17話:月夜に照らされる国
黒い霧に包まれたラティーバを見下ろす巨人。
「”テケリリリィィィィィイイイイイイイイイ”」
古の悪魔、全てを呑み込む者が先程から無数の瞳を血走らせては野太い声をあげていた。
自我や意思など無いかと思われた全てを呑み込む者だが。
「な、何て雄たけびだッ、」
どれだけ絶望を与えられようとも何度も立ち上がる小さく弱き存在、人間のその姿に苛立ちを隠せないでいるように感じる。
「クッ……、何とか奴の足を破壊してあの巨体を再び地に着けるのだッ!!」
「「御意ッ!!」」
氷の簡易式を大量に抱えた王従士達が、ディランの指示を受け、全てを呑み込む者の足元まで一斉に駆け出す。
仲間達をいとも容易く殺め、驚異的な猛威を奮っていた全てを呑み込む者の分裂体も今やヘルメス達の活躍により全てが消えている。
「ラティーバは滅ぼさせんぞおおおおお」
「ヘルメス=エーテルが切り開いてくれた道を決して無駄にするなあああああああ」
「全ては国民の為に!!! 王の為に!!!」
王従士達だけでなく、ヘルメスとジンもその集団に紛れ、同じく雄たけびをあげながら終結を目指す。
「……。……雨、か」
王従士達と共に走り出していたヘルメスがふと上空を見上げると。
「チッ、こんな時に……」
陰鬱とした霧に包まれるラティーバに血を洗い流すように降り注ぐ雨。
雨は次第に強くなっていき、足元を滑らそうとしてくるが転んでいる暇などない。
一刻も早く全てを呑み込む者の元に辿りつかねばならいのだ。
ヘルメスのすぐ側で肩を並べて走るジンが白い息を吐きながら言う。
「ケッ、血まみれのお前ぇにとっちゃ丁度良いシャワーじゃねぇか」
「フフ、言ってくれるじゃないか」
「しっかし不気味な雨だぜ……」
ヘルメスとジンは互いに笑みを浮かべながら冗談を交えながら突き進む。
だが、禍々しい巨人は既に次の行動に出ていた。
「あん?」
全てを呑み込む者の腹部分に、大きな口のようなものが出現しており徐々に広がっている。
そして穴が広がりきるとその中心に赤黒い光が集中していく。
「おい、ヘルメス……。ありゃぁ、何だ……っ!?」
息を切らし走り続けるジンが全てを呑み込む者の異変に気づくと、ヘルメスもすぐさま解読眼を大きく見開いて絶句してしまう。
それもそのはず。
凄まじい量の式が一つに集まり、自分達に今まさに放たれようとしていたのだ。
「あれは……――――不味いッ!!」
嫌な予感というものは何故かよく的中する。
一体、全てを呑み込む者が何をしようとしているのかはわからない。
しかしあれは明らかに自分達に向けられた攻撃に間違いない。
先程からヘルメスの勘が警告の鐘を激しく鳴らしている。
「だがこの距離ではッ……!!」
間に合わない。
今のヘルメス達の距離では今すぐ全てを呑み込む者の行動を止める術は無い。
しかしそれでも止めねばきっと取り返しのつかない事態へと陥ってしまう。
ヘルメスは考えるよりも先に自身の手をジンに向けて伸ばしていた。
「ジンッ!! 君の手を借りるぞッ!!」
「あん? 何だよ急に――――」
一か八かの賭けに出る。
急にジンの右腕をヘルメスは両手で乱暴に掴み制止し。
「……おいおい? ってッ!?」
「任せたジンッ!! 奴の体勢を少しでも崩し攻撃を逸らしてくれッ!!」
両手腕に力を込めて踏ん張り。
「はぁ!? 一体何がどう――――」
ジンが疑問を口にし終えるより早く。
「いッ――――けえええええええええええッ」
ヘルメスは全力でジンの身体を砲丸のようにぶん回し、全てを呑み込む者へと放り投げたのだった。
「ざっけんなぁあああああああああああああ!?」
ヘルメスの馬鹿力によって吹き飛ばされたジンの身体を凄まじい風圧と雨が襲う。
「クソ痛ぇええええええええええええええええええ」
まるで無数の銃弾を撃たれているような激痛が走る。
こだわりのオールバックの髪型など完全に崩れ、ジンは涙目になりながら叫び、生きた砲弾と化していた。
先程から吹き飛ばされてばかりのジンは、いい加減に自分がボールか何かなのかと不満を漏らしたかったがそうも言っていられない。
「ぅ、ち、ちくしょおおおおおおッ!!!」
やり方はどうあれ、おかげで何かを放とうとしていた全てを呑み込む者の腰部分にまで辿りつく事ができたのだ。
「あとで覚えてろよヘルメスの奴……ッ!!!」
漆黒の液体の身体に吞み込まれる寸前の距離で、ジンはすぐさま両手から最大出力で原点の式に怒りを込めて展開し、全てを呑み込む者の腰部分へと強引に捻じ込んでいく。
「ぐっ、ぎぎ、っ、さっきの仕返しだクソ野朗ぉぉぉおおおおおお」
とんでもない遠心力に加え、ちょっとした小屋ならば包み込んでしまう程に大きな原点の式の球体をぶつけ。
全てを呑み込む者の背を大きく反らす事に成功すると。
「”テケリリリリリリイイイイイイイイ”」
野太い奇声を叫びながら、太く赤黒いエネルギー波をその衝撃で上空へと発射し、周囲に嵐のような突風を吹かす。
「眩しっ――――」
溢れんばかりの赤黒い光が一瞬でこの場を包み、その攻撃が空振りに終わった。
「ぅッ、な、何だ今のはッ!?」
「何が起きたのかはわからんが、とにかく助かったのか……?」
「俺の目の錯覚か……? さっきあの銀髪が物凄い速さで上空から怪物に突っ込んでいったような……」
「上を向いてあそこを見てみろよ……。深い霧と雲に覆われていたはずなのに、あそこだけ何かに貫かれたように穴が空いてるぞ……」
一人の王従士が指差す上空には一点の大きな穴が空いていた。
そして一瞬感じた戦慄。
解読眼を持たない者でもその計り知れない威力を肌で感じ、思わず喉を鳴らしてしまう。
もしもあのエネルギー波が自分達や、この国に向けられていたかと思うと背筋が凍る。
「……あんな怪物を本当に我々が倒せるのだろうか?」
「それは……」
「弱音を吐くな……、何が何でも倒すしかラティーバが生き残る術は無いのだ……ッ」
「だが……」
士気が再び下がり始め、足を止めて立ち尽くす王従士達。
しかしその元に、突風で吹き飛ばされたジンが降ってきた。
「チッ、あいつ何つーデタラメな攻撃してきやがんだ……。ヘルメスが居なけりゃ今ので全滅してたぞ……」
難なく着地を決めたジンも流石に焦りの表情を見せていた。
するとヘルメスも急いで駆け寄りその脅威を口にする。
「あれは全てを呑み込む者が今まで吞み込みんできた大量の式を何かしらに
変化させて放出したものだ……。改めて言うまでも無いが、あんなものを食らえば一たまりもないな……」
「確かにな……って、おいゴラァ!? とりあえず俺に何か言う事あんじゃねぇのかオイ!?」
冷静に分析を口にするヘルメスを見上げ、ジンは片膝をついたまま眉間にシワを寄せていた。
すると、次の瞬間。
――――えー……て、……ル――――
周囲に不気味な声が響き渡る。
その声は何故かノイズが混じっているが、間違いなく”彼”のもの。
ジンを除いた者全てがその声に聞き覚えがあった。
響き渡るその声は何故か全てを呑み込む者から聞こえてくる。
皆が顔を上げると、未だ大きく仰け反っている全てを呑み込む者の胴体に、巨大な一人の顔が浮かび上がっていく。
その驚くべき現象にまず静かに口を開いたのは、ヘルメスだった。
「まさかアレは……ファナン?」
浮かび上がった顔は絶望的なもので、その正体は全てを呑み込む者を発動させて吞み込まれていったファナンだった。
「ファナン・ヘルモント……貴様ッ」
この国を内側から蝕んでいた全ての元凶にして、心同じく王に仕えてきたかつての部下。
その顔を確認し、歯軋りを鳴らしながら怒りで表情を歪めるディラン。
「じ、じいちゃん……」
再びその顔を見せ、悪夢を思い出し震えるアランの手をジェイドがそっと握り安心させる。
「案ずるなアラン……。もはや全てを呑み込む者に吞み込まれた奴に自我なぞ存在せんはずだ……」
身の丈に合わぬ力を与えられた悪魔の成れの果て。
しかし自我など存在せず、ただ人間とのコミュニケーションを図る為だけに全てを呑み込む者が用いた手段だった。
――――ちイサ、ク……よ、わキ……、存在達よ――――
ファナンの声で人間を弱き存在と評価を下し、全てを呑み込む者は体勢を立て直していく。
「……おい、ヘルメス。あいつがファナンって野郎なのか?」
ジンは地面から立ち上がり、全てを呑み込む者に浮かび上がるファナンの顔を睨みつけ、苛立った声でそう尋ね。
「あぁ……。しかし、それよりもまさか……会話が可能だったとは……」
何故今になって言葉を発してきたのか。
その意味についてヘルメスが不可思議な表情で考えていると。
「あいつがヘルメスを……ッ」
微かに零したジンの怒り。
ヘルメスは何かを言うでもなく、ただ薄っすらと口元を緩めてしまう。
まさかの展開に王従士達もざわめきを始めていくが一蹴される事に。
――――”我が主”の命を遂行する――――
「我が主の命……だと?」
全てを呑み込む者の主。
つまり、構築者であるフェイクの事だろうかとヘルメスが疑問を抱いていると。
――――弱く無知なる存在よ、我が主は”旧支配者”のみ――――
「貴様は一体……」
――――我が主の命により種を滅ぼす――――
まるで自身の心を見透かしたかのような返答に、ヘルメスが思わず身体を硬直させて困惑していると、その肩にジンの左手が乗る。
「ジン?」
温もりを感じて振り返ると、ジンの不器用な笑顔があった。
「ケッ。まんまと惑わされてんじゃねぇよ。今更あいつが何言ってこようが、お前ぇのする事は変わんねぇんだろ?」
そう、全てを呑み込む者を倒さない限りラティーバに未来は無い。
それに。
「そうだな――――」
今一度、ヘルメスは凛々しく微笑み、力強く全てを呑み込む者に視線を向ける。
「セラ達が笑顔でいるには貴様が邪魔だッ!!」
誓いを果たす為、誰よりも早く跳び出すヘルメス。
「……やれやれだぜ。ま、俺もあの顔面には一発ぶち込まねぇと腹の虫が治まらねぇ」
続いて跳び出すジン。
しかし。
――――弱く無知、愚かで欠落した存在――――
体勢を立て直した全てを呑み込む者の身体から先程のものよりも更に黒く濃い霧を瞬く間に放出していくと。
「がはっ、何だ、これは……」
「あぁんッ? っ、身体が……っ」
ヘルメスとジンは同時に身体の力が一気に抜けて地面へと倒れてしまった。
周囲の者の安全を確認すべくヘルメスが慌てて後ろに首を向けると、同じく皆が倒れこんでいる。
「お、おい、皆!! 大丈夫か!?」
だがヘルメスとジンとは少し違い、意識まで失っているようで一言も言葉を発する様子も無い。
何度呼びかけようとも誰も反応を見せずにいた。
この異常な事態にジンは鋭い牙を見せ、全てを呑み込む者に怒り叫ぶ。
「テメェッ!!! 俺達に一体何をしやがったッ!!!」
――――意識までは奪えぬか”光の賢者”、”原点の式”――――
「っ、光の賢者だぁ?」
原点の式はジンを指す言葉だろう事はわかった。
しかし、光の賢者とは――――
「光の賢者とはアンチスミスの通り名だ……。奴が言っているのはアンチスミスが構築した賢者の石を持つジンの事だろう。だが……そうなると全てを呑み込む者とアンチスミスは関わりがあるという事に……」
伝説の錬金術師アンチスミス、伝承の中には光の賢者と名称される事もある。
二人が互いに顔を合わせ怪訝な表情を浮かべていると、全てを呑み込む者は足首を失った方の足を一歩前進させ。
――――我が主の”器”となるべき光の賢者はもう居ない――――
全てを呑み込む者の腕が四精霊の心を吞み込もうと伸びていく。
全てを呑み込む者に向かっていたヘルメスとジンは四精霊の心から大きく離れてしまっていた。
「っ、させるものかっ!! すまないがまた頼むぞジンっ」
ヘルメスはそれを防ごうと全身に力を入れて気合だけで立ち上がるという根性を発揮。
二人でどうにかするしかないこの危機的状況。
この場に居る誰よりも傷つき、疲労しているはずのヘルメスは一心不乱に立ち上がり、急いで魔銃をコートの内側に仕舞う。
銃弾は意味を成さず、斬撃も分裂体を生むだけ。
頼りの綱は唯一、物理的に軌道を逸らず事ができるジンの原点の式のみ。
再びジンを投げ飛ばし、全てを呑み込む者の腕を四精霊の心から逸らそうとするが。
「やべぇ……身体がピクリとも動かねぇ……」
うつ伏せになったまま、ぽつりとそう呟くジン。
ヘルメスと違い、ジンはかろうじて喋る事はできるが身体にまったく力が入らず動く事ができなかった。
「……。おい、冗談だろ?」
身体がまったく動かないという事はジンを投げ飛ばした所で、全てを呑み込む者の腕の軌道を逸らす事ができない。
大量の汗を浮かべて視線を逸らすジンにヘルメスの表情が青ざめていく。
「何て事だ日々の鍛錬が足りないからこうなるんだぞ!? そ、そうだ! 気合と根性だっ!! 頑張れジンっ!! 自分はジンを信じているっ!!!」
唯一の頼みの綱が使えぬ事が明らかになり、ヘルメスは両手で頭を抱えながらそう理不尽に叫ぶが。
「無茶言ってんじゃねぇよっ!! 誰もがお前ぇと同じだと思ってんじゃねぇぞ!? 世の中にゃ精神論と物理的に解決できねぇ物事だってあんだよっ!!」
「し、しかしだなぁ!? ちょ、本当にどうするんだっ!!」
今もこうしている間に四精霊の心が堕ちようとしている。
焦るヘルメスを他所に、冷静にジンは何とかできないか色々と模索してみると。
「どうやら原点の式は展開できるみてぇだな……」
うつ伏せで倒れたまま動く事はできないが、掌から原点の式の展開だけはできたようだ。
それを視たヘルメスは原点の式の前に急いで屈み。
「ジン……。原点の式さえあれば無限に壁を盾のように構築できるのではないか?」
「そりゃできるだろうけどよ……。四精霊の心までこんだけ離れてんだぞ? あんな離れた場所に壁なんて構築出来んのかよ……」
「それなら大丈夫だ。”遠隔構築”という高等技術で離れた場所に座標を合わせ、錬金術を発動させるという事もできるらしいんだ」
「らしいって……お前ぇなぁ……」
ヘルメスはかろうじて錬金術を扱えるようになったばかり。
更に自動的に固有式、聖鳥の卵が発動してしまい意図したモノを構築できる確立はほぼ不可能。
もしもこの状況でわけのわからないモノしか構築できなければ、ラティーバが崩壊するだけでなく、世界すらも終焉してしまうかもしれない危機的状況。
挙句の果てに遠隔構築という高等技術を初めての試みでぶっつけ本番で行うと言う。
あまりにも無謀な賭けだが。
「ジン、自分を信じてくれ」
「……」
ヘルメスのあまりにも真剣な表情とトーン。
ふと、オプリヌスの研究施設での記憶が蘇る。
今のヘルメスの雰囲気は式崩しの構築を行うと決心した時とまったく同じだった。
頼りになると言うよりも、危機を感じたジンは溜息を吐いて念を押す。
「……式崩しを構築する際、いつもの青白い光じゃなくて赤黒い光が発生すんのを覚えてる。万が一……式崩しなんて構築しやがったら何が何だろうと絶対ぇに原点の式の展開を止めるからな……」
これ以上、ヘルメスの感情が失われぬようにジンが釘を刺すと、ヘルメスは微笑み短く返答する。
「始めてくれ」
式崩しを構築するだけの知識は失われている。
だが、ヘルメスには変化が起きていた。
人が一人では前に進めないと気づいてから自身の中で何かが僅かに変わった気がしていた。
不完全ながらも、完全に近づいた、そんな感覚だった。
「信じるぜ、ヘルメス」
ジンも覚悟を決め、左手から原点の式を展開していく。
世界の命運を背負ったヘルメスは両手を原点の式に這わせ、解読眼を見開きながら意識を集中させていく。
「自分は必ずセラ達の笑顔を守る、それは即ち世界を守るも同義。父様が救ったこの国を……今度は自分が守ってみせる。聖鳥の卵よ――――」
全てを呑み込む者の大きな掌が上空から四精霊の心を押し潰すかの如く降り注ぐと――――
「自分に”守る力”をくれッ!!!!!」
呼応するかのように原点の式とヘルメスの両手が青白く強く輝き――――
「おいおい……ヘルメス……」
四精霊の心の前に現れた黄金に輝く大きな円の盾。
魔を寄せつけない白銀による縁取り。
中心には赤く光る大きなルビーの宝石が施されており、その中心部分には人の顔の様な模様が浮かび上がっている。
そして弧を描く不可思議な文字の羅列。
まるで御伽噺に出てくるような神秘的なもの。
尋常ならざるオーラを放つその盾は恐らく伝説的な代物であろうと予測される。
「何かとんでもねぇモン構築してねぇか……?」
そもそもまず遠隔構築が成功している時点でジンは開いた口が塞がらなかった。
しかしそれでも。
「すまないが……集中……させ、……て、くれ……」
遠隔構築により出現した盾に阻まれた全てを呑み込む者の掌だったが、すぐに盾は式を分解されて掌に吞み込まれていく。
それでもヘルメスはひたすら何度も盾を構築しては吞み込まれを繰り返していた。
「……俺の居ねぇ間に一体何があったんだよ」
その様子を原点の式を展開しながら見守るジンは、ヘルメスの成長スピードに驚きを隠せずにいた。
まさに無限に再生する盾のごとく、いつまでも四精霊の心を吞み込めないでいる全てを呑み込む者は遂に諦めたのか腕を戻していく。
――――無意味、原点の式を排除する――――
赤黒い無数の瞳が二人に狙いを定めると、赤黒い巨体から無数の鋭い槍のような触手が二人に向かって突き進んでくる。
今も自然に振り続ける雨と槍の雨は交じり合い、この場を暴雨で襲う。
「ちょ、ヘルメス! 急いで俺を担いで逃げてくれ!!」
「い、言われるまでもない」
ジンを軽々と担ぐと、その際に意識を失って倒れる王従士達の傍らに落ちていた簡易式を壊される前に急いで回収していく。
氷を構築する簡易式さえ使えば全てを呑み込む者は再生しない。
最大の武器となる。
「はぁっ、はぁっ、ジンっ、自分が合図をしたら原点の式を再び展開してくれっ」
「おう任せろっ」
錬金術師の研究衣コートの内側は多くの簡易式を収納できるような仕組みになっている。
ヘルメスが収納できる限界まで簡易式の回収を終えると、無数の槍の雨がもうすぐそこに。
だが二人の瞳には恐怖や迷いは微塵もなかった。
「で、どうすんだよこれ」
「決まっている。この程度、師匠の修行に比べればどうって事は無い。頑張って自力で回避しながら強行突破だ!」
「ケッ、また盾を構築するのかと思えば……流石は賢い錬金術師様だぜ」
一体どんな修行をアリスから受けていたことやら、ジンはもう深く考えないようにした。
「槍と槍の間を突き進めば良いだけだ」
そう言いながらヘルメスはジンを担いだまま器用に僅かな隙間を潜り抜けていく。
上空から降り注ぐ槍の位置を瞬時に予め予測し、それに合わせて身体を逸らせては凄まじい速さで回避する。
槍は二人を貫く事なく地面に次々と刺さっていく。
あまりにも俊敏なヘルメスの動きは暴走した馬車以上のもので、ジンはすっかり酔って吐きそうになっていた。
「おぇえぇ……」
「お、おい! 自分に担がれた状態で吐くのだけは本当に止めてくれよ?」
「おう……何とかそこは耐えるよう努力すっけどよ……あんな風に一切避ける隙間の無い場合はどうすんだ?」
げっそりとやつれたジンが言うように、今度は人間が避けるには無理がある程に集中した槍の雨が降ってきていた。
それでもヘルメスは一切慌てる様子もなく、ジンを素早く片手で担ぎ直して空いた右手で魔銃を取り出す。
「道というものは出来る限り己で切り開いていくものだ」
そう言うとヘルメスは魔銃で槍を叩き弾いていき、どうしても捌き切れない場合は銃弾で槍を打ち落とし、遂に槍の雨を抜けきってしまう。
「もうどっちがバケモンかわかんなくなってきたぜ……」
「無駄口は後だっ、舌を噛むぞっ」
太股と肩に何発かの銃弾を喰らい、全身も傷だらけ、薬も完全に抜け切っていなという状態でこの動きである。
偽人のジンはヘルメスと出会ってから、たまに自分という存在が大してバケモノと思えなくなる不思議な感覚になっていた。
だからだろうか、ヘルメスに恐怖を抱く所か妙に安心できていた。
僅かに微笑んでいるジンに気づいていたのか、ヘルメスは優しい笑みを浮かべていた。
全力で槍の雨を駆け抜けた二人はようやく全てを呑み込む者の足元に辿り着く。
だが足は止まらない、全ての簡易式を発動させ、全てを呑み込む者を氷漬けにすべくヘルメスは全力で跳ぶ。
――――貴様ら種は弱く無知な存在。我は旧支配者が創造せし全てを呑み込む者、あり得ない――――
「ジン!! 原点の式を!!!」
「任せとけッ!! いくらでも無限に出してやんよッ!!!
いくらヘルメスと言えど、その飛距離は巨人と化した今の全てを呑み込む者の腰部分にも到達できないが。
「確かこのように言っていたな。”僕とお前は同族”と」
彼に言われた言葉をヘルメスは思い出していた。
「同じなものか。原点の式で足場を作り、跳び続ければ辿りつけるッ!! どんなに困難で高くそびえ立つ壁だろうと、自分は乗り越えて見せるッ!! 自分は一人じゃないんだッ!! ジンや皆が自分を支えてくれるッ!!! これが自分と”貴様”との違いだッ!!!」
ジンのおかげでヘルメスは雑ではあるが岩の塔のようなモノを次々と構築する事ができた。
それを足場にして、何度も高く、どこまでも高く跳ぶ。
そしてラティーバの王従士達が自身の国を守る為に必死に掻き集めてくれた強い想いの結晶。
ヘルメスは素早くコートの内側から簡易式を取り出し蓋を開け、その全てを古の悪魔の中心である胴体――――先程からずっと浮かび上がっていた彼の顔へと投げつける。
――――あり得ない、あり得ない、貴様ら種は――――
「貴様は敗北し、眠るんだ。弱く無知な存在と軽んじてきた者達の力によってな」
いくら強大な存在とて、志を共に想いを寄せて団結する弱き存在に敗れる。
それをヘルメスは証明しなくてはならなかった。
そう気づかせてくれたあの村人達の為にも。
「今度こそ貴様の負けだ、全てを呑み込む者――――ファナンッ!!!!!」
全てを呑み込む者の身体が多くの氷を構築する式によって凄まじい破裂音を鳴らして至る箇所が爆散していく。
――――え、-、テ、る、ゥ、ぅ、ううううううううううううううう――――
「ふん……。残念だったな。エーテルはまだ……途絶え、て……な、……ど、…………」
醜悪なその思想と外見はどこまでも救いが無く、自尊心の叫びは哀れみすら感じさせる。
ファナンの顔が最後に破裂し、全てを呑み込む者が消滅すると。
国を覆っていた霧と影も消え、空一面に煌く星と月が祝福の光で美しい景色に塗り替えていく。
これが本来のラティーバのあるべき姿だと言わんばかりに。
「おい!? しっかりしろヘルメス!! 気ぃ失うにはまだ早いぞっ! って、ちょ、この落下終わってからにしてろよっ!? 俺はまだしもお前ぇホントに死ぬぞ……ん?」
全力を出し尽くしたヘルメスは完全に力尽きたようで意識を失ってしまった。
流石にこの高さから落下すれば地面に叩きつけられればヘルメスと言えど死んでしまう。
だが――――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「~~~ッ!!!!!!! いてぇええええええええええええええッ!!!!!!!!!!!」
落下中に全てを呑み込む者の消滅により、身体の自由が戻ったジンはヘルメスを全力で庇うように身を挺して守る形で着地したのだ。
当然、全身の骨や内臓など犠牲になったが賢者の石によってすぐさま再生を遂げて息を吹き返す。
「ハァ……ハァ……ちきしょう、あんだけ嫌だったのに不死身の身体に感謝だな……」
それでも痛いものは痛いし、喜ばしい体質では無い。
しかしそれがヘルメスの為に活かせたのならば嬉しくないと言えば嘘になる。
「……ヘルメス? ヘルメスッ!!」
しかし、それよりもヘルメスの身が心配だ。
この時。
普段のジンならば絶対に見せない”泣きそうな表情”を久しぶりに浮かべていた。
それはまるで母親とはぐれた子供のように。
「ヘルメスッ!?」
地面に転がるヘルメスを発見すると瞬時に駆け寄り、左手をヘルメスの鼻に当てて呼吸を確認する。
「……」
息がある。
流石は頑丈さが取り柄のヘルメス、そしてジンが身を挺して守った甲斐もあり何とか無事だった。
ほっと胸を撫で下ろすジンはそっとヘルメスを両手で抱き上げ、その寝顔に呆れて溜息を吐いて愚痴を零す。
「お前ぇ……あの高さから落下して死んでたかもしんねぇってのに……何でそんなに嬉しそうに笑って寝てられんだよ」
とても満足そうに、血と傷だらけの愛らしい笑顔で眠り続けるヘルメスにジンは目頭を熱くさせていた。
「無事でホントに良かった。死ぬ程心配してたんだぞ……俺死ねないけどな……」
意識を失い眠っているヘルメスを好都合に思い、普段口にしない事を次々と告白していく。
「離れてた時だってずっとヘルメスの事考えてたんだ……。ま、お前ぇは俺の事なんか考えてる暇なんか無かっただろうけどよ……」
いつからだろうか。
ルルの面影だけを見ていたジンだったが、今ではヘルメスという一人の人間を見るようになっていた。
「俺、偽人だし……まだ全然何も知らねぇけどよ……多分今の俺が感じてるこの感情って、きっとルルが教えてくれた――――」
「ジン」
「うぉッ!!??」
ふとヘルメスに名前を呼ばれ思わず叫んでしまう。
だが次には、
「ありがとう、……ん、」
寝息。
どうやら寝言のようだ。
ジンの心臓は高鳴りっぱなし、そして顔は紅潮しまくりであった。
それでもヘルメスの寝顔を見ていると心が徐々に穏やかになっていく。
「……お疲れさん。――――よく頑張ったじゃねぇか」
古の悪魔と、それを利用していた悪魔。
ラティーバを覆っていた闇は小さく弱い光によって晴らされた。
必ずその闇を晴らす光が現れる。
英雄の予言は長年の歳月を経て、パラケルススの伝え通り実現された。
そしてその光を導いた者は、彼の娘ヘルメス。
英雄は、ラティーバに再来したのだった。




