12話:偽人の過去と少女の成長
昨晩の寒さが嘘のように暖かさを取り戻したドルスロッド。
つい散歩にでも行きたくなるような清々しい空気が流れる中、ヘルメスとアリスは今日も病院にある一室に缶詰状態であった。
「どうだ? 大自然すら凌駕する美しさを放つ我が愛弟子ヘルメスよ!」
そこそこの大きさを持つこの建物はもっぱら病院として機能しているが、その一部は錬金術を研究する為に用意された部屋や、錬金術に用いる大量の資材等が置かれた部屋が存在する。
「うぅ……そうですね、確かに以前よりは理解しやすくはなっているのですが……流石にこの量はどうなんでしょう……」
現在、ヘルメスはテーブルの上で頭を抱えてうつ伏せになって相当悩んでいた。
その原因はテーブルに山積みに置かれた錬金術における大量の資料集と、更には並大抵の錬金術師では拝む事すら叶わないアリス直筆の研究資料。
少しでもバランスが崩れると生き埋めになってしまう程の資料がヘルメスの頭を悩ませている。
「がはは、泣き言なんて珍しいじゃねぇか。どれもこれも今後のヘルメスにとって必要なもんばっかだ。どんどん暗記してー。あと、この俺様が用意してやった特別課題の事も忘れてねぇだろうな?」
「ちょ、師匠! 危ないですって!」
ヘルメスの気も知らずアリスは更なる大量の資料を容赦なくテーブルへ雑に置き、他の資料が崩れそうになるのを必死でヘルメスが慌てふためき阻止する。
その動きはまさに大道芸に近いものだった。
「がはは、流石は俺のヘルメス! さぁ、とっとと全部覚えて課題済まさねぇとあのクソガキがずっと右腕ねぇままだぞ」
「くっ」
そう。
ヘルメスはアリスから錬金術を受講するにあたり、最初にある約束をアリスと交わしていた。
この大量の資料全てを読み、提出された課題をクリアする事でジンの腕を構築して貰うというもの。
そしてその課題は内容的に至極単純なもので”あるモノ”を構築する事だった。
だが。
「あの、そろそろ一体何を構築すれば良いのかヒントだけでも頂けないでしょうか……」
ヘルメスは一体何を構築するれば良いのかまったく聞かされていなかった。
「ふぅ、参ったな……そんな愛らしい顔でおねだりなんてされたら世の男共は全てヘルメスの言いなりになっちまうぜ……――――だがッ!! それでも俺は心を鬼にして必死に耐えてみせようッ!! 例えヘルメスに嫌われようとも……いやッ!? そ、それは本気で困るッ!! もしもヘルメスに嫌われなんてしたら……う、うぉおぉおおおおおおおおおおおお」
この世の終わりを迎えようとも動じないであろうアリスだが。
もしもヘルメスに嫌われでもしたらと思うだけで顔面蒼白となり、頭を乱暴に抱えて泣き叫びながらその場に転がり暴れ回ってしまう。
「だ、だから資料が!? ちょ、き、嫌いになんてなりませんから、お、落ち着いてください!」
「……へ? ホントか!?」
もはやどちらが子供かわからない。
アリスは動きをピタリと止め、まるで親の顔を伺う子供のようにヘルメスを見つめる。
流石にこの膨大な量の資料全てをテーブルに留めておく事は無理だったようで、立ち上がっていたヘルメスの目には何枚もの資料が床へと散らばる無残な光景だけが写っていた。
「あー……はぁ……」
呆れんばかりの溜息を吐き、肩を落胆させながら右手を腰に置いて苦笑するヘルメス。
「当たり前じゃないですか。大体、厳しくしてくださいと言ったのは自分なんですから。それで嫌いになったりなんて――――」
「じゃ、じゃあ俺の事は大好きなんだな!?」
「えっと……」
涙に鼻水、すっかりと不細工に成り果てた顔を物凄い勢いでヘルメスに近づけ、両肩をガッシリと掴んでくるこの中年男性。
傍から見ればかなり危険である。
正直、大好きとはヘルメスにも言い難かった。
「「えっと……」って何だよッ!? その間は何だよこんちくしょうッ!!!」
「い、一体どこへ!? って、そこは窓ですよ師匠!? ちょ!?」
アリスはヘルメスの制止を振り切り何と窓を割ってアグレッシブな動きで外へ狂ったように飛び出していった。
余程ショックだったようだ。
「師匠……って、か、風が窓かた!?」
今度は割れた窓から入り込んだ風によって大量の資料が部屋中を無残に舞う。
この状況はもはや絶望的だった。
入り混じった資料はもはやどれがどの資料なのかヘルメスにはかわからなくなってしまった。
「は、はは……」
この絶望的状況では乾いた笑い声を出すだけで精一杯だった。
すると部屋の扉が静かに開き、驚きの声が飛び込んでくる。
「うぉっ!? なんつー散らかりようだよ……。いくら部屋に篭って熱心に励んでるか知らねぇけどよ……少しは掃除したらどうなんだ。あと気色悪い奇声と大きな音が鳴ってたけど大丈夫か?」
そこに現れたのは一つのコーヒーカップをトレイに乗せ、それを片手で持って届けに来たジンだった。
コーヒーカップが一つしかない事からアリスの分は用意されていないようだ。
「あぁ、気にしないでくれ。さっきまでテーブル以外は綺麗だったんだよ……本当に」
「は……?」
目を伏せながらとりあえず椅子に腰掛けるヘルメス。
状況が理解できていないまま、ジンは徐にトレイをヘルメスの前に差し出す。
「む、わざわざコーヒーを持って来てくれたのか。ありがとう、ジン」
少し気分が良くなったのかいつものヘルメスに戻り、思わず男女関係無くドキッとするような笑顔を感謝の言葉と共にジンへ向ける。
ジンはその笑顔に少し体温が上がるが、今はやつれ気味に見えるヘルメスが心配で横に大きく足を開いて座り、労いの言葉をかけていく。
「あんま根詰めんなよ、お前ぇなりに頑張ってんだろ? たかが数日ですぐ錬金術の腕が上がるなら世の中錬金術師だらけだぜ……」
考えて口にした結果、何とも上から目線の台詞になってしまったがヘルメスはそれでも自分を心配してかけてくれたその言葉に感謝を込めて微笑む。
「フフ、確かに。ジンの言う通りだな。今までロクに構築すらできなかったんだ。あまり根詰めた所で単純にストレスで押し潰されてしまうだけかもしれないな」
一口、そしてまた一口とコーヒーを口にしていくヘルメス。
その様子を少しそわそわした感じでジーっと自分を見つめてくるジンの視線にヘルメスは気づかないままだったが。
「む、これは……っ!? 美味しいっ!」
驚きの表情でジンに振り向き、率直な感想を告げる。
するとジンは咄嗟にヘルメスから顔を逸らし、あからさまに動揺した声で答えた。
「あ、そ、そう? へ、へぇ、まぁまぁの出来だったんだけどなぁ」
「まさか……!? これはジンが淹れたのか?」
「……そだけど」
わざとらしく伸びをして欠伸をしているが内心ではかなり嬉しかったようで、満足気に口元を吊り上げているのがヘルメスにもわかった。
「凄いじゃないか! まさかジンにこんな特技があったとは! 今までで飲んだコーヒーの中で一番美味しいよ。わざわざ自分に気を利かしてくれたんだな? フフ、ありがとう」
そう言ってジンの頭を優しく撫で回して褒めるが、当のジンは恥ずかしくなってその手を払う。
「べ、別にこんなもんルルに無理矢理やらされて上達しただけだっての! あとすぐそうやって頭撫でるの止めろって!」
そう、ジンは恩人のルルに暇さえあればコーヒーを淹れさせられていた。
だからヘルメスをも満足させられるものを用意できたわけだがその真意としては。
「無理矢理、なんかじゃなくて――――フフ、その人が喜んでくれるから頑張ったんだろ?」
「……」
たまにヘルメスはジンの全てを見透かしたような発言をしてくる。
しかし、その通りだった。
黒い歯車によってフェイクに命じられるがままに生きてきた時とは違う。
ルルという大切な女性と出会えた事で、ジンは。
初めて自分の意思で誰かの為に何かをしたいと思えるようになった。
心の底から、ルルに喜んで欲しいかったから。
「……なぁ、ヘルメス。クソジジイが居ないって事は今は休憩中か?」
いつになく真剣な表情を浮かべるジン。
「そう……だな。……師匠は窓からどこかへ行ってしまってせっかくの資料もこの有様だ。もしかして何か自分に話しておきたい事があるのか? フフ、構わんよ自分も少し疲れていた所だしな」
ヘルメスの了承を得るとジンはテーブルに肘を付いて不安気に掌で顔を覆いながら告げる。
「……前によぉ。……俺の方から自分のこれまでの事言ってくるのを待ってるって言ってたよな」
「……」
何故。
まず最初にヘルメスが思ったのは何故今なのだ、という事だった。
何かジンの中で心境の変化があったのか、ヘルメスにはわからなかった。
それでも。
「あぁ、確かに自分は待つと言ったよ」
知りたかった。
黒匣ではなくジンに起きた今までの過去を。
「へっ。……まぁ、大層なもんじゃねぇよ。ただの大好きな人との思い出話しだ」
ヘルメスの耳がピクリと反応する。
大好きな人とは恐らく、たまにジンが言っていたルルと呼ばれる女性の事だろうと思ったからだ。
何故か胸が締め付けられるような気がした。
ここ最近、同じような痛みに襲われたが理由は未だわからない。
「……多分もう話す事もねぇだろうからよく聞いといてくれ」
やはり自分の過去等を明かすという事はジンにとって不安と恐怖で押し潰されそうになるが。
それでも、ジンは覚悟を決めたのだ。
ヘルメスの事をもっと知りたいから。
本当に相手の事を知りたい場合はまず自分を晒す必要があるのだ。
かつて、ルルがそう教えてくれたのだ。
――――八年前。
とある場所の、大きなフラスコの中で青い液体に包まれながら。
彼はこの世に生を授かり、目覚めた。
「……、おれ、は……いっ、たい……」
自身の名前も、己が一体何者なのかもわからないまま。
青年は三人の錬金術師達によって非情な日々へと身を投げ出された。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さぁ、初めての仕事です黒匣。先生の命令通りまずはこの失敗作達の掃除をしてもらいます」
暗がりの地下室。
そこには大量の人の形をしたモノ達が地面に突き伏して蠢いていた。
その全てから生気は一切感じられず、ただ低い呻き声をあげるのみ。
「……こいつらは、いったい……」
ボロ布だけを身につけたジンの質問に、背後でオプリヌスが不気味な笑みを浮かべていた。
「クク、君の同胞――――これらは全て偽人。先生が君を構築するまでに出来た失敗作のゴミらです。まぁ……失敗作と言ってもれっきとした偽人な訳ですから構築の際に先生が大量の式を利用されています。このまま破棄してしまうのは惜しいという事で、黒匣。君にはまずこの偽人らを全て食してその式を賢者の石の中へ保存させろとの事です」
構築されて間もないジンに、同じ偽人を喰らう事をフェイクは命じていた。
善悪の違いもまだわからず、特に理解せぬまま、フェイクの命令通り部屋へとゆっくりと入室していくジン。
例え黒い歯車が無かろうと、当時のジンには命令に背く道理もなかった。
「グ、ギギ、ィ、ギャァァアアア」
赤黒い血飛沫が床や壁に飛び散る中、偽人の叫びがこの地下に響く。
だが、ジンは虚ろな瞳のままただひたすら無抵抗の偽人を食していた。
乱暴に頭を床に押さえつけ、抵抗されては食事の邪魔だとばかりに首を一思いに食いちぎるジン。
あらかじめフェイクに、必要最低限の知識を与えられ構築されたジンは効率良く食事を進める術を心得ていた。
「流石に実際こうしてバケモノの共食いを目の当たりにすると私も気が滅入ると思っていましたが――――」
常人にとって地獄絵図のような光景がオプリヌスの目に焼きつき。
鳴り響く偽人の叫び声、骨が砕ける音、肉が引き裂かれる音が耳に入ってくるが。
「不思議と心地良いものですね。クク……」
既にオプリヌスはフェイク同様に狂っていた。
ジンの共食いはオプリヌスにとって大変喜ばしい光景だった。
「さぁ、もっと! もっと! 賢者の石にそいつらの式を取り込むのです!」
いつか最愛の女性シャーリーとの再会を信じ、フェイクを心酔して付き従うオプリヌスと――――
「……」
何もわからないジンはこうして最初の一日を終えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そしてジンは未だ己が理解できぬまま、ただフェイクの命令に従う。
今度は偽人ではなく多くの人間達を殺し、喰らう日々が続いた。
「や、やめてくれッ!! ど、どうか、い、命だけはッ!? ぅぎゃぁぁぁーーーッ」
これまでいくつの町や村を崩壊させてきただろうか。
どれ程の人間を食い殺してきたのだろう。
ジンにはその数がわからない。
何故なら、罪の意識も負い目も、何も感じていなかったからだった。
「あいつらとちがって、なんでこいつらは、こうもうるさいんだ……」
あいつらとは、ジンにとって身近な存在。
フェイクと、その弟子である二人の事である。
彼らはこうも泣き叫んだり、喚く事は無い。
だが、今までジンが喰い殺してきた人間達はあの三人と同じ人間のはずなのに。
いつも悲痛の叫びをあげていた。
「なんでだ……?」
初めてジンは、自分に喰い殺されていく人間達について考え始めてしまった。
今まで、泣こうが叫ぼうがその声はジンには届いていなかった。
気にも留めていなかった。
むしろ自分よりも圧倒的に弱い存在の命を奪う事に唯一の楽しさすら覚えていたはずなのに。
だが、その日を境に。
人間を喰い殺していく中で、何故かジンの心は痛みを感じるようになってしまっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――――そして。
暗がりのとある一室。
「何ですって……!?」
心の痛みを訴えるべく。
ジンは生まれて初めて、自分の意思をフェイクに告げたのだった。
「だから……もう、にんげんをたべたくない……。こころが、なんか、いたいんだ……」
すぐ側に居たオプリヌスは、ジンの発言に驚きと怒りを募らせ凄まじい形相でジンの首元を掴み上げる。
「ッ!? たかだか……ッ、偽人の分際で何を今更訳のわからない事を言っているッ!! 貴様が拒もうと、先生の為にまだまだ人間の式を賢者の石へ取り込んでもらうッ!!」
「いや、だっ……! もう、したくない……っ! おれ、もう、にんげん……たべたくないっ!!」
その瞬間、オプリヌスの中で何かが切れた。
瞳孔が開き、息を荒げながら。
「ち、調子に乗るなよ……ッ!!! 黒匣ッ!!! 貴様は黙って先生や私達の命令に従っていろッ!!!」
オプリヌスが乱暴にジンを床へと投げ捨てる。
暗がりのせいで姿がはっきりとしないフェイクの元へと、ジンは激昂するオプリヌスから逃げるように這いずる形で近づく。
「……ふぇいく」
床に這いつくばりながら、何とか人間を喰らう事を止めさせてくれと情けない声で懇願するも。
「ふぇい、く……っ!?」
無言のまま暗がりで不気味に光る朱色の瞳がジンの言葉をと動き、意思を封じる。
こうして。
今まで人間達が泣き叫び、喚こうがその命を奪ってきたジンは。
同じく、泣き叫び喚こうがフェイクの命令通り、決して抗う事ができず人間達を食い殺していくのだった。
だが、転機は突然訪れる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――――いつものように村人を全員喰い殺し、フェイクの元へと戻ってきた時の事だった。
特に今回は、最後に喰い殺した幼い兄妹の顔が脳裏に残ったまま、どうしようもない後悔で今にも心が壊れてしまいそうになっていた。
しかし、ジンはフェイクとその弟子達に一切その様子を見せなくなっていた。
もう無意味だと悟ったからだ。
あくまで冷酷な殺人鬼の人形を演じ、一矢報いる算段を探すようになっていた。
だが、フェイクから、信じられない言葉が飛び込んできた。
「ど、どういうことだ……ッ!? おれが……もう、ひつようない、だとッ……!?」
ジンの言葉に反応する事なく、フェイクはそう言い残して部屋の外へと静かに退出していく。
「いままで……さんざんおれをりようしておいてッ!! どういうことだフェイクッ!! こたえろッ!!! おれは……おれは、にんげんをくうことでしかッ!!! おめぇらに、おめぇらにそうやって……ッ!!」
だがフェイクは無言のまま歩みを決して止めない。
まるで黒匣には興味が無いとばかりに、不要となったジンをその場に置き去りにして去っていく。
ようやくフェイクから解放され、もう人間を喰わなくて済む。
これ程に嬉しい事など無いはずなのに。
ジンは両手で頭を押さえて膝を床につけながら、これから襲い掛かる恐怖と不安で涙を流して意識を朦朧とさせていた。
人間を喰らい、恐怖と侮蔑の眼差しを与えられる事しかジンは知らないのだから。
それしかできない。
もう、それでしか生きられない。
そんなジンがたった一人で、この世界でまっとうに生きていく事など不可能だった。
ようやく手に入れた自由なのに、それを純粋に喜ぶ事ができない。
どれ程それが辛い事か。
ジンは涙を流し、怒りと哀しみを募らせてケモノの様に大きく嘆き叫ぶ。
「いまさら、――――おれはこれからどうすりゃいいんだよォーーーーーーッ!!!」
もう、後戻りができなかった。
今まで背負ってきた罪を償うには、あまりにも多くの人間達を殺し、多くの悪行を積み重ねすぎた。
このまま一生、フェイクに命じられるがままに罪を重ねてこの命を終えるものばかりだと思っていたのに。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――――人を傷つける事しか知らない偽人の青年はある決意を胸に抱き、人里へと向かっていた。
それは、散々傷つけてきた人間達との共存をするべく。
今までの経験でジンは知っていたのだ。
人間とは他者へ優しく接する事のできる生物だと。
あのフェイクですら弟子の為に何かをしてやろうとしていたし、オプリヌス達も同じくフェイクの為に働いていた。
自分が喰い殺してきた人間達も家族や他人を守ろうとしていた。
そんな人間だからこそ、中には自分のような偽人を受け入れてくれる優しい人間も必ず居るはずだと信じて疑わなかったのだ。
「だいじょうぶ……きっと、うまくいく……」
だが、現実はそう甘くはなかった。
雨が降りしきる中、人気の無い道筋で血まみれの両手を見つめ涙を流すジンの姿がそこにはあった。
地面には無残に身体が引きちぎられた二つの死体が倒れている。
「なん、で……ッ」
道中、二人の野盗に一人の少女が襲われていた。
必死に助けを求める少女の為にジンは一瞬のうちに野盗達を殺してやったのだ。
そう、人間達が村を襲うジンから自分達を守るように応戦してきたように。
だが少女から返ってきた言葉は――――バケモノに対する恐怖の叫びのみだった。
「……っ、……ぅっ、」
前に訪れた村もそうだった。
最初は皆が優しく接してくれたかと思えば、急に態度を豹変させてジンをバケモノと非難して恐怖に震え、銃を向けてきたのだ。
「もう……、いやだ……っ」
初めから人間との共存など無理だったのだ。
それでもジンは人間の優しさを信じたかったが、自分にその優しさが向けられる事は一生無いと悟り。
いつしか。
人間と関わりを持つ事に恐怖を覚え、一人ひっそりと山へ身を潜めるようになる。
そこで一人の老人と出会った。
ジンを救ってくれた恩人、ルルと呼ばれる女性との出会いを果たしたのだった。
そして束の間とも思える、忘れられない幸せな時間を過ごす事ができたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――――ジンにとってルルと出会えてからというもの毎日が幸せだった。
ルルと旅を続けて既に7年の歳月が経っていた。
ジンはルルによる教育の成果もあって精神的にも随分と成長を遂げていた。
そして、とある宿泊施設での日常。
「フフ、今日もジンの淹れるコーヒーは美味しいね」
真っ白な薄いローブを身に纏い、とても穏やかで優しい雰囲気を醸し出す白髪の女性がコーヒーカップを口にしてそう言う。
頭部で団子状にまとめた髪を、エメラルド色の宝石を用いた豪華な簪で止めており、首元にも同じデザインの首飾りをしいる。
この気品漂う女性こそがルルだ。
「ジンは本当に飲み込みが早いねぇ」
旅先で滞在している部屋にて、テーブルに用意されたジンの淹れたコーヒーを嬉しそうに飲むルルが笑顔を見せてくれる。
今では毎朝見る光景だ。
「へっ、そりゃ毎日やってりゃ嫌でも上達するっての。それと単純にアンタの教え方が上手いんだよルル」
当時のジンは全身フォーマルなスーツ姿で、まるでお付の執事のような格好をしていた。
はにかむジンにルルはとても嬉しそうにまた一口、コーヒーを飲んでから告げる。
「そうかねぇ。文字だってそうよ? 私が少し教えたらすぐに覚えたじゃない。フフ、今ではこんなに立派になって……あら、やだ、歳のせいで涙腺がすぐ緩んで仕方ないったらありゃしない」
ルルは大変涙もろかった、それが歳のせいかは謎であったが。
日々成長していくジンが嬉しく、薄っすらと涙を浮かべたルルはポケットから白いハンカチを取り出してそれで涙を拭っていく。
その姿に、ジンはいつも呆れ顔を浮かていた。
「おいおい……毎回毎回、そんなくだらねぇ事で泣くなっての!」
両手を腰に当てて呆れるジンだが、ルルはいつも優しい笑顔で同じ言葉を口にする。
「フフ、我が子の成長を喜ばない親がどこにいるもんかね。私の可愛い坊や……今じゃお前の成長が私の何よりの楽しみさねぇ」
目を潤ませて立ち上がったルルは、本当に愛おしそうにジンの頭を撫でようとするが。
「止めろって! 髪型が崩れんだろ!」
顔を赤らめたジンが咄嗟にルルの手を掴んでいつもの様にそれを阻止する。
「おやおやまぁ、もう色気づく歳になったのかい?」
「う、うっせぇ! とにかく! だ! ……すぐそうやって頭撫でんの止めろっていつも言ってんだろ。……気恥ずかしいんだよっ」
この七年の間で、ジンはルルと各地を旅し、様々な事を学んだ。
知識を吸収していく早さはルルが認める程に、とても早く。
今では人間と同じくある程度の一般常識を身につけるまでになっていた。
考えや精神的にも一般的な青年程にまで成長を遂げていた。
「……ったくよぉ」
単純に飲み込みが早いのもあるが、何よりも。
ルルが褒めてくれるから、ジンは必死に頑張って覚えていったのだ。
「フフ、本当に立派になって……。――――これで私も安心していつでも逝けるというもんさね」
本当にルルは色々な事を丁寧に一から教えてくれた。
どれもジンにとって大切な事だった。
今のジンという人格はルルという存在なくして成り立たなかったまでに。
間違いなく、掛け替えの無い大切な存在と言える。
だからこそ。
「馬鹿、言ってんじゃねぇよ……。っ、ルルが居ねぇ世界なんて俺は生きてたく……ねぇよ……」
必死に堪えようとも涙が自然ろ溢れてくる。
ジンは知っていた、聞かされていたのだ。
ルルが不治の病に犯され、もう寿命が持たないという事を。
「俺が必ず、必ず何とかしてみせるッ、だから……だから、それまで待っててくれよ……もっと……もっと色々教えてくれよ……っ」
ルルの両手をしっかり握るジンの手はとても暖かく。
その気持ちだけでルルはもう満足だった。
「あらあら……こういう所はちっとも変わらないねぇ」
椅子に座るルルの膝に顔を埋めて涙を流すジン。
別れたくない、せっかく自分を理解してくれる人間に、最愛の人に出会えたというのに。
「ルル……っ、ルル……っ」
ルルは自分の膝で泣く甘えん坊の息子に困ってしまう。
だけど嬉しかった。
こうまでして自分のような存在を愛してくれるこの偽人の青年がとても愛おしかった。
ジンの頭を愛に満ちた手で何度もゆっくり撫でてやる。
だが、ジンは一切抵抗しなかった。
「フフ、私の為にこんなに涙を流して……。 そうさねぇ――――”この子も”まだまだ放っておけないしねぇ、もうすこし頑張ってみようかねぇ」
どこまでも優しく、愛に溢れた人物だった。
誰に対してもそうだった、困っている者を見かけると悪党だろうと全員救ってしまう程にどうしようもなく。
だが、ジンはそんなルルが大好きだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――――そしてルルはとうとう、その生涯に幕を閉じてしまった。
ルルの死後、現在はこうしてヘルメスと行動を共にしていたジンだった。
「……ってな、感じだ。ざくっと話すとこんなもんだ。まぁ、ルルとはホント色んな場所旅してたからよぉ、全部話すってなるとそれこそ今日一日じゃ語れねぇよ……」
胸のつっかかりが取れたように清々しいとばかりに純粋な笑顔で話を終えるジン。
ヘルメスもつられて笑顔になってテーブルに肘をついて優しくジンを見つめて告げる。
「本当にルルという人が好きなんだな」
「あぁ、大好きだ」
少年のような笑顔で即答するジンに、益々ヘルメスは機嫌を良くする。
今はこの気分を害したくないのでフェイクの事等は深く追求しないでおく。
だが、それよりもヘルメスは気になる事があった。
「嬉しいよ、そんな風にジンの過去が聞けて。ただ、何故自分に今その話を?」
「あ、あぁー……それは……」
明らかに歯切れを悪くするジンに不審感をヘルメスが募らせていると、ジンは急に席を立つ。
「……やっぱもう良いわ。何かスッキリしたし、修行の邪魔すんのも悪いしもう行くぜ」
「え?」
「ま、頑張るのも良いけどよ、あんま自分を追い込みすぎんじゃねぇぞ」
「お、おい? ジン?」
ぶっきらぼうに片手を振って部屋から退出していくジン。
ヘルメスからは確認できなかったが、その表情はとても爽やかなものだった。
初めから恐れる事などなかったのだ。
今更、ジンの過去を知った所でヘルメスが自分を見る目を変えるわけがなかったのだ。
それに。
「……よく考えりゃ俺も同じだしな」
廊下でそう一人呟くジン。
ヘルメスが過去にどれ程の体験をしていようが初めから関係なかったのだ。
話を終えてようやくそれに気づけた。
今のヘルメスこそが、ヘルメスなのだから。
「おんやぁ~? ジン君じゃあーりませんかぁ~?」
廊下の向こうから飄々とした声でこちらに向かってくるエリーゼに、ジンは顔をしかめてしまう。
「チッ……何だ、アンタかよ」
「な、なんですかぁ~! その期待して買ったエロ本が自分の想像以下だった時みたいな反応はぁ~!! そういう態度って失礼だと思いますよぉ~? 私に謝らなくて良いのでその女優に謝ってくださいっ!!」
「言ってる意味がわけわかんねぇよ! 大体女優って誰だよ! ……アンタの話はホント意味わかんねぇんだよ……。ったく……。んじゃ、俺は台所片付けてくるぜ」
早く自分が淹れたコーヒーをヘルメスに届けたくて台所を片付けずに来ていたのだ。
後からアリスに文句を言われるのも癪なのですぐに片付けに向かおうとするジン。
どこか気分が良さそうなジンから何かを察したエリーゼが鼻歌を交えそのままヘルメスの居る部屋へと入る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
床に散らばる大量の資料をせっせと拾っていたヘルメスの元に、何とも賑やかな少女がやって来た。
「ぱんぱかぱぁ~んっ! 白衣の天使エリーゼちゃんがお困りのヘルメス様をお手伝いに参りましたぁ~っ!」
勢いよく扉を開け、元気よく登場したエリーゼにヘルメスの頬が緩む。
「ジンの次はエリーゼさんですか。フフ、助かります。悪いんですが床に落ちた資料をテーブルに戻していってくれると助かります」
「あらあらまぁ……随分とお部屋が散らかってますねぇ~。どうせこれってマスターが散らかしたんじゃないですかぁ~? まったく、仕方のないマスターですねぇ~」
「うむ……話が早くて助かる」
すぐに事態を察したエリーゼは、ヘルメスと共にすぐさま資料を拾う作業に取り掛かる。
二人で姿勢を低くさせながら素早く片付けに奮闘した甲斐もあり、すっかり床は綺麗となって再びテーブルの上には大量に資料の山ができていた。
「あとは……」
「あそこですねぇ~?」
二人して見つめた先はアリスがぶち破った窓だった。
エリーゼは再び風で資料が飛ばされないうちに、割れた破片を拾い上げ、両手から青白い光を発生させる。
「ヘルメス様の事になるといつもこうなんですからぁ~。少しは後先考えて行動して頂きたいものですねっ」
そして風通しが良くなってしまっている窓へと拾い上げた破片を近づけると、青白い光は強さを増していき。
光が徐々に消えていくと同時に、窓は完全に元通りといかなくとも本来の役目を果たすまでには復元された。
「お手数かけました……。本来であれば自分が構築するべきだったのですが、まだ自分には――――」
顔を伏せて落ち込むヘルメスにエリーゼはにこやかな笑みを見せ。
「あはっ♪ お気になさらず~。これぐらいの式ならそのうちヘルメス様だってすぐ構築できるようになりますよぉ~」
「そ、そうでしょうか? ……しかし。ここ数日、師匠に用意して頂いた資料を元に何度か錬金術を試みたのですが……その、あ、あまり結果が出ていないんですよ」
椅子に座り、拳を強く握り締めて顔を伏せるヘルメスにエリーゼが寄り添う形で横へと座る。
「まぁまぁ~。そうお気を落とさなくともヘルメス様の錬金術は以前より遥かに上達してますってばぁ~」
エリーゼはすっかり気分を沈めて悔しがるヘルメスの肩にそっと優しく手を置き、明るい笑顔を見せるが。
「そんな事ありませんっ!! 現にあそこに散乱してる物は全部自分が構築した失敗作なんです……。師匠の指示通りに構築したはずなのにまったく別物のガラクタばかり構築してしまうんですよ……。あぁっ!! 何でこうも上手くいかないんでしょうかっ!?」
思い出すだけで余計に自分の不出来さにイライラを募らせ、ヘルメスは雑に髪をかいて両手で顔を覆ってしまう。
「……まったく意図していないものを構築しちゃうのってそれはそれで凄い事なんですけどねぇ~」
横目でヘルメスが構築したガラクタの山に視線を向けてそう呟くが、ヘルメスの耳には聞こえておらず。
パッと顔を上げたかと思えば、必死にエリーゼの両手を包み込むようにして自分の両手を被せる。
「エリーゼさんッ!!」
「あっ……♪ へ、ヘルメス様ったらまだお昼間だと言うのに大胆なんですからぁ~……♪」
決して茶化している訳ではなく、本気で顔を火照らして何とも卑猥な表情を浮かべるエリーゼを気にする事なく、ヘルメスは頭を下げて懇願する。
「少しだけ……っ、少しだけコツを教えて頂けないでしょうか!?」
「もっとエッチになれば良いんですよっほぉッ!?♪」
真剣な願いに馬鹿な返事をしたが為に鋭い拳がエリーゼの頭部を襲い、そのままエリーゼの顔面はテーブルに減り込んでしまった。
「し、しまった、エリーゼさんっ!? だ、大丈夫ですかっ!?」
「いえいえ~すんばらしぃッご褒美ありがたき幸せですぅ~♪」
大きなたんこぶを作って幸せそうに頬を緩めるエリーゼだったが、その時。
背後から涙を浮かべ鬼の形相で恨めしそうにエリーゼに鋭い視線を向けるアリスいた。
「おいごらぁッ!!! エリーッ!!! てんめぇ~ッ、俺が居ねぇ間に何をヘルメスといちゃついてやがんだぁッ!!! すぐ出てけッ!!! ここは俺とヘルメスの領域だぞッ!!! 誰であろうと俺とヘルメスの幸せな日々は邪魔させやしねぇッ!!!」
「し、師匠? お戻りでしたか……」
子供のように嫉妬心剥き出しで叫ぶアリスに対し、エリーゼはあっけらかんといつもの調子で言う。
「いやぁ~、ヘルメス様はこの”私を頼り”にされてるんですよぉ~? あまりそれに対して嫉妬するのは見苦しいと言いますかぁ~……あれ? あの、マスター……?」
血涙。
あまりの悔しさと言い表せない怒りに、アリスは尋常でない青筋を立てて血涙を無言のまま流していた。
身体が小刻みに震え、爆発寸前の爆弾のようにも見える。
「……あ、そ~だヘルメス様っ。わ、私用事があったのでお二人の邪魔にもなりますんでこれで失礼しますねぇ~っ」
「そ、そうですねエリーゼさん! す、すみませんが”師匠と二人きりで”修行に励みたいので退室願いえますか!」
肩で息をし、必死に荒い息を押し殺そうとしているが、まるで猛獣のようなその荒い息は煙のごとく漏れていた。
嫉妬で狂い、爆破寸前のアリスをこれ以上刺激しないようにエリーゼはそそくさと退出していく。
ヘルメスも何とかアリスの機嫌をなだめようと模索していると、最後に扉の前に立つエリーゼから質問が飛んできた。
「あ、そうです。そういえばジン君がさっき妙に機嫌が良かったみたいなんですけど何かありました?」
「エェェェリィィィイイイ……」
「ひぃっ!?」
言葉だけで殺されてしまうんじゃないかと思える程の剥き出しの殺意。
目を血走らせ、エリーゼに向けるその視線はまさに猛獣の類。
背筋を凍らせたヘルメスが、すっかり真っ青となったエリーゼに何とか勇気を振り絞って声をかけた。
「ま、また後で言いますから今は一刻も早くこの場から逃げてくださいっ!」
「そ、その方が宜しいようでっ! で、ではでは~……」
一目散に部屋から逃げ出していくエリーゼに、心の中でそっと謝罪の言葉を並べるヘルメスだった。
そして、腕を組み興奮冷めやまないアリスに目を配り。
「はぁ、……何故師匠はいつもそうなんです? 思い返せばいつもそうです。いつも私に親しくしようとする者が現れるとそうやって威嚇して……」
「ほ、……ほんの冗談じゃねぇか。ちょっとした悪戯心みてぇなもんだよ」
アリスは取り繕った笑顔で椅子へと座っていく。
しかし腕を組んで自分を見下ろしてくるヘルメスの視線が胸を抉ってくる。
何とか取り繕った笑顔のままその胸の内を寂しげに明かしていくのだった。
「ヘルメスが……。”あいつら”と同じでよぉ。また俺の手が届かない所に行っちまうじゃねぇかと思うとどうしても不安になっちまうだよぉ……」
「……」
アリスは首から下げていた金色のペンダントをシャツの下から取り出し、それを開けてとても寂しそうな表情を浮かべている。
ペンダントが開くと、そこにはアリスと一人の女性が写真に写っていた。
そして、生まれて間もない赤ん坊が二人に抱えられていた。
「笑っちまうぜ……いや、笑えねぇな。錬金術師としても、医者としても自分の腕に絶対の自信があったクセによ……大切な奴らだけこの手で救ってやれなかった。こいつらに関しては俺が殺したようなもんだ。だからもう俺にはヘルメスしか居ねぇんだ……――――!?」
強がって無理に笑顔を作るアリスの背中を、とても暖かい温もりが包み込んでいく。
「何を馬鹿な事を。師匠には自分だけでは無いでしょう? この村の皆が……師匠に救われ、感謝しています。エリーゼさんも師匠にその命を救われたからこそ……だから皆が師匠を慕ってくれるんじゃないですか。勿論、自分もですよ。そんな貴方だからこそ自分はそんな師匠が大好きなんです。自分はどこにも行きませんよ。フフ、だから妙な不安なんて抱かなくても大丈夫ですって」
本当に救いたかった命を救えなかった男だが。
「はは、そうだったな……。どうも久しぶりにヘルメスに会えたせいか、ちっとばかし俺もナイーブになりすぎてたみてぇだ」
それでもまだ残されている。
アリスには守れるモノが。
ヘルメスだけでなく、エリーゼが、このドルスロッドがあった。
絶望の中、自らその命を何度も絶とうとしたが。
いつも救ってくれたのはこのヘルメスだった。
「ありがとな」
いつまでも格好悪い姿を見せてヘルメスに気を遣わせまいと、アリスはようやく調子を取り戻す。
「ふぅー……ところで、だ。エリーにコツがどうのこうの言ってなかったか?」
「はっ!? そうでしたっ!」
すぐさまアリスから離れ、身振り手振りを大きくして今行き詰まっている事を説明する。
椅子の上で腕を組んで真剣にその説明を聞いていくアリス。
「――――ですから。何故、自分は師匠の指示通りにしているはずなのにまったく別の物を構築してしまうのでしょうか……」
熱心に錬金術を上達させようとするヘルメスの声は、確かにアリスへと伝わっていた。
そして口元に指を置き、必死に考えた末の結論をヘルメスにもわかりやすいようにアリスは順に説明していく。
「錬金術の基礎と応用ならもうある程度俺が叩き込んだはずだ。なのに簡単な式すらまだ一度も成功してねぇってのは確かにおかしいな。特にヘルメスの場合は今まで構築すらできなかったもんが原典の影響でできるようになってんだ。いくら出来の悪い錬金術師でも初歩的な式ならとっくに構築できてるはずなんだがなぁ……」
「うっ……つまり自分は近代稀に見る馬鹿だと……」
「ま、待て待て、そう結論をせかすなって!? 俺様のヘルメスが馬鹿なわけないだろ? よっ! 世界一の天才美少女ヘルメスっ!」
本物の天才にそうあからさまに慰められた所で逆にヘルメスの落ち込みは止まらない。
自分の不出来さにただ絶望して立ち尽くすヘルメスに慌ててアリスは続ける。
「つ、つまりだ! 簡単に言うと俺の教え方が根本的に間違ってたわけだ!」
「教え方……ですか?」
錬金術において最も必要なもの、それは知識である。
アリスはヘルメスに今更ながら改めて初歩的な知識を詰め込む事から始めさせていた。
その方法は決して間違いではなく、本来の錬金術を学ぶ上で至極当然とも言える過程だったが。
「俺とした事がとんだ大間違いをしちまってたみたいだ。何せ俺ぁ、ずっとヘルメスには錬金術の知識が欠けてるから成功しねぇとばっか思ってからな……。どうやらそれは見当違いでそれ以前の問題だったみてぇだな」
「それは……つまり一体どういう事なのでしょう?」
アリスが言っている意味がまったくわからないヘルメスはただ不安そうに耳を傾けるだけだった。
そしてアリスはゆっくりと立ち上がり、ヘルメスの頬を優しく撫でて言う。
「錬金術においちゃ知識は確かに必要不可欠だ。だが”俺達”はそれ以前に一般人よりもその前の段階で心がけておかねぇとならねぇ事があんだよ」
俺達、それはすなわち一般人とは違うアリスとヘルメスの持つ特別なモノ。
「それは解読眼を持つ者という意味でしょうか?」
アリスはヘルメスの回答にニッと笑い、サングラスを外して朱色の瞳、解読眼でヘルメスを見つめて自分の眼を指差す。
「俺達にはこの解読眼の力で全ての式が――――全てが式で視えちまう。つまり、一般人の誰もが錬金術に取っ掛かる前に当たり前にしている事がどうしても俺達には疎かになりがちになるんだ」
ヘルメスがジッとその場で考え込む姿に、アリスは言い聞かせるように告げる。
「錬金術において皆がしている事、それは――――イメージだ」
その言葉がいまいちピンと来ないのか、ヘルメスはただ黙って怪訝な表情で口元に指を置く。
「イメージ、ですか?」
「解読眼所持者はその特異体質のせいで式が全部視えちまう。だからどうしても式が完成したその姿をイメージしにくいんだ。特にヘルメスの場合は過去これまでに何度挑戦しようが錬金術が成功しなかったろ?」
「はい……」
「そのせいもあって錬金術が成功する自分もヘルメスの場合は特にイメージしにくいんだけどよ……。それは錬金術において知識以前の問題でかなり致命的なもんになんだけどよ」
そう言われてみればそうだった。
今まで何度も挑戦してきた錬金術だが、それは尽く失敗しては構築すらままならない結果で終わっていた。
知らず知らずの内に、心の奥底では苦手意識すら芽生えていたかもしれない。
ヘルメスはいつしか成功する自分の姿よりも、また失敗してしまう自分の姿ばかり想像してしまうようになっていたのだ。
「確かにそれもありますし、自分は今までこの目に頼りすぎていた気がします。目に視える式に囚われすぎて、その先をイメージできていませんでした……」
眼鏡の縁を指で弄り、アリスの助言を心に刻む。
その挙動を見たアリスはヘルメスの背を優しく押して気合を入れる。
「目に視えるモンが全てじゃねぇ。ヘルメスの親父、パラケルススの言葉だけどよ。 大丈夫だ、必要な知識なら今まで俺が教えてきたんだ。あとはその先だ、成功する自分をイメージできりゃきっと上手くいく。――――自分を信じてやる事は他人を信じる事より難しい。でもよ……簡単な話だ。今まで必死に努力してきた自分を思い出してみろ」
そう言って、アリスはヘルメスを座らせたまま部屋の片隅へと移動して何やらガサゴソと物色を始める。
そしてヘルメスの元へと戻ってきたアリスは両手に持ったそれらをテーブルへとゆっくり置いていく。
様々な樹脂の入った小瓶が各種、そして蒼色のペイントが入った缶のフタを開けていった。
「っと……こいつを誰に構築してやるかなんて死んでも俺に言うんじゃねぇぞ!? ……前にエリーからカラコンを構築する式のレシピを教わってたろ。……比較的に簡単なもんだ。もう頭には入ってんだろ?」
偽人特有の金色の瞳を気にしていたジン。
ヘルメスはそんなジンに人間が持つ碧眼に見えるカラーコンタクトを自分で構築してプレゼントしようとしていた。
それを知っていたアリスは今にも激昂しそうな気持ちを抑え、今のヘルメスでも簡単に構築でき、かつ最もイメージがしやすく気持ちが入りやすいカラーコンタクトの構築を促したのだ。
「……師匠」
自分に自身を持たせようと、錬金術師として立派に成長させてやろうとする師匠としての気遣いに感謝しつつ。
ヘルメスは少し不安だったが眼鏡を外してテーブルへ置き、解読眼でジッと素材を見つめる。
そして式を分析しつつ、構築が完了したその姿を、自分の成功する姿をしっかりとイメージしていく。
「ふぅー……」
額から緊張の汗が流れる。
今一度、深呼吸しながら失敗に対する恐怖を必死に押し殺していく。
今まで失敗するだけ失敗してきたんだ。
今更、何も恐れる必要はないんだ。
この数日で得た知識は僅かなものだったが、以前と比べてだいぶ理解できるようにもなっていた。
師匠からの助言も今受け取ったんだ、後は自分次第……。
そう自分に言い聞かせ、アリスを信じてヘルメスは両手をかざして素材の前に掌を出す。
青白い光が徐々に発生していく。
「いきますっ……」
この時、ヘルメスは頭の中でジンの喜ぶ顔を想像していた。
そして今までの失敗を振り払うように、自分の積み重ねてきた努力を信じ、イメージを明確にさせていく。
するとテーブルの上に置かれていた素材がヘルメスの呼びかけに答えるようにして青白く光を放つ。
錬金術が、成功したのだ。




