i would
「親と同じような人生は送りたくない」
どこの家庭でも、等しく子供は思うものです。
しかし、人生は思うようにはいきません。
気がつけば、いつの間にか親と同じような人生を歩みつつ、命の時間はどんどん消費されていきます。
そんな人生を生きる親から子供へ、子供から親へと伝えたい、そんなメッセージをストーリー込めました。
◼︎親父の人生
”i would”(私なら、〜するだろう)
英語の慣用表現の一つです。
例えば、
〝I would definitely live a more happy life"
(私なら、間違いなくもっと幸せな人生が送れるだろう)
そうですね。
私も父母の人生を見て、「自分は、両親よりもっと幸せな人生を送れるだろう」と漠然と考えていました。
でも、実際同じ年代になってみると、なかなか思ったような人生にはなっていません。
今日は、そんな話です。
・・・
俺は30歳の平凡な会社員。
10年近く現場で平社員を続けているが、まだ夢を諦めた訳じゃない。
社会人人生は、まだ30年以上あるし、きっと一花咲かせてみせる。
俺は親父とは違う。
俺の親父は、今年60歳。
もうすぐ定年で、来年から嘱託になるらしい。
仕事の中身はあまり変わらないのに給料だけ安くなる、とボヤいているが、万年主任じゃ、まだ会社としては良い待遇をしてくれている方じゃないか。
毎日、判で付いたように会社に出かけて、ろくに遊びもせすにまっすぐ家に帰る。
そんなことを40年も続けて、偉くなるわけでなく、名前も覚えられず、大した趣味も持たずに年ばかり取っちまった。
平凡で、ワクワクもしないフラットな一生。それで、たった一度きりの人生を終わっても本当に満足なのか。
◼︎自分なら
自分なら、もっと違う人生を送れる。
親父の背中を見ながら育った俺は、いつもそう考えていた。
とは言え、飛び抜けてニ枚目なわけでも、運動神経が良いわけでも、才能があるわけでもない。
強いて言えば、親父譲りの辛抱強さくらいしか、人に誇れるものはない。
それでも、親に無理を言って、美術系の学校に通わせて貰った。
それで、少し親父とは違う人生が開けるはずだった。
でも、人と違う勉強をした所で、急に才能が開くわけでもなく、鳴かず飛ばずで卒業して、なんとかかんとか今の会社に拾って貰った。
いや、人生これからさ、と自分を励まして、一旗揚げようと出社したものの、配属された現場ではいきなりしごかれ、しぼられ、自分の不甲斐なさに叩きのめされた。
それでも、何年か我慢して頑張ったら少しは仕事も覚えて、いろいろと任せて貰えるようになった。
ただ、そうなったらそうなったで、毎日が目の回る忙しさで、つまるところ、気がつけばこの年。
あまり、パッとしないけど彼女もいて、結婚をせがまれながら、なんだかんだと引き伸ばしている。
親父とは違うけど、やっぱりフラットな人生。「俺ならば」「いつかは」と思いながら、過ぎ去ってしまえば、泡のように儚い時間。
◼︎二人の自分
午後6時、たまたま仕事が早くキリついた俺は、こんな日くらいはと、早めに会社を出た。
あいつに連絡してやろうか。
彼女の顔を思い浮かべながら、少しそんな気分になった。
でも、やっぱり、あのメリハリのない顔を見る気が起きなくて、取り出しかけた携帯を懐に戻した。
代わりに、電車の駅を二つ早く降りて、宵の口の喧騒に彷徨い出た。
「どこかで一杯やろうか」とか、「気晴らしにパチンコでも」と言う訳でもない。
やはり、親父譲りの血なのか、自分一人でそう言う金の使い方は気がのらなかった。
大した趣味もなく、出世する訳でもなく、彼女がいる以外には、会社と家の往復で過ごしている。ますます、自分と親父の人生が重なってくる。
そんな気持ちを振り切るように、勇気を出して一軒のバーの重い扉を押してみた。
そこは・・・
薄暗い店内に、時折グラスの音が響く。その静寂を包むように、優しくジャズが流れていた。
しまったかな。
俺のような一見客が来て良い店じゃなかったかも。
でも、一度中に入ったら、そのまま外に出るのも気が引けて、取り敢えず何か軽く飲んでから出ようと思った。
カウンター席に腰を下ろし、バーテンダーに無難なオーダーをする。
「ジントニック。」
バーテンが氷の入ったグラスにジンを注ぐと、ジン独特の匂いが鼻をくすぐった。
薄暗い店内を見渡すと、テーブル席には数組のまばらな客。みな、常連なのか、すっかり店の風景に溶け込んでいる。
ふと、気づくとカウンターにもう一人客がいた。
歳の頃は、俺と同じ。
その割に年寄りくさいものを身につけているが、それを除けば鏡を見ているのかと思うくらい自分と雰囲気が似通っていた。
あまり、しげしげと眺めていた所為か、向こうも俺に気づいて声をかけてきた。
◼︎語る男
「あなた、初めてですね?」
「まあ。たまたま、入ったところがここでして。あの、一見さんお断りの店じゃないですよね?」
「京都の高級料亭じゃないですよ。でも、落ち着くでしょ、ここ。」
「はい、お酒を飲む場はもっと賑やかかと思っていました。実は、俺、そう言うの苦手で。」
「そう思いましたよ。僕らよく似ていますね。」
彼は自分に妙な親近感を示してくれた。
だが、自分には少しそれがくすぐったかった。
少し他愛のない世間話をした後、話はだんだん互いの境遇に移っていった。
「僕はもう10年以上現場を担当していましてね。厳しい職場で、一人前と認めてもらうまで何年もかかりましたよ。僕、人一倍不器用だから。」
「俺も似たようなもんです。親父もそうでした。でも、このまま名前も知られず埋もれてしまうのは耐えられないんです。一度きりの人生だから、もっと普通でないと言うか、生きた証のようなものがあれば。」
「僕もそう思ってますよ。それに親父世代よりずっと幸せになってやる、ともね。でも、最近息子が生まれて少し気持ちが変わりました。自分の気持ちより、まずこの子を幸せにしてやることを優先しなきゃってね。」
「へえ、偉いですね。」
「まあ、親なんて皆んなそんなもんでしょ。あなた、お子さんは?」
「いや、お恥ずかしながら、まだ独り身です。」
俺と同じくらいの歳なのに、口調が随分年上に思える。
また、光の加減か、彼の顔のシワがだんだん濃くなってくる気がする。
「それでもね、長い間勤めた甲斐があって、やっと主任に昇格できたんですよ。少しは会社の役に立てているのかって嬉しくてねえ。」
主任と言えば、課長や係長の下の班長位の職位だろう。余程長い間、会社から冷や飯を食わされてきたんだろうな。まあ、俺も人のことは言えないし、親父も万年主任だったから、人ごとには思えない。
そして、だんだん彼は話をしながら、俯向き加減になっていった。
どんな表情で話しているかも影になってよく分からない。
しかし、口元や額に刻まれたシワがますます深くなっている気がする。
◼︎幸せの思い出
まさか、話しながら少しずつ歳を取っているんじゃないだろうな。
そう言えば、さっき生まれたはずの息子が、彼の話の中ではどんどん成長している。
いつの間にか小学生になり、中学生になったと思ったら、今度は大学へ進学すると言う。
「うちの息子がね、なんですか、美術の大学に行きたいと言うんですよ。まあ、あまり裕福な家でないから、教材費や画材のお金がいくらかかかるか心配でねえ。でも、やっぱり親はダメですね。子供にせがまれると、ギリギリのところでは許してしまうんです。」
ちょっと待てよ、あんたおかしいだろう。
なんで、息子がそんなに早く成長するんだよ。
それによく聞けば、ほとんど俺の思い出と被っているじゃないか。
まさか、あんた興信所の調査員がなんかで、今付き合っている彼女の親が別れさせようとして、嫌がらせを頼まれたのか。
しかし、そんな俺の思いに関係なく彼は話し続けた。
「その子供がね、やっと独り立ちをしましてね。自分と同じような現場で頑張り始めたんです。やはり、蛙の子は蛙と言うか。でも、精一杯頑張っていれば、私みたいに良いこともあるって、それを伝えてやりたいんです。」
そう言ってこちらを向いたのは、いつも見慣れた・・・
親父
その人の顔だった。
「あ、親父・・・。なんで?なんで、ここにいるんだ。」
しかし、親父は相手が息子と気づかないように、ゆっくりと穏やかにしゃべり続けた。
「息子に言わせれば、判でついたように面白みのない平凡な人生を送ってきたように見えるんでしょうな。でも、その実、平坦なんてもんじゃなかった。毎日、毎日、仕事に追いまくられて、息つく間なんかありゃしない。それで、疲れ果てて家に帰れば、あとは夕食を食べて寝るだけ。それでも、全ての力を傾けて会社員人生を勤め上げました。」
決して家では吐かない親父の本音だった。
「それも、いよいよ終わりになって、まだ60の身で会社から放り出されるのかって覚悟していたんです。そうしたら、ある時、社長から直々にお呼びがかかって・・・そりゃ、びっくりしましたよ。そんなに大きな会社ではないけど、それでも社長と言えば雲の上の人ですからね。」
「社長は、私にソファを勧めて下さって、こう言うんです。
『長い間ご苦労さん。』
てっきり、退職前の労いだと思いましたよ。
そうしたら、
『これから、どうしますか?もし、あなたさえお嫌でなければ、もう少し力を貸して貰えませんか?いや、出来ればいたいだけいて欲しい。会社の規定で給料は多くは出せませんが、あなたのような人を手放すのは勿体ない。』
正直涙が出ました。私なんか、ただ言われたことをこなすしか能のない人間で、社長は気にもかけていないと思っていましたから。
人から見ればつまらん人生かも知れんが、私なりに山あり谷あり、そして幸せな人生を送ってきました。
まだ息子は夢ばかり見て、地に足が着いていないところもあります。でも、頑張って生きていけば、ささやかで平凡でも必ず幸せな人生になります。
それを伝えたいのですが、なかなか最近ゆっくり話す機会がなくてねえ。」
そう言った親父の姿は少し透けて見えた。
◼︎遠い背中
「お、親父。」
声をかけた俺に答えを返さずに、親父はどんどん店の薄暗がりに溶け出して言った。
そして、最後、飲みかけのグラスだけが残されていた。
その時、呆気にとられていた俺の携帯が不意に鳴った。
見慣れない番号だ。
どこからだろう。
出てみると、少し緊張した女性の声がした。
お袋だ。
「なんか、あった?」
「ごめん。今病院なの。私、気が動転してあなたに連絡することが遅くなって。」
「病院?大丈夫?」
「あの・・・お父さんが急に倒れて、救急車で運ばれたの。それで、しばらく意識がなかったんだけど、今目を覚まして。」
「脳梗塞かなんか?」
「そうなの、対処が早かったから大したこと無くて良かったわ。
でも、お父さん、変なこと言うの。今まで、あなたと一緒に居たんですって。」
やはり・・・
今まで、ここにいたのは親父だったのか。
つまらない平凡な人生。
親父に対するそんな思いはやはり変わらない。
でも、人生を過ごしてみて、同じような生き方をしてしまっても、決して後悔なんかしなくていい。
みんな一生懸命生きていて、それでも平凡で終わっても恥じなくていい。
そんなことをわざわざ言いにきた。
そんな親父の不器用な人生。
でも、偉いと思う。
いつも見てきた背中が少し遠く思えた、そんな夜だった。
(おわり)
いかがでしたでしょうか。
すこし童話のようにまとめてみました。
そこから、人生を懸命に生きる親から子どもへのメッセージが少しでも伝われば有難いと思います。