雪の向こうに 6
秋実は重い表情で扉を開きました。
のそりのそりと重そうな足取り、落ち込むのは察して余りありますが、私は立場上仕方なくその頬を張ります。
「……痛いな」
「この流され屋が」
私の背後では老婆がおろおろと狼狽えているのが畳の軋む音から感じられます。
本当に、可哀想な人だこと。
彼女は何も悪くはありませんし、彼も秋実もまた彼女さえも悪くはありません。
ただ、最善でなかったのは確かでしょう。
「……あの男は」
「雪に攫われた。きっと今頃は冷たく眠っているのだろう」
「助けはしなかったのですか」
「……助けを求めないことを、彼は選んだ」
すすり泣きが耳に響きます。
ああ嫌だ。
気持ちが分かるだけ尚更憐れです。
「今から助けには、いけないのでしょうか」
「求められるのなら、私は行くがどうだろうか」
秋実は私を押し退け老婆に歩み寄ります。
温かく優しい人だこと。
けれど、それは酷と言うものです。
老婆は母です。
子のしたいこと、思うことは感じ取っていたでしょう。
「あなたは、私に何を求める。私はあの雪を根こそぎに消せるし」
「…………出て行って下さい」
絞り出すような声でした。
「それで、良いのか」
面食らった秋実はそれでも問うのでした。
全くこの方は、どうにももどかしい。
「貴方のせいではないですだ、でも、私はあなたを恨まずにはおれませんだ」
何が悪い訳ではございませんが、しかし人というのは何か縋るもの恨むものなくばその朝立つことすらもままなりません。
何が悪いか。
何故そうなったか。
それは大事なことです。
例え仮初であっても持つことに意味はあり、そして今の現実は余りにもこの人に厳しい。
「秋実」
これ以上は不要です。
私は秋実の肩に手を掛けました。
「去りますよ」
「だが……私は、まだ」
「貴方に出来ることは無数にあります。しかし望まれているのは此処を去ること。それのみに尽きます」
ご迷惑をお掛けしましたと私は老婆に頭を下げ、秋実の手を引いて屋敷を後にしました。
外は冷えた風の吹くもののもう途切れ途切れになった雲の隙間から日の光が立っております。
道を征く白きもまばらに、雪の舞うこともない外には僅かながら冬の去る影を感じるものです。
分厚い眼鏡を外して、私は再び狭い世界の中に戻ります。
生まれつきの弱視では鼻に痛いほどの眼鏡なしでは景色さえ見ることは叶いません。
「この分であれば遠からず冬は開けるでしょうね」
「ああ、そういうものだろう」
肩の当たるくらいに寄っているので私の目にも秋実の落胆は伝わります。
そして服と服を通しても分かる体温の高いこと、それは秋実の気持ちが落ち着いていないことに他なりません。
「それほど彼が気にかかりますか」
「私は見殺しにしたも同然だ。彼も、そして先程の老婆も」
「人間はそう簡単に死にはしません。もう超人になって長いから忘れてしまったのでしょうか? 人は結局死にたくはないのですよ」
私もそうですからね。
あなたは違いますが。
「…………そういうものか」
噴く火山煙のような溜息をこの人は吐きます。
傷も剥き出しで、その奥底からは炎の息吹が聞こえてきます。
あな恐ろしや愛おしや。
「さて、ではこれを」
私はずっと匕首の鞘に括っていた銀糸を手渡します。
思わず取り落としそうなほど冷たい糸を、秋実は平然と受け取りました。
「何だ? これは。随分と冷たいが」
「あの男の首に密かに括っていたものです。生死は定かではありませんが、居場所はこれで分かります。きっとそこにこの雪の原因もある筈です」
秋実は嬉しそうに頬をほころばせます。
分かりやすい方だこと。
まるでよく懐いた犬のようです。
「ふふふふ、舐めるなよ。私は最強の改造人間、すぐに助け出してやるさ!」
燃える火の粉を足にまとわせ、一足に地面を踏むとつま先の辺りの地面から火が柱を立てます。
それに雪が一斉に降りかかり、その間に秋実は私を抱えて走り出しました。
火を噴いている間の秋実は普段とは打って変わって強靭で俊敏です。
「糸の方向は分かった。そしてそこには弱い熱源を感じるぞ、生きている。彼は生きているぞ」
「結構なことです」
まぁ、良いこととは一概には言えませんが。