2話:偽りの人
荷台の中で二人の少女が出くわしたモノ。
それは銀髪、金色の瞳と不思議な容姿をした一人の青年だった。
「君は……」
幾多の鎖を巻かれて動きを封じられ窮屈そうに今も横たわる謎の青年。
ただでさえ怪しさに満ち溢れているが。不思議な事にヘルメスは、どこかこの青年に懐かしい雰囲気を感じ取っていた。
唖然とした表情で青年を見つめ、その記憶を手繰りよせていくが背後に隠れていたリディアによってそれは遮られた。
「ね、ねぇ、どうしたの!? ただの人間……じゃないの?」
得体の知れない青年を前に、リディアはヘルメスのコートを掴んだまま離そうとせず。不安気に青年とヘルメスの顔を交互に見ては落ち着かない様子を浮かべている。
ヘルメスは不安を訴えてくるリディアの頭にそっと手を置き落ち着かせながら青年に問う。
「ただの人間……ではない。そうだろ?」
ヘルメスの朱色の瞳、解読眼が青年の異常性を物語っていた。
彼女だけにはこの青年を構築する式の異常性が手に取るように視えていたのだ。
「ケッ、解読眼か……。また、面倒な眼をした奴に出くわしちまったぜ……」
観念したかのように眉間にシワを寄せてダルそうに顔を下に向ける青年。容姿は特殊なものだが、その仕草一つとっても普通の人間にしか見えない。
だが、存在を構築する式が人間とまるで異なるもので大よそ人間とは呼べない存在だった。まるでデタラメ、そう捉えられてもおかしくない式でこの青年は構築されている。
肘を押さえ、口元に手をやり必死に思考するヘルメス。今までの知識や経験を拾い上げた結果、師が昔研究していた研究対象をふと思い出す。
――――良いか、ヘルメス。世の中には人間を作ろうなんざ馬鹿げた思想を持つ人間もいるんだ。
その瞬間、瞳を大きく見開いて一気にヘルメスの表情は驚きに満ちていく。
「見た目は人間そのもので……異質な式で構築される存在……もしや……君は――――」
そこから導き出される答えを、ヘルメスは一つしか知らない。そして、ヘルメスの口から放たれるその単語にリディアも驚愕する事となる。
「――――”偽人”か!?」
核心を突いたその発言に青年は卑屈な表情で口元を歪め、鋭い牙を覗かせてヘルメスを力強く睨む。
互いに沈黙したまま不穏な空気に包まれていく。
傍で待機していたリディアもあまりの驚愕の事態にヘルメスのコートを離して大きく開いた口を両手で隠す。
青年をしばらく見つめた後、リディアは今一度その言葉を確認する為にヘルメスの肩を掴んで激しく揺らす。
「ち、ちょっと待ちなさいよヘルメス!! 偽人って。こ、こいつが……偽人だってのっ!?」
激しく揺らされながらもヘルメスは冷静にコートの内側に仕舞っていた眼鏡を取り出して掛け直すと、改めて青年を見つめてその顔をよく観察する。
「……俄かに信じがたいが、彼の身体を構築する式は明らかに人間のそれとは違うんだ。人の姿をしながら人とは違う存在。そんな存在は師匠から昔聞かされた偽人と呼ばれる存在以外に自分は思いつかない……」
「で、で、でもっ! 王従士ですら、偽人の構築に成功した例なんて皆無じゃないっ! 例え紛い物だとしても、ほぼ人間に近い生物を構築するんだから、当然と言えば当然だけど……」
動きを止めて互いに沈黙する少女達。
床に横たわる銀髪の青年がそんな二人を金色の瞳で睨みつけるように見上げ、意を決したようにゆっくりと口を開いた。
「そうさ、人を偽りし存在――――俺は偽人だ」
どこか怒りと哀しみが交り合ったその声に、二人は徐に視線を青年へと戻す。
青年は目ざとく少女達の恰好を見てその素性を分析して言葉を紡ぐ。
「アンタらが羽織ってるその服、研究衣からして錬金術師なんだろ? しかもその指輪は……そうだ、そのクソだせぇ紋章を見る限り……ギリスティアの王従士か」
ギリスティアの象徴たる兎の紋章に気づくと威圧的な態度を保ったまま鼻を鳴らす。
「ケッ、ギリスティアに所属する錬金術師のクセして生の偽人も見た事ねぇのか? それとも勉強不足か? 人をまるで珍獣扱いしやがって。まぁ、今はどうだって良い。それよりも――――」
鎖で拘束され横たわる青年から放たれたそれは、殺気に殆ど近い迸る威圧感。咄嗟にそれを肌で感じ取ったヘルメスはすかさずリディアに腕を伸ばして庇うように前へ立つ。
この青年はどこか危険だ。
二人の中で緊張の糸が一気に張り巡らされ、万が一に備えホルスターを装備する懐へと手を忍ばすヘルメス。
少女達は息を呑むと、青年はニッと口元の先端を吊り上げて声を荒げた。
「とりあえず飯喰わせてくれっ!? 腹が減って死にそうなんだよホントっ!!」
「へ?」
「は?」
青年の腹から盛大に音が鳴ると同時に、少女達の張りつめた緊張感が瞬く間に崩れ落ちていく。
先程までと打って変わったその様子に自然と緊張の糸が緩んでしまった二人の少女。
眼鏡の位置を修正しながら、ヘルメスは空腹を訴える目の前の青年を改めて見つめる。やはりその姿はどこか懐かしさを感じ、不思議と喜びに満ちた気分になってしまう。
「フフ」
「あん……? 何ヘラヘラしてやがんだ」
得体は知れないが、とても他人とは思えない。ヘルメスは警戒する青年の前に近づきその場で屈み込む。
「ちょ、ちょっとヘルメス! そいつ絶対に危険だって! さっきだって、あたしですら物凄い殺気を感じたのよ!?」
静止を呼びかけるリディアの言葉を無視してヘルメスは青年に対して優しく微笑みかける。すると、青年は誰もが振り向く程の美貌を持つヘルメスに真っすぐと見つめられた事で妙に照れ臭くなって思わず顔を背けてしまう。
「丁度、自分達もそろそろお昼にしようと思っていた所なんだ。それよりも聞かせてくれないか?」
「何をだよ……」
澄ました態度で視線を合わせようとしない青年にヘルメスは表情を凛々しくさせて続けていく。
「偽人の構築は世界的に禁止されていない。その理由は大きくして一つ。まず成功する者が殆どいないからだ」
いつ襲ってくるかもわからない相手に対し、無防備に話し込むヘルメスを後ろから居た堪れない様子で心配するリディア。その様子が馬車に差し込む太陽の光によって、ひょこひょこと小さな影が青年に重なって動き回っている。
先程から青年はヘルメスの意図がわからず顔を背けたまま大人しく耳だけを傾けていた。
「例え成功したとしても偽人の構築とは大変複雑かつ、膨大な時間を要するんだ。自分も詳しくは知らないが今この世界で確認できている偽人の存在は一桁程のものらしい」
人差し指を前に出し、偽人の希少性について説明するヘルメス。そしてここからが本題である。
「……で、それ程に珍しい存在の君は何故このように捕まっていたんだ? そして、これからどこに運ばれようとしていたんだ?」
あくまでもこの出会いは偶然のはず。
しかし、もしかすると自分達の目的と関係があるかもしれないと、そう思ったのだ。
ヘルメスの表情が一気に険しくなる。この問いには是非でも答えてもらわねばならなかった。
先程の人攫いについてもこの青年は何か知っているかもしれないのだ。
「ケッ、随分と自分勝手な女だぜ。そう言うアンタらはどうなんだよ? わざわざギリスティアの王従士がこんな辺境の地にどういった用で来たんだ? ……この先にあるヴァンクに何かあるってのか?」
「……」
青年の問いに答える事ができなかったヘルメスはその場から静かに立ち上がり、腰に手を当てて困った視線でリディアに助けを求めてみるが。
「ぜ、絶対にダメだからねっ! 今度こそ”ジジイ共”に怒られるだけじゃ絶対に済まないんだからっ!」
リディアは両手で大きく×を描いてヘルメスに釘を刺す。
この荒野の先にはヴァンクが存在する。
此処とは遠く離れた二人の祖国、ギリスティアから遠路はるばる赴いた理由。
それは――――”ある罪人”が潜伏しているかもしれないという情報を得たからである。
だが、これはあくまで極秘任務。一部限られた者以外には、同じ王従士ですら他言無用の案件。
それをこの得体の知れない偽人の青年に話すわけには当然いかなかった。
「すまない……それには答えられない」
「あぁん!?」
申し訳無さそうにヘルメスは詫びているが、先程からギリスティアの王従士という身分以外明かそうとせず、青年にだけ尋問にも似た質問を繰り返してきた。青年はその態度が気に入らずドスの聞いた声を響かせた。
更に青年の不満に拍車を掛けるように、リディアが鼻を鳴らして余計な真似をしでかす。
「ふ、ふんっだ! 別にこんな奴に話す義理なんて無いじゃない。それに――――」
「お、おい、リディア、それは流石に――――」
リディアは右手中指に通された指輪を見せつけるように青年へとかざす。それはヘルメスが通している指輪と同じ、王従士としての証の指輪。
つまり、これは強制にも似た公的行為である。
リディアは無言のまま指輪を見せつける事で青年に対し、自分達に大人しく従えという意思表示を行ったのだ。
「テっ、メェ……っ」
青年の眉間にはどんどん皺が寄り、額には青筋が浮かび上がっていく。リディアを力強く睨みつけるその瞳は荒みに荒んだ獣のようだった。
「ひっ、ひぃっ!!」
あまりの恐怖に思わず年頃の乙女にして漏らしそうになるのを必死に我慢し、リディアは慌てて青年から視線を反らしてヘルメスの背に隠れて半泣きで叫ぶ。
「あ、あ、あたし達は王従士なのよ!? な、何よその反抗的な態度はっ!! た、例え偽人だろうとあたし達に協力できないって言うなら逮捕してやるんだか――――ぶふぁっ!?」
その時、リディアの頭部をヘルメスの鋭い拳が襲う。
「痛ぃ~っ、たぁあああああいっ!! 何すんのよヘルメ――――」
思わず青年は驚いて目を見開き、リディアに拳を放った彼女に視線を向ける。
勿論、加減はされていたがリディアは殴られた箇所を必死に擦りながら、涙目でヘルメスに抗議しようとしたが――――
「ひっ!?」
情けない小さな悲鳴を零し、ヘルメスから後ずさりしていくリディア。
ヘルメスの表情は、その美しさを凌駕する恐ろしい形相へと変貌しており。無言でこれ以上のリディアの発言を封じた。
腰に手を当て、煙を吹かす拳を強く握り締めたまま怒り顕となるヘルメス。そこら放たれるその威圧感は、青年をも黙らせてたじろがせる程のものだった。
我慢の限界を迎えたようでヘルメスは怒りで肩を震わせ、鋭い視線をリディアに浴びせて叫ぶ。
「……リディアッ!! 我々は一体何の為に王従士になったッ!? 権力を盾に誰かを脅す為かッ!? 否ッ!! 困っている誰かを救う為だろッ!!」
然も当然かのように告げられたその志。
王従士に所属する殆どの錬金術師達は、それぞれぞ異なる思想を抱きながらも、大抵は私利私欲に走っていく。
だが、このヘルメスは違った。王従士とは、人々を救う存在だと本気で信じて疑わなかった。
「ちょ、ヘルメス……? べ、別にあたしはね? あんたみたいに、そこまで大層な思想とか持ってないというか……ほらっ! あたしは”家系”的に? みたいな所が――――」
「そこに直れッ!!!」
リディアの発言は容赦ない叫びによって遮られてしまう。
更に今度は破壊音が鳴り響き粉塵が舞った。
「な……な、な、」
足をがくつかせて青ざめるリディア。その視線の先には荷台の壁に大きな穴が開いていた。
「こいつぁ驚いたぜ……」
引きつった薄ら笑いを浮かべながら、青年も穴の開いた壁へと視線を向ける。
決して老朽などはしていない、分厚い木造の壁を見事なまでに貫通させたヘルメスの怒れる拳に素直に感服してしまう。
いくら木造とは言え、この細い身体のどこにそのような力があるというのか。
「す、すみませんでしたっ!!」
ヘルメスの気迫に負け、その場で背筋をピンと伸ばして姿勢を正すリディア。
今のヘルメスにはただ大人しく従うしかなかった。嫌な汗がどんどん沸いてくるのがわかる。
そしてこのままお説教モードへと移行される。
「自分は……っ、自分は恥ずかしいぞっ! 彼は人攫いに遭った哀れな被害者だというのに……」
「おいコラ、誰が哀れな被害者だよ」
青年の呆れたようなツッコミを軽く無視し、感受性豊かなヘルメスはその辛さに心打たれて情熱的なまでに躍動感溢れる演説を続けていく。
「なのに……っ! 王従士としての立場を利用してあのような高圧的な態度をとるとはどういう了見だっ! ほらっ、よく見てみるんだっ! 運悪く人攫いに遭い、ロクに食料も与えられていないかったのだろう……この血色の悪い顔を見てまだ先程のような態度が取れるというのかッ!!」
「テメェいい加減にしとけよ!? 別に血色悪かねぇよ! 元からこんな風に構築されてたんだよ!!」
散々な言われように青年は空腹に堪えながらも徐々に怒りを募らせていた。
「ホトンだ……そう言われてよく見てみれば何か段々こいつが可哀想に思えてきたわ……」
「っ、喰い殺すぞテメェ……っ」
遂にリディアまでヘルメスの言葉を信じ、哀れみの視線を向けてくる始末。青年の中で静かな殺意が満ちていく。
「例え偽人であろうと、そのような者に対してあのような態度は駄目だろ。……自分は……同じ王従士として恥ずかしいぞリディアッ!!!」
「う、うぅ……」
正義感が人一倍強く、自分の信念を固く守る友のお説教はこの後も永遠と繰り返されていった。
一向に解放される気配が無く。
リディアは困り果てた末に、あろう事か涙目で遂に青年にアイコンタクトを送り助けを求めてくる始末。
涙目で怯えるリディアの求めには先程から青年も気づいていた。
「……はぁ。くそっ、何で俺が……」
空腹がそろそろ本気で我慢の限界を迎えようとしていた。早くしなければ”大変な事態”へと陥ってしまう。
青年は苦肉の末に助け舟を出す事にした。
「さっきの件はもう気にしてねぇよ……。ほら、そいつも反省してるみてぇだし? な?」
「……む? そうか? まぁ、君がそう言ってくれるなら良いのだが」
「た、たすかったぁ~……」
脱力しきったように肌蹴た研究衣から肩を覗かせてその場へ崩れ落ちていくリディア。
すると、ヘルメスは青年の元に改めて近づき再びその場に屈み込んで視線の位置を合わせて確りと目を見つめる。
「ごほん、先程は友人が失礼した。心からお詫びする、どうか許してくれ」
「い、いやだからもう……」
とても澄んだ綺麗な声と、とても美しく愛らしい笑顔での謝罪だった。男性であれば妙に胸が高鳴るのも仕方ない程に、男心を揺さぶる悪魔的な笑顔だった。
偽人であろうと、この青年もそれは例外ではない。心臓の鼓動が高まっていた。決してそれを悟られぬよう咄嗟に視線を反らして誤魔化す。
「む? どうしたんだ?」
どうやら自分の美貌に関して自覚は無いらしい。首を傾げて疑問を浮かべるその仕草一つ取ってもヘルメスはとても魅力的な女性だった。
「さて、と……」
ようやく怒りが治まったかに見えたヘルメスだが、床に崩れ落ちてホッと胸を撫で下ろしていたリディアを再び鋭い視線で貫く。
お前も謝罪しろ、その無言の圧力がよろよろのリディアを突き動かす。
「ぐぬぬぅ~……っ、何であたしが……っ、わかったわよっ! 謝れば良いんでしょっ!? ハイハイ、すみませんでしたぁっ!」
「おいおい……それのどこが謝罪なんだよ? もしかして俺、喧嘩売られたのか?」
床に座ったままリディアの悪態をつきながらの謝罪が終了する。
それでも、リディアから謝罪の言葉が出てくるとヘルメスはいつもの表情へと戻っていった。
「よしっ! じゃあ、これは自分からの気持ちだ。ぜひ受け取ってくれ」
そそくさと近くに放置していた大きなリュックを引き寄せ、ガサゴソと何かを漁り始める。
ヘルメスがリュックから取り出したものは小さな弁当箱。
青年の鼻腔を食欲がそそる香りが刺激して口から涎が自然と垂れ流れてしまう。
「おほう、美味そうな匂いじゃねぇか! それだよそれ! ようやくまともな飯にありつける! は、早く喰わせてくれ!!」
弁当箱を差し出してからヘルメスは青年が鎖で拘束されたままで自力で食べられる状況ではない事を思い出す。
「ふむ、ならば自分が食べさせてや――――」
「ちょーっと待ったぁあああああああっ!!」
リディアが死にもの狂いの形相で突然二人の間に割って入ってきた。
「それってヘルメスが私に作ってくれたお弁当じゃない!! というか、あんた何を当然の如くあ~んとかしようとしてるのっ!? そ、そ、そんなの絶対駄目っ、ゆ、許さないんだからねっ!!」
リディアにとって、ヘルメスお手製の弁当は至福を感じさせる程のもの。それをこの得体の知れない偽人に食われてしまうとなっては一大事だ。
それに、あろう事かヘルメスは自らが青年に弁当を食べさせようとしていた。許せるわけもない。
ヘルメスからあ~んされるのは自分であるべきだ、と心の中で血涙を流すリディア。
「考えただけでも怒りで気が狂いそうになるわ……。そう、万死に値するわ……。というかっ! わ、私はどうすんのよ!! それは私のお弁当でしょっ!!」
屈んだヘルメスの両肩を掴みリディアは自らの昼食を賭けて必死に揺らして抗議する。
「や、止めろ、リディア。仕方ないだろう、弁当は二つしかないんだから……。なぁに心配するな、リディアには後で自分のを分けてやる。一緒に食べような」
ヘルメスがそう提案するとリディアは揺らすのを止めて頬を微かに緩ませる。
「あ、あんたと……一緒、に……?」
リディアの脳内に、その光景が鮮明に浮かび上がってくる。
それがどのような妄想だったのか知る術はない。
そして、腕を組んで頬を染めてる事がバレないようにそっぽを向いて返答する。
「わ、わかったわよ。今回だけ……仕方なくよ。それで我慢してあげるわ」
どうやらリディアが納得してくれたようで一安心するヘルメス。
何故か頬を染めるリディアに、とりあえず優しく微笑むヘルメスだった。
「さて……」
そして今も腹を鳴らし、弁当箱に狙いを定めている餓えた獣のような青年に今度は視線を向ける。
「……この弁当は君にやる。だが、その代わりに君の事を言える範囲で良い、教えてくれないか」
おかしな事を言うヘルメスに、青年は身体を何とか持ち上げて不満をぶちまける。
「アンタ、さっきそこの”小さい方”にあんだけ脅すなって熱弁振るってたじゃねぇか。これ完全に脅迫だろ」
「殴るわよあんた……ッ」
さり気なく小さいと言われた事に対して拳を握り、怒りで身体を震わすリディア。
だが、ヘルメスの方は目を細めて妖艶な微笑みを見せて青年にこう告げた。
「フフ。あぁ、これは脅しや強要じゃない。等価交換だ。どうだ? 少しは錬金術師らしいだろ?」
そのどこか小悪魔的なウィンクにまたしても胸が高鳴ってしまう。
釈然としないが今はそれよりも空腹を満たす事が先決だ。このままでは本当に取り返しのつかない事態へと発展してしまう。
今は一刻の猶予を争う。
「ケッ、だから錬金術師って奴は気にくわねぇ! あー、クソッ!! ……わぁったよ! 喋るよ! 喋りゃぁ良いんだろ!? だからとにかく早く喰わせてくれよ」
弁当を喰わせてもらう代わりに、自分の言える範囲の事を話すという交換条件。
背に腹は代えられず、その状況を呑む。このままでは”暴食状態”になりかねない。
青年の返事を聞き終えると、ヘルメスは横たわっていたその身体を優しく起こして壁にもたれさす。
「良し! では一先ず昼食を取るろしよう」
「お、おい!?」
ご丁寧に口元から垂れ流れる涎も、ヘルメスはハンカチをポケットから取り出して気にせず拭ってやる。
お節介を焼くその様子をリディアは黙ったまま腕を組んで焼きもちを焼いていた。
しかし、それでもヘルメスは身体を拘束する鎖はまだ外そうとはしない。念の為である。
「そういえば自己紹介がまだだったな、自分の名はヘルメス=エーテル。ギリスティアの王従士だ」
ヘルメスは青年の真正面に行儀よく正座して、眼鏡越しに青年の目を見つめて自己紹介を終える。
「……」
あまりにも真っ直ぐで、綺麗なその朱色の瞳は”彼女”によく似ている。青年は辛い過去を思い出して視線を逸らし、自身の”名称”を告げる。
「……ジン、そう呼んでくれ」
「わかった、ジンだな。宜しくな」
どこか含みのある言い方であったが、ヘルメスは特に気にする事なく笑顔でその名を口にした。
そして次にはヘルメスの視線に気づいたリディアが不満そうな表情を浮かべて簡潔に名前だけを告げる。
「……リディア。……リディア=エーデルソン」
ヘルメスとは対照的でジンに視線を一切合わせようとせず、そっぽを向きながらそう短く呟いた。
そっけない態度をとり続けるリディアの代わりに、ヘルメスが溜息を吐きながら補足する。
「ハァ……。君もわかってると思うが、このリディアも自分と同じくギリスティアの王従士だ。それも自分なんかとは比べられない程、優秀な錬金術師だ。自分の自慢の友達なんだが……どうやら今は機嫌が悪いらしい。本当は良い子なんだ、気を悪くしないでくれ」
ヘルメスお手製の弁当を盗られ、すっかりリディアは頬を膨らませて誰がどう見ても不機嫌だった。
腕を組んで、拗ねた子供のような表情を浮かべて行儀悪くあぐらをかいて座っている。とにかく簡単な二自己紹介を終えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
荷台の中で昼食を終えたヘルメスとリディアは壁にもたれ、長旅で疲労が蓄積された身体を僅かに休ませていた。
ようやく食事にありつけたジンは先程からヘルメスの料理を絶賛し続けていた。
「いやぁ、まさかこんな荒野にあんな美味い特産品のキノコが生えてるなんてなぁ。”ジャリダケ”だっけか? 流石はこの炎天下の荒野に生えてるだけあって栄養価が凄ぇ高いみたいだな。おかげで少しだけ調子が戻ってきたぜ」
「フフ、満足してもらえて良かったよ。ジャリダケに程好く焼き目をつけてから、酸味の効いた調味料で絶妙な味付けを施すのは結構難しいんだがどうやら上手くいったようだ。あとは単品でも十分に旨味を含んでいるから塩気のある”ベジリーフ”という葉との相性は抜群だったろ?」
「ま、あたしのヘルメスが作った料理が不味かった試しなんてないんだから」
この炎天下の中でも、この一品は匂いだけで食欲をくすぐられ、不味いわけがなかった。
ジンも二人と同じく満足気に荷台の壁にもたれてくつろいでいた。
だが、そろそろヘルメスは聞いておかねばいけない。もしも、このジンが任務を妨害する存在ならばそれ相応の対処をする必要があるからだ。
「……ジン。もう空腹も収まっただろ。ここからは真剣な話だ、ちゃんと答えてくれ」
「ようやくね……。あたし達も忙しいのよ、観念して全部吐いちゃいなさい」
ヘルメスはここで穏やかな笑顔から真剣な表情へと一変する。リディアも同じく真面目なトーンで相槌を打つ。
王従士として、ヘルメスはジンの危険性を見極めねばならない。
「俺の胃袋をナメてもらっちゃ困るが……まぁ、喰った分ぐらいは答えてやるよ」
律儀に約束を守ろうとするこの偽人を、ヘルメスも悪者ではないと信じたかった。
「つか、あんた何よ。いきなり素直になったじゃない、どういうつもり? 何か企んでんじゃないでしょうね?」
あまり自分の事を話したがらなかったジンが急にヘルメスの質問に答える事にした理由は、弁当をご馳走してくれたからでは無い。
上手くこの王従士達を利用して有益な情報が聞きだせるかもしれないと思ったからだ。
「……偽人だって飯の恩ぐらい感じるってだけだよ、チビ」
「なっ、あんた今、チビって――――」
喚こうとするリディアの前に、ヘルメスが立ち上がり制止する。
「ご協力感謝する。……では話を進めようか」
もう一度その場に座り、ヘルメスは質問を開始する。
ヘルメスには全ての式が視えても、ジンが何を考えているのかまでは視えない。
「まず、同じ質問を繰り返して悪いが君は何故捕まっていた?」
謎の簡易式で姿を眩ませた人攫いの男に捕まっていたジン。
偽人という希少価値から攫われた線が今の所は濃厚だが、予想だにしていなかった答えが返ってくる。
「あー、それか……俺はヴァンクに向かってた途中だったんだけどよ。途中でこの荒野を歩くのが面倒になってわざと捕まったんだ。この辺に現われる人攫いなんて大抵はヴァンクに売り飛ばす連中らしいからな。金も持ってねぇし馬車として使ってやるには丁度良いと思ったんだよ」
「はぁ!? あ、あんた、そんな理由でわざと捕まってたの!?」
「正気か君……」
考えられないとばかりに驚くリディアとヘルメス。それもそうだろう、一歩間違えれば奴隷としてそのまま売り飛ばされる可能性だってあるのだ。
ましてや偽人ともなれば国家をあげて研究対象として莫大な金で取引きされる事だろう。
そのようなリスクを背負ってまで人攫いを馬車として利用したジンの神経は並みのものではない。
だが、ジンから言わせればこうだ。
「いやいや……普通、金が無ぇからってこんな炎天下の中、ずっとこの荒野を歩いてヴァンクまで向かおうとする方が信じられねぇよ……。見た所、アンタら馬車なんかねぇだろ……相当頭おかしいぜ?」
ごもっともだった。
本来ならば馬車を借りるなりしてこの荒野を渡るのが世間一般的な考えだ。そもそもそれ以外の方法はただの無謀でしかない。
だが、二人の少女がそうしなかったのには切ない理由があった。
「あたしは……そうしようとしたわよっ!! でも……でも、ヘルメスがっ!! あー、思い出したら余計イライラしてきたわっ!!」
「実は自分達も……馬車を借りる程の所持金がなくてな」
「あぁん……? アンタら王従士なんだろ? 確か、国民の税金が主な収入源だって話じゃねぇか。中には研究成果で莫大な金を得てる錬金術師も数多くいるって。よく俺にはわかんねぇけど、王従士ってのはすげぇ金持ってんじゃねぇのか?」
ジンの言う通りではあるが、ヘルメスは王従士の中では異端な存在なのだ。
様々な理由が重なり、ヘルメスの立場は他の王従士達とは違う。
「まぁ、王従士にも色々といるのよっ! 別にあんたが気にする必要なんてないわっ! ねっ! ヘルメス?」
「まぁ……凄く恥ずかしい話になるが、自分は発給かつ貯金もほぼ無くてな……。なのに今回の任務には必要最低限の資金しか用意されなかったんだ……。だからと言って、自腹で任務遂行の資金を用意する事も自分には出来ず……僅かな資金をやり繰りしながら今に至るというわけだ」
「や、止めなさいよっ! 聞いてるこっちが悲しくなってくるからっ!」
それを知らず、リディアはてっきり任務の内容からも相当な資金が提供されていると思い込み、所持金をまったく用意せず同行してきたのだ。
おかげで二人は節約しながらひもじい旅をする事を余儀なくされていた。
でなければ、任務に弁当を自ら持参する王従士など存在するはずもない。
「リディア……自分のせいで……ひもじい思いをさせてすまない……うぅ」
「あ、あんたのせいじゃないわよ! 全部あのジジイ共が悪いのよ!」
「馬鹿にして悪かったよ。そうかぁ……アンタらもヴァンクに用があんのか。へぇ、なるほど」
「「しまった……」」
二人は同時に声を出す。
だが、それすらも失言だという事に二人は気づいていなかった。
「おいおい……俺はずっと荷台の中に居たんだから外の様子なんて見えなかったんだぞ? つまり、アンタらがどっちに向かって歩いてたなんて知らねぇよ。……アンタらもしかして――――」
「「……」」
黙り込んで落ち込む二人を見て、流石にジンもこれ以上の言及は止めておいた。
だが、これでようやくジンの中で確信に変わった。
ギリスティアの王従士がわざわざ縁の無い国、ヴァンクに向かっているのだ。ならば、必ず目的の人物がヴァンクに居るはず。
「……くっ、あんたはどうだってのよ! 何で偽人が一人でヴァンクなんて目指してんのよ!」
「そ、そうだぞ! 自分を馬鹿だと言うのは構わないがリディアは本当は賢いんだぞ!」
「ヘルメス……フォローになってないわ。今そんな風に言われてもただただ悲しくなるから止めて頂戴……。とにかく! あんたの目的は何よ!」
「俺の目的ねぇ――――」
ジンは少しだけ間を置いて考え込む。
あまり賢そうではないこの二人の少女は利用できるかもしれない。
ヘルメスは少しばかり腕に自信が有りそうだが、恐らく自分の方が圧倒的に強い。いざとなれば何とでもできる。
だが、他の王従士に気づかれると流石に面倒になる。
そう考えた末に。
「言える範囲の事だけで良いんだろ? なら、もうお終いだ。それに――――そろそろ食後の運動の時間だぜ」
「な――――」
「ちょ、な、何よ!?」
突然、荷台が少し傾いてバランスが崩れる。
「ヒヒーーンッ」
そして、馬の断末魔が外から響き渡る。
荷台の壁を見透かすような視線でジンは余裕のトーンで言い放つ。
「さぁて、この状況どうするよ?」
「だ、だから何よこの揺れはっ!? 外で何か起きたの!?」
ヘルメスもジンに次いでその気配に気づき、急いで眼鏡を外して解読眼でその存在を荷台の壁越しに確認する。
「リディア、戦闘準備をしろ……数が多いぞ」
そして、慌ただしい手つきでリボルバータイプの漆黒の奇妙な拳銃を懐のホルスターから取り出す。
険しい表情になるヘルメスに抱きついて不安な表情でリディアが尋ねる。
「は? なになに? 何か居るの!?」
気配を察知できないリディアにヘルメスは周辺の状況を短く伝える。
「……今、この馬車が多くの敵に囲まれている」
ジンは正確にその数を把握していないが、この二人の実力を判断するには好都合とばかりにこの状況を利用するつもりでいた。
困惑する二人を他所にジンもようやく立ち上がり、これからの戦いに備えて両腕に力を込めていく。
「そろそろこの鎖も邪魔だな――――ふんぬッ、」
すると、ジンを拘束していた鎖が瞬く間に砕け散っていく。
「嘘でしょ――――!?」
「……なるほど。人攫いを馬車代わりに利用していただけの事はある」
鎖を自力で砕く程の怪力を見せつけられ唖然とする二人の少女に対し、ジンはニッと笑みを零して鋭い牙を光らせ。
「ケッ、死んでくれるなよ錬金術師共、寝飯が不味くなるからな」
不穏な集団との戦いが始まる。