2話 漂流地と恩返し
中部地方に住む人間は、感覚的に北を向いたら、右手が関東、左手が関西と分けます。
故に東海地方で道を聞くと東西南北で教えられ、他県から来た人は、何故右左でおしえないのか?と疑問に思うそうですね。
気が付いたら浜辺に居た。
ここは何処だろうか?
右手直ぐには小高い山と、左手には砂浜から続く海岸線、辺りを見回したが判断材料になる物は無く、途方に暮れてもしょうがないと歩きだした。三重に住む俺は感覚的に海岸線が陸地に繋がる方を向いて、右側が東で左側は西だと思っていた。
まあ間違っていても何とかなるでしょう。
そう思いながら歩きながら思考を再開する。服装は朝家を出てきた時と違い、草色の布を古代ローマ人のトーガの様に纏っていた。腰には白木の鞘に収められた短剣が有った。
見渡す限り人の気配は無く、俺は子供の時に学校の先生が余興で出した、無人島に一つ持って行くとしたら何を持って行くべきか? と言う問題を思い出した。俺をここに連れて来た野郎はこの短剣一つで何とかしろと言いたいらしい。あの問題の正解は解からないが、とりあえず感じた事は喉が渇いた。
水場を求めて歩くが景色は変わらないな。唯一の希望としては北側に纏まった陸地がある事だな、希望が少しでもあれば人は前に進める、そう感じながら前に進んだ。
もう何km進んだだろうか? そんな事を考える事も億劫になる位進んだだ時、少し先に川を見つけ俺は走りだした。すぐさま駆け寄り水を飲んだが、しょっぱくて飲めたもんじゃない。
「汽水域の川は何処まで海水と混じり合ってるんだ?」
そんな疑問を持ちながらも、体の欲するまま上流を目指した。海水を口に含むと喉が余計に渇くと言う話は本当なんだな……
もしかしたら少し飲み込んだかもしれない。疲れた体に相まって目眩がして来た。
こういう転生物の主人公はサクッと何事も無く町に到達する物じゃないのか?、俺は八つ当たりかもしれないが、理不尽な環境に文句を言いたくなった。
何とか前に進まねばと思いながらも足取りは重く、意識は遠ざかって行く、まだ遣れる、まだ頑張れると思いながらも、体が言う事を聞かず視界は黒くなってきた。
「兄ちゃん、兄ちゃん」と遠くで声が聞こえた気がしたが、答える気力も無く意識を手放した。
俺が再び目を覚さますと、テントの様な物の中にいた。竹を円形に束ねて柱を作り、藁と動物の皮で壁を作って有る、アメリカの原住民が住んで居そうな竪穴式住居だ、中心では火が焚かれ上の方には少し空けられた隙間から空気が出て行く様に工夫してある。
落ち着いて考えよう、アイツは異世界に招待してくれると言ったが、ここがそうなのか?
普通、何かチートの様な物を身に付けて、肉体的な苦痛とは無縁のはずだと思ったが……
しかし、あの野郎何を考えて人を海に落としやがった、次会ったらただじゃおかねえぞ。
「兄ちゃん気づいたきゃ?」
「すまない爺さん少し考え事をしててな、助けてくれてありがとう、ところで此処は何処なんだ」
「此処は、あゆちの村だがね」
はて?
あゆちとは聞いたことの無い地名だが言葉に名古屋訛りが伺える所を見ると、名古屋市の何処かなのだろうか? 愛知とあゆち方言の一種か?
「兄ちゃん腹減ってるだろ、粥しかないが食うか」
「ありがたくいただきます」
食事をしながら聞いていると、どうやら俺は浜に川べりで行き倒れている所を爺さんに助けられた事、爺さんは村長だと言う事が分かった。あと熊野暦と言うのが分からないが今日は4月10日らしい。
あと、この手の転生物の話だと米は食えても、美味しく無いと言うのが相場だが普通に食えるな。付け合せの糠漬けがなんとも食欲をそそる。
「ごちそうさまでした」
爺さんに頼んで村を案内してもらった所、けっこうな広さの田んぼとすぐ目の前には海が広がっていて、海から見える景色は何処かで見た事が有る様な既視感を覚えた。
右手奥に見える山は伊吹山で正面奥に見えるのは鈴鹿山脈だよな、何処か見覚え有ると言うか俺の実家から見える景色と変わらないな。
あと、いたる所から湧き水が湧き真水には困らないとの事、湧き水の湧く地をあゆちと呼びこの場所の地名となったらしい。
「なあ爺さんさっき話しに出た熊野と言うのは地名なの?それとも人の名前?」
「熊野様はこの辺りに影響力持つ地主様で、ほれこの海の向こう岸を少し南に下ったところに住んでおる」
ここが名古屋市だとしたら対面に見えるのは三重県だから、此処は若干知多半島寄りの場所かな、指差す方向からすると三重県内の何処かに住んでいると思われるが、和歌山県の熊野で無い事を祈ろう徒歩で行くにはキツすぎる、まあそれはおいおい考えるとして……
「なあ爺さん一宿一飯の恩とも言う、なにか俺に出来る事は無いか?」
「さあ、特にないの」
「ちょっと待て、この時期だと田植えとか何にか有るだろう」
「田植えとは何だ?」
何か俺の知識との差が有るな。
「爺さん、この辺りじゃあ米はどう栽培してるんだ?」
「普通に種籾を蒔いて、田に水を入れるんだがね」
「それじゃあ発芽しない種も有って、まばらに米がなるだろ?」
「見てないのに良くわかるな、じゃがそれも神様のおぼしめしだがね」
いやいやそれじゃ駄目だろう。あと、俺を此処に転生させた奴が神だとしたら、そんな良い奴じゃない、きっと間違ってるのが分かっていて、ニヤニヤしているに違いない。
ざっくりとしか分からないが、水に種籾を浮かべて浮いて来たものは使えないと言う事と、有る程度育ててから田に植えたほうが良い事、等間隔に植えないと土の栄養を奪い合って実りが少なくなる事を説明した。
「ほう兄ちゃんの実家は農家かね」
「いや友人の家が農家で手伝いをした事が有るだけだ」
ちなみに俺の実家は日本料理店だ。
「そういえば竹は有るみたいだけど竹の子は食わないのか?」
「竹の子?」
「竹の地面から少し顔を出した位のやつだよ」
「なに言っとりゃーす竹なんて硬くて食えんがね」
あれ?この辺りでは竹の子を食う習慣がないのか……
「じゃあ明日の朝うまい物を食べさせてあげるよ」
翌早朝、俺は鍬と籠を片手に竹の生えている裏山に向かった。しかし家は竪穴式なのに鍬は有るんだな
「おっ、有った有った」
地面にヒビが入っている所を鍬で掘ると立派な竹の子が取れた、近所に振舞う物を含め30本ほど収穫し村長の家に帰った。
「爺さん帰ったぜ」
俺は、本当にそんなものが食えるのかと言う、爺さんを横目に調理に取り掛かった。
調理と言うのは大げさだな、せっかく新鮮な竹の子が取れたので可食部分は少し減るが、贅沢に中心部分だけを使い刺身で食べてもらいたい。使わなかった部分はもったいないので、味噌汁に入れる事にした。
少し驚いたが味噌は有った、各家庭で作っているらしい。
さすが味噌県、いやそれは関係ないか。
「刺身はまずは何も漬けずに、あとは味噌でも漬けて食べてくれ」
毒見と言う訳ではないが、ちゃんと食べれることを証明するために一切れ口に放りこんだ。
すると新鮮な竹の子の清々しい甘みと風味が口の中に充満する。
「「うめ~」」
俺と爺さんの声がこだまする。と言うか爺さん、いつの間に食ってたんだ?
味噌汁の方も若干土の風味のする根元部分がアクセントになって良い味だ、爺さんもこんな旨いものは食ったことが無いと大喜びだ、早起きした甲斐が有ったな。
「ところでこれは、今から行っても取れるのかね?」
「早朝が好ましいとされれいるが多分大丈夫たよ、あと取れたてはいいけど灰汁が出てくるから、米糠と一緒に結構な時間(2時間位)煮たほうがいいな」
その後、村長には竹の子を煮てもらい、その間に村人を10人ほど連れて竹の子狩りに行く事にした。
今夜は竹の子パーティーだ、何処の誰とも解からない俺を助けてくれた恩が有るからな、名刺代わりと言っては何だが、料理を振舞うとするか。
取った竹の子は下処理をして、焼き竹の子の味噌田楽や刺身(ボイル済みの物使用)にした。
素焼きの大壷を借りて、皆が持ち込んだ大根や里芋・鶏肉などと、ともに筑前煮もどき(味噌味)を作った。
筑前煮は福岡県の郷土料理(がめ煮)が発祥で、地方の言葉で「がめくり込む」(寄せ集める)から来てるらしいぞ、当時は肉にカメ肉を使って居たと言う説も有るが、ただでさえ臭いスッポンが磯臭くなったと思うと食べたくないから前者が妥当だと思う。
何が言いたいかと言うと、味噌味でも筑前煮で良いんじゃないかと言うことだな。
うれしい誤算だったが、この近くの森では野生の鶏がいるらしい。
あと醤油は無いっぽい。酒は有る様なので村人総出で酒宴となった。
その後20日ほど村にお世話になり田植えを手伝い、鶏は小屋で飼育出来その卵が美味かつ安定して生産出来る事、山菜は灰と共にお湯に半日ほど漬け綺麗な水にさらすと美味しく食べられる事を伝えその村を後にした。
「もう行くのかね?」
「ああ、2~3日のつもりが長い間世話になった。恩も返しきれて無いのでまた寄らせてもらう」
「そんなことは気にせんで良いがね。ほれ忘れ物じゃ」
村長に渡されたそれは、何故か最初に持っていた短刀だった。
「おぬしが倒れて居た時に身に付けていた物じゃ、もっていきなされ魔物もでるしの」
えっ? 魔物出るの? 驚愕の新事実……
まあ何が起こるか分からないから武器は必要か? それから迷惑ついでに、竹を3本ばかり貰いその村あとにした。
とりあえず、地元の桑名有る場所を目指し出発しよう。
※仁の移動経路
あゆち村は人口80人ほどです。
米が古代米ではないのは後の話で説明が有ります。
主人公のメインウエポンはしばらく竹槍の予定。