4話:巡り会う二人
白昼夢の殺人鬼。
その存在はギリスティアを大きく震撼さるものだった。
当然、当時の王従士達はすぐさま犯人の抹殺へと乗り出していた。
ヘルメス、エルサリア、オプリヌス。
この三名の活躍の甲斐があり、事件は一気に真相へと近づいていく。
しかし、様々な過程を経た三英傑はある命をヘルメス達に下した。
上層部の決断はとてもヘルメスには納得できるものではなかった。
「……何処に向かうつもりですの」
日中だと言うのに不気味な雨雲のせいで周囲は暗く、影に包まれていた。
雷鳴が響き、雨が降りしきる中。
ヘルメスは前髪で表情を隠し、びしょ濡れの姿で路地を抜けようとしていた。
しかしそこには白い息は吐き、険しい表情で建物の壁にもたれ両腕を組むエルサリアの姿が。
まるでヘルメスがこの場所に訪れる事がわかっていたように立ち阻む。
「なぁ……エル……。教えてくれ……」
顔を上げると前髪で隠れたその瞳には涙が溢れていた。
エルサリアは口を硬く閉じたまま壁から背を離し、静かにヘルメスと対峙する。
仁王立ちでその先を待つエルサリアに、ヘルメスは唇を噛み締め、その嘆きをぶつけていく。
「自分は……どうすれば良いんだッ!? あの子を救う事は本当にできないのかッ!?」
報われない悲劇を否定するよう、右腕を力一杯に振り払い、雨音に負けない大声で嘆き叫ぶと。
「くだらない質問ですわ。何が不服ですの。あの少女を殺めずギリスティア王都に連行せよ――――三英傑の命に背くつもりですの? 別に抹殺しろとは……命じられてませんのよ」
とても事務的に、しかしその中には躊躇いが含まれる。
「それに、もしかするとあの少女の出所――――”奴隷商会”にも辿り着けるかもしれませんのよ」
ヘルメスを凍てつかせる発言は躊躇いなく、吐き捨てられた。
「……っ。ふざけるなッ!! ギリスティアはあの子を実験体として薄暗い場所で永遠に閉じ込めておくつもりだぞッ!!」
瞳を閉じて冷静に耳を傾け続けるエルサリアに、白い息を荒げ少女の身を案じるが故に必死の形相で大声を張り続けた。
「……命は助かるだと? そんなもの……詭弁じゃないかッ!! 実験体として生かされ続け、自由を奪われ続けるッ!! あの子はれっきとした人間だッ!! 動物や災獣じゃないんだぞッ!! そんなもの……生き地獄でしかないッ!!!」
その瞬間、あまりにも非情な言葉がヘルメスを押し殺す。
「……あれは私達と同じ人じゃないですわ。……れっきとした――――バケモノですのよ」
残酷は台詞を淡々と告げられ。
「貴、様……ッ!!!」
ヘルメスの身を怒りが焦がす。
考えるよりも先にエルサリアの胸ぐらを右手で掴みかかっていた。
「あれだけすぐ側であの子と接しておきながら、まだそのような心無い台詞がよく吐けたものだなッ!! すぐに今の台詞を撤回しろッ!!!!!」
エルサリアは一切抵抗する事なく、ただ自分を恨めしそうに睨みつけてくるヘルメスの瞳を真っ直ぐに見つめるだけ。
訂正や否定はしない。
ただ一言、ヘルメスの心を深く抉っていく。
「あの少女をこのまま連行すれば不幸な未来しか待ち受けていない、だから貴女はそうなる前にあの少女の未来を奪うと言いますのね?」
「それは……ッ」
エルサリアの言う通りだった。
三英傑が下した決断は少女にはあまりにも酷な内容だった。
だからこそ、そうなる前にヘルメスは少女の命を奪おうとしていた。
右手から力が抜けていく。
そして言葉を詰まらせ、動揺を見せるヘルメスに更なる追い討ちが。
「いい加減になさい、ヘルメス。貴女にそんな権利はありませんわ。そして貴女の理想は――――間違っていますの」
「何が言いたい……」
「気づいていないようですから同期として一つ、忠告して差し上げますわ」
世界は不条理である。
誰しもが平等に、幸福になる方法など例え存在したとしても実行などできない。
誰かが幸福になれば、その側面で必ず誰かが不幸となる。
世界は、人の心は、そう構築されているのだ。
不平等こそが真の理なのだ。
「貴女はいつも言っていましたわね……。目の前で救えるものを全て救いたい、と。しかし、それはただの自己満足ですわ。一見、崇高な思想に聞こえますけど即ちそれは他のものは救わないという事じゃありませんの?」
その在り方を説く。
「正義と言う名の自己満足に囚われ……、挙句それを理想と掲げ……、自身を傷つけ続けるその愚かさ……ッ。そんな方が一体何を救おうと言いますのッ!? そしていつか犠牲者と成り果てた貴女を、貴女が救ったもの達が助けてくれるとでもッ!? 馬鹿な事を仰い……ッ、誰もそこまで堕ちた貴女を救う事なんてできませんわッ!!!」
エルサリアから告げられた無情な忠告。
しかし受け入れる事など、そして納得する事などヘルメスにはできない。
憧れた理想と、抱いた願いを、信じた正義を、ヘルメスは貫く事しかできない。
そうして生きる術しか知らないのだ。
黙り込んでいたヘルメスだが、遂に意を決したように前へと進む。
エルサリアと擦れ違う最中、冷静にその想いを口にした。
「……それでも構わない。その為に自分が犠牲になろうとも、自分は自分の信念を貫き続ける。ただそれだけだ」
確固たる意志を示し、凛々しく去り行くヘルメスの生き様はとても理解に苦しむ。
エルサリアは心の底から哀れに思い、同情してしまう。
「まったく……大馬鹿者ですわ」
するろヘルメスの背後から青白い光が発生して錬金術の反応を見せた。
「エル……」
ヘルメスは静かに振り向くと、背後から放り投げられた物体を右手で掴み取る。
それは一本の剣だった。
エルサリアにより構築された剣が放り投げられたのだ。
「覚悟はしていたさ……。こうなる事ぐらい……」
少女との戦闘を控えたヘルメスに送られた激励の品では決して違う。
訝しげに剣に視線を落とすヘルメスと、構築した剣を構えて意気込むエルサリア。
「剣を構えなさいヘルメス。貴女と同じ方法で私も貴女を救って差し上げますわ。そして……私はあの少女をギリスティア王都まで連行します。その邪魔はさせませんわよ」
互いに止まる事も、譲る事もできない。
ならば実力行使で相手を捻じ伏せる他なかった。
近距離から放たれるエルサリアの殺意は本物。
本気でヘルメスを殺しにかかるつもりだ。
それを肌で感じ取ったヘルメスだったが、依然として決意は揺らがず。
「あまり時間も無いんだ。他の王従士達が此処に到着してあの子を連れていくだろう。自分はそれよりも先に……あの子を解放しなければならない。その邪魔はさせない」
こうして、少女を巡るヘルメスとエルサリアの死闘が始まった。
どれだけ足掻こうが残酷な結末しか用意されていないにも関わらず。
それでも、少女達は剣を握る。
己が信念と、殺人鬼として育てられ、幾千の鮮血を浴びてきた少女の為に。
血塗られた哀れな人生。
しかし、それでも。
――――お花、で……かこまれた……、キレイなまち……いって……みたかった……な……。
少女は、花が大好きだった。
花で囲まれた街、フラウディーネの存在を二人に聞かされてから、いつか行ってみたいと笑顔でそう話していた。
結局、その夢は叶わなかった。
虹色の園で、それだけが心残りだと白昼夢の殺人鬼は静かにこの世を去った。
運命の歯車は非情である。
こうして望む者を拒み、望まなかった者達をフラウディーネへと導いたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
月夜に照らされたこの待ち。
しばらくの拠点として抑えていた高級旅館の屋根に、二人の人影が静かにフラウディーネを怪しく見下ろしていた。
灰色の髪を風でなびかせ、不機嫌そうに両腕を組むエルサリア。
風呂上りなのでいつものように髪を二つに束ねておらず、ヘルメスと同じような長髪を下ろした状態だ。
「……フン。本当に大馬鹿者ですわ。ここからドルスロッドまでどれだけの距離があるのか理解してませんのかしら」
つまらなさそうに鼻を鳴らす髪形だけが違う主の側にはいつもと変わりない姿をした従者の姿が。
一つに束ねられた漆黒の長髪を風でなびかせ、布で包まれた細長い大きな何かを大事に抱えていた。
「今更ドルスロッドに向かってどうするつもりなんでしょうね。あの村にはもうアリスさんは居ないと言うのに」
アリスの死を告げられ旅館を跳び出してしまったヘルメスの行動に唖然とする二人。
エルサリアに関してはその直後、激昂してしまい酒場から戻ったバレットに酷い八つ当たりをしていた。
よく見てみると美青年の顔立ちは至る箇所に青あざを残している。
「ヘルメスにも呆れましたけど……貴方は貴方で何をしてましたのっ! ジンをちゃんと見張っているようにと命令したはずですわよっ!? なのに……っ、ジンまでヘルメスを追ってこの旅館から居なくなってるじゃありませんのっ!」
まるで飼い犬に逃げられた飼い主のような苛立ちを見せ、首を締め上げてくるエルサリアの暴虐ぶりにバレットは表情を青ざめて慌てふためいていく。
「お、お嬢っ! い、息っ! 息できませんってっ!」
「うるさいですわっ! この役立たずっ! 貴方みたいな駄犬は私の側で酸素を吸う権利すらありませんのよっ!」
「か、かんべんして……」
「フンっ」
口から泡を吹き、危うく窒息死寸前の所でようやく解放されるバレットは我ながら惨めな気持ちでいた。
その場に屈み、両手をつきながらこれでもかと酸素を取り込むその姿は見ていて心が痛むもの。
それでもエルサリアは何ら気に留める事なく、再び不機嫌そうに両腕を組み、屋根の上からフラウディーネを見渡す。
息がようやく整ったバレットが静かに立ち上がっていき、風で痛むのか右目の眼帯を右手で抑えながら提案を促す。
「……やれやれ。どこまで本気なんです? そこまで気になるなら今すぐ私がお二人を探して、もう逃げられないように拘束した状態でお嬢の前に連れてきましょうか?」
物騒な発言を平然と告げるバレットに普通ならば驚くだろう。
何処に居るかもわからないヘルメスとジンを探し出し、あの二人を捕まえる事など容易いと言わんばかりの余裕溢れんばかりの台詞。
未だこの男の底は計り知れない。
しかし、エルサリアはその提案を跳ね除ける。
「その必要はありませんわ、何故ならば――――」
バレットならば確実にそれを見事成し遂げられる事をエルサリアは知っていた。
それでもそうさせない事には理由があった。
「いくら貴方が生粋の女タラシで、女性の敵であろうと。無駄に鏡で前髪を気にする格好つけで、相当なナルシストであろうと。この私を何度も失望させてきた間抜けであろうとも。それでも、貴方は仮にもこの私、エルサリア=ウェーランドの執事ですもの。一応、主として信じて差し上げますわ」
「うわぁ……。すんごく傷つきました……」
バレットは笑顔を引きつらせながら、ぐうの音も出ずへこむ。
どこまでこの男が本気なのか時々、エルサリアですらわからなくなってしまう。
それでも。
「こうなる事がわかっていたにも関わらず貴方はあの二人を見逃した……何故ですの? 答えなさい、バレット」
自分を信じてくれている主に対し、バレットは笑顔を保ちつつ静寂に包まれたフラウディーネを見つめながら。
真剣な口調で弁明を試みる。
「いやぁ、今まで色々な人間を見てきたんで何となくわかるんですよね」
「どういう事ですの……?」
怪訝な表情でそう問うエルサリアにバレットは微笑む。
「少し考えてみればわかりますよ。何よりお嬢だって言っていたじゃありませんか。あのお二人がドルスロッドに戻った所で目的や居場所が存在しない」
「それが何故、色々な人間を見てきたという台詞に繋がりますの」
困ったようにバレットは右手を頭の後ろへと当て。
「いやぁ、あのお二人の関係性は未だ掴めていませんが彼らは互いに強く依存しすぎています。特に……ヘルメスさんはかなり重症のようですね。だから、大丈夫なんです。私としては何ともジンさんが羨ましい限りですよ」
「だからっ! どういう事ですのっ! 私にもわかるようにちゃんと説明なさいっ!」
今にもまた首を締め上げてきそうな勢いのエルサリアにバレットは身体をビクッと反応させながら。
「だ、大丈夫ですよ! 必ずお二人はお嬢の元に戻ってきますから! って!? わ、私こう見えて貧弱なんですからそう易々と何度も暴力を振るわれては……ぁ、ちょ、や、止めて!? それ、ホント死にますから!!」
あやふやに説明を濁すばかりのバレットに業を煮やしたエルサリアの制裁が始まる。
旅館の上空で泣き叫ぶ男の声は夜も更けたこのフラウディーネにこだました。
そして場面は一転し。
もう一方の二人組みへと移る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
高級旅館から少し離れた場所。
繁華街を抜けると、フラウディーネ特有の花や蔦などが壁に走る一般の民家が並ぶ。
その造形美は街の職人達によって施されたもの。
花の街に相応しい建物ばかりだ。
眠りにつく美しい幻想的な街並の中、一人慌しく突っ切る姿が見える。
それは息を切らしながら大きなリュックを背負って走るヘルメスだ。
「はぁっ、はぁっ、」
大浴場にてエルサリアからアリスの死を聞かされたヘルメスは凄まじい形相で部屋へと戻り。
迅速に荷物の整理を終え、高級旅館を跳び出していた。
しかし、その横にはいつものようにジンの姿は無い。
「師匠……ッ」
思考回路は一点に絞られ、もはやアリスの事しか考えられないでいた。
ジンに何も告げず身勝手に跳び出し、このまま一人でドルスロッドに向かおうとしていた。
当然ながら静まり返ったこの街で、深夜に馬車は出してもらえない。
例え馬車に乗れてもフラウディーネからドルスロッドに到着する頃には十数日は経ってしまう。
それでも感情を抑えきれず、慌しくフラウディーネから旅立とう自分の足で向かう事にしたのだ。
しかし――――
「ま、待てヘルメスっ!!」
上空から聞こえる声に呼び止めら、出鼻を挫かれてしまう。
「ジンっ!?」
青ざめた表情の中、息を切らして視線を上げると。
「ようやく見つけたぞこんちきしょうめッ」
建物の屋根からジンが考えなしに飛び降りてきた。
だが身体能力の高い偽人のジンには造作もない。
軽々と華麗に着地を決め、ヘルメスの前に立ち塞がる。
「くそ……っ、相変わらずどんだけ速ぇんだよ……っ、ちったぁ追うこっちの身にもなれってんだ……っ」
動悸が激しくなっていたジンは苦しそうにその場で四つんばいになって愚痴を零していく。
その行動と疲れきった姿を見たヘルメスはようやく足を完全に止め、そして急に心苦しくなってしまう。
「ちきしょう……っ、部屋に……っ、戻ってみりゃぁ……っ、案の定、もぬけの殻じゃねぇか……っ、」
予め予測できていた。
もしもヘルメスがアリスの死を告げられていれば、一目散にドルスロッドに向かって跳び出すであろうと。
慌ててジンが部屋に戻るとその予測は見事に的中してしまっていた。
ラティーバから与えられた大きなリュックは見る影も無く、どれだけ探しても旅館にヘルメスの姿は見当たらなかった。
血の気が引いたジンは跳び出したヘルメスに追いつく為に、建物の屋根と屋根を飛び乗りながら移動し、フラウディーネ中を飛び回っていたのだ。
街を出る前にこうしてようやくヘルメスを見つける事ができ安堵し、徐々に息も整っていく。
しかし、今のヘルメスはこうして追ってきてくれた事に感謝している余裕は無かった。
「何も言わず跳び出した事はすまないと思っているっ! だが自分は急いでドルスロッドに向かわねばならないんだっ! 事情を説明している時間すら今は惜しいっ! すまないがこのままドルスロッドに向かわせてもらうぞっ!」
「ちょっ」
ジンは再び全力疾走しようとするヘルメスの左肩を慌てて立ち上がって制止する。
「今言っただろッ!? 自分は急いでるんだッ! 何故、邪魔をするッ!?」
「良いから落ち着け馬鹿ッ!!」
アリスは死んだのだ。
「師匠の元に……ッ!! 頼むから師匠の元に行かせてくれツ!!」
今更、アリスの居ないドルスロッドに戻って何をしようと言うのか。
そして今のギリスティアにヘルメスが戻る事は危険な行為でしかないのだ。
考えてみれば簡単にわかる事だが、ヘルメスはまともな思考が出来なくなっている。
「その手を離してくれッ!!」
同じく大切な人を失った経験のあるジンはその心境を察する事ができた。
ジンですらバレットからアリスの死を聞かされ、動揺のあまり声を荒げて怒り叫んでしまった。
ヘルメスがそれ以上の衝撃を受け、傷ついている事は言うまでもないだろう。
しかしこのままでは不味い。
ずっと側に居て欲しい。
心の底からそう願っていたはずが、今はその手を離せてと言ってしまっている。
「師匠が……ッ、師匠が……ッ!!」
今のヘルメスをこのまま行かせるわけにはいかない。
恐らく好からぬ事態に陥ってしまう、ジンの中でそう警告の鐘が鳴っている。
「っ、」
鋭い眼差しで声を荒げるヘルメスにたじろぎながらも――――ジンは決してその手を離さない。
「っ、この……っ」
ヘルメスに恨めしそうにこうして睨まれているだけでジンは心が折れそうになるが。
それでも離さない。
心を鬼にし、ジンは躊躇いながらも最後には現実を突きつける決断に至った。
「墓標に挨拶でもしに行くつもりかよッ!!!!!」
ジンの左腕から逃れようと先程から肩を揺さぶっていたヘルメスだが。
その動きが途端に止まる。
同時にジンの言葉を受けた事で肩の力が抜け、大きなリュックも地面に落としてしまう。
唖然となり口をゆっくりと開き、驚きの表情を浮かべて言葉をようやく発した。
「知って……いたのか……?」
「あぁ……。俺もついさっき銃男に聞かされたばっかだ……。お前ぇは剣女から聞かされたんだろ」
表情を曇らせ、俯き静まり返るヘルメスを確認するとジンも眉間にシワよ寄せながらズボンのポケットに両手を入れて俯いていく。
嫌に静かなこの一帯を、建物に紛れながら皮肉めいた美しさで囲む花々。
その中には心温まるような、解読眼を彷彿させる綺麗な朱色をした小さな花も咲いている。
アリスの病院にも咲いていたマスキュアと呼ばれる花だ。
穏やかな風が吹くとマスキュアの花びらが二人の間を撫でるように通り過ぎていく。
自然とマスキュアの花びらを視線で追う二人。
「わかっていたんだ……っ。ドルスロッドに戻っても……っ、意味が無いって……っ。でも、気が付けば無我夢中で旅館を跳び出していたんだ……っ」
その先には、夜を照らす月がとても綺麗に映えていた。
何故だか、アリスになだめられている、そのような不思議な気がしていた。
「……どうも、近頃おかしいんだ」
ヘルメスは月を眺めながら静かに口を開いてく。
「師匠の事をエルに聞かされても……よくわからない感覚がしたかと思えば……急に怒りが込み上がってきたんだ……」
「ヘルメス……」
外部法則の代償に、知らずとヘルメスは悩まされていた。
哀を失い、悲しみ嘆く事ができなくなっている。
失った感情の代用として、辛い時は怒りが沸き立つようになっていた。
その変化に疑問を抱き始めていたヘルメスの苦悩。
誰よりも先にアリスは一抹の不安を抱き、涙を流していたのを思い出す。
「わけがわからない……。まるで自分が自分じゃないような……。師匠が亡くなったと聞かされてから、涙を流して嘆く所か……、怒り狂って無意味な行動に出てしまった……」
怒りと狂気。
二つの感情に襲われ、両手を震わすヘルメス。
その口調はとても辛そうに感じる。
「未だ犯人が判明していないようだ。しかし、師匠を殺めた者は間違いなく――――」
狂った錬金術師フェイク。
狂気を振り撒き、狂気を蔓延らせる狂人。
あの日、世界が血眼になって探している男がドルスロッドに姿を現した。
理由や目的はわからない、それでもジンが原因と考えるべきだった。
アリスは愛娘二人と、そしてジンを逃す為に一人あの場に死を覚悟して残ったのだ。
「フェイクが憎い……ッ」
俯いたまま両手の拳を怒りに任せて強く握り締め、血を流す。
悔しさに焦がれ、唇を噛み締めるとその口元からも血が。
身体中が熱い、復讐の炎に包まれていくのがわかる。
「それを阻止できなかった自分が……ッ、あの場に残れなかった自分が……ッ」
アリスを殺害したであろうフェイクを憎み、それを阻止できず逃がされた自分が憎い。
それでも怒りの矛先は決してジンに向けられる事はなかった。
もはや見るに耐えられない、聞くに耐えられない。
「それしか考えられなくなったんだ……ッ」
どう声をかけてやれば良いのかジンにはわからなかった。
一体、今の自分に何ができるのか。
自分が原因で招いたアリスの死に、何が言えるというのか。
そんな権利は自分には無い、全ては自分のせいでヘルメスをここまで苦しめてしまっているのだ。
やはり、自分はヘルメスの側に居てはならない。
このままではヘルメスが潰れてしまう。
そんな風にジンが自分を追い詰めている時だった。
「……ッ」
憎悪と恨み、底知れぬ殺意がジンを背後から貫く。
それは今まで向けられた全てを凌駕する程に歪で恐ろしい。
背中を濡らし、手汗を握り、ジンは只ならぬ気配に自然と心拍数が上がってしまう。
恐る恐る背後に振り向くと――――
「光が閉ざされた世界。あの日、私は失った。誓いを果たす為。私は偽りへと生まれ変わった。この薄暗い世界で。その先に希望や光が無い事を知りつつ。あぁ、私は虚無の存在。あぁ、私は愚かな存在」
殺意は一瞬で霧のように消え、歌声が一帯に響き渡る。
それは賛美歌のように美しく、少女の美声がヘルメスとジンを虜にする。
「こんな夜更けに歌……?」
「あいつら何者だ……?」
除々に近づく歌声と二つの影。
歪な歌詞は綴られ続け、姿を現していく。
息を呑み、身構えるとジンとヘルメスを前に歌は終わり、二人は静かに足を止めた。
「闇に覆われた世界。あの日、あいつは奪った。安寧を穢す為。幸せは生き地獄へと生まれ変わった。あの明るい世界で。その先に希望や光が無い事を知りつつ。あぁ、私は哀れな存在。あぁ、私は愚かな存在」
視線を下に向けて儚げな表情で歪な歌詞を終えて立ち止まる桃髪の少女。
髪先がいくつも外にハネており、顔つきはやや幼く感じる。
どこか幸薄い雰囲気を持ち、漆黒のローブで身を包んでいた。
「とても懐かしい顔だ。はっはっは。まさかこんな夜更けに、しかもこの街で君に再会できるとはな……。今日は何と素晴らしい夜なんだ! 久しいな――――ジン」
蒼いオールバックの髪と、丁寧に整えられた顎髭が特徴的な年配の男。
彼は目を優しく細め、慈愛溢れる笑顔で横に居る少女の頭を撫でていく。
大層な高級感漂う藍色のマントで身を隠すように包み、少女の頭を撫でる指全てに豪華な指輪がハメられている。
その立ち姿には気品があり、恐らく貴族であろう事が明白だった。
彼の姿を目にしたジンは困惑しつつ、慌てて前に出る。
偶然の再会に複雑そうな表情を浮かべ、動揺しながらその名を口にしたのだった。
「アンタ……、”ジル=ドレェク”じゃねぇかっ!?」
ジルと呼ばれるこの貴族とジンは以前に面識があった。
「もう何年ぶりだ……。そう! あれは確かラティーバだったな。いやはや……彼女と君には本当に助けられた。君が居るという事はルル殿もフラウディーネに訪れておられるのかい?」
初めて二人が出会ったのはジンとルルが旅を続ける中で訪れたラティーバだった。
当時、ラティーバを拠点として慈善事業の活動を行っていたジルはルルに助けられた一人だった。
ジンとの意外な再開を果たし、まるで子供のように興奮冷めぬまま無邪気に思い出話に花を咲かせようとするが。
「いや、ルルはもう……」
その言葉がとても重くのしかかり、思わずジルは両手で口を塞いでしまう。
一気に悲しみに包まれた表情となったジルは次に両手を合わせ、そのまま瞳を静かに閉じ、額に当てて祈りを捧げる。
「そうか……。彼女もまた天に召されたのか……。私が敬愛していた者と同様に、あの方もまだこの世を去るべき人ではなかった……。世界とは残酷なものだ……。ジン、とても辛かっただろう……」
ジルの頬には一筋の涙が伝っていた。
ルルの死をこれ程まで悲しんでくれるジルに対し、ジンは感謝の気持ちで一杯だった。
この世を去ったルルが僅かに報われた、そんな気がしたのだ。
取り繕うように苦笑するジンの横に、傍らでそのやり取りを見ていたヘルメスが出る。
「じ、ジンっ。君まさか……、ドレェク公爵と知り合いなのか!?」
意外な二人の接点に驚き、しばらく動けないでいたヘルメスが詰め寄る。
「ドレェク公爵と言えば、”大戦”でも活躍していたギリスティアの名高い貴族の方なんだぞ!? 何故そのような方とジンが……」
ジル=ドレェク。
彼は貴族でありながら、国の為に自ら剣を取り、快進撃を繰り広げて貢献を果たした。
ギリスティアにおいて、その名を知らぬ者は居ない。
「え? このオッサンもしかして凄ぇ奴だったのか?」
ジンが構築されるよりもずっと以前、そしてヘルメスが生まれる前に起きた大戦。
アーデンナイルとギリスティアによる前面戦争は壮絶なものだったと聞く。
しかし事細かな内容までは知らず。
何故これ程まで血相を変えているのか、ジンにはよく理解できず首を傾げていると。
「はっはっはっ。何年も前の話だよ。……今ではただの老いぼれ。それに、”君のお父様”やテレス殿に比べると私の功績など些細なものさ。あの血が流れる日々に終止符を打ったのは紛れもない彼らだ」
大戦にはパラケルススと、アリスも参戦していた。
自重気味にそう告げるジルだが、ヘルメスはすぐに違和感を感じた。
何故、ジルは自分がパラケルススの娘だとわかったのか。
ヘルメスは僅かに口を開いて振り向き、ジルの発言に反応を示す。
「あの、大変失礼だとは思うのですが……、もしや自分とも以前に面識があったのですか……?」
萎縮するヘルメスの両肩にジルはそっと手を優しく置き、満面の笑みで心からその喜びを伝える。
「覚えていないのも無理は無いさ。何せ君と私は初めて会うのだから」
わけがわからず戸惑うヘルメスにジルは告げる。
「君はお母様の、リリアン殿にとてもよく似ている。若い頃の彼女を彷彿とさせる、そう……。とても見た目がそっくりなんだ」
「そう、ですか……」
母の名を出されると急に罪悪感が込み上がってくる。
反応を鈍くするヘルメスにジルは怪訝な表情となったが、すぐにその表情には優しい笑みが戻っていく。
夜空を眺め、記憶の断片を紡ぐように穏やかな口調で振り返る。
「当時は誰もが驚いたものさ。失礼だが、何せ大よそ恋とは無縁だったあのパラケルスス殿を射止めたんだからね。はっはっはっ。だが彼女の美貌は……、納得せざるを得ないまでに美しいものだった」
両親の出会いや、ましてやどの様な経緯で恋に至ったのか。
まるで聞かされていなかったヘルメスとしてはジルの話は新鮮味溢れるものだった。
しかし空気を読まずジンがそれを遮る。
「で、アンタこの街で今は何してんだよ。しかも……こんな時間にそんな若い女まで引き連れてよぉ。――――誰だよそいつ」
先程から沈黙を守り、意思の無い人形のようにただ立ち尽くす不気味な少女。
ぼんやりと地面を見つめ、今ではジンやヘルメスから視線を逸らしてその表情を隠している。
数年前、ジルの傍にこのような少女の姿は無かった。
そして先程感じた殺意の件もある。
険しい表情で少女の存在を懸念するジンだが。
「はっはっはっ!」
それを察したのか、ジルは大笑いをあげてその質問に答えていく。
「珍しいな、私の身を案じているのかい。しかしその心配は杞憂というものだ。何せ、彼女は私が面倒を見ている孤児の一人だからね」
「孤児……だぁ?」
「……」
少女はジルに頭を撫でられると肩を微かに動かして反応を見せた。
しかし頑なに口を開こうとせず、ジンは不審に思い少女を警戒していた。
「ドレェク公爵、どういう事ですか? 貴方は一体今まで何を……」
ジンの傍でヘルメスは静かに直立不動となって戸惑いを見せている。
大戦が終結してしばらくした後。
ジルは行き先を誰にも告げず、ギリスティアを旅立ったのだ。
風の噂では余生を楽しむ道楽に旅立ったと耳にしていたが。
「私は、今までもこれからも。行き場を失った孤児達の面倒を見なければならないのだ。――――贖罪をせねばならないのだ」
贖罪、その言葉はとても重苦しく。
その口調はとても辛そうに。
ジルは少女の頭を撫でる手を止め、決意に満ちた瞳で夜空を見上げていた。
「何故、貴方のような方が孤児達を……?」
そこに笑顔はなく、不躾な質問を繰り返すヘルメスに気を悪くしているわけでもない。
ただ己に科した罰に胸を痛め、複雑そうにジルはヘルメスに視線を向けた。
「……あの戦争で私は多くの命を奪ってしまった。老若男女問わず、陛下の御心のままに、ギリスティアの為にと幾多の命を奪い続けてしまった」
少女の頭から手をそっと離し、両手を後ろで組み。
罪の意識からか表情を強張らせる。
「ギリスティアは勝利した。勝利する事ができた。しかし、どれたけ称えられようとも所詮は人殺し。万人に許される行為でも、ましてや誉れたものではなかった。……私は最も敬愛する者を失った哀しみと、耐え難い罪の意識によって何度も自らの命を絶とうとした」
大戦の中、ジルにとって全てだった者は不幸にも命を堕とし。
多くの命を奪った自身の行為。
それらが重なり、とても正気を保つ事はできなかった。
「私は……楽な道を選ぼうとしていた」
死という安易な逃げ道にすがる他なかったのだ。
しかし、恐怖が邪魔をしてそれを実行に移す事は叶わず。
結果、いつの日からか他者と関わる事を拒み、自身の抱える城に閉じこもる日々を送っていた。
「そんな時だった」
停滞と自堕落した腐った生活に転機は訪れた。
ジルは再び目を細め、優しい笑みで少女の肩を引き寄せる。
「ある人物に諭され、私は自ら……この子達のような存在を救おうと決心したのだ」
決して許されない罪。
ジルは自身を恨み、呪いながらこの世を去った者達以上の命を救う事が唯一の贖罪だと行き着いた。
「後悔をしているだけではいけない。立ち止まるわけにはいかない。何もしなければ変わらない。全ては、私が行動に移らねば始まらないのだ。現実を疎かにし、哀しみに暮れるだけでは決して前に進めない。そのような簡単な事に気づくのが私は些か遅かったようだ……はっはっはっ」
自嘲気味にそう告げるジルに、ヘルメスは深く感銘を受けていた。
今まさに、同じような境遇に立たされている。
どのように絶望から立ち上がれたのか、これから自分はどうせべきなのか。
ヘルメスは姿勢を正し、凛とした表情でジルを見つめる。
「ドレェク公爵。その……宜しければ色々と他にもお話をお伺いしたいのですが」
真に迫るヘルメスの清らかな瞳に快くしたのか、ジルは微かに口元を吊り上げ。
「……今夜はもう遅い。私はこの先にある屋敷に今は子供達と住んでいる。君がまだフラウディーネに滞在しているなら、いつでも私を尋ねておいで」
「……っ!? ありがとうございますっ!」
深々とお辞儀をして感謝するヘルメスにジルはどこか陰のある笑みを浮かべていた。
そして、先程から少女を気にして会話に入ってこようとしないジンにも告げる。
「勿論、ジン。君もいつでも歓迎するよ。数年前の礼もまだ出来ていない。心から待ちわびているからね」
「え? あ、お、おう」
上の空で二つ返事をするジンの言葉を耳にし、ジルは少女の頭に優しく手を置き。
「さぁ、あまり外に居ては身体を冷やしてしまう。屋敷に帰るよ”コルチカム”」
「……」
最後まで歌以外で声を聞く事のなかった少女。
ジルはコルチカムと呼ばれる少女を先導しながら颯爽と帰路につく。
「それではな。屋敷で待ちわびているぞジン、ヘルメス」
背を向けたまま右手を揺らし、再会を期待する別れを告げてこの場から離れる。
ジンは相変わらず両手をズボンのポケットに入れ、注意深く二人を見つめ。
ヘルメスは姿が見えなくなるまで頭を下げ、最後まで優雅な立ち振る舞いで実に貴族らしいジルの背を見送った。
「だいぶ落ち着いてきたみてぇだな。……で、これからどうすんだよ。お前ぇがどうしてもドルスロッドに向かうってんなら付き合うぜ」
まるでヘルメスを試すように皮肉じみた笑みでジンは同行を申し出るが。
ヘルメスは静かに顔を上げ、ジル達の歩いていった先を見つめながら複雑そうに今の心中を伝えた。
「フフ、ジンは嘘が下手だな……。意地でもそうさせないクセに。だが、確かに……自分はもう少し冷静になって心の整理をする必要があるみたいだな」
胸に右手を添え、ジンに振り向き恥ずかしげに苦笑し。
「じ、自分勝手な女と思われるかもしれないが、自分の……自分と一緒にもう少しこの街に滞在してくれないか?」
アリスの死を拭い去る事などできない。
「……言われるまでもねぇ」
だからこそ。
「フフ、ありがとう。ありがとう、ジン」
彼が自らの命を賭けて託したその想いを胸に強く、深く刻み続ける。
「そこでなんだが。早速、自分は明朝に出向くつもりだ」
ヘルメスを信じ、ギリスティアを照らす希望の光だと言ってくれていた。
「あん? ジルの屋敷にか?」
その為に、生かされたヘルメスが今成す事は――――
「いいや、違う。それも予定に組み込むつもりではあるが、師匠は自分に解読眼で式を見て渡り、錬金術の見聞を広げろと仰っていたのだろ? しかし、まだまだ自分は知識不足だ。だからその前にある程度の知識を補おうと思うんだ」
更なる錬金術の向上。
聖鳥の卵を完全に制御し、羽化させる事がアリスの願いに繋がる。
幸いな事に、癪ではあるがエルサリアもこの街に居る。
ヘルメスは利用できるものは全て利用するつもりでいた。
「世界各地から書物を掻き集めた場所、明日は知恵の蔵に出向くぞ」
「へいへい。さり気なく俺も一緒に行く事が決定してんだな。図書館とかクソつまんなさそうだぜ……」
肩を落としてうな垂れるジンだが、ようやく安心する事ができていた。
当面の拠点としてフラウディーネに留まる事となり、ジンは胸を撫で下ろす。
こうして二人は明日に備え、旅館へと戻っていく。
しかし、ジンはあの少女が気がかりだった。
「……何だったんだ?」
ヘルメスには聞こえないよう、小声で先程の疑問を漏らすジン。
ジルとヘルメスが話している最中、何度かコルチカムは頭を撫でられていたが。
その度に微かな変化を見せていた。
手が触れると眉が僅かに動き、人形のように思えた少女から感情を匂わせる反応が伺えたのだ。
それが嫌悪感からくるものなのか、恐怖によるものなのか。
はたまた、まったく別のものなのか。
何故かジンはコルチカムの存在が脳裏から離れないでいた。




