雪の向こうに 5
「来るな莫迦者が!」
ハッと目を覚ますと櫛井田に蹴り飛ばされていた。
腹のあたりに痛みが滲み、少しの浮遊感から解放されると私は家の白壁にぶつかった。
肺の空気が一息に漏れる。
寒い。
熱い。
まるで真反対な風が怒涛に吹きつける。
「想定外だ……この雪も、お前も」
葬式にでも言ったように不機嫌な顔の右半分は焔に揺らいでいた。他には左手、足の所々、そして何より胸の中心の臓腑の辺りに至っては白くも黄色くもある光のような炎が煌々と煮立っていた。
改めて畏れを感じる。
近寄りがたい恐ろしさ、そして自分のようなただの人間とは圧倒的な隔たりのある高位の存在。
「いつまで呆けているつもりだ?」
胸倉を掴まれて持ち上げられる。
息をするのも苦しいくらいに暑い。
肌がじわじわと焼かれるような感覚に囚われる。
「お前は俺とこの雪のある中に入って来た、死にたいのならそう言えばすぐに楽にしてやるが、そうではないだろう?」
秋実の焔から伸びた灼熱の尾は触れた雪も雲も端から焦がして消してしまう。溶けた雪は水になり火を濡らす筈だが無限のような大火はまるで意に介さずのたうち回る。
あれに触れれば私は痛みも感じずに消えてなくなれる。
「さあ、言え。言うんだ。お前は何だ。何をしにこの場に現れた」
「わた、私は」
口を開くと乾いた唇が割れて喉が枯れる。
でも、私は言わねばならない。
「私はアケビを、彼女を迎えに来たんだ」
びゅうっと櫛井田の炎を推して吹雪が至る。
散々熱せられた肌には雪の冷たさの心地よさが沁みる。
「…………」
櫛井田の左眼が黄色く光りその右手が上げられるのを私は制した。
これでいいんだ。
本当は何年も前にこうするべきだったんだ。
ああ、懐かしい。
この春のような匂いは忘れられない、忘れたこともない、彼女のものだ。