彼女は少なくとも三種類の属性を使えることを自称した。
もしかして彼女は…魔術師……?
そしてここは王都。女神の加護を受ける街。
「そろそろ貴方の話も聞きたいですね」
冷や汗が噴き出てくる。ミルクであたたまった体が一気に冷える。
「魂結器である貴方のね」