理由と名前と、そして過去。 Ⅰ
8年前、たった8年前の、出来事だ。
ユージェニック・クイントス王国、通称ユージュには、色々問題がある。問題のない国はないが、やっぱり多い。例えば治安、例えばコテコテの縦社会、例えば孤児。例えば、軍事に置く力の重さ。
物心がついたころには、俺はそういう施設にいた。そういう、というのはつまり、軍事関係の、ということだ。小さい頃から戦闘訓練や年のわりに合わない教育をさせて、強い兵士を作ろうというもの。
どうしてそんなところに入ったのかも、親が誰なのかもわからない。しかしその政策の一員として俺は育ち、たった10歳だったが、施設いち剣を振るのが上手い奴、としてお偉いに目をつけられた。なんでも、先日実技用の勝ち上がり戦で首席だったことから、だそうだ。
そんなこんなで、俺は今、とんでもなくでかい屋敷の前に立っている。
クインニティリー家。ユージュで一番偉く、金を持ち、政治を操る家。
俺には夢がある。剣を振るう以外の生き方をさせてくれなかった大人を、国を、権力を持って睨み返すことだ。――――――その夢をかなえる一歩に、それは上等すぎる話。
そして今日は、その仕事の最初の日だ。
「こんにちは、どうぞ」
「失礼致します」
燕尾服の男に迎え入れられ、広大なクインニティリーの敷地に入る。手入れのされた庭に、重厚な造りの噴水やベンチなどの人工物。いやな綺麗さだな、と見回しながらついていくと、
「君には、こちらの館で仕事をしてもらいます。ティストア様の館です」
「ティストア様って、あの、王子の・・・」
「そうです。あなたの配属は、旦那様が消去法で選ばれました」
「消去法・・・?」
「剣の腕がなるなら護衛でしょう?旦那様の周りは既に揃っております。次女のマリアンヌ様は夢見がちな方なので同年代の男子があると厄介ですし、長男様と次男様も、触発されそうで怖いと。それで一番しっかりしていらっしゃるティストア様の下付きに」
「・・・なるほど」
来る前に大体は聞いていたが、クインニティリー本家の子はひとりひとつでっかい館を持つらしい。そしてそこで働くものは、その館の主が同時に主人になる。
「私はティストア様の執事、メシルです。お嬢様には『バトラ』と呼ばれています。その理由は仰らないので分かりませんが、バトラで呼んでください」
ということは、つまり上司だ、この人は。
「はい、バトラさん」
「よろしい。それではお嬢様のところに案内します」
「え、謁見、出来るんですか?」
「ええ。あなたのここでの仕事は、お嬢様が決めますから」
「はい・・・」
正直びっくりした。ユージュいちののセレブ育ちお嬢様が、使用人の仕事が分かるのか?と。
「こちらへ」
大きく重い扉を開くと、そこは広い広い吹き抜けだった。
青を基調とした透明な石がそこかしこに埋まり、ステンドグラスから漏れる光がふんわりと照らしている。一体いくらなんだよ、と内心で呟く。自重の欠片もないが気にしない。
吹き抜けの中央にある真っ白な、そして両手を広げても両方の手すりに届かない階段を上る。すぐ真正面扉の先は廊下、さらに先も廊下、奥へ奥へ行くと、ようやく廊下の扉とは違う扉が出て来た。
厚い絨毯の敷かれた通路の突き当たり。それまで側面にあった色々の木の扉とは違って、身長の二倍くらい大きかった。
「お嬢様、お連れしました」
どうぞ、と小さく聞こえて来て、バトラはノック無しに扉を開けた。
そこは居室、というよりも、簡易的な執務室、もしくは応接間というような感じだった。しかし、声の主たるお嬢様の影はない。
しかし、どうもあのお嬢様にしては不釣り合いな茶色い机の裏に。
「・・・何故に隠れているんですか?」
バトラに尋ねると、彼は驚いたように尋ね返した。
「どうして隠れていると?」
「だって・・・真ん中の机の裏、人の気配がします」
それを言ったとたん、まさに指さしていたそこに、ばっ、と人が立ち上がった。
水色のワンピースから伸びる白い腕。ロングヘアの茶髪と、その前髪の隙間から覗く黒い瞳が、かちりと合った。印象的には、おとなしいお人形さん、みたいな。
「お嬢様、どうしてまたそんなところに」
バトラの質問には答えず、右手をすっ、とのばした。その先は向かい合わせのソファ。
どうやら座れと言っているようだ。
「・・・お嬢様の意のままに、どうぞ」
「失礼します」
さっさと座ったお嬢様を見てから、座る。バトラは脇で目に物見せぬ速さで茶を取り出した。夏なので冷たい麦茶で、出されたすぐ傍からお嬢様は口につける。そして、
「名前は」
それだけ。
どうせ別の呼び方をするだろうにと思いつつ、それに答える。次は「そう」という言葉。
酷く静かな人だ。
「お嬢様、仕事内容はお決めになられましたか」
「この部屋の番兵、交代は深夜帯。時間は夜の10時から朝の6時。以上」
「は、い」
さっきから違和感はあった。ちっとも笑いはせず、丁寧な口調もなく、全然想像の”お嬢様”とは似ても似つかない。それでもバトラさんは咎めないし、これがデフォルトなのだろうか。
「バトラ、辞職したガーダ・アルファの穴に、深夜帯だったゼータを入れて。時間帯は同じ」
「承知致しました。すぐに通達します。こちらの名前は?」
手で指されたのは、俺。すぐに分かる。バトラさんと同じように何か呼び名をつけるのだろう。
「やっぱりガーダ・エータですか?」
「いや、使用人」
「分かりました。では使用人、宿舎にはガーダ・ベータが案内するので」
「え?」
待って。今何つった?
「しよ・・・しようにん・・・?俺の名前・・・?」
「私がバトラと呼ばれているのと同じ理由です。こちらへ」
なんか語気が強くなった気がして、慌てて立ち上がる。
俺と同じで、外見だけはまだ幼い少女は、ただ茶を飲んで、こちらを見ようとはしていなかった。
その目を見て、俺は、口を開きかけて、――――――結局声にはならなかった。
昼は寝ろ、という先輩のお達しのもと、宿舎の小さな部屋で寝て、そして10時前。
「ではよろしく」
「はい」
部屋の前で見張りを交代し、小声でねぎらいを受けつつ、扉の前に立つ。
9時消灯のこの館では、ほとんど月明かりしか廊下を照らしていない。そういう感じに考えて、また無言。
あーこれあれか、暇ってやつ。
朝と昼は人が出入りしたりする為、まあまあいろいろあるが、ただ8時間ずっと立っているだけというのは結構きつい。まだ3分しか経ってないのに。
まず、外に警備兵がいるのにどうしてまたここに深夜用の番兵が要るんだか分からない。どうしてここに俺を任命したかなーあの・・・
ティストア・クインニティリー。
「どうしてそんなに寂しそうな顔をしているのか」と、訊きそうになってしまった。
どうして、なのだろう。
ふと、足音が聞こえた。それは静かでゆっくりで、背後から聞こえる。
起きているのか、オジョーサマ。
その音はだんだん近づいてきて、とうとうすぐ近くまで。そして予測通り、きぃ、と小さな音を立てて扉が開き、そこから顔が覗
「わっ」
突然視界が天井をなめるように映した。そして息が詰まる。
一瞬の出来事の後、襟首をつかまれて部屋に引っ張り入れられたことに気付いた。そして犯人はひとりしかいない。
「暇そうだから」
ずっこけた俺を、しゃがみこんで覗くその彼女、
「ちょっと相手してほしい」
ティストア・クインニティリーは、俺にとんでもないものを差し出した。
”お嬢様”と一緒に見ちゃいけない物のような気がするそれは、瞬いても消えなかった。
剣。
軽そうな一振りを、楽々持ち上げて抜く。刀身はぼんやりとした灯りを小さく反射するだけだが、けっこう綺麗。
本当ならもうこの人は就寝している時間で、バトラさんもいない。つまり結構見つかったらマズいのでは、この状況・・・と、その辺りから頭が回りだす。
きっと外に見つからないためだろう。昼間には、扉を正面に窓を背に、という形で置かれていた小さなデスクが反転。足を入れる空洞に、布を掛けられて薄い光を発するだけのランプを置いてあった。窓際から照らしているために、影が映るのはドアのある壁の方。そしてそちらには窓が無い。・・・策士だ。
「私はティストア。トアって呼んで、使用人。バトラも誰もいないから、敬語も敬称も要らない」
「・・・へぇ」
たった10つの、名家のお嬢様、きっとバカだと侮っていた。
こいつはバカなことをやっている、相当頭のいい奴だ。
――――――年不相応、という言葉がよく似合っていた。俺も、トアも。
「いーぜ。でも剣を合わせたら音が鳴るぞ?」
「どんな話をしてもいいようにこの部屋は防音。下は倉庫、上は屋根裏。住み込みはいないから、部屋はあまり余ってるだけでこの辺りは人はいない。・・・ちなみに隣の館までの距離は」
そこで言葉が止まる。
「距離は、何だよ」
「質問したから、答えて」
「語尾上がってなかったぞ」
「・・・そう。素の時面倒だから感情とか表情筋とか使わない」
全く悪びれない言葉。少し面白くなって、言い返してやる。
「昼間もあんまりなかったけどな」
「バトラは段階2まで許してる。外面3、内面2、素1で」
「俺にはいーのか?」
「いい」
シャッ、と抜かれた細い刃を構えたお嬢様は、普通にサマになっていた。
「ほー、すげーな。どこで習った?」
「気が向いたら教える」
「・・・気に入った」
利き腕である左腕で剣を取る。右手で字も書けるし箸も持てるし、もちろん剣も持てるが、こちらの方が精度がいいから、だ。
「お前は左手は?」
「両利き。右も左も振るし、字も書ける箸も持てる」
「両方使えたがいいぞ」
「分かった使う」
「お前が構えたから構えたけど、いきなり実践か?怪我すんぞ」
「結構。・・・あなたは、人を傷つけたりしない」
「どうしてそう思う?」
「あなたが傷ついているから」
「へぇーえ」
言葉の真意を訊くことなく、適当に受け答えしながら、剣の切っ先を斜め上に、視線上ではトアの鼻先に向ける。お前が構えているから、なんて言ったが、このお嬢様の構えはなかなか変わっていて構えじゃないみたいだ。剣のない左手を身体の前に出して、地面に向けて真っ直ぐと伸ばしている。そして肝心な剣の方は、身体の斜め後ろ。切先はとんと外れた部分を指している。
「カウント5、・・・4、3、2、1」
ゼロ、という声のあるはずだった瞬間に、俺もトアも地面を蹴っていた。
トアは駆けつつ、左手を柄に触れずに添えながら、剣を勢いよく身体の前へ。成程、剣が細いのは腕力の問題で、攻撃の重さが軽いのをカバーするために勢いをつけたい。だからこそのあの構え。下段から斬り上げの姿勢で迫ってくる。
対して俺は勿論、上段斬り。トアよりも恐らく重さがかかるうえに、地球の重力は下向きだ。そのままトアが受けたらおそらく押し勝つ。
刃と刃が1ミリまで近づき、激しい金属音が鳴り響――――――かない!?
視界右端、トアの剣は予想していた遥かにこちら側で斬り上げていた。身に当たれば刃の半分は俺に埋まっていたかもしれない。そうならなかったのは、そのモーションが攻撃のためのものではなく、俺の右腕の外側に打たれたものだったためだ。
斬り上げの勢いのままトアは反転し、俺の背中側にまわるが、すかさず俺も身を翻す。その時に薙ぎ払うのも忘れない。
顔を引いただけで躱したトアは、間髪入れずに迫る。今度は確実に弾き返すと、隙をついて懐に潜り込み、
「グフェ」
思いっきり鳩尾殴られた。
威力は小さいがいいところにヒットしたその拳は、俺の膝をつかせるには十分だった。
「お前、それ卑怯だぞ!」
「ルール指定しないそっちが悪い」
「なん・・・っ、てめーなぁ!」
「そのお前とかてめーとか、やめて」
声に不思議な冷たさを感じて、言い返そうとした口が開いたまま止まってしまった。
「・・・、あ、そう・・・止めてもいいけど」
ようやく回復したため立ち上がって、剣を鞘に収めた。ぎゅう、と柄を握り締めて、こちらを見つめる瞳が、悲しそうに橙に光る。暗がりで表情はよく見えない、けれど、分かる。何が言いたいのかは。
「お前も、独りなんだな、トア」
「・・・使用人も」
「使用人言うな」
「アルギシアから来て、誰もいない土地で、ずっと独りで強くなろうとしてる」
彼女が瞳を閉じた。その意味は分からない、それでも閉じた。
「なん・・・で、そう、思う?」
「知ってる?ユージュの人間は”カウント”は使わないこと。分裂後1000年近くたっているから、外来語も変わってくる。無意識に使ったみたいだけど、施設じゃ一切使わなかった。違う?」
隠しても無駄だ―――そんな言葉が見えた。
「・・・確かに、「用意」だったな。用意、始め。それ以外は無かった」
「通じるでしょう。使用人、初めて剣を握ったのはここじゃない。アルギシアのどこか」
「ああ。流石にどこかまでは見当つかないだろ?」
「つくよ。・・・名前で」
「使用人、で分かるんだ?はー凄いなー」
ちゃかすとむっ、とした表情を取る。何だ動くんじゃないか、表情筋。
「今の本心からだったな?」
「・・・え?」
「え、ってなんだよ。顔だよ顔。仏頂面が動いたぞ」
するとトアは、ぽかん、とした。口を小さくともあんぐり開けて、それはそれは無防備な。
「今、そういう顔しようと、思ってない・・・」
「なんでだよ。表情って無意識的に動くものだろ?」
「ええ・・・?」
今度は困惑気で、自虐的な笑みを浮かべた。
それを見て、とある、衝撃的な、考えに至る。
「おま・・・ずっと考えて顔作ってたのか!?そういやさっき面倒だから表情筋使わないとか言ってたけど・・・はぁ!?」
ちょっとびっくりし過ぎてうまく言葉にならないが、
「・・・そう、なんだ?」
そう返すトアを見て、不思議とこみあげてくるものがあった。
「・・・・・っはははははははは!!!」
「!?・・・なに!?なにかおかしい!?」
「おかっ、おかしすぎるだろ、それはっ!」
腹をおさえて指をさされて、トアは、
「・・・そっかそっかぁ・・・そっか、そう、なんだ」
何を納得したのか知らないが、そう呟いた。
その、無表情ではなくなった顔を見て、近づく。ほんの少しだけ俺の方が高くて、トアに見上げられた。
「・・・へへ」
そして近距離での、笑顔。その破壊力たるや、
「大丈夫?」
足が縺れる。
「お前な・・・顔はよろしいが声の温度が低いままだぞ。あと語尾」
「これは癖だからしょうがない」
「ええ、変えろよ」
「無理」
なんてない軽いやり取りをして、お互い吹き出す。
さっきまでのどんよりとした会話が嘘のよう。目がなれたのか、さっきまで暗く思えた部屋が、はっきりと見える。
「な、トア。もっかいやろーぜ、これ」
剣を叩く。
「また負ける?」
「まさか。今度は勝つ。ルールは無し、だ」
「おーけー」
離れる。
抜く。
きっとここから、変わる。
「――――――カウント5!」




