エピローグ
ギリスティア王都。
王宮の最上階に設けられた大きな一室。
そこは整理整頓が行き届いた清潔感漂う空間となっており、多くの錬金術の資料で埋め尽くされた本棚が壁一面に敷き詰められている。
大よそ図書館とも思えるこの部屋こそ、ギリスティアの三英傑、ハイリンヒ・コルネリウスが事務作業を行う書斎。
「ふぅ……。大馬鹿者共が……」
書斎の一番奥には前面ガラス張りの窓があり、その前には年季の入った大きな机と、特注の革をあしらった高級感漂う椅子がある。
ハイリンヒは椅子にもたれ掛り、写真を見つめていた。
若かりし頃のパラケルススとアリス、ハイリンヒが写っている。
アリスも所持していた”ある戦争”の終結を記念して撮ったものだ。
「あの時も今日と同じ快晴だったな……」
椅子を僅かに回し、雲一つない晴れやかな空に視線を向けて当時を思い出す。
その表情はいつもの険しくも厳しいものではなく、ただ友を失った一人の男の哀しい表情。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ギリスティアの象徴であり、今と変わらぬ美しい造形美を誇る王宮の門。
この日。
一人の三英傑が突如の脱退を決めた。
純白の三英傑の証である研究衣コートを脱ぎ捨て、門を出てくる。
襟を立てたピンクのカッターシャツ、純白のスーツズボンを履くチンピラのような姿。
太陽の光を浴び輝く金髪をなびかせ、厳ついサングラスをかけた男が階段を降りていくと。
「待て、アリス」
サングラス越しに遠くで自分を待ち構えていた男にアリスは気づき、げんなりした表情で足早に近づいていく。
「よぉ、ハイリンヒじゃねぇか。……俺に今更何か用でもあんのか?」
純白の研究衣コートを規定通りきちんと着こなすハイリンヒが手を後ろに組み、アリスを見上げる。
「昔からの馴染みだ。最後の忠告をしてやろう。貴様の行動は……陛下を裏切るも同然の行為なのだぞ、わかっておるのか」
朝早くの時間帯、今この門を潜る階段の出入りは少なく、周囲の人の気配は一切無い。
此処ならば互いに本音で話し合える。
長年共に国を支えてきたアリスの突然の脱退にハイリンヒは納得がいかなかった。
だが、アリスは薄っすらと笑みを浮かべていつのも調子ではぐらかす。
「がははっ、昔の馴染みだぁ? 嬉しい事言ってくれんじゃねぇか……ハゲのクセによぉ」
ハイリンヒは歳の割りに後退する頭部を気にしていた。
アリスを説得すべく冷静に諭そうと待ち構えていたハイリンヒだが、流石にこの物言いには眉間のシワを寄せて苛立ちを見せてしまう。
「ま、今更何を言われようが俺の意思は変わらねぇ」
アリスは儚い表情を隠すようにいつもの調子でハイリンヒの肩を叩き、階段を降りていく。
足を進めていくと改めてハイリンヒとの腐れ縁を思い返し、懐かしい気分になってしまう。
ハイリンヒはそんなアリスに背を向けたまま苛立ちの混じった声で告げる。
「戯言を……ッ。パラケルススの死が原因なのだろが、貴様には何の責任も無いはずだッ」
先日起きた悲惨な事件、エーテル家の悲劇。
生存者はアリスとリリアンのみ。
現代のアンチスミスと称される程の錬金術師の死は、ギリスティアにとって最大の損害と言える。
アリスはその責任を感じ、三英傑を辞職するのかと思われていたが。
「……なぁ、ハイリンヒ」
階段を踏む足を止め、アリスは両手をズボンのポケットに入れて顔を上げて快晴の空を見つめた。
雲一つ無い、太陽のみが二人を照らす。
「……俺は何も守れなかった。……結局、ヘルメスから全部奪っちまった。そんな奴が国を守れるわけねぇだろ?」
遂にハイリンヒの我慢の限界が訪れる。
冷静であろうと意気込んで現れたハイリンヒはコートを翻し鬼の形相で叫ぶ。
「――――だから多くの命を救う為に三英傑の席を降りと言うのかッ!? 貴様程の錬金術師がただの村医者になるだとッ!? ふざけるのも大概にしておけッ!! 貴様の行為は贖罪でも無ければ単なる現実逃避ではないかッ!!!」
正論を叫ぶハイリンヒに、アリスは耳穴を小指でほじりながら非常に面倒臭そうにしている。
アリスの不真面目な態度は日常の光景と同化している、これについてハイリンヒは言及する事は無いが、三英傑を脱退する件については別だ。
しかしアリスは至って真面目だった。
小指についた垢を口で吹き払うと、真面目なトーンで自身の胸の内を明かす。
「それもあるが――――一番の理由はリリアンとヘルメスの件だ」
「……ッ」
その瞬間。
今まで頑なに引く様子の無かったハイリンヒが初めて言葉を詰まらせてしまう。
「…っ、……”ヘルメス”か」
今日この日まで、ハイリンヒにとってヘルメスは特別な存在だった。
先程まで叫んでいたハイリンヒの声が僅かに小さくなっていく。
ハイリンヒにとってヘルメスが一体どのような存在だったのか。
それを知るアリスは何だか申し訳ない気持ちになるが。
「……何と言われようがあいつらの面倒を見るのは俺だ。これだけはハイリンヒ……いくらお前ぇでも譲れねぇ」
パラケルススと交わした約束。
アリスはハイリンヒに振り返り、力強い瞳で自身の近いを口にした。
その強き想いに打たれたハイリンヒは右手で顔を覆う。
「……ならば、陛下はどうするつもりだ。パラケルススの死が原因で病んでおられる陛下に……貴様は更なる追い討ちをかけるつもりか?」
「ミストレアか……」
「陛下と呼べと何度言えばわかる……」
まだ幼き王の悲壮感漂う姿は見るに耐えない。
ハイリンヒはアリスの脱退により、更なるミストレアの精神を心配していた。
「あのお優しい方をこれ以上傷つけるのは止せ……。陛下には貴様達の存在が必要だったのだ……」
パラケルススとアリスの存在が。
そこにハイリンヒは含まれていない。
「がっはっはっはっ」
「何が可笑しいッ!!」
腹を抱え大笑いするアリスに、ハイリンヒは今にも掴みかかりそうな程の殺気を放ち睨みつけるが。
「っはっはっは。……ふぅ。……お前ぇが居るじゃねぇか」
卑屈な言動をし、怒り顕なハイリンヒの姿にアリスは優しい笑みを向けていた。
「……私は貴様達のように陛下へ接する事はできん」
「たっくよぉ、少しはパラケルススや俺を見習えよ。……お前ぇも一緒になって遊んでやれば良いだけだってのに」
アリスは頭を掻きながら頭の固い友にそう助言を与えるが。
「馬鹿を抜かせ……。彼女はギリスティアの王だぞ。そこいらの子供とは違う」
王という立場であるミストレを子供扱いするなどハイリンヒにとって理解に苦しむ。
日常的にミストレの遊び相手をしていたパラケルススとアリスには毎度ハラハラさせられっぱなしだった。
だが。
「お前ぇ今まで俺らと何見てきたんだよ」
ミストレはいつも笑っていた。
本当に、嬉しそうに。
その笑顔は今もハイリンヒの脳裏に深く刻まれている。
「あいつは、ヘルメス達と同じただのガキだ。いくら先代が亡くなったとは言え、俺からすりゃそんなミストレアを祭り上げて王と崇めてる奴らの方が理解できねぇぞ」
「……」
先王が亡くなり、王が不在という由々しき事態に陥っていたギリスティア。
国家存続の為に次世代の王を用意する必要があったギリスティアは、急遽まだ幼いミストレアを王にするしかなかったのだ。
「欲しいオモチャがありゃダダもこねるし、可愛いもんには目がねぇし……将来の夢はお嫁さんとか言ってんだぞ? それのどこが王だってんだよ……」
アリスはミストレアが不憫だった。
子供として真っ当な扱われず、周囲から王として接される子供の姿が。
「……ミストレアが俺らに甘えてくんのは親の愛に飢えてるからだ。実に子供らしいじゃねぇか。ちったぁ、お前ぇも大人ならそこんとこ察して接してやれよな」
「しかし……」
ハイリンヒは歯切れを悪くする。
わかっている。
ミストレアが本来、何を自分に求めていたのか。
だが、それに応える事はできない。
先王に救われたこの身体が、想いが邪魔をする。
ギリスティアに全てを捧げるハイリンヒには無理だった。
「安心しろって。お前ぇならきっと上手くできる。――――俺らのダチだろうが」
アリスは信じていた。
とても仲が良かったとは言えない。
むしろ価値観の違いから争いは日常茶飯事だった。
それでも。
共に歩み、共に戦い、共に一人の少女に仕えた。
ハイリンヒはそんなアリスの言葉に目頭が熱くなり、言葉を詰まらすが何とか口を開く。
「……呆れたものだ。貴様らの友になった覚えなど無いぞ」
何とか皮肉を吐くが。
「がっはっはっはっ、そりゃそうだろうな。……ダチってのはわざわざ確認する事じゃねぇからな」
アリスにはそんなもの通じなかった。
「気が付いたらダチになってた、そんなもんなんだよ」
ニッと憎たらしい程に清々しい笑顔を向けてくるアリスに、ハイリンヒは複雑そうな表情で自身の右手を見つめる。
「……パラケルススもそうだった。……特に貴様は昔から理解に苦しむ言動ばかりしてくる」
錬金術の才能も、家柄も貧しく、常に孤立していたハイリンヒにできた友と呼べる二人の存在。
だがそれはハイリンヒにとって理解できない事ばかりだった。
昔の思い出が蘇る中、アリスが再び背を向け階段を降りようと動き。
「後は任せたぜ、ハイリンヒ」
アリスはベルトに巻いたホルスターから漆黒の奇妙なリボルバータイプの銃を取り出し、そのままハイリンヒに振りながら階段を踏んでいく。
よく見覚えのあるその銃にハイリンヒは儚げな表情で問う。
「その魔銃……パラケルススの形見か。……貴様、一体これから何をしようとしている」
その瞬間、アリスは最後に立ち止まる。
「……俺が三英傑を抜ける最大の理由がコイツだ」
「仇討ち、か……」
「……」
この時、アリスがどのような表情をしていたのか背を向けているので見えないが、先程とはまた違う強い意志を感じさせる。
エーテル家の悲劇、その現場に居合わせていなかったハイリンヒは一体何が起きたのか詳細を知らされていなかった。
しかし、アリスはそれに答える事はせず。
「……わざわざこうして俺を見送りに来てくれたんだ。そんなダチ公に俺からも最後に一つ忠告しておいてやる」
アリスは気づいていた。
最近入ったばかりの新しい王従士、ロズマリア=フローラの闇を。
「”薔薇”には気をつけろ」
そして近い未来起きるであろう、世界の歪を。
「すぐ世界中に狂気が蔓延る。それも気持ち悪ぃぐらい異常な早さでだ……。その事態に便乗した馬鹿げた連中によってギリスティアはいずれ危機に陥る」
「どういう意味だ!? 何者かがギリスティアを貶めようとしているのか!?」
ギリスティアの危機と聞いてはハイリンヒは黙っていられない。
慌てて問い詰めようと階段を駆け下りようとするが。
「……ミストレアの事は任せたぜ、ハイリンヒ」
「待てアリスッ!!」
アリスは止まらず、それ以上は何も口にしなかった。
何故、自分に何も話さないのか。
ハイリンヒはあの時、アリスから無理にでも全てを聞き出すべきだったと後悔していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
自室で遠い日の記憶に目を細めて空を眺めるハイリンヒ。
その手には今も三人で撮った写真が握られている。
今ではかつてパラケルススが座っていた席、三英傑のトップという位置にいる。
時代を感じざるを得なかった。
こうして感傷に浸っていると、どこか冷たさを感じさせる女性の低い声が耳に入ってくる。
「失礼致します、コルネリウス殿。何度もノックをしたのですがお返事が無かったもので、急ぎの件もあり大変無礼とは思いましたが入室させて頂きました」
先端にウェーブのかかったピンク色の美しい長髪はとても手入れされており、少しタレ目がちで眠そうな瞳な女性。
三英傑のロズマリアが資料の入った一枚の封筒を抱え、ハイリンヒの書斎へと赴いていた。
「どうしたロズマリア・フローラ……」
ハイリンヒは急いで写真をコートの内側に仕舞い、椅子を正面へと向けていつもの厳格な顔つきへと戻り用件を聞く。
「はい、オプリヌスの尋問からお戻りになられたと聞いたものでして。彼の様子はどうでした?」
「フン。進展は困難を極めている。ティオ=フラストスが奴の精神状態を何とか戻す事に成功はしたが、狂気に堕ちた奴は狂言ばかりで何も情報を口にしていない。挙句の果てにアリス=テレスを差し出せと要求してきたものだ……」
両肘をテーブルにつき、指を絡めて苛立った様子でオプリヌスの現状を告げる。
するとロズマリアは普段中々見せない笑顔を浮かべた。
どこかそれには邪気が感じられる。
「ウフフ。それは無理な要求をされたものですね。何せアリスはもうこの世に――――」
「口を閉じろロズマリア・フローラ……ッ」
アリスの死をまるで愚弄するような口ぶりを見せるロズマリアの態度に、ハイリンヒは感情顕に声を大きくしてしまう。
するとロズマリアはすぐに口を閉じ、僅かな沈黙が流れた後、らしくない反応を示すハイリンヒを伺う。
「……どうかされたのですか? ここ最近の貴方は妙に感情的になる事が多い気がします。何かあったのしょうか……?」
「……。私の事は貴様が気にする事など何も無い。それよりも貴様こそ最近、身勝手な行動が目に余るぞ」
本来であれば最高責任者であるハイリンヒが対応する案件などがロズマリアの独断で行われる事が多々あった。
しかしその全てがハイリンヒも同じく決断を下したであろうものだったので目を瞑ってきたが、今回ばかりは言及する他なかった。
「ヘルメス=エーテルの件ですね。彼女はギリスティアの王従士でありながら、我々からの帰還命令を無視し続けているのです。身柄の安全を確認する為にも妥当な処置だったかと」
眠そうな瞳で淡々と悪びれる素振りもなく答えていくロズマリアにハイリンヒは思わず怒鳴り声をあげてしまう。
「っ、ギリスティアの全王従士達に通達された強制送還の要請がかッ!?」
再三に渡る帰還命令に何の返答も示さないヘルメスに向けられた処置。
それは全ギリスティア王従士に向けられたヘルメス捜索の要請であった。
その内容は穏やかな文面ではあったが、要はヘルメスを見つけ次第、生け捕りにしてギリスティア王都へ連行せよという緊急性を有する内容だった。
今まで連絡もつかず、行方を眩ます王従士は何名かいたものの、今回はあまりに過剰な措置だった。
「はい。彼女は我々の貴重な人材の一人です、失うわけにはいかない。既に何人かの王従士達は動き出してますし、発見して連れ戻す事は時間の問題かと思われます」
その業務的な事後報告にハイリンヒは遂にテーブルを力強く叩き立ち上がり。
「よく覚えておけロズマリア・フローラッ!!!!!」
書斎に響き渡るハイリンヒの怒号。
だがすぐさま声は静かに、そして鋭い刃のように刺々しい口調で釘を刺す。
「……貴様はどうやら勘違いをしているようだ。同じ三英傑とて、立ち位置が違う。最終的な決定権は陛下と私にある。今後このような勝手な真似は許さぬぞ、覚悟しておけロズマリア=フローラ」
あまりに憤怒するその姿に気圧され、ロズマリアも思わず身をたじろいでしまう。
一瞬の沈黙が流れると素早く資料の入った封筒をテーブルに置き、深々と頭を下げる。
「申し訳ございませんでした……。そのお言葉を肝の命じ、今後このような失態を繰り返さぬよう心掛けます……」
「フン、軽率な行動は我が身を滅ぼすと知れ。……もう良い、早急にこの場を立ち去れ」
ハイリンヒが椅子に座り、窓に向かって椅子を回転させるとロズマリアは一礼してから書斎から静かに退出していく。
静けさを取り戻し、一人となったハイリンヒは再び窓から外の景色を眺めながら額に手を置く。
「あの愚か者は今どこで何をしておるんだまったく……」
アリスを王都まで連れて来るよう命じた矢先、アリスは何者かに殺害され、ヘルメスの行方も掴めずにいる。
ただでさえ”国家間の問題”等で多忙極まる今のハイリンヒは、ここ数日の中でまた頭部が薄くなった気がしていた。
「どうして私の周りには大馬鹿者しかおらんのだろうか……」
コートの内側から写真を取り出す。
無表情で不器用なパラケルスス、とても嬉しそうに笑い鬱陶しい程にお節介なアリス。
今は亡き二人の、親友の姿。
「いつもそうだった。貴様達は後処理を全て私に任せてばかりだ……」
ストレスを感じてばかりの日々、だが何故か悪い気はしなかったあの頃。
もう二度と戻れなはしない。
世界は、ハイリンヒは変わってしまっていた。
「友……か。くだらん……。実にくだらん……」
誰よりもギリスティアに忠誠を近い、孤独となった男は今日も仕事に明け暮れる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヘルメスの強制送還要請の通達はギリスティアの全王従士に通達されている。
三英傑からの要請もあり、既に何名かの者は動き出している。
ギリスティア王都の端、エーデルソン家が所有する馬小屋にて、小さなリュックを背負った小さな少女も今回の運転手の男と話を進めながら今旅立とうとしていた。
「と・に・か・くっ!! あんたはあたしの言う事聞いてれば良いのよっ!」
「しかしですぇ……。いくらリディアお嬢様の命令とは言え、お母様に内密で馬車を動かしてしまうと私の首がですねぇ……。ちゃんとお母様に行き先と目的を告げてからもう一度来て頂かないと……」
「あたしは子供かっ!! 大体行き先なんてこっちだってわかんないわよっ!!」
リディアの母の許可なく馬車を動かす事はできないと運転手が告げるも、リディアは一向に引き下がらず既に一時間も同じ問答を繰り返していた。
「こうしてる間にも馬鹿共がヘルメスを捕まえようとしてんのよっ? もしヘルメスが捕まったりなんかしたらあんた絶対クビにしてやるからっ!!」
「そ、そんなぁっ!?」
完全に駄々をこね続ける子供である。
相変わらず権力を振りかざし相手を脅すその性格に運転手がたじたじになっていると、リディアの肩に一人の男が手を置き制止する。
「あぁん!?」
怒り爆発寸前だったリディアは血走った目で機嫌悪く振り返ると。
「まぁまぁ、落ち着きなって」
いくつもの寝癖を跳ねらせ、しわくちゃなシャツの上から純白を基としたコートを纏うだらしない姿がその場に立っており。
眉を八の字にして運転手を哀れに思い、無茶苦茶なリディアに苦笑していた。
「ふ、ふ、ふ、フラストス様っ!!??」
「な、何故貴方のような方がここにッ!?」
「やだなぁ……別にとって食おうってわけじゃないんだし、人の顔見るなりそんなに驚かないでよ」
突然現れた三英傑の出現に運転手も目を丸くして開いた口が塞がらない。
それよりも驚いていたのは全身汗だくになって震えるリディアだった。
ティオは微笑みながら頭の後ろに右手を回し、気だるそうに腰を曲げて運転手に会釈してすぐにリディアに視線を向ける。
「で? リディアちゃんってばお母様に内緒で何処に向かうつもりだったのかな? 僕にまで内緒だなんて酷いじゃないかぁ」
「あ、い、いや、そ、そんなつもりじゃっ」
悪さがバレた子供のごとく怯えきるリディアの姿にティオは顎髭を撫でながら苦笑する。
「まぁ、大体検討はついてる。ヘルメスちゃんに向けられた強制送還の件でしょ? でも残念。リディアちゃんはこれから”僕の助手”として常に行動を共にしてもらうからね。勝手にギリスティアから出ていかれると困っちゃうんだよねぇ」
そう言いながらコートの内側から煙草を取り出し、火を灯そうとすると。
「あ、あの、フラストス殿? ここ一応……禁煙なんで……」
「あ……すみません……」
運転手に注意され渋々コートの内側に煙草を戻すティオ。
こんな事態に煙草を暢気に吸おうとするティオのシャツをリディアは乱暴に掴みブンブンと振りだす。
「じゃあフラストス様の権限でどうにかしてくださいよっ!! そんなんでも一応三英傑でしょっ!?」
「ちょ、ね、寝不足なんだからブンブン攻撃や、やめ、」
不健康な生活を続けるティオは貧血を起こし、自分の胸辺たりまでしかない背丈のリディアにされるがまま地面に倒れてしまう。
その様子をただ怯えて手助けをしようとしない運転手。
両腕を組み、怒りのオーラを纏うリディアに困り果てたティオは立ち上がるのも面倒臭いので地面にあぐらをかいたまま続ける事に。
「ホント、リディアちゃんの発言って一々棘があるよね……。おじさんは硝子の心なんだからもっと丁寧に扱って欲しいな」
「そんな事よりヘルメスをどうにか助けてあげられないのっ!?」
「そんな事て……、いや、まぁ、これも仲良くなったって証だと思って胸にそっと押し込んでおくとしよう……」
いつもお茶らけた雰囲気のティオがここぞとばかりに真剣な表情で人差し指をリディアにかざし。
「ホント、マリアちゃんには先手打たれてばっかで困ったもんだねぇ。リディアちゃんには申し訳ないんだけど、僕の権限じゃ強制送還の件はどうしようもないんだよねぇ」
「とんだ役立たずですね……。あぁっ、もうっ。こんな事ならコルネリウス様に相談するんだったああああ」
せっかく真剣な表情を作ったのにリディアは両手で頭を押さえ込んで嘆き叫ぶ結果に終わってしまう。
「リディアちゃん、おじさんにも一応傷つく心あるからね? ちょっとは自重しようよ……」
トホホと、コートについた砂埃を払いながら立ち上がるティオ。
「ま、旦那は旦那で色々と考えがあって動いてるみたいだけどね」
「……コルネリウス様もこっちの味方なんですよね?」
右手を腰に置き、ハイリンヒが”こちら側”である事を再確認するリディアにティオは静かに頷き、右手で四本の指を見せる。
「あぁ。これから起こる大きな戦いに向けて僕がとりあえず揃えられた駒は四つ。そのうちの一つが旦那ってわけさ」
「駒って……まるでゲームか何かみたいに言うの止めてくださいよ」
眉間にシワを寄せて不機嫌そうにするリディアにティオはもう申し訳ないと笑みを浮かべ。
「はは、ごめんよ。とにかく今はまだ旦那と僕、そしてリディアちゃんしか居ないんだよね」
「……さっき四人って言ってませんでした?」
適当ばかり抜かすティオにいい加減うんざりしてくる。
「あぁ……。まぁ、残りの一つは非常に扱いずらい駒でねぇ。下手をすると寝返って向こうの駒になっちゃうかもしれないんだよね」
「そんな危険な人、仲間にするの止めましょうよ……」
「確かに危険な駒に変わりはないけど、戦況を大きく変えるだけの効果があるからね。まだ駒が揃ってすらいない僕らとしてはぜひ抱えて置きたい所なのさ」
これからの戦いを大きく変える力を持つ者。
それが一体誰なのか、何よりも敵に願える恐れがあるとティオは言う。
半ば強制的ではあるがティオの提案に乗ったリディアには聞いておく権利があった。
「大体誰なんです? あたしまだ教えてもらってないんですけど……」
「はは、そのうち改めて紹介するよ。それよりも――――」
ティオは一段と真面目な口調で場の空気を重くしていき、リディアだけでなく関係の無い運転手すら喉を鳴らす。
「まず僕らは準備をしなきゃいけない。ロクに駒を揃えないとゲームが始められないからね……」
「今、完全にゲームって言いましたよね? ふざけた事ばっか言ってると殴りますよ?」
「も、も、もぅ、な、殴ってるじゃない……」
背の低いリディアはティオのみぞおちに適確にパンチを一発食らわせていた。
「はぁっ、はぁっ、じょ、冗談はさて置き……」
腹を両手で押さえ、表情を真っ青にしたティオが苦しそうに言う。
「これからリディアちゃんは僕と行動を共にして駒を集める手伝いをしてもらう。……残念ながらヘルメスちゃんの捜索は諦めてね」
ようやく痛みが納まったのかリディアの肩に手を置き、ヘルメスの捜索は諦めろと念を押す。
自身の行動を見透かされこうして止めに現れた以上、立場的な事もありリディアは逆らう事もできずもの言いたげな様子で俯いてしまう。
「……正直まだ色々と頭の整理が追いついていないうえに、フラストス様の側で行動する事自体が嫌悪感の対象でしかないんですけど……」
「酷い言われようだ……どんだけおじさん嫌われてるのさ……」
それでも、このティオに強力すればヘルメスを救える。
それだけを信じリディアはティオに従う事に。
「とにかく駒集めを行いながら、リディアちゃんには錬金術の見聞を広めてもらう。来るべき日に備えてもっと強くなろうねって事だねぇ。おじさんの修行はアリスさん程じゃないにしろ厳しいから覚悟してよー?」
俯いていたリディアは顔を上げるやジーっとティオを見つめ。
「ちょっとでもあたしにセクハラ紛いの言動したらすぐコルネリウス様にチクって解雇してもらいますからね」
「あ、はい……こちらこそお手柔らかにお願いします……」
だいぶティオに慣れてきたのか、いつの間にか立場が逆転していた。
「きゃっ」
馬車周辺に突風が吹き、リディアは髪とスカートを押さえる。
風はすぐに止み、空に葉が舞う。
その葉が一体どこに向かっているのか、それは誰にもわからない。
リディアはその葉を静かに見つめ、大切な友の無事を祈る。
「ごめんねヘルメス……。あたし、あんたを守ってあげられるぐらい強くなって助けてあげるから……。もうちょっと待っててねっ」
守られてばかりだったリディアは、ヘルメスを守る為にこれから数々の難関へと立ち向かう。
いずれ、必ずヘルメスの力となるべくに。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして、古の悪魔、全てを吞み込む者によって危機に晒されていたラティーバ。
あの日から数日が経ち、今は街や村の復興作業に追われていた。
ファナンの悪事が暴かれ、解放された村人達は今も違法薬が完全に抜け切れていないものの、回復の兆しを見せていた。
王従士制度や、この国の見方について国王ダレクス=レアリオンを筆頭に新たな改革も提案されている。
英雄、ヘルメス=エーテルによってこの国は解放され、全ての者が明るい未来を信じていた。
既にヘルメスとジンはこの国を旅立ったが、今でも彼らの心にはその光が鮮明に残っていたのだった。
この国はもう一度やり直せる、誰もがそれを疑わなかった。
そんな中、ラティーバで新たな出来事が。
「ん~。ようやく着きましたわねっ。……最近、本当に仕事ばかりの日々でストレスが溜まりっぱなしですわ。その衝動で”施設”を何度破壊してやろうと思った事かっ!」
伸びをすると胸が強調され、その美貌も合わさり近くに居た男性全ての視線が集中される。
「ごくり……すげぇ美女だな……」
「いやぁ……眼福、眼福……」
「でもあの子、”錬金術師”じゃねぇか? 今度はどこの国の錬金術師だ?」
三つの金色のベルトが前に付いた真紅のコートを纏い、内側には歩く度に揺れる胸を隠す黒のノースリーブを着込む。
ひらりと揺れる清楚な白のスカートから伸びる黒のニーソ足はとても健康的で魅力的だ。
そしてスカートのベルト部分には鞘に納まった剣を一本帯刀している。
「ヘルメス殿もそうだったが……最近の錬金術師はあんな美女ばかりなのか……?」
「ばっか……。あんま声でかくしてその彼女の名を口にすんじゃねぇよ……」
「そうだぞ、他国の連中にゃ今回の件は秘密だって国王様が仰ってたろ」
「あ、いっけねぇ……」
灰色の長髪を金色のリングで二つに束ね、腰まで伸びた髪を揺らす碧眼の美少女。
どこか気品漂う少女の横には付き人である一人の男性が。
「しっかし、ありゃ何だ……? 美男美女かよ……くっそ」
「つかあの細長ぇの何だ……?」
長い漆黒の髪を少女と同じように金色のリングで一つに束ね、右目を黒の眼帯で覆う乾色の美青年。
細長い大きな何かを布で包み、大切そうに肩にかけて持ち歩いており、茶色のコートを纏っている。
内側はスーツでまるで執事の様な格好をしている。
「やれやれ……。勘弁してくださいよお嬢。そんな事をしてしまったらロズマリアさんに殺されちゃいますよ?」
今、二人の美男美女がラティーバの門を潜り街に到着した。
周囲の視線に青年だけは気づき、やれやれとばかりに自分を先導する少女の後を追う形で追従する。
それでも少女は周囲の視線などお構い無し、少女は従者に声高らかに言う。
「お~ほっほっ! この私がロズマリアに? 面白い冗談を仰いますのねぇ~。それならそれで好都合と言うものでなくて? 返り討ちにして刻む絶好の機会じゃあそばせっ」
上品に口元へ右手の甲を当て、笑う少女に青年は思わず周囲に首を右往左往と振り、慌てて小声で耳打ちをする。
「そういった言動は謹んでくださいよ……。”ギリスティアの王従士”として今の発言はかなり不味いですって」
そう、少女はギリスティアの王従士。
三英傑に対して先程のような発言を不用意にしていればいつか必ず罰せられてしまう。
青年は気が気ではなかった。
「それにしても……酷い有様ですわね。一体この国で何があったと言うのでしょう」
しばらく歩き進めると、いつしか大広場へと二人は出てきていた。
道中見かけた何かが這ったような傷痕に沿って足を進めていた結果、パラケルススの記念碑が置かれるこの場所に出てきたのだ。
あらゆる周囲の建物が不可解な消え方をしており、それは破壊というよりも存在そのものが消えたような形跡だった。
「先程、周辺に住まわれる方々に色々と話を聞いてみましたけど詳しい事はよくわかりませんでしたね」
自然と四精霊の近くまで足を運ぶ。
「どうもおかしいですわねぇ。これだけの被害にも関わらず誰もその状況がわからなだなんて……。まさか……っ!! 国絡みで何かを隠蔽しようとしているのかしらっ!! 陰謀っ! これは陰謀ですわっ!!」
鼻息を荒げ、目を輝かして無邪気な子供のように自分に詰め寄る少女に青年は引きつった笑みを浮かべている。
「お嬢そういうのホント好きですね……。まぁ、確かに不可解な点がいくつもありま――――」
ふと視線を逸らせば、そこには四精霊の心――――を見つめる”青白い髪をした青年”が居た。
先程そこには確かに居なかった。
二人はすぐさまそこから跳び、自分達に気配を一切感じさせずに現れたこの男から距離を離す。
「……お嬢、この男から只ならぬ気配を感じます、私の背に隠れてください」
「……えぇ。私でも感じますわ。その目は……解読眼。……貴方、いつからそこに居ましたの?」
モノクル越しの赤黒い右目と、朱色の左目で青年は二人に視線を向ける。
純白の手袋で包まれた両手で、赤黒い球体が持ち手についた漆黒の杖を持つ全身漆黒のスーツを纏っていた。
とてつもない邪悪なモノを感じさせ、感情を一切感じさせない声で告げる。
「君達は知らなくて良い事だ」
短い一言の中に凄まじい身の危険を感じるも、青年は額から汗を流し少女を庇うように前へ出た。
「それを決めるのは我々です……。答えてもらいましょうか、貴方は何者なんです……?」
青年の腕で前方を塞がれて守られる少女も息を呑み、返答を待つ。
しかし次の瞬間。
青年は二人に興味無いとばかりに視線を四精霊の心へ戻し。
「君達が探しているヘルメス=エーテルならばもうこの国には居ない」
全てが見透かされていた。
自分達がヘルメスを追っている事をこの青年は知っている。
少女は言葉に乱れを感じさせぬように冷静にその発言に正反対の返答をした。
「……一体何を仰ってますの?」
青年の正体が掴めていない以上、こちらの素性や目的を晒すわけにはいかず少女がそう口にすると。
「別に隠す必要ないのに。ほら、さっきまた僕が仕留めた災獣に括りつけられてたよ?」
上空から漆黒のコートを纏い、質素な仮面で顔を隠す金色の髪をした青年が三人の間を阻む壁のように降ってきた。
その両手にはギリスティアの王従士が使役する伝書鳩の死体がいくつも握られており、仮面の青年はそれを雑に地面へと投げつけてきた。
「お嬢ッ!! ”許可”をください……ッ。あの杖の先端に付いている赤黒い球体もそうですが……こいつらは危険な匂いしかしない……ッ」
青年は細長い何かを包んだ布をいつでも解けるように準備し、臨戦態勢へとなり少女に許可を仰ぐが。
「あはは、残念ながらもうこの国に用は無いんです。彼の目的は”既に達成された”、ファナンさんは十分に役目を果たしてくれたようですね……」
そう言いながら青白い髪の青年に視線を向けると――――赤黒い球体が激しい光を発生させて周囲を赤黒い光で包み込む。
「ま、待ちなさいっ!」
「お嬢ッ!! 駄目だッ!! 離れてッ!!!」
咄嗟に何かを止めようと走り出す少女だったが異常な気配を感じた青年に全力でそれを止められてしまう。
「運命の歯車はこれでまた歪を大きくさせた。オレに心があれば感謝していただろう。だがアリスとの戦いでオレはまたしばらく世界に現れられない。後の処理は再び任せたぞ”リオド”」
「仰せのままに……」
ヘルメスとジンの居ぬラティーバで起きた新たな事件。
赤黒い光が消えると、二人の前から青年達の姿も消えていた。
彼らの正体をこの時、二人はまだ知らなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
……。
世界は”あの頃”から何も変わっちゃいない。
でも、そう遠くない未来できっと変化が起きるはずだ。
運命の歯車による呪縛から間もなく世界は解放される。
その為にもまだ消えるわけにはいかない。
――――あはは~、”私達”は何も干渉しないよ~。
君はいつも陽気で楽しそうだね。
殺したい。
――――ンフフ、”私達”は”貴方達”を信じてますから。
信じる、か。
お前だけは絶対に許さない。
――――よくぞ辿り着いた。やはり”我”が器には”貴様”のような者こそ相応しい。
何故なんだ。
お前のせいで彼は……。
――――”貴方”と”私”は同じ過ちをしてしまったのね。
……。
”二人の神”、”旧支配者”、”魔女”。
長い旅の中で、”僕”は本当に多くの者達に巡り会った。
もはや僕が僕である保障なんて無いのに、彼らの声を未だにこうやって鮮明に覚えてる。
でも、今回の旅でようやくそれも終わりそうだ。
皮肉な事に、誰の手でもない。
”彼”の手によって。
その日が、”審判の日”が訪れるまで僕は僕を歪め続けようじゃないか。
僕はようやく救われるのかな――――エドガー。




