1話:噛み合う歯車
全てが式で構築されたこの世界において、錬金術はもはや人々の生活に欠かせない存在として長い年月をかけて深く浸透していた。
しかし、錬金術は誰にでも扱えるものではなかった。
「学者が音を上げる程に、難解な勉学の積み重ねと恵まれた才を持つ者だけに許された至高の技法……。
世界に漂う目に見えない複雑な式を紐解く必要がある錬金術は誰にでも扱えるもんじゃねぇ。もはや見えない問題用紙に一字一句正しく答えを記入するようなもんだ。……ケッ、おかげでウチみたいな”元”鍛冶屋は商売あがったりだ。たっく、とんでもねぇ世界だぜ」
此処は”ギリスティア”と呼ばれる大国に位置する小さな村。
元々、鍛冶を営んでいた店内には埃を被った刀剣類や、日用品の包丁等がいくつかの樽にまとめて隅へと追いやられていた。
年老いた店主が暇そうにカウンター席で新聞を片手に肘をつき、客の目の前で錬金術師の愚痴を零していてる最中だった。
「そう愚痴るなって、おやっさん。それより俺は客だぜ? いい加減に注文しておいた”簡易式”を用意してくれよ。早くしねぇと店が回んねぇんだ」
「はんっ、どうせあんたの飯屋なんて大して儲かってねぇだろうに一丁前抜かすんじゃないよ」
男性客は苦笑いを浮かべて同じくカウンターに肘掛け、馴染み深い店主にすり寄る。
「はは……客に対してなんつー態度だよ。お生憎様、大繁盛だよウチわ。だからこの店に来てんだろ? どうしたよ、今日はえらく機嫌が悪いじゃないか」
「そりゃ機嫌も悪くもなるわっ!! 何だこの記事はっ!! 見てみいっ!!」
店主は怒り顕にして、勢いよく新聞を男性へと突きつける。どうしたものかと男性は目を細め、じっくりと大きな記事を読み上げていく。
「ん? 何々? えーと、……我らがギリスティアは更なる錬金術の発展の為に――――はぁっ!? おいおい、また簡易式の増税かよ……勘弁して欲しいねぇまったく」
簡易式とは、その名の通り錬金術が扱えない人々の為に開発された誰でも簡単に扱える錬金術の一種だ。
「予め熱と水の性質を持つ式が合わさった簡易式があれば、わざわざ風呂を焚くのに水を溜めて火を起こす必要も無ぇし。それだけじゃねぇ、日常生活における様々な事が簡易式で今じゃ簡略化されてるってのによ……参ったなこりゃ」
その利便性故にもはや人々の生活に必須と言える簡易式が増税されれば、それだけで国民達は苦しむ事となる。
ギリスティアの新たな政策には店主だけでなく、一国民として男性客も異を唱えざるを得なかった。
しかし、店主の怒りは留まる事を知らず。遂にはカウンターを力強く叩きつけて大声をあげる始末。
「先祖代々受け継いできたこの鍛冶屋も遥か昔は儲かっとたらしいが、錬金術師共のせいで今じゃ生活していく為とはいえすっかり簡易式屋になってもうたッ! ケッ! なぁにが錬金術師が構築する刀の方がよく斬れるだッ!! ……職人の時代は遠の昔に終わってるんだとさ。非常に腹立たしい話だ……ッ」
「おやっさん……」
店内の隅に置かれた埃まみれの刀剣の数々。店主はそれらに儚い視線を送り、溜息を吐き終えるとようやくカウンターの下に潜って男性客が注文していた簡易式を取り出す。
「もう良い。ほれ、あんたが注文してた料理に使う火の簡易式だ。これ持ってさっさと出てけ。……今日はもう仕事をする気分にはなれんわ」
乱暴にカウンターの上に置かれたのは、大きな箱に入った大量の透明な試験瓶だった。その中身はどれも青い液体に一つだけ浸かった小さな赤い結晶。
これが錬金術の一種、簡易式。
使い方は至ってシンプルで、試験瓶を密閉している蓋を取り外すだけで子供でも扱える便利な代物だ。
「そうそう、残念ながらこいつが無ぇと今じゃ店が回らねぇんだわ。……ま、今に始まった事じゃねぇんだ。あんま不貞腐れんなよおやっさん、また来るよ」
「ふん、景気の良いこった。あぁ、またのう」
男性客は簡易式が入った箱を抱え、店主に挨拶してから店内を出て自分の店へと戻る。
この国だけでなく、錬金術が扱えない人々は錬金術師が構築する簡易式を買って日々生活を送っている。錬金術師という職種はそれだけで名誉であり、ある程度の地位と富が約束されていた。
その中でも、特に優れた存在が”王従士”と呼ばれる錬金術師だ。
「ふふ、そうなのよぉ。うちの主人がね、ようやく王従士として国に認められたのよぉ」
「あらぁ、羨ましいわぁ……。確か先日発表された通信機器として利用できる簡易式もご主人が開発したものでしたわねぇ。という事は……奥様もいよいよ貴族様達の仲間入りじゃなくて!?」
ギリスティアは比較的、他国に比べて平和でのどかな国である。それも全ては有能な錬金術師達の恩恵にある。
道端で井戸端会議に華を咲かせる主婦。愚痴を零しながらも活気溢れ、賑わう市場。
順風満帆な、錬金術大国ギリスティア。
しかし、それは表向きの姿だった—―――
現在、ギリスティアは自国が輩出した大罪人に酷く悩まされていた。
狂った錬金術師の、その弟子たる危険人物。国家反逆罪に問われる存在が今も行方を眩ませており、国を挙げて目下捜索の最中だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――――そう言えば、一国の王に忠誠を誓った錬金術師を”王従士”と呼ぶじゃないか? 自分も師匠に聞いたのだがその昔、黄金の夜明けと呼ばれる――――」
現在、王従士に所属する錬金術師の二人の少女達が”ヴァンク”と呼ばれる小国を目指し、炎天下の荒野を歩いている途中だった。
「……」
気晴らしに珍しく博識っぷりを披露してみるも、先程からずっと無視をされて一人の少女は不機嫌そうに唇を尖らせる。
「おい、聞いてるのか? ……さっきからずっと自分を無視していないか? い、いい加減にしないと泣くぞ!」
純白のとても綺麗な肌に、恐ろしく整った顔を持つ細身の少女。彼女の名は”ヘルメス=エーテル”。
「お、おーい? 無視は良くないぞー?」
横で共に歩く小柄な少女の顔を覗き込めば、背中半分まで伸びた煌めき美しい金色の長髪が揺れる。銀縁の眼鏡越しに、少しツリ上がった大きな二重瞼の朱色の瞳でジーっと見つめても少女の反応は無かった。
「……」
「まぁ、暑いのはわかるが……そんなに黙り込んで大丈夫か?」
ヘルメスは自身の胸元の開いた白地のブラウスに少しだけ隙間を作り、片手で仰ぎながら隣の少女の青ざめた表情を心配をする。
「お互いに……いくら錬金術師としての証であるにしても、流石に服装を間違えてしまったな。完全にこの荒野をナメていた、まさかこのような炎天下が続くとは予想だにしていなかった……」
太陽を見つめながら改めて後悔を口にする。
ヘルメスは律儀に紺色を基調とした錬金術師が愛用するコートを前開きにした状態で羽織ってるのだ。
コートの前方には三つの金色のベルトが付けられており、前を閉じる事ができる。しかし、ヘルメスの場合はサイズが合っていなかったのか胸が締めつけられて苦しくなるので常時開けたままにしている。
「しかし、自分にとってはこれが普段着だからな……。ただ、”リディア”の場合は荷物が無い分少しは楽なものだろ?」
下は金色のベルトを締めた黒のスカートを穿いて程好くむっちりとした太股を黒のストッキングで包み、茶色のブーツを履いているがとても荒野に適した格好とは言えない。
更には、とびきり大きなリュックを背負っているにも関わらず平然と歩を進めていく。
「なぁ~にが、楽よ……っ! あんた、ふざけるのも大概にしなさいよねっ!」
リディアと呼ばれるヘルメスの胸部分までしか身長が無い小柄な少女が、遂にその怒りを爆発させてヘルメスに掴み掛る。
名は”リディア=エーデルソン”。彼女もまた凄まじい美貌を誇る美少女だ。
ぱっちりと開いた碧眼でヘルメスを睨み、コートを掴み激しく揺らせば金色のショートボブが跳ねる。
「大体、大丈夫なわけないでしょっ!? もう全身汗だくで気持ち悪いに決まってんでしょっ!」
汗だくの透き通る白い肌もこの炎天下で若干火照っている。
「お、おい、そう揺らさないでくれ、あ、危ないだろ!?」
「うっっっさいっ!! あたしもあたしで何で律儀にあんたと同じくコート羽織ってんのよ!? バカなの!? 暑さで死んじゃうわよ!? むきぃいいいっ!」
白地のタンクトップの上から、茶色を基調としたヘルメスと同じ系統のコートを羽織っている事に今更疑問を抱き、自分でもわけがわからず理不尽にその荒れっぷりを披露する。
怒りに身を任せてヘルメスの身体を揺らせば揺らす程に、その豊満な胸が目の前で揺れを増していきリディアの怒りに拍車をかけていく。
「ちきしょうっ! 当てつけのつもりっ!? ふっざけんじゃないわよっ!」
「な、何を言ってるんだ!? わけがわからないぞ!?」
リディアはヘルメスと比べるのも可哀想な程に控えめな胸をしている為、しっかりと金色のベルトで前を閉めている。下は生脚を顕にして茶色のブーツを履いており、この荒野で激しく動けば今にも倒れそうな程に不安定だ。
「ぜぇ、はぁ……もう良いわ、余計な体力を……使いたくないもん……ふんっだ」
渋々とヘルメスを開放してリディアは涙ぐみながら先を進める事にした。胸の差を埋める事は叶わないのだから。
「にしても……あんた。よくずっとそんな平気そうな顔してられるわね……何度あんのよ今……」
二人分の荷物が入った大きなリュックを背負って数時間歩き続けているにも関わらず。
ヘルメスは汗だくのリディアとは対照的でこの炎天下の中、一切汗をかいていない。胸だけでなく、この差は一体何なのか。
「ふむ、平気ではないが……これも日々の鍛錬のおかげだな! どうだ? この任務が終わったらリディアも自分と一緒に身体を鍛えてみないか? そうすれば身長だってもう少しは伸びるはずだ!」
「っ、」
悪気無く放たれたヘルメスの発言はリディアの逆鱗に触れてしまう。
二人は急いでヴァンクに向かわねばならなかったがリディアは突然立ち止まり、そのまま全身を震わせて面と向かって怒鳴り始めた。
「あんたねぇっっ!! いくら身体鍛えたって暑さはどうしようもないのっ!! わかるっ!? こんの……筋肉馬鹿っ!! し、身長の事も関係ないのっ!」
今に始まった事ではないが、たまにヘルメスはこうして何気ない一言で人を苛立たせてくる。
しかし、それには慣れつつある。だが、こうして疲労がピークに達しているとついつい反応してしまう。
余計に体力を消耗させたリディアはうなだれるように俯き溜息を吐く。
「……はぁ、無駄に怒鳴らせないでよ、ったく、余計にしんどくなってきたじゃない」
片腕で額の汗を拭う際に、無意識にふとヘルメスの身体が横目に入ってきた。
自分には無いその男女問わず憧れてしまうプロポーションに昔から嫉妬しているのだ。だが、当のヘルメスは自身の容姿がとても魅力的なものだと自覚していないようで度々こうしてリディアから反感を買ってしまう。
落ち着きを取り戻し、いざヴァンクを目指すべく再び歩き出すリディアだが――――
「……筋肉……馬鹿……」
呪文のように繰り返し呟かれるその言葉。しまった、そうリディアは後悔したが遅かった。
この炎天下の中、ただでさえ暑くて気が滅入っていると言うのに、余計暑苦しくなっていく。
リディアがげんなりと見つめる先には、両手の人差し指を突きながら両肩を小さくするヘルメスがいた。
「こ、これでも自分は……その、い、一応、乙女なんだぞ。お、乙女に向かって……き、筋肉馬鹿と言うのは……い、言いすぎではないか?」
よほど傷ついたのか、普段は毅然とした態度で大人びた雰囲気を醸し出しているヘルメスだが。今は少し涙目になりながら拗ねた子供のようにそっぽを向いていた。
遂にはリディアを置き去りにして足早に歩き出す始末。ほとほと面倒臭いものだ。
「はぁ……。ちょっと待ちなさいよヘルメス、私が悪かったわよー……」
先にどんどん一人で進むヘルメスの後を、リディアは面倒臭そうに走って追う。
「ふん……筋肉馬鹿じゃないもん。……はぁ、そんな風に言わなくても良いじゃないか」
暫くして、ヘルメスも大人気なかったと反省したのかふと進むペースを落としていく。
「はぁ、はぁ、たっくっ、」
息を荒げながらようやく追いついてきたリディアはヘルメスの横に並び、改めて今回の旅の重大さを告げる。
「もうー……わかってんの? 無駄に体力使わせないでってば。こんな所であたしらが喧嘩してても仕方ないでしょ? ……これから大きな山場が待ってるかもしれないんだから」
そう、大きな山場。
何もこの二人は観光目的でヴァンクに向かっているわけではないのだ。
とある罪人の行方を追っている最中で。王従士として立派な責務を負い、重大な任務を命じられて旅をしている途中だったのだ。
「そうだな、すまない……。わかってはいるんだ、リディアの言う通りだ。それに自分だって本当はリディアと喧嘩なんてしたくないし、仲が悪くなってしまうのも耐えられないからな……」
素直に先程の稚拙な言動を詫び、改めて感謝の気持ちを伝える。
「フフ、それにしても今回の任務への同行をリディアが了承してくれた事、本当に嬉しかった。ありがとう、リディア」
ヘルメスの屈託の無い真っ直ぐな笑顔、それは見る者を魅了する破壊力を持つ。それは同じ女性のリディアも例外ではない、というかリディアにはその笑顔がとても効果的だ。
暑さとは関係なく、ヘルメスの笑顔によってリディアの顔が見る見る真っ赤になっていく。
「べ、別に私は暇だったからあんたに付いて来ただけだしっ!? だ、大体あんたみたいなヘボ錬金術師一人で向かわせられる訳ないじゃないっ」
そう言いつつも、今回の任務は元々ヘルメスのみが命じられていたのだ。それをリディアからわざわざ同行を申し出た事は秘密である。
形式上はあくまでヘルメスから依頼した形だがその実、リディアから上層部へ懇願あったからこそのものだった。
「へ、ヘボ錬金術師……」
そうとは露知らず。
前屈みになりながら明らかに落ち込んだ様子を見せて再び歩み始めるヘルメスの姿に、リディアは自分の失言に気づき何とか取り繕おうとする。
「で、でも、ほらっ、確かに”錬金術が駄目”でも? こうして王従士として、こ~んな凄く重要な任務に選ばれたんだからあんたの腕は確かよっ! 認められてんのよっ!」
少しだけ背伸びしてヘルメスの肩に手を伸ばし、軽快な口調で褒め続けるリディアに、ヘルメスは機嫌を取り戻して優しく微笑み返す。お世辞である事は百も承知でヘルメス自身が一番わかっている。
その笑顔に、少しドキッとしてしまうリディア。
「フフ……リディアは優しいな。だが、良いんだ。……リディアだけじゃない、皆の言う通りさ。自分が落ちこぼれだと、ちゃんと自覚しているんだ。だが、それでも――――自分は、自分にしか出来ない事がきっとあると信じている」
凛々しい顔つきでヘルメスは力強い瞳にその信念を宿していた。
ギリスティアの王従士の中ではヘルメスの評判は非常に悪く、風当たりも強く辛い経験を何度もしてきた。それでも決して諦める事をしなかった。
懸命に王従士に身を置き、頑張っている事をリディアは知っていた。
「この命は遠に陛下へと捧げている。それに、自分には”しなくてはいけない事”が、”叶えたい願い”があるからな」
リディアは安心したように微笑み返して溜息を吐く。
「……はぁ、なんか気使って損したわ。それでこそヘルメスよ。さっ、気を取り直して早くヴァンクに向かうわよ! 早くお風呂で汗も流したいしねぇ」
「ああっ!」
気を取り直して二人はヴァンクへと向かおうとする、が。
笑顔を取り戻したヘルメスが、近づいてくる”異変”に一早く気づいた。
「……待て、リディア。何かが近づいているぞ」
「へ?」
確かに何やら背後から大きな音が近づいてくる。妙な胸騒ぎからリディアは周囲を警戒して咄嗟にヘルメスのコートを不安気に掴む。
互いにその場に立ち止まり、ヘルメスはリディアを庇うように手を伸ばして背後へと振り向いて動きを止める。
「ねぇ? あれって……」
目を細め、手をかざして注意深く視線の先を確認するヘルメス。
「どうやら、馬車のようだな」
小屋のような荷台が繋がれた馬車が物凄い勢いでこちらに向かってきていた。
「な、な、ちょ、ちょっと! なんか、こっちに突っ込んできてない!?」
「あぁ、その様だな」
「な、何を平然とその様だな、よッ!! ちょ、どうすんのよヘルメスッ!?」
一直線に馬車が二人めがけて突っ込んできている。その距離はどんどん縮まってくる。
このままでは轢かれてしまうのは言うまでも無く。非常に不味い状況だ。
ヘルメスは最悪の事態を避けるべくリディアの腕を素早く掴みそのまま両手で抱えだす。
「しっかりと掴まっていてくれよ」
「へ、ヘルメスッ!?」
馬車はもうすぐそこまで差し迫ってきている。このままでは衝突は避けられない。
大きなリュックを背負いながらヘルメスは戸惑うリディアを抱えた状態で衝突を避ける為に大きくその場から跳び退く。
「いくぞ!!」
「ちょ、ほん、きゃあああッ!?」
馬車は二人が先ほどまで居た場所を風を斬るように通り過ぎていき、何とか危機を回避す事に成功した。
「っ、どういう事だ? 運転手が意識を失っていたようには見えなかったが……わざと、なのか?」
「う、うう……っ、もう、何なのよっ!」
咄嗟の事で混乱するリディアを開放し、ヘルメスは眼鏡を急いで外して朱色の瞳で馬車を注意深く観察する。
馬車は砂埃を舞わせてピタリとその場に止まっており、不穏な雰囲気を醸し出している。
するとヘルメスは馬車から二つの存在を”読み取る”事に成功した。
「二人……なのか?」
妙な違和感を感じつつ、ヘルメスは一先ずリディアの無事を確認する。
「大丈夫かリディア。怪我は無いか?」
「わ、私は大丈夫、あんたこそ怪我してないでしょうね!?」
「問題ない、日々の鍛錬のおかげだ」
「あー、はいはい……」
笑顔を輝かせ、自慢げにそう答えるヘルメスにリディアは呆れ顔を浮かべて乾いた笑みを零す。
「ふひっ、ふひひ……」
不気味な笑みと共に一人の男性が馬車の運転席から降りて二人の前へと姿を現す。
二人は急いで態勢を整え、表情を強張らせる。
「あいつねっ!! 文句言ってやるわっ!! ――――ちょっとそこのあんたッ!! 危ないじゃないッ!! あたし達じゃなかったら、あんた完全に轢いてたわよッ!?」
この際、”あたし達”というリディアの強気な部分にヘルメスはあえて触れないでおく。
それよりも男性に怒鳴り散らして問い詰めようと近づくリディアの肩を掴んでヘルメスは首を横に振る。
そして、少ししゃがんでリディアの耳元に手をかざして小さな声で告げる。
「気を引き締めろ、あの男……銃を持っている。……それに、あの荷台の中に得たいの知れない”何か”が居るはずだ」
リディアはあまりにも真剣なトーンで耳打つヘルメスの発言に思わず唾を飲んでしまう。
そして、しゃがむヘルメスに同じく小さな声で質問する。
「ちょっと、あいつ何者? それに、全ての式が視れる”解読眼”を持つあんたが言うならそうなんでしょうけど、何かって何よ……?」
普通の人間には直接、式を視る事ができない。それ故に式に干渉し、錬金術を扱う錬金術師が地位を得ているのだ。
しかし、稀に”解読眼”と呼ばれる不思議な眼を先天的に持って生まれる者が存在する。
解読眼を持つ者にとって、この全てが式で構築された世界は全てが式で視えている。つまり透視化も可能なのだ。
「あの男が何者なのかはわからない……。しかし、荷台の中に居る謎の生物の式がどうやら人じゃない何かなんだ……。まったく視た事の無い式だ」
二人が小さな声でやり取りしていると。
小奇麗な商人気取りの衣装に身を包む男性がようやく二人の前まで近づき、陽気な口調で話しかけてきた。
「いやぁ、すみません! 少しうたた寝をしておりまして……怪我が無くて本当に良かった!」
二人は明らかに男性を警戒し、黙って耳を傾けるだけだった。ヘルメスが確認した時に男性はうたた寝などしていなかった。
つまり、あれは完全に故意的なものでこの男性は嘘をついている。
任務を妨害する刺客かもしれない。そう疑心暗鬼になって男性を見つめたまま、二人はいつでも臨戦態勢に入れるように注意深く動向を観察していると。
「ひひ、なるほど、なるほどぉ~」
二人の容姿を男性はまるで舐め回すような視線で品定めをしていく。
「貴方達の様な……美しいお嬢さん方に怪我が無くて本当に良かった! 実にツイている!」
不気味な笑い声で、二人の周辺をぐるぐると回り始める男性。明らかに様子がおかしい。
ここで、痺れを切らしたリディアが不満たっぷりに冷たく言い放つ。
「全然そんな風に思ってるように見えないんだけど? あんた本当に悪いと思ってんの? ただただ気色悪いんだけど……」
だが、男性は特に悪びれる様子もなく。
「ひっひっひっ、滅相も無い。まさかここまでの上玉……しかもそれが二人だなんて思ってなかったもんでねぇ。……とりあえず轢いて身動き取れないようにしておこうと思ってましたけど、怪我をさせなくて本当に良かったですよっ!!」
ようやく本心を現し、拳銃を取り出して二人に銃口を向ける。
だが、二人は一切動じる事なく。冷静にこの男性の発言や行動からその正体に気づいたのだった。
「あんた……」
「人攫い、だな」
男性もまた一切動じる事なく、銃口を向けたまま余裕の笑みを浮かべていた。
「ひっひっひっ、人攫いだなんて大層なもんじゃないですよ。あっしはただのしがない商人ですぜぇ? いやぁ、今日は本当にツイてやがる! ”珍しいガキ”と、こんな上玉二人を仕入れられるなんてねぇ!?」
今の発言に、ヘルメスは一つの疑問を抱いてそれを投げつける。
「珍しいガキ……だと?」
珍しいガキとは、あの荷台に居る何かの事だろうか。
だが、とても人間を構築する式には視えていなかった。疑問は深まるばかりだ。
妙な胸騒ぎに襲われ、暫く沈黙しているとリディアがコートを再び掴んできて小声で男性の対処を仰いできた。
「で、ヘルメス……どうすんの?」
「む? そうだな……人攫いは立派な犯罪だ。決まっている」
「了~解~っ!! なら、決まりねっ!!」
小振りの胸を張り、堂々と両腕を組んで鼻を鳴らすリディア。
「人攫いなんて胸糞悪いし、私も丁度むしゃくしゃしてた所よっ!」
先程から一切動じる様子を見せない二人の少女に男性は徐々に苛立ちを募らせており、つい大声をあげてしまう。
「さっきから何をコソコソと話し合ってんだぁっ!? 確かにお嬢さん方みたいな上玉を傷つけるのはあっしも不本意さっ! ……だがなぁ、大人しく捕まってくれないなら仕方ねぇんですぜ? ひっひっひっ!」
脅し文句を並べ終えると男性は拳銃のトリガーに指の力を少しだけ込め、いつでも発砲するという意思表示で二人を威嚇する。
それでも、ヘルメスはそんな男性の様子を確認すると声高らかに宣告する。この程度で屈する程、ヘルメスはそこまで乙女では無かったようだ。
「我々はギリスティアの王従士だッ! 人攫いの容疑で貴様を緊急逮捕するッ!!」
ヘルメスは右手の中指を男性にしっかりと見せつける。
装飾が施された碧の宝石の指輪。王から授かりし王従士としての証だ。
宝石部分にはギリスティアの紋章であるウサギが刻まれており。
「んん~? ……っ!?」
それを確認するや男性は急に慌てふためきだす。
「な、な、王従士の錬金術師だとッ!? し、しかもその紋章はギリスティアじゃねぇかッ!! な、何でこんな辺境の地にお前らみたいなのがッ!?」
ギリスティア。
それは”四大国家”の一つであり、ヘルメスとリディアが忠誠を誓った”慈愛王ミストレア=サールージュ”が治める。
「あんま他国に干渉するつもりは無かったんだけどさぁ? やっぱ犯罪は犯罪だしねぇ? ……てな訳で、王従士としてあんたみたいな犯罪者を見過ごせないのよ! さぁ、ヘルメス! 存分にやっちゃいなさい!」
王従士には罪人を、もしくはそれに順ずる者を逮捕する義務がある。世界に秩序と進化をもたらさなければならないのだ。
特に人一倍、正義感の強いヘルメスが人攫いの容疑がかかるこの男性を見逃すわけはなかった。
「結局、自分がやるのか……まぁ、そういう事だ。我々は王従士。貴様を逮捕する義務がある。さぁ、大人しく捕まってもらうぞ」
二人の服装からして錬金術師である事は男性もわかっていた。
だが、まさか過酷な選抜を潜り抜けた実力者。王従士だとは思いもしなかったのだろう。
男性は拳銃を持つ手を震わせ、明らかに取り乱している。
「く、くっそぉ!! 捕まってたまるかぁッ!!」
必死の形相で男性は二人をこの場で始末しようと動き出す。
まずはリディアに拳銃を発砲しようと引き金に力を込めようとするが――――
「ぶふぁッ!!!」
ヘルメスが瞬時に男性の懐に潜り込み。
「物騒な物を自分の友に向けるな……」
掌を鋭く男性の顎にヒットさせ、そのまま吹き飛ばしてしまう。
「あーらら、痛そう……」
吹き飛ばされた際に、ヘルメスが確認していた男性の唯一の武器が手から離れて地面に回転しながら落ちると。
「よいしょっと」
すかさずリディアがその拳銃を拾い上げて得意げに仁王立ちとなって男性を睨む。
「ひぃっ!?」
そして、倒れ込む男性の前にはヘルメスが怒りに満ちた表情で立ち塞がっていた。
「自分にとって親友と呼べる大切な存在、リディアを撃とうとするとは……許せんな」
親友に拳銃を向けられ、冷酷な表情で男性を見下ろして恐怖を与えていく。身震いする程の恐怖に男性はただ口を大きく開けて言葉を詰まらせるだけだった。
更に、ヘルメスはコートの内側から漆黒の奇妙な形をしたリボルバー式の拳銃を取り出し。
「覚悟はできているんだろうな?」
尻餅をついて怯える男性の眉間にその銃口を突きつける。
「ひ、ひぃッ!!」
完全に怯える男性の姿に、リディアは微笑みながらヘルメスのコートを引っ張る。
「はいはい、お疲れさん。慣れない事しなーい」
「フフ、確かにやりすぎたな」
ヘルメスは漆黒の拳銃を手際よくコートの内側に仕舞い、十分に怯えきった男性に視線を戻す。
だが、その際に一瞬の隙が生じた。
男性は、怯えながらもそれを決して見逃さなかったのだ。緊急事態に備えて持たされていた”アレ”を使うには十分すぎる時間だった。
「ひ、ひひっ……」
「む? ――――」
異変に気づいた時にはもう遅かった。
いつの間にか懐から、男性は”漆黒の試験瓶”を取り出してその蓋を開けていたのだ。
「――――し、しまった! 何故、視えなかったんだ!?」
そして、急にこの周辺一体におびただしい”赤黒い光”が溢れて包み込む。
「まさか簡易式!? い、いや、それにしても何か大きすぎない!?」
「あっはっはっはぁッ、あばよぉッ――――」
簡易式はあくまで一般人の為に構築されたものであり、これ程の現象を引き起こすものではない。
周辺は眩い光に包まれ、二人は耐え切れず両腕で目を庇うようにして閉ざされてしまう。
「クッ、何も見えないッ! ヘルメスッ!! あいつはッ!?」
「わ、わからんッ、だがッ、既に気配を感じないッ!!」
「な、何ですって!? 人間一人がこの場から消えたって言うのッ!? そんな事あるはずないでしょッ!?」
ようやく光が収まると、男性の姿は完全にこの場から消えていた。
後に残されたのは二人と馬車だけだった。
「ちょっと! あんた、あいつが簡易式持ってるのわからなかったの!?」
解読眼を持ちながら簡易式の所持を見抜けなかったヘルメスに詰め寄るリディア。
だが、あの時。
確かに衣服を除けばヘルメスには拳銃以外の何かを所持していた風には視えなかったのだ。
「それが……解読眼でも確認できなかったんだ。恐らく一瞬見えたあの見慣れない漆黒の試験瓶が関係しているのかもしれない。それにしても……あれは一体……」
地面を見つめてすっかり上の空となったヘルメスにこれ以上何を言っても無駄だろう。
リディアは口元を撫でながら真剣な表情を浮かべて舌打ちをした。
「ちっ、やられたわね。しかも、あんたに気配を察知されず姿を消したって事はただの簡易式じゃないわよね……。どこでそんなものを……チンケな人攫いだと思って油断したわ。迂闊だったわね……」
突如現われ、取り逃してしまった人攫いの男性の正体が二人は気がかりだ。
特にあの漆黒の試験瓶。解読眼ですら読み取れない存在などヘルメスにとって生まれて初めての事だった。
「全てが式で構築されるこの世界で、自分の解読眼でその存在を確認できないというのは有り得ない、はずなんだが……」
ヴァンクが近づく中でこの不可解な遭遇に不安が過る。
「やはり、本当に今ヴァンクで何かが起きようとしているのか……」
まだこの時、二人は知る由も無かったが。
ヴァンクで”彼”が不穏な笑みを浮かべている、そんな気がした。
「……とにかく、荷台を確認しよう。あの男の手掛かりがあるかもしれない」
眼鏡を外したまま、ヘルメスが荷台に視線を向けると解読眼で何かが動く様子が視えた。
「そうね……、今はまずあの荷台を調べましょ。それに、ヴァンクに行けばあいつの正体も何かわかるかもしれないしね」
ヘルメスとリディアは残された馬車に近づき、荷台を確認する事にした。
一体何が捕まっているのか。二人の中で不安は募るばかり。先程、ヘルメスは人間ではなく何かと言っていた。
しかし、人攫いの男性は確かに人間だと言っていた。
難しい表情を浮かべながらヘルメスとリディアが恐る恐る荷台へと上がり、まずはヘルメスが足を踏み入れる。
万が一、人であった場合は攫われた被害者である可能性が高いので細心の注意を払う。
「わ、我々は王従士だ、もう心配は無――――」
だが、そこでヘルメスが目にしたのは――――
「ね、ねぇ、ヘルメス? ど、どう……?」
肩を縮ませながら怯えながら馬車の中に続くリディア。固まって一向に動かないヘルメスを不審に思い、そっと顔を覗かせると――――
「え?」
鎖で身体を拘束された、銀髪の短いオールバックをした金色の瞳を持つ少年の姿だった。
しかし――――
「”人間”、なのか……?」
ヘルメスは絶句していた。
何せ目に映るその青年は見た目は完全に人間だが――――人間を構築する式とはまったく異なった滅茶苦茶な式で構築されていたのだ。
「あぁん……? 王従士だぁ? ふぅー……、まぁ何でも良いさ。ケッ! アンタら何か食いもん持ってねぇか? 実は腹が減りすぎて死にそうなんだよ、できれば美味いもんだとありがてぇな」
これが、異なる歯車が噛み合った瞬間。
ヘルメスと青年の出会いだった。