07 生きるという事
異世界に来たその日をずっと寝て過ごすというのも、中々に変だなと、一人苦笑いを浮かべる。
奏は散歩がてら外に出た。勿論門番の兵士には断っている。自由行動とは言え、外出も認められていることに驚いた。
そのまま城門を後にする。奏は昏睡も含めて寝すぎてしまった為、全くと言っていいほど眠気がなかった。
城は高い山に寄生するように建っており、建築技術の高い力量が伺えた。
緩やかな坂の麓には、平原一面に広がる城下町が見えた。
町の中心部では、夜中だというのに爛々とした光が点っていた。住民が酒盛りをして賑わっている様子が遠目でも分かる。
城を中心として、円形になるように城下町は広がっている。ただ、山は横に長く伸びていることもあり、普通の円というよりは楕円に近かった。
城下町の向こうには巨大な山が並び、その奥には高い山よりも更に高い壁があった。
昼間も見たが、あれは何の為に存在しているのだろうか。
まだまだこの世界に関しての知識は不足している。これから少しずつ明かされるのだろう。
この国の人間は一方的に厄介事を押し付けようとしてはいるが、まだ良心が残っている。召喚された人間達の扱いは非常に丁重だ。
城下町を一望できる丘に奏はやってきた。大樹に背を預け、少し物思いに耽った。
「本当に、地獄は終わったんだな……」
奏は今でも信じられない気持ちだった。昨日までは、外を無警戒にうろつくことなんて決してできることではなかった。
目を閉じれば、色褪せる事のない悪夢が鮮明に浮かび上がる。あの世界で過ごした苦痛の日々は、奏にとっては十数年にも思えるようなモノだった。実際は立ったの四年だというのだから驚いたものだ。
涼しい風を感じていると、不意に動物の気配がした。
見れば、少し距離を開けた位置から犬が警戒の眼差しで奏を見ていた。
「俺と同じでお腹が空いたのか?」
奏は右手に剣を作り出すと、左裾を肩まで捲くり上げて、左上腕に突き刺した。そのまま捻ると、剣は骨を絶ち、肉を引き千切る。左腕がぼとりと雑草の上に落ちた。奏は右手でそれを拾うと、犬の方へと転がした。
犬は後ずさった後、奏の左腕を咥えてどこかへ走り去っていった。
「味の保障はできないけどな……」
犬の後ろ姿を見送りながら、一人笑った。
「あなたは何をやっているんですの?」
聞き覚えのある少女の声が、城下町の光が届かぬ森の中から発せられた。
暗闇から小さな足音と共に姿を現したのは、先刻奏が世話になったセレナ・フォン・アルデベルトだった。
セレナの身に纏う、黒のシャツとズボンは寝巻きなのだろうか。
「いくら再生の能力を持つとはいえ、軽々と腕を切り飛ばしてみせるなんて、中々に肝が据わっておりますわね」
感心している様子だったが、その目には胡乱な光が宿っていた。奏は誰かに目撃されるということを考慮しなかった、軽率な行動を後悔していた。
「どうも……セレナさんは、外の見回りですか?」
「まぁ、そんなところですわ。夜風に当たりながらの散歩が好きなんですの」
白々しくセレナは言った。その言葉からは真実の欠片さえも見つからない。
「どうせ見張るなら外出時に兵士をつければいいと思うんですけど」
「見張らなくても、アイテムを使えばあなた方の居場所はすぐに分かりますのよ?」
「そうなんですか」
アイテムという、またしてもゲームに出てきそうな単語が出てきたが、奏はあまり興味を引かれなかった。視線をセレナから城下町へと戻す。
「あなた、同郷の人間に切りかかったんですってね」
「それがどうかしました?」
もはや動じることでもない。茉莉に許されなくとも構わなかった。人間として誠心誠意謝罪をした時、奏の中で既に因縁は終わっている。
「召喚をするのは初めてですが、まさか初日に殺人未遂と飛び降り自殺が起きるとは思いませんでしたわ」
「そうでしょうね」
自嘲気味な笑みを浮かべながら相槌を打つ。
「これから俺達はどうなるんです?」
奏がちらりと横目でセレナを見ながら問う。
「当分の間はダンジョンでレベル上げですわね。その後、使い物になるようなら戦争へ、使い物にならなくても降臨クエストへの参加は免れないでしょう。戦力として呼び出したのですから」
レベル上げとは随分とまぁ、ゲームみたいな話だな。あまり深く考えずにセレナの言葉を聞く。
「面白そうですね」
「面白いって……当分の間はわたくし達が死力を尽くして護衛いたしますが、死ぬ時は死にますのよ? 十メートルを超える化物と戦わねばならぬ時もいつか訪れますわ」
再生の能力を持っていようが、死ぬ時は死ぬ。それがこの世界だ。セレナには奏がこの世界を楽観的に考えすぎているように思えた。再生の能力とはいえ、左腕を飛ばしてもすぐ戻るわけでもなく、高いところから飛び降りれば数時間は動けないようだった。とてもじゃないが実戦で使えるレベルの再生ではない。
迷宮に行けばきっと目が覚めるだろう。今言葉で緊張感を持たせるより、実際に戦ってもらったほうが早いとセレナは考えたのだ。
セレナの奏に対する評価は大分外れている。もはや、奏にとって死は必ず回避するものではなくなっているのだ。死を避けるために、死を恐れるために、痛覚は存在している。奏には痛覚が残っているが、死を恐れてはいない。
殺すための痛みではなく、苦しめるための痛みを与える拷問は奏にとっても怖いモノだが、化物との対峙は慣れっ子だった。故に奏には余裕がある。奏の本質は、セレナに欠片も伝わっていない。
「今までの世界と比べたら、全然面白そうですよ」
「変な人ですわね」
あんな世界を経験していれば、誰だって変になる。奏は綺麗な夜空を見上げながら、草むらの上に寝転がった。
「それじゃ、俺はそろそろ寝ますね。また後日」
今でも眠気はないが、このままじっと夜空を眺めていれば眠ることもできそうだった。
「寝るって、ここで、ですの?」
「ええ」
ベッドだと悪夢にうなされてまた狂気的な状態に陥りかねない。チクチクして寝辛いが、ベッドより全然マシだった。
「変な人ですわね」
「ほっといてください」
――おやすみなさい。セレナは別れの挨拶を残して、その場から去った。
奏は右腕を枕にして、楽にした。左腕の再生にはまだ少し時間がかかりそうだ。
これが夢なら覚めませんように。同じ異世界でも思うことは逆だ。
暫くの間、夜空に瞬く星を眺めて、その内眠りに落ちた。
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