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黒匣の世界式  作者: 喜怒 哀楽/Yu1
虹色の園
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7話:原典の断片

 この世界の全てを解き明かした者は歴史上存在しない。

 しかし、それはあくまで記録された文献の中だけの話。

ジュリアスは言っていた、歴史に記録されずに生涯を終えた者も居たと。


「っ、頭が痛い……。自分は……戻ってきたのか……?」


 頭が痛い、まるで膨大な情報が一気に脳に叩きつけられるのように。

 右手で痛みを押さえながらヘルメスが周囲を見渡すと――――。


「今度は何なんだ……ッ」


 青白い無重力の空間に流れる無数の映像。

 そして、見た事のないコードのような無数の不思議な文字列。

 足元もおぼつかず、この不可思議な空間でヘルメスは流れに身を任せて浮かんでいた。

 何一つ自分の置かれた状況が理解できず、混乱するヘルメスは困惑した表情で思わず叫んでしまう。


「自分は……元の世界に戻ったわけではないのかッ、今度は自分に何を見せたいというんだッ!!」


 過去の追憶を終え、現代へと送還されたかと思われたが目の前で広がる光景は異質な空間。

 だが、何故か既視感があった。

 喪失していた過去の記憶。

 オプリヌスの戦いの最中に経験した体験。

 しかし一切覚えがなく、その既視感が余計に拍車を掛けてヘルメスの不安を煽る。


「息が詰まりそうだ……、此処はどこだというんだ……」


 どれだけ周囲を見渡そうと、無数のコードのような文字と映像が流れていくだけ。

 足場も無く、ロクに身動きが取れずヘルメスはただ流されていくだけだった。

 すると、その先で――――”彼”が悠々と待ち構えていた。


「貴様は……ッ!!」


 途端に空間の流れは止まり、唐突に見えない足場が現れたようにヘルメスはその場で立ち止まる形になった。


「……なるほど。まさかとは思ったが――――やはり、エーテルだったか」


 宙に浮かぶ声の主に気づくと、ヘルメスは怒り顕にその姿を見上げて声を荒げると。


「これも……貴様の仕業なのかッ!!」 


 鋭い眼光で睨む先には虹色の園で出会った青年の姿があった。

 何故か相変わらず顔は認識できないものの、声は同一であり格好も変わらない。

 二人はこの空間で無数のコードのような文字列と映像に包まれながら奇妙な再開を果たしたのだった。


「思っていたより理解が早いな。その通りさ、未来を見通して叛逆の断片エンサイコードに細工をしておいたんだ。お前が元の時代に戻る瞬間、存在そのものを隔離できるようにね」


 青年はそう告げると両手を広げながら徐々に降下し、ヘルメスの眼前へと立つ。


「今回は自分の姿や声もはっきり聞こえているようだな……ッ。貴様には色々と聞きたい事がある……ッ。まずは――――あの後、ルルをどうしたッ!!」


 すかさず魔銃の銃口を青年に突きつけるヘルメスに、青年は漆黒のコートのポケットに両手を仕舞い込み。


「無駄な質問は止せ。お前はその答えを知っているんだろ?」


 まるでこちらを挑発するように白を切り通す。

 青年はこの時、僅かに声を弾ませていた。


「貴様ぁあああああッ!!!!!」


 気がつくとヘルメスは魔銃を引っ込め、その代わりに憎悪を宿した拳を振りかざして跳びだしていた。

 しかし。


「っ、か、身体が……っ!? っ、貴様……ッ!! 今度は自分に何をしたッ!!」


 無数に流れる文字列がヘルメスの身体に巻きつき捕縛してきたのだ。

 身動きの取れないヘルメスのすぐ先まで青年は悠々と近づき。


「……哀れみすら感じるよ。弱く無知、愚かで欠落した存在。所詮、”一は一”でしかない」


「何をわけのわからん事を……ッ」


「受け入れるんだ、これが真理というものだ。どれだけ一つの存在が集おうと全には成りえない。これがこの世界の真理だ、それを嫌という程に思い知らされてきたんだ……ッ!!」


 青年はヘルメスの周囲を静かに徘徊しながら何度も訳のわからない言葉を並べていく。


「この歪んだ世界で理想を信じ続ける、それがどれ程に愚かで哀れな行為なのか……。お前は無知であるが故に理解していないのだ」


 表情はわからないが、青年の声色が所々で情緒不安定なものになっている事を感じ取れる。


「私は……ッ、僕は……ッ、」


 一人称すら定まらない。

 青年はピタリと足を止め、ヘルメスを睨みつけ。


「答えろ”ヘルメス”ッ!! 我は……ッ、一体どうすれば良かったというのだッ!?」


 驚いた事にヘルメスの名を叫び、救いを求めてきたのだ。

 瞳を見開き、ヘルメスは拘束されたまま青年に振り向く。


「何故……自分の名を知っているんだ……? それに先程言っていた”やはりエーテルだったか”というあの発言……。何故、自分がエーテル家の人間だと知っていたんだっ、貴様は一体何者なんだっ」


 青年はヘルメスの問いに返答する代わりに無作為に上空を指差す。

 そこにはやはり無数の文字列と映像が流れるだけだったが。


「これは……ッ!?」


 青年が指差した先には、ヘルメスの幼少期が映し出されていた。

 アリスに見守られながら初めて錬金術を成功させ、家族に似せた人形を構築している様子が映像として流れていた。


「っ!?」


 少し視線を逸らせば他にも見ず知らずの者の過去が映し出されていた。

 無作為に流れ行く映像を直視し続けているうちに激しい頭痛に襲われ、ヘルメスは映像から視線を逸らして息を荒げていく。


「はぁ、はぁ、此処は一体……」


 視線を改めて青年に向け、困惑した表情を浮かべていると青年はヘルメスに左手を差し伸べていた。


「お前の求めてきたモノだ。今のお前では到底、受け入れる事はできないだろうがな」


「自分が求めていたモノ……だ、と……」


 つまり、それは原典エメラルドタブレット

 もう一度ヘルメスは周囲の映像に視線を向けていく。

 年代など様々に入り混じった映像が謎の文字列と共に流れるこの空間。


「此処が……、此処が原典エメラルドタブレットだと言うのか!?」


 慌てて首だけを前のめりにして青年に問い詰めるが予想外の発言が飛び込む事に。


「正しくは原典エメラルドタブレットから溢れた一部だ。この空間そのものは原典エメラルドタブレットの断片でしかない。記憶を失っているようだが既にお前は式崩しを構築する際に一度この光景を目にしているはずだ」


「外部法則を使って自分が式崩しを構築した事まで知っているのか……っ」


 青年は差し伸べていた手を静かに下ろし、ヘルメスの髪を鷲掴みにして持ち上げ。


「っ、な、何を……」


「お前の事ぐらい全て知っているさ。だからこそ腹が立つんだ」


 苛立ちが込もった声で青年は告げる。


「お前と魔女はよく似ている。歪んだ理想に縛られ、それを信じて疑わない……」


「そんなもの……知るか……っ、それにっ、自分は腹が立つ所ではないぞッ!! ルルを……よくもッ!!」


 最後に見た過去はルルがこの青年の手に掛けられる寸前だった。

 ジンが実の母のように愛していた女性を、この青年が殺めたのだ。

 ヘルメスは侮蔑と怒りの混ざった瞳で青年を睨みつけ、頭を振って青年の手を振り払う。


「それに……ッ。ルルと貴様の会話から何となく察したが、貴様の正体はアンチスミスの文献に記されていた旧支配者オールドワンという存在なのだろッ!! 貴様が開発した全てを呑み込む者ショゴスが後にどれだけの人々を混沌に貶めようとしていた事か……ッ!!」


 ラティーバで再び現世に蘇った全てを呑み込む者ショゴスは多くの命を奪い、国を破壊しようとしていただけでなく、四大精霊エレメンタル・コアすら呑み込み世界すら破壊しようとしていた。

 とても許せるものではない。

 今にも噛みつきそうな勢いのヘルメスの言葉に、関心するように耳を傾けていた青年が口を開く。


「言いたい事はそれだけか?」


「なんだと……ッ」


 青年は背を向け、途方も無い空間の天を両手を横に伸ばして仰ぐ。


「……いつの時代もそうさ。全ての事象、ありとあらゆる万物は少なからず誰かが望んだ結果生まれるものだ。誰も望まなければ生まれやしない。誰かが願い生まれたモノを否定するには、力が伴う」


 そして、青年は振り返り。


「お前には、その力があるのか?」


 静かにヘルメスを見つめた。

 悪びれる様子も、後ろめたさすら微塵も感じられず、清々しいまでに純粋な声でそう返答したのだ。


「っ、貴様は……狂ってる……ッ」


 不気味な理論を並べる青年に、ヘルメスは鳥肌を立てて表情を歪めてしまう。


「つまり、それは力が無い者は目の前で起こる現実をどんなものでも全て受け入れろという事ではないかっ。ふざけるなっ、そんな理論は破綻して――――」


「その通りだ。この世界は最初から狂い、破綻しているんだ」


「っ」


 ヘルメスは言葉を失い、歯軋りを起こす。

 虹色の花園で、この青年は大きな歯車の集合体の前で絶望していた。

 その時に聞こえた謎の声と言葉を思い出す。


 全てを知り得た今、絶望しか沸きあがってこない。 

 狂気とは無縁のこの空間で、嘆き、涙ながらに叫ぶ。

 見せ掛けの美しさ。

 外見をどれだけ取り繕うと、必ずその光には影が差す。

 そして影はやがて闇となり――――狂気を生む。


 旧支配者オールドワンと思わしきこの青年は恐らく世界に絶望していたのだろう。

 そして徐々に狂気が肥大化していき。


「だから……。だから世界式を解き、運命に囚われない? だったか……。理想の世界を望んだのか……?」


「……」


 青年は沈黙したまま、その問いに答える事はなかった。


「ジンから聞いた事がある……。運命の歯車デウス・エクス・マキナによって世界の行く末は全て決められていると……。しかし、あの文献にはアンチスミスが何かを成し遂げようと何度も時を繰り返していたように記されていた。貴様も……何か後悔しているのか?」


 その瞬間。


「やはりお前はあの魔女とよく似ている……ッ!!」


 青年は両手で顔を覆い隠し、身体を震わす。

 そして。


「僕の正体を知りたがっていたが、それを知った所で無意味だ。ヘルメス、いずれお前はワタシを追ってくるはずだ。だから――――今のうちに始末しておく」


 そう言って青年は右手を横にかざして錬金術を発動させた。


「な、何をするつもりだっ、冗談じゃないぞっ」


 無数の文字列が見る見る青年の掌へと吸収されていき、青白い光を発散させながら漆黒の剣が姿を現す。


「”その血”も貰い受ける。お前を隔離したのはその為だ」


 冷たい剣先がヘルメスの首下に当てられた。

 今回は物理的にも接触する事が可能であり、命の危機をその肌で感じ取ったヘルメスは表情を歪めていく。

  

「随分と自分勝手な男のようだな……ッ。自分が何故、貴様にとって邪魔な存在なのかは知らんが正体ぐらい明かしたらどうなんだッ」 


 すっかり魔銃を握る手は震えており、嫌な汗もかいていた。

 このような場所で身体の身動きも取れず、何とか逃げる算段を考える為に時間を稼ぐことしかできないが。


「煩い女だ。もういい……もういいんだ……。まずは静かにしてもらおうか……」


 青年は漆黒の剣を容赦なく振り払い、ヘルメスの胴を斬りつけた。


「ッ! 、ぅ、ぁあッ――――」


 文字列がヘルメスの口をすかさず拘束して叫ぶ事すら封じる。 

 ヘルメスは腹部から大量の血を流し、激しい痛みにより身体の力が抜けてしまう。

 すると、魔銃はそのまま空間の底へと消えてしまう。

 痛みにより涙も自然に浮かぶ。

 不安と恐怖による怯えきったその瞳で魔銃の消失を見届け、精神的にも追い込まれていく。


「お前が案ずる事は何一つ無い。ケルベロスも必ず後で回収しておく」


「ッ」


 口を封じられ、身体の動きも封じられ。

 ただ涙を浮かべた瞳で青年を睨みつける事しかできなかった。

 胴から流れる血は止まる事なく、このまま放置し続ければ出血死もあり得る。

 だが、青年はそれを待たずして二太刀目に移っていた。


「……不運な女だ。運命の歯車デウス・エクス・マキナの呪いにより”パラケルスス”の、エーテルの娘として生まれた時点で初めからお前に救いは無かったんだ」


 反論は勿論の事、回避すら禁じられたヘルメスに青年は哀れみの言葉を投げかけ。


「お前は原点に近づきすぎた、消えてくれ」


 今度は首を狙って剣を横に大きく振りかざす。

 この状況を打破する事はできず、ヘルメスは全てを受け入れるしかなかった。

 剣は風すら起こらないこの空間で文字列を刻みつつもうそこまで迫る。

 しかし、ヘルメスの首元に剣先が近づいた瞬間。

 ふと動きが止まった。


「……?」


 首から僅かに血を垂らすヘルメスが不振に思い、恐る恐る瞳を開くと青年はヘルメスの背後の”存在”に視線を向けていた。


「な、何で……。何でお前が……。なん――――」


 青年は困惑して言葉を上手く発せられなくなるほど動揺していた。

 ヘルメスも驚きのあまり痛みすら忘れて慌てて振り返ると。


「……もう終わりにして。お願いだから、”元の時代”に帰って頂戴」


 まるで女神の様に美しいその容姿。

 金色に輝く長い髪と、白く透き通った肌。

 純白のワンピースは質素ながらに神々しさを感じる。

 謎の女性が短く言葉を紡ぐと、青年は絶望した表情を浮かべ一瞬にして光の粒子となってこの場から消えてしまう。


「なん、で、……、なんでだよッ!? また僕の……我の邪魔をおおおおおおおおッ!!!!!!!」


 絶望の叫び声はいつしか完全に消えていき。

 ヘルメスを拘束していた文字列も解かれていく。


「ぐっ、はぁっ、ッ、くっ、ハァっ、」


 拘束が解かれ、その場で傷口が広がる腹部を右手で押さえながら膝をつくヘルメス。

 その元にそっと女性は近づき、静かに屈みヘルメスの身を案じるように両肩に手を当てて顔を覗き込む。


「ごめんなさいね……。本当に……、ごめんなさい……」


 朱色の大きな二重の瞳を細め、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。

 必死に謝罪を述べる女性の挙動一つ一つが美しく、思わずヘルメスは痛みすら忘れて見惚れてしまう。


「貴方は……?」


「ちょっと待ってて……。それよりも先に傷口を塞がなくちゃ……」


 そう言って女性はヘルメスの腹部に両手を這わせ。


「痛っ」


「ご、ごめんなさいっ。ち、ちょっとだけ我慢しててね?」


 ヘルメスの腹部を押さえていた女性の両手から赤黒い光が放出され、一瞬にして傷口を塞いでしまった。


「こ、これは……」


 痛みすら完全に消え、慌ててタンクトップを捲り傷口を確認すると跡も残らず綺麗に塞がっていたのだ。

 そして先程の赤黒い光は錬金術が発動する時に発する青白い光ではなかった事に疑問が浮かぶ。

 それを口にするより先に、驚きの表情で見つめるヘルメスに女性は伝える。


「今のは世界の理から外れた力、”蓮禁術”と呼ばれる力よ。貴女が聞かされていた外部法則ね」


「錬金術……?」


 女性は首を横に振り。


「いいえ、貴女達の知っている錬金術は青白い光を発するでしょ? 文字がちょっと違うんだけど、私が今使った力は構築の際に紅蓮のような赤黒い光を発するから蓮禁術って呼ぶの。あまり多様する事が禁じられた力なの」


 ヘルメスの治療を終えた女性はその場で背筋を伸ばして正座し、ごほんと咳をして。


「実はね、こうして出会うのは今回で二度目なの。前回は貴女があまりに膨大な知識を得ちゃったから無事に帰す為に必要最低限の知識だけ残しておいたの。……でも、蓮禁術はとても危険なものだから一定時間でそれすらも忘却するようにしておいたんだけどね」


「えと、あのですね……。唐突すぎて色々と理解できないんですが……自分は以前に貴女に会った事があったんですか?」


 何故かヘルメスも自然と正座をする形になり、互いに向き合い会話を繰り広げていく。

 女性は眉をひそめて困りながらも、ヘルメスの反応が楽しいのか微笑みながら告げる。


「やだ私ったら、ごめんなさいね。そうよね、まず貴女にはこの空間に関して話しておくわね」


 見蕩れる程の笑顔から一遍し、真剣な表情となってこの空間の説明を始めた。


「……もう知っているでしょうけど、ここは原典エメラルドタブレットから溢れ出した知識の残骸が創り出した空間なの。人によっては世界の記録、集合的無意識だなんて揶揄されるんだけど、私は一概のこの空間を一括りにして”智式アカシックレコード”と呼んでいるわ」 


 そして女性は適当に流れる映像を指差し。


智式アカシックレコードは世界の原点から現在に至る全ての事象や知識、感情、想念が全て集約されていて、こうして映像として無数に流れているの。まぁ、あまり難しく考えないでいいわよ? 現代に広まっている原典エメラルドタブレットの解釈とほぼ同じだからね」


 再び麗しい微笑みでヘルメスに首を僅かに傾げて愛らしい仕草を見せてそう説明を終えた。


「つまり、自分は今……原典エメラルドタブレットの一部に触れているという事ですね?」


 拳を握り太ももに乗せていた両手に力が込もっていく。

 あれ程、望んでいた原典エメラルドタブレットが今ここにあるのだ。

 それを見透かしたように女性は小さく息を吐き、哀しそうに目を伏せていく。


「……駄目よ。今の貴女は多くを望みすぎている。欲望は人を変えてしまうものなの。どうか貴女は今の貴女のままでいて頂戴……」


 失った心の復元、もしくは取り戻す術。

 命を失った死者を蘇らせる術。

 その他にもヘルメスが求める答えはいくつもあるが、こうして釘を刺されてしまう。 


「何でもお見通しというわけですか……。ですが、それでも自分は母様の心だけでも取り戻さないといけないんです……っ。お願いしますっ! どうすればその知識を得られるのか教えてくださいっ!」


 勢い余って立ち上がり、切望するヘルメスの姿勢に女性も同じく静かに立ち上がり。


「今の貴女じゃそれすらも受け入れられないの。今は耐えて……、皆が待ってる元の場所に帰るのよ」


 女性は後ろで手を組み静かに背を向け、ヘルメスをたしなめるが。


「申し訳ないですがここまできて手ぶらで帰るわけにはいきません……っ」


 原典エメラルドタブレットの知識を目の前にして引き下がろうとしない。


「……意地にならないで。このままじゃ貴女は欲望に食い殺されちゃう。まだ、その時期じゃないのよ」


 必要以上に原典エメラルドタブレットから遠ざけようとする女性にヘルメスが俯いていると。


「でも、貴女に原典エメラルドタブレットの力が必要になったその時なら――――喜んで協力させてもらうわ」


 自分に振り向き、満面の笑顔でそう告げる少女にヘルメスは複雑そうに顔をあげる。

 今は諦めるしかないようだ。

 長年求めてきたものを前にして納得などできるわけなかったが、何故かこの女性を前にしていると心が落ち着く。

 

「じゃあ、せめて教えてください……。貴女や、あの青年は一体何者なんですか?」


 女性は再び背を向けるが、どこか心弾ませた声でこう答えた。


「フフ、貴女は既に知っているわ。当てはまらないだけで少なくとも私の名前ならもう知ってるはずよ」


 女性の名を、ヘルメスは既に知っている。


「むぅ……。まったく覚えがないんですけどね……」


 だが、皆目検討つかず両腕を前で組み首を傾げていると。


「そろそろ時間みたいよ? 今度は誰にも妨害されず元の場所に戻れるわ」


「うおっ!?」


 再びヘルメスの身体が眩い光に包まれて透け始めていく。

 自分の身体が透ける光景は何度見ても奇妙な感覚だ。

 最後に、ヘルメスは女性を見つめて心残りだった事を伝える。


「貴女は知っているんですか? あの後、ルルがどうなったのか……」


 女性は肩を反応させ、ヘルメスの正面に移動して指を前で絡めながら真実を告げる。


「優しいね……。でも、心配しなくても大丈夫。彼女は元々、不治の病に犯されていたの。病は治らなかったけど、それでも彼女の生涯は愛する息子の腕の中でとても幸せに幕を閉じたわ」


 それを聞いて安心したのかヘルメスはようやく笑顔を取り戻す。

 どこまでも優しさに満ち溢れた笑顔を浮かべ、とても穏やかに瞳を閉じて胸を撫で下ろす。


「良かった……。ルルは自分の事など見えていなかったでしょうけど、一目見れて良かったです。……とても良い人でした」


 ヘルメスの優しさに当てられ、女性は嬉々とした表情でヘルメスの顔を覗き込み。


「特に深い意味はないんだけどね? 確か、彼女にお願い事されていなかったかな? んー?」


 そう、ヘルメスはルルに託されていたのだ。

 思い出すと自然と笑みが零れてしまう。


 ――――ジンを、愛してあげて頂戴。


「フフ、言われるまでもないです」


 あくまで、弟のようなジンに対しての返答だったが。

 何故か、妙に胸が苦しく感じていた。

 女性はそんなヘルメスの返答を茶化す事なく、間もなくこの場を去るヘルメスに対してあるモノを手渡す。


「……フフ。忘れ物よ?」

 

 それは知式アカシックレコードの奥深くにまで落ちた魔銃ケルベロスだった。

 ヘルメスはそれを受け取ると子供のように元気を取り戻して礼を告げる。


「この魔銃とは不思議な縁を感じます。どんなに手放してもこうして自分の元に戻ってきてくれる……。自分の自慢の相棒です」


 その時、微かな声が。


「……ありがとう」


 それは女性からのお礼の言葉だった。


「え? 何で貴女がお礼を?」


「う、ううん? 何でもないよっ」


「は、はぁ……?」


 ヘルメスの半身が光の粒子となって消えていき、もう帰還が迫る最中、女性は最後にヘルメスの頬をそっと撫でて微笑み。


「忘れないで、私はずっと貴女を信じてる。貴女のお師匠さんが言っていたように、このまま旅を続けていれば、いつかきっとまた会えるわ」


 その言葉は何故かとても信用できるものだった。

 原典エメラルドタブレットと、この不思議な女性との別れを惜しみながらヘルメスは凛々しい表情を浮かべ。


「……貴女には二度も救われてしまったな。本当にありがとう、”エドガー”」


 ふと口にしたその言葉。


「む?」


 ヘルメスが自然と出てきたその名に疑問を感じて首を傾げていると。


「……」


 女性は両手で口を隠して驚きを隠せないでいた。

 しかし。


「フフ。どういたしまして、ヘルメス」


 女性の満面の笑顔を目に焼きつけ、ヘルメスは今度こそ現代へと帰還していったのだった。

 散乱する美しい光の粒子は上空へと昇り消えていく。

 最後までそれを見送り、女性は後ろで手を組み見届ける。


「……運命の歯車デウス・エクス・マキナは非情な神ね。このままじゃヘルメス……貴女は愛するもの全てを失う、そして”彼”と同じく狂気に堕ちた怪物となるわ」


 不穏な予言を残し。


「それでも、私は貴女を信じ続けるわ。貴女なら、きっと神や運命すら跳ね除けちゃうって信じて待ち続けるわ」


 智式アカシックレコードの渦へと姿を消していく。

 いつか、ヘルメスとの再会を信じて。

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