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黒匣の世界式  作者: 喜怒 哀楽/Yu1
運命の歯車
8/80

5話:束の間の休息

「ぷふぁっ、ん~っ! 最高っの気分ねっ!」


 泉の中から水飛沫と共に、気持ち良さそうな表情で両手を伸ばすリディア。

 その姿は、衣類を全て脱ぎ捨ててタオル一枚で肌が隠されている。


「うっ。こ、こら、そんなにはしゃぐと危ないぞ?」


「大丈夫よぉ、全然浅いし~? 何よりせっかく見つけたんだから堪能しなきゃ損でしょ?」


 リディアと同じくヘルメスもタオル一枚の姿で静かに泉に浸かっている。


「フフ、まったく……」


 水飛沫を受け、眼鏡や顔に付いた水滴を払いながら、無邪気な笑顔ではしゃぐリディアに目を細めて優しく微笑む。


「さっきまであんなにヘバっていたというのに、すっかり元気になったものだな」


「そりゃそうよ~。この暑さの中、まさかこんな泉を見つけたんだもん。ふ~、生き返るわ~」


 ヘルメスとリディア、そしてジンの三人はギルモンキーを撃退してから先程までひたすらヴァンクを目指して荒野を歩き進めていた。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 さんさんと降りしきる太陽の光。

 荒野の洗礼を受けたジンとリディアの頭は茹で上がり、暑さでおかしくなる一歩手前だった。


「――――でねぇ? あたし、そいつに言ってやったのよ! 『胸がデカけりゃそんなに偉いのかッ! こっんのっ……牛女っ! 黙ってあんたはモーモー鳴きながら搾乳されてろッ!!』 ってね!」


「ぎゃっはっはっはっ!! ひーっ、そりゃぁ傑作だなおいっ!!」


 リディアは大して面白くも無い話を下ネタ交じりに永遠と繰り返し、その度に血塗れのジンは大爆笑していた。が、目は笑っていなかった。

 一方、ヘルメスといえばギルモンキーから受けた傷が少し応えていたようで流石に汗を流して表情を曇らせていた。

 炎天下にやられ、三人は完全に疲労しきっていた。


「……不味いな。そろそろ……どこかゆっくり休める場所はないものか……」


 黙々と荒野の道を突き進んできたが、リディアとジンが壊れてきている。今も二人して何が可笑しいのか死んだ魚の目でゲラゲラと笑っている。

 そろそろ日陰を探して休息が必要だと判断したヘルメスは手をかざして周囲を見渡すと――――


「む? あれは……」


 救いの手が差し伸べられた瞬間だった。

 ヘルメスの反応に続き、その視線の先をぼんやりした目で見つめるリディアとジン。


「どうしたのよヘルメス……。良いわよねぇ、あんたは……。その胸、少しぐらい私に分けなさい――――って!? ……あれってまさか……?」


「……ッ!? ま、間違いねぇッ!! あ、あれは――――」


 この炎天下から逃れるのに打ってつけの場所。

 泉を発見したのだ。


「しゃああああああっ!!! これでようやく汗が流せるわっ!!!」


「うひょおおおおおっ!!! 腹も減ったが喉もカラッカラッだったんだっ!!!」


「良かった……これで何とか暑さを凌げるぞ」


 一同は歓声を上げ、暑さで気が狂いかけていたリディアとジンは我先にと凄まじい形相と速さで跳び出して孟ダッシュ。

 負傷しているヘルメスを忘れて置き去りにする外道っぷりを発揮した。


「お、おい! 二人ともそんなに走ると危ないぞ!?  あと、自分を置いてくなんて酷いぞ!」


 




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 泉を見つけた時の記憶が蘇り、リディアは両手を合わせてヘルメスに平謝りする。 


「その、さっきはごめんね? あんたを置き去りにしてあたしだけ走ったりなんかして……」


「フフ、気にするな。あの暑さだ、仕方無い。それに、子供は元気が一番だからな! ――――うおっ!?」


 わざとらしく微笑むヘルメスの顔に子供扱いされたリディアが水を勢いよくかけてきた。


「だっれがっ子供ですってぇっ!? あんた、あたしと同じ歳でしょうがっ!! 子供扱いしないでよねっ!!」


「げほっ、げほっ、」


 顔を真っ赤にして腕を組み怒り顕となるリディアと、目と鼻に水が入って咳き込むヘルメス。仲の良い二人に何だかんだで自然と笑いが込み上がってくる。


「プッ」


「フフ」


 こうして三人は、今日はこの泉付近で一夜を過ごす事にしたのだった。

 ヴァンクまで距離的にはあと少しではあるが、負傷したヘルメスを心配するリディアが安静を兼ねて念の為にとそう提案したのだ。一応、ジンからそれに関して同意も得ている。 


「ふぅー……。それにしても、本当に気持ちが良いな……フフ」


 水のひんやりとした温度がとても心地良い。

 ヘルメスはあまりの気持ち良さに表情を緩ませながら、嬉しそうに前方のリディアに抱きついた。


「ちょっ、な、な、何よ急にっ!?」


 ヘルメスの大きな胸が、リディアの小さな胸に当たってくる。

 悔しい、むかつく、もぎ取ってやりたい。でも、少し嬉しい。

 いや、天にも昇る思いだ。

 抵抗する様子を一切見せず、リディアがそんな風に考えて頬を赤く染めていると――――


「ひゃんっ!?」


 今度は急にヘルメスがリディアの首筋に鼻を埋めてきたのだ。


「クンクン……あぁ、リディアはやっぱり良い匂いがするなぁ。……何だろ、可愛い? と、言うか何だか落ち着く匂いだな」


「なっ、なっ、なっ!?」


 開放的な気分に感応され、ヘルメスはすっかりだらけきった表情を浮かべていた。

 先程まで汗をたっぷりかいていたのに、そんな自分の匂いを嗅がれてしまったリディアは火山が噴火するように顔を真っ赤にさてしまう。

 喜びと羞恥心に耐えかねたリディアはついヘルメスを力強く突き飛ばしてしまう。


「や、や、やめなさいよ汗臭いんだからッ!!!」


「うぉっ!?」


 水飛沫が盛大に上がり、ヘルメスは驚いて泉の中に沈んでいく。

 だが、すぐに浮上して髪をかきあげて唖然とした様子で首を傾げる。


「ぷはッ! な、何故、自分は突き飛ばされたんだ!?」


 単純にリディアの匂いを褒めただけなのに、何故突き飛ばされたのかわからないヘルメスだった。

 ヘルメスのデリカシーに欠けた発言に、リディアが頬を染めながら肩をわなわなとさせて物申そうとするが――――


「あんたねぇ……っ!! ――――ッ!?」


 リディアの視界に映るヘルメスのその姿に言葉が思わず詰まってしまう。


「む? どうしたんだ?」


 透き通る白い肌には幾多の水滴がついており、濡れた金色の長髪は妙に色気を醸し出している。水が目に入って染みるのか少し潤んだ瞳でリディアを見つめて悩ましく首を傾げるヘルメスの姿。

 更に突き飛ばされた衝撃で若干、タオルが肌蹴ておりその魅力的かつ大きな胸が僅かに露出を多めにしていた。

 つまり、全体的に今のヘルメスはエロいのだ。

 同じ女性のリディアさえ自然と視線を奪われ、よからぬ気持ちにさせていく。

 だが、リディアは首を大きく動かしてそんなヘルメスと自分の貧相な身体を思わず見比べてしまう。


「さっきから黙って自分を見つめたりして……本当にどうしたと言うんだ?」


 リディアの行動に疑問を抱き、両腕を前で組んだ事で大きな胸が益々協調されていき――――


「くそぉおおおおおおッ!!!」


「お、おいリディあん……ッ、ちょっ……、やめ、ん……ッ、」


 悩ましい声と吐息を漏らすヘルメス。

 その色気溢れる美貌に嫉妬したリディアは涙を浮かべて怒りのままに、その大きな果実を揉んで揉んで揉んで、揉みしだいていく。


「だめ、ッ、や、めんッ、や、やめろおおおおおっ」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「あん……?」


 泉の方からヘルメスの乙女チックな叫びが聞こえてきたかと思えば、今度は大きな水飛沫の音とリディアの悲鳴がここまで聞こえてきていた。


「たっく、何してんだよあいつら……」


 ジンは現在、パンツ一丁という姿で泉から離れた場所で胡坐をかいて待機していた。

 ちなみにな何故このような恰好になっているかと言えば、ヘルメスがジンの血塗れの服とズボンをついでに洗濯してやると強引に脱がしてきたからだ。

 普通は立場が逆だろうと思いつつ、想像以上に力強かったヘルメスから何とかパンツだけは死守する事に成功した。あのままではパンツすらも奪われていた。そう思うとゾッとする。


「まさか女に身包み剥がされるとは思わなかったぜ……えげつねぇ女だぜ……」


 そして、先程のようにギルモンキーに襲われないという保障が無いとは言えないので、二人が水浴びをしている間はこうして見張りをするように命じられていた。


「ちきしょう! 俺だって水浴びしてぇってのに、髪とか顔だって血塗れだっての! しっかし、本当に暑いな……つか、何で俺はあいつらにここまでしてやってんだ……?」


 出会ったばかりの見知らぬ少女達。そんな少女達の為に、こうして見張りをする義理は無いはず。

 それにヴァンクまでもう少しだと言うのに、ヘルメスの怪我を案じてこの付近で一泊する必要もない。

 何故このような状況になってしまっているのかジン本人すらわからなかった。


「ケッ、どうもあの女が居ると調子が狂うぜ」


 あの女とは、ヘルメスの事。ジンは少しだけヘルメスの事が気になっていた。

 しかし、それは恋愛感情からくるものでは決して無い。ただ、似ているのだ――――


「久しぶりだな、この感じ……」


 狂った錬金術師に捨てられ、途方に暮れていた時期。

 自分を救ってくれた一人の錬金術師に、ヘルメスはどうも雰囲気が似ているのだ。

 同じ言葉をかけてきたヘルメスに、恩人の姿を重ねていた。


 ――――ジンは本当に優しいんだな。


 ヘルメスの口から放たれたその言葉は、予想以上にジンの心を惑わせていた。


「……馬鹿な女だ、何も知らねぇクセによ。何が……優しいだ……ッ!! ”黒い歯車スレイブ・ギア”――――”奴”に命じられるがままに俺の意思とは関係ねぇにしても、どんだけの人間を喰い殺してきたと思ってんだ……ッ!!」


 この身体は呪われている。

 父である狂った錬金術師に与えられた呪い、黒い歯車スレイブ・ギア。構築者の命令を絶対順守させる禁忌のコードが組み込まれているのだ。


「……」


 今でも鮮明に覚えている。ある小さな村を壊滅させたあの忌まわしい記憶。

 自分に喰い殺された村人達の最期の表情。それを思い出す度に激しい罪悪感がジンを襲う。


「クソッ!! ――――ッ」


 心臓の代わりに核として埋め込まれた賢者の石が収まる心臓部分にそっと手を置き、恨むように目を閉じて眉間にしわを寄せて苦しむ。


「俺は”アンタ”と出会ったってのに、何にも変わっちゃいねぇ……ッ!! さっきもそうだ、あの猿共と戦ってる最中、どこか心の底で楽しいと思っちまった……ッ!!」


 これからも逃げ場の無い血塗られた人生を永遠と送るのだろうか。


「何で……ッ、俺だけ――――死ねないんだッ!!!!!」


 過去の辛い経験をぶつけるかのようにジンは両手の爪を立てて、胸部分に突き刺した。


「ぐッ、そ、ぉぉおお……ッ、」


 手に力を強く込めて、胸部分を――――憎しみを込めるようにして、抉っては開き始めた。


「がッ、ぁ、ッ、グ、グ……ッ!!」


 嫌な音を鳴らし、胸部分を開いて大量の血を地面に零していくと――――


「ッ、ハァッ、”賢者の……石……ッ”」


 赤よりも赤い小さな球体、黄金の輪が円を囲むように施された結晶がその姿を現す。

 これこそが、伝説の錬金術師アンチスミスの遺産。

 無限にコードを生み出す永久機関、賢者の石。


「ハァ……ッ!! ハァ……ッ、」


 意識を奪われそうな程の痛みを必死に絶え。

 大量の汗と血を流しながらジンは賢者の石をこの身体から引き抜こうと手を伸ばすが――――


「――――がぁあああああッ!?」


 青白い光がそれを拒むように、賢者の石に触れたジンの手先から手首までを消滅させてしまった。

 あまりの激痛に耐えかねたジンは崩れ落ちるようにして膝をついて倒れ、消滅した手元を抑えてもがき苦しむ。


「はぁッ……はぁッ……、っ、クソッ!!!!!」


 そして、赤黒い火花のような光を散らせて賢者の石が直ぐにジンの心臓部分と腕を再生させた。


「ちきしょう……死以外に俺は自分が犯してきた罪をどう償えば良いってんだよ……ッ、何が賢者の石だ!! 何度も何度も俺の死を邪魔ばっかしやがって!!」


 何度も賢者の石の除去や破壊を試みてきたが、賢者の石には特殊なコードが組み込まれていた。

 それは外敵等から、ジン本人からも賢者の石を守る防衛機能として働いている。

 つまり、賢者の石は構築者である狂った錬金術師以外に取り出す事ができないのだ。


「――――オプリヌスは必ずヴァンクに居る。黒い歯車スレイブ・ギアと賢者の石に掛かったこのコード、せめてどっちかだけでも解除しねぇと俺はいつまで経っても本当の自由を掴めねぇ……ッ」


 身体の再生が終わると、ジンは歯を食いしばって立ち上がる。

 痛みの残る手元を抑えながらふとこの荒野へ訪れる事となった経緯を思い出す。


 ――――ヴァンクへ赴けば、君が求める答えに近づけるかもしれないよ。


 初めからそこに現れる事を予知していたかのように、”仮面で素顔を隠した奇妙な人物”こそがジンをヴァンクへと差し向けたのだ。


「ケッ、上等だ。テメェの口車に乗ってやんよ」


 狂った錬金術師の弟子、オプリヌスがヴァンクに身を潜めているという情報。それは不確かなものであり、ましてや”いきなり攻撃してくる”ような人物を信用する程、ジンはお人好しでもない。

 しかし、他に手掛かりとなる情報は無かった。

 最初は半信半疑でヴァンクを目指していたが、道中で出会った二人の少女。王従士ゴールデンドールとの出会いによってその情報が確かななものだと確信した。


「ただし……絶対ぇに、ただ踊らされるだけじゃ済まさせねぇぞ」 


 ふと、恩人の優しい笑みと言葉を思い出して俯く。


「……」


 ――――ジン、お前はお前だ。せっかく手に入れた命だ、楽しみなさい。


「あいつと、約束……したんだ……それに――――」


 瞳を閉じると、今でも鮮明に蘇るあの光景。燃え上がる村、積み上げられた死体の数々。

 悲鳴や怒りの叫びが残響となって今でも耳を貫いてくる。

 身体中に染み込んだ人間の返り血は今でも匂う、ほんの僅かでも口内に残る鉄の味が今でもジンの心を苦しめていた。

 黒い歯車スレイブ・ギアを解除しなければ、いつか再び殺戮兵器として利用されるかもしれない。

 その恐怖を忘れた事は片時もなかった。


「もう、あんな思いは……嫌だ……」


 そして、賢者の石。恐怖に怯えて抱きしめるこの身に保存されている宝物。

 賢者の石を巡る争いは、これからも確実に避けて通れないであろう。自分が原因でこれらからもどれだけの命が犠牲になる。

 正直、想像もしたくない。


「とにかく、オプリヌスに会えば何か変わるはずだ。そろそろ蹴りをつけようぜ。今回の旅で全部終わらせる……ッ」


 改めて確固たる決意を胸に刻み、一旦考えるのは止めるジン。

 もうすぐ何かが変わる、そう信じて。


「にしても……今の俺の姿ってすげぇ間抜けじゃねぇか?」


 炎天下の中、いつまでパンツ一丁で居れば良いのかと溜息を吐く。

 大量に汗を流しながら苛立った表情で泉の方に視線を向けると、ヘルメスとリディアの楽しそうな声が聞こえてきた。


「リ~ディ~ア~! さっきはよくも不埒な行為に及んでくれたな!」


「な、何よっ!! 揉まれる胸があるだけ有難いと思いなさいよねッ!!」


 ジンは静かに目を瞑り、辺りの気配を注意深く探る。


「……よし、特に外敵や異常も無いな。それにしても、あいつら馬鹿デカイ声出しやがって……。チッ、呑気な王従士ゴールデンドール共め。……よしッ! テメェらの危機感の無さを俺が思い知らせてやんよ!」


 この辺りに自分達を襲うような存在が居ない事を入念に確かめてから、おもむろに泉へと足早に向かった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「む、胸の大きさなんて関係ないだろうっ!」


 リディアに胸の大きさを指摘されると顔を赤くして、両腕で胸を隠すヘルメスだが。


「隠せてないのが余計に腹立たしい……てかっ! そのせいで余計に強調されてんじゃないッ!! まさか、あんたわざとじゃないでしょうねっ!?」


「わ、わざとなわけないだろっ!?」


 わなわなと怒りの炎をバックに身体を震わすリディアに、胸を庇いながらヘルメスは恥ずかしそうに俯いて告げる。


「べ、別にこんなものただ重いだけで戦闘の邪魔にもなるし……それに自分なんかよりリディアの方がよっぽど女の子らしいというか、可愛いじゃないか……っ」


 ヘルメスは男勝りな自分の性格や普段からの振る舞いや言動を気にしていた。

 それに比べて、リディアはとても可愛く女の子らしいので昔からずっと憧れていた。


「あんたねぇ……何もわかってないわ。……はぁ、何だか虚しくなってきたわ」


 自身の美貌やその魅力に気づかず、それを認めようとしないヘルメスにリディアは額に手を当てて呆れ果ててしまう。

 ヘルメスは昔からその性格が転じて、女子からも圧倒的な支持を得てきた。だが、当然のように男子からの人気はぶっちぎりで嫉妬で狂いそうになる程だった。

 その事実を本人は知らない。と言うか、教えてもまったく信じようとしない。

 何度それが原因でリディアが無駄な争いに巻き込まれて奮闘した事か。


「あんたはさぁ、もっと自分に自信持ちなさいよ……。あんま卑屈だとかえって腹立つだけよ?」


「そう言われても……自信、か……」


 しかし、ヘルメスにそれは難しい事だった。

 ヘルメスが表情を曇らせていく様子に、リディアは自分の失言に気づいて慌てて両手で口を押さえる。


「ご、ごめん……。でも、あんた……まだ気にしてんの? ”あの事件”は……あんたのせいなんかじゃないわ、悲惨な事故なのよ……」


 ヘルメスは水を両手で掬い上げて当時を振り返る。


「事故なものか……あれは自分のせいだ。自分が無力だったせいで……」


 ヘルメスとリディアはそこから互いに沈黙してしまう。

 重苦しい空気が、この場を支配していた。

 だが、唐突にその沈黙を破るように――――


「うぎゃあああああああああああッ!!!」


 ジンの叫び声が泉に響き渡り、二人はその方角へと振り返る。


「な、何だ!?」


 敵襲が来たのかと、ヘルメスが身構えていると。

 何故か、リディアはニヤリと口元をつりあげていた。 


「ふ、やっぱり来たわねあの空腹馬鹿っ! ヘルメスっ! 早く着替えなさい! あいつ、あたし達を覗こうとしたのよ!!」


「ちょ、リディア!? おい待て、どういう事だ!!」


 泉から急いで上がり、着替えを始めるリディア。

 状況が飲み込めていないヘルメスもその後にとりあえず続く事に。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 泉から少し離れた場所。

 そこには大きな落とし穴があり、その中にジンは居た。

 ジンの身体は岩で出来た幾多の鋭利な棘で身体が串刺にされた状況となっている。


「ごふッ、な、何だよこりゃぁ……ッ!!」


 あまりにも呑気な少女達に対して、覗きでもして緊張感を持たせようとした結果このザマである。

 ジンは足早に泉へと向かおうとしていた途中に罠に掛かったのだ。

 地面の一部分に足が触れた瞬間。

 岩で出来た幾多の鋭利な棘がある大きな落とし穴が突然出現して落っこちてしまったのだ。


「クソッ、こんな罠を……これも、錬金術、なのか?」


 血を吐きながら、何とか岩で出来た棘から身体を離して自力で落とし穴から必死に這い上がる。


「ハァ、ハァ、どうなってやが――――」


 そしてまた一歩、地面を踏んだ瞬間。


「ごふぁッ!!!」


 今度はその部分から大きな岩で出来た拳が出現し、ジンの顎を直撃した。

 激しく血を吐き吹き飛ぶジン、だが着地するとそこにも。


「ま、まさか!?」


 再び落とし穴が出現する。


「うぎゃあああああああああッ!!!」


 必死に天めがけて腕を伸ばしたがそれは虚しく空気を掴んだだけだった。

 そのまま再び身体が串刺しとなる。

 一体何が起きているのかジンにはわからなかった。


「く、は、ぐ、っそぉ、な、なんなん、だ……いっ、たい」


 いくら賢者の石が自動的に身体を再生するとは言え、限度というものがある。

 こう何度も致命傷を受け続けては精神の方が持たない。

 耐えかねて情けなく顔を苦痛に歪ませていると、腹立たしい笑い声と共に少女達が穴の中を覗き込むようにして現われた。


「あーはっはっは! まさかこうも簡単に引っかかるなんてねぇっ!? どうよっ!? これが王従士ゴールデンドール様の実力よっ!! あたしの”時限式”の力、思い知ったかド変態馬鹿めっ!!!」


「お、おいリディア!? ジンを殺す気か!?」


 なるほど、やはり錬金術か。ジンは全てを察して怒りに身体を震わす。

 あのリディアが仕掛けた錬金術の罠に、まんまとハマってしまったのだ。実に腹立たしくも情けない限りだ。


「んー? 多分、大丈夫でしょ? よくわかんないけど何かこいつ不死身っぽいし」


「多分って……そんな考えでこれだけの時限式を仕掛けていたのか……?」


 散々な言われようだった。

 確かに賢者の石のせいで死ぬ事は無い。だからと言って、気軽に殺しても良いという訳では決してない。

 悔し紛れにジンは下からばっちりと確認できた二人のスカートの中を言い当てた。


「ぐふッ、や、やるじゃねぇか縞パンチビ……!!」


「なっ!?」


 血を吐きながら皮肉っぽく告げるジンに、リディアは顔を真っ赤にさせてスカートを急いで両手で抑える。


「だが、俺の趣味はどっちかってーと、そっちのピンクぶほぁッ!!!」


「ハッ!? す、すまん……つい手が出てしまった……」


 ヘルメスは落とし穴付近にあった大きな岩で出来た拳を持ち上げ、何とそれをジンに投げ飛ばしてしまったのだ。

 照れ隠しにしては非常に豪快なものだ。


「い、一応は自分もお、乙女なんだ。そ、その……女の子のパンツは見ちゃ、駄目なんだぞ……」


 もじもじと頬を染めて、視線をそわそわさせてスカートを両手で抑えるヘルメス。


「よ、く、もッ……私だけじゃなくてヘルメスのまでぇ……ッ!!! こ、殺してやるぅッ!!! 


 恐ろしい形相で落とし穴の中へ飛び込もうとするリディアを、ヘルメスが必死に両手を脇に入れて制止する。


「よ、よせリディア! 危ないっ! それにジンはもう何度も死んでるだろ!」


「は、離してよぉッ!!」


 ジンは意識薄れる中、激しく後悔していた。

 こいつらに付いて来たのは、やはり間違いだったかもしれない、と。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

 一面に広がる星空。

 炎天下だった荒野は、今では少し肌寒いと感じる程に冷えてきている。

 泉の近くで焚き火を囲い、三人は夕食を済ませた直後だった。


「ふぅー、喰った喰った」


 満足気に、地面に仰向けで寝転がるジン。

 今ではヘルメスの手料理だけが、唯一の救いだと感じさせていた。


「アンタのおかげで服も綺麗になったし、まぁ良しとするか」


 ヘルメスが入念に洗濯してくれたおかげで、血まみれだった服とズボンはすっかり清潔感を取り戻していた。

 ちなみにギルモンキーとの戦闘で破れた服は、裁縫セットを取り出したヘルメスによって全て修繕されている。まるで新しく新調したかのように完璧なものだ。

 ヘルメスがギルモンキーから受けていた傷もすっかりと癒えており、合わせてジンを驚かせていた。本人曰く、日々の鍛錬のおかげらしい。



「にしても、こいつ……ホントよく食べるわねぇ」


 あまりの食いっぷりに鉄製の椅子に座って呆気に取られていたヘルメスとリディア。

 二人とも今はコートを脱ぎ、肩と腕を露出させてゆっくりとくつろいでいた。

 いつの間にかそこにあったテーブルには数々の食器類等が置かれていおり、ヘルメスはコップを掴み取り水を一口含んでからジンの胃袋の凄まじさを語る。


「まさか、あの量を一瞬で食べてしまうとはな……。調子に乗って作りすぎたかと思えば、全部殆ど一人で食べてしまうんだからな。どういう胃袋をしてるんだ?」


「おかげでヘルメスがせっかく作ってくれた料理の殆どを独り占めしちゃうんだもん。……ホント、空腹馬鹿ね」


 リディアが錬金術で構築した鉄製の大鍋には汁一つ残されていない。

 持参していた調味料と現地調達した食材をヘルメスが調理する事で、それはとても美味なる料理に仕上がった。だがその殆どをジンに喰われてしまいリディアの不満は膨れ上がっていた。


「いやぁ、アンタの料理の腕はどうやら本物みてぇだな。凄ぇ美味かったぜ?」


 ふてぶてしく足を組んで寝転んだまま、手を挙げてヘルメスに礼を伝えるジン。

 いつぶりだろうか。こんなに美味い料理を喰ったのは。


「フフ、ジンは本当に気持ちが良いぐらい美味しそうに食べてくれるな」


「ねぇ、あんた。……あたしも手伝ったの忘れないでよ? 大体誰がこれ全部用意したと思ってんのよ? あたしにも感謝しなさいよ」


 そう、調理をする為に必要な道具からテーブルや椅子に至るまで全てがリディアの錬金術で構築したものなのだ。

 そして料理に欠かせない火は、リディアが持ってきていた簡易式インスタントコードによって準備された。

 あくまで料理をしたのはヘルメスだが、この憩いはリディアが居なければ作れていなかっただろう。


「フフ、そうだな。ありがとう、リディア」


 優しい笑みをリディアに向け、頭を撫でながら感謝するヘルメス。

 

「ま、まぁ? あたし程の錬金術師ともなればこれくらい朝飯前だけどね!」 


 ヘルメスに頭を撫でられながら、リディアは薄い胸を張って得意気にそっと指先を乗せて自信満々の笑みを見せた。

 それに水を差すように寝転んだジンが星空を眺めながら呟く。


「よく言うぜ。猿にビビッて肝心な場面で錬金術が使えなかったクセしてよぉ」


「う、うっさいッ!!! ……ふんっだ!」


 腕を組んでそっぽを向くリディア。

 だが、このまま自分だけ馬鹿にされ続けるのは癪に障るので反撃を試みてみる事にした。


「ま~ぁ~? これだから、錬金術がどんなものか知らない”ド”素人は困るのよねぇ~」


 完全に馬鹿にした口調でジンに見下した視線を送るリディア。

 何となくその態度に腹が立ったジンはとりあえず半身を起こし、無駄にリディアへと殺気を浴びせて怯えさせる。


「あん? 何か言ったか?」


「ひぃッ!?」


 リディアは面白いように直ぐ怯え、逃げ出すように椅子から立ち上がってヘルメスの背に隠れてしまう。

 それを見て心底愉快そうにジンはニヤニヤしていた。 

 ヘルメスの腕を必死に掴んで身体を震わせるその姿は、まるでライオンに狙われたウサギのようだ。


「おい止せ二人共。でもそうだな……丁度、食事も終えた事だしせっかくだ。寝る前に自分が一つ錬金術がどんなものかをジンに説明してやろう」


 錬金術とはどういうものか。流石に錬金術師程の知識は持ち合わせていないにしろ、少なくとも人並みの知識はジンも知っているつもりだ。

 そのどれもが狂った錬金術師や恩人の受け入りによるものではあるが、少しだけ興味が沸いてきた。


「ま……良いぜ? 食後の暇潰し程度にはなるだろ」


 その場であぐらをかいて、何だかんだで興味深々なジン。

 背中に隠れていたリディアが少し心配そうにヘルメスへと告げる。


「ねぇ、ヘルメス? ちゃんとこの馬鹿でも理解できるように説明しなさ――――ヒィッ」


 馬鹿という単語にジンは反応し、再び殺気を帯びた視線を向けてリディアが黙らせた。

 そんな二人を他所にヘルメスは椅子から立ち上がり、眼鏡の位置を中指で修正してジンへと近づく。


「ふむ、任せてくれ。自分がジンにもわかりやすいように説明しようじゃないか」


 何故か嬉しそうに近づいてきた今のヘルメスは隙だらけである。胡坐をかくジンの位置からだと、昼間の落とし穴にハマっていた時のように、黒のストッキング越しの下着が思わず見えてしまいそうな程に隙だらけだった。

 しかし、ヘルメスはそれに気づかぬまま目を輝かせてわざとらしく咳き込む。


「えー、では、ごほん!」


 まるで生徒に教える教師のように、とても聞き取りやすい澄んだ声で錬金術についての説明を丁寧に始めていく。


「まず、錬金術とは何か。ジンは知っているか?」


「あぁん? それぐらいガキだって知ってるだろ、まさかアンタまで俺を馬鹿にしてんのか?」


 ジンがそう茶化すと、出鼻をくじかれたヘルメスはとても悲しそうに俯き、前髪で顔を隠してわかりやすく落ち込む。

 誰か錬金術を説明する機会など滅多になかったヘルメスにとって、ジンに錬金術を説明するという行為は非常にワクワクするものだったのだ。


「何でいきなりそんなに落ち込んでんだよ……」


 あからさまに落ち込むヘルメスの姿に罪悪感が込み上がってくる。


「ちゃ! ちゃんと答えなさいよ!! こ、子供でもわかる事がほ、ほ、本当はわ、わからいんじゃないの!?」


 椅子に一人だけ座ったまま、何とか強気な姿勢を保つリディアが余計な野次を飛ばしてくる。


「はぁ……面倒臭ぇな。あれだろ……? 錬金術ってのは本来のコードを別のコードに変えるって感じじゃねぇのか?」


 ジンが真面目に回答するとヘルメスは顔を上げて一気にテンションを取り戻し、腰に手を当ててビシッと指を差す。


「そう! 少々、簡単に説明しすぎてはいるが概ね正解だ!」


 そして、握った拳を口元に近づけて再びわざとらしく咳をした。


「ごほんっ! 世界を構築するコード、世界式の一部を紐解く事で先ずはコードに干渉できるようになるんだ。そして、コードを正しい法則に並び替え、別のコードへと改変してしまう行為を錬金術と呼ぶんだ。まぁ、実際に見てもらった方がわかり易いかもな? ――――そうだっ!? リディア! 何かこう……先生っぽい道具を構築してくれないか!?」


 ヘルメスは瞳を輝かせ、椅子に座るリディアに振り向いて眩しい視線を送る。


「はぁ……わかったよ。あんたどんだけテンション上がってんのよ。……疲れてんだから簡単な物しか構築しないわよ?」 


 渋々、親友の頼みを聞き入れ。

 椅子から降りると、面倒臭そうに地面へと片手を押し当て。


「……」


 ジンは黙ってそれを見つめる。

 リディアが真剣な表情で片手を地面に押し当ててから、その現象が起きるまで数秒も経たなかった。


「ふん……」


 容易いと言わんばかりに鼻を鳴らすリディア。すると、青白い幻想的な光がリディアの掌を中心に小さく光り始めた。

 そして、何やら細長い黒い棒が地面からリディアの掌を押し上げるように実体を現す。


「ふぅー……。ほら、こんなんでいい?」


 リディアが構築して手に掴むそれは、教職員が黒板を指す時に使う黒の指し棒だった。

 黒一色の細長いその棒は拷問器具の鞭にも見えなくはないが、それを受け取ったヘルメスは満足そうだった。


「おぉ、何だか先生っぽいぞ! ありがと! フフ、どうだ? 自分は先生っぽいか?」


 ヘルメスは嬉しそうに、指し棒でもう片方の掌を何度か軽く叩く。あまりに細い為、軽くヘルメスが自分の掌を叩くだけで棒はしなって風を斬るような音を発生させる。

 こうして改めてその姿を見るともう鞭にしか見えなくなってきた。


「じゅるりっ……そ、そうね! どこからどう見ても立派な先生よ!」


 リディアの様子からして自分の趣味や別の意味が込められていたようだがジンは本題へと戻る。


「……で、それが錬金術だってのはわかってる。それで何が言いたいんだよ?」


 気分を良くしたヘルメスはリディアに構築してもらった指し棒を使って早速ジンを指す。


「ではジン君、ここで問題です! 1+1の答えは何でしょう!」


「は? ……2だろ?」


 リディアも満足そうに腕を組み、教師になりきるヘルメスの言葉に耳を傾けて黙って頷く。

 簡単なその数式が錬金術にどう関係があるのかジンにはまだ理解できていない。


「さて、それでは……コードというモノを的確に言い表す事は誰にもできません! ですが、ジン君も知っての通り自分――――先生の目にはコードがはっきりと視えています! そんな自分――――ごほん。先生はコードを膨大かつ不思議な文字列が並んでいると表現します!」


 全てのコードが視える解読眼デコードを持つヘルメスがそう言うのであればそうなのだろうとジンは納得する事にした。

 それにしても、今のヘルメスの喋り方は違和感がありすぎた。


「とりあえず普通に喋ってくんないか?」


「そ、そうか……? ……わかった。では、ジンにもわかりやすく説明するぞ。錬金術とは数式に似ている。例えばさっきの問題だが、1+1の答えは当然2だ。しかし、ここからはあくまで例えの話しだ。頭を柔らかくして聞いてくれよ」


 どうやら、リディアは錬金術の説明を全てヘルメスに任せているようだ。というか、先程から頷いているように見えていたが実はこの長旅に疲れて既に寝ているだけだった。よく見ると口元から涎も垂れていた。


「例えばさっきリディアが構築してくれたこの棒を、数字の2だとしよう」


 ヘルメスは説明を続ける。


「2という数字だけならば1+1以外にも2+0や、3-1でも作れるわけだが。この棒(2)を構築するには定められた1+1の数式コードでないと成立しない、というのが錬金術の厄介な所だ」


「……つまり、ごちゃごちゃになってるコードを定められたコードに正しく改変しないと錬金術は失敗に終わんだな」


「フフ、正解だ。理解が早くて助かるよ」


 ヘルメスはおもむろにジンの元に近づき、その場で屈むと――――。


「お、おい!?」


 優しい笑顔でジンの頭を撫でた。まるで子供を褒めるように優しく。

 その表情はとても温かみを帯びて、魅力的なものだった。


「や、止めろよ……」


 銀髪のオールバックがヘルメスの手でくしゃくしゃにされてしまう。

 頬を染めるジンがその手を軽く払って抵抗すると大人しくヘルメスは手を離す。


「フフ、照れてるのか? 可愛い所もあるんだな」


 悪戯っぽい笑みを返してくるヘルメスに、ジンは不機嫌そうに話しを反らした。


「……で、コードなんて普通見えねぇんだろ? なのに、どうして今まで人間は錬金術を成功させる規則性みてぇのをを見つけてこれたんだ?」 


 笑顔を保ったままヘルメスは目を瞑りながら心地よい声でその質問に答ええう。


「……古代より解読眼デコードを持つ者は存在したらしい。さっきの例題だが、1+1=棒(2)というコード解読眼デコードを持つ先人達の研究の末、発見されたものの一部なんだ。しかしその殆どは――――伝説の錬金術師、アンチスミスの功績だとされている」


 その名前を知らぬ者はおらず、ジンもよく知っている名前だった。

 だが、伝説の錬金術師に関する具代的な文献の殆どは残されていない。


「アンチスミスねぇ……」

 

 更にヘルメスはジンに補足していく。


「ただ、自分は判りやすいように簡単な数式で説明したが、実際のコードとは自分が言った例題とは程遠く難解かつ膨大なものなんだ。だからこそ、錬金術が扱えるという事は……錬金術師と呼ばれる存在はそれだけで特別視されている」


 ヘルメスの表情が僅かに曇る。黙って説明をこれまで聞き続けていたジンだが、ずっと疑問に感じていた事がある。

 王従士ゴールデンドールと呼ばれる錬金術師を名乗っておきながら、ヘルメスは少なくともジンの前で一度も錬金術を使っていない。

 ギルモンキーとの戦闘中でさえ、錬金術を使う素振りを見せなかった。料理の際も、ヘルメスは全て必要なものをリディアに構築させていた。


「錬金術は人であれば誰であろうと行使できる技法だ。自分の師匠は皮肉っぽくこう言っていたよ、『錬金術を扱えるのは神を冒涜しきった人間という種のみだけだ』、ってな」


 しかし、実際はそうでもなかった。


「だが、実際に錬金術が扱える者は……人の中でも天才と呼ばれる存在だけさ」


 この言葉に、ジンは全てを察した。

 ヘルメスは、その天才と呼ばれる存在ではなかったのだ。だから錬金術を扱えない。


「……少し話しすぎたな、そろそろ寝るとしようか。フフ、だいぶ冷えてきたらからな。リディアを中に運んでやらないと風邪を引かせてしまう」


 どうやらヘルメスはリディアが眠っていた事に気づいていたようだ。

 リディアが構築した寝床、岩で出来た質素な小さな建物へと向かおうと立ち上がるヘルメス。

  

「……ジンはどうするんだ?」


「あん? 俺はここで寝るさ。朝起きた時にそこのチビに殺されて起きるのも嫌だしな」


「そうか。……すまないな」


 いつまたギルモンキーが襲ってくるかもわからない。口には出さないがジンは見張りを引き受けるつもりでいた。


「気にすんな」


 そんなジンの気持ちに気づいているのか、ヘルメスは焚き火をバケツに入った水で消火していき。

 煙が静かに揺らめき漂う中、ジンに笑顔を見せた。


「フフ。おやすみ、ジン」





 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 あれから数時間が経つ。


「ふぅ……」


 ようやく一人になれたジンは、両手を頭の後ろで組んで仰向けのまま星空を仰いでいた。


「錬金術ねぇ……」


 ヘルメスに説明された錬金術について考えていた。

 偽人ホムンクルスのジンには錬金術が扱えない。だから、仮にどれだけ研究に励んだとしても自力で黒い歯車スレイブ・ギアを消す事ができないのだ。

 錬金術が扱えない以上、必然的に誰かしらの手を借りなければいけない。それを避けようと思えば、一番の理想は狂った錬金術師が死ね事だ。

 黒い歯車スレイブ・ギアは狂った錬金術師の命令にのみ反応する。もしも黒い歯車スレイブ・ギアが一生解けなくとも、構築者である狂った錬金術師さえ死ねば何も問題は無い。

 だが、それはあまり望めないだろう。ジンには彼が死ぬ光景が浮かばなかった。


「はぁ……」


 思わず深い溜息を吐き、現実逃避するように目を閉ざしてしまう。


「……まだ起きているか?」


 いきなり頭上から澄んだ声が聞こえるとジンは慌てて跳び起きた。


「うぉっ!?」

 

 そこには胸元の開いた白地のブラウス姿のヘルメスがジンを覗き込んでいた。

 考えに浸っていたせいで、まったくその気配に気づかず焦りの表情を浮かべるジン。


「自分に気づかなかったのか? どうやら何か考え事をしていたようだな、フフ」


「な、何だよ。寝てたんじゃねぇのか? 俺に何か用でもあんのか……」


 尻餅をつくような姿勢で、尋ねるジンの横に何故かヘルメスはスカートを押さえて座り始める。


「実は……リディアが寝ボケてすぐに抱きついてくるんだ。おかけで中々、寝つけなくてな……。どうせジンは起きてるだろうから、眠たくなるまで話し相手にでもなってもらおうかと思って来たわけだ」


 ジンが一睡もする気がなく、見張り役に徹しようとしていた事がまるでわかっていたような話し方だった。


「アンタって人間の中でも相当変わってるよな……」


「む、失礼なっ。ジンだって相当変わってるだろ!」


 ヘルメスは王従士ゴールデンドールでありながら、偽人ホムンクルスであるジンをどこか信用している節がある。

 今でもこうして自由に身動きを取る事が出来ているのがその証拠と言っても過言ではない。


「……それに気になる事があってな。どうだろう、少し話さないか?」


 偽人ホムンクルスの存在は希少で、王従士ゴールデンドールであれば恰好の研究材料のはず。

 だが、ヘルメスは違う。 

 そんな存在に対しても、こうして普通に接してくれていた。

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