10話:少女の導き
「どうやら……まだ自分達が脱出した事はバレていないようだな」
外は太陽が間もなく沈もうとしている。
そしてヘルメスとセラはレンガの建物の壁に身を潜めていた。
慎重な面持ちで顔を出し、眼鏡を光らせて周囲の様子を観察するヘルメスの両手には二本の剣が握られており、随分と人の血を吸わせてしまっていた。
すぐ側に居るセラが血まみれのヘルメスの姿を見て申し訳そうに小声で囁く。
「さっきは……本当にすみませんでした、私……」
それは先程まで捕まっていた建物での出来事についての謝罪だった。
「間違っても自分を責めるな……。セラは何も悪くないんだ……。自分もあんなに取り乱してしまった……。でもセラのおかげで正気に戻る事ができて良かった、本当にありがとう」
数を相手に戦うべく、隠密行動に徹していたヘルメスは注意深く周囲を見渡しながらそう言い聞かせた。
あの建物での出来事。
違法薬の恐ろしさを身を持って体験したヘルメスだからこそ、改めてそう言う事ができたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
数分前。
薄暗い地下牢。
地上と繋がる階段の前はいくつかのランプによって明るくなっている。
これから自分達に起きる事など露知らず、二人の男は呑気に退屈を紛らわせていた。
「はぁ……。それにしてもいい加減飽きてきたな……。どうせ何も起きねぇってのに、何で俺らがわざわざ見張りなんてしてねぇと駄目なんだよ……」
「もう何度めだよそれ……。それだけファナンさんも警戒してるって事だろうよ……。あの女、薬盛られたってのにあんだけまだ動けたんだぞ……。それに錬金術まで発動させたんだ、明らかに普通じゃねぇよ……」
二人のファナンの手下は、階段の前に用意された古びた椅子に腰掛け、テーブルの上でカードゲームをしながら様々な愚痴をこぼしていた。
「ちぇっ……。せっかく女小屋に行こうと思ってたのによぉ……。どうだ? ちょっとぐらいあいつらで遊ばねぇか?」
「おいおい馬鹿言うんじゃねぇよ……。ファナンさんの許可無しでそんな事してバレてみろ……俺らタダじゃ済まされねぇぞ」
互いに何枚かのカードを雑にテーブルの上に投げつけながら、退屈そうにゲームを進めていく。
「おっ? へっへっへ。ほれ、お前が馬鹿な事ばっか言ってる間に俺の上がりだ」
「うげぇっ!? く、くっそ、今日はホントにツイてねぇ……」
「へへ、ぶつくさ言ってねぇでさっさと出すもん出せよ」
「わーってるよっ! はぁ……そろそろまた調達しねぇとなぁ」
そう言うとゲームに敗れた男は惜しむようにズボンのポケットから、とても小さな包みをテーブルに出す。
「お前また奴隷共から取り上げるつもりか? へへ、あんま取り上げすぎると本当にぶっ壊しちまうぜ?」
ゲームの勝者となった男は余裕の笑みを浮かべながら、テーブルの下に置いてあった木箱に手を伸ばして注射器を取り出す。
それをテーブルに置くと、賭けで手に入れた包みを拾い上げ、細い紐で縛られていた封を嬉しそうに解いていった。
「はぁ、むしゃくしゃすんぜ……。残りは少ねぇけど俺もキメるとすっかねぇ……」
「おうおう、そうしろ。嫌な事はぜーんぶ、この薬で忘れられる」
包みの中には少量の白い粉があり、それは違法薬。
脅威的なまでの中毒性、そして人体を蝕む悪影響。
決して手を出してはいけない禁断の薬。
だが男達にとって、それを摂取する事は日常的な行為となっている。
男達だけではない。
この村に居る全ての者達にとっても。
「さぁて……」
薬を前にして、禁断症状によって小刻みに震えだす手で二人は先端にチューブが付いた注射器の中に粉上の違法薬を注いでいく。
「へっ、へへ……」
目を血走らせ、激しい動悸を引き起こしながら。
歪んだ笑みを浮かべ、チューブを鼻に挿して急いで吸引しようとした。
そんな時だ。
「「っ!?」」
通路の奥から眩い青白い光と爆発音がこの部屋に届いたのだった。
この部屋に爆煙が漂っていき、いつしか視界もぼやけさせていく。
その影響で咳き込みながら、煙が目にして涙も自然と出てくる。
二人の注射器を持つ手はすっかり止まり、慌ててテーブルに注射器を置いて互いに息を荒げながら顔を見合わせ、爆煙に包まれた光と音の発生源である通路の先へと視線を向ける。
「げほっ、げほっ、お、おい……っ! ま、まさかあの女、錬金術を使いやがったんじゃねぇかっ!?」
「ば、馬鹿言うんじゃねぇっ! げほっ、お前も見てたろっ! 確かに錬金術は発動してたが途中で失敗に終わってたっ! げほっ、つ、つまりファナンさんの薬はちゃんと効いてんだよぉっ!」
「じゃあさっきの光と爆音は何だってんだよッ!? っ、う、げほっ、この煙りは何だよクッソ!!」
「ん、んなもん知るかよッ!!」
束になって掛かっても適わなかったあの少女の身体能力は今は著しく低下し、立つ事すらままならなくなっている。
あらゆる現象を引き起こせる錬金術も封じられている。
それでも。
二人は恐怖していた。
何故ならば、あの少女はただの錬金術師ではない。
エーテルの錬金術師だから。
「ど、どうすんだよ……ッ! これ、ファナンさんに知らせに行った方が良いんじゃねぇかッ!?」
「そ、そうだなッ! もし錬金術が使えるようになってんなら俺らじゃ太刀打ちできねぇッ!!」
二人は違法薬を摂取する事すら忘れる程に慌てていた。
彼らのように錬金術を扱えない者の一部にとって、錬金術師という存在は得たいの知れない力を振るうバケモノに映っているのだ。
特にファナンという錬金術師の近くに居るからこそ、その印象は色濃くなってしまっていた。
とにかく身を守る為に二人はテーブルの下から剣を素早く手にし、足を震わせて一目散にファナンの元へと向かおうと立ち上がる。
「もしも逃げられたら洒落になんねぇッ!! お、お前はここに残って奴らの様子を確認してこいッ!!」
「はぁッ!? じ、冗談じゃねぇぞッ!! お、俺がファナンさんに報告しに行くからお前がここに残れよッ!!」
「ば、馬鹿野郎ッ!! 薬はもういらねぇからゲームに負けたお前がここに残れってッ!!」
「な……、んなもん今は関係ねぇだろッ!! 俺よりお前の方が強ぇんだからここに残るべきなのはお前だろッ!!」
もしも本当にあの少女が錬金術で牢から脱出したのであれば、まんまと二人がここを離れるとそのまま捕まえた二人の少女が地上に逃げてしまう。
そうなればファナンの怒りを買う事となり、二人の命はまず無い。
そうならない為にも、食い止められなかったとしても形式上は一人はここに残しておかねばならない。
だが、エーテルの錬金術師を相手にすれば間違いなく残された方は無事では済まない。
「あ、あとで薬やるからッ!! た、頼むから残ってくれよッ!!」
「ふ、ふざけんなッ!! い、命あってのもんだろうがッ!!」
長く違法薬を服用していた影響で一般的な混乱以上にパニックを引き起こし、このような状況で二人はどちらが残るか取っ組み合いを始めてしまう。
「っ、残れって……言ってんだろうがぁッ!!!」
剣を床に投げ捨て、互いに相手の両肩を必死に押さえて決して逃がすまいとこの場所に留めようとするが。
「うっせぇッ!!! 誰がお前みてぇな奴の為においそれと死んでやるもんかッ!!!」
部屋の隅へと床に転がりながら互いに睨み、罵声を浴びせ合う見苦しい二人を他所に。
通路の奥から、爆煙を纏いながらこの見張り部屋へと人影が突っ込んでくる。
尋常ではない気迫と気配。
二人は一旦争いを止め、その方向へと振り向くと。
「な、お前――――」
「で、出――――」
二本の剣を持って現れた少女を目の前にし、あまりの恐怖によって涙を流しながら震える声を途中まであげると同時に、二人の男は喉元を自分達が投げ捨てた剣で貫かれて血飛沫を舞わせてこの世を去った。
「はぁ……はぁ……」
徐々に煙が晴れていく。
「っ、」
少女は今にも倒れてしまいそうに苦しそうな表情で肩を上下にさせ、二本の血塗られた剣を素早く抜いて目を伏せた。
「見張りは始末した……。もう、こちらに来ても大丈夫だ……」
ヘルメスは剣を振り、剣先に付着した血を雑に払うと。
通路の奥から発作を起こして息を荒げるセラが壁に手を這いながら苦しそうに姿をこの部屋に現す。
「はぁっ、はぁっ、……ぐぅううっ!!!」
だが、決して逃れられない魔の手によって。
セラは両手で頭を抑えながらその場に膝をついて動けなくなってしまう。
頭が割れそうな激痛、酷く歪んだ過去の記憶に苦しめられ。
ありもしない幻聴に身体を震わせる。
セラが最後に違法薬を摂取してからもうだいぶ経つ。
身体が、違法薬を激しく求めていた。
「待っていろ、セラ、今……薬を、探し、て……――――な、」
セラの異変が違法薬にいよる禁断症状だと察したヘルメスは男達が所持しているであろう違法薬を早く探してやろうとしたが。
目の前で喉を貫いて殺した二人の姿を目にすると――――
「か、母様……っ!? かる、ろす……っ!?」
二人の男の姿が、喉を貫かれて死んでだ母と弟の姿となっていた。
「ぁ、ぁ、」
母と弟をこの手で殺した。
今度は間接的でなく、自身の手によって。
ヘルメスもセラと同じく、違法薬によって悪夢を見せられてしまっていた。
「う、ぁ、ぁ、ぁぁぁあああああッ!!!!!」
思考は鈍り、ただ目の前の悪夢を現実だと認識してしまう。
ヘルメスは激しい混乱に見舞われながら力強く両手で頭を抱えて崩れ落ちていく。
違法薬の恐怖を、その身で初めて体験した。
これ以上の苦痛を、この村は八年にも及び与えられてきたのだ。
「ぁ、っ」
セラの目の前に、床に転がる違法薬の入った注射器が映った。
すると。
ヘルメスに目もくれず、いきなり痛覚を失ったように血走った目で注射器を拾いに駆け出す。
「っう、」
勢い余って転倒してしまい、膝を強打した事によって擦り傷もできてしまった。
それでもお構いなしに、必死に違法薬を求めてすぐさま立ち上がって駆け出す。
瞳孔も完全に開いており、口元から涎を垂らす必死なその姿は酷いものだ。
しかし今は違法薬を摂取する事しか考えられない。
それだけしかない。
「ハァ、ハァ、ハァ、」
人をこうも変貌させてしまう。
それが違法薬なのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして今に至る。
あの後、二人はすぐに違法薬を摂取して何とか正気に戻る事ができた。
ファナンによる枷は想像以上のものだった。
自分に逆らう者には罰を与え、違法薬も支給しない。
一度でも摂取してしまった者は永遠にファナンに従うしか生きる術がないのだ。
「ここまでの外道はそう居まい……」
時が経つにつれ、ヘルメスの中でファナンに対する怒りは増す一方だった。
怒りに表情を歪めながらヘルメスはようやくセラの方に振り向く。
「セラの話では処刑台はこの建物より少し離れた場所だったな?」
「は、はいっ。ここは工場でおじいちゃんが捕まってる処刑台はもう少し先ですっ」
ヘルメスは上を向き、まだ夕暮れまで時間がある事を確認するとセラに一つ提案を促してみる。
「セラ、よく聞いてくれ……。さっき違法薬を服用した事で少しだが楽になった……。。ただ……、情けない事にそれでもまだ全身が痺れるような感覚が走っていてな……。まだまだ本調子という訳にはいかないんだ……」
ファナンの薬の効果は消えていない。
僅かだが違法薬によって苦痛を和らげる事はできたが、元の力には到底及ばない。
つまり今のヘルメス一人では大勢に囲まれてしまうと太刀打ちできないのだ。
「そこで提案なんだが……夕暮れまでまだ時間がある。セラには申し訳ないんだが……まずはこの工場で働く村人達を解放して自分達に力を貸してもらうというのはどうだろうか?」
「そ、そんなの無茶ですよっ! もう……私達に戦う意思なんて残ってないですっ! 私達じゃ……あいつらに適うはずが……」
深く刻まれたファナンの圧倒的な戦力。
村人達は当の昔に戦意を失っていた。
抗う事を、諦めてしまっていた。
村の全貌を知るセラにはヘルメスの提案はあまりにも無謀な行為にしか思えなかった。
セラは身に纏うボロ布をギュッと握り締めて顔を伏せてしまった。
それでも。
「……適わない、か」
ヘルメスは知っている。
「だから戦わない……。セラ、本当にそうなのか?」
「っ!?」
ヘルメスは一本の剣を地面に刺し。
自分の言葉に肩をビクッとさせて反応するセラの肩に手を乗せる。
その表情はとても凛々しく微笑んでおり、自信に満ち溢れていた。
「セラ、君が教えてくれたんだぞ? 忘れちゃいないだろう?」
そう。
あの牢でヘルメスは勇敢な戦士達の存在を知った。
「適わない――――そう思っていても、君の家族は立派に戦ったんじゃないか」
自分を守る為に戦ってくれた、誇りに思える大切な家族。
セラの脳裏に、家族との記憶が蘇ってくる。
どれだけの屈辱と苦痛を与えられようと、自分達兄妹を命を張って守り、最後まで戦ってくれた父と母。
家族だけでなく、村の全員を救いたいと誰よりも恐がりなのに戦ってくれた兄。
例え他の村人全員から非難されようと、残された最後の孫娘の為に今も戦い続けてくれている祖父。
「何よりも――――君は助けを求めて戦っていたじゃないか」
村から脱出したとしても、このラティーバにはファナンの手下による監視網が広げられている。
他国に向かおうにも荒野の中心に位置するこのラティーバからではそれも至難の業。
助けを求める前に必ず追っ手がやってくる。
捕まってしまえばどれ程の仕打ちを受けるか、わかりきっていた。
それでもセラは助けを求めた。
この村を救いたいと願い、戦う決意をしたのだ。
「戦う事を諦めたなんて嘘だ。もう失いたくないからこそ、セラは守られてばかりの立場から、大切なモノを守れるようになっていたんだよ。だからそんな嘘をついてしまうんだ」
いつしかセラの頬には涙が流れていた。
今までに見てきた涙とは違い、その涙はとても美しく、セラの強さの証だった。
とても優しく、ヘルメスはその想いを人差し指で拭い称える。
「この村もそうさ。この村に来たばかりの自分が既に心が折れかけたんだ……。それでも皆、まだこうして生きているじゃないか。死という楽な道を決して選ばず――――皆、今もまだ光を信じて戦っているんだ」
どれだけ恐怖や違法薬で支配されようとも、自ら命を絶てば負けなのだ。
生き続ける者は決して敗者になどならない。
ヘルメスは周囲からそれを教えられていた。
だからこそ、この村に強さを感じたのだ。
「――――永遠に続く暗闇なんて無いんだ、諦めずに必死に抗えば必ず希望の光が指す」
セラはどこかヘルメスの言葉が英雄の予言と似ていると感じていた。
だからだろうか。
ヘルメスの言葉なら信じられる、皆と共に悪夢から目覚められると。
「やっぱり……ヘルメスさんは”あの人”に似てますね。この国が再びどれだけ大きな闇に呑み込まれそうになったとしても、必ずその闇を晴らす光が現れる―――この国を救ってくれた英雄が言ってた光はきっとヘルメスさんの事だったんですね」
目を細めて微笑むセラの表情には希望の光が灯され、美しく輝いていた。
ヘルメスは照れ臭そうに頬を赤らめてぎこちない笑顔を見せる。
「ま、まぁ、そこで相談なんだが……ちょっと待ってくれよ」
眼鏡を外し、解読眼で建物の内部へと視線を向けて真剣な表情を取り戻す。
「なるほど……中に居る者の数と位置は大体把握した」
解読眼によって工場内部の式を読み取り、これから動くべき行動の参考にしていく。
「本当に凄い力ですね……。中に居る人の数までわかっちゃうんですね?」
「まぁ……あまり自分はこの目を活かせていないんだがな。……それより、武器を持っている者が少なくないか?」
武器を所持している、つまり工場の監視者である。
その数が少ない事に疑問を抱いていると、セラがその情報を捕捉していく。
「元々、小さな村でしたから村人の数自体もあんまり多くないんですよ。だから工場の監視役もそんなに多くないんです」
ヘルメスは少し両腕を組んで考え込み。
「よし……。あの数なら大丈夫だろう。自分はこれから工場内に居る敵を殲滅する」
「せ、せ、殲滅っ!?」
「こらこらっ」
思わず声を荒げてしまったセラの口をヘルメスは慌てて塞ぐ。
周囲を入念に確認していたがここで居場所がもしバレてしまえば厄介な事になる。
恐る恐るヘルメスは右往左往と解読眼で敵がこちらに気づいていないかと確認していく。
「ふぅ……あまり大きな声を出すな」
どうやら気づかれなかったようでヘルメスは額の汗を拭い、ホッと胸を撫で下ろす。
「す、すみませんでした……」
口が解放されるとセラは深々と何度も頭を下げて謝罪していく。
思い返せば謝ってばかりのセラに自分を重ね、ヘルメスは苦笑する事しかできなかった。
それでもなるべく事を急ぐ必要がある。
地面に突き刺していた剣を引き抜き、戦闘準備をしてヘルメスは言う。
「とにかくだ。自分は敵を殲滅した後、すぐに敵の数をなるべく減らしに行く。その間、セラには工場内の皆を説得しておいて欲しいんだ」




