表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒匣の世界式  作者: 喜怒 哀楽/Yu1
運命の歯車
6/80

3話:人喰い猿

人攫いに捕まり、鎖で拘束されていた偽人ホムンクルスの青年――――彼の名はジン。


「ふぅ、長時間も拘束されるもんじゃねぇな。全身の至る箇所が筋肉痛だぜ……」


 長時間鎖で拘束されていた事で固くなった筋肉を解す為に、唖然とする二人を前に素知らぬ顔で柔軟運動を始めていく。

 異常な怪力で鎖を砕き、底知れぬ力を披露した偽人ホムンクルスの青年。リディアは恐怖に顔を引きつらせて背筋を凍らせていた。

 しかし、ヘルメスは頼もしい限りだと凛々しい表情を浮かべていた。


「……死んでくれるな、か。フフ、せいぜい気をつけるとしよう」


 眼鏡をコートの内ポケットへと仕舞い、漆黒の奇妙な銃へ静かに弾丸を込めて戦闘準備へと移る。そして注意深く外の様子を観察した。


「20匹弱か……随分と多いな。それに囲まれているじゃないか」


 全てのコードを読み解く朱色の瞳、解読眼デコードの力で荷台の外に群がる集団の数とその位置を正確に弾きだす。


「ちょっと待ちなさいよ!? か、囲まれてるって何!? 何に囲まれてるってのよ!?」


 小さな身体で慌てふためくリディア。急な事態に不安と恐怖が隠せないようで先程からヘルメスのコートの裾を掴んで離さない。

 そこへ面倒臭そうに頭を掻きながらジンが近づき外で待ち受けている集団の正体をそっと教えてやる。


「この気配はまず人間じゃねぇ。さっきそこの眼鏡の女が数は14つったか? そんな数で群れを作ってこの荒野で行動してる動物なんざ”ギルモンキー”ぐらいだ」


 とある動物の名を聞かされるとリディアは身体をビクッと反応させて目を大きく見開いて更に恐怖で声を震わせた。


「ぎ、ギルモンキーって――――あの……人喰い猿のことッ!?」


 通称、ギルモンキー。人喰い猿として危険指定される動物の一種だ。

 この荒野を訪れる前に現地人から忠告されていた事をヘルメスは思い出す。


「この荒野を縄張りとして活動している猿で、とても気性が荒いと聞いている。よくヴァンクを行き来する行商人等が襲われているらしいな……。中には連れの人間が喰われたとの報告が多数ある事から人喰い猿と呼ばれるようになったようだ」


 内股で両足を震わせ言葉を失うリディアを見て困ったものだと呑気に両腕を組むヘルメス。


「道中、遭遇する事は無かったが、これだけ一箇所に長居していれば流石に奴らも自分達に気づいて寄ってくるか。仕方ない……応戦するしかあるまい。リディア、恐かったら此処で避難していても良いんだぞ?」


「い、嫌よっ! お願いだからあたしを置いてかないでっ!」


「お、おい!? わ、わかってる! だからそう強く引っ張らないでくれっ」


 ヘルメスの腕を両手で必死に掴み、それだけは止めてくれと不安を訴えてくるリディア。友の懇願をヘルメスは蔑に出来ず困った表情を浮かべてしまう。

 リディアは錬金術師としては優れているが、いかんせん戦闘の方はからっきしなのだ。このまま危険な場所に放置しているわけにもいかない。


「ケッ、その女の言う通りだ。ギルモンキーと言やぁ、凶暴さも然ることながら、大の男でも襲われちまえば一たまりも無ぇって話らしいぜ? お前ぇみてぇなビビリなんかすぐ喰い殺されんのがオチだろうな」


 基本的にこの荒野を抜ける際には馬車と腕利きの護衛が必須なのだ。

 そのどちらも持たずして、この荒野をのうのうと進んできた二人の少女にジンは呆れ気味に冷たく言い放ってきた。


「ジン、言いすぎだ……」


 側で怯え続けるリディアをそっと優しく抱きしめ、友に対するその発言に少し表情を強張らせて不機嫌となる。


「ケッ、本当の事だろうが。どこの世界だろうと力の無ぇ奴は結局ただ死んでくだけだ」


 しかし、内心では本当に死なれては気分が悪いと少しだけ思っていた。

 だが、ここでリディアはその挑発的な発言を受けるとヘルメスの手を解いてジンの前に立つ。偉そうに両腕組んでジンを睨みつけて口を開くが、その両足と声は震えて完全に怯えていた。


「ば、ば、馬鹿言わないでよっ!! べ、別にあんな猿なんて、こ、恐かないわよっ! へ、ヘルメスだけじゃ心配だからあたしも行くのよっ!! ねっ!? ヘルメスっ?」


 明らかに一人残される事を嫌がっているようにしか見えない。半泣きの状態で頑なに置き去りにされる事を拒み続ける。

 ヘルメスは何度か唸りながら迷いを見せた末に、結局はこの荷台に残したとしても危険に変わりないので同行させる事にした。


「……わかった。だが、本当に気をつけてくれよ?」


 自分がリディアを守り抜けば良い、その考えに至りヘルメスは渋々と頷いて了承した。

 友の命が掛かっている以上、改めて気を引き締め直す必要がある。真剣な表情で壁の向こうに視線を向けるヘルメスに、ジンは肩をすくめて急かすように告げる。


「ま、気をつけるこったな。とりあえず、早く片付けるぞ。いつまでもこんな場所で立ち往生なんてごめんだぜ」


 ジンは、この二人の王従士ゴールデンドールに出会った事である確信に至っていた。そして、それが要因でヴァンクへ急ごうとしている。

 目的である”彼”が居る。そう思うと、いても立ってもいれなくなっていた。


「うむ、そうだな。自分達も急ぐ身だ。……よし、では行くぞ二人共」


「う、うん……!」


「偉そうに仕切ってんじゃねぇよ。頼むから足手まといになんじゃねぇぞ」


 ジンが無表情でそう告げ、先陣をきって荷台の扉を蹴り開けて外へと降り立つ。

 二人の少女も意を決して互いに顔を合わせて頷き、荷台から勢いよく飛び出していく。


「――――おうおう。どいつもこいつも殺気立ちやがって。何つー不っ細工な面してやがんだよ。まぁ、腹が減ってる奴の気持ちはよくわかるけどな」


 そこには不気味な光景が広がっていた。

 群れを成して蠢くギルモンキーの集団。そのどれもが真っ赤な目を血走らせ、赤子より少し大きな身体を黒い毛で覆っている。

 鋭い牙からは飢餓を訴えかけるように溢れんばかりの涎を垂れ流していた。

 

「ひぃっ!? な、何のよ気持ち悪いっ! あたし達はあんたらの餌じゃないわよっ!?」


「大丈夫だ、自分が付いてる。そう心配するなリディア」


 馬車を取り囲み、完全に三人は包囲されていた。

 ヘルメスはリディアを背で隠すように一歩前に出てジンの横へと並ぶ。


「さぁて、覚悟はできてんだろうな?」


 拳を鳴らして横のヘルメスに最後の確認を行う。ヘルメスは凛々しい表情を崩さず前方のギルモンキーを見つめて僅かに首を縦に振った。

 すると、獣の集団が耳鳴りを引き起こす程の雄叫びを上げ始めた。


「ギゲゲゲゲェェエエエエエエッ!!!!!」


 それはまるで、目の前に差し出された餌に歓喜するかのように。飢餓からの脱出を目前に控え、嬉々とした叫び声を轟かせていた。

 鼓膜を破る勢いで鳴き続けるギルモンキーの雄叫には思わず三人共が耳を押さえて眉間にしわを寄せる。


「うっ、――――うるさッ!?」


「た、確かにこれは堪えるな……。どうやら相当腹が減っていたようだな」


「ケッ、俺には奴らのその気持ちが痛いほどわかるぜ……」


 ジンのみが腕を組んで空腹のギルモンキーに同調して哀れみを抱いていた。

 しかし、それでも――――


「だが、俺を喰おうなんざ猿の分際で百年早ぇッ」


 腹ごなしの軽い運動には打ってつけだとばかりに笑みを浮かべ、金色の瞳でギルモンキーの群れへと狙いを定めて力強く地面を蹴り上げた。

 すると常軌を逸脱したその瞬発力と脚力がジンを一瞬にして蠢く集団の中へと放り込む。


「お、おい! ジン!?」


 無鉄砲なまでに跳び出したジンを開戦の合図として、ギルモンキー達は一斉に咆哮を放ち襲い掛かってくる。


「どうやら自分は彼の力量と常識を見誤っていたようだな……」


「あ、あんの馬鹿っ! あの数に真っ向から飛び込むなんて正気じゃないわ……っ!! 偽人ホムンクルスってあんなに馬鹿なのッ!? いや……馬鹿なんだわッ!!」


 信じられないと、リディアがジンの行動に目を疑っているとヘルメスが漆黒の銃を構え、すぐにリディアへ指示を出す。


「リディア! この数が相手だ、きっと大規模な錬金術が必要になるはずだ! 自分はジンを援護しながらリディアの構築が終わるまでの間、しっかりと守り抜いてみせるから任せたぞ!!」


「ヘルメス……っ」


 ヘルメスは自分とは違うリディアの錬金術師としての才能を信じて疑わなかった。友からの信頼に応えようとリディアも拳を握り遂に覚悟を決める。

 だが、どのような天才でも錬金術を扱う為にはそれ相応の集中力を要するのだ。完全に怯えきった今の現状で大規模な錬金術の構築などできるわけもなかった。

 しかし、弱音を吐いている時間は無い。リディアは意を決してその場へと跪くように屈む。


「わかったわっ! やってやろうじゃないのっ!」


 友が見ている、信じてくれている。それが何よりの支えだった。

 リディアは両手を地面に押し当て、恐怖に耐えながら深かく呼吸をして精神統一を図る。

 その一方で――――


「あぁん? どうしたよ? 腹が減ってんじゃねぇのか?」


 単身でギルモンキーの集団に跳び込んだジンはすっかり囲まれていた。

 それでも、その表情には余裕の笑みが含まれている。異様なまでの余裕と風格がギルモンキー達の動きを封じていた。

 先程から野生の勘がざわついているのか一向に動きを見せないでいたギルモンキー達だったが――――


「キシャアアアアッ」


 遂に先頭に居た一匹が、口を大きく開けて鋭い牙を剥く。

 群れから単身離れてこちらに向かうそのギルモンキーに男気を感じたジンはズボンのポケットに両手を忍ばせ怪しい笑みを浮かべる。


「よぉし、遊んでやろうじゃねぇか」


「ギリリャァアアアアアッ!!」


 その距離がもう手の届くまでに達するとジンは口元を不気味に歪ませ、突っこんできたギルモンキーの顔面を左手で強引に鷲掴みにして動きを止めてみせた。


「……へっ、ようエテ公。俺に牙を剥くって事がどういう事なのか仲間に教えてやれよ」


「ギッ、ギギッ!?」


 そのまま力任せに地面へと乱暴に叩きつけた。

 背中から叩きつけられたギルモンキーは背骨が折れ、悲鳴を荒野全域へと響かさせる。


「ギヤアアアアアッ!!!」


 激痛に襲われてもがき苦しむギルモンキーの前に、黒い靴が現われる。

 恐る恐る顔を上げると――――


「ギ、ァ、ギギ……」


 ズボンのポケットに両手を忍ばせ涼しく立ち、眉をひそめて凶悪な面構えをするジンが金色の瞳を怪しく光らせ見下ろしてきていた。


「餌にする相手はちゃんと選ぶべきだ。……なぁ、そうだろ?」


 迸る殺気がギルモンキーへ放たれる。


「ギ、ギギィッ!?」


 地面に横たわりながら、野生の本能でジンの異常性を察知したギルモンキーは身体を恐怖でガタガタと震わせていく。

 次の瞬間には視界が黒い革靴に覆われ、血走った眼を開くと身体が宙へ浮かぶ。


「出直してこいやクソ猿がぁッ!!」


「ギィィァアアアアアアッ―――――!?」


 顔面に鋭い蹴りが減り込みそのままギルモンキーは遥か遠くまで吹き飛ばされてしまった。


「おほぉ、結構飛ぶもんだなぁ」


 手をかざしてその方角を満足そうに見つめていたジンだが、周囲のざわつきに気づくと直ぐに振り返り凶悪な面構えで威圧する。


「所詮は猿か、学習しねぇなぁオイ」


 仲間の仇打ちとばかりに前方と後方から、ギルモンキー達が両手の鋭利な爪を光らせてもうすぐそこまで襲い掛かってきていた。

 それでも慌てた様子を一切見せず、ジンは頭を掻いてこの状況に溜息を吐く。


「はぁ……。遠路はるばる此処まで来たってのに、どういう出迎えだこりゃぁ?」


 そして目の前のギルモンキーに視線を向け――――


「グギギギッ!!!」


 一瞬でその胸部を手刀で貫き辺りに血飛沫を散らす。 


「ガッ、グ、ギ、ギ……」


「悪ぃが、俺は好んでゲテモノ喰いなんかしねぇ。もちっと旨そうになってから出直してこい」


 冷酷な表情でそう告げ、身体を貫かれた事で細かく身体を震わせていたギルモンキーがそのまま息耐えた。

 それと同時に、銃声がジンの後方から鳴り響くと。


「グギャァ……ッ!?」


 背中に銃弾を浴びたもう一匹が横を通り過ぎていき、地面に身体を擦りつけながらその骸を晒す。

 ジンは心臓を貫いた腕を乱暴に引き抜き、血飛沫を吹かせてその場に死体を落として振り返る。


「ちっ……余計な真似しやがって」


 砂埃が舞う中で痙攣して地面にうつ伏せとなったギルモンキーから後ろの存在へと視線を移す。

 返り血を浴びて銀髪と白のシャツを赤く染める歪な姿となったジンに、その人物は畏怖を感じながらも淡々と告げる。


「自分の助けは不要だったか?」


 そこには凛々しい立ち姿で銃口から煙をふかすヘルメスが居た。その気配には気づいていたが援護はジンにとって不要なもの。

 

「まぁな、逆に邪魔なくらいだぜ。俺なら猿ぐれぇ問題ねぇ。だから、せいぜいアンタらは自分達の事だけ考えとけ」

 

 少し離れた距離で。


「グゲゲェ……ッ!!」


「キシャアアアッ!!」


 今もヘルメスはギルモンキーと交戦中だった。


「フ、頼もしい限りだ――――っと、」


 けたたましい声と共にヘルメスへ向かって跳ぶギルモンキー達。

 だが、ヘルメスは冷静にその全てを器用に身体を仰け反らせて軽くいなしていく。

 そして胸を通り過ぎていく一匹の腹を、力強く握り締めた拳で突き上げる。


「ふんぅっ!!」


「グゲッ!?」


 ギルモンキーは瞬く間に空高くまで昇り、そのまま地面に落下するや意識を失う。

 すかさず周囲に視線を戻すと、まだまだギルモンキー達は殺気立った様子でヘルメスの周りをうろついていた。


「まったく、これだけ力の差を見せつけているのにしつこい連中だ……。リディア、そっちは大丈夫か?」


 銃を握る片手を腰に当て、うんざりしたヘルメスは背後にいるリディアへと振り向く。

  

「ちょ、あんたッ!! 前ッ!! 前ッ!!」


「む?」


 錬金術の構築を急ぐリディアの叫びに、ヘルメスは前方から四足歩行で走って向かってくる一匹のギルモンキーに気づく。

 そして力強く笑って見せ。


「任せろ!」


 ヘルメスは軽やかな身のこなしで風を纏い、コートの端をひらめかせて前方へと跳びだす。


「グギャっ!?」


 そのまま正面のギルモンキーの顔面に拳銃の底を減り込ませて吹き飛ばす。

 先程から少し離れた場所でギルモンキーと応戦しながら眺めていたジンがその様子に感心する。


「へぇ……」


 リディアを守りながら、自分の援護までしてみせるヘルメスの戦闘能力を目の当たりにして評価を改めていた。


「大したもんじゃねぇか――――っと、俺も負けてらんねぇな」


 他所見をしながらでも、ジンは手際良く身体の駆動を駆使して飛び交うギルモンキー達を次々と華麗に捌いていく。素早い動きを見せるジンに未だギルモンキー達は攻撃を掠める事もできないでいた。

 だが、そこにリディアの叫び声が響き渡る。


「きゃああああっ!!」


「あぁん? って、オイ!? これは、不味くねぇか…?」


 敵わないと察した多くのギルモンキー達がジンを諦め、後ろの少女達の元へ一斉に走り出していた。

 流石にあの数はヘルメス一人で対処できないと判断し、直ぐにジンも応援に向かおうとす転回するが――――

 

「――――ッ!?」


 その一瞬、ジンに心の隙が生まれた。


「キキ、ゲゲゲゲ!!」


 振り返ったジンの頬を、死角から現れたギルモンキーの爪が頬を掠り初めて血を見せたのだった。

 一矢報いたそのギルモンキーは両手を叩きながら喜びを顕にし、傷ついたジンに目を細めて飛び跳ねる。


「っ、……のエテ公ッ!! っ、くそ……ッ!!」


 仲間の成果に気づいた数匹が雄たけびをあげながら態度を翻してジンの元へと戻ってくる。いつの間にかジンの行く手を阻む壁と成してヘルメスとリディアから分断されてしまった。

 長い尻尾を逆立て、歯ぎしりを鳴らして威嚇するギルモンキー達にジンの表情はどんどん怒りに満ちていく。


「あんま調子に乗ってんじゃねぇぞ猿共がぁ……ッ」


 緊迫とした空気が流れる中。ヘルメスの表情も先程までとは違い、一切の余裕は感じさせない緊迫としたものに変貌していた。


「くそっ、数が多すぎる!!」


「キシャアア!!」


「グゲェ!!」


 いかにヘルメスが圧倒的な力を持っていようと、一度に対処できる数は限られている。

 更に、一人ならともかく。リディアを守りながら戦うにはあまりにも敵の数が多すぎた。


「ヘルメス……っ」


 背後から、不安と恐怖が入り混じったリディアの小さな声が耳に届く。

 目の前の光景に集中力を欠き、錬金術の構築を中断して身をたじろがせてしまうリディア。


「っ、自分がこれでどうする……ッ」


 ジンも多くのギルモンキーに囲まれ、その対処で動けないでいる。

 自分が何とかしなければ親友が危ない。そう何度も言い聞かせ、声を荒げて必死に甘えや弱さを消し去る。


「リディアは……自分が必ず守り抜くんだ――――ッ!!!!!」


「ヘルメス……っ!!」


 不安げなリディアが両手を絡めて見守る中。その魂を震わす叫びに呼応するように、一斉にギルモンキー達が高く跳んでヘルメスを襲う。

 空を埋め尽くすかのような黒い影の数々。不気味なその光景にヘルメスは素早く銃口を向けて狙いを定める。

 怯んでいる暇はない。

 影に覆われたこの空を晴らすべく、次々と弾丸がその数を減らしていく。


「落ちろおおおおおッ!!」


「グガっ!?」


「ウゲェっ!?」


 だが、このリボルバー式の銃の装填数は六発まで。

 六匹を撃ち落とした所でトリガーは軽くなり、弾丸を撃ち尽くした事を知らせる。


「……っ」


 弾丸を撃ち尽くせば当然新たに補充しなければいけないが、今はその余裕も無い。

 上空から砲弾のようにギルモンキー達が次々と落下してきているのだ。それはまるで黒い雨のようだ。

 ヘルメスは一気に身体を転がすように地面へ跳び込み、ギルモンキー達の攻撃から難を逃れていく。


「ギィイッ!」


 軽い地響きと大きな衝突音りが起こし、ヘルメスが難を逃れた事に舌打ちをするように苛立った声をあげるギルモンキー達。

 ヘルメスは直ぐに砂まみれの身体を起こして走り出す。

 今では髪型もすっかり崩れて前髪を垂らしており、ボロボロな格好となっているがまだまだ大丈夫。

 この背にはリディアの命が掛かっているのだ。休んでいる暇など無い。


「日々の鍛錬に比べればこれしき、どうって事はないッ!!」


「ギ、ギギ?」


「グゲ?」


 翻弄するように俊敏な動きを見せ、ヘルメスは近くにいたギルモンキーの間合いへと容易く潜り込み。


「はああああああっ!!」


 スカートの奥からスラリと伸びるスットキングに包まれた足を蹴り上げて顎へ直撃させた。


「ッ、ァ、グガ……ァ、ッ!?」


 血を吐いて顎が外れたギルモンキーが困惑しながら宙に舞う。

 更に呼吸する時間すら惜しむようにヘルメスの猛攻が続く。


「リディアには指一本触れさせんぞ!!」


「ヘルメス……!!」


 その脚力を活かして跳びあがり、ヘルメスはそのまま次々とギルモンキーの頭に鋭い蹴りを浴びせて吹き飛ばしていく。


「グルァアアアッ!?」


「ギ、ギィィイイッ!?」


「とりゃああああっ!!」


 着地すると一目散に走り出し、他のギルモンキー達へと拳を連続で突き放つ。 

 ヘルメスの動きには一切無駄が無い。闇雲に攻撃と回避を続けるだけでなく、隙を見つると素早く弾丸を補充して銃での攻撃手段まで取り戻す。

 その連鎖的に流れるような動作はどこか機械的で、年頃の少女からは程遠い常人を遥かに逸脱したものだ。


「はぁ、はぁ、」


 ヘルメスの猛攻にギルモンキーの数は徐々に少なくなってきている。

 しかし、体力を思いの他消耗しているらしくヘルメスは辛そうに息を荒げて一度立ち止まる。流石に体力まで無尽蔵というわけでもなく、相当無理をしていたようだ。


「キシャアアッ!!」


 しかし、ここにきてギルモンキー達の攻撃は一層激しくなってきていた。


「うぐ、っ」


 咄嗟に放たれた鋭い爪を漆黒の銃身を盾にして防ぎ弾き飛ばすが。


「くそっ、まだだ……まだまだいける……ッ」


 強がっているものの、明らかに押され始めていた。

 何度も繰り返される攻防に体力は消耗されていき、神経が擦り減りその精度を落としてきている。

 先程から中々、攻撃に出られずに防御に徹する機会が多くなってきていた。


「だ、駄目よ! このままじゃヘルメスが……っ」


 挙句、攻撃に出ても他のギルモンキーに邪魔されてしまうようになっていた。

 今ではリディアの元にギルモンキーを向かわせないようにするだけで精一杯だった。

 このままではいつか突破されてしまう。攻防を繰り返しながらヘルメスは焦りからリディアに錬金術の構築を急がせる。


「リディアッ!! このままでは不味いッ! 構築を急いでくれッ!」


 呆然と立ち尽くし涙目でヘルメスを見守っていたリディアがようやく我に返りコートの袖で涙を拭う。


「キキィイッ!!」


 遂に攻撃を防ぎ切れなくなってきたヘルメスの背に跳び蹴りが襲う。


「っ、――――おのれ……っ」


 地面にうつ伏せとなって倒れ込み悔しそうに表情を歪ませるヘルメスに、ギルモンキー達は不気味な笑みを浮かべて静かに近づいて追撃へと移る。


「くそ……っ」


 限界が近づいてくる事を察したヘルメスは思わず苦痛の声を漏らす。

 

「っ、ヘルメス……!」

 

 親友の傷つく姿に心を痛めつけられ、リディアは再び錬金術の構築を急ぐべく地面に両手を這わした。


「っ、あたしのヘルメスを傷つけて……絶対に許さないんだから!!」


 乱れきった精神を友を救いたいという一点に集中させ、両手から青白い光を放つ。この光こそ、錬金術が発動する際に引き起こされる現象。

 リディアの錬金術が間もなく発動しようとしていた。


「よし、これであとは―――」


 しかし、錬金術の構築が完了するまであと一歩の所で。


「ウキキ?」


「グゲ?」


 絶望が二人に降りかかる。


「キシャアアアアッ!!!!!」


 ギルモンキー達はリディアが成そうとしている事に本能で気づき、ヘルメスを無視してリディアの元まで全力で一斉に走り出す。


「お、おい、待て―――」


 絶望の表情で情けなく手を伸ばすヘルメスの行動は意味もなく、目の前に迫りくる猛獣達にリディアは恐怖のあまり立ち尽くして身構えて錬金術の発動を中断してしまう。

 すると、両手から溢れていた青白い光も散り散りに霧散して消える。


「ひぃぃいいい!?」


 錬金術を完成し損ねたリディアにはギルモンキーから身を守る術は無い。このままでは蹂躙されて殺されてしまう。


「させるかああああっ!!」


 すぐに後を追おうと動揺して姿勢を何度か崩しながらも立ち上がったヘルメスだが――――


「キィイッ!!」


 その場に残っていた二匹のギルモンキーがヘルメスの進路を妨害してきた。


「貴様ら……ッ!!」


 何としてでもリディアを守らねば。それしか今のヘルメスの頭には無かった。

 ヘルメスにとって、リディアという存在は自分の命を差し出しても守りたい大切な存在なのだ。そんなリディアに危害を加える者や、その助けを邪魔する者は誰であろうと容赦しない。


「きゃあああッ!!」


 リディアの叫びに、ヘルメスは怒りに満ちた表情で憤怒の叫びを轟かせた。


「退けぇえええいッ!!!」


「ギ……?」


 瞬く間に目の前に現れたヘルメスにギルモンキーが驚きの声をあげると、強烈な拳が顔面へと放たれた。


「グガッ!?」


「自分を邪魔するなあああああッ!!!!!」


 そして、もう片方の肘を残るギルモンキーに減り込ませた。


「ギゲェェェッ!?」


 リディアの命の危機が迫っている。もはや頭に血が上って怒り以外の感情が沸いてこない。

 だが、ギルモンキーにその隙を突かれてしまう。


「ぐ、はぁッ!?」


 牙が折れたギルモンキーが両手な鋭利な爪でヘルメスの背を裂いて行く手を阻んだ。

 鮮血が舞うとその激痛に耐えかね、ヘルメスは膝をついて動きを止めてしまう。


「う、くっ、リディ……ア……ッ!! 待って……いろ……ッ!!」


 止まっている暇など無い。親友を救うべく、立ち上がらなければならない。


「ギィイイイッ!!!」


 しかし、再びギルモンキーに背中を切り裂かれてしまう。


「があああッ!!!」


「グゲゲゲッ」


 悪戯に何度も傷口を踏みつけられ、更なる強烈な痛みが加えられていく。


「ク、ソォッ!!!」


 もう今から立ち上がって全力で走った所で間に合わない。

 この際、いくら自分が傷つこうとどうでも良かった。せめて、リディアだけは助ける。

 そう覚悟して、ヘルメスは繰り返される攻撃に傷つき耐えながら揺れる銃口の先をリディアに向かうギルモンキーへと必死に定めるが――――


「な、」


 背後から攻撃を続けていたギルモンキーが仲間の危機を察し、ヘルメスの握る拳銃を勢いよく蹴り飛ばして遠くに弾き飛ばしたのだ。


「グッゲッゲッゲ」


 不気味な笑い声で絶望するヘルメスを見下ろすギルモンキー。

 もう間に合わない。

 ヘルメスは両手と両膝を地面に落とし、砂を握り締めて身体を震わせる。俯き絶望の淵に立たされたヘルメスの瞳から溢れた涙が地面へと零れていく。


「う、うぅ……っ」


 大量の涙が地面を濡らす。

 自分は親友も守れないのか、ヘルメスは己の無力さに打ちひしがれていた。

 しかし、それでもギルモンキーは容赦しない。


「ギギギギギ」


 まるで無力なヘルメスを嘲笑うかのように。先程までの仕返しとばかりに、ヘルメスの身体を何度も蹴り続けていくギルモンキー。


「ぐふ……っ!!! っ、この、がはあぁ、っ!!」


 身体の痛みより、心の痛みの方が酷かった。

 それはリディアも同じく。その場に両手をついたまま、懺悔するように涙を零していた。


「ごめんね……ヘルメス……」

 全ては自分が弱いから、自分なんてちっぽけな存在を守らなければいけないから。

 だから、ヘルメスは本来の力を発揮できないでいた。

 自分のせいで傷つく親友の姿に、二人は互いに名を口にして謝罪を繰り返す。


「ヘル……メス……」


「……リ、ディ、ア……」


 しかし、どれだけ後悔しても遅い。

 リディアにはもうすぐそこまで口を大きく開けて襲い掛かってくるギルモンキーの群れが迫る。

 ヘルメスにも、止めを刺そうと鋭い爪を光らせて最後の一撃を加えようと首が狙われていた。

 二人の少女は死を覚悟した。

 だが――――


「ギ……ギ……っ!?」


 少女達の覚悟は、遠くから聞こえた銃声によって撃ち砕かれた。


「な……何だ?」


 ヘルメスにトドメを刺そうとしていたギルモンキーが銃声と共にその場に倒れ込む。

 地面に広がる真っ赤な血潮。

 何が起こったのか一瞬わからなかったが、よく聴きなれたその銃声の元に視線を向けると―――


「世話かけさせんじゃねぇよ――――」


「君は――――」


 風と共に、銀髪を煌かせてその人物がヘルメスを通過した。その片手には漆黒の銃が握られていた。

 全てを理解して、ヘルメスは地面に額を押し当てて安堵の涙を溢れさせ心の底から感謝を囁く。


「ありがとう、ジン……っ」


 咄嗟にリディアは両腕で顔を庇い、目を瞑り死を覚悟していた。

 しかし、自分を食らおうと跳び込んできたギルモンキー達だったが一向に襲い掛かって来ない事に疑問を抱き、恐る恐る瞳を開くと――――


「グギギギギ……」


「フー、フー……」


「ギャ、ギギギ……」


 ヘルメスの銃を握り締めた銀髪の偽人ホムンクルスの青年がリディアに背を向けて立ち尽くしていた。

 ジンは間一髪の所で文字通り、リディアをその身を挺して守ったのだ。


「あー……痛ぇなチクショウ。慣れねぇ真似なんかすんじゃなかったぜ……」


「あ、あんた……ッ!! 何して……ッ!? というか、あんたその血――――」


 リディアの代わりに、ジンの身体は三匹のギルモンキー達によって深くまで傷ついていた。

 胴体や首には何本もの鋭い牙が刺さり、鋭利な爪を至る箇所に食い込ませて確りとしがみつかれていた。

 大量の血を流し、それでも平然と立ち尽くすジンの姿にリディアがぞっと背筋を凍らせると――――


「どうだ、猿共。”偽人ホムンクルスってのは最低に不味い”だろ? ……えぇ?」


 まるで実際に自分も食した事があるような台詞を吐き捨て、ジンは自分の首に噛みついて離さない一匹のこめかみへ冷酷な表情で銃口を押し当て――――容赦なく弾丸を放つ。


「グゲッ!?」


 短い叫びと共に力尽きてジンの身体から落下するギルモンキー。残る二匹は仲間の血を浴びて慌てて牙と爪を抜こうとするが――――


「まぁ、待てよテメェら」


 逃がすまいとジンは拳銃を口にくわえ、残る二匹のギルモンキーの頭を両手で掴んで強引に身体から引き離す。

 深く牙や爪が食い込んでいたせいで肌の皮や肉片は剥がれ、生々しいその傷口から大量の血が吹いてギルモンキー達を更に血で塗り替えていく。


「ちょ……! あんた痛覚がないの!? そんな事したら大量失血で死んじゃうわよ!?」


「は、ふぁふふぉふぁふぇふへふふふぁふぁ……?」


「な、何言ってるかわかんないわよ! そ、それより、あんた正気じゃないわ……」


 銃をくわえた状態で何を言っているのかは理解できないが、おぞましいその凶行と全身血塗れのジンを前にして青ざめて立ち尽くすリディア。

 ジンは銃を噛み砕かないように加減し、両手で掴むギルモンキーを睨みつけて殺気を放つ。


「ギ、ギギギ……」


「グ、グギャ……」

 

 あまりの殺気に二匹は頭を掴まれた、激しく身体を震わせて失禁してしまう。

 そして、ジンは鬼の形相を浮かべ。

 片手でそれぞれの頭蓋骨を握力だけで一瞬の内に砕き、動かなくなったギルモンキー達をゴミのように投げ捨てた。


「ケッ、大した錬金術師様共だぜ。猿相手になんてザマだよ……」


 くわえていた銃を握ると、情けない姿を晒して唖然とする二人の少女に呆れて溜息を零す。

 しかし、少女達が黙り込んでしまうのも無理は無かった。

 牙で食い千切られた跡や、爪で抉られた跡が生々しく残っている。その全てが自分達のせいなのだから。


「っと、そうだ。これ返すぜ?」


「あ、あぁ、ありがとう……。 じゃなくて! それよりも、他のギルモンキー達はどこだ!?」


 するとジンは地面に横たわるヘルメスに近づき、銃を放り投げて返してきた。

 目の前に銃が放り投げられると、ようやく我に返ったヘルメスが慌てて周囲を見渡す。どうも先程から残るギルモンキー達の気配がしないのだ。

 

「あれはまさか……!?」


 警戒して周囲を見渡してみると、遠くの方で息絶えた大量のギルモンキーの死骸を発見する。


「まさか……あの数を一人で全て倒したのか……? どこにあれだけの数が居たんだ!?」


 その数は、ヘルメスとリディアを襲っていたギルモンキー達よりも多い。


「あぁん? アンタらが泣きじゃくってる間に他の群れまで現れやがったんだよ。アンタ、気づかなかったのか? どんだけ必死だったんだよ……」


 二人の危機に気づいていながらも、そのせいで助けが遅くなってしまったのだ。


「ま、俺はアンタと違って守るもんなんて無ぇからな。快調そのもので余裕だったぜ」


 しかし、それは嘘だ。

 ジンは二人を守ろうと必死だった。ヘルメスは何となくそれに気づいていた。

 でなければ身を挺してそれ程の傷を負う事も無かっただろう。


「ジン……本当に感謝している。……リディアを守ってくれて……本当にありがとうッ」


 身体をよろめかせながら正座して涙を拭い、朱色の瞳でジンを真っ直ぐと見つめ、深々と頭を下げて心の底から感謝を伝えるヘルメス。


「か、何勘違いすんじゃねぇよ。別にアンタらがどうなろうと知ったこちゃねぇんだ。だから……その……頭上げろ!!」


 ジンは背を向けて照れ臭そうに頭を掻き乱す。


 ――――ありがとう。


 人間に、しかも錬金術師にそう言われたのは”二度目”だ。どのような反応を示して良いのか困ってしまう。

 すると、リディアもジンの元へと駆け寄ってきた。


「あ、あの……」


 その表情や雰囲気は申し訳なさに溢れており、出会った時に比べると別人のようだった。

 戸惑ったジンは両手をズボンのポケットに仕舞い、怪訝な表情で茶化してしまう。


「よう、どうしたんだよチビ。恐すぎてあの猿みたくチビったか? だとしたら悪いが近寄らないでくれ、俺は鼻が利きすぎるからな」


 気にしている背丈の事や失礼な物言いにも文句一つ言わず、リディアは両手を前で絡めて不安そうにジンの身体を心配する。


「あんた……あたし達のせいで……凄い怪我してるじゃない」


 ジンの身体はギルモンキーによって激しい損傷を見せていた。

 食い千切られた部分や強引に離した事で剥がれた箇所は肉が見えており、今も血を流している。


「あん? ……こんなもんすぐ塞がるから心配すんな」


「そんなはずないでしょ……。このままじゃあんた本当に死ん――――」


 その瞬間――――


「ちょっ!? な、何っ!? 急にあんたの身体どうしちゃったのよっ!?」


 肉を晒し損傷した箇所から赤黒い火花のような光が散っていく。すると、ジンの身体は異様な現象を二人へと見せつけていく。


「何だ……その光は……錬金術、なのか……? いやそれにしても、これはどういう事だ……?」

 

 ジンの傷がどんどん塞がっていく。いや、再生されていく。

 剥き出しとなった肉部分や傷口に新たな細胞や肌が構築されていき、無傷の綺麗な状態へと元に戻った。

 ヘルメスの解読眼デコードは決してその過程を見逃さなかった。息を呑み、驚きの表情のまま立ち上がるとその真意を問う。


「いきなりジンの胸部分から大量のコードが流れ出たかと思えば、自動的に錬金術が発動したように視えたんだが……どういう事だ?」


「こいつ、もう完治してるじゃない……。ねぇ、ヘルメス。偽人ホムンクルスって皆、そういうもんなの……?」


 ヘルメスとリディアの驚く姿にジンは――――


「……やっぱりか」


 聞こえないように小さな声でそう囁き、哀しそうな表情を浮かべて俯き。


「……俺は特別な偽人ホムンクルスってだけだ。だから……その珍獣を見るような目を止めろ」


 ジンの謎は深まるばかりだが、とにかくこれでようやく脅威は去ったのだ。

 今はその安堵からジンを深く追及せず、二人はその喜びを噛みしめる。


「……ヘルメスッ」


 傷だらけの状態でよろよろのヘルメスをリディアは全力で抱きついた。自分のせいで傷つけてしまった親友を、力一杯抱きしめてその胸に顔を埋めて涙を流す。


「う……少し痛い。……しかし、すまなかったな。自分が不甲斐ないばかりに危険な目に遭わせてばかりだ……。これじゃ親友失格、だな……」


 ジンがこの場に居合わせていたおかげで今回は助かったが、本当はこの場で二人共死んでいたかもしれない。自分の命だけでなくリディアを失っていたかと思うと、改めて恐怖がこの身を襲い震わせてくる。

 少し跳ねたリディアの髪を細い指で撫でて落ち着きを取り戻し、額をそっと押し当てて温もりを感じ取る。


「あんた馬鹿じゃない……! あたしの方こそごめんね、ヘルメス……っ」


「リディア……」


 これ以上の言葉は二人の間には要らなかった。


「……おい、いつまでそうしてんだ。またあの猿共に出くわすかもしんねぇんだぞ? とりあえず移動すんのが先決だ」


 先程から二人に背を向けて空気を読んでいたジンがそう警告すると、一方的にジンを毛嫌いしていたリディアから思わぬ言葉が飛んできた。


「……ありがとう、ございました。あと……色々と、すみませんでした……」 


 ヘルメスの胸から顔をあげたリディアは頬を染め、ジンに振り向いて小さな口をもごもごさせて感謝と謝罪の言葉を照れくさそうに告げた。しかも、敬語で。


「おい、気持ち悪いから止めろよチビ……」


 しかし、本気で嫌そうな表情を浮かべるジンの態度にリディアは我慢ができず、肩を震わせてヘルメスから離れてジンに詰め寄り人差し指を突きつける。


「せっかくさっきは見逃してやったのに誰がチビよっ!? 二度とあたしの身長に触れんじゃないわよっ!! 良いわねっ!? こっんのっ、空腹馬鹿っ!!」


「ん? おかしいな……目の前には誰も居ないはずなのに誰かの声がするぞ?」


「あんた、ねぇ……ッ!!」


 荷台での苛立ちが少しばかり晴れたのか、怒り顕となるリディアを満足そうに無視してジンはヘルメスの前に移動した。


「アンタ、最後の方は猿共にボコられてたけど大丈夫なのか?」


「フフ、自分を心配してくれるのか? ジンは――――本当に優しいんだな」


「……」


 どうも、この女を前にすると調子が狂ってしまう。こいつの言動が、一々”あいつ”に似てるのが悪い。


「……ジン? 黙り込んでどうしたんだ?」


 ジンはこのヘルメスに誰かの姿を重ねる事でどこか懐かしさを感じていた。

 だが、それはヘルメスも同じだった。

 初めてジンを見た瞬間、妙な違和感を抱いていたのだ。それは偽人ホムンクルスであるが故のコードが原因では無い。

 その容姿に、どこか見覚えと懐かしさを感じ取ったのだ。

 互いに見つめあう二人の間にすかさずリディアが割って入り、その距離を遠ざけるように両手で二人を押す。


「はーい、あたしのヘルメスに気安く近づくんじゃないわよ空腹馬鹿。で、本当に身体は大丈夫なのヘルメス?」


「え? あ、あぁ。これも日々の鍛錬のおかげだな」


 心配そうに見つめるリディアを安心させる為に腕を曲げてアピールしてみるも、どこかぎこちない動きだ。

 その様子を静かに見守っていたジンは、先程からこれからどうするべきか考えていた。

 この二人と行動を共にするべきなのか、はたまたこのまま単独行動に徹するべきなのか。

 今までのジンであれば後者の選択こそが正しいものだが、どこか放っておけなかった。恐らく、十中八九ヘルメスのせいだ。

 すると、そんな彼女の方から先に提案が持ち出された。


「そうだ、ジン。今さらだが……自分達もヴァンクに向かう途中だったんだ。良かったら……その、一緒に同行しないか?」


 ヘルメスは遠慮しがちに瞳を細めつつ、僅かに期待しているようで口の端を釣り上げている。人差し指を何度も突き合わせてそわそわするその仕草もとても愛らしい。

 ジンは女という生物が持つその破壊力を初めて体感し、気づいた時にはリディアとヘルメスとヴァンクを目指して既に荒野を三人で歩き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ