貴族令嬢VS家系ラーメン
「あらあら、なんですのこの……家系?とかいうものは……早死しますわよ?」
メニューを眺めながらマリーの指が迷う。時刻は午後3時、早めに終わった現場仕事と少し空腹気味な自己の体調を省み、マリーは貴族の淑女らしく状況の選択を行う。
優雅に腰掛けるは丸椅子、物憂げに紅いカウンターに肘を置く。
(今日は……すこしハードめな現場でしたわ)
清々しい皐月の風も吹き終わり、梅雨がゆっくりと迫る季節になる。今日はすこし汗をかいた。労働の汗は尊い。たしかに尊いのだが、失われてゆく塩分と水分はいかんともしがたい。
──失われたものは、埋められなければならない。
なければならない、はずだろう。しかし人生はそうはいかない。失うことは簡単に訪れる必然でも、代わりの何かが簡単に見つけられる幸運はなかなか巡ってこないものだ。
万能の可能性を持って人は生まれ落ち、可能性をすり減らしながら人は大人となって老いて死んでゆく。失うことは生きるということ。さよならだけが人生か、散り際の微笑みだけが生に咲く花というのか。
──そんなはずはありませんわ。
メニューを持つ指に力が籠る。マリーは誇り高い貴族令嬢である。誇りとは抗うことで示すもの。低きに、時代に、流れに、抗うことで誇りは示される。
戦うのだ、マリー。
「店員さん、注文お願いしますわ」
真っ直ぐに右手を上げて呼ぶ。タオルを頭に巻いてTシャツの店員が駆け寄ってくる。彼も汗をかいていた。彼もまた戦っているのだ。
「生ビール大、唐揚げ、ギョーザ。それから」
ラーメン屋呑みの定番で攻める。今日は遊びも発見も求めない、正面からなぎ倒す。『力』の呑みに徹するつもりだ。
「それから、このデラックスラーメン、大盛りで。からあげとかの後でお願いします」
海苔五枚、チャーシュー3枚、煮卵、ほうれん草多め。鉄壁の城である。
「へい、えーと、カスタムどうしますか?」
「……」
健康をそろそろ考えようか、そんな思考がマリーの中でうずまくも振り切った。
「硬め、多め、濃いめで」
「へい」
家系ラーメンは味のカスタムができる。この場合の硬め多め濃いめとは麺硬め、油多め、味濃いめということだ。つまり不健康である。内蔵を殺しに来ている。
早死に3段活用。しかしこれこそが家系に来たということ。生とは命をすり減らすことで眩く輝く。
今日、マリーは命を煌めかせるのだ。
「ライス無料ですけどどうしますか」
「……」
理性が囁く。さすがに抑えたほうがいいのでないか?と。
「……普通で」
「はいわかりましたー」
「ふぅー」
決意の注文を終え、マリーは水を1口飲む。なぜラーメン屋の水は美味く感じるのか。
「それにしても家系、店舗をよく見かけるようになりましたわね」
家系ラーメン、醤油鶏ガラ豚骨に中太縮れ麺とほうれん草を特徴とする神奈川県横浜の吉村家を発祥とする。
グラグラと煮込まれた濃厚な鶏ガラ豚骨、やみつきになるスメルを吸い込みながら、マリーは待つ。
この瞬間が、楽しみなのだ。
「へい、まずは生ビール大、唐揚げ、ギョウザお待ち」
タンタンタンとリズム良く置かれる。マリーはその細腕でジョッキを掴む。しっかりと冷えている。
暫し泡が黄金のなかで立ち上る光景を眺め、そして口に運ぶ。
ゴキュリ ゴキュリ ゴキュリ
喉を鳴らす。力強く響く。深く、染み込む。
「あ゛あ゛ぁぁっっ!! 美味いっ!」
失われることに悩もうと、ビールは全てを洗い流してくれる。
「年金とか高いよなぁーと悩んでいたら40になると介護保険も取られると聞かされた絶望と吹き飛ぶ!!」
人は未来を恐れるのだ。しかし、今に立ち向かわねばならない。
小皿に醤油、ラー油、酢は多めに配合する。
ギョウザを2つ同時に取って豪快に口に運んだ。
皮が破れ肉汁が炸裂。
「うめ! ここはラーメン以外もなかなか良くていいんですわ!」
追ってビール。当然のごとく美味い。
そしてからあげ。濃いめのあげ色のからあげという肉塊5つ。そのうちの1つを箸に取り、添えられたマヨネーズを塗ったくる。
がぶりと豪快に食いちぎる。生姜醤油の深く荒々しい味わい。
そしてやはり追いかけるビール。
「これも美味い…! からあげとギョーザかチャーハンが常に頼めるラーメン屋は長く残りますわ。これだけでこの店の長寿繁栄は理解出来るというもの!」
ラーメンの種類は昔より莫大に増えた。しかし長く地元に愛される店の形態は不思議と決まっている。結局は客に濃い味で肉と炭水化物を死ぬほど食わせる店が生き残るのだ。
存分にギョーザを、からあげを噛み砕きビールで洗い流す。これだ、これの生の充足。
「いやもう油物にマヨネーズ塗ればなんでも美味いですわ!」
そりゃそうだろうよ。
△ △ △
「はい、大盛りデラックスラーメン硬め濃いめ多めのライス普通です」
デンと置かれた丼。海苔と、チャーシューでの完全武装体がマリーの目の前に立ちはだかった。
「まずはスープ」
レンゲでとろみがかった黄色いスープをすする。塩味の強さ、油の濃厚さ、強い。
「血液が沸騰しますわ!」
ガンマGTPが爆上がりだ。
麺を啜り込む。ずぞぞと豪快に頬張れば、炸裂する醤油豚骨と快感。
「そこにニンニクと豆板醤を追加してえ!」
もはや止まれない。スープに山盛りで投入するおろしニンニク、そして豆板醤。しっかりとスープに馴染ませ、麺をもちあげる。
「ライスを有効活用!」
麺をすすり、追って白飯。これだ。家系ラーメンは白飯があって完結する。濃厚なスープは麺にからまり、おかずとして成立するのだ。
「そして米と合わせれば当然海苔が生きる!」
1枚海苔で丸めて白米を包み、それをスープに浸して一口。言わば一口型のラーメン雑炊である。うまいわこんなん。
「味たまをかじり、流れ出た黄身をチャーシューに纏わせて……」
薄めに切られた肩チャーシュー。スープを黄身を纏い黄金に輝く。それを白米にバウンドさせて一口。やはり追って白米。
そして取っておいたからあげもスープに浸してビッチャビチャにしてから頬張る。
美味さ爆発である。
「うっめ!! 私の寿命今めっちゃ減ってる感じする!!」
今、マリーの命は輝いていた。
△ △ △
「ありがとうございましたー」
「ふう」
爪楊枝をくわえながら店を後にする。いささかやり過ぎてしまったような気もするが、この充足感を味わってしまえるなら仕方ない。
「絶対健康に悪いけれど止められないもの、ありますわね。しかし健康だけを追い求めるのもまた人生としてはつまらないですわ」
生の輝きは生を試すことで得られる。それゆえに人は苦難を目指すのだ。
「また今度行こうかしら」
だがそういう命の試し方はやめたほうがいいぞ貴族令嬢。




