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黒匣の世界式  作者: 喜怒 哀楽/Yu1
虹色の園
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9話:道を示す二人

 嵐が去って日はまだ浅く、美しい花畑の一部は無残な傷跡を残す。

 すっかりと夕暮れで暁に覆われるこの場所で。

 一人、物思いにふける人物がそこに立ち尽くしていた。

 真紅のコートを纏い、二つに束ねた灰色の髪が風でなびく。


原点ルーツ……。まさかこのような形で知る事になるとは思いませんでしたわね」


 エルサリアは神妙な面持ちで髪を掻きあげると、その後を追ってきたバレットの気配を察知して溜息を零す。

 しかし振り向きはしない。

 バレットはそんな主の身を案じ、慌てて駆け寄るのだった。


「……ふぅー、ようやく追いつきましたよ。私はあまり運動が得意でないというのに……まったく勘弁して頂きたいものです。知恵の蔵ブックエンドからいきなり跳び出したかと思えばこんな場所まで……。一体どうされたんです?」


 白い布で包まれた縦長の得物を地面に突き刺し、バレットが一息つきながらポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭っていると。


「フン。主人に意見だなんて立場を弁えなさい。貴方はいついかなる時も黙ってわたくしの一歩後ろで尻尾を振っていれば良いのですわ」


 不機嫌そうに両腕を前に組む事で豊満な胸を誇示する。

 そんな主の態度に苛立つ事もなく、バレットはいつものように苦笑する。

 しかし、エルサリアは知恵の蔵ブックエンドの事務所から跳び出してきたのだ。

 新たな揉め事を懸念し、やれやれと首を横に振り両手をあげる。


「……まったく素晴らしいご主人様だことで。いつも後始末をさせられる私の身にもなって頂きたいものです」


 いつもならばバレットの皮肉に制裁を加えるエルサリアだったが、この時ばかりはその場から微動だにせず。

 先程から浮かべていた神妙な面持ちを察し、バレットは静かにエルサリアの背後へと一歩踏み入る。


「……本当に大丈夫ですか? もしや、知恵の蔵ブックエンドでヘルメスさんと何かあったのですか?」


 エルサリアはヘルメスよりも先に過去の追憶を終えた。

 その内容も異なるもので、エルサリアはヘルメスと違い、長年求めていたモノの原点を明確に知る事ができていた。

 それを知る由もないバレットだが、自身の居ぬ間に知恵の蔵ブックエンドで何かが起きていたという見解に至ったのだ。


「……」


 追憶から帰還したエルサリアに対し、ジュリアスはこう告げていた。


 ――――これがその宝剣に纏わる真実です。ウェーランドの偉大さと、その重さ。十分に理解して頂けましたね?


 ジュリアスの声と言葉はとても冷たく、エルサリアの自信と誇りを容赦なく傷つけてきた。

 それを他者に指摘されたエルサリアは憤慨し、知恵の蔵ブックエンドから跳び出してしまったのだ。

 しかし、得たモノは大きい。

 それに対し闘志を燃え上がらせていた。

 エルサリアは両腕を組んだまま、毅然とした態度でバレットに振り向き大きく足を開き、霧を晴らすかのように声高らかに告げる。


「バレットっ!! しばらくはこの街で英気を養いますわよっ。休暇が終わればすぐに貴方を酷使しますから、そのおつもりで覚悟しておきなさいっ」 


 絶世の美貌から放たれるその勝気な笑顔はとても眩しく。

 他者を巻き込む程の圧倒的な光を感じさせる。

 気高く誇り高い少女の笑顔はいつも美しく輝いており、こちらの不安や恐怖を跳ね除けてくれてきた。

 だからこそバレットは、彼女を選んだ。

 バレットは表情を緩め、嬉しそうに頷く。


「私は貴女を”選んだ”。それは間違いなかった、今でもそう確信しています」

 

 そして、優雅な立ち振る舞いでその場に跪き、最愛の主へと忠誠を誓う。


「私は貴女の銃であり、貴女の弾丸です。引き金を引くのは貴女次第。所有者の居ない銃など、ただの鉄の塊に過ぎません。必ずや貴女を阻む壁を全て貫いてご覧にいれましょう。どうぞ何なりとご命令を」


 二人は主従という固い絆で結ばれていた。

 昔からそれが当たり前であり、当然だと思わせてくれるのだ。

 その忠誠心に満足したのか、唐突にエルサリアは跪くバレットの上に笑顔で腰掛け。


「ちょっ!? お、お嬢!? な、何を!?」


 まるで椅子のように身を任せ体重をかけていく。


「まったく、やれやれですわ。朝早くからヘルメスに叩き起こされた時は斬り刻んでやろうとも思いましたけど、存外に価値はありましたわね」


 バレットの上で黒のニーソ脚を悩ましげに組み、片手に肘をつくエルサリア。

 純白のスカートは短く、少しバレットが顔を上げればその中が確認できる。

 しかし今はそんな余裕はなく、必死に椅子として耐え続ける。

 地についた両腕が小刻みに震えていた。


「お、嬢っ、こ、このままでは……っ、そ、そうですっ! おつっ、かれの、ようなのでっ、ひ、一先ず、宿に戻られた、方がっ、」


 決して口が滑ったとしても重いから退いてくれとは言えなかった。

 間違いなく斬殺、撲殺のどちからが待ち構えている。

 しかし、エルサリアは一向にバレットの上から退こうとはしなかった。

 むしろ大量の汗を流し耐えるバレットの姿が面白いのか、妖艶な笑みを浮かべてこの現状を楽しんでいた。


「あら? こう見えてわたくし、貴方には微粒子ながら感謝してますのよ? そう、これはご褒美ですわ。わたくしのような美女にこうして虐げられ、椅子にされる事に歓喜の涙を流すが良いですわ」


 首から背中に感じるエルサリアの感触と温もり。

 小さすぎず大きすぎないエルサリアの尻がスカート越しにバレットの劣情を逆撫でしていく。

 だが、残念ながら今のバレットにそれを愉しむ余裕は無かった。

 顔を覗き込んできたエルサリアは悪戯に男心を刺激しながら満足気に瞳を細めて笑みを浮かべていた。


「まっ……たく……っ、ど、どこでそのような特殊な性癖を……っ!?」


「?? この間、フラストスが言っていましたわよ?」


 主にいかがわしい知識を植え付けた張本人の名を訊き出すとバレットは身体をピクリと動かして力尽いてしまう。

 咄嗟にバレットから立ち上がり、難を逃れたエルサリアは唇を人差し指でなぞりながら、ようやく”別件”を思い出す。


「そう言えばそうですわっ!」


 両手を軽く叩き。


「すっかり忘れていましたわね」


 地面に力尽きるバレットの首根っこを掴み強引に持ち上げていく。


「あでっ、い、痛ててっ、お、お嬢っ!? じ、自分で立てますから……っ!! ゲホっ、ゲホっ」


 首が絞まり苦しむバレットは辛抱堪らずその場から飛び跳ね、急いで身嗜みを整えてエルサリアの心情を口にする。


「……やれやれ。フラストスさんからの”お誘い”はどうなさるおつもりですか? そろそろお返事しなければなりませんね」


 バレットはそう言って従者らしく姿勢を正し、後ろで手を組み静かに主の返答を仰ぐ。


「……フン、馬鹿を仰い」


 エルサリアは静かに瞳を閉じ、鼻を鳴らして腰に携えた剣に触れる。

 彼女にとってその宝剣は己の存在意義であり、エルサリア=ウェーランドを形成する誇りそのもの。


「ロズマリアからも”新体制の幹部候補”とか言うわけのわからない誘いを受けてますけど、わたくしはどちらにも興味ありませんわ。 大体ですわよ――――」


 そして腰に手を添え、バレットに背を向けながらどこまでも晴れ渡る茜色の空を見上げ。


「他人に用意された道なんて、わたくしは歩きたくありませんもの」


 この時、バレットとの出会いを思い出していた。

 血と雨、そして泥まみれで倒れていたバレット。

 彼は行き場を失い、生きる意味を見失っていた。

 まるでその心は錆びた鉛のように荒みきっていた。

 どうしようもなく脆く、壊れかけていた彼に、エルサリアは手を差し伸べたのだ。

 何もないその心を、鮮やかな光で彩ったのだ。

 彼に生きる意味を、新たな居場所を与えた責任。

 だからこそ、エルサリアは己の生き様を彼に示さねばならない。


「己の道は己で斬り開いてこそ。わたくしの覇道は誰にも阻めませんわ。例え誰であろうと邪魔してこようものなら斬り捨てるまで。これがわたくし、これがエルサリア=ウェーランドですわッ! おーほっほっほーっ」


 ギリスティアの三英傑ゴールデンナイトとも全面的に戦う姿勢を見せる主の姿。

 本来であれば、それは自殺行為。

 それ程までに三英傑ゴールンナイトという存在は遥か高みの存在なのだ。

 特にギリスティアは四大国家の中でも頂点に位置する。

 だが、バレットは――――優しく微笑んでいた。  


「はは、それでこそお嬢です」


 しかし、不安は残る。

 バレットはエルサリアの横に並ぶと同じく空を見上げ複雑な心境を語る。

 過去に未練や興味は無い。

 ただ、不穏な未来だけを見据えていた。


「フラストスさんからの”言伝”……ヘルメスさんにはまだお伝えしていないのですか? 恐縮ですが、我々の事を考えると早急にお伝えした方が良いかと思いますが」


 エルサリアは高笑いをピタリと止め、両腕を組んで静かにこう告げる。


「このわたくしがフラストスの頼みを聞き入れる道理なんてありませんわ。何より――――」


 実は任務の最中、エルサリアとバレットにティオは接触してきたのだ。

 ギリスティアの水面下から忍び寄る不穏な影。

 それを先導し、暗躍する秘密結社の存在。

 彼らとの戦いゲームに備え、ティオは二人に必要最低限の情報を提供していた。

 そして、ヘルメスに”ある伝言”を伝えるよう任されていた。

 エルサリアは伝言の内容を思い出し、自分勝手な判断を下す。


「ヘルメスでは役者不足でしょうに」


 今の彼女に一体何ができると言うのか。

 改めてギリスティアの内情を聞かされたこそ、エルサリアにはどうしても理解できなかった。


「……フラストスさんは決定打になりうる式崩しを欲しているのではありませんか? 恐らく、相当な数を使うおつもりなのかもしれませんね」


 ヘルメスが賢者の石の行方を知っているかもしれない、その情報は何故かエルサリアには伝わっていない。

 そしてバレットもそれを隠し、ヘルメスが構築したとされる式崩しが必要なのかもしれないと他の見解を口にする。

 オプリヌスが構築した原点回帰リスタートを屠る程の、異質なコード

 式崩しの構築方法は誰も知らず、今ではそれを成功させたヘルメスはそれだけでも価値ある存在なのだ。

 バレットは白い布で巻かれた細長い得物をそっと肩に担ぎ、エルサリアの言葉に耳を傾ける。


「オプリヌス逮捕の件もそうですけど、それも未だに信じられませんわね。あのヘルメスが式崩しの構築に成功しただなんて……もしそれが真実ならきっと裏があるに違いありませんわ」


 それにはバレットも同意だった。

 なにせ完全な偽人ホムンクルスと同様にその希少価値は高く、公にその成果が知られている錬金術師は居ないのだ。

 あのヘルメスが構築に成功してたとは到底思えなかった。

 だが、賢者の石を所持していたというならば話は別だ。

 ジンとのやり取りもあった事でバレットの確信は加速を増すばかり。


「とにかくしばらく様子を見ますわよ。……ヘルメスの件だけでなく、何かこの街は嫌な気配を感じますわ」


 根拠の無い異変を感じ、表情を強張らせるエルサリアの鋭さにバレットはただ苦笑する事しかできなかった。


「はは……私は平和に過ごせる事を祈るばかりですよ。さぁ、そろそろ宿に戻りましょう。ここは少しばかり冷えます」


 こういう場合のエルサリアの勘はよく当たる。

 フラウディーネで間もなく起こるであろう全貌を知るバレットは、静かにエルサリアを誘導して宿に戻る。

 バレットは光と闇の狭間を彷徨い続けるのだった。

 時は同じくして。

 彼らは出会い、新たな事実を知らされていた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 かつて、女性は怪物を我が息子として溢れんばかりの愛情を注ぎ共に旅をした。

 そして”ある土地”を終着点として、彼女の長い旅は幕が閉じられた。

 愛する我が子の腕の中、とても幸せそうに。


「……ヘルメス氏。少し、彼と二人きりになっても?」


 過ごした時間はとても短く、彼女の事は殆ど何も知らない。

 だからこそ、ジュリアスは聞きたかった。

 彼女が愛し、その幸せをどこまでも願い続けた彼の言葉を。


「……」


 静寂に包まれた館長室。

 ジンはジュリアスの要求を訝しげに見つめた後、ヘルメスに視線を移し反応を伺う。

 両腕を前で組み、静かに瞳を閉じていたヘルメスがそっとジンに告げる。


「彼は……、ジュリアスさんはジンと同じようにかつてルルに救われたそうだ」


 恩人の名が出てくると、すかさずジュリアスに振り向き驚きの反応を見せるジン。


「なっ、ルルに……ッ!?」


 静かに頷き微笑むジュリアス。

 妙な静けさの中、ルルとの記憶が蘇る。

 世界中を、様々な場所を渡り歩いた。

 その土地のしがらみや争いに巻き込まれた事も多々あった。

 何度も挫折しそうになった。


 しかし――――いつもルルは困っている人々に救いを与えてきた。


 この男も、そのうちの一人だったのか。

 困惑しつつ、ジンはどこかジュリアスから懐かしさを感じて徐々に敵意を紐解いていく。

 そして、


「……ヘルメス。悪ぃ、ちょっと俺――――」


「夕飯までには戻ってくるんだぞ」


 そう凛とした声が響かせ。

 ヘルメスは快く扉の外へと移動していく。


「つもる話もあるんだろ? 後でエルが用意してくれた宿で落ち合おう。フフ、もし遅れたらジンの分まで自分が食べてしまうからな?」


「ヘルメス……」


 背を向けながらどこか嬉しそうにヘルメスはこの場を後にしたのだった。

 この出会いも運命なのだと悟り、二人きりにしてやろうとお節介を焼いたのだ。

 その凛々しい姿にジュリアスは深く頭を下げて見送り、徐に椅子を用意して自らも腰かけていく。


「さてさて……。せっかくヘルメス氏がこような場を設けてくださったのです。どうぞ、ご遠慮なさらずこちらにお座りください」


 大切な客人を椅子へと促し、テーブルに肘をつけた両手を絡め満面の笑みで見守る。

 言われるがままにジンも椅子に座り、テーブル越しのジュリアスに口を開けていく。


「俺はジン。アンタは確かジュリ……えーっと……」


 ジンが名前に詰まっているとジュリアスは苦笑し、改めて名乗るのだった。


「……ジュリアス。ジュリアス=シーザーでございます」


 不思議と穏やかな空気が部屋に流れ始める。

 ジンが自ら名乗り出る事は珍しく。

 それ程までにルルという共通点は二人の間では大きな存在だった。


「さっき……解読眼デコードで俺のコードを視たんだろ? 俺が異常な存在だって事や、中にある”コレ”も視えたはずだろ……」


 ジンは左手を胸の中心に添え、賢者の石を指す。

 その表情や声色、そして不安そうな仕草からは長年の苦しみが感じられる。

 偽人ホムンクルスであるが故に、賢者の石の器である黒匣ジンであるが故に辿った苦しみ。

 虐げられ、蔑まされ、狙われ続けてきた。

 人間に対し、恐怖を抱くようになっていた。

 今、ジュリアスがどのように感じているのか不安でしょうがなかった。


「なのによ……何でそんなに落ち着いてられんだよ」


 人とは明らかに違う身体を構築するコード

 偽人ホムンクルスという希少な存在を前にして尚、ジュリアスは平然と今もこうして微笑んでいる。

 自身の存在に後ろめたさを感じていたジンには不思議でならなかった。

 しかし、ジュリアスはたじろぐジンにこう告げる。


「ジン、貴方がどのような存在であろうと私にとって些細な事です。――――”貴方は貴方だ”」


 一瞬、ルルの姿が重なるように見えた。

 ジンは言葉を詰まらせ複雑そうに人差し指で頬を掻く。

 今でもはっきりと覚えている。

 その言葉はルルが自分にかけてくれた言葉だった。

 ジュリアスに対して抱いていた不安や恐怖が一気に晴れていく。


「人種や国籍、あまつさえ人外ですら幸せになる権利がある。我々は彼女にそう説かれた……。だからこそ、貴方が彼女のご子息ならば尚の事。私は貴方を一人の友人として迎えましょう」


 そう言ってジュリアスはテーブルの引き出しから一枚の封筒を取り出して静かに置く。

 それはとても古く色褪せた茶封筒。

 怪訝な表情で首を傾げ、ジンは封筒に手を伸ばす。


「これはヘルメスさんとは別に……彼女から貴方へ託すよう約束していた手紙です」


「ルルが俺に……手紙を……?」


 それは今は亡き最愛の人、ルルが遺した一通の手紙だった。

 受け取った封筒をまじまじと見つめていると、幸せだった日々が瞬時にジンの脳裏を駆け巡り目頭を熱くさせる。


「彼女はいつかエーテルを継ぐ者と貴方が知恵の蔵ブックエンドを訪れると予言していました。だから、私は此処で貴方達をずっと待ちわびていました。私はその手紙の内容を聞かされていません……どうかご自身の目で確かめてください」

 

 ジンは涙を堪え、静かに封を開けていく。

 胸をざわめかせながら手紙を広げると、確かに手紙はルルの筆跡で記されていた。


「っ、ルル……っ」


 情けない声を震わす。

 こうして手に取るだけで当時の暖かさを感じ取れる、そんな気がしていた。

 鼓動を高鳴らせ、ジンは無我夢中で読み始めていく。

 ルルの言葉を、全て記憶に刻む。

 手紙の出だしはこうだった。


 ――――私は”最悪の結末”を回避する方法を探して、とても長い旅をしていました。


 その中で、私はお前に巡り合えたの。


 ――――今、貴方がこの手紙を読んでいる頃には、残念だけど私はこの世を去っているはずね。


 この世界に一人孤独のまま残してしまった愛しの坊や、それだけが心残りよ。


 ――――でも、決して哀しまないで。


 どうしようもなかった。


 ――――これは決定事項だったの。


 そして、今こそお前には伝えなきゃいけない。


「――――ずっと黙っててごめんなさいね……」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 これは幻だ、文章を読み進めていく中でいつしかジンにはその情景が広がって見えた。


「でも、今こそ伝えなくちゃいけない……」


 此処は”終点”、ルルの最期を看取った情景が広がる幻の世界。

 辺り一面、真っ白な灰が吹く乾いた大地が二人を包む。

 そこでジンは無様に両手を地面に這わせ膝をつき。

 ルルが静かに背を向けて立っていた。


「私は、お前の為に……。私の全てを賭けて運命の歯車デウス・エクス・マキナに挑んでいたの」


 ジンは俯いたまま背後のルルに振り向く事なく耳を傾ける。


「お前がお前のままで居られるように。既にこの世界は大きな歪が生まれてしまった……。必ずお前はその歪の中心となってしまう……。だから、私は叛逆の式エンサイコードをエーテルを継ぐ者に託すようジュリアスに頼む事で、一筋の光を道しるべとして残したの」


 胸がはち切れそうな程に痛む。

 この優しい声を、今でも鮮明に覚えているから。


「狂気の原点オリジン、”彼”と出会う事こそが僅かな希望に繋がると信じて……」


 嗚咽が邪魔をして声が出てこない。


「でも、まだまだ安心できないわ。私が構築したコード叛逆の式エンサイコードが発動したという事は――――つまり、狂気の担い手が既に世界を大きく歪めている事を意味するからね……」


 身体が震えて動けないでいる。


「もう、私は貴方の隣に居てあげられない。でも、安心なさいな。……今、貴方の隣には貴方を支えてくれる大切な人が居るはずよね」


 そう告げ、ルルは後ろからジンを優しく抱きしめ。

 深い愛情を注いでいく。

 

「――――ジン、お前はお前だ。せっかく手に入れた命だ、楽しみなさい」


 そして。


「だから、もう私の事はお忘れなさいね」


 凍りついた心を溶かしてくれた懐かしい温もり。

 永遠にこの時が続けばと、どれだけ願っただろうか。

 決して取り戻す事のできない大切な存在、その喪失にどれだけ涙を流した事か。

 ジンは後悔と無念の涙を永遠に流し続ける。

 だが、その頼みはどうしても聞き入れる事などできない。


「忘れ……られる……わけ、……ねぇだろ……っ!!」


 地面に這い蹲り、悲劇に押し潰されたまま。

 背後から優しく抱きしめてくれるルルの手に自身の手を重ねていく。

 だが、返事は返ってこない。


「……」


 お前ぇとの旅が……っ、どんだけ俺を……っ!

 どんだけ……満たしてくれたと思ってんだ……っ!!


「ジンを本当の意味できっと愛してくれる、そんな人との素晴らしい出会いがあるって言ったのを覚えてるかい?」


 覚えてんよ……っ、お前ぇとの会話はッ、全部……ッ、全部覚えてんだ……ッ。


「だから私の事は忘れなさいな……。今、ジンの隣に居てくれる人と自由に旅を続けなさい。どれだけ運命の歯車デウス・エクス・マキナが狂おうと、必ずジン達は終点に導かれるはずだから」


 ルルはジンと手を重ねたまま、もう片方の手で優しく頭を撫でてやる。

 溢れんばかりの愛情が、ジンの涙をどんどん溢れさせていく。

 人間と同じだった。

 偽人ホムンクルスであろうと、哀しければ涙を流す。

 例え造られた感情だろうと、こうして芽生える哀しみは本物なのだ。


「私の愛しの坊や。きっと、これからも辛い思いをする事になるわ。そうさねぇ……時には残酷な選択も迫られるはず。だけど、ジンなら大丈夫。だってお前はお利口さんだもの。必ず正解を導き出せるわ」


 ルルは我が子を信じ、願いを託したのだ。


「フフ、懐かしいわ。哀しかった事も、嬉しかった事も、ジンと過ごしてきた思い出を全て覚えているわ。本当に私達は一緒に色々な場所を旅したもんね。でも世界はまだまだ広く、謎だらけ。ジンにはそんな世界で自由に生きて、幸せになって欲しい。ずっとそれだけを願い続けていたわ」


 だが、そうもいかない。

 黒い歯車スレイブ・ギア 。

 自身の身体にこのコードが埋め込まれている限り、自由を手にする事はできないのだ。

 しかし、それを見越してルルはこの手紙に打開策の一つを提示していた。


「でも……、彼は一度手放した黒匣ジンを必ず必要としてくるわ」


 狂った錬金術師フェイク。

 奴が再びジンの元に姿を現す時が来る危険が示唆されていた。


「もしそうなれば今のジンじゃ太刀打ちができない……。だから、エーテルを継ぐ者とドルスロッドに向かいなさい。そしてアリス=テレスという錬金術師を探してちゃんとお話をしてごらん。きっと”抗う力”を授けてくれるはずよ」


 この世を去ったルルが今の状況を知るはずもないが、既にジンはドルスロッドを訪れアリスと出会っている。

 原点回帰リスタートによって右腕を失ったジンは、アリスから新しい腕を構築されていた。

 そして、ラティーバでその異変に気づき始めていた。

 何か枷のようなものが緩んだ気がし、身体がいつもより軽く感じただけでなく。

 突如、原点の式オリジンコードの出力が上昇していたのだ。


「それでも一時的な処置に過ぎないけど、きっと救えるはずよ。フフ、ジンの大切な人をね」


 ルルはどこまで未来を見通していたのだろう。

 誰にもそれはわからない。

 それでも、ルルのジンへの想いは確かに伝わっていた。


「……あくまで私は終点への道しるべ。もう役目を終えたわ。最後はお前がちゃんと自分の意思で本当に幸せになれる方法を選択しなさいね」


 ここからの文章は涙が零れた形跡を残し綴られていた。


「私の可愛い坊や」


 どれだけ感謝しても感謝しきれない。


「ジンに巡り会えた、一緒に旅ができた。それだけで私は幸せだった、本当よ」


 永遠に彷徨い、不確かな光を求め続けた。


「ずっと、ずっと見守っているわ。だって私は母親だもの。お前は正真正銘の、私の自慢の息子さね」


 こうして、過去から送られた感謝の手紙は締めくくられたのだった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 今では堪えようのない大量の涙を流し、ジンは手紙を持つ手を震わして俯いている。

 永遠に感じていたかった幻も消え、現実へと引き戻されたジンは哀しみに打ちひしられていた。

 ジュリアスはそれを静かに見守り、椅子から立ち上がりとジンの側へと近づき。


「私は貴方が何を背負っているのかは知りません。ですが、今ここに貴方が居る事こそが彼女の願いだったはず。……私はあくまでその橋渡しでしたが、それでも嬉しく思います。こうして、彼女やジンのお役に立てたのですから」


 そっとジンの肩に手を置き、儚げな笑顔を浮かべるのだった。

 子供じみた考えだが、単純に羨ましかったのだ。

 ここまでルルに愛されたジンが、自分には向けられなかったその愛情がジュリアスの心を複雑にさせる。

 それでも。


「ジンは私の数少ない貴重な友人です。気兼ねなくこうしていつでも私を訪ねてきてください。いつでも歓迎しますよ」


 一人の友としてジンを受け入れ、好意的に接する。

 ジンは涙を拭い、袖を濡らすと真っ赤な鼻を啜って充血した瞳でジュリアスを見つめ。


「ジュリアス、まだ森のクマ公がどうなったのか読んでねぇんだ。また来るからよ……その、く、喰いもんでも用意しといてくれ」 


 涙を見せた事が恥ずかしいのか、ぎこちなく視線を逸らしてそう告げるジンに、ジュリアスは満面の笑みを浮かべ。


「ここは知恵の蔵ブックエンド、図書館ですよ? 館内での飲食は丁重にお断りさせて頂きます」


 まさかの断り文句にジンが盛大に椅子から転げ落ちるとジュリアスは悪戯っぽく笑い口元を押さえた。

 そして、転げ落ちたジンに手を差し伸べ。


「お食事でしたら、ぜひともヘルメス氏としてください。そろそろ日も暮れます、心配されてるんじゃありませんか?」


 館長室の窓から差し込む夕暮れの光は眩く。


「それもそうだな……早く戻らねぇと飯がなくなってるかもしんねぇ……」


 ジンはヘルメスの居る宿に戻るべくジュリアスの手を掴み起き上がる。

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