7
七尾流と梢の兄妹は、福島駅から新幹線で帰っていった。
響は、文乃の運転するワンボックスカーの助手席に座り、ただぼんやりと考えていた。
「どうしてそんな難しい顔してるんだい?」
文乃は響に声をかけた。
「いえ……梢さん、大丈夫でしょうか?」
「何が?」
「流さんに怒られるんじゃないかと思って」
「――かもね。でも、心配いらないさ」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「梢ちゃんはそんな弱い子じゃないよ。そして、流君がそんなに強く梢ちゃんを叱れるわけないじゃないか。だから、大丈夫」
「そう……ですか」
「それで? 他には?」
「他?」
「本当に考えてたのは何さ? 梢ちゃんのことなんてついでに言っただけだろ? ほらほら、お姉さんに言ってごらんよ」
どうやら響の心の内は見透かされているようだ。
「いや……ただ、なんかしっくりこなくて」
「今回のことかい?」
「篠崎さんはこれからどうするんでしょう? どうやって罪を償っていくんでしょう?」
「さあね。篠崎さんんも言ったけど、それは自分で考えることだよ」
「そんな無責任な」
「無責任? そりゃそうだ。私に何の責任が? 梢ちゃんが彼の妹から頼まれたから? 私たちが『妖かしの一族』だから? そんなこと関係ないよ。私はただ、妖かしの想いを鎮めてあげたいと思っただけだ」
「そんな考え方でいいんですか?」
「私はそれで良いと思っているよ。響君は完全主義者なのかもしれないね。真面目なのは良いけれど、真面目すぎるのは決していいことじゃないよ。人間なんてどこかネジ一本くらいはずれてるくらいがちょうどいいんだよ」
「そんなことじゃありませんよ」
「じゃあ、何?」
「文乃さんは、はじめから知っていたんですか?」
「そんなことないよ」
「でも、亡くなった人についてもずいぶん詳しかったじゃありませんか。何も知らないようなことを言ってたけど、ちゃんと調べていたわけですね」
「あらあら、褒めてくれちゃうの? でも、残念ながらそんなことはしていないよ。私たちはね、常に妖かしから真実を教えられるんだよ」
「妖かしから?」
「妖かしはね、強い恨みや呪いによって生きているんだ。だから、その自らの思いを誰かに伝えずにいられない。私たちは耳をすませて、それを聞いてあげればいいんだ」
「妖かしは自らの恨みを晴らすためだけに生きているわけではないんですか? ボクたちは間違った方向に向かう妖かしを封じるためにあるのでは?」
「何それ。悪い妖かしをやっつけたり、時には悪い人間を懲らしめたり? それが私たちのやるべきこととか言っちゃうの?」
「違いますか?」
「まさか。響君はそんなふうに思っていたの? 妖かしはただ悪しき存在、危険な存在だとでもいうの?」
「いえ……そういうわけじゃありません。ただ、悪しきものとして認める必要はあるのだと思ってきました」
「必要悪みたいなもの?」
「そうですね」
「それも一つの考え方かもしれないね。でもさ、絶対的な悪なんてものは存在しないよ。そして、同様に絶対的な正しさなんてものもないってことだよね。そもそも私たちは別に『正義の味方』ってわけでもないよ」
文乃の言葉は、まるで響の心のなかにある靄を擽るような感じがした。
「なぜそんな話をボクに?」
「べつに。強いて言えば、今、私の目の前にいるのがキミだからだね」
「なら、どうして今回の件をボクに? 文乃さんだけでも十分に対処出来たんじゃないかと思いますが」
あの後、文乃は一人でいとも簡単に妖かしたちを鎮めてみせた。消し去るわけでも、封印するわけでもなく、妖かしたちを鎮めたのだ。
それは響にとって、驚くべき方法だった。
「そうかもしれないね。でも、常に人は変わっていかなきゃいけない。響君だけじゃなくて、私も今までの自分とは変わっていかないとね」
「あなたは何か知っているんですか?」
「知らないよ」文乃は即答した。
「でもーー」
「知ってるとか知らないとか、何か関係があるのかい?」
「それは……」
響は言葉に詰まった。それを見て文乃がクックックと鼻で笑う。
「懐かしいねぇ」
「懐かしい?」
「瑠樺ちゃんもそんなふうに悩んでいたことがあったよ」
「二宮瑠樺さんのことですか?」
二宮瑠樺は響が通う陸奥中里高校の先輩だ。そして、彼女もまた『妖かしの一族』の一人で、以前には助けてもらったこともある。
「あの子も真面目だからね。真面目に真っ直ぐな人ほどそういうことに悩む。悩んで答えの出ることなら良いんだけどね、世の中全てに答えがあるとは限らない」
「答えがない?」
思わず聞き返した。
「私たちはただの妖かしであり、ただの人間なんだ。この世の正義なんてわかるわけないじゃないか。私たちは自分の倫理観を信じるだけさ」
「妖かしとしての倫理観ってなんでしょう?」
「だから、そういうのは人それぞれなのさ。私には私の、響君には響君の倫理観があるのさ」
「それが違っていたら?」
「戦いかな?」
文乃はそう言って軽く笑う。「篠崎さんだって同じだよ。彼には彼の倫理観がある。彼は妖かしじゃないけどね」
その名前を聞いて、響はひっかかっていたことを思い出した。
「そういえば……篠崎さんに奥さんの連絡先って教えたんですか?」
「あ、忘れてたね」
アッサリと文乃が答える。
「いいんですか?」
「いいんじゃないかな。妹さんは知っているし、篠崎さんがちゃんとやり直そうとすればきっと美奈子さんとも娘さんとも会えるさ」
そう言って、またクックックと鼻で笑う。少し無責任なような気もするが、響も同じような気持ちがある。
その時、響のポケットの中でスマホが振動する。
『どこにいるの?』
それは御厨ミラノからのメールだった。
明日はまた、ミラノの機嫌の悪い顔を見ることになりそうだ。
了