11話:狂気の招待状
高級宿泊施設として恥じない酒場。
高級感漂う店内にて、一際目立つ一行が食事と会話を繰り広げている。
美男美女の席は周囲から羨望の眼差しを向けられていた。
「ジル=ドレェク。通称、青髭侯爵と呼ばれる元貴族ですわね。まさか、この地で彼に会うだなんて思いもせませんでしたわ」
前掛けを首から垂らし、目の前のステーキをナイフで切り取るエルサリアの姿は気品を感じさせる。
「確かに驚かされましたね。彼はあの戦争からしばらくして、忽然と姿を眩ませていました。周囲の反応からして、恐らくフラウディーネでは素状を隠して生活しているのでしょう。しかし、この街は四大国家のアルゴリストンとラティーバの境界に位置します。それなのに、誰も彼の存在に気づかなかったのでしょうか?」
食事には手を一切つけず、時折外を眺めてはワインを飲むバレットの哀愁漂う姿は非常に絵になる。
「何故、ドレェク侯爵はギリスティアから消息を絶ったんだ? 自分は彼の事を父様や師匠から少し聞いただけで、具体的にどのような人物なのか詳しく知らないのだが」
二人を完全に突き放すペースでワインを飲み干すヘルメスはすっかり顔を火照らせ、いつも以上に魅力的な雰囲気を醸し出していた。
「おーほっほっ! 相変わらず無知ですわね、ヘルメス。貴女も一応、貴族の出ならもう少し教養を持つべきですわよ」
「べ、別にエルには関係ないだろっ!」
「お嬢、それよりも口元にソースが付いていますよ」
口元にソースをつけて高笑いするエルサリアに、バレットは命じられるよりも先にズボンのポケットからハンカチを取り出し主の口元を拭う。
しかし、公然の目の前で恥を晒したエルサリアはすっかり顔を真っ赤にさせ、バレットの頭を拳で強打してしまう。
「ちょ、わ、わざとですわ! あ、貴方の忠誠心と気遣いを試しただけに過ぎませんことよ!」
「だ、だからって殴る事ないでしょ!?」
タンコブを作ったバレットは僅かに涙を浮かべ、主の横暴な態度に文句を放つ。
それを他所にエルサリアは奪ったハンカチで自ら口元を拭っていく。
「フフ。本当に昔から仲が良いな、君達」
呆れた様子でそう溜息混じりで零すヘルメスに、エルサリは両手を強くテーブルに叩きつけ顔を紅潮させて逆上する。
「主従関係に仲が良いとかありませんわっ! 大体、何なんですのっ!? 貴女、私達が来る前からあんなにボトルを空けてっ!! 誰がその代金を支払うと思ってますのっ!?」
「な、心外だぞっ! 元々、君がこの宿に滞在している間は自分達の分まで全てお金を払うと言っていたじゃないかっ! だから自分はこの宿に滞在してやってるんだっ! でなければ誰が好き好んでエルと衣食住を共にするかっ!」
「まぁまぁ。そうまでしてお嬢はヘルメスさんと共に休暇を過ごしたかったのです。そして、それを了承した時点でヘルメスさんも満更でもなかったのでは? やれやれ、本当に仲が宜しいのはお二人の方ですよ」
痛みが和らいできたバレットの一声に、少女達はタミング良く声を揃えて押し迫る。
「「仲良くないっ!!」」
両手を前にして身を守り、身体をビクッと反応させて後ろに仰け反るバレット。
「……左様でございますか」
そうは言いつつも昔から相反する二人だが、どこか通ずるものがあった。
つい、第三者の立場から感慨深くバレットが干渉に浸っていると。
「あぁん!? もう飯食い始めてたのか!? チッ、俺も急いで喰わねぇとっ!」
涎を垂らしながら遅れてきたジンが慌ただしくヘルメスの横につく。
ジンの姿にヘルメスは僅かに表情を緩ませるが、すぐさま鬱憤を放出させていく。
「ジンっ! 今何時だと思ってるんだ。もうお腹が減ってしょうがないぞ!」
「あぁ? まだ食ってなかったの? ホント律義な奴だな……。どうせ剣女のおかげで喰い放題だってのによぉ」
「じ、自分は――――ずっとジンを待ってたんだっ!」
「お、おいっ、ぐげっ、ぐ、ぐるじぃ……」
「問答無用だっ!」
「ちょ、おまっ、さ、酒飲んでんのかっ!?」
ワインばかりで食事をまだとっていなかったヘルメスは悪酔いしていた。
ジンが酔っ払いに首を絞められてブンブン振り回されていると、エルサリアは慈しむ眼差しで肘をテーブルつき、ジンを誘惑していく。
「ジ~ン? ささっ、お腹が減っていたのでしょう? そこの泥酔おバカと一緒に居たのではロクな食事がとれませんものね。それに引き換え私のモノになれば毎日でも高価な食事にありつけますわよ?」
「確かに。お嬢と行動を共にするようになってから私の食生活はガラリと変わりましたからね。おかげさまで健康そのものですよ」
とぼけた口調でどこかこの状況を楽しむバレットの口添えにヘルメスは取り乱していた。
「なっ!?」
もはや食欲のみで生きているのではと感じさせる程にジンの食欲は旺盛。
エルサリアの誘惑を危惧したヘルメスは慌ててジンの首から両手を離してエルサリアに言い寄る。
「げほっ、げほっ」
ようやく解放されて息を乱して苦しむジン、そしてバレットは修羅場を目の前にして胸高鳴らせていた。
「エル……。この際だ、ハッキリとさせておこうっ! この前、君はジンを犬にしたいとかなんとか戯言を言っていたな」
「あら? それがどうしましたの? 私はジンに興味がありますの。ヘルメスには関係の無い事でしょうに」
両手をテーブルにつき、威圧的な態度を取るヘルメスにジンは怪訝な表情を浮かべていた。
更にそれを煽るようにエルサリアは肘をついたまま、甘ったるい声で挑発していく様子を見てバレットは笑顔を浮べていた。
ヘルメスとエルサリアの間に殺伐とした空気が流れ始める。
しかし、冷静な男二人とは対照的に、女同士の修羅場を感じた周囲の客達は息を呑む。
「……おいおい、誰か止めに入った方が良いんじゃねぇか?」
「あぁ。だが……下手に首突っ込むとこっちにまで飛び火がきそうだぞ」
「しっかし、あの男共はよくあんな平然としてられんな……」
ヘルメスとエルサリアが互いに火花を散らす中。
「おい、銃野郎。これ結構うめぇな、何の肉だ?」
「あぁ、それはササラウオと呼ばれる魚のステーキですよ。肉と変わらないその食感から、体型を気にされる方々に人気があります。この際、私の分に何の許可もなく手をつけている事は置いておきましょう」
「最近、ロクなもん喰ってなかったんだ。アンタ、相当いつも良いもん食ってんだろ? オススメがあんならどんどん注文してくれ。俺の胃袋は限界を知らねぇから遠慮すんなよ」
「なるほど……。それでは私もそろそろ、つまみに何か注文しましょうかね」
男同士は意外にも和気あいあいと食事を楽しみ始めていた。
「ジンはペットじゃないんだっ! 大体、今は自分と行動を共にしているっ! どうしてもジンが欲しいというならば、まずは自分に話を通すのが筋ではないのかっ!?」
「そんなにキャンキャンと吠えないでくださいます? 今は食事ですのよ? みっともない。それに、女性一人であんなにボトルを空けて……まったく品性の欠片も感じませんわね」
些細な言い争いはしばらく続いた。
周囲の客達はオロオロしながら席を止む無く立ち、店内から逃げ去る者も多かったという。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いつしか口論に疲れたのか、ヘルメスとエルサリアは疲れ切った表情で椅子にもたれていた。
その傍らにはいくつものボトルが空の状態で置き去りになっている。
静かに食事を進めていたジンとバレットだが、このままでは終わらない。
平和的に食事を終えるかと思われた所に、一石投じられる。
「……で、ジンさん。あの麗しい女性と一体どのようなご関係で? 最近あまり女性とお付き合いしていない私としましてはまったく羨ましい限りでしたよ」
「……あぁん?」
ふと、コルチカムについて触れてきた。
今では山積みになった皿とボトルが霧散する卓上で、ジンは手を止めて複雑そうに皿を見つめだす。
コルチカムは言っていた。
自分が、彼女の全てを奪ったと。
「そういえば、ジンの知り合いと宿の前で話し込んでいたようだが、それはドレェク侯爵ではなかったのか?」
椅子から背を離し、不思議そうに自分の顔を覗き込むヘルメスのあどけない表情が今のジンにはとても辛いものだった。
今はまだ話せる気分ではない。
一度、気持ちを整理する必要があった。
咄嗟にジンは顔を上げて別の話題を持ち出す。
「そういや、ジルが言ってたぜ。なんか宴すっから来ないか? って」
その瞬間、バレットの表情が一瞬曇る。
バレットだけではない、ヘルメスとエルサリアまでが表情を変えていた。
場の空気が一転した事で、ジンは自分が何かおかしな事でも言ったのかと不安になり三人の顔を見渡す。
すると。
「……それなら私達も誘われましたわよ」
エルサリアは気だるそうに椅子から背を離し、封筒に包まれた招待状を人差し指と中指に挟んでジンとヘルメスに見せつける。
それを見たヘルメスはジルの発言を思い出す。
「どういう事だ? 自分達はドレェク侯爵の知人として招待されたのだが、エル達も彼とは以前からの知り合いだったのか?」
神妙な面持ちで対面の席に座るエルサリアに問うと、バレットはその横で両腕を組み深い溜息を吐く。
「……我々は彼と今日初めてこの宿で出会いました。しかし、お嬢はご存知の通りウェーランドの末裔であり、有名な貴族でしたからね。彼の宴には沢山の貴族が招待されるようですから、今回はたまたま居合わせたお嬢も招待されたのでしょう。ですが……」
バレットは一瞬口ごもり、横目でエルサリアに視線を送った後に告げる。
「ジル=ドレェク、青髭侯爵にはまことしやかな黒い噂があります」
ヘルメスの嫌な予感が浮き彫りになっていく発言だった。
「……黒い噂だぁ?」
真っ先に喰いついたのは彼と旧知の仲であるジンだ。
かつて、ルルと共に交友があったジンは怪訝な表情でバレットの発言に耳を傾ける。
「実は彼が主催する宴には表立って公表できないような商品が販売されている……と、聞いた事があります。しかしこれはあくまで噂程度で証拠もありません。他には闇貴族と呼ばれる裏社会の重役なども出席しているとだか、軍事転用する為の生物兵器として災獣の研究に莫大な資産を投じていたという噂もありますね」
続いてエルサリアが真剣な表情で暗い噂を語る。
「終戦後、青髭侯爵は酷く精神を病んでいたそうですわね。それが原因なのか、戦果で得た富、あまつさえ先代から受け継いだ財ですらその全てを呉楽や錬金術に投資していたらしいですわ。それが真実かどうかわかりませんけど、現に……遠の昔に彼の城はギリスティアに差し押さえれていますわ」
ヘルメスもそこが気になっていたのだ。
エルサリアが語った噂はヘルメスも聞いた事がある。
「彼が大金を叩いて錬金術師を雇っていたという話ならば自分も聞いた事がある。父様もドレェク侯爵から何度か誘いを受けていたようだった」
今では貴族ですらなく、財産も底が尽きたであろう彼がどのように宴を開催しようと言うのだろうか。
その資金源は謎が深まるばかり。
妙な沈黙が流れる中、それを破ったのはジンだった。
「……おい、銃野郎」
何故か表情を青ざめるジンの呼びかけに、バレットは少し驚いたのか僅かに間を空けて返す。
「どうかされましたか……?」
その異変に気づいたヘルメスは不安そうにジンを見つめだす。
「今……ッ、ジルが生物兵器として災獣を研究をしてたって言ったのか……ッ!?」
ジンにはその噂に心当たりがあったのだ。
「えぇ。しかし、これはあくまで噂です……。顔色が優れませんが……本当に大丈夫ですか?」
「――――のか……ッ」
「……はい?」
小声で囁かれたその言葉をバレットが聞き直すとジンは声を荒げる。
「あいつはルルを利用してたのか……ッ!!」
怒りの込もったジンの拳がテーブルを真っ二つに砕き割る。
これにはエルサリアも動揺し、つい腕を交差させた変な格好で反応してしまう。
「きゅ、急にどうしましたのっ!? それにルルって誰ですのっ!?」
ルルをまったく知らないエルサリアとバレットにはその行動が理解できないでいた。
大量の青筋を浮かべ、怒り顕なジンの姿にバレットは開いた口が塞がらない。
只事では無い。
こうして周囲を気にせず溢れんばかりの殺気を放つジンは、花畑でヘルメスとエルサリアが対峙して以来だった。
「ジン、教えてくれ。君と、ルルはドレェク侯爵の間に何があったんだ?」
泥酔していたにも関わらずヘルメスは冷静にジンの両肩に手を乗せ、とても暖かく柔らかい口調で顔を近づける。
その光景に、バレットは思わず表情を緩ませてしまう。
逆に、主であるエルサリアは挙動不審に視線を何度もヘルメスとジンに向けて困惑していた。
「もし……その噂が本当なら……ッ、あいつは……、――――あいつは災獣を利用してきっとやべぇ事するつもりだぞ……ッ!!」
それは善からぬ前兆を匂わす内容だった。
「それは……どういう事だっ!?」
「……ジンさん、詳しくお聞かせ願えますか」
ジンは最悪の未来と、ルルを利用されたその怒りをぶち撒けていく。
「あいつはルルから自分が雇った何人かの錬金術師に強力な災獣の構築方法を教わってたんだ……ッ、人間じゃ寿命や体力に限界がある、なら人間より強力かつ寿命の長い災獣を構築して世界中のガキ共を守ろうって綺麗事を並べてなッ!!」
――――フフ、ジン。世の中には優しい人間が一杯居るのよ? 善の心を信じる事。これは本当に大切で難しいわ。まずは信じる事を忘れないで。裏切られても良い、誰かの役に立てる事に幸せを感じて欲しいわ。
血走った眼差しでルルの善意を利用された事で歯軋りを鳴らす。
「元々、まったく違う生物の式を混ぜるなんて高等技術らしいじゃねぇか……ッ、それが強力かつ生命力が高ぇバケモンを構築しようってんなら必然的に相当な時間と労力を使うんだろ……ッ、けど、あいつはそれを短縮する効率的な方法をルルから教わってた……ッ、あれからもう何年も経つ……ッ、今頃どえれぇ数のバケモンが量産されてんだろうよ……ッ!!」
人間よりも強大な力を持ち、生命力が人間の比ではない災獣の軍団。
それが一個人の手の中にある。
噂によればジルは軍事転用を目的に強力な災獣を求めていた。
ヘルメス、エルサリア、バレットは最悪の未来を予測して口にする。
「――――戦争、でも引き起こすつもりなのかしら。愚か者は唐突に強大な力を得た瞬間、それを我が物顔で自身の心を制御できなくなってしまうもの」
エルサリアは両腕を組み、反吐が出そうな表情で苛立ち口調を強める。
「あの大戦をきっかけに失意に落ちたはずの彼が今更、新たな争いを求めるとは考えにくいですが……確かに人という存在は愚かですからね。どのような思想の元、動いているのかわかりません。ですが、もしかすると――――」
同意見だと頷いたバレットだが、もう一つの仮説を口にしようと瞬間。
それよりも先にヘルメスが同じ仮説を口にした。
「――――表立っては公表できない商品の販売。噂が真実ならば、その災獣達が商品ではないのか……ッ」
バレットはまったく同じ仮説を立てていたヘルメスに賞賛の眼差しを向けて微笑み黙り込んでしまう。
目を伏せて溜息を吐くエルサリアも首を頷かせてその仮説に賛同の意を示す。
「……ですわね。闇貴族に売買する事で今までずっと資金を調達していたのかもしれませんわ。そうなると恐らく今回の舞踏会でも高確率で出品されるかもしれませんわね。……まったく傍迷惑な話ですわ。もしこの仮説が正しければ、青髭侯爵は自ら戦争を仕掛けるつもりは無いと判断できますけど、悪戯に狂気を振り撒く……まるで狂った錬金術師のように性質が悪いですわ」
ジルはフェイクと繋がっているかもしれない、ヘルメスが感じた嫌な予感が確信へと近づきつつあった。
自国に追われる身のヘルメスだが、それでも王従士の端くれだ。
凛とした表情でエルサリア、バレット、そしてジンに頼もしい笑顔で告げる。
「せっかく向こうから招待してくれたんだ。舞踏会に参加してみればドレェク伯爵が白か黒かはっきりする。例えこれが罠だったとしても見過ごすわけにはいかない。自分はこの誘いに乗るぞ」
ルルの優しさを、想いを踏みにじられた。
これは絶対に許せる事ではない。
ジンは両肩にヘルメスの温もりを感じながら冷静さを取り戻した顔を上げて鋭い牙を光らせる。
「ケッ、タダ飯喰いまくって破産させてやんぜ……。そんでもって死ぬ程後悔させてやる……ッ!!」
ジンとヘルメスの参加を示した事で、エルサリアは妖艶な笑顔を見せた。
「面白そうじゃありませんの。丁度、休暇中だというのにまったく華やかさに欠けてましたの。やはりここは舞踏会の一つや二つ参加して暇潰しでもしておかなければ日頃の鬱憤が晴らせませんわ。それに、青髭伯爵はかなりの芸術品愛好者として有名ですし――――」
最後に少し儚い表情を浮かべ。
「”探しているモノ”が見つかるもしれませんしね……」
「……」
ヘルメス達との同行を決めたエルサリアだったが、主の決定とは裏腹にバレットは場の空気から逸脱していた。
次々と参加を示していく中、険しい表情を浮べている。
両手を硬く握った状態で肘をつき、切羽詰った表情で真剣そのものだ。
いつもの胡散臭い笑顔は完全に消えており、一人沈黙を通していた重い口を開く。
「……お嬢、私は反対です。罠だと疑いながらヘルメスさんやジンさんがその渦中に身を投じる事を止めはしません。ですが……お嬢は別です。そのような危険な場所に向かうだなんて、私は断じて許しませんよ」
一見、主の身を心配する従者として何の疑いようが無い完璧な反応にも見える。
しかし、バレットは別の観点からエルサリアの身を案じていた。
そうとも知らずエルサリアと言えば。
「この私の決定に従えないと仰るのね? とんだ従者ですわね」
「いっ、痛っ、痛いですってええええええ」
バレットの頬をこれでもかと引っ張り痛めつけていく。
「あらぁ? 痛いのは当然ですわ。何せこれは躾ですもの。痛くないと躾になりませんでしょ?」
「しょ、しょんなあああああああッ」
普段は常に冷静な態度を振舞っていたが、今では大粒の涙を零して激痛を訴えるバレットの滑稽な姿がジンを愉快な気持ちにさせていた。
自然と笑みまで浮かべてしまう程だ。
そんな時、憂さ晴らしができて少し気が紛れたジンにヘルメスがそっと耳打ちをする。
「ジン、部屋に戻ったら少し良いか? 知恵の蔵で自分が体験した事を今日中にどうしても伝えておきたいんだ。ぜひ、相談に乗って欲しいんだが……」
「あぁん? 改まって何だよ。……そういや、ジュリアスの部屋から赤黒い光が溢れてたけど、また何かしでかしたのか?」
反逆の式によって目撃した過去の追憶。
ルルや青白い髪の青年の事、ヘルメスはその全てを話すつもりでいた。
外はすっかり日も沈み、一面が暗がりに包まれている。
夜はまだまだ長い。
もう一つの場所で、疑惑の人物も同じ夜を過ごしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いつからだろうか、夜の方が昼より長く感じる。
ジル=ドレェク侯爵。
彼を語るにはあまりに時間を要する。
ギリスティアの貴族として生まれ、祖国の為に剣を握った英雄的存在。
彼は今、祖国から消息を絶ちフラウディーネのとある場所に屋敷を構えていた。
「はっはっはっ、続々と招待状の返事が来ているな。まぁ、当然だろう。なにせ今回の宴は”特別”なのだから」
子供達が寝静まった屋敷の中で、まだ明かりが灯る部屋が一つ。
豪華な装飾品や芸術品に囲まれ、ジルは自室に籠りテーブルに置かれた何通もの参加表明に目を通して喜々と声を弾ませていた。
コルチカムは部屋の片隅で静かに両手を前に組み、自分達の面倒を見てくれる父の喜ぶ姿をじっと見つめていた。
「コルチカム、宴の手筈は整っているかい?」
参加表明に舌鼓しながらコルチカムに目もくれず確認すると。
「はい、お父様。問題無く進んでいます」
伏せ目がちに僅かに声を震わせて返答した。
怯えるコルチカムを気に留める事なく、ジルは満面の笑みを浮かべていく。
「宜しい。……まったくもって待ち遠しい。今回の宴は今までの比では無い。各著名人だけでなく、”彼”まで参加すると報せを寄越してきた。実に楽しみでしょうがない」
ジルが一体誰の参加を待ちわびているのかコルチカムは知らされていない。
ふと気になり、自然と口にしたその質問がジルを更に興奮させていく。
「彼……ですか?」
途端に椅子が転げ落ちる音がした。
「痛ッ」
ジルは興奮したように椅子から立ち上がるや、コルチカムに詰め寄り両肩を強く握って壁に押し倒したのだった。
「ハァ、ハァ、知りたいか!?」
もはや、いつもの穏やかな笑顔はそこになく。
まるで何かに取り憑かれたように、瞳孔を開き、狂気染みた笑顔で息を荒げている。
血走った視線に当てられ、恐怖によってコルチカムの身体は一切の自由を封じられてしまう。
後悔の果て、コルチカムは身を縮込ませる事しかできなかった。
「ご、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」
「あぁ私の愛しい娘、コルチカム。お前は特別だ。その愛らしい顔に私は惚れ込んでいる。そして残酷で醜く歪んだ私を、父を、主を、未来永劫その美しい眼差しで見つめ続けておくれ」
顔を背けて怯えるコルチカムの頭を強引に掴んでは自身の顔へと向けさせる。
恐怖で引きつったその表情にジルは背筋をゾクゾクとさせていた。
既に遥か昔に、彼は歪みに歪み、堕ちていた。
コルチカムの顔、声はジルを更に興奮させるスパイスでしかない。
「こうして……美しい”物”を愛でていると心が落ち着くのは何故だろうか。芸術品や骨董品だけでなく、人でさえ美的価値を持つ物に私は目が無い。……未来永劫、お前だけは私の物だコルチカム。お前は他の物とは違う、特別な存在だ。お前だけは決して手放さないと聖処女に誓うよ」
慈しむように柔らかい笑みを浮かべ、歪な愛を唄うジルの姿にコルチカムは戦慄して終始無言のままだった。
すると。
「……返事は――――どうしたァッ!!!!!」
思い通りの反応を示さないコルチカムに苛立ったジルは大声で叫びながら強烈な平手打ちを放つ。
「っかはッ、ぁ、っ、ぅ、っ、うぅ、」
赤く腫れあがった右頬に手を当てながら、涙を流して床に座り込むコルチカムの姿はどんな有名画家が描いた絵よりもジルを心躍らせる。
「……」
背徳的なその光景にジルは満足したのかその場に静かに膝をつき、涙を流すコルチカムを優しく抱きしめて愛情を表現していく。
恐ろしい言い訳を交えながら。
「……すまない。許しておくれコルチカム。そして、どうか愚かで醜悪な父の愛を受け入れておくれ。私の心には悪魔が住み着いている……。断じて私の意志ではない。悪魔の仕業なのだ……。本当の私ではないのだ……」
優しい手つきでコルチカムの頭を撫でながらジルは仲直りの提案を強制する。
「そうだ、お菓子を買ってあげよう。先日、大口の取引を終えたからな。金ならまだまだ残っている、それで手を打とう。文句は無いね?」
そう言ってジルはにっこりと微笑み、コルチカムの涙を指で拭う。
これで何度目だろうか。
コルチカムはお菓子を与えられて喜ぶ程の歳でもない。
ジルの腕の中でコルチカムは虚ろな瞳を浮かべて頷く事しかできない。
「……お父様。オーキッドやデイジーが居なくなって他の子達が悲しんでます。あの子達にもお菓子を……」
「はっはっはっ、コルチカムは本当に優しいね。わかった、あの子達の分のお菓子も買ってあげよう」
コルチカムの脇を抱え、共に立ち上がるとジルは手を繋いである場所まで移動を始める。
薄暗い廊下は永遠に続く闇の中のようにすら思えた。
だが、一度その部屋へと訪れるとこの廊下を永遠に彷徨っていた方が良かったとさえ感じる。
ジルに引き連れられた場所は屋敷の隠し扉を潜り抜けた最下層に位置する場所だった。
複数ある内の扉が一つ開かれた瞬間、一気に血生臭い匂いが鼻につき吐き気を催す。
コルチカムが表情を歪めて見つめる視線の先には、傷だらけで全裸を顕にした鎖で壁に繋がれる幼い少年少女が何人も居た。
前面真っ白な空間。
その壁に備え付けられた大量の簡易式が光源で少年少女を照らている。
他には黒いローブを被った二人の男性が少年少女の傍らで何やら作業を行っていた。
男性達はジルが訪れた事に気づくと作業を中断して会釈する。
「――――む、侯爵? こんな夜更けに商品の確認ですかな?」
「少々お待ちください侯爵。今、丁度手入れが済む所です」
「うむ。宴が近づいている。私に気を遣わずそのまま作業を続けてくれたまえ」
用意されていた簡素な椅子にジルは腰掛け、コルチカムはその背後で視線を逸らして待機する。
一人の男性が一本の簡易式の蓋を開け、傷だらけの少年の腕に垂らすと。
「~~~ッ!!!!!」
顔面を覆う拘束具で叫びを封じられた少年の腕が硫酸で溶けるように蒸気を発していく。
「んー、実に良い音を奏でる。が、まだ物足りないな……。いつか、”死の芸術家”が奏でる本当の音を直接拝聴したいものだよ」
悶え苦しむ全裸の少年はあまりの激痛に絶えかね、遂には失神して大人しくなる。
その光景をジルは恍惚とした表情で見守っていた。
「あぁ私の可愛いロータス……。こうして次の宴で出荷されてしまうのかと思えば胸が締めつけられるよ……。お前との営みは私の中で忘れられない記憶だ。首を失った妹と交いながら私に操を犯されていた時のお前の表情は天にも昇る程に滾るものだった。だが残念だよ、もうお前は大人になってしまった……」
ジルはロータスと呼ばれる少年の陰部に視線を向け、首を横に振って溜息を吐いて惜しむ。
「不潔だ……。穢れている……。私は純粋無垢な美しいロータスを愛していた。だが、お前の身体はどんどん成長してしまった……。もはや今のお前を私はとてもではないが愛せない。せめて、高値で売れておくれよ。はっはっはっ、何も心配はいらないさ。私はお前をこれ以上愛せないが、きっと他の誰かはこれからもお前が死ぬまで愛してくれるさ」
壊れている。
この空間そのものが。
平然と、事務的に拷問染みた作業をこなす錬金術師達が。
なによりも、ジル=ドレェクは人格が破綻している。
コルチカムは瞳を硬く閉じ、おぞましいこの現実から目を逸らす。
左腕を右手で掴み、耐えるしかなかった。
コルチカムがジルに保護されてから日はまだ浅い。
しかし、精神的な限界はもうすぐそこだ。
毎晩繰り広げられる惨劇に、耐えられないでいた。
「侯爵、消毒と手当ては済みました。しかし、今回はあまりに急で無茶でしたな。本来であればコレは元々、花々の細胞を活性化させる簡易式ですぞ。それを人体投与できるよう改良するだけでなく、致死量に達しないギリギリまで濃度を高めて使用せよとは……」
「まったくでございます。明日には全部の手当ては終わりますが、この薬品を開発するのに膨大な資金が掛かってしまいました……。次回からはしっかりと段取りをですね……」
不満と苦労を漏らしていく雇った錬金術師達にジルは頬を掻きながら申し訳そうに微笑んで詫びる。
「はは……、まったくだ。返す言葉が見つからん。それでも、やはり君達は優秀だ。高い金を払っただけはある、他の凡才共とは質が違う。開催を急ぐ私の願いを見事叶えてくれた」
ジルには錬金術の才能が無かったが、それでも錬金術の神秘性や可能性の虜になっていた。
熱中する余り、こうして多額の報酬を支払う事で腕利きの錬金術師達を何人も抱えていたが、今ではこの二人のみだ。
他の錬金術師達はジルの行いに耐え切れず、決まって何故か消息不明の運命を辿っている。
「さて……今回の参加者は奴隷商会と闇貴族だけではない。中途半端な商品を出そうものなら、私の評価にも繋がってしまう。期待しているぞ、”アマリリス”」
実はずっと部屋の片隅で待機していた異形の存在。
ジルは視線を向けるでもなく、鎖で繋がれた少年少女を眺めながらその名を呼んだ。
錬金術師達と同じように、全身黒いローブで包まれた人間離れした巨体を持つアマリリスと呼ばれる存在は返事もせず、そこで立ち続ける。
コルチカムはその名を聞くだけで胸が張り裂けそうだった。
「……」
今もローブの影から僅かに見える碧眼は怪しく光り、コルチカムを見つめていた。
どこか憤りや哀しみを感じさせる。
嫌気が差してしまう。
救いが無ければ、神も居ない。
この世で信じられものは己だけ。
深い闇を抱える少女は今日も涙を流す。




