15話:仮面舞踏会
刻は満ち、数多の狂気が交差する深夜零時。
太陽は温もりを失い、上空で月が世界を冷たく見降ろす。
どこか肌寒さを感じさせる夜に、狂乱の仮面舞踏会は幕を上げる。
紳士淑女、名を馳せた層々たる顔ぶれが会場へと集結していた。
「ここがジルの屋敷……仮面舞踏会の会場ってわけか」
着崩したフォーマルなスーツに身を包み、口元を晒す狼の仮面を被るジンが屋敷を見上げる。
上空では雲が怪しい動きを見せており、不気味な雰囲気が屋敷から漂っていた。
「あの銃野郎、ちゃんと到着してんだろうな……」
バレットは別行動で先に屋敷に訪れると言っていた。
いかにも貴族が好みそうな豪邸を目の前にして、ジンは気を引き締めて入り口へと進む。
「……」
入り口の前には屈強な身体をした黒服の男が待機していた。
先程から周囲を注意深く伺っており、近づいてきたジンの存在に気づくと入り口を塞ぐように前へと踏み出す。
そして、ジンの風貌を確認すると姿勢を正して一礼する。
「……失礼致します。招待状を拝見しても?」
黒いサングラス越しに男はジンを見つめ、掌を伸ばして招待状の有無を確認してきた。
「……これで良いだろ」
ジンはスーツの内側からくしゃくしゃの招待状を取り出し、人差し指と中指で挟んで黒服へと提示した。
これで堂々と屋敷の中へと入る事ができる。
「……結構です。それでは注意書きにも記載されていた通り、会場には一切の武器と簡易式の持ち込みが禁止されています。大変恐縮ではございますが調べさせて頂きますね」
そう告げると男は中指にハメていた奇妙な指輪をジンの前へとかざす。
質素ながらにどこか不気味な黒の宝石が装飾されている。
「何だそりゃ? んなもんでわかんのか?」
「はい、この指輪は特定の式に反応して変色します。もしも、この宝石が黒色から赤色に変われば武器の所持もしくは簡易式を所持しているという事です。少々そのまま待機してください」
特定の式に反応するという珍しい指輪を初めて聞いたジンは胡散臭いと言わんばかりの表情を浮かべる。
「ちっ、早くしてくれ」
どういう仕組なのかはわからないが大人しく黒服の指示に従う事にし、その場でしばらく待機していたが一向に宝石は変色する気配を見せないでいた。
すると、黒服はかざしていた手を降ろして深々と頭を下げる。
「ご協力感謝致します。結果、武器及び簡易式所持の反応はありませんでした。――――それでは心行くまで宴をお楽しみくださいませ」
黒服が静かに扉を開けると。
「うっ……」
思わずジンは眩しさの余り左手で目を覆ってしまう。
扉の先には、深夜とは思えない程の眩い光と綺羅びやかな光景が広がっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジンが屋敷を訪れた同時刻。
屋敷に存在する一室で二人の男女が密会を行っていた。
そこは薄暗く、バレットは神妙な面持ちで壁に佇みながら溜息を吐く。
「やれやれ」
疲れきったような深い溜息と共に密会相手に視線を向ける。
白い布で包まれた長い得物を肩に背負い、片方の手をコートのポケットへと仕舞う。
「……随分と面倒な事を押し付けてくれたもんだ」
不機嫌そうな表情で珍しく文句を垂れ流すバレットに、漆黒のローブを纏う少女は告げる。
「ふん、当然だろ。それがお前と結んだ契約なんだから」
ローブで顔を隠しているが苛立った様子だ。
両腕を組みながら高圧的な態度を示す少女にバレットは眉をひそめてしまう。
互いに制約に縛られ、時間にも追われているのだ。
こうしてあまり無駄なやり取りに時間は使えない。
今も刻一刻と期限が迫っているのだから。
「さて……じゃあ手短に告げるよ?」
バレットは肩に担いでいた得物を床に突き立て、真剣な表情で速やかに用件を告げる。
「お嬢とヘルメスさんを引き離す事には成功したが、そのせいで俺達だけじゃ決定打に欠けるんだ。だから君にもぜ手伝いをして欲しい」
バレットの無神経な発言が逆鱗に触れてしまったようで少女の肩が怒りで震えていく。
大きく床を踏みつけたかと思えば次の瞬間には罵声まで飛んできた。
「馬鹿を言うなッ! お前はジル=ドレェクが地下で一体何を作っているのか知っているはずだろッ!? ”アタシ達”に全て任せておけと何度も言ってるだろ……ッ、お前の私情なんかに付き合ってやる時間はないッ!! 殺すぞッ!!」
声を荒げて叫ぶ少女に対し、バレットは頬を人差し指で掻いて冷静に聞き及ぶ。
「そんな事より、まさかお前あの約束を忘れてないだろうな……ッ、”アタシがエルサリア=ウェーランドに接触しない限り、お前は動けないアタシの代わりにジンの事を調査してその情報を提供する”って話だッ! さぁッ! 時間が無いんだッ! 早くあいつの情報を寄越せッ!!」
バレットと少女は約束を交わしていた。
少女は決してエルサリアに接触しない、その代わりにバレットは可能な限りジンの情報を調べ上げてそれを提供するという内容だ。
「やれやれ、まったく……一方的にも程がある」
異常なまでにジンへの執着を見せる少女に、バレットは額を抑えて首を横に振り冷静に口を開く。
「残念ながら君は約束を破った。あの日、君は俺達が滞在している宿の前でお嬢に接触したじゃないか。これ以上、彼の情報を君に提供するわけにはいかないな」
「っ、ふざけるなッ!!!!!」
自身の過失を認めない少女は、怒り狂いながらバレットに詰め寄り両手で胸倉を掴みかかった。
「あれは不可抗力だッ!! アタシに落ち度はないッ!!」
あまりに必死な少女を哀れみの視線で見下しつつ、バレットは鼻を微かに鳴らして冷たくあしらう。
「俺達があの宿に滞在していたのは知ってただろ? 君程の奴がまさか宿に戻ってきた俺達に気づけなかったわけがない。いつでも姿を隠そうと思えば隠せたはずだ、なのに君はそれをしなかった。これを君の落ち度と言わずにいられるかい?」
「そ、それは……っ」
正論を並べ続けるバレットの冷ややかな視線が少女の心を突き刺す。
胸倉を掴むその手も僅かに力が抜けていく。
バレットはこの愚かな少女が哀れでならなかった。
今、フードの奥で一体少女はどのような表情を浮かべている事やら。
一呼吸置き、バレットは少女の今後を案じる。
「……まったく。彼を前にして冷静さを欠いたのかい? 別に初対面ってわけでもないだろうに。……君は復讐という歪な狂気に囚われすぎだよ」
胸倉を掴まれたその両手にそっと触れ、静かに離していくバレット。
少女は何も言い返せず、ただ両肩を震わせて行き場の無い怒りをぶつけていく。
「……ってる、そんなこと……ッ」
悔しさと怒りのあまり声が聞き取りづらい。
「何だって?」
ふと、バレットがその言葉を聞き返すと。
「……ッ」
少女はフードを勢いよく脱ぎ払い、素顔を顕わにした。
「お前に言われなくてもわかってるッ、そんなこと……ッ!!」
桃色の長髪を三つ編みにして二つに束ねた美少女。
その素顔は涙で瞳を潤ませ、バレットを睨みつけていた。
幼い顔立ちはぐちゃぐちゃに歪み、頬には涙が伝う。
「止せよ……どうせその涙も演技なんだろ?」
フードを脱ぎ、素顔を晒した謎多き少女。
それはジル=ドレェクが保護している子供達の一人、――――コルチカムだった。
「……ふぅ。わかった、もう止めよう。大抵の男はこれであっさり騙されてくれるんだけどな」
コルチカムはローブの袖で涙を拭うと、つまらなさそうに大きく伸びをして久々の解放感を味わっていた。
バレットは呆れながら今回の経緯に至るまでの事を振り返る。
「だろうね……。そうやって自分を偽る事に長けた君だからこそ、ロズマリアさんも今回の潜入捜査に君を抜擢したんだろうさ。何せ相手は慎重かつ狡猾な男だ。中々尻尾を見せなかったが、流石と言うべきか君の活躍の甲斐あってようやくドレェク侯爵の真相も掴めたわけだ」
上手くいけば今日にでも任務は終わる。
しかし、コルチカムはどこか晴れない表情を浮かべていた。
潜伏期間の中で垣間見た狂気。
目の前で残酷な運命を辿っていく子供達の姿が頭から離れないでいた。
その傍らには、いつも歪んだ笑みを浮かべたジルと――――アマリリスと呼ばれる”少女”が居たのだ。
コルチカムは静かにバレットを見つめる。
「……くれぐれも余計な手出しはするな。もうアタシ達は動き出している、その意味がお前ならわかるはずだ。もし、計画に差し支えがあればお前も青髭と同様に殺すぞ」
「はっ、何を今更。俺だけじゃなく、彼らがこの街に訪れた事自体が既に誤算じゃないか」
「っ、わかってるならくれぐれも邪魔だけはしてくれるなッ」
剣幕な雰囲気漂う中、バレットは静かに瞳を閉じながら布に包まれた得物を担ぎ。
「それは君達次第かな。もし、お嬢に危害が及ぶ前に君達が任務を終わらす事ができなかった場合――――」
眼光を鋭く光らせコルチカムを睨みつけ、脅迫めいた声色で念を押す。
「お前達の野望は夢半ばで消えていく事になるぞ――――」
コルチカムは冷静にその発言を踏まえてこう口にする。
「……お前こそ狂ってる。もう、アタシの情報を元に王従士達だって既にこの街に到着している。もうじきこの屋敷にだって現れるはずだ。なのに……お前は彼らより早く今回の件を片付けようとしてる。……そんなの不可能に決まってるだろ」
「不可能でもやるしかないんだ。それがお嬢の為になるなら俺は何だってやり遂げてみせるさ。例えこの生命を落とそうともそれが俺の生きる意味なんだから」
静かに見つめ合う二人。
バレットは確固たる意思の元、再度協力を求める。
「それにどうも嫌な予感がしてならない。君達の計画通りに事が進めばそれはそれで結果的に良いかもしれない。だけど、皮肉にもこの世界がそんなに優しくない事ぐらい君も痛い程知ってるだろ? 絶対なんて言葉はまやかしだ。もし、そうなった場合は君も動かざるを得なくなる」
警告にも似たその発言。
コルチカムには思い当たるフシがあった。
かなりの信頼を寄せられていながら、ジルが度々どこかに行き先も告げずに出掛けていた事を思い出す。
そして、ジルがよく口にしていた”純粋な狂気”の持ち主という言葉。
「……まさか、狂った錬金術師や仮面の男が今回の件に絡んでくるとでも?」
「可能性が無いわけじゃないだろ。狂気は次々と伝染していき、更なる狂気を呼びこむ。青白い髪をした男は未だ謎だらけだけど、仮面の男に関しては間違いなくギリスティアに敵対する存在だ。奴らと会ったのはラティーバ……つまり、最も近いこの街フラウディーネに奴らが潜伏していてもおかしくはない」
直接対峙したハイリンヒの証言によれば、仮面の男は相当な実力者。
バケモノ集団と揶揄されるギリスティアの王従士を束ね、その頂点に君臨するハイリンヒですら退けるだけで精一杯だったと聞く。
もし、そのような存在がこの街に現れれば――――
「……そろそろアタシは行く。絶対に変な気は起こすな、どんな奴が相手だろうと知った事か。お前に心配なんかされなくても全て上手くいくんだ……ッ」
動揺した表情を浮かべながら、コルチカムは殺気を纏ってこの場から立ち去ってしまう。
強がっているのがよくわかる。
少女の頼りない背中を見送り、バレットもいよいよ動き出す。
「さて、私もそろそろ行くとしましょうか。ジンさんの活躍、期待してますよ」
大掛かりな仕事を前に、戦闘本能が疼くのか眼帯を抑えながらバレットは笑みを浮かべて闇へと消えていく。
しかし、これから起こりうる最悪の事態をこの時はまだバレットも気づいていなかったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「すげぇ……。どれもこれもスッゲェ高そうなもんばっかじゃねぇか」
会場となる屋敷は一階と二階に分かれており、ワインドレッドの絨毯を敷かれ、煌めく装飾品や著名人の壁画が飾られている。
ジルの芸術趣味は貴族達の間でも有名で、至る箇所に配置されている骨董品に参加者達も思わず喉を鳴らす。
美的価値を理解できないジンですらその雰囲気に呑まれて圧巻されてしまう程だ。
ジンは周囲を見渡しながら屋敷内を進んでいく。
高そうな壺や絵画の数々はざっと見た感じでも数十にも及ぶ。
「よくこんだけ集めたもんだぜ。たっく、これ全部でどんだけ飯が食えんだよ」
賑やかな会場でそう呟くと、たまたま近くに居た貴族風の男性がそんなジンへと声をかけてきた。
「まさに芸術の宝庫、これ程までの品々をよくもこれだけ集められたものですな」
振り向くと、ジンの後ろで獅子を模した仮面を被るいかにもプライドが高そうな男性が顎を撫でながら絵画を見つめていた。
「おっと、いきなり失敬。この素晴らしい芸術品の数々を前にして年甲斐もなく舞い上がってしまっていてね。ほっほっほっ」
気品漂う小さな笑いをあげるこの男性。
顔全体は確認できないが、穏やかに微笑むその姿とは裏腹に嫌な気配を感じる。
狂った錬金術師のすぐ傍で過ごしてきたジンだからこそわかる人間の醜さ。
しかし、彼だけでは無くこの屋敷全体から異様な狂気を感じていた。
ジンは警戒心を強めながら情報を聞き出していく。
「アンタも参加者だよな? この宴にはどんな目的で来たんだ?」
「ほっほっほっ、この仮面舞踏会は初めてかね? この場において仮面を被る者は全てが参加者さ」
男性は両腕を組みながらジンと共に周囲を見渡す。
慌ただしく走り回る黒服達を除き、全員が何かしらの仮面を被っている。
参加者は仮面の装着が義務付けられていた。
ジンがこの異様な光景にどこか落ち着かない様子でしばらく立ち尽くしていると。
「そして、目的は各々で違う」
男性は歪んだ笑みを見せる。
「奴隷を欲する者、災獣を欲する者、もしくはドレェク侯爵が所有する芸術品に興味を持つ者と様々な目的があるわけさ」
やはりバレットの言っていたように裏取引がこの会場で行われているようだ。
ジンは怒りを堪える為に拳を強く握り、男性を見つめて問う。
「アンタは何が目的でこんな場所に来たんだ?」
「ふむ……。私は単純に彼の芸術品に興味があったのさ。奴隷や災獣といった商品は下品だと思わんかね? 私はそれらに微塵も興味がないのだが、君はどうなんだい?」
「……俺も興味なんてねぇよ。ただ、招待されたから来たまでだ」
「なるほど、目的も無くこの宴に参加する者は珍しい。まぁ、せっかく訪れたのならせいぜい楽しんで良い思い出を作ると事だ。ドレェク侯爵は非常に美味な食事や酒も用意しているからね」
そう言い残して男性は手を振りながらこの場から離れ、他の芸術品の鑑賞を再開していく。
「……チッ、何が良い思い出作りだ。こんな胸糞悪ぃ場所をどう楽しめってんだ。どいつもこいつも腐った匂いがプンプンしやがんぜ」
歪んだ欲望を抱えた参加者達で賑わうこの会場はジンにとって居心地の悪い場所だった。
狂気に染まった人間の匂いに苛立ちは増すばかり。
それでも、ジルが用意していた食事の数々がジンの鼻孔をくすぐると腹の音を鳴らす。
「と、とにかく腹ごしらえは重要だよな。これからに備えて準備は大事だろ、うん」
食事が用意されているテーブルへとジンは誘われるように移動する。
涎を垂らして腹を鳴らすその姿はまさに狼のようだった。
そうしている間にも屋敷には、華やかな衣装で彩られた参加者達が続々と現れていく。
共通する特徴として皆が動物をリアルに模した仮面や、芸術的でユニークな仮面を被っている。
天井に吊るされたシャンデリアは歪に輝き、顔半分を覆う仮面を被った来客達を不穏な光で照らしていた。
豪華な食事が用意されたいくつものテーブルを囲みながら、彼らはワイングラスを手に取り談笑に浸る。
笑い声の絶えない狂宴。
皆がこの狂気に満ちた宴を心待ちにしていたのだった。
「ほっほっ、私はこう見えてとある国の貴族なのさ。前回の宴でも大量の奴隷を購入したばかりなのだが、どうにもすぐ壊れてしまってな……。再び補充に訪れたというわけだ」
「まぁまぁ、それは災難でしたわね。そんな、あたくしは主人の代わりに災獣を購入しに訪れましたの。主人の要望は敵対する政治家の人体を内側から蝕む寄生型の災獣なのですけど、果たして販売されるのかとても不安ですわ……」
「ドレェク侯爵は需要と供給をよくわかってらっしゃるお方だよ。ご主人の要望通りの品もきっと用意されているさ」
「ハッハッハッ、わしも奴にはよく世話になっておる。奴の用意した商品はどれも生命力が高く、長期的に扱えるうえに品質も文句無しじゃ。商人としての心構えがしっかりしておるわい」
至る所で黒い話題が飛び交う。
それぞれの本名や素性が分からないこの場では通例の光景だった。
皆が仮面を被る事で身分を偽り、ついつい見栄を張って大胆な発言をしていく。
「あまり大きな声では言えんが……私はギリスティアの政治に一枚噛んでいてね。その私が掴んだ情報によると、実は現国王であるミストレア=サールージュは既に王権を剥奪されているらしい。現在は側近の三英傑、ハイリンヒ・コルネリウスが裏からギリスティアの政治を牛耳っているらしい」
「まぁ!? それは本当でございますか? 驚きました……。政治に携わるそのような機密を知る貴方はさぞ高名な貴族なのでしょうね……」
まことしやかな噂を振り巻き、情報通を気取る者も多い。
耳を疑うものから、思わず信じ込んでしまいそうな話が飛び交う。
「先日、アルゴリストンの国王が”また”婚姻を結んだと報じられただろ? 実は何を隠そう、その相手こそ私の娘なのだよ。はっはっはっ、ようやくこれで私も王族と繋がりを得る事ができたというわけだ。これから先の生活を考えると笑いが絶えんよ」
「おぉ、それは凄い……。ですが、安心はできませんぞ。アルゴリストンの国王と言えば、女癖が悪くて有名ですからな。何人もの妃をめとり、その王権を巡って女同士の醜い争いが繰り広げられているだとか」
真偽は不明だが、王族との繋がりを主張する者も点在する。
確かめようのない与太話はそれを遠くから見つめていた者達の耳にも入っていく。
「……フン。やれやれ、貴族って連中は一々鼻につく。常に自分達の地位や権力を主張しなければ死んでしまう生き物のか? さぞや生きずらいだろうに、いっそこの場で楽に殺してやろうか?」
「止さないか。この宴の席で殺しは禁じられている。……殺るなら開宴した後だ」
物騒な発言を口ずさみ、妬ましそうに貴族達を睨みつける者達。
「まったくよぉ、正装着用たぁ面倒臭ぇ宴だぜ……。俺らに貴族の真似事なんかさせやがってジルの野郎……。ちっ! くだらねぇ災獣なんか用意してみやがれ、タダじゃおかねぇぞっ!」
「フン、何も我々に礼節など求めてやしないさ。要は貴族達への配慮なんだだろう。その見返りとして我々の要望通りの品も用意されているんだ。少しぐらい我慢してやろうじゃないか」
最低限の身なりだけを整え、屋敷の片隅でたむろする場違いな存在。
生きている世界がまったく違う貴族に対し、彼らは憤りを感じていた。
彼らは罪人なのだ。
闇貴族と呼ばれる裏社会に通ずる貴族が参加者の大多数を占める中、裏社会に生きる罪人達もこの宴に参加している。
だが、その中には貴族ですら一目置く罪人も紛れていた。
「ふぅー……酒が足りねぇな。おい、そこのお前。あー、そう。そこのお前だ。ちょっとこっちに来い」
苛立った口調で黒服を呼びつけたのは、ハイエナを模した仮面を被る一人の男。
彼は貴族達が囲むテーブルとは別に、他のテーブルを陣取っていた。
フォーマルな紳士服を着こなしているが、首元を大胆にはだけさせて高価な金色のネックレスを輝かせている。
数人の部下は立ったままテーブを囲んでおり、ハイエナの仮面を被る男はただ一人椅子に座って深紅の短髪を掻きながら黒服の到着を待つ。
「は、はいっ! ただいまっ!」
「ちっ」
悠々と椅子に座り、舌打ち交じりにテーブルの上で足を組むその下品な姿。
ハイエナの仮面を被る男の粗暴な態度には貴族達も唖然とさせられていた。
「何故あのような輩が今回に限ってこの宴に参加したのだろうか……」
「はぁっ、はぁっ、お待たせしましたっ」
現れたのは給仕係としてジルに雇われた黒服の一人。
グラスを乗せたトレーを片手に持ち、先程から慌ただしく動き回っていたせいか息を荒げている。
「たっくよぉ、チンタラしてんじゃねぇっての」
「も、申し訳ございませんっ!」
かなり急いできたにも関わらず、罵声を浴びせられ黒服は委縮してしまう。
そんな黒服に対し、ハイエナの仮面を被る男は軽く手招きをする。
「……え、えと?」
黒服は息を呑みながら恐る恐る近づいてみる。
すると、
「はぁ……。よっこらせ――――」
男は溜息を吐くとテーブルに置かれていた空のワインボトルを掴み。
「ッ!?」
躊躇いも無く、黒服の頭に叩きつけたのだ。
「がはッ、ぁッ、……ッ!!」
ワインレッドの高級感漂う絨毯に鮮血が混じる。
「――――この俺様のグラスが空いてどんだけ経ったと思ってんだ? ジルの野郎、まったく躾がなってねぇぞ」
頭から大量の血を流し、床に蹲る黒服を男はつまらなさそうに見降ろしていた。
「ふふ、滑稽ねぇ」
「わっはっはっはっ! 罪人の分際で興じさせるわい」
「下々の戯れは見ていて愉快だねぇ」
飛び散るガラスの破片と、貴族達のせせら笑い。
この場において参加者同士の争いは禁じられている。
しかし、この男は誰にも咎められない。
何故ならば、被害者がジルに雇われた使用人だからだ。
「ほっほっほっ、使用人への暴行は咎められんからのう。一応、奴なりに分別は弁えているようじゃ」
「フン、この程度で慌てる事もなかろう。我々は貴族だ。常にその誇りを持ってして優雅たるべきだ」
「その通りですわ。たかだか使用人ごときがどうなろうと、それを気に掛ける必要なんてありませんわよ」
次第と騒ぎは静まり、他の黒服達が慌てて負傷した同僚を担ぎこんで消えていく。
貴族達は何事も無かったかのように再び談笑へと戻り飲食を嗜む。
この宴において、主催者と参加者以外には人権が存在しない。
貴族達はハイエナの仮面を被る男の行為を咎める事もせず、ただ好奇の眼差しで動向を伺っていた。
「酒を持ってくんのが遅ぇんだよ。俺のグラスが空く前には待機してろっての。人がせっかく楽しんでるってのに、水差しやがって。……呑み直すぞ」
男は平然とした態度で空いたグラスを横に差しだす。
「どうぞ、ボス」
使用人が運んできたボトルを華麗にキャッチして待機していた部下の一人がワインを注いでいく。
裏社会で名を馳せる罪人の行動を目の当たりにし、貴族達はその余興を心のどこかで愉しんでいた。
すると、一人の少女が敢えて聞こえるような声で囁いた。
「ふむ、どうもあそこは臭くて堪らんのう」
人間の頭がい骨を模した不気味な仮面を被る少女がそう口にする。
貴族達が囲むテーブルの中で一際輝きを放ち、着物という珍しい衣装を纏う少女。
「流石は家畜共じゃ、場を弁えぬその野蛮で下品な愚行は実に見ていて滑稽よのう」
少女は先程のやり取りを横目でジッと見つめていたのだ。
一つに束ねられた亜麻色の長髪は肩から前に垂れ下がっており、少女は指先でそれを弄りながら不機嫌そうに呟く。
「度し難い」
装飾された扇子を片手に、音を鳴らして開くとその振動で豊かな胸が同時に揺れる。
胸元を露わにし、咲き乱れる花弁を刺繍した紺色の着物は妖艶さを醸し出し、参加者達の視線を釘付けにしていた。
「妾の視界に堂々とあのようなゴミ共を並べておくとは……」
仮面の下に隠れるパッチリとした二重の碧眼を細め。
「妾は”グラシア家の当主”であるぞ。わざわざハルターバから訪れてやったというのに、特等席すら用意されておらんとは屈辱じゃ。まったく、青髭侯爵は世の何たるかを心得ておらぬようじゃな」
一つに束ねられた亜麻色の長髪を払い、少女は苛立ちを浮かべていた。
「ぷっ、くく」
微かな笑い声を漏らす男の声が聞こえてくる。
その正体は先程から少女のすぐ傍で棒立ちだった一人の大男。
少女が振り向くと今も必死に口と腹を手で抑え、笑いを必死に堪える姿が確認できた。
「……寛大なる妾が民草の戯言を聞いてやろうではないか。何か妾の発言で可笑しい事でもあったか?」
牛を模した仮面を被る色黒の大男は、少女の問い掛けに我慢の限界を遂に迎えた。
「ぶふっ、うひっ、ひゃっひゃっ、あーはっはっはっ!!」
「……」
少女は眉をピクっと反応させ、閉じた扇子の先端を大男の眼前へと向ける。
「この、無礼者め……ッ! 妾に対してそのような態度を取るとは気でも狂ったか? 立場というものを弁えよ下郎」
仮面で隠した鋭い視線を浴びせ、怒りで肩を震わす少女に対し。
「ひぃっひっひっ、ふぅ……アレ、見て」
「……?」
大男は急に静まり前方を指差すと、少女も静かにその先へと視線を向ける。
すると、そこには――――
「ほぉ――――」
ハイエナの仮面を被る男がテーブルに両足を乗せたまま、少女に対して中指を立てていた。
「おいおい……、あの男……」
「何を考えておるんだ……ッ」
「非常識ですわね……。育ちの悪い猿もここまでくれば大したものですわ」
その行為に周囲の貴族達や罪人達はざわめきだす。
本来であっても貴族に対する侮辱は死罪を間逃れない程に重い罪。
それを、よりにもよって社会から淘汰される罪人が働いたのだ。
「ふん。これ程の屈辱を受けたのは生まれて初めてじゃ。無知なる犬畜生の分際で見上げた度胸よのう。その行動には少なからず憐れみが込み上げてくるというもの」
「あいつ、狂ってる」
争いを禁じられているとは言え、今にも貴族と罪人による戦争が勃発しかねない不穏な空気に包まれていく。
「……ボス、もう少しで主宴が始まります。ここで事を荒だ立てせるのは得策ではないかと」
「ハッ! 俺様に小銭を拾う趣味はねぇよ。元々、みみっちぃ利益なんざハナから興味すらなかったんだ。それこそ全部殺して全部奪っちまえばボロ儲けできんだろうが。その為に、こんな下らねぇ宴に参加してやってんだ」
ハイエナの仮面を被る男が重い腰を上げ、椅子を乱暴に倒して立ち上がる。
「どうする。皆、見てる。一度、落ち着く?」
「……うつけめ。妾は民草の手本となるべき存在などではない。妾は崇められるべき存在なのじゃ。妾の行い全てを称賛し、崇める事こそ民草の義務であり至上の喜びというもの。しかし、あの痴れ者をどうしてくれようか。妾もこのゴミ溜めには嫌気が差していた所じゃ」
「? 一体、どうする?」
「そうじゃのう。――――青髭侯爵に代わり、屋敷の大掃除をしてくれようか」
牛の仮面を被る男が少女の指示に従い、テーブルから移動を始める。
「わかりやすい。わかった。」
その様子を周囲の参加者達が口々に触れていく。
「あちらの御令嬢は……グラシア家の当主だそうだ。グラシア家と言えばハルターバでも名高い闇貴族……。彼のオプリヌス=ハーティスを輩出した恐るべき一族だ……」
「当主が変わってからというもの、その残忍性や政治への関与が露骨に顕れている……。もはや現在のグラシア家は我々と同じ貴族でありながら一線を脱した存在となっている」
「あの狂った錬金術師フェイクと繋がりを持っているという噂も耳にした事がありますね……。どこの馬の骨か知りませんが、あの罪人……完全に相手を間違えていますね」
「で、ですけど、私さっき耳にしましたの! ……何でもあの男は裏社会でも有名な”奴隷商会”を束ねる人物らしいですわよ」
「なっ!? 奴隷商会ですとっ!? そ、それは本当ですかっ!? もしそれが事実であれば何故あのような男がこの宴に……」
「ドレェク侯爵の意図がまったく読めん……。同業者である奴隷商会を招きようものなら争いは必須。リスクが大きすぎるのでは……」
「それに奴隷商会だけでは無い……。仮面を被ってはいるがその特徴から有名な大罪人の姿が見受けられる……」
様々な憶測が飛び交う中、罪人達は静かにハイエナの仮面を被る男の動きを待っていた。
「ハッ! 流石だぜ! あの人にとって地位や肩書なんて何の意味も成さねぇ。そもそもルールなんてもんが存在しねぇんだからな」
「奴隷商会を束ね、今や闇貴族を押し退ける勢いで裏社会の頂点に上り詰めた実力者だ。金と地位だけでふんぞり返っている闇貴族共とは格が違う」
「貴族共は気づいてねぇのか? この場で争いが起これば間違いなく奴らは全員死体になるってよぉ」
「クックック、白昼夢の殺人鬼然り、王従士ですら手を焼く俺ら無法者共をどう対処すんのか見物だぜ」
「オレは安心したぜ……。この場に”死の芸術家”が居ねぇ事にな。あいつがもしこの場で作品なんて創り始めたら当分メシが食えなくなる所だったぜ……」
荒れ狂う嵐の気配が漂う中。
険悪な雰囲気を纏う闇貴族と罪人達に紛れ、銀髪の青年は黙々と食事を喰らっていた。
「うめぇっ! どれもこれも旨ぇっ!」
先程からテーブルを転々と移動し、その先の食事を全て平らげて回っていたジンだ。
次々と皿に手を伸ばしては掻っ攫い、満足気な表情で頬張っていく。
「おっ! あっちにも旨そうなもんがあんじゃねぇか!」
節操無く瞳を輝かせ、汚れた口元から涎を流して次のテーブルへ軽やかな足取りで向かう。
そうこうしている内に既に六つ目のテーブルに差し掛かる。
「戦の前の腹ごしらいはしとかねぇとな……。あぁん、ばくっ! ――――んん~っ、う、うめぇっ!!!」
口元をソースで汚し、瞳を輝かせながら食事を進めるジンの肩に何者かが触れる。
「よぉ、兄ちゃん」
猿の仮面を被り、スーツがはちきれんばかりの体格を持つ大柄な男がジンに声をかけてきた。
「あぁん? 誰だアンタ? 俺の食事を邪魔してんじゃねぇよ。その太りきった身体もついでに喰ってやろうか?」
食事を邪魔された事に憤りを感じ、つい苛立った口調で振り向くジン。
すると大柄な男は口元を指で掻きながら歪んだ笑顔を見せる。
「へっへっ。裏社会で見ねぇ風貌だと思ったが、その反応からしてやっぱ兄ちゃんも犯罪者なんだろ? なら、あっちの争いに参加しようぜ」
「……なんかムカつくな。俺はお前ぇらと同じじゃねぇっての」
ジンの否定する発言を無視して男はある方向を指差す。
その方向には、ハイエナの仮面を被る男と骸骨の仮面を被る女を入り乱れて囲む集団ができていた。
「何だありゃ、何か催しでもやってんのか?」
「催しねぇ、あながち間違っちゃいねぇな。――――なんせ今まさに、裏社会を牛耳る男が暴れるってんだからな」
期待に胸を膨らませて鼻息を荒げる男を他所につまらなさそうな表情を浮かべるジン。
「ケッ、んなもん全然興味ね――――んっ!?」
どこからともなく食欲を掻き立てる芳ばしい匂いがジンの鼻孔へと食欲を捕らえて離さない。
犬を凌駕するその嗅覚はすぐさま匂いの場所を突き止め、身体を本能だけで突き動かす。
「つか、あっちに見た事ねぇ料理があんじゃねぇかっ!! うっひょおおおおっ!!」
「ちょ、兄ちゃん!? こんな機会は滅多に無いんだぞ!?」
男の呼びかけを無視してそのまま料理の元へと全力疾走。
その間、何人かの貴族や罪人とぶつかろうともお構いなしだ。
食欲という欲望のままに会場を駆け抜けると、そこには未だかつて見た事の無い程の巨大肉がテーブルへと置かれていた。
「すっっっげぇうまそうううううう」
巨大肉の姿を確認するや更に加速していくジンだったが。
「ひゃっはあああああああっ、、……あん?」
目的のテーブルで、見覚えのある二人が何やら話し込んでいた。
一人は立派な青髭が特徴的な貴族。
宴の主催者ことジル=ドレェクだ。
そしてもう一人は――――
「あれは――――」
オプリヌスの潜伏場所を自分に教え、意味深な発言を残して消えた謎の人物。
あの時と変わらず、顔全体を質素な仮面で覆った金髪の青年とジンは再開を果たしたのだった。




