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黒匣の世界式  作者: 喜怒 哀楽/Yu1
虹色の園
70/80

12話:ひと時の日常

 不穏な気配が漂う仮面舞踏会。

 刻々と開催日が近づく中、ヘルメスとジンは知恵の蔵ブックエンドへと訪れていた。


「むむぅ……」


 日中で人がひしめく館内の片隅で、互いに真剣な表情でいくつもの書籍を読み漁っていた。

 無造作に積み上げられた書物の殆どは錬金術師の歴史に纏わるものばかり。

 昨晩、夜更けまで話し合った末に二人は”とある人物”について調べ上げる為に今日足を運んでいた。


「ちっ、どれもこれも肝心な部分が書かれてねぇ。おい、ヘルメスよぉ。もしかすっと俺達がしてる事って無駄なんじゃねぇか?」


 つまらない歴史書ばかりを読み漁り早数時間が経つ。

 ジンは永遠に続くとさえ思えるこの途方も無い作業に随分と前から嫌気が差していた。

 うんざりとした表情でため息を吐いて本を閉じ、ふと正面に座るヘルメスに視線を向けるてみるが。


「……」


 試験勉強でもしているのかと思える程の集中力。

 今も休むことなくヘルメスは眼鏡を光らせ熱心に本を読み漁っていた。

 先程から黙々と没頭して本を読み進めるその姿にジンは感服してしまう。


「弱音を吐いている暇があるなら早く次の本を読むんだ。これはジンにも関係がある事なんだぞ」


 手にしていた本を読み終えたヘルメスは傍らに積んでいた本の山から次の一冊を無造作に持ちだし、もう一冊をジンの元に問答無用で置いて作業再開を促す。

 まるで本の虫に取り憑かれたような執念である。

 ジンは目の前に置かれた本を渋々と手に取り、愚痴を交えながら昨晩の事を振り返る。


「つってもよ……未だに信じられねぇ。旧支配者オールド・ワンって奴の事もそうだが、ルルが俺の知らない所でそいつと対峙してたなんてよ」


 昨晩の事である。

 部屋に戻り二人きりになると、ジンはヘルメスから過去の追憶を経て体験した全てを聞かされた。

 ルルを殺めようとしたばかりか、原典エメラルドタブレットの断片である智式アカシックレコードにまでヘルメスを追ってきた青白い髪をした謎の青年の事を。


「自分にもよくわからない……。だがあの時、確かに奴はルルだけでなく自分の命をも狙ってきたんだ。奴の目的は最後までわからないままだったが……。どこか後味が悪い気分だったよ」


 ルルと青年の会話の流れから、あの場では青年の正体が旧支配者オールド・ワンと呼ばれる闇の賢者だと思われたが。


「しかし……」


 そうなると時系列的に辻褄が合わないのだ。


「たっくよぉ、お前ぇもラティーバで国王のオッサンから聞かされたろ。もし、その話が本当ならアンチスミスと同じ時代を生きていた旧支配者オールド・ワンって奴は”何百年も前の存在”だぜ? まず人間のルルがそんな昔から生きてたなんて有り得ねぇ。つまりこれがどういう事かわかってのか?」


 そう、改めて冷静に考えてみると不審な点が浮き彫りになる。

 数百年前に存在していた旧支配者オールド・ワンと呼ばれる存在とルルは対峙していたのだ。

 そして、ルルは確かにジンの身を案じた内容を口にしていた。

 つまりこの時点でルルはジンに出会っているのだ。

 そこから導き出された仮説はこうだった。


「……旧支配者オールド・ワンって奴は”何百年も生き続けてる”って事になんぞ」


 遥か昔に存在していたとされる伝説の錬金術師アンチスミス。

 その時代を同じく生きたとされる旧支配者オールド・ワン

 仮にヘルメスとジンの仮説が正しければ、もはや不老不死のような存在だ。

 しかし、まだ謎の青年の正体が旧支配者オールド・ワンである確証は無い。

 だからこそヘルメスとジンは知恵の蔵ブックエンドを訪れ、旧支配者オールド・ワンに纏わる伝承などを調べていたのだった。

 しかし、まったく情報は掴めずに難航していた。


「そもそもこんな作業は無駄だって言ってんだろ。こんだけの本を調べてんのに闇の賢者や旧支配者オールド・ワンって単語すら出てこねぇ……。よく思い出してもみろよ、ジュリアスが言ってたんだろ? 歴史から葬られた存在もいるってよぉ」


 今ではすっかり本を読む手を止め、諦めに入っていたジンの苦言に、ヘルメスはピタリと動きを止めた。

 もしや怒らせてしまったのか。

 恐る恐るジンが身構えていると。


「……やはりジンもそう思うか? 実は今になって自分も……無意味なような気がしてきた」


 疲れたとばかりに手で額を押さえて肘をつくヘルメス。


「ちょ、お前っ、こんな無駄な時間費やす前に気づけよ!? 俺もだけどよ!!」


 例え無駄に終わろうとヘルメスの意を汲み、何だかんだで最後まで付き合う気構えだったジンだが、遂に本人の口からそれを告げられてしまった。

 相変わらず考え無しで行動に出るヘルメスの無鉄砲さには今更ながら呆れてしまう。


「やれやれ、ジュリアスさんの知識を借りようにも彼は今この館内から席を外しているようだしな。はぁー、ここまで付き合わせて悪かったな。どうやら自分達だけではこれ以上の成果が得られないみたいだ」


「いや何の成果も得れてねぇからな!? 無駄に時間潰れただけだっての!!」


 いくつもの書籍を読み漁っていたせいか、一気にヘルメスは疲労に襲われジンのツッコミも耳には届いていない。

 そのまま両手を伸ばし、眠るように机の上へ伏せてしまう。


「たっくよぉ……」


 成果が得られなかった事でジンも途方に暮れ、疲れ果てて何となく天井を眺めていると。


「おーほっほっ! まったく辛気臭いですわねっ! でも、ご心配いりませんわっ! なにせっ! 神々しく煌めき輝き続けるこのわたくしが降臨しましたものっ! さぁっ! 華やかにこの場を彩りますわよっ! おーほっほっほーっ!」


 鬱陶しい笑い声と共に、二冊の書物を脇に抱えたエルサリアが意気揚々と二人の前へと現れた。


「……ずっと気になってんだけどよ、アンタその笑い方どうにかなんねぇの? なんかムカつくんだけど」


「鬱陶……、ごほん。エルも此処に来ていたのか。何か調べ物でもあったのか?」 


 天井を見上げたまま視線をエルサリアに向け、苛立った口調で笑い方を指摘するジン。

 そして気だるそうに顔を上げ、素っ気ない反応を浮かべながら危うく本音を漏らしそうになってしまったヘルメス。

 二人の雑な態度にエルサリアは眉間をヒクつかせ、二冊の書籍を机に思い切り叩きつけて怒鳴り散らす。


「あ、貴方達ねぇっ! 性懲りもなく朝早くから人を叩き起こしただけでは飽き足らずっ! 強引にこんな場所まで連れ出しておきながら無礼にも程がありますわよっ!? もっとこのわたくしを敬い崇めなさいっ!」


「おい、ヘルメス。こいつ何言ってんだ? 俺には言ってる事がさっぱりだ」


「フフ、確かに。まったくおかしな事を言うじゃないか。無理矢理も何も、君は快く了承してここまで来たんじゃないか」


 ほくそ笑む二人の姿にエルサリアの怒りは更に増していき、今度は右手で何度も机を叩いていく。


「ね、寝ボケていたわたくしを有無も 言 わ さ ず 連れてきただけでしょっ!!!」


 エルサリアは極端に朝に弱い。

 それを知っていたヘルメスはまだ目が覚めきっていないエルサリアをジンと共にここまで運んできたのだった。


「とんでもない、それは語弊があるぞ。自分は確かに何度もエルに確認したぞ? その都度、君は目を擦りながらちゃんと頷いていたんだ。まったく……寝起きだと幼い子供のようでエルも可愛いんだがな。服を着替えさせたりしている時など大きな妹ができたみたいで中々楽しかったよ」


「そ、その口を今すぐ閉ざしなさいッ!!!!」


「つか、言い加減その寝癖も何とかなんねぇのか? 身嗜みは基本中の基本だろ」


「なっ!?」


 ジンに指摘されると慌ててエルサリアは両手で前髪を抑えて真っ赤に顔を染め上げる。

 いつもはチャームポイントのパッツンに切り揃えられた前髪を眉まで降ろしているが、バレットが朝早くから何処かに出掛けていたせいでロクに髪もセットできず今は前髪が上を向いている状態だ。

 普段から身の回りの世話を全てバレットに任せていた事が一目瞭然だった。


「フフ、中々可愛いと思うがな。ただ、もう少し自分の事くらい自分でしたらどうなんだ? いくら従者と言ってもバレットの気苦労が絶えないぞ」


「よ、余計なお世話ですわっ! 大体あれはわたくしに仕える事で喜びを感じていますのよっ! 従者をどう扱おうが主であるわたくしの勝手ですわっ!」


 恥ずかしがりながら前髪を両手で隠し、反論を繰り返すエルサリアの反応はヘルメスとジンの疲れを徐々に癒していた。

 まったく仲が良いのか、悪いのか。

 ジンは二人のやり取りに耳を傾けながら、いつしか両手を頭の後ろに回して大きな欠伸をしていた。


「フンっですわ。まったく、これだから庶民は……」


 ほのかに甘い香りが漂ったかと思えば、ぶつくさと文句を言いながらエルサリアは当然のようにジンの横へと座りだす。

 面倒臭そうにジンは欠伸の次に大きく伸びをして訊ねる。


「で、そっちはどうだったんだ? ちったぁ、調べは進んでんのか?」


「あら? 嫌ですわジンってば、そのような素っ気ない態度を取らなくとも心配ありませんわ。容姿端麗であるこのわたくしに不可能はありませんことよ?」


 ヘルメスに対する態度とは裏腹に、横から優しく微笑みかけてきた前髪を押さえる美少女にジンは不覚にもドキッとしてしまう。


「むぅぅ……」


「っ!?」


 それを察したのか正面からヘルメスの嫌な視線を感じ、ジンは冷汗を流しながら咄嗟に顔を背けたのだった。

 ヘルメスの背後から禍々しいオーラが見えた気さえした。

 そして、エルサリアといえばこの場に漂う不穏な空気など気に留める事なく借りてきた本を手際良く前髪を押さえたまま片手で開けていく。 


「まったく。有能なわたくしと比べて、ヘルメス。そこらに山積みになった歴史書は何ですの? どれもこれも検討外れなものばかりですよわよ? これだから脳筋猪頭は……」


「だ、誰が脳筋猪頭だっ!」


 ヘルメスとジンは一旦エルサリアにジルの事を任せ、内密で旧支配者オールド・ワンについて調べていた。

 しかし、それを知らないエルサリアからすればヘルメスが滑稽にも検討外れな書籍ばかりを必死になって調べていた様にしか思えないのだ。

 小馬鹿にしたように溜息を吐き、エルサリアはここぞとばかりに前髪を押さえたままジンに顔を近づける。


「ジンも大変ですわねぇ。こーんなお馬鹿さんから早くわたくしに鞍替えしませんこと?」


 見え透いた挑発を続けるエルサリアにヘルメスはわなわなと身体を震わせるて勢いよく立ち上がる。 


「っ、言わせておけば好き勝手に……ッ」


「お、おい、ヘルメス止めとけってっ」


 両手を机に叩きつけて怒りに身を任せて立ち上がったヘルメスだったが、すぐさま周囲の視線に気づく。

 来客達の視線はとても冷たく心を突き刺してくる。

 先日の事もあり、ヘルメスは深く反省して静かに席へと戻るのだった。


「うぅっ……」


 冷静さを失い、辱めを受けた事で顔を真っ赤に染め、申し訳なさそうに肩を小さく縮めて猛省する。

 公の場で恥を晒した事もそうだが、ジンの前で自分が気にしている事を指摘された事も恥ずかしい。

 複雑な乙女心に悩まされながら口を硬く閉ざして萎縮するヘルメスの姿は少し微笑ましいものだった。


「ちったぁ学習しろよな? ガキじゃあるめぇしよ」


「べ、別に……。じ、ジンには言われたくない……」


「ケッ、ひっでぇ言われようだぜ」


 不貞腐れたように頬を膨らませるヘルメスの姿を見て、ジンは微かに笑みを浮かべる。

 この街に訪れてから、エルサリアと出会ってからと言うもの、ヘルメスは今までに見せた事の無い反応をよく見せてくれるようになっていた。

 どこか嬉しい気持ちで心が満たされていく気がした。

 ジンは肩肘をついた状態で静かに笑い、そんなヘルメスを愛おしそうに見つめていた。


「……」


 それをジッと横から目にしていたエルサリアは少し不機嫌そうに話を進めていく。 


「はいはい。とにかくまずは敵を知る事が必要ですわ、二人共これを見てくださいまし」


 テキパキと開かれたファイルの一部を指差し、淡々とエルサリアは二人の視線をこちらに向けさせる。


「そういや、アンタが持ってきたこのファイルって何なんだ?」


 ジンは肘をついたまま興味深そうに視線を向けてその内容を確認していく。

 指差された箇所には”とある場所”で起きた事件の新聞記事が挟まれていた。


「……フン、あれだけ自分の事を馬鹿にしていたんだ。さぞかし凄いものなんだろうな」


 未だ萎縮しながら複雑そうな表情でそれを覗き込むヘルメスと、興味深そうにまじまじと見つめるジン。

 記事の見出しはこう題されていた。


「”ハーメルン”の笛吹き事件? あぁん? 何だよこの愉快そうな事件は」


 聞きなれない事件の名前をジンが口にすると、ヘルメスは凛とした表情を取り戻し。


「これは……」


 両手を机の上に乗せてすっかり記事に夢中となる。


「六年前にギリスティア王都の近隣に位置する街、ハーメルンで大量の子供達が誘拐された”未解決事件”じゃないか……」


 記事を読み終えたヘルメスは眼鏡の位置を調整しながら妙な面持ちで席につき両腕を組む。

 しばらく物思いにふけった後に、エルサリアと顔を合わせてこの記事について触れる。


「確か犯行現場から笛を吹いているような音がした事からこのような事件名が付いたものだ。しかし、これがドレェク侯爵とどう関わりがあると言うのだ?」 


「……それが大有りも良い所ですわ。このファイルはギリスティアで起きた多くの事件を記録しているものですわ。ここのページを見て御覧なさい」


 エルサリアは付箋を挟んでおいたページを開き、記事を見たヘルメスとジンを驚かせる。

 記事のは題名はとてもタイムリーなものだった。


「消息不明だった青髭侯爵の手掛かり……?」


「おい、よく見てみろよ! さっきのハーメルンの笛吹き事件が発生した時期とまったく同じ時期に取り上げられてんぞこの記事!」


 大量の子供達が誘拐された未解決事件、そしてジルの目撃情報。

 同じ時期に、同じ場所で二つの記事が取り上げられたのだ。

 記事を事細かく読み進めていくヘルメスとジンに、エルサリアは真剣味を帯びた声色で淡々と告げていく。 


わたくしも貴方達の想像通りだと思いますわ。決定的な証拠写真はありませんけど青髭侯爵の目撃情報がこの時、ハーメルンで複数の人物からありましたの。これが虚偽の情報なのか、はたまた真実なのか定かではありませんわ。ですけど、これを単なる偶然だとでも? ヘルメスから青髭侯爵が身寄りの無い子供達を施設で預かっていると聞かされてからこの記事を見つけた時にピンときましたわ」


 ヘルメスはふつふつと怒りで肩を震わせて唇を噛みしめる。

 そして前髪の影でその怒りを隠しながら、未解決事件の真相へと辿り着く。


「あの男は……ッ、大量の子供達を誘拐して回っていたという事か……ッ」


 それが事実ならとても許せるものではない。

 ハーメルンの笛吹き事件は未解決事件として捜査が断念されていた。

 犯人を特定する事もできず、子供達の帰りを今も信じて待ち続ける親の気持ちは計り知れない。

 唇を噛みしめて必死に怒りを堪えるヘルメスの口元には僅かな血が流れていた。

 だが、ジンにはジルの行動が疑問だった。


「何で……ジルは子供なんか誘拐して回ってたんだ? おかしくねぇか?」


 純粋に疑問を口にするジンに対してエルサリアは視線を下に向けて躊躇いながら、もう一冊の書籍を差し出した。


「……ジン、貴方って見かけによらず純粋ですのね」


 切ない笑みでジンの純粋さに応えていく。


「これはあの大戦を勝利に導いた青髭侯爵に纏わる史実や逸話が記されている本ですの。そこには……彼が児童愛好者だった事やその内容も記されていましたわ。……実際に読む事はオススメしませんわね」


 ジルは男女問わず児童を、特に幼い男子を愛でる事に快感を得るという特殊な性癖を持ち合わせていたと記されていた。

 嘘か真か生々しい詳細がそこには記述されており、初めてそれを読んだエルサリアは吐き気に見舞われた程だった。


「ギリスティアは何故、奴の狂行を止める事ができなかったんだ……ッ」


 子供達を己の性的欲求を果たす玩具として弄び、売買目的で誘拐していたという衝撃的な事実が明るみになっていくにつれ、ヘルメスは片手で顔を覆って肘をついたまま黙り込んでしまう。

 そして、事件を解決できなかったギリスティアの不甲斐なさに怒りを覚える始末。


「銃野郎の話じゃギリスティアの三英傑ゴールデンナイトは優秀なんだろ? なのに何でジルは今まで居場所を突き止められず、おまけに捕まらずにいれたんだよ。……おかしくねぇか?」


「まったくもってジンの言うとおりですわ。恐らく裏社会の何者か、もしくは他の存在が関与している可能性がありますわね。……まぁ? 例えどんな輩が裏に控えていようと関係ありませんわっ! 完全無欠のこのわたくし一人で事足りますわっ! おーほっほっほっ!」


 事は重大だというのに自信に満ち溢れた高笑いを決める不謹慎なエルサリアに、ヘルメスは我慢できずに胸元を掴んで引き寄せる。  


「奴は災獣キメラだけでなく用済みになった子供達をも商品として売っているかもしれないんだぞッ!! よくもそんな風に笑っていられるなッ!!!」


 止めに入ろうとしたジンだったがそれも間に合わず、物騒な叫びは一気に館内に響き渡ってしまう。


「はぁ、またあそこか……」


「い、今、子供達を商品だとか何とか言ってなかったか?」


「参ったな。館長が出払ってるってのにこないだの奴らじゃないか……」


「ど、どうするよ? 一応、警備員に通報しとくか?」


 当然のように来客達は驚きの視線を向けてヘルメスは再び注目の的になるが。


「はぁっ、はぁっ、」


 一切動じる事なく息を荒げてエルサリアを睨み続けていた。


「”あの時”から何も変わってませんわね……」


 特に反撃に出る様子もなく、エルサリアは冷ややかな視線でヘルメスを捕らえて離さない。

 そして胸倉を掴むヘルメスの手にそっと自身の手を静かに重ね。


「すぐにそうやって感情的になる、貴女の悪い癖ですわよヘルメス」


「何だと……ッ」


 互いに引き下がる事なく、今にも争いそうな勢いだ。

 ジンは首を横に振りながら面倒臭そうに立ち上がり、両手にそれぞれ本を掴み振りかざし。


「お前ぇらいい加減にしとけって」 


 それぞれの頭に打ち付けたのだった。


「いぃいいいいッ!?」


「たぁぁあああッ!?」


 分厚い本の角をぶつけられ、両手で頭を抑えて机の上で悶え苦しむ美少女二人という光景はあまりに珍しい。

 恐らくジュリアスが見れば卒倒するか怒り狂うかのどちらかだろう。

 愛して止まない本をこのように凶器として扱われ、館内で大暴れしているのだから。

 唖然とする来客達の様子にジンは軽く舌打ちをした。


「お前ぇらが騒ぐせいでこれ以上ここに居れなくなったじゃねぇか。場所変えんぞ。おらっ、面倒くせぇから抵抗すんじゃねぇよっ」


 そしてそのままヘルメスとエルサリアの襟を掴んで引きずって館内を跡にする。


「お、乙女の頭に本の角をぶつけるなんて酷いじゃないかっ! あ、あとそんな風に引きずらないでくれっ!」


「お、覚えてらっしゃいジンっ! こ、こんな事してタダじゃ済みませんわよっ!」


「あー、はいはい。とりあえずお前ぇらはもう少しお淑やかって言葉を覚えろよ」


 いつもは制止される側のジンが珍しく制止する側に回るという不思議な一幕である。

 このままジンに外まで引きずられ、三人は一旦場所を移す事にしたのだった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 三人は居場所を求め、当ても無くただ街をぶらついていた。

 二人の頭を冷やす為にもジンがこの街を少しだけ観光してみようと提案したからだ。

 道中、どこもかしこも綺麗な花々で咲き乱れるフラウディーネの街は観光地として大変納得のいくものだった。

 間もなく怪しげな仮面舞踏会が開催される、だからこそ今は束の間の休息を楽しんでいた。

 そして現在、新たな戦いが幕を上げていた。

 事の発端は徐に衣料品店で立ち止まったジンが放った発言が原因である。


「この服、露出多すぎじゃね? こんなもん着こなせる奴いんのかよ……」


 ショーケースには最近入荷されたばかりの、大胆にも大きく胸元に穴が開いた異国の衣装が展示されていた。

 ジンは後から知った事だが、その衣装は異国では”ボンテージ”と呼ばれる立派な”ドレス”らしい。

 見た目はいかにも如何わしいが、ジンの一言が二人の闘争心に火を灯したのだった。

 先制はその発言を受けたエルサリアである。


「……美の女神すら傅くわたくしの美貌を持ってすればこの程度の衣装を着こなすだなんて造作もありませんわっ! まぁ? ヘルメスでは無理でしょうけどね?」


 エルサリアの発言を挑戦状として捉え、ヘルメスも青ざめながら声高らかに宣言して続く。


「じ、じ、自分を、み、見くびるなよ!? こ、この程度、ふ、普段着みたいなものだなっ!!」


 どんな普段着だよ、と心の中でツッコむジン。

 一応、彼の為にも弁明しておこう。

 ジンは必死に二人を止めたのだ。

 確かにボンテージを着た二人を見てみたかったが、それでも血涙を流してまで自制心を働かせて二人を止めたのだ。

 しかし闘争心にかられた二人はそんなジンの言葉に耳は貸さず、先程とは逆にジンを引きずって強引に店内へと入ったのだ。

 かくして、今は試着室でボンテージ姿に着替えるヘルメスとエルサリアを店内でじっとジンは待っていた。 

 

「どうしてこうなった!?」


 まったくである。

 目の前には上から円状にカーテンで仕切られた試着室が横に二つ並ぶ。

 ジンは両手で頭を押さえて一体今何が起きているのか理解が追いつかないでいた。

 耳を傾ければ衣類の擦れる音が聞こえてくる。

 この薄いカーテンの向こうにはきっと――――


「落ち着け……っ、落ち着け俺っ!! まだだっ、まだだろっ!?」


 つい、カーテンの向こう側を想像してしまう。

 負けず劣らずと二人のスタイルは極上のものである。

 服越しだろうと十分に確認できた豊満なあの胸はまるで男を魅了する魔物だ。

 普段はストッキング、ニーソに包まれていたあの美脚も今や解き放たれ、むっちりとした太股を惜しみなく顕に晒しているに違いない。

 そして、その先は――――もはやジンには想像できない領域である。


「何だかんだで良くやった俺……ッ!!!!!」


 女性ばかりの店内で一人ガッツポーズを決めて魂から歓喜を叫ぶジンの姿を従業員含め客達は白い目で見て避けていた。

 そして、遂にその時は訪れた。


「おーほっほっほっ!」


 あのイラつく高飛車な笑い声でさえ、今のジンには待ち焦がれた祝福の鐘のように聞こえていた。

 颯爽とカーテンが開かれると、そこにはボンテージに着替え終えたエルサリアが堂々とした面持ちで両手を腰に当てて現れる。


「このわたくしが敗北する事など万が一にも起きるはずがありませんわっ!!」


「ぶっ!?」


 溢れんばかりの胸は窮屈そうに締め付けられており、それを誇るかのようにエルサリアは敢えて両腕を前で組む事で谷間を強調させる。

 スラリと伸びた脚線美を更に引き立たせるヒールを履いており、もはやその姿は完全武装した痴女だ。

 灰色の二つに束ねた髪もボンテージというドレスをどこか妖艶に仕立て上げるスパイスとなり、背徳感をこれでもかと刺激してくる。

 あまりにも似合いすぎていた。

 ボンテージ姿のエルサリアはいつも以上に色っぽく、輝くその美貌を前にジンは驚愕のあまりその場で腰を抜かして倒れこんでしまう程。


「ふふ」


 ジンの反応にすっかりご満悦のようで、エルサリアはヒールを鳴らしながら満面の笑みで近づいていき。

 大きく足を開いて倒れるジンの股間スレスレの位置を、ヒールで力強く踏みつけた。


「うぉおっ!?」


 直撃しようものなら死を間逃れない激痛に見舞われる。

 表情を青ざめて怯えるジンの顔をエルサリアは妖艶な表情を浮かべて前屈みで見下す。

 その際、ボンテージに包まれた胸は上下に揺れ、その瞳もどこか怪しく光っておりジンは思わず喉を鳴らす。


「あらあら、先程から視線の先が丸わかりですわよ? まぁ、わたくしの美貌に当てられては無理もありませんわね。せいぜい目によーく焼き付けておきなさい――――この、変態さん」


「な、」


「うふふ」


 情けなく口を大きく開け、高潮するジン。

 エルサリアはその被虐性をくすぐり、まるで汚物を見下すかのような冷やかな視線と罵声を交えながら、自らの身体の至る箇所に両手を這わせて魅せつける。

 エナメル生地の漆黒のボンテージは艶っぽく光り、極上の身体を包んだその光景はジンの心を釘づけにして離さない。

 

「だ、誰が変態だっ! それはアンタの方だろうがっ!」


 最もな意見ではあるが、今こうして目を血走らせ、息を荒げながらエルサリアの身体を凝視し続けるジンは同類であった。

 本人は自覚していないだろうが、傍から見ればボンテージ姿の美少女に傅く変態そのもである。

 女王様気質なその性格も相まり、悔しいが今のエルサリアは非常に魅力的でそそられてしまう。

 理性をなんとか保ちつつも、本能に抗えずジンの身体はエルサリアの虜になっていた。


「おーほっほっ! この勝負頂きましたわっ! 所詮あのような貧乏脳筋猪女にこのわたくしが負ける可能性など万に一つもありませんことよっ! おーほっほっほっ!」


 ここまでボンテージを見事着こなせる者が他に居るだろうか。

 残念ながらヘルメスの性格上、エルサリア以上に似合うとは思えない。


「くそっ、認めたくはねぇが見た目は完璧すぎる……っ、流石にヘルメスでもこいつには……っ」


「おーほっほっ! 見た目だけはと言うのが気に入りませんけど、正直で宜しいっ! ご褒美にこのわたくしが踏んで差し上げますわっ!」


「げふっ!?」


 鋭いヒールで頭を踏みつけられ激痛が走ってしまう。

 だが何故だろうか、怒りは込み上げずとても心地良いものであった。

 鼻腔をくすぐる妖艶な香りが漂い、身体は正直に興奮してしまう。


「く、そっ、覚えてやがれ……っ」


 ジンは悔し紛れに、だらしない表情でエルサリアの肢体を視線で嘗め回し、決して忘れないよう脳内に焼き付けて抵抗する事しかできなかった。

 哀れ極まりなかった。


「まったく、女性にこのような破廉恥衣装を着させて頭を踏まれているのに興奮するだなんて……殿方の趣味は理解できませんわ」


「お、お前ぇが勝手に着たんだろうがっ!!」


 興奮している事だけは否定できなかった。

 今も頭をぐりぐりと軽く踏みにじられながらもニヤけが止まらない。


「変態さんの分際でまだ立場がわかっていないようですわね? ジンはもうわたくしの魅力に虜ですのよ。その証拠に今のご自分の顔を鏡で見て御覧なさい? おーほっほっほっ!」


 勝利を確信したエルサリアは口元に片手を添え、再び高飛車な笑い声をあげて店内に居る者達をドン引きさせていた。

 だが、本命とは最後に現れるものだ。


「えと……その、着替え……終えたぞ……」


 伏せ目がちでカーテン越しにヘルメスがひょっこり顔を現わす。

 ぎこちない表情でどこか落ち着かないといった様子だ。

 恥ずかしさのあまり表情は紅潮しきっており、口をもごもごさせていた。

 エルサリアはジンを踏んだまま、そんなヘルメスの声に気づくや勝ち誇った表情で振り向き反応を示す。


「あらぁ? 遅かったですわね、残念ながらもうジンはすっかり身も心もわたくしの虜になってしまいましたわよ」


「なッ!?」


 床に這いつくばり頭を踏まれているにも関わらず、快楽に溺れて情けなく表情を緩ませたジンの姿がヘルメスの瞳に飛び込んできた。

 あまりの衝撃に思わず目を疑ってしまう。

 何度、確認してみても状況は変わらず、しばらく言葉を失ったまま動けないでいたが。


「貴様らは店内で一体何をしているんだっ!!」


 至極まともな感想である。

 ヘルメスは声を荒げ、二人を引き離そうと我を忘れてカーテンを振り払い飛び出す。


「とにかく……っ、離れろっ」


 しかし、それと同時に――――あられもない姿をお披露目してしまった。


「あらぁ……」


「お、お、お、おまっ」


 普段から男性の視線を集めてしまう自分の身体にコンプレックスを抱いていたヘルメスだが、今はその魅惑的な凹凸がボンテージを着用した事で存分に発揮されている。

 隈なく手入れされたきめ細かな白い肌は黒のエナメル生地が包む事で更に際立ち、美しい染み一つ無いその美肌を輝かせていた。

 胸やヒップに至っては男の煩悩をこれでもかと煽るかのように強調されており、清楚なヘルメスからは想像できない卑猥さを醸し出している。

 スラリと伸びたその美脚も男ならば誰もが我を忘れて興奮して止まないだろう。

 しかし、一番評価すべき点は――――


「……ッ!?」


 成り行き状ではあるがヘルメスはエルサリアの挑発に乗り、ボンテージを手にして自ら試着室へと入った。

 だが、決して自ら好んでボンテージを着用しているわけではないのだ。

 そこからくる恥じらいこそが、一番男心をくすぐる武器となる。

 言わば、卑猥な衣装を着て恥らうヘルメスの姿こそが興奮する最高の材料だったのだ。


「あ、ぁ……」 


 自分の姿を見つめて唖然とする二人の反応に、ヘルメスはふと今の格好を思い出す。

 露出された肌を尋常ではない汗が伝っていく。

 喉を鳴らし、今着用しているボンテージへ視線を徐々に落としていくと。


「み、っ、み、見っ、」


 瞬く間に表情を赤く染め上げ。


「見るなぁあああああああああっ」


 ヘルメスは瞳を潤ませながら露出した肌を隠すように両手で自分を抱きしめその場で屈でしまう。

 凛としたいつもの姿とは対照的で、ジンは床に伏せたままそのギャップに鼓動を高鳴らせていた。

 エルサリアはと言えば、縮こまるヘルメスの様子が面白かったのか嬉々とした表情で近づき。


「これは勝負ですのよ? そんな風に隠していては勝負になりませんわ。さぁ、早くジンに勝敗を決めてもらいませんと」


「や、やっぱり無理だ! こ、こんな恥ずかしい格好をジンに見せられるわけないだろ!?」


 エルサリアは誇らしげに両腕を組み、胸をここぞとばかりに強調させてジンに目配せする。


「お、おい。嫌がってるじゃねぇか、もう良いだろ……」


 しかしここで考え込んでしまう。


「いや待て……。でもなぁっ、……あぁっ、どうすりゃ良いんだっ!?」


 体育座りで両耳を塞ぎ全力で嫌がるヘルメスの姿は見て助け舟を出してみるが、確かに間近でよく見てみたい気持ちはあった。

 ジンは両手で頭を押さえながら床の上で己の煩悩と激しい闘いを繰り広げていた。


「いいえっ! このわたくしとの勝負から逃げることなど許しませんわっ! さぁ……っ、――――良い加減に立ちあがりなさいっ!!」


「ちょ、こっ、やめっ、」


 強行手段である。


「きゃあああああああああっ!?!?」


 エルサリアは頑なに拒み続けるヘルメスの両手を掴み、強引に引き上げその場に立たせたのだった。


「いや……っ、み、見る、な……っ」


 大量の涙を流し、羞恥心のあまり頭から湯気が出ているかのようだった。

 強引に引き上げられた事でヘルメスは両手を吊るされたような格好で立ち上げられ、胸や腋が露わにも晒されてしまう。

 ヘルメスの卑猥な姿を目にしたジンは――――


「ぶふぅっ!!!!!!!!」


 店内に鮮やかな血飛沫が舞う。


「「ジンっ!?」」


 遂に脳が度重なる興奮に耐えきれず限界を超えてしまったようだ。

 トドメの一撃は間違いなくヘルメスである。

 まさにジンはヘルメスによって言葉通り悩殺されてしまったのだ。

 ジ盛大に鼻血を吹かし、しばらく床で痙攣しながらピタリと動きを止めて意識を失う。

 慌てて駆け寄ってきたボンテージ姿の美少女二人に抱きかかえられながら、ジンはとても幸せそうな表情を浮かべながら安らかにこの世を去っていた。

 その反応が全てを物語っており、今回のボンテージ対決はヘルメスの勝利と、ジンの死で幕を閉じたのだった。

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