表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒匣の世界式  作者: 喜怒 哀楽/Yu1
虹色の園
68/80

10話:再会した二人

 ヘルメスが二人に気を利かせて知恵の蔵ブックエンドを後にして数時間が既に経つ。

 深い茜色の空が静かにフラウディーネを包み、花々を朱色に染め上げていく。

 昼間とはまた違った美しい景色へと夕日は塗り替えていき、人々も仕事を終える準備に取り掛かっていた。

 一人宿へと戻ってきたヘルメスは自室に戻ると錬金術師のコートを置き、宿泊施設の酒場へと足を運んでいた。


「あの青白い髪をした男は一体何者だったんだ……」


 運命と対峙した一人の女性が残したあの景色。

 コートを脱いだおかげで大胆に肩を露出させるヘルメスは一番端のテーブルに座り、憂いの瞳で窓から外をぼんやりと眺めていた。


「っ……」


 思わず歯を食いしばり苛立ちの表情を浮かべてしまう。

 あの時。

 ヘルメスは旧支配者オールド・ワンと思わしき青年に成す術がなかったのだ。


「とにかく今は忘れよう……。今日はもう疲れてしまった……」


 あまりの疲労から珍しく酒を頼み、そのグラスを持った手で肘をつきながら一人頭を悩ませていた。

 グラスの氷が僅かに溶け、静かに音を鳴らす。


「ふぅ。それにしても、とっくに夕飯の時間だと言うのにジンはまだ戻ってこないのか……」


 先ほどから食事も頼まずジンの帰りを待ち続けてきたヘルメス。

 溜息を吐き、グラスに入った酒を豪快に飲み干すと。


「ふぅっ! やはり久々のお酒は身体に染みるっ」


 清々しい呑みっぷりを疲労するとグラスをテーブルに景気良く置き、満足気な表情を浮かべる。

 こうして自ら酒を呑む機会は少ない。

 だが既に何杯ものグラスを空にしており、ヘルメスは少しばかり酔っていた。

 頬が微かに紅潮しており、瞳もどこか蕩けている。


「大体なんだぁ? ジンのやつ……。ちゃんと夕食までに戻ってこいと言っておいたのに酷いじゃないかぁ、ひっく」


 ほろ酔いとなったヘルメスに周囲の、特に男性の視線が集まっていく。

 薄い白地のキャミソールの細い紐が片方だけ下がっており、その無防備な姿が男心を嫌でも刺激してしまっていた。

 そうとも知らず、ヘルメスは次々と酒を注文しては全て飲み干していく。 

 すると、ほろ酔いのヘルメスの元に陽気な笑みを浮かべる男性が酒の入ったグラスを片手に声をかけてきた。


「やぁ。さっきからお姉さん一人で寂しそうにしてるけど良かったら相席しても?」


 白い歯を光らせ、明るく微笑む事でヘルメスに好印象を与えようとする。

 しかし、残念ながらヘルメスには男性の思惑は全く通じなかった。


「席なら他にも空いてますのでお構いなく」


 先ほどからこうして何度も声をかけられており、その数はもう覚えていない。

 酒を呑み続けながら時折見せるヘルメスの姿はどこか儚く美しいものだった。

 それでなくともヘルメスの美貌は普段から男女問わず魅了してしまう程のもの。

 更に今は肩を露出しているばかりか、酔いが回っており無防備な姿を晒している。

 こうして何人もの男性が声をかけてくるのは仕方が無い事だった。


「それに自分は人を待ってるんです。すみませんが、ご遠慮願えますか」


「いやぁ、そう言わずにさぁ~」


 冷たくあしらわれようと、男性はしつこくその場から動こうとしない。

 その視線は不愉快極まりなかった。

 何度も顔と身体を交互に見比べる邪な視線にはほとほと嫌気が差してしまう。

 目を伏せ目がちにヘルメスはうんざりして手を雑に振り、そっぽを向いて無視を決め込む。


「そんな素っ気無い態度してないでさぁ、さっきから全然そんな人来なさそうじゃん? 少しぐらい良いでしょ? ね?」


 男性はヘルメスに拒否されようとそれを無視して強引に席へと着いてしまう。


「いや、だからっ――――」


 あまりに図々しい男性の態度にヘルメスは顔を上げて文句を口にしようとしたその瞬間。


「――――失礼、彼女は私の知り合いだ」


「あぁん!?」


 渋く重い声がヘルメスの窮地を救う。

 そこには蒼いオールバックの髪と、丁寧に整えられた顎髭が特徴的な年配の男がそっと男性の肩に手を置く姿が。


「ご退席願えるかね?」


「ぁ……」


 その指全てに金色の豪華な指輪が光り、貴族特有の雰囲気で威圧感を男に与えて退席を促す。

 訝しげに男性が顔を上げると、年配の男性は大きく聳え立つ巨漢だった。

 口を開き暫く無言のまま驚きの表情を浮かべていると。


「何故、貴方がこのような場所へ……」 


 高級感漂う藍色のマントを纏うこの男性の登場に、ヘルメスも驚きを隠せず言葉が途切れてしまう。

 目の前に、ジル=ドレェク公爵が現れたのだ。


「もう一度言おう。彼女は私の知り合いだ、ご退席願えるね?」


 目を細め優しく微笑むが、その声にはどこか抗えない強制力を感じさせる。

 遂にその巨体から発せられるプレッシャーに押し潰され、男性は渋々と席から立ち退くのだった。


「ちっ、何だよ……。興冷めだ……」


 そそくさとこの場から逃げ果せる男性を見送るとジルは苦笑する。

 そして自然な手つきでヘルメスの肩紐をそっと直してやる。


「困ったものだね。君のような美しい女性はあまり一人で酒を呑まない方が良い。君にその気が無くとも、あの手の連中は否が応でも寄ってきてしまうからね」


「あ、ありがとうございます。しかし、ドレェク公爵……。何故、貴方が此処に? 自分達がこの宿に滞在している事は伝えてなかったはずですが……。これは単なる偶然なのでしょうか?」


 唐突に現れたジルに対し、妙な違和感を感じるヘルメス。

 ジルは穏やかな笑みで告げる。


「この世界に偶然など存在しないさ。全ては必然であるが故に、私が今この瞬間に、この宿に訪れる事も定まっていたのだろう」


「つまり、運命の導きによってこの場所に訪れたと?」


「はっはっ、実際にそう言われると大層な事のように聞こえる。なぁに、今日は野暮用でこの宿に訪れていたのだ。そこで、たまたま悪漢に絡まれる麗しき少女に出くわしたかと思えば君だったというわけだ」


 ジルとの会話が運命の歯車デウス・エクス・マキナの存在をヘルメスの脳裏にチラつかせる。

 そして訝しげに黙って見つめるヘルメスを他所に、ジルは穏やかな笑みのまま懐にそっと手を伸ばす。

 次に出てきたのは一通の封筒。

 それを取り出しすや、ヘルメスの前へと静かに置いた。。


「ドレェク公爵、これは一体……?」


 差し出されて封筒をまじまじと見つめながらその中身を問う。


「近々、私が主催する舞踏会の招待状さ。こうして知人を訪ねては招待して回っている最中なのだ。せっかくこうして出会えたのだから、ぜひとも君やジンにも参加して欲しいと思ってね」


 ジルは懐に忍ばせていた何通もの封筒を少し見せ、開催が待ち遠しいとばかりに声を弾ませていた。


「舞踏会、ですか……。しかし、ドレェク公爵が主催されるという事は名高い貴族の方々がお集まりになられるのでは? そんな場所にジンや自分が参加するというのはあまりにも……」


 元々、ジルは大の宴好きで有名だった。

 宴に参加する者は決まって貴族や権力者ばかりだとヘルメスは聞いた事がある。

 そのような舞踏会に自分達のような者が参加して良いものなのかと判断に困ってしまう。

 太ももに両手を置いて困惑しながら招待状の入った封筒を見つめるヘルメスに、ジルはその不安や迷いを吹き飛ばすべく豪快に笑ってみせた。


「はっはっはっ! 先程も言っただろう? 私は知人を集めて個人的な宴を開催したいだけなのだ。私は君達を友人のように思っている。だから何も臆する事なく気軽に参加してくれたまえ。きっと忘れられない夜になる事を約束するぞ」


「で、ですがっ、やはり自分達には似つかわしくない場だと思うのですが……」


 これでもヘルメスは錬金術師の名家、エーテル家の令嬢である。

 しかし、地に堕ちた元貴族だ。

 それに、何かが引っかかる。

 具体的なものでなく、根拠も無い。

 抽象的な、そんな嫌な予感がする。

  

「……まぁ、唐突な誘いだ。君達にも都合があるのだろう。しかしだよ? 開催まで日はある、ぜひとも前向きに検討してみてくれ。願わくば君達が参加してくれる事を祈り続けているよ」 


「はい。ジンと相談しておきますね」


「うむ。それでは屋敷で子供達が待っているのでな。私はこれにて失礼するよ」


 何故、この宿に自分達が泊まっていると知っていたのか。

 様々な疑問と招待状を残し、ジルは影を纏いながらこの場を去っていく。

 振り向くその瞬間、いつもの穏やかな微笑みとは別に歪んだ笑みが見えた気がした。


「ふぅ……。――――世界を蝕む狂気、か」


 ジルが去るや、ヘルメスは肘をついて窓に視線を向けながらこれまでの事を思い出す。

 いつになく険しい表情だ。


「狂った錬金術師フェイクが現れて数年。世界各地で多くの紛争や事件が次々と起きてきた」


 最近の旅で言えば、直接対峙したオプリヌス、そしてファナン。

 彼らは己が欲望に溺れ、狂気に蝕まれていた。

 狂った錬金術師の弟子として悪行を重ね、最後にはギリスティアをも裏切ったオプリヌス。

 道徳を無視した手法で人々を支配下に置き、狂った錬金術師から古代の錬金術を与えれていたファナン。

 二人共がフェイクと接点を持っていた。


「唐突にギリスティアから消息を絶ち、貴族でありながら大戦を勝利へと導いた英雄的存在……。今日まで彼は孤児達の面倒を見てきたと言うが……果たして本当なのだろうか」


 いくら貴族と言えど、彼は全ての財産を置いて消息を絶っていたのだ。

 財政的に多くの孤児の面倒を見るのは無理なはず。

 ヘルメスは今になってそれを疑問に思う。

 そして、先程のジルからは対峙した二人と同じく嫌な影を感じ取っていた。


「はぁ……」


 

 妙な胸騒ぎがする中、しばらく上の空だったヘルメスを女性の声が引き戻す。

 

「おーほっほっほっ! 辛気臭い貧乏女の姿が見えたかと思えばヘルメスではありませんのっ! ご機嫌いかが?」


「む? あぁ、エルか」


「まっ!? なんて失礼な態度ですのっ!? このわたくしを前にあまりにも素っ気無さ過ぎるのではなくてっ!!」


 ヘルメスの反応の薄さに手を仰々しく振って憤慨するエルサリアと。


「まぁまぁ、お嬢。我々も早く席について食事にしましょう。ヘルメスさんも随分と酔ってられるようですが大丈夫ですか?」


 相変わらずそれに振り回され苦笑するバレットがテーブルに置かれた空いたボトルの数を見てヘルメスを心配する。

 ボーっと一人で外を眺めていたヘルメスの周囲が急に賑やかになっていく。

 見知った二人の姿に心が少し和らぐ。

 だが、そこにジンの姿は見当たらない。

 機嫌が悪くなったエルサリアを抑えながら席につくバレットにヘルメスは不安そうに尋ねる。


「バレット、ここに戻ってくる前にジンを見かけなかったか? 夕食までに戻るように伝えておいたはずなんだが、まだ戻ってこないんだ……」


 するとバレットは僅かに笑顔を崩し、窓から外へと視線を向け。


「……安心してください、もうすぐこちらに来ますよ。どうやら外で昔のお知り合いに会ったようですから話し込んでいるのでしょう」


「昔の知り合い……?」


 ジュリアスとは知恵の蔵ブックエンドで別れているはず。

 この街で他に心当たるのはジルだけだ。

 席に着いたエルサリアが大きな声でヘルメスに負けじと酒を注文していき、それをバレットが慌しく制止する中。

 ジンは予期せぬ出会いを果たしていた。




 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 時は少し遡り。

 知恵の蔵ブックエンドからジンが帰路についていた時だ。

 途中でエルサリアとバレットに遭遇し、そのまま三人で宿へと戻ってきていた。

 すると宿の入り口付近には一人の少女が待機しており、ジンはふと足を止めてしまう。

 その正体に気づいたジンはエルサリアと複雑そうな表情を浮かべるバレットを先に宿へと戻し、二人きりの状況を作り出した。

 そして現在。


「まさかこんな場所でまたアンタと会うなんて思いもしなかったぜ。此処に居るって事はジルも来てんだよな?」 


「あはっ♪ そうだよー、お父様なら用事があるらしくてまだ中に居るよっ」


 桃色の長髪を三つ編みにして二つに束ねた美少女が無邪気な笑みでジンの質問に答える。

 幼い顔立ちだが、パッチリとした二重が妙に色っぽく魅力的だ。

 身長はヘルメスとリディアの中間といった所か、正確な年齢はわからないが体型的にはリディアと変わらない。

 白地のフリルミニワンピースを着こなし、黒のホットパンツからスラリと伸びる健康的なニーソ足。

 愛らしいその姿に思わず騙されそうになるが、ジンは先日の件を忘れてはいない。

 宿の入り口から僅かに離れた壁にお互いもたれながら話し込んでいた。


「……こないだ夜道で会った時と全然印象が違うじゃねぇかよ。まるで別人みてぇだ」


 用心に越した事は無い。

 ジンは一見、両手をズボンのポケットに入れた状態で隙だらけ。

 しかしそれは相手を誘いだす餌に過ぎない。

 いざとなれば何時でも迎撃する心積もりでいた。

 数多の戦いで培った経験、勘がこの少女は危険であると警告している。

 気を最小限に抑え、決して悟られぬよう警戒していく。

 だが、少女は無邪気なものだった。


「エヘヘ、そりゃ夜中に騒がしくしてたらお父様に怒られちゃうから大人しとかないとっ」


 その声はとても美しく、忘れられるはずがない。

 この街でジルと出会ったあの時、歪な歌詞を綴っていた美声の持ち主だ。

 ローブで顔が隠れはしていたが、コルチカムと呼ばれていた少女と声が一致している。


「んじゃぁ、ずっと気になってたんだけどよ――――」


 初めて会った時と印象がまるで異なる少女に、ジンは鋭い眼光を浴びて先日の件を問い詰めた。


「とんでもねぇ殺気を俺らに浴びせてたよな? ……余計な言い逃れなんてすんじゃねぇぞ。あんだけの殺気を放たれて俺らが気づかねぇとでも思ったのか?」


「……」


 純粋無垢な笑みを浮かべたまま、すっかり黙り込んでしまったコルチカムにジンは続ける。


「俺かヘルメスのどっちか……あるいは俺ら二人に何か恨みでもあんのか? ありゃ何の理由もなくて放てる殺気じゃなかったぜ。……答えろよ。お前ぇ、本当にただの孤児なのか?」


 するとコルチカムは壁から背を離し、その場で可憐にくるりと一回転し。


「エヘヘ♪」


 悪戯っぽい笑顔で両手を後ろで組みながらジンの顔を覗き込むように見上げる。


「ジンは私の事、なーんにも覚えてないんだねっ♪」


「っ!?」


 口調はとても穏やかで、哀しみを感じさせない。

 だが、滲み出る殺意がジンの胸を突き刺す。


「お前ぇ……何で俺の名前を知ってんだ……ッ」


 コルチカムはニッと微笑むと、ジンの腰に手を回して抱きつき。


「なっ!? ば、な、何しやがるっ!! ヘルメスに見られたらどうすんだよっ!?」


 急に抱きつかれたジンは顔を赤らめてしまう。

 美少女にこうして壁に押し倒されれば、妙な期待が膨らみ心臓が高鳴るのもしょうがない。

 しかし、次の瞬間にその期待は裏切られる。

 その胸をコルチカムは人差し指で静かに突き、吐息がかかる程の距離で耳元で静かにこう囁く。


「ボクはジンの事なら大抵知ってるよ? 名前だけじゃない、ジンの”正体”もね」


 衝撃的なその言葉はジンの鼓動を別の意味で早めていく。

 驚きのあまり言葉を詰まらせ、少女を見下ろすと背筋を凍らせる。


「お前ぇ……っ」


 まるで獲物に狙いを定める怪しい眼差し。

 ジンを横目にコルチカムは心臓部分を人差し指でゆっくりと撫で回していく。


「ふふ……」


 そして薄いピンクの舌を出し。


「っっ!!」


 ジンの首筋を一舐めしてみせた。


「っ!? は、離……れろッ!!」


「きゃっ♪」


 寒気と嫌悪感に襲われたジンは思わず乱暴にコルチカムを突き飛ばすが。


「おーっとっとっ!」


 コルチカムは転げ落ちる所か華麗に着地を決めてポーズをとって余裕を見せつける。

 舐められた箇所を手の甲で拭き取って汗を流すジンに対し、コルチカムは妖艶に舌を舐めずり表情を恍惚とさせていた。


「まったく酷いなぁ! 結構舌使いには自信があるんだよ? もしかして……ジンってば意外とウブだったりっ!? エヘヘ♪ かわいい~」


「う、うっせぇっ!! い、いきなり何してくれてんだよっ!!」 


 警戒して後ずさりするジンに、コルチカムは明るい笑顔でこう告げる。


「ボクは君に大事なものを全部奪われた。だからさ? ジンの大事なものも奪っちゃおうかなぁって♪」


「お前ぇの大事なもんを俺が奪っただと……?」


 再び尋常でない殺気が向けられる。

 コルチカムと出会った事もなければ、何故ここまで殺気を向けらるのかもわからない。

 そして、これまでの態度や話しの内容が矛盾しているような気がする。

 ジンが今までに出会った事のないタイプだ。

 思わず苦手意識さえ芽生え始めていた。


「例えば私の純潔とか?」


 不穏な雰囲気が流れる中、人差し指を下唇に当ててなぞり、首を傾げてとんでもない発言をするコルチカムにジンは盛大に倒れてしまう。


「ば、馬鹿言ってんじゃねぇよっ!! んな事するかっ!! 嘘言ってんじゃねぇぞゴラぁっ!!」


 地面に倒れたままのジンは激しく自らの潔白を訴える。

 その姿が面白く、コルチカムは腹を抱え涙を浮かべて笑っていた。


「あっはっはっはっ、嘘つきはジンの方だよー」


 先程から刺々しい発言とは裏腹に無邪気な子供のように振舞うコルチカム。

 涙を掬うと満面の笑みで静かにジンの元に近づき。


「ボクは絶対に君を許さない」


 明るい美声に憎悪を乗せて。


「ジンが幸せになる事だけは許さない」


 復讐を纏った言葉の暴力を並べ。


「ボクの幸せをぶち壊しにしたんだ。責任取ってよね♪」


 地面に倒れるジンの頭を容赦なく踏みつけた。


「ぐっ、ぎ、お前ぇ……っ!!」


 地べたに這い蹲りながら頭を押さえられたジンは、コルチカムを睨みつけて威嚇してみるが無意味に終わる。

 ジンの威嚇に怯む所か、力をどんどん強めていき一向に足をどけようとしない。


「残念だったね、そんなに睨んだってホットパンツ履いてるからパンツなんて見えないよ。エヘヘ、こうやって一方的に踏みにじられる気分って最低でしょ? それともボクみたいに、自分より小さい子にこんな事されちゃうと逆に興奮してきちゃう? ねぇねぇ、ジンってばー。今どんな気分か教えてよー」


 無邪気な微笑みと共にジンの尊厳を煽り刺激していく。

 それはまるで今までに蓄えられてきた鬱憤を晴らすかのように。

 しかし、この程度でコルチカムの抱える闇は収まるわけがなかった。

 それだけの事を、ジンは過去に犯してしまっていた。

 身に覚えが無い少女との因縁。

 この記憶を紐解くにはまだ時間が掛かりそうだ。


「っ、」


 身に覚えの無い事で一方的に暴言を浴びせられ、暴力を受け入れていたジンだがもう我慢の限界だった。

 ジンは怒りに満ちた表情でコルチカムを見上げ、自身の頭を踏みつける足に左手を伸ばす。


「っ、ざけんな……っ、お前ぇがどこの誰だか知らねぇが……っ、いい加減にしろよ……っ」


 コルチカムの足を掴む手に力を加えていく。


「え? やだ……ボクの足をそんなに掴んでジンって実は足フェチ? そんなにニーソ足が好きだったの? 流石にそんな情報はボクも知らなかったなぁ」


「いつまでも……っ、そうやってヘラヘラしてられっと思うなよォッ!!!」


 口元を吊り上げて余裕の表情を見せるコルチカムだったが。

 

「ちょっ、」

 

 ジンは歯を食いしばり、力任せにコルチカムを片手で投げ飛ばしてしまう。


「うわッ!?」


 そのまま壁に向けて飛ばされるコルチカムだが。


「……ちっ」


 一瞬苛立ちの表情を見せたかと思えば壁に足をつけ、そのままバネのように弾むと無傷の状態で見事に着地を決める。 


「はぁっ、はぁっ、人を変態みてぇに……っ、女だろうが容赦しねぇぞッ」


 その場から立ち上がると口周辺についた砂を左手の袖で拭い、コルチカムを明確な敵として認知して両手を広げ攻撃の姿勢に移る。

 しかし、コルチカムはじっくりとジンを見つめるとその心を深く抉っていく。


「え? 人? やだー、バケモノのクセに人間の真似事なんかしないでよね?」


「なんだ、と……ッ」


 悪びれる素振りも無く、眩しい笑顔を見せる。

 歯軋りを鳴らし眉間にシワを寄せて怒り焦がれるジンの元に、コルチカムは終始笑顔で近づく。


偽人ホムンクルスってさ、所詮は人間を真似ただけの紛い物なんだよ?」


 ジンの正体を、コルチカムは知っていた。

 知っていたからこそ、改めて残酷な現実を突きつけていく。

 精神的に追い込んでいく。


「そうやって碧眼のカラコンなんて付けちゃってさぁ。それで人間に成りすましてるつもりかもしれないけど、見っとも無いよ? 本当の人間になんてジンはなれないのにさ」


 桃色の三つ編みを弾ませ、嬉しそうに声まで弾ませる。


「わかる人にはわかるし、いつ正体がバレてもおかしくないよ? どんな勘違いを起こしてんのかボクにはわからないけど、ジンは立派な”バケモノ”なの。人間と一緒に居ちゃ駄目なの。自分の事なんだから、こんな簡単な事ぐらいちゃんと理解してないと駄目だよー?」


 コルチカムは容赦なくジンの精神を追い込んでいた。

 それは見事なまでに手際よく。

 意気消沈したのか、先程まで攻撃の姿勢に移っていたジンだが。


「ふふ」


「……」


 横に広げていた両手は下がり、表情に影を差して俯いていた。


「バケモノは誰にも愛されないし、愛しちゃ駄目なの。特に、ジンみたいな最低な奴が幸せになりたいとか思う事すら許されない。そうやって惨めに、下だけ向いてれば良いよ。そしたら、ボクがちゃんと後でころしてあげるから♪」


 ジンが近頃気にしていた事ばかりだった。

 自分は偽人ホムンクルス、バケモノだ。

 ヘルメスの側にずっと居たい、だがそれは許される事なのだろうかと悩み、迷い続けた。

 だが――――


「好き勝手……言いやがって……っ」


 もうジンは心に決めていたのだ。

 例えそれが許されなくとも、誰にも認めてもらえなかったとしても。

 ヘルメスと共に歩みたいと。


「んんー?」


 コルチカムが悪戯にジンの頬を撫でようと手を伸ばした瞬間。


「……何? これはどういう事なのかな?」


 ジンはコルチカムの手を掴み制止していた。


「……やだなぁ。顔が恐いよ? そんなんじゃ女の子にモテないぞっ! 大体、ジンは――――」


「うっせぇよ……ッ」


 声の重圧に思わずコルチカムは言葉を遮られ、その代わりにジンは手短に告げる。


「俺の何を知ってるってんだ!! お前ぇがどこの誰で、俺がお前ぇに何したのか全然覚えてねぇ。ただ、これ以上昔の事で俺にちょっかい出してくんじゃねぇよ。俺の邪魔をするってなら――――喰い殺すぞ」


 コルチカムにそう警告して解放するとジンは両手をズボンのポケットに入れて宿の中へと向かおうとする。


「そうやって、自分の事を正当化して沢山の人を食べてきたんだね」


 思わず足を止めて振り向く。


「もっぺん……言ってみろ……ッ」


 血走った眼差しで睨みつけてくるジンに、コルチカムは軽蔑しきった眼差しを向け。


「ジンが積み上げてきた罪はいつまで経っても消えないし、ボクがそんなの認めない。……エヘヘ♪ どれだけ逃げたとしても、どこに隠れようと絶対に見つけ出してちゃんと罰を与えるから覚悟しておいてね♪」


 途中から愛らしい笑顔を浮かべ、コルチカムは腕を後ろに組んで最後にウィンクをした。

 本来であれば男ならドキッとする場面だろうが、あまりにも状況がそれとは異なる。

 明確な殺意と憎悪が取り巻くこの場にジンは完全に飲み込まれつつあった。 


「もうすぐ全部終わっちゃうけど、ボクはずっとジンを求めてた。だからジンもそれまでボクだけを求め続けてねっ、ジンはボクだけのものだからっ」 


 腰に手を置き、人差し指をジンに向けてそう宣言するコルチカム。

 今までの言動全てがジンには理解できないものばかり。

 単純な恐怖ではなく、歪んだ何かを感じさえする。

 ジンは深く溜息を吐くや落ち着きを取り戻していく。


「……本で読んだ事あるわ。確かこういうのストーカーって言うんだったか? 悪ぃが、俺の命狙ってるような女なんか願い下げだぜ。他当たってくれ」


「ボク達はドス黒い糸で結ばれた恋人みたいなもんだよ♪ 愛と憎悪は異なるように思えて本質的には似たようなものさっ」


「あっそ――――」


 コルチカムの言葉を無視し、早くこの場を去りたいという一心で再び宿に戻ろうとするが。

 宿の扉を開き人影が姿を現す。


「アンタは……」


 威厳漂う貴族が一人、用事を終えて帰路につこうと外へと出てきたのだ。

 場の空気はすぐに一転し、日常を取り戻す。


「おやおや?」


 すぐにジンとコルチカムの姿を見つけると、その人物は驚いた表情を浮かべて二人の元へと歩み寄る。


「これはこれは、また珍しい組み合わせだ。ジンは今帰ってきたばかりなのか?」


「よぉ、ジル。まぁ、そんなとこだ」


「はっはっはっ、そうかそうか! しかし、中々どうしたものだ。私の屋敷を全然訪ねてきてくれなかったからな、寂しさのあまり食事も喉を通さない日々だったぞ」


 ジンの両肩を揺さぶり、大袈裟に再会を喜ぶジル。

 どこかバツの悪そうな表情でコルチカムに視線を向けてみると。


「お待ちしておりました、お父様。御用はもうお済でしょうか」


 口調は先程と打って変わって穏やかで礼儀正しい。

 かしこまったコルチカムは両手を前にして深々と頭を下げ、ジルの帰還を迎えていた。


「……うむ。少しばかり遅くなって悪かったな」


 そう短く返事をすると、ジルはジンの両肩から手を離して神妙な表情となる。


「……まさか、私が用を済ませている間に君がコルチカムの相手をしてくれていたとは驚いたぞ」


 コルチカムの変貌とその反応、そしてジルの表情から何かを察したジンは咄嗟に。


「いや、今帰ってきたばっかだって言ったろ。大体そこの女、前に会ったローブの奴だったのか? 全然気づかなかったぜ」


「あ、あぁ。……そうだな、この間はローブを纏っていたからな。ごほん。さぁ、コルチカム。ちゃんと挨拶をなさい」


「はい」


 小さな歩幅で前進し、ジルの横に並ぶ。


「先日はどうも、コルチカムと申します」


 ジルに促され小さく頭を下げて挨拶をするコルチカムに疑問を浮かべるが、どうやらこの対応で問題なかったようだ。

 これ以上、面倒事に巻き込まれたくなかったジンの行動は正解だったらしく、コルチカムは前に会った時と同じように無害な少女を演じていた。

 何とか誤魔化せたようでジルはコルチカムの手を引き寄せて頷いていた。


「そうだ、ジン。先程ヘルメスには話しておいたのだが、近々私が主催する舞踏会に君達もぜひ参加して欲しい。返事は今でなくとも良いからぜひ考えておいてくれ」


「っ!?」


 肩を過剰に反応させるコルチカムをジルは手を乗せて制止する。


「舞踏会だぁ? 俺がんなもんに興味あると思うか? 大体、今はヘルメスだって居るんだ、俺だけじゃ決めれねぇよ」


「それもそうだな。しかし残念だ……」


 ここで、ジンは思わず前のめりになって食いついてしまう。


「大食いの君をきっと満足させる程の豪華な食事を大量に手配していたのだが、どうやらその殆どが無駄になってしまいそうだな」


「行くに決まってんだろッ!!!!!」 


 貴族であるジルが用意するのだ。

 生半可な食事ではなく、今までに味わった事の無いような美味なものばかりだろう。

 更に全てジンに合わせて量も調整してあると言う。

 最近、エルサリアの計らいで極貧生活を脱したジンだが、それでも決して満足いくものではなかった。

 タダ飯、これを断るなど愚者の選択だ。

 豪華な大量の食事を思い描き、涎を垂らして笑みを零すジン。

 これにはジルも流石に引きつった笑顔になってしまう。


「ま、まぁ。よく、ヘルメスとも話し合って決めてくれ。さぁ、コルチカム。子供達が心配だ、屋敷に帰ろうか」


「はい、お父様」 


 ジンは滝のように流れる涎を袖で拭うと帰路につく二人を見送る。

 その去り際、コルチカムと一瞬目が合う。

 瞳を細め本当に愛らしい笑顔を浮かべていた。

 

「何なんだよこの街は……。次から次へと厄介そうなのが現れやがって……」


 ただ人知れず、平穏に過ごしたいだけのジンは次々と舞い込んで来る問題に嫌気が差していた。

 望む未来は平凡でありながら茨の道なのかもしれない。

 それでも、ヘルメスとなら歩いていける。

 そう信じて疑わなかった。

 一人遅れて宿に戻ったジンは自分を待ってくれているヘルメスの元へと急ぐ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ