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「私がどこの犬の恨みを受けているっていうんだ?」

「犬とは限らないよ。犬の姿をしているから犬の恨みを受けたなんてことじゃない。たいていの場合、恨みを持つのは人間だ」

「じゃあ、誰の恨みを?」

「それを考えるのはあなただよ。あなたが一番知っている……はずなんだ」

「だから、そんな覚えはないんだ」

 困ったように光太郎は言う。

「簡単に言うんだなぁ。それじゃあ、あなたのことは守れない。あなたはちゃんと思い出さなきゃいけない。この結界だって長くはもたない」

「そう言われても……」

「あなたは知っているはずだよ。確かに人からの恨みというのは気づきにくいものだ。でもね、妖かしを作り出すほどの恨みというのは自分でちゃんと知っている。知らないと思うのは、それと向き合っていないから」

「あんたたちは誰の味方なんだ? あんたたちこそが私を騙しているんじゃないのか? なぜ、今日なんだ。私が恨まれているのなら、ずっと以前に殺されていても不思議じゃない。あんたたちが現れたからこそ、こんなことになっているんじゃないのか?」

 光太郎は苛立ちをぶつけるかのように言った。光太郎の気持ちもわかる気がする。妖かしに命を狙われていて平常心でいられるはずもない。

 それでも文乃はまったく動じていない。

「うんうん、わかってるじゃないか。なかなか良いポイントをついている」

「何?」

「アレが今夜現れたのにはやはり意味があるんだ。でも、もっと正確にいえば、今日という日ではなく、今日のあなたの気持ちの問題じゃない?」

 文乃はゆっくりとリビングを歩きながら、奥の大きなソファへと腰を降ろした。そして、心の奥を覗こうとするかのように、まっすぐに光太郎へと視線を向ける。

「私の気持ち?」

「あなた、実はアレが何なのか知っているんじゃない? いえ、あなた自身がアレを呼び込んでいるんじゃないの?」

「呼び込んでいる?」

「あなたの今はいつから始まってる?」


*   *   *


 文乃の言葉を受けて、篠崎光太郎の表情が変わっていく。

「それじゃ……やっぱり」

「思い出した?」

「私の今は……あの日……あの夜からはじまっている。あれは……やっぱり間違いじゃなかったんだ」

「何が?」

「5年前、私は人を殺している」

 呟くように光太郎は言った。

「人を?」

 聞き返した文乃はさほど驚いているようには見えなかった。

「ハッキリしていたわけじゃない。でも、私が殺されるほどの恨みをかうとしたら……そうとしか考えられない」

「話して」

 光太郎は素直に話し始める。

「雨の日だった。あの日、私は身重の美奈子を連れて食事に行った。その日の朝は体調が良かったんだが、帰り道になって美奈子は具合が悪いと言い出した。私はかかりつけの病院へと連れて行くために急いで帰ろうとした。そこで不慣れた近道を通ることになった。とかく視界が悪かった。スピードを出していたわけじゃない。美奈子の身体に障らない程度に急いでいただけだ。それでも、やはり視界が悪かった。バケツをひっくり返したような雨で、前が見えなかった。途中、何かにぶつかったような衝撃を受けた。嫌な音が……嫌な感触が……ハンドルから伝わってきた。きっと倒れた木にでも当たったんだろうと思った。いや……何かを、誰かを轢いたかもしれないという可能性も考えた。だが、私はそれを意識的に否定した。一刻も早く病院へ向かう必要があったからだ。美奈子を……お腹の子を守りたかった」

「だから、そのまま逃げ去った?」

 文乃の問いかけに、光太郎はチラリと視線を動かした。

「私は一度、車を止めた。でも、降りなかった。そして、すぐに車を発進させた。バックミラーをちらりと見た時、そこに人のような姿が倒れているように見えた気がした。だが、それを私はあえて無視をした」

「奥さんのせい? 自分が逃げたかったらじゃないの?」

「違う。病院に行って美奈子の状態が問題ないことを確認した後、やはり気になって私は戻った。引き返したが既にそこに人の姿などなかった。私はホッとした。あの人影は勘違いかもしれないと思った。狸や野良犬かもしれないと思った。だが、それから一週間後に少し離れた山中で亡くなっている女性の遺体が発見されたという記事を読んだ」

「どうして自首しなかったんですか?」

 思わず響は訊いた。

「交通事故で死んだと書かれていなかったんだ。足を滑らせ、崖下に落ちたと書かれていた」

 それを受けて、文乃が話し始めた。

「亡くなったのは堀籠晶子という女性だ。まだ59歳だった彼女は認知症を患っていたんだ。おそらくあなたの車に轢かれた時、まだ意識もあったろうし身体も動いた。でも、救急車を呼ぶなんて頭はなかった。山道を徘徊し、その結果、崖から転落した」

「でも、そんなことは調べればすぐにわかるんじゃありませんか?」

 響の問いかけに文乃はうんうんと小さく頷く。

「そう、ちゃんと調べればね。でも、彼女には徘徊癖があって、発見された時には誰もが事故だと思い込んだんだ。だからちゃんと調べることもなかった」

「じゃあ事故で死んだわけじゃない?」

「それは違うよ、響君。事故がなければ? もしも事故があったとしても、ちゃんと手当していたら? 警察に連絡していれば? 彼女は死なずに済んだかもしれない」

「そうだ……あの時から私の生活は変わった。美奈子と話をする時、子供をこの手に抱き上げる時、私はいつも思い出した」

 独り言のように光太郎は言った。

「それはあなたの義務だよ。自らの責任を放棄したからこそ彼女は死んだんだからね」

「この化け犬たちは?」

「彼女は9匹の犬を飼っていた。皆、老犬でね。彼女は、年老いて行き場のなくなった犬たちを引き取って世話をしていたんだよ。彼女が亡くなった後、彼らは知り合いや施設に貰われていった。でも、彼らは彼女のことを忘れなかった」

「死んでからも恨みを忘れずに仕返しにきたわけか」

「だからぁ、恨みを持つのは人間なんだってば」

「人間? じゃあ私が轢いたあの女性か」

「そう。でも、彼女はあなたのことなんて知らない」

「言ってることがメチャクチャじゃないか」

「そうでもないよ。彼女は自分の死に恨みを持った。でも、あなたのことを知らない。つまりね。殺されたことの恨みというよりも、自分が残した者たちへの心残りというもののほうが強いんだよ。つまりは自分が先に逝かなければいけなかったことへの恨み」

「結局、私に対する恨みじゃないか」

「そんなシンプルなものだったら、もっと楽なんだけどねぇ」

「楽?」

「あなたを殺して満足するってこと。でも、彼女の想いはそうじゃない。そして、彼らの想いもそうじゃない。だから、これまであなたは殺されずにいられた」

「でも、どうして今になって?」

「それは生きようとする力が弱くなったから」

「誰の?」

「篠崎さん、あなただよ。違うかい?」

 一瞬、光太郎の目が泳ぐ。だが、すぐに小さく頷いた。

「そうかもしれない。あの日から私の生活は変わっていった。仕事はうまくいかなくなり、美奈子との関係もおかしくなっていった。美奈子は家を出ていき、あの時に生まれた娘も妻が養育権を持つことになった。今は二人ともどこにいるかわからない。私は生きていることの意味がわからない」

「あの化け犬たちの恨みは決して強いものではないよ。強い恨みならばともかく、そうでないものは生きる力が強ければ決して彼らは近づいてくることは出来ない」

「あいつらが私を殺してくれるってことか。それならそれでいいかもしれないな」

 光太郎はわざとらしく弱々しく笑ってみせた。

「ふうん、それをあなたは受け入れるってわけだ。ずいぶん都合が良いじゃない? 自分が生きる道に迷ったから、自分に恨みを持つ妖かしに殺してほしいと思うようになった?」

「妖かしに殺してほしいと思っていたわけじゃない」

「いいや、あなたはそう思っている。でも、あなたは死ねない」

「死ねない?」

「だってあなたは未だに生きている。それはね、あなたに生きてほしいと思っている者がいるってことでしょ」

「それってーー」

「さっきからあなたも言っていたじゃないの。ベスというあなたが飼っていた犬だよ。あなたにはその犬が憑いている。16年、あなたと暮らし、あなたと心を通わせた。あなたには心残りがあるようだが、ベスはあなたを恨んでなんていない。むしろ、死んでもなおあなたのことを守ろうとしている」

「こんな私を?」

「確かに篠崎さんは罪を犯した。でも、それはベスにとっては関係ない。罪は罪、しかし、それで人生の全てが否定されるわけじゃない」

「でも、私を殺したいと願う者たちもいる」

「そりゃ、そうさ。恨みというものは少なからず多くの者たちが持っている。それが全て復讐という形で叶ってしまったら、世の中はおかしくなってしまうんだよ。それを鎮めるのも私たちのような『妖かしの一族』の仕事なんだよ。さっき、私はあなたの中にいる妖かしの力を封じた。それは外の者たちの存在をハッキリさせるためだけど、それと同時にあなたの中の妖かしを戦わせないためだ。彼らに罪はないからね。罪がない者同士が戦うのは忍びない」

「あれを鎮められるのか?」

「そうだねぇ。あなたのためだけじゃなく、彼らのためにも鎮めてあげないとね。そのために私たちはここに来たんだよ。もちろんあなたは過去の罪を認めなきゃいけない。そして、その罪に似合う罰を受けなければいけない」

「罰?」

「罪を償えばいい」

「どうやって?」

「方法はいろいろあるはずだよ。それはあなたが考えなきゃいけない。本当に罪を償って生きていくつもりがあるならね」

「ベスは?」

「それはあなたの守護者となっているじゃないか。このまま共に生きていけば良いじゃない」

「ずいぶん長い間、守ってもらってたんだな」

 しみじみと光太郎は言った。だが、嬉しそうな気持ちがその顔には滲み出ている。

「さて、じゃ、とりあえず外の者たちを鎮めてこようか」

「じゃ、俺もーー」と流が錫杖を持ちかえる。

「いやぁ、大丈夫大丈夫。彼らはいい子だからさ。出来るだけ乱暴なことはしたくないんだよ」

「でも今は梢さんの力で妖力は使えないんじゃありませんか?」

「うん、それも大丈夫。彼女の力は美月には通じないんだよ。つまり、今、ここで妖力を使えるのは私だけだ」

 文乃はそう言うと一人で外へと出ていった。


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