第壱拾四話 君ガ為
桜男の言葉に雪は暫く黙り込んだ。
当然だ、智を助ける為に、自分が犠牲になるなど考えもしなかっただろう。
「当然、選択権は雪さんにあります。出来ないと思うなら無理はしなくてもいいんですから」
そんな事を口にした桜男は薄い笑みを浮べていた。
目の見えない雪には、解らないが、それは決して人のいい笑みではない。
「私が死ねば…智は助かるのね」
「間違いなく…智さんは救われますよ」
聞えるか聞えないかの小さな声だったが、桜男の耳には十分に届いた。
「だったら…私の命ぐらい上げる。だって、どうせ智がいない世界で私は生きていけないもの」
するりと雪の腕の力が抜け、桜男の服の袖を離す。
向けられた雪の表情には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「智さんも…同じ事を言うでしょうね」
「え?」
「いいえ、何も…」
呟いた言葉は桜男自身にしか聞えてはいない。
だから首を振って、雪に小さな返事を返した。決断を下した少女に態々言う事ではない。
「苦しむ心配はありません、眠るように…意識が途切れるだけです。二度と目が覚める事はありませんが…何か最後に言いたい事はありますか?」
桜男の声と共に目を閉じた雪に、恐らく最後になるであろう問いを静かに向ける。
「智に…智にありがとうって、伝えて」
「それだけで?」
首を傾げた桜男に、雪は小さな笑みと共に頷いた。
本当は伝えたい言葉なら沢山ある。けれど、それを上手く言葉にする事が出来ない。
だから、その一言でいいと言ったのだ。
「解りました…それでは、おやすみなさい。雪さん」
深々と雪が降り積もる。
ただその場に立ち尽くして、空を見上げ、智は両手を力いっぱい握り締めていた。
「雪…雪…ごめん」
声が掠れ、上手く言葉が紡ぎ出せない。
何に対して謝っているのか、どうして謝っているのか…自身よく分かっていなかった。
「智さん…貴方はどうしますか?」
不意に後ろから掛けられた声に、振り向かずに黙り込む。
暫く経って、やっとの思いで情けない顔が桜男に向けられた。
「俺は…雪を助けたい。雪のいない世界なんて意味ないんだ!でも…だけどっ、俺がいなくなったら…誰も雪を助けてくれない…」
「そんな事はないですよ…」
叫びに近い智の言葉に、桜男は静かに返事を返す。
「もう…雪さんが苦しむ事はない。これから先も…ずっと、永遠に」
「どういう事だ…」
その言葉の意味が悟れず、智は首を傾げる。
それに薄い笑みを桜男は返した。
「雪さんが不幸だなんて、それは智さんの思い込みです。雪さんが貴方に、ありがとうと伝えて欲しいとおっしゃいました…」
「…っ」
桜男の言葉に嘘はない。ただ、その言葉の全ての意味を智は理解できなかった。
「さぁ、貴方はどうしますか…智さん」




