14話:全てを呑み込む者
名高い匠の手によって造られた豪華なシャンデリアは、見る者をその造形美で虜にし、天井からこの一室を輝かしく照らしていた。
歴代の王達の肖像画が壁に飾られ、床に敷かれた一筋の絨毯は段差を上がり、奥に据えられた黄金の玉座へと続く。
そしてその王座には、長い立派な白髭をたずさえ、真紅のマントを羽織る老人が悩ましい表情を浮かべていた。
「……”また”失踪事件、か。果たしてこれは偶然なのじゃろうか? 国民達は一体どこへ消えてしまったと言うのだ……っ。せめて無事ならば良いのだが……」
国民達の安否を憂い、老人は胸を痛めて視線を下げると、連動して頭上に輝く黄金の王冠も下がる。
この老人こそ四大国家の一つ、ラティーバを治める現国王。
”ダレクス=レアリオン”である。
そして此処は王室。
ダレクスの他にもう一人がそこに居た。
「そうですね……。八年程前から我が国にて行方不明となった国民達の数が増えてまいりました。国王様の仰る通り……一連の関連性があるという証拠は掴めていませんが、確かにこれは偶然ではないのかもしれません」
玉座の前で膝をつき、王の憂いに共鳴して浮かない表情で跪く純白の研究衣を纏うこの男は、ラティーバの三英傑の一人、”ディラン=ハーバ”。
ディランは、部下の元に届いた捜索依頼について報告をする為に訪れていた。
「もう……、この国内には居ないのだな……」
心苦しそうに、胸に右手を当て瞳を閉じるダレクスの姿に、ディランまでも胸を締め付けられてしまう。
「はい……。王従士を総動員し、過去幾度と国中を隈なく探索してきましたが結局、発見には至っておりません……。国内に居る可能性はほぼゼロかと思われます……」
顔を上げる事なく、跪いた状態でディランはとても暗い声でそう言い、未だ真相が掴めない事に肩を震わせて悔しがっていた。
「そうか……。もう下がって良い……。じゃが、くれぐれも捜査の手を一切緩めるな。残された家族達の為にも我々は必ずその憂いを晴らさなければならん……ッ。このままでは私を王として認めてくれている国民達に顔向けができん……ッ!!」
国民を心から想い、声高らかに立ち上がる王の姿はディランを奮い上がらせた。
まさに人の上に立つ者に相応しい風格を漂わせており、それに感銘を受けたディランも顔を即座に上げて力強く宣言する。
「私も三英傑ゴールデンナイトとして全力を尽くす所存でありますッ!!」
ディランは敬服を示し、再び深々と頭を下げてからその誓いを胸に刻み捜査に戻ろうとすると。
「た、大変です国王様ッ!!!」
王室内の扉が勢い任せに開かれたかと思えば一人の王従士が剣幕とした雰囲気を纏って現れた。
「無礼者ッ!! 此処は王室だぞッ!!」
「し、しかし……ッ!!」
「構わん。……して、どうしたと言うのだ?」
王の眼前で非礼を詫びる余裕もなく、その王従士は国内で現在起きている異常事態を迅速に伝える。
「何やら巨大な生物らしきモノが国内に出現したようですッ!!!」
「巨大な生物……だと……?」
「まさか……”また”、なのか……?」
その報告を受け。
ダレクスとディランは互いに顔を合わせて表情を曇らせ、数十年前の記憶が蘇る。
それはこの国が崩壊寸前にまで陥っていた当時の記憶。
「再びデモングジラのような古獣がこのラティーバに……?」
もしその正体が古獣だとすれば今度こそラティーバは終末を迎えてしまう。
当時と変わらず、この国には古獣を討伐できる程の兵力は無い。
ダレクスは息を荒げて額を押さえながら、力尽きるようにして玉座に倒れこむ。
「い、いえ、まだ古獣と断定はできていませんが……」
しかし、確かに今この国で何かが起ころうとしている。
「くっ、私以外の三英傑は他国に出払っていると言うのに……っ。このままでは国民達に被害が及ぶかもしれん、迅速に対応せねば……ッ」
現在この国に待機している三英傑はただ一人。
ディランは国を安全を第一に考え速やかに指示を出す。
「私はこれから現地へ急ぐ。君は他の王従士達を召集し、我々からの指示があるまで国民達には安全な場所まで避難しておくよう勧告しておいてくれ。くれぐれも国民達の身を最優先にするようにッ!!」
「り、了解しましたっ!!」
他の王従士達や国民達にその指示を伝達すべく、慌てて王室を後にする。
ディランも急いで現地へ向かおうとすると、背後からダレクスの懇願が聞こえてきた。
「……彼はもうこの世に居ない。……今度こそ本当に我々だけで何とかするしかない。……情けないが任せたぞ、ディラン」
この国を救ってくれた英雄、パラケルスス=エーテル。
彼の姿を、その勇姿を今でも鮮明に覚えている。
「仰せのままにッ!!!」
ラティーバを襲った脅威を退け、乾いたこの大地に命の芽を吹き込んでくれた彼の想いに応えるべく、ディランは胸を熱くさせて王室から走り去っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ようやく悪魔の支配から解放されたかと思えば、新たな脅威が訪れていた。
ファナンが最後に発動させた古の錬金術により、再びこの村は大きな影で覆われてしまう。
「……っ、何だこの音は……っ、鳴き声にしてはあまりに煩すぎるぞ……っ」
凄まじい騒音により聴覚を襲われ、村人達はその場に膝をついて苦しみに何とか耐えていた。
つい先程まで全ての呑み込む者と呼ばれる生物は異常な程に大きな奇声を上げ、この場に居る全ての人間を苦しめていたがようやくそれが静まり返る。
「明らかに”アレ”をこのまま放っておくわけにはいかなさそうだな……。何とか止めねば……ッ」
ようやく騒音が終わるとヘルメスは両耳から手を離し、セラに支えられていた身体を自らの足で立ち進もうとする。
「そ、そんなっ、無茶しちゃ駄目ですってっ! もうヘトヘトなのにあんな大きな怪物を相手にするなんて無理ですよっ!」
「だが、この状況ではそうも言ってられないだろ……。セラもアレを見てみろ……」
自分の身を心配してくれるセラの気持ちだけを受け取り、ヘルメスは目を鋭くさせてそのまま頭上を指差す。
「うっ……」
セラも一緒に見上げると、そこに見えたのは夕暮れではなく、巨大な赤黒い液体の身体を持つ生物。
身体の至る箇所には視点の定まらない赤黒い無数の瞳で周囲を見渡すバケモノが空を遮っていた。
ヘルメスとセラに表情に緊張感が走ると、ジェイドの緊迫とした叫び声が周囲に広がる。
「っ、皆っ!! 早く村の外に出るんだっ!! ”コイツ”に触れると危険だっ!! なるべく外の人間にもそれを伝えながら全力で遠くまで逃げろっ!!!」
村人達はジェイドの叫びと共に、異様な邪気を感じ取り一斉に村の出口を目指して走りだす。
「ちきしょうっ! ようやく村を取り返せたかと思ったのに何だよこれっ!」
「とにかくヤバそうなのは確かだッ、マクターの言うように他の連中にも知らせねぇとッ」
「必ず皆で生き残るんだ……ッ!!」
その瞬間。
「テケリ・リ……」
再び独特な鳴き声が聞こえてくる。
そして。
「テケリ・リ……テケリ・リ……――――」
次の瞬間。
視点の定まっていなかった全身の瞳が刮目し、視線の全てが逃げだす村人達へと向けられ。
「テケリ・リリリリリリリリリリィィィイイイイイ」
頭痛を起こす程の超音波にも似た奇声をあげ、巨大な影を作るその身体から生えた四本の足をくねらせて村人達に向かって動き始めた。
「ぅぅううっ、ま、た……」
「ぐぅッ、クッ、これはキツイ……ッ」
両耳を押さえてその場で堪えるヘルメスとセラ。
その二人を通り過ぎて怪物は村人達を追う。
だがその動きは遅い。
更に全てを呑み込む者はその経過に遮断物である建物にそのまま突っ込んでいく様を見ると知能はあまり高くないらしい。
だが――――
「な……っ」
「テケリ・リリリリリリィィィイイイイイ」
解読眼を持つヘルメスは誰よりもその光景に衝撃を受けた。
「馬鹿な……」
全てを呑み込む者が勢いよく建物に衝突すると、その赤黒い液体の身体に触れた建物の式が一瞬にして分解され、全てを呑み込む者の一部となって吸収されていったのだ。
建物は見る影もなくなり、残ったのは地面が抉れ全てを呑み込む者が通った跡のみ。
式を体内に吸収した影響でその身体は瞬く間に肥大化していき、巨大さを増していく。
「おいおい……冗談じゃねぇぞっ!?」
村人の一人が後ろを振り返って目を大きく開き、その光景に絶句していた。
先程までの倍以上となった巨大な液体生物。
その歩幅も倍以上となり、いくら動きが遅いと言ってもこのまま肥大化を続けていけばいつか逃げ切れなくなってしまう。
「急いで止めないとこのままだと皆が……っ」
「で、でもどうするんですかっ!? あの怪物、一瞬にして建物を飲み込んで大きくなっちゃいましたよ!?」
「確かにそうだな……。一体どうすれば……ッ」
物理的な攻撃が効くのかすら怪しい。
両手で頭を押さえながら必死になって考えてみるが、まったく対抗策が浮かび上がってこない。
しかし今もこうしている間にも全てを呑み込む者はより身体を大きくして村人達を徐々に追い詰めていた。
すると――――
「あれは……!?」
ヘルメスの目にふと、ある存在が映りこむ。
「ヘルメスさん……?」
何かを発見し、静かにその先へと足を進めていくヘルメスにセラが首をかしげていると。
「そこにあったか――――」
今まで共に戦ってきた相棒。
地面の上で主を待ち続けていた魔銃を微笑みながら優しく拾い上げる。
とても懐かしい感触がする。
ヘルメスはその手に力を込め、銃身に額を当てて瞳をゆっくりと閉じていく。
「すまなかったな――――おかえり」
心なしか漆黒の銃身を光らせ、魔銃も本来の主の元に戻れた事を喜んでいる様に見えた。
ヘルメスは凛々しい表情で全てを呑み込む者の方向へ力強く振り返る。
「フフ……。まさか”アレ”を自分に使えと言ってくれているのか?」
魔銃を取り返せた今ならば手がないわけではない。
ありとあらゆる式があの身体に吸収されようとも、原点回帰すら打ち破る事に成功した世界の理から外れた力。
ヘルメスはその力を使えと魔銃に言われているような気がした。
式崩しならば、全てを呑み込む者を倒せるかもしれない。
「……」
だが式崩しの構築はアリスには強く止められている。
更にその構築方を完全に忘れてしまっていた。
ヘルメスが魔銃を握り締めながら只ならぬ緊迫とした雰囲気を醸しだしていると。
「エーテルの娘……。何となくだが君が考えている事がわかる。だが……くれぐれも気をつけろ」
ジェイドがヘルメスを呼びかける。
何故、自分が考えている事がわかったのか疑問に感じつつヘルメスは只ならぬ不安で表情を曇らせ近づいてきた老人に告げる。
「おじいさん……。後は自分に任せて、おじいさんもセラを連れて早く避難してください」
するとセラがヘルメスの右手をすかさず握り、共に逃げようと意思を見せた。
「ヘルメスさんっ!! まさかあのバケモノを一人でどうにかするつもりなんですか!?」
「……」
無茶を続けるヘルメスの身体は先程から立っているのもやっと。
限界などとっくに何度も超えている。
それでも、ヘルメスはまだ立ち続けなければならなかった。
セラに誓ったのだ。
必ず、セラと村を救うと。
「……フフ。自分はあの英雄の娘だぞ? 奇跡の一つや二つ、絶対に起こしてみせるさ」
「ヘルメスさん……」
「それに――――もう目の前で失うのは嫌なんだ」
とても凛々しいく微笑み言う。
だがその笑顔はすぐに壊れてしまいそうな、脆いものだった。
強がりにしか見えない。
両足だけでなく、魔銃を持つ右手すら震えている。
血と汗は混じり、ヘルメスの全身を濡らしていた。
ストッキングも破れ、ボロボロの姿で気丈に振舞うヘルメスにセラが俯きながら言葉を閉ざしていると、その意思を汲み取ったジェイドが静かに告げる。
「ヘルメスと言ったか……。実に彼の娘らしい……。あの悪魔からこの村を解放してくれた、彼の予言はやはり間違っていなかった、そう確信させてくれた。だが――――」
ファナンに付き従い、全てを呑み込む者という存在について聞かされていたジェイドは重苦しい表情で、それでも今のヘルメスではこの絶望を打破する事は極めて困難だと訴えていく。
「元々、あの全てを呑み込む者と呼ばれる古の錬金術による産物はファナン自身が発見したものではなく与えられたモノだ。そしてファナンにあのような危険な代物を与えた者は――――」
ファナンが研究の末に発見したものではなく、何者かによって与えられたモノだと知る。
そして。
その人物の名を聞かされ、思わずヘルメスの表情は険しいモノとなる。
「あれはこの村が支配されて数年が経った時だ……。全てを呑み込む者とは……あの狂った錬金術師フェイクが世界を滅ぼす為にとファナンに与えたモノだ……ッ!!」
まだヘルメスの記憶にも新しい。
先日、ドルスロッドに現れた狂った錬金術師。
アリスの判断により、ヘルメスとジンがこの国まで逃げてきた原因の一つである。
「フェイク……っ!?」
ジェイドによるとフェイクは数年前にこの村に訪れ、わざわざファナンに接触をして何故か全てを呑み込む者をファナンに与えたらしい。
未だフェイクについてあやふやな情報しか持っていないヘルメスが彼の目的など見当もつかない。
「これは警告だ……。君程の錬金術師ならばわかるだろ……。あのフェイクが構築した錬金術という事はほぼ止める事は不可能に近い……ッ」
世界を蝕み続け、数多くの禁忌を開発してきたフェイク。
彼が開発してきた式の全てが難解なモノで、解読眼を持つ優れた錬金術師ですらその全てを解明できない程だった。
それだけの知識を一体どのような手段で得たのかは一切不明だが、現代のアンチスミスと謳われていたパラケルススにすら届きうる域に達していると噂されている。
「確かに……奴が構築した式ともなると恐らく大抵の事は通じないのだろうな。ただそれでも――――」
それ程の錬金術師が構築した式ならば、ヘルメスを含め並大抵の錬金術師では対抗できない。
それでもヘルメスは心配そうに自分を見つめるセラの肩に手を置き、口元の端を上につり上げてみせた。
「フフ、何せ自分は馬鹿ですから。とにかく動いてから色々と模索してみますよ」
そう言うと再び凛々しい表情で瞬時にその場から跳び出し、村人を呑み込もうとする全てを呑み込む者の元へと急いで駆けていく。
「ま、待てッ!! あれはそういう類のモノではないッ!!」
ジェイドの警告を無視し、ヘルメスの姿は既に遠くの方で小さくなっていた。
情けなく手を伸ばし、悔しそうに歯軋りを鳴らすジェイドの傍らにて。
セラは困り果てたように小さく微笑んで首を横に振る。
「……無駄だよ、おじいちゃん。ヘルメスさんにはきっと私達の常識なんて通じないんだよ。でも、だからこそなのかな? ヘルメスさんなら何とかできちゃう、そんな気にさせてくれるんだよねっ」
セラは短い時間の中で、ヘルメスには奇跡を起こすだけの力があると信じるまでになっていた。
決してエーテルの血を引くからではなく、ヘルメスという少女の強い姿を真近で見てきたセラだからこそ、そう思えたのだ。
「セラ……」
自信に満ち溢れるセラの姿。
ジェイドは久しぶり会った孫娘の変化に戸惑いを覚えつつも、素直にその変化を喜んで頬を少し緩めていく。
「……」
村が支配されてから長い年月が経った。
いつしかセラの笑顔を見る事はなくなり、二度と見れないとばかり思っていたが。
「あの娘には感謝しきれん……。わしはすっかり諦め癖を酷くさせてしまったようだ……。本当はあの娘のように――――残されたわしらは強く生き、”あいつ達”の分も前に向かって進まなければいけないかったんだ」
彼の娘が、ヘルメスが自分達に示してくれた光への導き。
決してそれを踏み外さぬよう、ジェイドはセラの手を握り締め、今度こそ諦めずに一歩ずつ進む事を決意する。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夕暮れが徐々に暗く染まっていくその光景は、この国をまるで闇に包むように思えた。
すぐそこまで迫る全てを呑み込む者から懸命に村の出口へと必死に逃げる村人達。
だが、その途中で日々の重労働が祟り、まだ幼い少女が力尽きて転んでしまう。
「きゃっ!」
「な、何してるのっ! 早く起き上がって逃げるのよっ!!」
不気味な巨大生物が全身の目を血走らせながらもうそこまで来ている。
建物を、人を、全てを呑み込もうと。
「……っ」
我が子の危機に真っ青となって動きを一瞬止めた母だったが、意を決して道を引き返そうとした瞬間。
「ば、ばかッ! お前まで死んじまうぞッ!!」
自らあのおぞましい生物の元へと進もうとする同じ村人の姿。
その自殺行為を阻止すべく、男が少女の元に向かおうとする母の腕を掴み、力づくでその場から引きずっていく。
「おかあさああああああああんっ」
思わず表情を歪めてしまうその叫び。
少女はもう一人で立つ事もできず、引き離されていく母の姿に泣きじゃくりながらただ手を伸ばして叫ぶ事しかできないでいた。
そんな我が子の姿に母は涙を流し、このまま引き裂かれる方が死ぬよりも辛いとばかりに強引に自分の腕を掴む村人の手を引き離し。
「あの子を置いて私が生きたってしょうがないのよッ!! 離してッ!!! 私はあの子の元に行かせてちょうだいっ!!!!!」
悲痛な願いを口にして走り出す。
「お、おいっ!? っ、くっ……ちきしょうッ!!!!!」
子を想う親の気持ちをこの男も痛い程、理解できた。
だからこそ男は激しい葛藤の末。
少女と母を置き捨てさり、後悔と怒りに苦しみながらこの場を走り去っていくのだった。
「おかあさん……っ」
身体をよろめかせながら必死に自分の元に辿り着く母の姿に安堵すると同時に罪悪感が少女を襲う。
複数の感情が入り混じった複雑な表情を浮かべて涙を流して地面に倒れる少女。
それでも。
「あなたを置いていけるわけ……ないじゃない」
身体と声は震えている。
涙で目は真っ赤に腫れている。
それでも。
「あなたは私の娘なんだから」
「うっ、うわぁぁぁん」
そっと優しく少女を抱きしめ、何度も頭を撫でていく。
娘を見捨て、自分を引き止めてくれた男と共に逃げれば生き残れたかもしれない。
長年に続く悪夢からようやく開放され、新たな幸せな日々が送れたのかもしれない。
だが、そこにはこの子は居ない。
後悔はしていない。
後悔なんてするはずがなかった。
「愛してるわ……」
両手で大事に抱きかかえ、胸に顔を埋めて泣きじゃくる我が子の頭に額を当てて自分の行動は正しかったと実感し、背後から奇声をあげて迫り来る怪物に覚悟を決める。
「……っ」
自分達は間もなくあの赤黒い液体に呑まれて死ぬ。
死を感じ、身体がより激しく震える。
しかし、その最期まで娘の事だけを考え、不安を何とか取り除いてやろうと力強く抱きしめた。
「テケリ・リ、テケリ・リ」
周囲のあらゆるモノを呑み込みながら轟音を響かせ、不気味な怪物が自分達の目前までやってきていた。
赤黒い無数の瞳はそんな親子に視線を定めず、ただひたすら前へ前へと突き進むだけ。
その障害を蹴散らすように怪物にとって小さな存在の親子をそのまま呑み込もうとした――――次の瞬間。
「させるかあああああああああ」
力強い澄んだ叫び声と共に、親子の前に青白い眩い光が出現する。
すると分厚い巨大な岩壁が親子を守る盾となってその姿を現し、全てを呑み込む者の行く手を阻む。
わけのわからない事態に固まって動けないでいる親子をヘルメスが即座に脇に抱えその場から跳ぶ。
同時に全てを呑み込む者の身体が岩壁に衝突するも、巨大な身体によって岩壁は影すら残さず呑み込まれていく。
「っ、やはりあの程度ではアレを止める事はできないのか……っ」
親子二人を抱えながら驚くべき脚力を活用して全力で全てを呑み込む者から距離を離す。
「ありがとう……本当に……ありがとうございます……っ」
ヘルメスに抱えられながら掠れた声で母は自分の娘を助けてくれた事に感謝すると。
「当然ですっ。それよりも自分はアレを止めねばなりませんので、絶対に娘さんを明るい外の世界に連れていってあげてくださいっ」
村の出口はもうすぐ先。
そしていつしか後方の村人達の姿が見えてきた。
ヘルメスはそう言うと村人達に追いつくなり、親子をその場に下ろし、すぐさま一人で全てを呑み込む者の元へ戻る。
「咄嗟にリディアやエリーゼさんの様に真似をしてみたが……意外と何とかできるものだな」
先程、大きな岩壁を構築して親子を救ったヘルメスだったが、見事に自分の意にそったモノを構築した事に驚いていた。
アリスの元で修行をしていた成果が実ったのか、はたまた聖鳥の卵が発動してたまたま構築できたのかはわからない。
それでも、親子を救えた事で少し誇らしげに表情を綻ばせていた。
「皆、安全な場所まで無事に逃げてくれよ……っ」
いつまでも悠長に構えてはいれられない。
迫り来る全てを呑み込む者を捕捉したヘルメスはすぐにそれ所ではいられなくなる。
解読眼でいくら式を確認してみても、全てを呑み込む者は今までに見てきたどの式にも当てはまらない異質なものだった。
直接その式を視た事のある原点回帰ともまったく違う。
式を分解してしまう特徴からして、ヘルメスは原点回帰と似た構造をしているのではないかと思っていたがどうやらそれも違った。
「自分の知識程度では理解できないが、やはりフェイクが構築しただけあって全てを呑み込む者は何か特別な方法を用いているのだろうか……」
ジェイドから聞かされた古代の錬金術という聞き覚えのない単語。
それがどのようなものかはわからないが。
「あれ程の存在を簡易式にできるものなのか……」
気がかりな事が一つあった。
それは、あのオプリヌスも所持していた漆黒の試験瓶。
全ての式を視る事のできる解読眼ですら認識のできない不可思議な存在。
伝説の錬金術師、アンチスミスが開発した原点回帰をも簡易式にしていたあの奇妙な瓶の正体は未だ判明していない。
「一体誰がどのようにしてあんなモノを……。少なくとも”自分の眼鏡のようなモノとはまた違う”ようだが……」
今の状況でどれだけ考えた所で答えはでない。
ヘルメスは額の汗と目元の血を拭うと両手を地面に這わせる。
しゃがむだけでも痛みを伴うが今更の事。
両手から青白い光を発し、武器の構築を試みる。
「考えていても仕方がない……。まずはアレを何としても止めねばな……」
両目を閉じ、全神経を両手へと集中させる。
光は形へ、一つの存在へと姿を変えて構築された。
現れた柄を片手で掴みながら立ち上がり、両目を開くと片手に持っていたのは古びた大剣。
「……やれやれ。自分は立派な二本の剣を構築したはずなのだがな……。まぁ、武器っぽいモノを構築できただけでも今はマシか」
錆びついた刃こぼれのした大剣を容易く片手で振り回してみながら、相変わらずの精度にあきれ果てるが。
錬金術自体は成功している。
前までのヘルメスならばそれだけでも奇跡に近いものだった。
「テケリ・リィィイイイイイイイ」
肥大化した液体の身体を蠢かせ、全てを呑み込む者とヘルメスは対峙する。
今、ヘルメスが知る全てを呑み込む者の情報。
それは触れたモノを分解して自身の体内に吸収して姿を肥大化させる事ぐらい。
だが、ヘルメスがあえて武器を構築したのには理由があった。
岩壁と全てを呑み込む者衝突した一瞬の出来事をヘルメスは見逃さなかった。
「アレは瞬時に式を分解してしまうとかばかり思っていたが、どうやら分解するには僅かだが時間を要するみたいだ……。果たしてこの武器でどれだけ足止めができるかはわからないが試してみる価値はある」
原点回帰は瞬時に存在を消してしまうものだったが、全てを呑み込む者はコンマ数秒、僅かな時間ではあるが体内に吸収する前に時間を要する。
つまり、足止めが可能なのだ。
「最近の出来事と言い……液体の身体には良い思い出がないな。剣が通じるか――――試さしてもらうぞッ!!」
ドルスロッドでヘルメス達を襲撃してきた者の中に、身体を液体化させる錬金術師が居た。
その者には銃や物理攻撃は一切効かなかっただけでなく、身体の一部を切り離してもすぐに本体の元にいき再生された。
果たしてこの全てを呑み込む者が同じような存在なのか、ヘルメスは村人達が逃げ切るまでの足止めを兼ねてまずそれを試してみる事にした。
「でぇええええいッ!!」
「テケリ・リリリリイイイイイイイ」
まずは移動手段と思える四本の足の内の前足一本を狙う。
人が三人分程の太さが目視できる。
「ふんぬぅ……っ」
よくそれだけの太さでその巨体を動かす事ができるものだと感心しながら、ヘルメスは錆びて刃こぼれのした大剣で力任せに足を呑み込まれる前に切断する事に成功した。
「はぁっ、はぁっ」
しかし全てを呑み込む者の身体に触れた事で大剣の剣先は崩れていき、柄のみとなるが。
「ざまぁみろ……っ」
無数の目が大きく見開くと。
足が一本切断された事で全てを呑み込む者は体制が崩れて奇声と騒音を鳴らして地面に倒れこむ。
「テケリ・リ……テケリ・リ……」
「っ、煩い音だ……っ、これだけは慣れないなっ」
柄を投げ捨て両耳を塞いで表情を歪めてしまうヘルメス。
それでも確かな手応えに淡い希望の光が差し込む。
この調子で剣を構築し続け、足を切断し続ければ全てを呑み込む者をこのまま足止めする事ができる――――そう思っていたが。
「テケリ・リ……」
切断された全てを呑み込む者の足。
赤黒い液体は地面に飛び散り、本体へと戻る気配がなく不愉快な音を鳴らして未だ動いていた。
「……」
どうも嫌な予感がする。
全てを呑み込む者の奇声が止むなり、ヘルメスは恐る恐る切断された足へと近づくと――――
「なッ!?」
切断された足が――――赤黒い液体の身体を持つ人型へと姿を変えたのだった。
頭部分に一つの赤黒い眼球を宿し、不気味な視線をヘルメスへと送り。
「再生せずに分裂したとでも言――――っ!?」
人の三倍程の大きさを持つ人型の分裂体が素早い動きで両手を揺らめかせてヘルメスへと一気に襲ってきた。
「早いっ!? くそっ!!」
「……」
本体の全てを呑み込む者は動きが遅かったものの、この分裂体はヘルメスを翻弄する程の早さを持って襲ってくる。
恐らくこの分裂体も触れてしまうと分解されかねない。
「まずっ、」
何とか分裂体の攻撃を回避してきたヘルメスだが、本体の全てを呑み込む者はその隙に新たな足を生やしており。
「テケリ・リリリリイイイイイイイ」
再び全てを呑み込む者は村人達の方へと突き進んでいく。
ヘルメスは焦りの表情を浮かべ、早く本体を追うべく魔銃を手に取り分裂体に発砲しようとするが。
「……」
「ちぃッ!!」
銃口が向けられるや液状の身体を巧みに操り、人型を何とか保ちながら避け、ヘルメスを追撃していく。
達人とはまた違う独特の動き。
今までに戦ってきた相手とは明らかに違う挙動に付いていくのがやっとだった。
「なんともやりにくいて相手だ……ッ」
特に万全ではない今のヘルメスでは吸収されるのも時間の問題。
先程から見事に攻撃を避け続けているが足取りが怪しくなってきている。
「早く本体を追わねばならんと言うのに……ッ!!」
分裂体を相手にしている暇などない。
早く本体を追わなければ村人だけでなく、ラティーバにまで危害が及ぶ。
だが――――
「……っ!?」
今まで無茶を続けてきた代償がここにきて最悪の事態へと誘う。
奇妙な動きで襲ってくる分裂体の動きに翻弄されていたヘルメスは片足をもたつかせてしまった。
「……」
その隙を逃さんとばかりに分裂体は赤黒い両手でヘルメスの頭部を掴もうと出る。
足を崩したヘルメスは今の体制からその両手から逃れる事はできない。
一度でも掴まればこの分裂体に呑み込まれてしまう。
全身がその危機を叫ぶが避ける手段が無い。
「ここまできて……ッ」
村を支配していたファナンはもう居ない。
村人達は再び平和な日常を取り戻す事ができるはずだったのに。
手を伸ばせばすぐに掴める位置にあった光が無情に遠のいていく。
何よりも――――
「自分にはまだ――――しなければいけない事があるんだ……ッ!!!!!」
歯を食いしばり、決意を現そうとも、赤黒い両手はその全てを呑み込もうと迫り来る。
諦める気など毛頭無い。
だが身体は言うことを聞いてくれないばかりか、もう本当に力すら入らない。
「……」
分裂体は何も言葉を発さないが、その赤黒い瞳はヘルメスを嘲笑うように細くなっていた。
悔しさからヘルメスは唇を噛み締め、顔を背ける。
「……っ」
あと少しだった。
あと少しでこの村に真の平和を取り戻す事ができた。
ヘルメスはすぐそこまで立っていた。
強くあろうと願い、揺るがない正義を胸に抱き。
この村で、ヘルメスは精神的に成長できた。
例えそれが歪で、狂っていようとも。
それに。
ただ一言、謝りたかった。
「……助けて――――」
だからこそ求める。
身勝手だろうと、求めてしまう。
”彼”を。
彼の助けを――――
「助けてジンッ!!!!!」
村全体にまで響き渡る彼の名前。
すると。
助けを求める叫びと共に、上空から人影が分裂体に向かって降り立つ――――
「……!?」
分裂体の両手はヘルメスの眼前にまで届いていた所で一つの青白い光をぶつけられ飛散していく。
戸惑いを見せる分裂体にはお構いなしで。
更に上空から現れた人物はすかさず、もう片方の手に放出していた青白い光の球体を怒りに任せて胴部分へと放ち、両手と同じように一瞬にして飛散させたのだった。
「ぁ……」
窮地から救われ、情けなく地べたに座り込み言葉を失うヘルメスに、煙を纏う彼は言う。
「間に合って良かったぜ……」
その声を聞いた瞬間、ヘルメスの身体から一気に力が抜けていく。
そして、ヘルメスの今の惨状に彼は眉間のシワを寄せる。
美しい髪や肌は血と傷だらけ。
ズタボロとなったその姿から今までどれ程に奮闘してきたのかすぐわかる。
糸の切れた人形のよう座り込むヘルメスの頭上に彼は優しく手を乗せた。
「ホント無茶しやがるぜ……。よく頑張ったな、ヘルメス」
こうされる事で、ヘルメスは懐かしい気分に浸っていた。
よく”彼”もこうしてくれた。
だが、今は違う。
これは今まで触れてきた彼の優しさではなく――――
「こんな自分なんかの為に来てくれて……ありがとう――――ジンっ」
今、自分の頭に優しく手を置き、労ってくれているのは待ち焦がれたジンなのだ。
ジンが、来てくれた。
ただそれだけなのに、ヘルメスの胸は何かで満ちていく。
「……一々んな事で礼言ってんじゃねぇよ。しっかし、随分やられてんじゃねぇかよ」
しかし、それはジンも同じだった。
ぶっきらぼうにヘルメスの頭上から手を離し、両手を組んでヘルメスの姿に苦笑するジンだが。
外傷は無いにしろ、いつものシャツとズボンは何かで何度も引き裂かれたような跡がある。
「フフ……。どうやらお互い様のようだな……。一体何があったんだ?」
「あー……話すと長くなんだけどよぉ――――」
一体自分と離れている間に何をしていたのか疑問が尽きない。
依然、ヘルメスは座り込んだままだがジンの姿に同じように苦笑していると。
「ジンさーーんっ! ちょ、ぜぇっ、ぜぇっ、ま、待ってくださいよーっ!!」
「遅ぇな……。ようやく来たのかよ」
「そ、そんなっ、これでも全力ですってっ!!」
村の出口方面から情けない声でジンの元に駆け寄る一人の青年。
アランが息を切らしながらようやく追いつく。
両膝に手を置き、呼吸を整えるアランの登場にヘルメスは首をかしげていると。
「さて……こいつも来た事だ。さぁ、行くぞヘルメス。まだ終わってねぇんだろ?」
ジンは鋭い牙を光らせニッと笑顔を向けてヘルメスに手を差し伸べる。
「ジン……」
その手はとても光に満ち溢れていた。
ヘルメスはそれを掴み、何とか立ち上がり沸き立つ想いを声に乗せる。
「フフ。悪いな、自分のわがままに付き合わせてしまって」
掴んだ手から感じる温もりが身体中に染み渡る。
勇ましい表情とは打って変わり、今のヘルメスはとても愛らしい笑顔で喜びを表現していた。
ジンはそれが恥ずかしかったのかそっぽを向いてぶっきらぼうに言う。
「ケッ、今更だろうが」
何度も絶望を味わった。
それでも諦めずに、立ち続け、挑み続けてきた。
希望という光を無情にも闇が閉ざそうとしてきた。
しかし、必ずその闇を晴らす光が現れる。
この村にとっての光がヘルメスならば。
ヘルメスにとっての光は、ジンだった。




