1話 8
狼は右目を瞑り血を流していた。だが片方の瞳は戦意に爛々と燃えている。
目を潰しても怯まないとか、マジか。
普通なら感情をあらわにするだろ。
狼はとてつもなく冷静にみえた。
それに比べて自分は恐慌に陥る、一歩手前まで来ていた。
鉄のツンとする匂いが鼻をつく。右腕が千切れかけている。それだけでも錯乱するのに充分だ。麻痺していて痛みを感じることがないのも恐怖でしかない。
一体自分はどうなってしまうのだろう。
このまま戦い続けたら、
死ぬのか…? 自分が?
怖い、とてつもなく怖い。泣いて叫んで逃げ出したい。足を舐めて命乞いをしろと言われたら迷いなくする。
命を繋ぎ止めたい。何とかして、何とかする力が勇者にはあるんじゃなかったのか!
だいたい何でこんなズタボロになってんだよ。訳が分からん。
縁もゆかりもない世界の事情なんて知ったことじゃない!
「グァッ」
狼が短く息を吐く。
その一声で現実に押し戻される。今までの思考が一旦途切れた。
現実には命乞いしようが、罵詈雑言を吐こうが、狼の戦意は衰えないだろう。
状況は始まっているのだ。
だから戦うしかない。
分かってる! そんなことは。
動いたのは狼だった。
音もなくゆらりと狼が揺れ、右に動いた。左目だけで戦うとしたら、当然そうなるだろう。
対処しなければ。
体を動かそうとするが、動かない。
どう頑張ろうが、食われる未来しか見えない。その運命を変える手立ては自分にはない。
そう考えてしまった時、硬直してしまったのだ。
自分の体ではないほど、重く鈍い。
「うわぁぁぁっ」
情けない話、悲鳴をあげてしまい後ずさる。勇者としてのスペックが、今まで自分を支えてきたものだった。それを剥がされた、剥がされてしまった。
自分のみの力で戦わないとならない。
それが悲鳴をあげることだった。
これが永井央道という男だ。
ドッ
狼の足が体に刺さる鈍い音。再度、背中を攻撃された。
今度は逃げ出し、背中をみせていたからだった。
大きく投げ出され、勢いよく出入口の扉を破壊しながら転げまわる。
逃げなきゃ
そのことで頭がいっぱいだ。冷静に考えれば逃げられないのにも関わらず、体を動かす。
狼から数ミリでも離れたい、そう思うともう戦うという文字は霧散していた。
だが、立てない。足に力がまったく入らないのだ。何度試しても同じだった。
ヒタッ
足音が近づいてくる。
心臓が早鐘を打つ。
心と体の動きが益々解離していく。
死がそこまで迫っている。