プロローグ
そこはまるで刃の雨が降り注いだ嵐が過ぎ去った跡のような悲惨な光景。
幾多の死体が荒野に転ぶ。
その全てが刃で貫かれる様は、刃の道筋。
地面に突き刺さる死体の先を、真紅の少女が灰色の二つに束ねられた髪を揺らしながら不服そうに歩んでいた。
「まったく……。この私を掃除道具のように扱うだなんて”あの女”、絶対に許しませんわっ」
もはや戦闘などではなかった。
少女による一方的な暴力だった。
圧倒的なまでに、完膚無きまでに残滅を終えた少女の傍らで、一つに束ねられた黒い長髪を揺らしながら眼帯の青年は言う。
「敵対錬金術師の殲滅……。相変わらずロズマリアさんは過激な命を下してきますね」
一切手を出さず、鮮血が生える少女の姿をただ眺めていただけの青年も静かに歩む。
微かに風でなびく錬金術師のコートを纏う死体の数々、あまりに一方的な殲滅に思わず同情してしまう。
「固有式の使い手ばかりでしたのに……まったく歯ごたえがありませんでしたわね」
両腕を組み、不機嫌そうに眉をひそめる少女の言動に、青年はただ苦笑するばかり。
「お嬢はおっかないですねぇ。私なんてずっとハラハラしっぱなしでしたよ」
布でくるまれた細長く大きな得物を右肩に乗せながら青年はその心境を語る。
「それは”どっちの意味”ですの」
昔からこの青年の言動は気に入らない。
いつも笑顔を浮かべ、自分を小馬鹿にしているかのような青年が少女は腹立たしかった。
「……ふん。とにかく、ようやく任務は全部終わりましたわね。もう休暇は目の前っ! ウキウキが止まりませんわっ! おーほっほっほっ」
仕事が終わり一段落ついた少女は両手を上に伸ばし、パァッと晴れやかな笑顔を浮かべる。
しかしそんな少女とは対照的に、青年は眉を八の字にして先日の出来事について問う。
「結局、ラティーバでの一件……ギリスティアに何の報告もまだ入れていませんが、どうするおつもりで? 奴らの正体は掴めぬまま……。まんまと逃がしてしまいましたけど、あれは明らかに――――」
青年の問いは少女によって途中で遮断されてしまう。
少女が苛立ちのあまり、左腰に帯刀していた柄に左手を添えて鞘を抜く素振りを見せていた。
あくまで素振り。
その意味をよく知る青年は、少女が鞘をこんな事で抜くとは思えないが。
今にも斬りかかろうとする少女の気迫を感じ、それ以上を口にする事を諦めてしまう。
「従者が主人に意見だなんて一億万年早いですわよ」
少女はそう前置きをし、鞘から手を離すと右手の拳をグッと握り締め立ち止まり。
「何故この私が一々何でもかんでも報告を入れなければならないんですのっ! この、私がですわよっ!?」
ヘルメスにも並ぶ豊満な胸に、握った拳を当ててそう言い切る。
絶対自分主義。
それがこの少女の生き様を表した座右の銘。
青年は左手を額に当てて立ち止まり、横暴な少女の発言に苦言を漏らす。
「お嬢は王従士なんですから当然かと……」
「あー、あー、何も聞こえませんわ。聞きませんわ」
少女は青年の言葉に耳を傾ける所か、両耳を塞ぎ外部の音を完全に遮断したまま歩き進めていく。
ギリスティアの三英傑、ロズマリア・フローラからの命を終えた少女はこれ以上仕事をする気はなかった。
「そ、それよりも休暇中は何をしましょうか。嫌だ私ったら、はしたない。楽しみすぎてニヤニヤが止まりませんわぁ。まず……そうっ! 夜が明けるまで豪遊するのは当然としまして、当分は自由ですから全力で楽しみますわよっ!」
小うるさい従者にせっかくの楽しみを邪魔されてたまるかと言わんばかりに、青年を置き去りにしてこのまま”ある街”を目指す。
「……。たっく、……あとでロズマリアさんにドヤされるのは私なんですからね」
困った主に溜め息交じりで青年は小走りで駆け寄る。
「……大体良いんですか? 本当はラティーバに寄ったのもヘルメスさんを捕まえる為だったのに、結局無駄足に終わりましたけど」
つい数日前、ギリスティア全王従士に通達された一つの呼びかけ。
ヘルメス=エーテル、強制送還の要請。
行方を眩ますヘルメスを拘束し、ギリスティア王都へ護送せよという要請が書かれた短い文面だった。
災獣の伝書鳩は少女の元にも訪れ、まずは隣国へと足を運んだ少女達だったが、ヘルメスの手掛かりは一切掴めずにいた。
「それにしてもあの国、おかしかったですわね」
何か強大な力によって欠陥していた国の様子。
それこそ嵐が通り過ぎたように、建物は崩壊し、国中がその復興に明け暮れていた。
特に不可解な点は、式そのものが消失したかのような形跡を残しており。
その事について国王や王従士含め、国民全てが何かを隠していたように思えた。
「一体何が起きていたのでしょう」
ラティーバで感じた違和感。
いつしか両耳から両手を離していた少女は真剣な口調となっている。
そのすぐ横で青年はまだ見ぬ荒野の先を見据え、当時の様子を思い返していた。
「お嬢ではありませんが、何かを隠蔽しているように私も思います。最初は国家内で大規模な錬金術の実験でもしているのかとも思いましたが、錬金術の発展が遅れたラティーバ程度の国ならばその線はすぐ消えました……。そうなると、考えられるのは外部の者によって何かが引き起こされ、それが他国には公に出来ない事情が絡んでいたと考えるのが妥当ですね」
そこで真っ先に思いつくのは。
「彼らがあの国で何かをしていた、その可能性はありますわね」
つい先程、少女が残滅した錬金術師達。
彼らは四大国家の一つ、ギリスティアに並ぶ”アーデンナイル”に所属する錬金術師だった。
何故、他国の錬金術師がラティーバの国境内に居たのかは最後まで口を割らなかった。
「昔からギリスティアと小競り合いを繰り広げていたアーデンナイルですけど、近頃その動きが活発になってきていると聞きますわ。今回の任務もあの国に潜り込もうとしていた錬金術師達の始末ですし……一体何が起ころうとしているのでしょう。というか、ロズマリアはどこでそのような情報を手に入れたのやら。っ、おかげでっ! 私の休暇が僅かに先延ばしにされてしまいましたわっ!! 許すまじロズマリアっ!」
ロズマリアへの怒りで両手の拳を強く握り、眉間にシワを寄せてせっかくの美貌を台無しにしてしまう。
その様子を美形の青年は涼しげに微笑んでいた。
「それにしても、お嬢。休暇を満喫するのも良いですが、その間にヘルメスさんが他の方に捕まったらどうなさるおつもりで?」
少女の怒り歪む表情が、突然変貌する。
「ヘルメスが私以外の者に捕まるですって……?」
青年に振り返ると、その表情は背筋が凍る程の怪しい笑みを浮かべていた。
「この私がそのような事、認めませんわ」
殺意を帯びたその台詞に、青年は思わず喉を鳴らす。
「お嬢……。あくまでヘルメスさんは生け捕りですからね?」
「ま、失礼なっ。そんな事ぐらい弁えてますわよっ。それに心配いりませんわ――――」
少女はこれから辿りつく街の方角へ視線を向け、どこか自信に溢れるような口ぶりで街を目指し歩き続ける。
「きっと、ヘルメスにはすぐ会えますわ」
妙な確信めいた台詞に、青年は半信半疑で主の背を追う。
「……もしそうなれば、嵐の衝突ですね。やれやれ、少しは私の身にもなって欲しい」
そうならない事を心から祈るが。
大抵、この少女の勘は当たるのだ。
それも凄まじい的中率で。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジンとヘルメスが四大国家の一つ、ラティーバを旅立ち数日が過ぎていた。
ラティーバの国王、ダレクス=レアリオンの計らいにより馬車を充てられた二人は周辺に広がる砂漠を抜け見送られ、今は花が咲き乱れる美しい道筋を歩いていた。
「むむぅ」
すっかり傷は癒え、薬の後遺症も消えた。
蒼いコートを纏い、銀縁の眼鏡をかけた錬金術師の美少女ヘルメス。
彼女は大きなリュックを背負い、先程から難しい表情で自身の掌を見つめていた。
「たっくよぉ、お前ぇに諦めるって言葉はねぇのかよ」
その様子を傍らで見守るのは、やはり偽人の青年ジン。
いつものように両手をズボンのポケットに仕舞い、呆れた表情で苦笑いを浮かべながらも嬉しさを感じさせている。
見送りの馬車を降り、この道筋を歩き続ける最中、ヘルメスはずっと錬金術の鍛錬に励んでいたのだった。
「なっ、ジンも見てただろっ、自分はあの国でようやく錬金術師らしく錬金術が使えたのだぞ?」
今まで錬金術がまったく扱えず、錬金術師と呼ぶには程遠かったヘルメス。
しかし初めて錬金術師らしく戦う事ができたのだ。
内部から狂気に蝕まれ、危うく崩壊の道を辿ろうとしていたラティーバを救う為、様々な錬金術を発動させた。
だが、それはまるで夢であったかのように。
「おかしい……。何故、ちゃんと錬金術が使えなくなってしまったのだろうか……」
全てを吞み込む者との戦いで力尽きたヘルメスは再び目を覚ますと錬金術が再び上手く扱えなくなってしまっていた。
あれから何度も錬金術を試してみるが固有式、聖鳥の卵が自動的に発動してしまい、意思と反したモノばかりを構築してしまう。
「はぁ……。そうやって掌ジーっと見つめて下ばっか向いてても仕方ねぇだろうが。……ちゃんと前向いて歩かねぇと、いつか壁か何かにぶつかんぞ」
掌を見つめたまま歩き続ける諦めの悪いヘルメスを心配し、ジンが右手で軽く後頭部をは叩くと。
「うぅ……。そう簡単に女の子の頭は叩いて良いものじゃないんだぞ」
ヘルメスは叩かれた箇所を擦りながらどこか嬉しそうに声を弾ませる。
ここ最近、常に嬉しかった。
どれだけ辛い事があろうと、すぐ側にはジンがいる。
それは今も変わらない。
だから、ラティーバの王城でジンから真実を聞かされても正気を保つ事ができた。
ヘルメスは前に、前へと歩を進める。
少し前髪で表情を曇らせながらも、どこか安心したように”その件”について口にしながら。
「なぁ、ジン」
その心境を察したのか、ジンも歩みを止めず。
「……」
ヘルメスと共に歩き続け、静かに耳を傾ける。
「ドルスロッドで襲撃してきた者達……。薔薇十字団と呼ばれる組織が、ギリスティアで何かを企んでいると……師匠は確かにそう言っていたんだな……?」
アリスは知っていた。
ギリスティアに忍び寄る魔の手と、その存在を。
そして。
「……あぁ。お前ぇには悪ぃけどよ、更に今のギリスティアには王従士の中に、奴らの仲間がいるって話だ」
生まれ育った祖国、ギリスティアがラティーバ同様に内側から危機に晒されているとアリスは言う。
更にその魔の手は既に、ヘルメスが心から忠誠を誓う慈愛王ミストレア=サールージュにまで及んでいる可能性は大きいと。
「っ、」
今にもギリスティアへ跳び帰りたいという感情を必死に堪え道を進むヘルメス。
小刻みに肩を揺らし、未だ動揺は隠し切れない様子。
正義の味方。
そうあって欲しい、そうでなかればいけない。そう強く願い、死に物狂いで掴んだ王従士としての理想。
それが今ではギリスティアの脅威になりつつあると聞かされた。
今までのヘルメスならば耐えられなかったであろう。
だが――――
「師匠は奴らの狙いが賢者の石、もしくは――――”自分”のどちからだと言っていたんだな?」
何故、自分が狙われているのか見当も付かないヘルメスだったが。
ラティーバに到着して以来、ヘルメスの元にギリスティアから送られてくる災獣の伝書鳩は訪れなくなった。
それが何故なのかはわからないが、あのタイミング的にアリスが言っていた事は信憑性は高く、ギリスティアへの不信感は強まるばかり。
「ジジイが”今の”ギリスティアから逃げろって言ってたのはそういうこった。賢者の石ならともかく、何でヘルメスが狙われてんのか俺も聞かされてねぇ……。城でも話したが俺の知ってる事はこれぐれぇだ。あとこれもあの城で言った事だけどよ――――ー」
精神的に逞しくなっていたヘルメスに打ち明けた真実。
最初こそ今以上に動揺を見せたヘルメスだったが、すぐに次の言葉で決意した。
「きっとヘルメスが今までに視てきた式はあまりにも狭ぇ。解読眼を持つヘルメスはもっと世界を視て回って、その見聞を広げろ。んで知識を蓄えるんだ。いずれギリスティアを照らす希望の光に”羽化”する為にな」
ジンの言う通り、アリスが己の命を張ってまでフェイクの足止めを引き受けた理由、それはいつか希望の光と成りうるヘルメスの更なる成長を願い、旅立たせる為だった。
ヘルメスは歩幅を小さくさせながらも、何故自分なのかと静かに自問しながら前へ進む。
「あの狂った錬金術師を相手に……。師匠はそれ程、自分を信じてくれていたんだな……。なのに自分ときたら……」
改めて自身の弱かった心に不甲斐ない思いに悩まされるヘルメスだったが。
その場で足を止めて呼吸を一つし、両目を閉じて静かに落ち着きを取り戻し。
「安心してくれ、ジン」
ヘルメスは、その想いに応えるように強く成長を遂げていた。
再び両目が開かれると、一歩先で反応を待つジンを凛々しく見つめ。
「今の自分がギリスティアへ戻ろうと陛下はおろか、何も救えない。だからジンはこのままギリスティアに戻る事なく、自分に式を見て回れと提案してくれたんだな?」
その返答にジンはこれ以上何も言葉をかけない。
ただ無言のまま、心配する素振りを見せず鋭い牙を光らせて満足気に笑顔を浮かべていた。
信じていた、もうヘルメスは今までの弱いヘルメスではないと。
ヘルメスも同じく、不思議と不安ではなかった。
あの時、ジンは言ってくれた。
――――側に居続ける。
得る事よりも、失う事の方が多かったヘルメス。
だが、ジンだけはずっと側に居てくれると言ってくれた。
ヘルメスは、これだけで前に進む事ができた。
だから、ヘルメスもジンの側に居続ける為にそこまで歩み続ける。
一歩先に居るジンを求め、その感情は今までに味わった事もないもの。
その表情は不安など一切感じさせず、希望に満ち溢れていた。
「フフ」
無邪気な笑顔でジンの右手を両手で掴み、胸に沈める。
そのせいで当てられたヘルメスの豊満な胸にジンは爪先まで全身を赤くさせ。
「お、お前ぇっ、動きにくいんだよっ、が、ガキじゃあるめぇしっ! ちったぁ離れろっ」
内心このうえなく興奮していたが、悲しきかな理性が発動してしまいヘルメスを振り払ってしまう。
「なっ、ずっと側に居てくれるって言ったじゃないかっ! さては照れてるな?」
「おまっ、そ、それはアレだ……っ、つか、一々くっつかれてたらこっちの気が持たねぇってのっ!」
ヘルメスの美貌は世界的に見ても上位に位置しており、思春期真っ盛りのジンにはかなり辛い。
自身の美貌がどれ程までに男性の理性を吹き飛ばしてしまうものか理解していないヘルメスはジンの悩みの種の一つだった。
両手を振り払われたヘルメスはムスッとした表情で両手をわなわなとさせながら。
「フ、あまり自分をナメてもらっては困る。どれだけジンが拒もうが全力で自分は抱きついたり頭を撫でるぞっ。何せジンは”弟も同然”だからなっ! さぁっ、観念して自分に愛でられるんだっ!」
大きなリュックを背負っているにも関わらず軽やかに跳び、ジンを愛でるべく両手を上にあげるヘルメスだが。
「……。アホらし」
ジンは突如、不機嫌そうにヘルメスを置いて一人で進んでしまう。
「む? ……ジン? ちょ、自分を置いていくなんて酷いじゃないかっ」
未だ弟の代用品か何かとしか思われていない事に不満を感じたジンはどんどん前に進んでいき、その後を慌ててヘルメスは追っていく。
美しい花々が舞う中、ジンは立ち止まり。
「……なぁ、ヘルメス」
背を向けたまま哀しそうな声を出すジンに、ヘルメスは立ち止まり。
「どうしたんだ?」
歯切れを悪くするジンに目を細めて優しい笑みを浮かべていた。
こういう時、決まってジンはヘルメスに何か言いたいが言い出せないのだ。
まるで弟を心配する姉の愛にも似ている。
今まで向けられてきたその優しい声色を持ってしても、とうとうジンはそれでも言い出せなかった。
「何でもねぇ……」
何かを抱えた様子のジンを心配し、その横にヘルメスは静かに並び前方を指さす。
「まだかなり距離はあるが、このまま南に進めば四大国家の一つ、”アルゴリストン”に着く。だがその道中で美しい花に包まれた”フラウディーネ”という街がこの先にあってな? きっとそこに着けばジンの機嫌だって直るさ!」
満面の優しい笑みでそう諭されるが、違う。
ジンは機嫌が悪くなっていたのではない。
ただ、哀しかったのだ。
二度と自身に向けられる事のない愛に飢えていた。
それはどれだけ食事をとろうが満たされる事はない感情。
「はぁ……。花なんか別に旨くも何ともねぇっての……」
ヘルメスの思惑は的外れでジンをガッカリさせるだけだった。
「ま、まぁ、そう言うな。そうだ! きっと美味しい料理だって食べられるさ。だからそんな風に落ち込むのは止せ……」
「何っ!? そ、それを先に言えよなっ!! よっしゃぁっ!! そうとわかりゃ、膳は急げだっ!! 走れヘルメスっ!!」
ジンはヘルメスの手を握り、全力で走り出す。
美しい花畑に包まれたフラウディーネを目指して。
「おっ、と、じ、ジンっ!? ま、まったく君は本当に食いしん坊だな。フフ」
しかし、そこで悩みが解決されるのはジンではなくヘルメスの方だった。
穏やかな街で巻き起こる、”理想”と”誇”りの激しいぶつかり合い。
それは懐かしくも、避ける事のできない茨の道。
新たなる旅路の幕が今開かれる。




