8話:似たもの同士の二人
ヘルメスが過去の追憶を体験し、原典の断片に触れていた頃。
ジンとバレットはフラウディーネで営まれる小さな酒場へと赴いていた。
つい先日、嵐のように現れた深紅の錬金術師が残した傷跡が嫌でも目に入る。
窓ガラスは割れたままで風を通し放題。
風が吹くとジンは傷だらけのカウンター席で両肩を抱き寄せて身体を震わす。
席や壁の至る箇所に剣が突き刺さった形跡があり、バレットは荒れ果てた店内を見て苦笑する。
「えー……、ごほん。大変申し上げにくいのですが、店主殿。先日こちらのお店には迷惑料として十分な額をお支払いしたはずですが……。何故、まだ修繕なされていないのですか?」
「っ」
すると先程からカウンター席から背を向けてワイングラスを磨いていた店主が、バレットの無責任な発言に思わず無言でワイングラスを落としてしまう。
「ちょっ!?」
その横でニコニコと笑顔でカウンターに向き合っていた少女も肩をビクッと反応させ。
「ポ、ポアロさん!? だ、大丈夫ですか!? ちょ、素手で拾っちゃ危ないですって! 待っててくださいね! す、すぐ掃除道具を取ってきますから!」
割れたガラス破片を呆然と素手で拾おうとするポアロを心配し、赤みがかった茶髪のボブヘアーを揺らしながら慌てて店の奥へと消える可憐な少女。
この店の看板娘、フランシェスカが箒とチリトリを手にして戻ってくると。
「すまない、フランシェスカ……。このままだと私は気が動転してせっかくのお客様を刺し殺しかねない……。しばらく私は奥で休んでいるから店と掃除は任せた……」
そう言い残し、ポアロは千鳥足でフランシェスカと入れ替わる形で奥へと消え去っていく。
気不味い表情でジンとバレットが互いに顔を見合わせていると、健気にガラス片を掻き集めるフランシェスカが作業の合間に溜息を零す。
「もうっ、駄目ですよバレットさんっ。中々、修繕業者と予定が合わなくて……ポアロさん凄く落ち込んでるんですから。あんまり無用心な発言は控えてくださいね?」
バレットは肘をつきながら右手で顔を覆い、我が主に深く頭を悩まされてしまう。
「いやはや……、誠に申し訳ございません。主人には私が厳しく言い聞かせておきますので、このお店の休止期間に発生する損害賠償等もぜひ請求してください」
まるで湯水のように湧き出るかのような財源。
エルサリアがどれだけの資産を抱えている事か、ジンには興味の無い話だが。
それよりもまず、はっきりさせておく事がある。
全てはそれからだ。
ジンは皿に盛り付けられたステーキに勢いよくフォークを突き刺し。
「……いい加減はっきりさせようぜ。アンタは――――ヘルメスの敵なのか?」
横目で鋭い眼光をバレットに浴びせ、ドスの利いた声を唸らせる。
まさに獰猛な番犬のようだ。
次の返答次第では今にも襲い掛かってきそうな程、殺意に満ち溢れた獣の目そのものだった。
「……」
バレットは右手から顔を上げ、ジンの殺意を物ともせず爽やかな笑顔を浮かべて。
「フランシェスカさん申し訳ないのですが、少し……席を外して頂けますか?」
「あ、は、はい」
ジンの只ならぬ雰囲気。
そしてバレットの言葉はどこか命令にも似た強制力を感じさせ、心配そうに見つめていたフランシェスカを遠ざける。
最も離れた席へと移動し、作業を始めたフランシェスカを確認するとバレットは呑みかけのカクテルグラスを手に取り。
「実に久しぶりです。こうしてお嬢から離れ、真昼間からお酒を頂くというのは……」
そして静かに一口呑み終えると、そっとカクテルグラスをテーブルに置き。
「ではお答えしましょう。私がヘルメスさんの敵なのかどうか、勿論――――」
僅かに間を空け。
そして、微かに口の端をつり上げ。
「――――敵ですとも」
その瞬間、店内から陶器の割れる音や何かが倒れる音が響き渡る。
「きゃあああああっ」
耳を両手で塞ぎ、姿勢を低くして瞳を閉じるフランシェスカの叫びも騒音に交わり。
「ど、どうしたんだフランシェスカ!? なっ!?」
店の奥から必死の形相でポアロが姿を現すと――――
「よぉくわかった……ッ!! テメェは今ここでぶっ殺す……ッ!!」
殺意を帯びた表情で、鋭い牙を光らせる。
バレットの首を左腕で鷲掴みにし、右手で拳銃の銃身を握り止めるジン。
「ですが貴方は私をまだ殺さない、それは私も同じです。何故ならば我々は互いにまだ聞かなければならない事があるからです」
不気味な程に余裕を含んだ笑みを浮かべたまま、白い歯を見せ。
右手で握った拳銃の銃口をジンの眉間に突きつけ、もう片方の左手に握った拳銃はジンに押さえ込まれるバレット。
「一体、ドルスロッドでアリス=テレスの身に何が起きたのですか? ラティーバで我々が見た傷跡もそうです。……貴方達は全て知っているんじゃありませんか?」
「……んなもん知らねぇよ。それに、もし知ってたとしても何でテメェにんな事を話さなきゃならねぇんだよ」
互いに一歩も譲らず、何も答えない。
平行線を辿るばかりだった。
「くっ、止してくれっ! まだ私の店を荒らすつもりかっ!?」
互いの命を手中に収めた両者の争い。
そして荒れた店をこれ以上、荒らそうとする二人の姿にポアロが顔面蒼白させていると。
「……ジンさん、私は言ったはずですよ。じっくりお話をしよう、と」
「……ケッ、その割りには準備万端じゃねぇか。テメェどんだけ銃ばっか隠し持ってんだよ」
両者は静かに両手を離していき、しばらく互いを見つめ合うと両者共に転がる椅子を持ち上げていく。
そして何事も無かったかのように腰を下ろし、再びカウンターへと向かいポアロを唖然とさせたのだった。
「店主、何度もお騒がせして申し訳ございません。ですがもう大丈夫です。なのでゆっくりとお休みください」
「……っ」
その言葉は信じられなかったが、ポアロはどうする事もできず大人しく奥に戻る事しかできなかった。
「フランシェスカ……君もこちらに早く来るんだ」
「は、はいっ」
ポアロの呼びかけに応じ、フランシェスカも恐る恐る立ち上がり足早に奥の部屋へと向かっていく。
酒場に二人だけの空間を作り上げ、バレットはテーブルの上で両手を絡めながら静かに微笑む。
「お嬢がヘルメスさんを狙い続ける限り、私はそれに付き従うのみ。だからジンさんが気にしていた私がヘルメスさんの敵かという問いに、私は敵だと返答するしかないのです」
ジンは両手を頭の後ろに回し、あやふやな返答に逃げるバレットに苛立っていた。
「俺の質問はそうじゃねぇ。あの剣女がどうのこうのじゃなくアンタの事を聞いてんだよ」
そう、ジンは感じ取っていたのだ。
バレットの抱える闇を、その影に隠れる何かを。
「……不思議な人だ。私はあくまでお嬢の従者に過ぎないというのに。些か私を買いかぶりすぎなのでは?」
視線をテーブルの下に向けたままバレットが偽りの笑顔を被り続けていると、ジンは痺れを切らしたのか左手の甲で頬をつきながら告げる。
「これは忠告だ。アンタが何者だろうとこの際、知ったこっちゃねぇ。だがなぁ。……もし、ヘルメスに危害を加えようってんなら――――」
これは、本気の忠告である。
「誰だろうと俺が全員ぶっ潰してやっからな……ッ!!」
思わずバレットも鳥肌を立てて恐怖を感じてしまう程に真に迫るものだった。
だからこそ、余計に知りたくなってしまう。
「何故、貴方はそこまでヘルメスさんを必死になって守ろうとするのですか? どういった関係なのかは知りませんが、いつか貴方は深い闇に足を踏み入れ、取り返しがつかない事態に陥る可能性だってあるんですよ?」
決まりきっている、これは意地だ。
「……」
ジンはヘルメスの側に居続けると誓ったのだ。
どれだけの脅威が襲ってこようとも、ジンはヘルメスを救う為ならばどんな犠牲も払う覚悟ができていた。
「ケッ」
鼻を鳴らしてくだらない質問を一蹴してやる。
誰かに理解してもらおうだなんて思わない。
ましてや話す気もない。
今となっては何も関係ないのだ――――
「上等じゃねぇか」
既にジンはヘルメスに見出していた。
どんな闇をも晴らす光を。
ただ、そこに居たいだけなのだ――――
「どんな地獄に突き落とされようが、俺は必ずあいつの元まで這いずり戻ってくる。そんでもって、あいつが同じように突き落とされたら――――俺が全力で引き戻してやる」
バレットは無言のままカクテルグラスを手に取り、グラスを一周させる。
二人の関係性は謎のままだが、少なくともヘルメスに対する確固たる覚悟を感じる事ができた。
「なるほど、ね」
そう呟くと、バレットはカクテルグラスを置いて両手の指を絡め静かに告げる。
「王従士という立場上、本部からの連絡に何日も返答しなければ万が一の事を考え
、現状を知る為に捜索が行われます。しかし、今回のヘルメスさんの強制送還の召集は極めて異常なのです」
「アンタらの事情なんて知るかよ……。どうせ王従士なんか何人もいんだろ。確かヘルメスは落ちこぼれなんだろ? んな奴、別に放置してても問題ねぇだろ」
王従士の実情など知るはずもないジンはその仕組みを理解しようともしなかった。
両腕を組み、面倒臭そうに鼻を鳴らす。
「そうもいきません。私は王従士でも、ましてや錬金術師でもないですが」
と、前置き。
「王従士は国家の深い部分に関わる存在なのです。三英傑のトップに立つコルネリウス殿に至っては女王の補佐を任され政治にも口添えされる立場です。例え落ちこぼれのヘルメスさんと言えど、もし敵国に捕まりでもしてギリスティアの情報を外部に漏らせば大問題なのです。だかこそ急に連絡が途絶えると国が躍起になって捜索を始めるわけです」
政治や国家間の問題など微塵も興味は無いが、バレットの話す内容は徐々にジンを不安にさせていく。
王従士という存在の重さが浮き彫りになり、予想以上に厄介な事になっていると聞かされた。
ジンの言葉数は次第に少なくなり、すっかり黙って耳を傾けているとバレットは核心に迫ってくる。
「それに現在のギリスティアは国家間の問題だけでなく、とにかく様々な事情で深刻な人員不足だとお嬢から聞かされています」
そこで、バレットはジンに振り向き。
「……ですが今回の件は全王従士に通達されている。貴方達も、いくら何でもおかしいと思ったはずです」
真剣な口調で、その表情から笑みは消えている。
バレットの言う通りだった。
たかだか連絡が数日つかないだけでこの騒ぎである。
しかし、ジンはアリスからギリスティアの内情を聞かされていたのでその事自体に疑問は抱かなかった。
横目でバレットを捕らえつつ、平静を装うジンはそのまま続けさせる。
「何よりも身柄の安否の確認ではなく、発見次第その身柄を拘束してギリスティアへと強制送還せよとの事です」
もはや、ただの安否確認などでは無い。
エルサリアが見せてきた書面にもそれはしっかりと記されていた。
「これに対し、貴方達も既に疑問をお持ちのはず」
バレットの口調は穏やかながらも、ジンの不安を煽ってくる。
「では、何故このような命が三英傑の名の元に下されたのか――――」
その見解を口にする。
「私が思うにヘルメスさんは――――」
そしてバレットは見事にジンの核心を突く。
「賢者の石を所持している、又はその在り処を知っているのではないですか?」
「ッ!? 何で……そうなんだよ……ッ」
わかっていながらも、ジンは平静さを取り乱し、勢いよく立ち上がってカウンターを叩いてしまう。
「……そう考えるのが妥当かと。ヘルメスさんと近しい間柄の貴方ならばもう知っていますよね。ギリスティアを裏切った元王従士、あのオプリヌス=ハーティスが逮捕された途端ですよ? 彼は原点回帰の構築を秘密裏に行っていたようですが、完成させる為には核となる賢者の石が必要らしいじゃないですか」
「……っ」
ジンがバレットを見下ろし、威圧的な態度で睨みつけようとも止まらない。
まるで答え合わせをするようにバレットは独自の見解を次々と口にしていく。
「つまり、オプリヌスは賢者の石を所持していたか……確かな情報を掴んでいた可能性が高いのです」
バレットは再びカクテルグラスを手に取ると肘をつきながらそれを眺める。
「そしてオプリヌスの野望を阻止した者は、誰であろうあのヘルメスさんなのです」
静かにグラスを回し、薄黄色い液体がゆっくりとグラスの中で波を作る。
「あくまでこれは可能性の話に過ぎませんが、私程度の者でもその仮説に辿り着いたのです。ギリスティアの……それも三英傑ともなるとそれを見逃すはずが無い」
「何が言いてぇんだよ……ッ」
核心を次々と突いてくるバレットにジンは情けなく拳を握り締める事しかできなかった。
「……オプリヌスはそれ程までに重要な人物だったという事です。まぁ……当然ですね。あの賢者の石と何かしらの関わりがあるだけでなく、彼が狂った錬金術師フェイクの弟子だったという事は既に一部の王従士達にも通達されていますしね」
一体どのような過程を経てオプリヌスがフェイクの弟子だと判明されたのかは謎である。
だが、ジンにとってオプリヌスの過去が公になろうが問題ではない。
「ですが、三英傑の一人が彼の身柄を引き受けた時に賢者の石は所持していませんでした。彼を逮捕したヘルメスさんや、同じく任務に出ていた友人の証言だけでなく、三英傑の一人が入念に確認していますのでこれは間違いありません」
リディアはヘルメスにジンと賢者の石の存在を硬く口止めされている。
今もヘルメスとの約束を破っていない事に少しばかり安堵するが。
「かつて私はお嬢の従者として彼と任務に出た事があります。だからこそわかるのです、彼程の男が無計画で国家を敵に回してまで原点回帰の研究を続けていたとは到底思えない……」
バレットと呼ばれるこの男の存在がジンの心を激しく動揺させる。
「オプリヌスが実際に賢者の石を手にしていたかは定かではありません、しかしそこに繋がる確固たる何かがあったはずなのです」
何故かバレットは核心しているかのようにカクテルグラスをカウンターに力強く置き。
「だからこそ三英傑はそこに着眼点を置き、あの場に居合わせ逮捕にまで漕ぎ着けた張本人――――ヘルメスさんの強制送還に踏み出したのです」
そして先程から黙ったまま反論をしてこないジンを見上げる。
「あくまで私はヘルメスさんの敵です。ですが……叶うならば手荒な手段はとりたくない」
この男の言葉のどれが本当で嘘なのか、ジンは見抜けないでいた。
「穏便に事が済むなら、それに越した事は無いと思いますが……?」
まるでそれは悪魔の囁きだった。
もし、このまま全てを白状してしまえばヘルメスだけは無事助かるのか。
しかし、ジンが取った行動はその真逆のものだった。
「……乱暴な方だ。離して頂けませんか?」
バレットの胸倉を掴み上げ、ジンは顔を近づけて念押しをする。
「アンタの妄想話に付き合ってる暇はねぇんだ。言いたい事はそれだけか?」
相変わらず恐ろしい表情でバレットを睨みつけてドスの利いた声を出す。
例えこの男には無駄な行動だとわかっていても勝手に手が出てしまうのだ。
それ程にバレットはジンの心をかき乱していた。
「……まだまだ聞きたい事はありますが、貴方の反応こそが私の仮説の答えだと受け取っても?」
あくまで冷静なバレットの言葉に、ジンは鋭い牙を光らせ不適な笑みを見せる。
「アンタがどう捉えようと知ったこっちゃねぇよ。だがなぁ、今度はこっちが質問する番だ」
「……」
目を細め不審な眼差しでジンを見つめるバレットだったが、次の瞬間には瞳を大きく見開く事に。
「薔薇十字団は賢者の石を使って何をするつもりなんだ? あぁん? 答えろよ、銃野郎……ッ!! しらばっくれんじゃねぇぞッ!? 連中と同じ気配がアンタから感じんだよッ!!」
存在そのものが亡霊の如く、あくまで噂程度のもの。
信憑性に欠ける空想上のような存在だ。
しかし、今。
ジンはその具体的な秘密結社の名を口にしのだった。
何故かドルスロッドでアリスの病院を襲撃してきた者達は皆、不思議な気配を放っていた。
そして、ジンはバレットからも同じ気配を感じ取っていたのだ。
「アリスが言ってたぜ? ギリスティアを内側から蝕む連中が存在するってな。ヘルメスの件で躍起になってる連中こそが薔薇十字団じゃねぇのかよッ!!」
アリスから薔薇十字団という存在を聞かされ、三英傑の一人がヘルメスに伝書鳩を送ってきた時点で薄々気づいていた。
少なくとも三英傑の一人は既に薔薇十字団の傘下へと堕ちている。
「はは……――――本当に面白い方だ」
バレットはジンの手を払い襟元を正して冷静な振る舞いを見せつけ。
「あまりその名を口にしない方が良い。いつどこで彼らが潜んでいるかわかりませんからね」
カウンターにもたれさせていた布でくるまれた細長く大きな得物を背負い、右目の眼帯を手で覆う。
「私に争いの意思はありません、先程から言っているようにじっくりとお話をしかっただけですよ」
確かにバレットから殺意や戦意は感じないがジンは細心の注意を払い後退する。
「生憎だが俺はアンタとじっくり話す気はもうねぇよ」
両手を下方で僅かに横へと広げ、いつでも原点の式を展開できるように身構える。
「無駄な争いを起こしてお嬢を不安にさせるのは不本意なのです……。それは貴方も同じではありませんか? どうでしょう、ここは一時お互い無干渉を決め込みませんか?」
「あぁん? 俺がんな言葉信じるとても思ってんのか? ここでアンタを見逃す理由があんのかよ」
するとバレットは不気味な笑みを浮かべ、ジンの背筋を凍らせる。
「確かに。ですが私は――――貴方を殺せます」
賢者の石により不死身の身体を持つジンだが、その言葉はとても嘘とは思えない気迫を感じさせる。
「これは見栄や虚栄じゃありません。どれだけ銃弾を喰らおうが立ち上がる貴方には本当に驚かされましたが、もう一度言います。私は貴方を殺せます」
そのままバレットは額から汗を流すジンを素通りし、コートの内側から札束を取り出してカウンターに置き店を後にする。
その去り際、扉の前に立ち背を向けたまま。
「……ご安心を。お嬢の事を除けば私はジンさんやヘルメスさんと敵対するつもりはありません」
「んなもん信じられっかよ……」
両肩を上下にして困ったような仕草を見せ、バレットはいつもの笑顔で振り返る。
「ひとまず、我々の大切な人の元に戻りましょう。今頃、きっと心配してますよ?」
「ケッ。むかつく野郎だぜ……」
少なくとも今は事を荒立てる様子は無い。
ジンはバレットを警戒しつつ、不機嫌そうに知恵の蔵へと戻るのだった。
その後、ようやく店の奥からようやく戻ったポアロとフランシェスカが大金を前に大きな溜息を吐いたのは言うまでも無い。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
本棚で埋め尽くされた壁に囲まれ、自室でとても幸せそうにする男が一人そこに居た。
姿勢を正し、椅子に腰掛け読書を愉しみながらジュリアスはヘルメスの帰還を待ちわびていた。
「――――すべての者は生まれながらに知恵を求める」
今は漆黒の警備帽を脱いでテーブルに置いており、ジュリアスは真紅の長髪の先端を指で弄りながら本の一説を口にしていた。
「ふんふふ~ん♪ その通りっ!! 錬金術師でなくとも人という生物は飽くなき探求者。ある神話に記されているように、人は知恵を求めたが故に神の怒りに触れた……。太古からそれは変わらず、その根本は未来永劫に変わる事はないでしょうね」
老眼鏡越しの朱色の瞳に映る文字全てがジュリアスを恍惚とさせる。
「本は実に素晴らしいっ! 無数に産まれては消え行く我々の物語が詰まっているっ! そして、ハァハァ……この素晴らしい本もそのごく一部だと思うと……、じゅるり……、興奮してしょうがないっ!!」
興奮のあまり瞳孔を開けながら本を閉じ、テーブルに置くと両手を頬に這わせて恍惚の眼差しで天井を仰ぎ。
「あぁー……っ!? なんと残酷な世界なのでしょうっ!? しかしっ!! そこがまた美しくもあり、儚い……。まさに美徳というものっ!! ですが、もう貴方の本が読めなくなると思うと切なくて切なくて……っ!!」
テーブルに置かれた本の背表紙にはこう記されていた。
著書――――アリス=テレス。
「彼の著書は経験的事象や分析論から織り成されていて実にィイイイイイっ!?」
興奮冷めあがらぬまま唐突に椅子から立ち上がり、両手で自身を抱きしめながら気色の悪い動きに移り。
「すんばらしいいいいいいいいいいいいいいっ」
滾る想いを館内中に響かすのだった。
他の職員や来客達にとっては日常の光景である。
こうして甲高い大きな奇声を叫ぼうがもう誰も反応すら示さない。
既に魂を活字に捧げていたジュリアスの奇行は今に始まった事ではなかったのだ。
「ふぅうっうううううう……――――ん?」
突然、ジュリアスの自室が禍々しい赤黒い光で満たされていく。
それは即ち、叛逆の断片からの帰還を意味する。
部屋の中にも関わらず風が吹き、ジュリアスの長髪をなびかせていく。
老眼鏡越しにジュリアスが目を細めてその光が収束する一点を見つめていると、徐々にその姿がはっきりと構築される。
赤黒い光はそこに注がれるように輝きを失っていき、一人の少女が床に這った状態で姿を現す。
「ハァッ、ハァッ」
尋常ではない大量の汗を流し現れたのは追憶を終えたヘルメスだった。
だいぶ身体に負担がかかっていたのか、しばらく呼吸をするだけで精一杯の様子。
「よくぞご無事でっ! お帰りなさいませ、ヘルメス氏。追憶の旅はご満足頂けるものでしたか?」
「ハァ…ッ、ハァ…ッ」
ジュリアスは気色の悪い動きを止め、そそくさとヘルメスを肩でかつぎ椅子へと座らせた。
誘導されるがまま椅子に腰を下ろしたヘルメスはだらしなくもたれかかり、呼吸を整えていく。
「はぁ、はぁ……満足いったとは……言い難いですね」
様々な新しい情報は得られたが、それは求めていたモノとはまるで違った。
「それは残念でしたね……」
ジュリアスはそんなヘルメスの返答に苦笑し、扉を指差す。
「しかし、エルサリア氏にはご満足頂けたようです。つい先程お戻りになられたのですが、何も言わず戦慄した表情でこの部屋から出ていかれましたよ?」
「エルが……?」
一体、エルサリアがどのような追憶を体験したのかはわからない。
ジュリアスは両手を僅かに上げ、苦笑いを浮かべていた。
「ご納得されているかは別として……。どうやら、おかげさまで私は殺されずに済んだようですね」
「……自分とエルが体験した過去は異なるものだったんですか?」
ようやく胸の鼓動が落ち着いてきたヘルメスは胸に手を置いて首をかしげる。
「そうですね、彼女は求める者によって追憶は変わると言っていました。あと叛逆の断片を応急処置だとも言っていましたね」
「応急処置……。ルルは一体、何の為に自分をあの光景に導いたのだろうか……」
その瞬間。
ジュリアスの瞳から一筋の涙が光る。
「ヘルメス氏……っ、今仰ったお名前は……まさか……」
涙を流し動揺するジュリアスを不審に思いながらもヘルメスはそっと口にする。
「え、あ、あぁ。この叛逆の断片を構築した方の名前ですよ」
ジュリアスの中で様々な思い出が蘇る。
幼き頃、暗い闇の底で居場所や存在の意味を見失っていた時。
ふと現れた彼女は優しく暖かい手を差し伸べ、ジュリアスを光の世界へと引き上げてくれた。
「ようやく……――――知る事ができた」
あれから、ひたすら彼女との約束を守り続けてきた。
名も知らない彼女との約束を、彼女の暖かさを胸に刻み続けてきた。
ジュリアスは涙を流したまま静かに微笑む。
「ルル……。それが……私を救ってくれた人の名前だったんだ……」
その笑顔はまるで童心に戻ったかのような無邪気で純粋なものだった。
体力を消耗して椅子にもたれていたヘルメスがようやく身体を持ち上げていく。
「彼女の名を知らなかったんですか……?」
名も知らぬ女性との約束を守り続けていたジュリアス。
彼にとってルルという存在は、ジンと似た存在なのかもしれない。
「私が彼女と過ごした時間はほんの僅かでした……。お名前を聞く前に私の元から去って行かれましたから……。そうですか……。貴女には感謝しなければなりませんね。本当にありがとうございます、ようやく彼女の名を知る事ができました」
そしてジュリアスは涙を拭うと、部屋の片隅を指差し。
「……叛逆の断片は、彼女との約束は役目を終えたのですね」
そこには透明な球体だった叛逆の断片がガラス片となって散らばっていた。
ヘルメスが帰還した瞬間に散り散りになったと言う。
改めてジュリアスは両腕を後ろに組み、ヘルメスを正面から見つめる。
「私にはルルが貴女を待ち望んでいた事の意味がわかりません。ですが、とても強い意志を感じていました。ですから、私はぜひ貴女のお役に立ちたい。もし、私の知恵が必要でしたら喜んで協力させて頂きます」
知恵の蔵の館長にして、知識人であるジュリアスの申し出はとても頼もしいものだった。
数多の知識を持つ博識なジュリアスならば何かわかるかもしれない。
ヘルメスは追憶を経て、とても気になっていた事があったのだ。
ルルと対峙していただけでなく、叛逆の断片に細工を施してまで自分を知式に隔離してきた謎の存在が気がかりだった。
指を口元に置き、難しい表情で青白い髪をした青年について質問をしてみる事にした。
「ジュリアスさん、旧支配者という存在をご存知ですか? 顔は認識できませんでしたが、青白い髪をしていて恐らく青年だったと思うんですが……」
アンチスミスの手記に記されていた旧支配者という存在。
ルルと青年のやり取りから、あの青年こそが旧支配者だと推理していたが、結局その答えはあやふやなままだったのだ。
だが、ヘルメスの期待とは裏腹にジュリアスは老眼鏡の位置を調整しながら申し訳そうに告げる。
「? いえ、初耳ですね……。私はありとあらゆる伝承や歴史の書物を読破していますが旧支配者という単語は見た事すらありません。……もしかすると歴史から葬られた存在なのかもしれませんね」
旧支配者はアンチスミスが生きていた時代の存在である事は手記から間違いなかった。
しかし、ジュリアスが言うように意図的に歴史から葬られているのかもしれない。
ヘルメスは結局、最後まであの青白い髪をした青年の正体を掴む事はできなかった。
帰還した今では自分を救ってくれた少女の名前すら思い出す事もできず、ヘルメスは過度な身体への負担と複雑な心境に悩まされて額に手を当ててため息をついてしまう。
「はぁ……。ルルは一体自分に何故あのような体験をさせたんだ。結局、自分は何も得る事ができなかった……」
「ヘルメス氏……」
深く落ち込む様子を見せるヘルメスに気の利いた言葉をかけようとするジュリアスだったが。
その時、何やら部屋の外が慌しく騒ぎだす。
「こ、こらっ! 此処はあの知恵の蔵だぞ!? こ、こんな事をして、せ、世界が黙っちゃいないぞ!?」
「ぶ、部外者の立ち入りは固く禁じられているっ! す、すぐに、で、出ていきなさいっ!!」
「うっせぇッ!! さっき剣女がこっちから出てきたぞッ! ヘルメスもそこに居んだろッ! 怪我したくなきゃ大人しく通せってんだッ!」
物騒な気配を感じ、ヘルメスは慌てて立ち上がり駆け足で部屋の外へと向かう。
「か、館長っ!! 助けてくださいっ!」
「あ、あたし達じゃこの男を止めることができませんっ!」
職員の悲鳴と自身を呼ぶ声にジュリアスは苦笑しながらヘルメスの後を追う。
すると勢いよく扉は開かれ、恐怖に怯える職員達を背景にして、足を掴まれながらも気にせず職員を引きる豪快なジンの姿が現れた。
「おいヘルメスっ! 無事かっ!? そこの赤髪に妙な真似されてねぇだろうなっ!?」
知恵の蔵にバレットと共に戻ってきたジンは、職員からヘルメスとエルサリアが館長室に案内されていると聞かされていた。
しかしそのすぐ後、館内の奥から異様な雰囲気を纏うエルサリアが跳び出てきたのだ。
自分達に目もくれず館内から一目散に走り去るエルサリアから只ならぬ気配を感じ、バレットはエルサリアの後を追い、ジンは止めに入る職員達をなぎ払いヘルメスの無事を確認する為にこの部屋まで突き進んでいたのだ。
だが、それは杞憂であった。
多少の疲れを見せているがヘルメスは無事であり、それを確認したジンが安堵のため息を零すと。
「じ、自分は何もされていないっ! それよりも、もうっ! 何でジンはいつもそう強引なんだっ!」
ヘルメスは自身の腰に手を置き、ジンの胸に人差し指を当てて説教が始まる。
「あ、あぁん!?」
すかっかり意識を失う職人を足元にしたままジンはわけもわからず顔を引きつらせてしまう。
「自分を心配してくれるのは嬉しいが、もう少し穏便にできないのか?」
「……ケッ」
ヘルメスに注意され機嫌を損ねてしまったのか、ジンは職員を足で払いながら両手をズボンのポケットに仕舞い、ふてぶてしい態度で部屋の中に入ってくる。
その様子を心配そうに見つめる職員達にジュリアスは苦笑しながら右手を小さく上げ。
「ありがとう、もう大丈夫ですから仕事に戻ってください」
「か、館長がそう仰るなら……」
「っ、あの銀髪……何なのよもうっ」
「おいっ! 誰かこいつを持ち上げるの手伝ってくれっ!」
ジュリアスからそう指示を受けると、何人かの職員が床で意識を失う同僚を引きずっていき再び業務に戻っていく。
静かに扉が閉められると、ジュリアスは老眼鏡を外し――――解読眼でジンを視つめだす。
「っ、」
ジンはジュリアスが解読眼を持っている事に気づくと彼の前から姿を眩ました。
偽人だとバレてしまうと面倒な事になるからだ。
だが、ヘルメスの身を案じていたジンはそれを覚悟してこの場に現れたのだ。
「ジュリアスさん――――」
ヘルメスが不安気に手を伸ばしてジュリアスに向けると。
「なるほど……」
ジュリアスは老眼鏡をかけ直し、穏やかにジンの正面へと移動する。
そして右手を差し出し、ジンに握手を求めてきた。
「なんのつもりだアンタ……」
その行動が理解できなかったジンが握手を拒否していると、ジュリアスはそっと瞳を閉じて笑顔を浮かべてこう告げる。
「貴方が彼女のご子息ですね? お会いできて本当に光栄です……。どうか友好の証を」
困惑するジンは助け舟を求め、ヘルメスに視線を向けるが。
「フフ」
ヘルメスは妙に納得したように両手を前で組み、瞳を閉じて穏やかな表情を浮かべていた。
同じ女性に救われた者がこうして出会う事ができた。
運命の歯車に導かれて。




