13話:少女が見た異形の存在
「……」
涙はすっかり乾き、真っ赤に目を張らしたジェイドは夕暮れに染まりつつある空をぼんやりと眺めていた。
間もなく宣告された死刑執行の時刻が迫る。
しかし不思議と恐怖や絶望感はなく、今は心が穏やかに落ち着いていた。
先程、ファナンの手下達が口にしていたエーテルの名を耳にしてからというもの”あの日”の記憶を蘇らせていた。
「わしは……どうすれば”お前達”に報いる事ができたのだろうか……」
愛する家族への謝罪。
我が孫達を守る為に命をかけて戦った我が子達への想いを募らせて静かに瞳を閉じていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
八年前の記憶。
村を包み込んだ悪夢の始まり。
「お、親父……っ!? おいっ!? その傷まさか……奴らにやられたのかっ!?」
「……っ、ふ、情けないのう。歳はとりたくないものだ……」
全盛期はラティーバの随一の豪傑とも呼ばれていたジェイドは、ファナンによる支配が始まるや怯える村人達を守る為に真っ先に単身でファナンに戦いを挑んでいた。
その結果。
錬金術とその凄まじい数の兵力に成す術なく返り討ちとなり、命かながら何とか人影の少ない路地裏にまで逃げ込んでいた。
たまたまそれを発見したのがジェイドの息子であり、セラとアランの父だった。
「馬鹿言ってんじゃねぇよッ!! 何で一人で全部抱え込もうとすんだよ……ッ!! この村は親父だけのもんじゃねぇだろッ!!」
全身傷だらけで壁にもたれるジェイドの側に急いで駆け寄り、応急手当をすべく自宅に連れ帰ろうとするが。
「よせ……」
ジェイドは自分を担ごうと肩に手を回そうとする我が子の優しさを振り払う。
「親父……」
「……わしはな。この村を、この国を愛している。きっと今の村の惨状を知ると彼や国王様は深く哀しむだろう……。外部と連絡が取れない以上この村を守れるのはもうわしだけなんだ……」
国民を大切に想う立派な王と、この国を救ってくれた英雄に報いる為にも非力な村人達の代わりにジェイドは一人で戦う事を決意していた。
「俺だってこの村が大好きだっ! 何で格好つけて一人で戦おうとすんだよっ! 俺達だって村の為に戦え――――」
「犠牲者は最小限に抑えるべきだ」
ジェイドは自分一人だけの犠牲で命をかけてこの村を救おうとしていた。
しかし。
「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって……。このままじゃいつかアランやセラ達にも危害が及ぶ……ッ!! なにの指を咥えて待ってろってかッ!? 俺だってもうあんたと同じで二人の子供を持つ親父なんだよッ!!! いつまでも子供扱いすんじゃねぇッ! 何で一緒に戦わせてくれないんだッ!」
負傷によって息をするのもやっとだというのに、ジェイドは立派な親として成長した息子が嬉しくてつい微笑んでしまう。
「……ふ、お前はいつになってもわしの子供だ。例え世界が消えてなくなろうとその事実は変わらない。親というのは我が子の為なら平気で命すら投げ出せる……そんな馬鹿な生物だ」
だがそれでも。
「あぁ、親父の言う通りさ……。俺の中にもそんな親父の血が流れてる。俺だってアランとセラが幸せになる為なら命は惜しくない」
「生意気な事を言うようになったな……。だがお前にはわしと違って子供達だけじゃなく妻だっている。無茶はするな……」
ジェイドの決意は固かった。
しかし、いつか子供とは親を超えていくもの。
一度決めたら決して譲らないその生粋の頑固さは既にジェイドをも超えていた。
「馬鹿にすんなよ俺の嫁さんだぜ? ……親父が数日家を空けてる間に俺達はとっくに覚悟を決めてる」
「待てっ!? お前一体何をするつもりだっ!?」
その言葉にジェイドは不穏な未来が過ぎり、息子を止めるべく慌てて立ち上がろうとするが。
「ぐぅっ」
「親父っ!? ……無茶してんのはどっちだよっ! もう、一人で立つ事すらできねぇじゃないかっ!」
「少し立ち眩みをしただけだ……」
立ち上がる事すらままならない程に老体は痛めつけられていた。
村の為に戦った勇敢な父の姿。
その背中を幼い頃からずっと追いかけてきた。
だからこそ、今度は自分がその背中を愛する子供達に見せる番だと思い――――
「……もう休めよ。今度は俺達の番だ」
遂に行動に出る。
親をここまで傷つけられ、黙っている事はできなかった。
そして、我が子の未来の為にもファナンの元へと足を進めていく。
「よせと言っているだろッ!!! お前達が奴らに敵うわけないだろッ!!!」
子の身を深く案じた発言だったが。
「へっ、ありがとよ。でも親父が思ってる程、俺達は……この村は弱くないぜ?」
「まッ――――」
背を向けてそのまま路地裏から去る息子の姿は後生の別れのように感じた。
「親父。……アランとセラの事は任せた」
「待てと言っているだろうッ!!!!!」
その後。
ジェイドの嫌な予感は最悪な形で的中し、おぞましい屈辱を与えられながら二つの命が奪われたのだった。
そして間もなくジェイドの忠告を無視してアランは村を脱走し、残されたセラだけでも守る為にジェイドはファナンの傘下に入り村人達から白い目で見られるようになった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……」
自身の力を過信していた男はあまりに多くのものを取り零してきた。
しかし例えここで自らの命尽き果てようと、エーテルがセラやこの村を救ってくれると信じて胸を撫で下ろす。
「ようやくお前達の元に逝ける……」
これで長らく続いた苦しみの日々から解放される。
「……」
背後から慌しくぞろぞろと集団が近づいてくる気配を感じる。
死刑が執行されるのだろう。
「わしの役目はもう終わった……。もう安心だ……。」
それを悟り、ジェイドはとても穏やかな笑顔のまま瞳を閉じ、抵抗する素振りを一切見せずに人生の最期を迎えようとしていた。
全てをエーテルに託して。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジェイドの死刑執行の時刻が迫る中。
冷徹非道な悪魔の所業に終止符を打つべく、希望の光がその兆しを見せていた。
「ぅ、っ、く……っ、よ、く、もぉぉっ、このガキがぁぁぁ……ッ」
切り離された手と試験瓶が虚しく地面に転がる中。
いとも容易く右手を切断されたファナンが大量の汗と血を流し膝をついていた。
苦痛で歪んだ表情を上げると、そこには自身を冷たい視線で見下ろす少女の姿が。
「それが痛みだ。少しは理解したか? 外道……」
幾多の人間を斬りつけてきた刃は多くの血を含み、ヘルメス自身もその美貌を穢れた血で汚している。
その姿は美しくあれど、見る者に恐怖を与える魔性的なものを感じさせていた。
「しかし決して勘違いするな――――」
両手に握る二本の剣のうち、右手に持つ剣を天高く掲げ。
「この村に居る人達の痛みはこの程度ではないぞッ!!」
既にヘルメスの腸は煮えくり返っていた。
村達の叫びを代弁するかのように剣先へ怒りを込め、目の前で哀れな姿を晒す悪魔に鉄槌を下すべく全力で刃を振り落とすが。
「っ、はっはっ……」
ファナンが不気味な笑みを零すと不穏な音が周囲に響き渡った。
「……」
それは銃声。
その次に、地面と擦れる二つの金属の音。
ヘルメスが握っていた二本の剣が落ちた音だった。
「……っ」
恐る恐る自身の右肩に視線を持っていくと、そこには銃弾で貫かれた跡と噴出す真っ赤な血。
ヘルメスの身体は地面に向かって垂直に倒れこみ、大きな音と共に砂埃を舞わせたのであった。
「あはっ!」
痛みなど忘れたように嬉々としたファナンの声が耳に届き、ヘルメスはようやく狙撃手が自身を背後から狙っていた事に気づく。
「ぐっ、……、」
一切油断などしていなかった。
それでもファナンに投与された薬の効力によって背後から忍び寄る気配に気づくことができなかった。
ここにきて万全ではない自身の身体を恨み、表情を絶望で曇らせてしまう。
ファナンの手下達がぞろぞろと姿を現す。
「へっへっ、どうです? 俺の銃の腕前は?」
銃口から煙をふかし、得意げな声でそう言う男はヘルメスを撃った人物である。
ファナンは切断された腕を押さえながら何とか立ち上がり、苦しむヘルメスをそのまま通過して必死に笑顔を装いながら男の前へと進む。
「どうです? だと?」
男の前に立つと、ファナンは眼鏡を一瞬光らせ。
「……――――ふざけるなよこの役立たず共がッ!!!!!」
「っ!?」
血まみれの左手で男の首を力一杯締め上げて激昂しだす。
「か、ぁ、か、っ、」
酸素を著しく立たれた男は必死にファナンの左腕を両手で掴むがあまりの恐怖によって力が上手く入らない。
「見ろぉッ!? この僕の右手があんなクソガキに持ってかれてんだぞッ!?」
涙を浮かべ苦しむ男の首から手を離したかと思えば、ファナンは素早くコートの内側から”あるモノ”を取り出す。
「ハァッ、ハァッ」
首を解放された事で必死に地面に跪きながら呼吸を繰り返す男に周囲の手下達は表情を青ざめていた。
先程からヘルメスはファナンと手下達のやり取りを大人しく眺めていたが、ファナンが取り出したそれに思わず声を荒げてしまう。
「っ!? それは……貴様……ッ!!」
漆黒の奇妙な形をしたリボルバータイプの銃。
それはアリスから譲り受けた大切な魔銃だった。
「……とりあえずお前は後だエーテルッ!!!」
銃口を向けられていた男もようやくそれを察し全身を震わす。
「じ、冗談やめ、やめてくださいよファナンさ――――」
だが次の瞬間。
容赦なく魔銃から放たれた一発の銃弾が男の眉間を貫き無残の死体へと変えた。
「「……」」
一同は視線を伏せ、冷徹な悪魔から顔を背けていく。
「ふー……ふー……。やぁ、待たせたね――――」
恨めしそうな表情で倒れるヘルメスに振り返ると、ファナンは血走った目で先程とは逆にヘルメスを見下ろす。
憎悪を含んだ笑みを見せ、トリガーに力を込めていく。
今まで苦楽を共にしてきた魔銃がヘルメスに初めて牙を剥き、心を折りにくる。
「おのれ……っ」
「お前だけは……楽に殺してやるもんか……ッ!!!!!」
そう言って迷いなく銃弾がヘルメスの太股を貫いた。
「ぅぁああああああああああああッ」
黒いストッキングまで真っ赤に染まり、今のヘルメスは赤くない場所を探す方が困難なまでに血塗られていた。
二発の銃弾まで喰らいヘルメスはもう虫の息。
だがそれでもファナンは一向に容赦しない。
「はっ」
これでもかと言わんばかりにヘルメスの頭を踏みにじっていく。
「ぐ、ぎ、」
今のヘルメスに抵抗する余地などない。
ただ好き勝手にされるがままに蹂躙されていく。
「まったく……本当に馬鹿な女だっ! たった一人で何ができるってんだ? えぇ!?」
何度も、何度もヘルメスの顔は地面と擦れファナンの足でいたぶられていた。
ファナンは背後で見守る手下達に魔銃を向けて声を荒げる。
「この数を見ろッ!! お前が必死にどれだけ僕の手駒を減らしていようがまだまだこれだけの兵力があるんだよぉッ!!!」
踏みにじっていた足の動きを一旦止め、今度はヘルメスの左腕に向けて発砲する。
「っ、ぅ、う、がぁぁぁあああああああッ」
「これが僕の力だぁッ!!!!! エーテルの錬金術師でさえ敵じゃないんだよぉッ!!!!!」
少女の叫びはこの村全体にまで響き渡る程。
聞く者を戦慄させるまでに惨いもの。
しかし、ファナンだけはまるでそれが小鳥の囀りのように聞こえ満足そうに笑みを増していた。
「はは……あっはっはっは、こりゃ最高の気分だねぇッ」
ようやくヘルメスの頭から足を離し、腕の痛みによる額の汗を拭う。
「……たっく、親子揃って僕の邪魔ばっかしやがって本当に腹が立つ……ッ」
微かな意識の中、ヘルメスがその発言に反応する。
「それ、は、どう、いう……?」
ファナンは大量の青筋を立て恨めしそうに歯軋りを鳴らす。
「……ッ、お前の親父……パラケルススさえこの国に来なければ僕の野望はもっと早くに実現できてた……ッ!!」
過去にヘルメスの父、パラケルススはラティーバに訪れていた。
そして彼は――――
「なのに奴の功績を皆が称え国中が遂には英雄だなんて呼ぶ始末さッ!! もうパラケルススはこの世にいないってのに、外部の情報が入ってこない村の連中は今でも奴が生きてると思い込んでまた自分達を救ってくれると信じてやがるッ!! 本当に馬鹿な連中さッ!!!」
何度か耳にしたラティーバを救った英雄と呼ばれる人物。
その正体は誰でもない――――ヘルメスの父だった。
ようやくセラが何故あそこまで自分を信頼してくれていたのかヘルメスは合点がいった。
初めて森で出会ったあの時。
セラはエーテルという名を聞いた瞬間、目の色が変わった。
きっと、かつてこの国を救ってくれたエーテルなら自分達の村を再び救ってくれると信じていたのだろう。
「とう、さまが……」
運命の歯車は再びこの地にエーテルを運んだ。
その理由は誰にもわからない。
しかし、それでもきっと何か意味があるはず。
「……」
何よりもこの村はパラケルススを、英雄の帰還をずっと待ち望んでいた。
父が自分と同じくこの国を救っていたと聞かされ、不思議と胸の奥から何だか力が沸いてくる気がした。
「何が世界の宝だ……。何が現代のアンチスミスだ……。奴の噂を聞く度に僕はいつも苦汁を飲まされてる気分だった。だから奴が死んだと聞かされた時は最高の気分だったけどねぇッ!?」
劣等感は人を狂気へ堕としやすい。
「僕はいつまでもたかだか一介の王従士で納まる器じゃないんだ……ッ。いつかこの村やラティーバだけじゃなく世界の王として君臨してやる……ッ」
身勝手なまでに歪んだファナンの野望。
それに付き従う配下達。
そして最初の犠牲として選ばれたこの村。
ヘルメスは何一つ理解ができなかった。
「……貴様の言葉に耳を傾けているとよくわからない感情が沸いてくるな」
「ふん……僕は死に損ないの言葉こそ耳を傾ける気はないけどね」
力を最後の一滴まで振り絞って立ち上がろうと試みるヘルメスの身体をファナンは強く蹴り上げて飛ばす。
「かはっ!?」
無残に転がるヘルメスにファナンは疲労しきったように肩で息をしていた。
やはり切断された右手が痛み、ファナンも限界が近いようだ。
合図が出るまで下手に動かないようにしていた手下達も流石にその様子を見てどよめきながら動くべきか迷いを見せていく。
それに気づいたファナンはピクリとも動かないヘルメスに再び銃口を向けて告げる。
「お前には驚かされてばかりだったけど相手が悪かったな。本当にこの数を全部一人で相手にできるとでも思ってたのかい? ……もう少し利口な奴なら僕の下で永遠に働かせてやっても良かったのに」
銃口が狙う先は――――心臓。
多くの人間に囲まれ、身体もロクに動かない今のヘルメスに回避する方法などない。
「あき、ら、めて……なるものか……っ」
更に先程から数発の弾丸で貫かれているにも関わらずそれでもヘルメスはまだ諦めていなかった。
「じ、ぶんは……絶対に……ッ」
諦めない。
どれだけ絶望的なピンチに陥ろうとも最期の最後まで抗い続ける。
でなければ大切な人達に顔向けができない。
「往生際が悪いガキめ……ッ!!」
少し前までのヘルメスならばこの時点で心が折れていたかもしれない。
しかし、今は違う。
往生際が悪かろうが、格好悪かろうが。
「ここで諦めてしまえば今までの自分を全否定する事になる。大切な人達を裏切る事になる――――そんな真似できるわけないだろ……ッ!!!」
不恰好に地面に転がり、もう動く事すらできないというのに諦めの悪いヘルメスにファナンの苛立ちは頂点に達する。
「くだらない……ッ、実にくだらない戯言だッ! 死んでしまえば信念や理想なんてクソの価値程にもならないんだよぉッ! お前も親父と一緒でとことん僕をイラつかせやがって……ッ! 死ねクソガキッ!!!!!」
ファナンは憎きエーテルの血を根絶やしにするべく震える手で正確にヘルメスの心臓を狙う。
「くっ……」
ヘルメスは力強く瞳を閉じて覚悟を決める。
だが最期まで誇りを貫き通せた。
悔いは何一つ無い。
それでも。
「……っ、……ジンッ」
地べたに這い蹲り情けない姿で、咄嗟に彼の名を口にしてしまった。
助けに来てくれるはずなどないのに、つい名を呼んでしまった。
甘えだと言われれば否定できない。
しかし、いつもジンはヘルメスのピンチを救ってくれた。
どこか淡い期待をしてしまった。
「くたばれエーテルッ!!!!!」
容赦のないファナンの叫びに冷静にその期待を消し去る。
今回ばかりはそうもいかない。
何故ならばヘルメス自らがそうさせてしまったのだ。
――――せめて最期に謝りたかったな……。
それはもう叶わない。
唯一の後悔に気づく事ができたがもう遅い。
式崩しの代償により、よくわからない感情に悩まされながら最期を迎えようとしていた。
その瞬間だった。
「「ぎぃぇやぁああああああああああああ」」
数名にも及ぶ人間が宙を舞うという不可解な現象が起きた。
「……っ!? な、何だっ!?」
様々な罵声が交じり合い、尋常ではないけたたましい騒ぎが起こる。
ファナンの手下達は何人もその犠牲となり叫び声や呻き声をあげていく。。
思わずファナンは魔銃の引き金から指を外してその異常事態に慌てて振り向く。
するとそこには――――
「今まで散々好き勝手してくれやがったなこのクズ共ッ!!!」
「あんた達に殺された旦那の恨みは忘れないわっ!!」
「もうお前らにこれ以上、大切な者を奪われてたまるか……っ、」
「俺達はもうお前らに従わないっ!! 俺達の村を返せっ!!!」
「私達は……私達の村の為に戦うッ!!」
セラの懸命な説得によって立ち向かうと決めた強き者達。
素手にも関わらず村人達による群集が一斉にファナンの手下達に立ち向かう姿があった。
その数は生き残るファナンの手下の数をも超える。
懸命にここまで敵の数を減らしていたヘルメスの成果だ。
乱闘を巻き起こす集団の先陣を切るのは――――
「わしの穢れたこの手で今度こそ貴様達から村を救いだしてみせるッ!!!!!」
一際目立つ屈強な身体をした老人が涙を流しながら荒れ狂うようにファナンの手下達を誰よりも多く叩き潰していた。
それは死の宣告をただ待ち続けていたジェイドの姿であった。
あの時、ジェイドの背後に近づいてきた集団は村人達だったのだ。
ファナンの手下達は全てこの場に集結し、ジェイドの監視をする者は誰も居なくなっていた。
例え監視が蠢いていようと村人達は何としてもジェイドを助けるつもりで処刑台に向かっていたが、見張りが居なかった事でジェイドを解放する事はとても容易かった。
「……ふ、フフ」
武器を所持しているにも関わらず、暴れまわる村人達の凄まじい気迫に逃げ惑う手下達。
そしてその騒ぎの中、一人の少女が両手を口元に持っていきながらヘルメスに向かって声高らかに歓喜の叫びをあげる。
「ヘルメスさーんッ!!!!!」
血で目は霞むがはっきりとその姿を確認する事ができた。
ボロボロの身体だというのに、とても嬉しそうに笑顔で自分の名を呼ぶ少女の姿にヘルメスは力が湧き出てくる。
思わずこちらまで自然と満面の笑みを浮かべてしまう。
「頑張ったな……。セラ……」
村は死んでなどいなかった。
闘志を完全に失ってなどいなかった。
皆、耐えるという戦いを続けてきたのだ。
弱音を吐こうが、心の底ではいつか希望の光が現れると信じて。
「……ぐぐッ、この……ッ、」
呆然と立ち尽くしていたファナンがようやく深刻な事態に全身を震わせて全力で叫ぶ。
「こんな事をしてタダで済むと思うなよ虫ケラ共がァッ!!!!!」
しかし、どれだけ怒りに震え叫ぼうがもう村人達は決して臆しない。
一向に静まる気配のない騒ぎ。
手下達も必死に応戦するが何せ数は村人達の方が多いので苦戦を強いられていた。
更に厄介な事に最も警戒すべき男が解放されてしまった。
「ヘルメスさんのおかげで……おじいちゃんを無事助ける事ができましたーッ!!! 本当にありがとうございますッ!!!!!」
自分のしてきた事は決して無駄ではなかった。
いつしかヘルメスの頬には血の混じった一筋の涙が伝っていた。
哀しみからくるものではなく、それは喜びによるもの。
「本当に良かった……」
セラの祖父が無事救出された事で安堵していると、この乱闘の中でも響く程の大きな声が聞こえてくる。
「エーテルの娘ぇッ!!!」
ジェイドは次々と手下の頭を掴み地面に激しく叩きつけながら前進してヘルメスに叫ぶ。
「お前にはいくら感謝してもしきれないッ!!! 今度はわしらの番だッ!!! すぐそこまで行くッ!!!」
老いを感じさせない圧倒的な力で猛威を振るうジェイドの姿にすっかり怯えきっていたファナンはすぐさま手下達に指示を出す。
「ふ、ふざけるなッ!!!!! クソッ!!!!! 相手は丸腰の連中だぞッ!!!!! いつまで遊んでるつもりだッ!!!!! と、特にマクターは絶対に僕に近づけさせるなぁッ!!!!!」
ファナンの指示通り手下達はジェイドを集中的に狙いを定めてその行く手を阻んでいく。
「この死に損ないのジジイめッ」
「ちょ、調子に乗ってんじゃねぇぞっ」
ジェイドの前に何人もの敵が剣を振りかざして壁を作り一斉に襲い掛かってくる。
「ぐぅ、邪魔をするな貴様達……ッ!!」
誰よりも敵を捻じ伏せていたジェイドだったが、流石にロクな食事も与えられず数日にも及ぶ拷問を受けていたので身体は衰弱しており戦いが苦しくなってきた。
致命傷を負わないように回避するだけで精一杯となり、ヘルメスから徐々に遠ざかってしまう始末。
「よ、よぉし……。そうだ……その調子だ……。所詮は虫ケラ共だ……。いくらお前達でもこいつらに負けるわけがない……」
ジェイドが離れていくと少し安堵したようで僅かな笑みを見せるファナン。
しかしそれでも足は完全に震えていた。
「ぼ、僕はこの国の王なんだ……、あんなゴミ共に、ま、負けるわけ……」
銃声や悲鳴が響く中。
地面に倒れる村人達の数も増えてきた。
いくら数で押してこようと所詮は自分が支配していた非力な奴隷達。
「な、なんで……」
そのはずなのに。
何故か武器を持っているはずの手下達がそれ以上の勢いで見る見る数を減らしていく。
「もう死ぬ覚悟はできてんだッ!! 例え刺し違えてでも村は返してもらうぞッ!!」
「関係無いはずなのに、あんなに傷ついてまで俺達の為に戦ってくれてんだっ!! もう俺達は恐れないっ!!」
「わたし達の村なんだからわたし達が戦わないでどうすんのっ!!」
セラの想いは、村人全員の心に消えかかっていた灯火を強く燃え上がらせたのだ。
そして――――
「こんなわしを……許してくれていた皆の為にもこの戦に負ける訳にはいかんのだッ!!!!!」
セラを守る為にファナンの傘下に加わり、同じように村人達を虐げてきたジェイドだったが。
誰一人、ジェイドを恨んでいる者はいなかった。
全員がジェイドの想いに気づき、初めから許してくれていた。
誰よりもこの村を愛し、力となってくれた彼を、裏切り者などと思っていなかった。
冷たく接していたのは全てジェイドの罪悪感を少しでも減らしてやろうという考えからだった。
先程、救済された時にようやくその真相を聞かされた。
その瞬間から。
「わしの命を捧げようとも必ず村を貴様らから奪い返すと誓ったのだッ!!!!!」
大きく目を見開き、くすんだ白い長髪をなびかせながら全身の筋肉に力を込めて襲い掛かる敵に強烈な一撃を加えていく。
「ぶふぉぁっ」
「ぐはぁっ」
顔面を殴られ盛大に建物の壁に吹き飛ばされていく手下達。
いつしか村人達は数人が武器を奪い、ジェイドに続くように手下達を倒していく。
「お前らぁ……ッ」
王である自分に対する反乱。
遂にファナンも自らの手で制圧に乗り出そうと動きだそうとするが。
「……ん?」
背筋が凍りつくような感覚に陥り足が止まる。
妙な冷や汗で背中を濡らし、心臓を高鳴らせて恐る恐る振り返ってみると。
「お、お前ッ!?」
苦しそうに息を荒げながら血まみれで二本の剣を握る少女が立ち上がっていた。
「はぁっ、はぁっ……。いつまでも……自分だけ寝ているわけにはいかないだろ……」
右目は閉じられており、表情も苦痛に歪んでいる。
心なしか肩も下がり、両手はぶら下がっているだけのようにも見える。
「っ、ま、まだ立てたのかっ!? ふ、ふざけるな……っ!! さっき足も撃ったんだぞっ!?」
「ひ、日々の……鍛錬の、おかげだ……」
もはや異様に頑丈というだけで説明は済まされない。
だが現にこうしてヘルメスはまだ立ち上がっている。
ファナンは声を震わしその異常な姿をこう叫ぶ。
「ば、バケモノ――――」
その瞬間、ヘルメスは二本の剣を交差させたかと思えば目にも止まらない速さで瞬時にファナンを通り過ぎていった。
「ぁ、……ぁ、――――」
周囲に風を吹かせて片膝をつき、剣を握る両手を大きく広げた状態で静かにヘルメスは言う。
「……よく言われるよ。だがそれで救えるモノがあるなら自分はバケモノで結構だ」
斬撃によりファナンの胴から大量の血飛沫が舞い、その場に身体が仰向けに崩れ落ちていく。
「ふぅ……」
それと同時に村人達の奮闘の末、ファナンの手下達は誰一人もう立っていない。
つまり――――
「フフ、この村はまた貴方達のものだ。おめでとう」
両目を閉じてヘルメスが微笑みながら告げると。
「「ぅ、――――うおおおおおおおおおおおっ!!!!!」」
村人達は武器を投げ捨て、両手を高らかにあげて涙ながらに歓喜の声をあげる。
「よ、ようやくあたし達の村が……」
「夢じゃ……ないんだよな……」
「ひっく、ひっく」
「どれだけ……どれだけこの日を待ち望んだか……」
「フフ……」
皆が抱きしめ合い、悪夢の終わりに涙を流して喜びを分かち合う村人達に力が抜けたヘルメスが満足そうにその場に再び倒れこむ。
すると。
「ヘル、メ、スさん……っ」
セラが即座に倒れるその身体を抱え、疲れきったヘルメスに膝枕をしてやり、そのまま涙をヘルメスの頬に零す。
「フフ、セラは泣き虫さんだな……。せっかく村に平和が戻ってきたのに……どうせなら可愛い笑顔を見せてくれても良いんじゃないか?」
何とかセラの頬に右手を伸ばし優しい温もりを伝えると、セラはヘルメスの右手に自分の手を被せて涙を流しながらも今までで一番の笑顔を見せてくれた。
「すんっ、はいっ、本当にありがとうございますヘルメスさん……っ」
「フフ、その笑顔が何よりの報酬だよ。自分はそれだけで十分だ」
「えへへ……」
セラの笑顔を確認するとヘルメスも清々しい笑顔となる。
「エーテルの娘……孫が世話になったな」
身体をよろつかせながらジェイドもようやくヘルメスの元へとやって来る。
ヘルメスは顔だけジェイドに向け、同じく傷だらけのその姿を見て申し訳なさそうに告げる。
「セラのおじいさんですね? ……もっと早く助けてあげられなくてすみませんでした」
「何を言うか……。君がこの国を訪れてくれなければ我々はどうなっていた事か……」
ジェイドは地に両膝をつき深く頭を下げる。
「この感謝の気持ちはとても言葉だけでは伝え切れない……ッ、本当にありがとう……ッ」
「あ、頭を上げてくださいっ、こ、困りますっ」
「うふふ」
ジェイドの行動に戸惑うヘルメスにセラは何だか可笑しくなって笑ってしまう。
「おじいちゃん? ヘルメスさんが困ってるから止めてあげなよ」
「むぅ……」
孫娘に咎められようやく頭を上げて複雑そうな表情を見せるジェイドにヘルメスも困った笑みを浮かべてしまうが、ようやく平和を感じれるその光景にとても満足していた。
しかしその平和は束の間のものだった。
「――――ぜったいに、ゆる、さない……」
その微かな声が聞こえたヘルメス達は一斉にその方向に視線を向ける。
「ま、まだ生きて――――」
ヘルメスの攻撃が浅かったらしくまだファナンは生きていた。
そして仰向けになって倒れていたファナンはいつの間にか意識を取り戻し、コートの内側から漆黒の試験瓶を取り出していた。
「ッ!? それは……ッ」
ヘルメスはその試験瓶に見覚えがあった。
かつてヴァンクに向かう途中で遭遇した奴隷商人やオプリヌスが持っていた不思議な試験瓶。
解読眼ですら読み取れない未知の存在。
「止めろファナンッ!!!!!」
身動きの取れないヘルメスの代わりにジェイドが飛び出すが。
「――――もう……どうにもで、なれ……」
「よせええええええッ!!!!!」
ジェイドが必死な形相で叫びながらファナンを取り押さえようとするが、漆黒の試験瓶の蓋は開けて中の結晶を飲み込んでしまった。
その瞬間。
「がはぁぁぁッ」
ファナンの身体を中心に大きな赤黒い衝撃波が発生して近くに居たジェイドの身体を吹き飛ばす。
「な……」
「おじいちゃんっ!?」
しかしそれよりも、ヘルメスはファナンの身に起きたその異常な現象に目を疑う。
「なんだ……それは……ッ」
「ヘルメスさんっ!?」
セラは身の危険を感じてヘルメスの肩に急いで手を回してすぐさまファナンから距離をとる。
結晶を飲み込んだファナンの身体の内側から――――赤黒い液体が身体を貫いて溢れ出てきたのだ。
「ぁ、ぁあああ、ぁ、っ、」
徐々に肉体は見えなくなり、赤黒い液体は肥大化を留める事なく大きくなっていく。
すっかり液体に飲み込まれて大きくなるファナンと認識できる部分はもう顔しか見えない。
「ぼ、く、はおわ、り、だ、もう、ぜんぶ、、ど、で、も、、、」
遂にその顔すら液体に包まれ見えなくなってしまった。
「ぅ、っ、あの馬鹿者が……ッ!!」
吹き飛ばされたジェイドも慌てて立ち上がり、怒りと絶望に表情を歪めてその姿を”見上げる”。
「これは一体……」
ファナンを取り込んだ赤黒い液体が建物を簡単に包み込んでしまえる程に巨大なものへとなっていた。
そして、液体の四本の足のようなものまで生え始める。
「なんだありゃ!?」
「おいおいもう終わったんじゃないのかよ!?」
「ちきしょうっ!! どうなってんだよこれっ!!」
巨大な液体の存在は村人達に再び恐怖と不安を与えて影で包み込む。
「おじいさんッ、あれが何か知っているんですかッ!?」
ようやく平和が訪れたかと思えばそれは一瞬で終わりを迎えた。
セラに担がれながらヘルメスが何か知っている反応を示していたジェイドに切羽詰まった様子で尋ねると聞きなれない単語を教えられる。
「あれは……古の錬金術――――全てを呑み込む者と呼ばれる人工生物だ……ッ」
「古の……錬金術……? と言うか……あれは生物なんですか……?」
不穏な兆しが見え始めた。
ヘルメスが息の呑んで静かに全てを呑み込む者と呼ばれる生物を見上げると。
「テケリ・リ、テケリ・リ……」
何とも表現のしにくい独特な音が僅かに聞こえてきた。
呆然と立ち尽くしながらジェイドはこれから起きる最悪の事態をヘルメスに告げる。
「もはやこの村だけの問題じゃなくなった……――――この国はもうお終いだ……」
「それはどういう意味――――」
ヘルメスの声を遮るように、急に赤黒い液体の至る箇所に無数の赤黒い瞳が一気に開きだし――――
「テケリ・リ、テケリ・リリリイィィィイイイイイイイイ」
鼓膜が破れそうな程の大きな奇声を響かせ、古の悪魔は再び現世に蘇ってしまった。




