10話:辿り着いた者
その異質な法則の全てを理解しているわけではない。
アリスは、実の娘のように愛するヘルメスに説明する事を最後まで躊躇っていた。
しかしヘルメスが式崩しを構築してしまった以上、その恐ろしさを告げておかねばならない。
「あの絵本に出てきた不思議な力……ありゃぁ、まさに式崩しの事だ。……俺達が扱う錬金術の法則とはまったく違う世界の理から外れた法則。それを、”俺達”は――――外部法則って呼んでた」
足を大きく広げて椅子に座ったまま、両手を重ねて俯くアリスが眉をひそめ、何とも言えない表情を浮かべて言う。
「”俺達”……? その外部法則と言うのが自分の身に起きた奇妙な体験だと言うのですか?」
ヘルメスはベッドで上半身を起こし、かけ布団を両手で掴みながら聞き慣れない単語に耳を傾ける。
アリスは静かに首を横に振り、思わず歯を食いしばってしまう。
何故なら、今から告げるそれはヘルメスが最も欲しているものだからだ。
「師匠……?」
口を開こうとせず、どこか様子のおかしいアリスを心配してヘルメスはベッドの上から身を乗り出そうとすると、アリスは首を上げて不安そうに自分を見つめるヘルメスの顔をじっくりと見つめ返す。
あの時。
初めてヘルメスと出会った時もそうだった。
今のように、ヘルメスはとても弱々しい表情を浮かべていた。
それこそ誰かが守ってやらねば壊れてしまいそうに。
「はぁ……」
アリスは昔の事を思い出しながら深い溜息を吐いた後、瞳を閉じながら片手で頭を掻き毟る。
「いきなり話は反れるが……その、……最近、どうだ?」
「最近、ですか? それはつまり錬金術についてという事ですか?」
漠然とした質問の意図が汲み取れず、ヘルメスがキョトンとしているとアリスは少し口元を吊り上げて小さく笑う。
「いや、今はもっとこう……毎日が楽しいか? 的な話だ」
いきなりの質問にヘルメスはどう答えて良いものかと、口元に指を添えて目を泳がせてしまう。
だが、アリスは両膝に手を置いて真剣にヘルメスを見つめて答えを待っていた。
まるで親に近況を報告するかのような気持ちとなり、ヘルメスは徐々に口を開く。
「……そうですね。自分はまだまだ錬金術師として、王従士として未熟ですし色々と悩みも多くありますが……」
そう前置きをし、少し間を空けてからヘルメスは目を細めて微笑む。
「自分には師匠やリディアにエリーゼさん、素晴らしい人達に恵まれています。最近ではここに帰ってくる事も少なくなってしまいましたが、やはり帰る場所があると言うのはとても有難い事です。自分を心配してくれたり、助けてくれる人が居る。それはとても幸せな事ではないですか? そんな自分は、――――とても幸せ者だと思うんですよ。フフ、たまに辛い時もありますけどね」
思わずアリスは目頭が熱くなってしまう。
幼い頃から母に虐待を受け、父との良い思い出もあまり無いはずなのに。
両親の愛というものを知らないヘルメスは、今が幸せだと言い切ったのだ。
「ヘルメスは強いな……本当、に」
片手で顔全体を覆い隠すようにしてアリスはヘルメスに今の自分の顔を見せないように俯く。
初めて会った時のヘルメスからは想像のできない強い言葉だった。
昔のヘルメスは常に他人の顔色を伺っては怯えているような、そんな弱い子供だった。
それが今では辛い過去を乗り越え、明るい未来を信じて歩み進めようとしていたのだ。
「……俺なんかとは大違いだな」
ヘルメスは未だ表情を隠したままのアリスの肩にそっと手を置き、優しく微笑みかける。
「フフ、自分は強くなんてありませんよ。ただ……強くありたい。そう願って精一杯生きているだけです――――貴方がかつて幼い自分にしてくれたように、同じく」
「ヘルメス……」
その言葉にアリスは救われた。
アリスのこれまで自分がしてきた事が決して無駄ではなかった、そう実感させられたのだ。
ヘルメスは本当の意味で強くなっていた。
身体だけでなく、心までも。
「……よし」
顔を上げたアリスはズボンの両ポケットに手を仕舞い込み、足を大きく伸ばして天井を一度見つめてから遂に覚悟を決める。
今のヘルメスならば伝えても大丈夫だろうと信じた。
「ヘルメスはあの”儀式”のせいでイカ……心が壊れたリリアンを救う方法を知る為に王従士になったよな?」
何を今更と思いながらも、静かにヘルメスは頷く。
「はい。師匠ですら手の施しようが無いという事は……この世の全てを知り得るとされる万物、原典を手に入れる事でしかもう母様を救う事ができないという事ですからね」
オプリヌスのような失意やトラウマによる精神的な欠損は、優れた医者による治療や錬金術を駆使すれば何とかなる見込みはある。
ただ、リリアンの場合は違う。
エーテル家に伝わる禍々しい儀式の影響によって、リリアンの心は完全に人の手による修繕が不可能となってしまっている。
もはやこの世界でリリアンの心を元に戻す唯一の術は、原典に頼る他無いのだ。
「まぁ、その通りなんだけどよぉ……」
アリスは後悔していた。
自分が原典の存在を教えたがばかりに、ヘルメスを王従士にさせてしまったのだ。
真っ直ぐな瞳で自分を見つめるヘルメスから、アリスは顔を背けたくなる気持ちになるが何とか告げる。
「……本題に戻そう。本来、外部法則なんてもんはそう簡単に認知できるもんじゃねぇ。恐らく世界中探した所でその存在に気づいてる人間なんて殆ど居やしねぇはずだ」
「? それはあの三英傑達でもですか?」
「あぁ。……今、三英傑のトップ、ハイリンヒ含めて俺の知る限りじゃ誰も外部法則なんてもんは知らねぇ。というか外部法則って呼称だって正式名称じゃなくて”俺達”が勝手に名付けたもんだしな」
俺達。
先程からヘルメスはそれが引っかかっていたがすぐに誰を指しているのかはわかった。
何せ、その人物のおかげでヘルメスは外部法則の存在に気づけたのだから。
「……俺もその口だった。……外部法則に気づき、それを発見したパラケルススから聞かされるまではな」
外部法則という呼称は、パラケルススによって名付けられたものだった。
自分の心臓が高鳴っている事にヘルメスは気づく。
父も自分と同じく外部法則に触れたのかもしれないのだ。
「し、しかし、父様はどのようにして外部法則について知る事ができたのでしょう?」
アリスはズボンの両ポケットに手を仕舞ったまま椅子からゆっくりと立ち上がり、ヘルメスに背を向けて言葉を紡ぐ。
「歴史上、原典に辿り着いた者はただ一人と語り継がれている。あの伝説の錬金術師、アンチスミスだとな……。――――だが、パラケルススも原典に辿り着き、その一部を見て外部法則の存在を確認したんだ。ヘルメス、お前ぇと一緒でな」
「な、そんな……まさ、か……」
「まさかじゃねぇ。……それが真実だ」
一瞬、この部屋全体の時が止まったかに思える程の静寂が包み込む。
原典を見たという発言に、ヘルメスは目を見開き、言葉を失って動きを止めてしまう。
何せ自分だけでなく、この世界が求めているものを自分が見つけていたアリスは言うのだ。
ヘルメスの思考は完全に停止してしまっていた。
だが、アリスの言葉がヘルメスの脳を再び正常に動かしていく。
「クソガキの話じゃ、目ぇ覚ました時に”答えから式を導く”とか色々と独り言を呟いてたみてぇじゃねぇか」
「き、記憶にありませんがそんな事を自分が……」
あまりに驚きの真実を告げられ、つい気の無い声で返事をしてしまう。
ヘルメスの心中を察しているアリスは背を向けたまま居た堪れない感情が沸いていた。
「……どいういう原理でヘルメスが原典の一部を見れたのかは俺にもわからねぇ。まぁ、パラケルススの絵本がきっかけで外部法則の存在には気づいたみてぇだがな。……ヘルメスが原典の一部に辿り着いたのは明らかだ。じゃねぇと、その法則を知って式崩しなんてもんが構築できるわけねぇ」
例え外部法則の存在を認識していようが、ただ知っているだけでは構築できないとアリスは言う。
やはり外部法則を扱うには原典でその知識を得るしかないのだ。
「あれだけ探していた原典を……、自分は……っ」
式崩しを構築した時の記憶は無い。
だが、もしその記憶があれば――――母も救えるかもしれない。
ヘルメスはかけ布団を力強く握り締め、上唇を噛み締めて視線を落とす。
何とか、何とか原典の一部を見た時の記憶を蘇らせようと、瞳を閉じてみるが。
「ふぅ……馬鹿な事考えてんじゃねぇよ」
野太い声が耳に入り、ヘルメスが顔を上げるとアリスが哀愁漂う寂しそうな目でヘルメスを見下ろしていた。
ヘルメスの考えなど手に取るようにわかってしまうとばかりに、アリスはヘルメスの頭を優しく撫でる。
「何でヘルメスやパラケルススが原典に辿り着けたのか……んなもん、俺でさえわからねぇ。本来なら見る事も、辿り着く事すらできねぇ存在だ。……昔から言ってるだろ、原典は深追いするだけ無駄だってな」
「……お言葉ですが――――」
自分の頭を優しく撫でるアリスの手をヘルメスはそっと払い。
「今まで数多くの錬金術師達が原典を求め、辿り着く事なくその人生を終えてきたのは自分も知っています。それでも――――」
迷いの一切無い、とても澄んだ力強い瞳でアリスを見つめ。
「例え無駄だと言われようと父様や自分が一部でも触れられた以上、可能性はゼロではないはずです」
「うっ……」
ヘルメスの諦めの悪さはアリスも重々承知だった。
なので顎鬚を撫でては、眉を潜めて黙りこくってしまう。
原典を求める事がいかに途方もなく絶望的なのか。
外部法則を使用する事がいかに愚かな行為なのか。
何も知らないヘルメスにアリスは困り果てていた。
「ふぅ。……まぁ、王従士になりゃぁ原典を探す行為も罪には問われねぇ……そこまで言うなら今まで通り好きにしてろ」
「無論そのつもりです」
例えアリスに止められた所で、ヘルメスは母の失われた心を救う為に原典を求めてしまう。
なので今さら止める気はないと、アリスは溜息を吐いて両手を短く上げて肩をすくめる。
「ま、とりあえず……俺的にはこっからが本題なんだ。……ヘルメス、外部法則について警告しておくぞ」
「警告、ですか……?」
アリスは厳重に釘を刺して置く必要があった。
これ以上、ヘルメスの感情が失われないように。
「もう二度と式崩しは構築するな。良いか、これは命令だ。……絵本の主人公が式崩しを構築しちまったが為に最終的にどうなったか。……当然知ってるだろ」
かつて父に読んでもらった絵本の内容を思い出した今、ヘルメスはアリスが何を恐れているのか理解していた。
冷ややかな風が窓を揺さぶる中、掛け布団をギュッと握り締めながら絵本の主人公が辿った末路を思い出しながらヘルメスは静かに口を開いていく。
「世界の理から外れた力を使役した事によって……その代償として”化物”になってしまうから、ですね」
物語の最後はこうだった。
世界に絶望しきった男の子は式崩しを構築していくと、どんどん化物へと変貌していき、最終的には願いを叶える前に殺されてしまうという結末だった。
「ですが、自分は式崩しを構築したにも関わらず特に何も変化した事など……――――ッ!?」
急に乱暴な音が鳴り響く。
それはアリスが部屋の壁に椅子を力強く蹴り飛ばした事による音だった。
しかし、それよりもヘルメスは自分を見下ろすアリスの切羽詰った表情に身体を硬直させ、何も言葉を口にする事ができなくなっていた。
「二度とッ、二度と式崩しは構築するなッ!!! 良いなぁッ!?」
式崩しの代償として感情の一つを既に失いながらも、それを自覚できていないヘルメスにアリスは怒りにも似た哀しみの感情を抱いているのだ。
何故、何故こうも自分が大切に想っている”者達”ばかり――――
「俺は……もう失うのが嫌なんだよ……ッ」
我を忘れて息を荒げ、肩を震わせ怒鳴りつけたアリスの目には少し涙が浮かんでいた。
大の男の悲痛の叫びが真に迫りヘルメスの心を深く抉ってくる。
「師匠、一体どうされたと言うんですか……?」
覇気の無い口調で呼びかける事しか今のヘルメスにはできなかった。
ヘルメスは知っているからだ。
このアリスもまた、大切な人達を失った者である事を。
心配そうに自分を見つめるその視線に気づき、アリスは徐々に冷静さを取り戻し、バツの悪そうな表情でその場に屈む。
「……悪かったな。チッ、みっともねぇ姿を晒しちまったぜ……」
アリスは顔を伏せながらそそくさと他の椅子を引いてそれに腰かける。
「……いえ、それ程、自分を案じてくださっているという事なんですよね? なのに自分ときたら……。こちらこそ、すみませんでした……」
いかに自分が軽率な発言をしたのか思い知らされ、そしてそこまで自分を想ってくれているアリスに対してヘルメスはとても感謝していた。
深々と頭を下げるヘルメスに、アリスは照れくさそうに頬をかいて大きな咳を一つする。
「まぁ、なんだ。今はまだ悪い影響が表立って出てねぇだけで、その代償が降り注がん可能性がねぇわけじゃねぇ。……だから今後使わないに越した事はねぇってわけだ。わかったな?」
「危険であるという事は重々わかったのですが……そもそも、自分は当時の記憶がまったくありませんのでもう式崩しを構築する事はほぼ不可能かと……」
式崩しを構築した当時の記憶が無い今のヘルメスでは、再び式崩しを構築する事は不可能かと思われたが。
「それがだなぁ」
アリスは昼間の件で確信していた。
偉そうに両腕を組んで背もたれに身を任せ、これまた好都合というばかりに口元をニヤけさせる。
「どうやら原典の一部に触れた事で、今のヘルメスは無意識のうちだろうが錬金術の知識を増幅させてるみてぇだ。でねぇと、今までのヘルメスからしてあのクソガキに災獣の腕を構築してくっ付けるなんて芸当はできねぇよ」
今までどれだけ勉強や修練に時間を費やし、並々ならぬ努力をしてこようが決して叶わなかった錬金術の成功が、式崩しを構築した事をきっかけに遂に報われたのだ。
そう聞かされたヘルメスはジッとなどしてられない。
「ほ、本当ですか!?」
掛け布団を退け、前のめりになってアリスへと顔を詰め寄る。
まるで我が子の成長を喜ぶように、アリスはとても嬉しそうに笑いかけてある提案を促す。
「良くか悪くか、今なら簡単な錬金術ならすぐ扱えるようになるかもな。どうだ? 今日はもう遅ぇから明日からでもまた俺と錬金術の修行でもしてみねぇか?」
「ぜ、ぜひともお願いします! あぁ、遂に自分も錬金術師らしくなれるのでしょうか……。明日がとても待ち遠しいです!」
両手でにニヤける自分の頬を必死に押さえて喜ぶヘルメスの姿に、アリスもまたヘルメスと二人きりで錬金術の修行に励める事に期待を膨らませていた。
「よっしゃ! 決まりだ!」
アリスは両足の太股を力強く叩き、椅子から立ち上がる。
「体術同様、手は一切抜かねぇ。かなり厳しい修行になるだろうが覚悟はできてんだろうな?」
いかに修行が厳しいものになろうと、とっくにヘルメスは覚悟を決めていた。
「無論です! 師匠が自分の不出来に根を上げようと、とことん付き合ってもらいますからね! 師匠こそ覚悟しておいてください!」
「へっ、この俺が根を上げる? 抜かせぇ」
すっかりいつも通りに戻った二人は互いに喜びに満ちていた。
「さぁ、明日に備えて飯喰って早く寝ろ。あんま夜更かししてたらせっかくの美貌も損なわれるぞ?」
「む、そうですね。では自分は食事を済ませたらすぐに片付けて今日はもう休むとします」
「あぁ? 片付けなんて俺がしとくから放っておけよ」
ベッドから降り、居間へと向かおうとするヘルメスの背にそう告げるが。
「いえ、自分で出来る事は自分ですべきだと思いますのでそれぐらいは自分にさせてください。では行ってきますね」
「やれやれ相変わらずだな……」
扉を開け、元気良く部屋を退出していくヘルメスの姿を優しい微笑みと共に見送り、一人残されたアリスはゆっくりと椅子に座る。
しかし、何故か先程までとは違うとても険しい表情になっていた。
「……今は気分が良いんだ、テメェのクソみてぇな面は拝みたくねぇんだよ。で、俺様に何の用だ?」
すると、扉から姿を現したのはジンだった。
入室すると同時に、入り口のすぐ側の壁にもたれかけて廊下に視線を向ける。
「俺だって夜更けにこっそりとオッサンの面なんて見に来たかねぇよ。……ちゃんと伝えたんだろうな?」
「テメェに言われるまでもねぇ。ヘルメスには十分に釘を刺したさ」
両手を白衣のポケットに仕舞いこんでアリスは立ち上がると部屋を立ち去ろうとする。
ジンがその様子を無言のまま立ち尽くしていると、すれ違い様にアリスが呟く。
「こないだ俺が言った事、忘れんじゃねぇぞクソガキ」
「……何で俺なんだ」
アリスの足が止まる。
「どうも妙な胸騒ぎがしやがる。認めたくはねぇが、恐らくテメェと同じ感覚なんだろうな」
「……アンタが前に言ってた謎の集団とやらの事か?」
あくまで噂程度の存在である謎の集団。
目的も定かではないが、各地で動きを見せているという噂をアリスは耳にしていた。
「……さぁな。そもそも、そんな連中が実在してこの村で何かしようとしてんなら王従士が黙っちゃいねぇだろうさ。俺らがする事なんて何もねぇよ」
「そういや、オプリヌスはどうなってんだ? チビと王従士の連中がギリスティアに連行してったみたいだけどよ」
ヴァンクを発ち、このドルスロッドにジンとヘルメスが到着して数日が経つ。
そろそろギリスティア王都にオプリヌスが到着していてもおかしくはない時間が経過していた。
しかし、未だ新聞などにはその様な記事が載っていない。
ジンはその件に対して不審感を抱いていたのだ。
「なにせフェイクに繋がる重要人物だ、大々的に国も公表しねぇはずだ。フェイクの首を狙ってんのは何もギリスティアだけじゃねぇからな。何故かギリスティアは特にフェイクを自分達が捕まえたがってるみてぇだが……まぁ、あのハゲがオプリヌスの連行を務めてんなら何も問題ねぇよ」
「コルネリウス、だっけか? 俺は見た事ねぇけど随分、信用してんだな。そいつそんなに強いのか?」
「へっ。少なくとも、俺様とヘルメスの親父が認めた男だ。ただのハゲじゃねぇよ」
そう言い残し、アリスは暗がりの廊下へと消えて行った。
「本当に大丈夫なんだろうな……」
壁を背にしたままジンは嫌な過去を思い出していた。
フェイクは、単純な強さだけでは太刀打ちできない。。
オプリヌスが捕まった今、フェイクも動き出すかもしれない。
もし、そうなればリディアもタダでは済まないはず。
ジンの悩みは益々増えていくのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして後日。
朝早くからヘルメスとアリスはずっと部屋に篭りっきりで錬金術の修行を進めていた。
邪魔だから入って来るなとアリスに立ち入る事を拒否されたジンは昼間だと言うのに、特にする事が無かったので居間の椅子に座って暇そうにボケーっと天井を眺めているだけだった。
そして何とも気の抜けた表情をするジンの背後からテンションの声が聞こえてくる。
「ジ~ン君っ」
「……何だ、アンタかよ」
「ず、随分なご挨拶ですねぇ~。せっかく暇潰しにお宝写真集を持ってきたと言うのにぃ~」
居間に現われたエリーゼは何やら一冊のアルバムを抱えていた。
このエリーゼにあまり良い思い出の無かったジンは面倒くさそうな表情を浮かべてしまう。
だがエリーゼはそれを気にする事無く、ジンの横へと許可を待たずに座るのだった。
「はぁ……。グラビア写真集とかならパスだぞ。今はそんな気分じゃねぇんだ。つか、ヘルメスはどうした? まだクソジジイと修行してんのか?」
「フッフッフ~! グラビア写真集も魅力的ですが今回はそれ以上の代物を用意致しましたっ! あと、ヘルメス様なら今もマスターと一緒に錬金術のお勉強をなさっていますよぉ~」
席に着いたエリーゼは満面の笑みでテーブルにアルバムをそそくさと置いていく。
しかし、ジンはこのアルバムの中身よりもヘルメスを気にしていた。
「お勉強ねぇ……また何度も殺されるのは勘弁してほしいぜ……」
ジンは天井を見上げて昨日の事を思い出し、自分の右腕を見る。
しかし、そこにはヘルメスに構築されたフェアリードッグの腕は無く。
ちゃんとした偽人の腕があるわけでもなく、何も無い状態に戻っていた。
ヘルメスがショックで意識を失った後、アリスによって取り除いもらったのだ。
「さぁさぁ~、これ見てくださいよぉ~」
上の空だったジンの意識を陽気な声で引き戻し、目を光らせてアルバムを開いてく。
最初のページ、真っ白な紙には大きな文字で”俺様コレクション”と書かれていた。
「何だよこれ、クソジジイのアルバムか? 何つーか……まったく興味湧かねぇタイトルだな。つか、まさか勝手に持ち出してきたわけじゃねぇだろうな」
「……――――まっさかぁ~! と、とにかく見てみてくださいよぉ~」
一瞬エリーゼは笑顔を凍らせ、すぐに写真のあるページへとめくってジンに促す。
恐らく無断で持ち出してきたであろう事は明白だったが、ジンは写真を見てみると一気に興味が引かれていく。
「へぇ……これって」
そこには、幼い頃のヘルメスとリディアが映っていた。
このアルバムはアリスが大事に保管しているヘルメスのアルバムなのだ。
「どうですっ!? 超絶可愛くないですかっ!?」
「まぁな……。つか、何でヘルメスはチビを踏んでんだ?」
当時、ヘルメスよりも髪の長かったリディアを、ツインテールに髪を結んだヘルメスが得意気に腕を組んで頭を踏んでいるという異様な光景が撮られていた。
「あ~、これはですねぇ~。当時、悪ガキ集団のリーダだったリディアちゃんをヘルメス様が一人で討伐した時の記念写真ですねぇ~」
「はぁ!? あのチビ、あんなナリでガキ大将だったのかよ……」
リディアと言えば、ジンの中では常にヘルメスの背に隠れているような弱々しい印象しかなかった。
「しっかしガキの頃から一人で突っ走ったり……昔からヘルメスは今とあんま性格が変わってねぇんだな」
当時から凛々しい雰囲気を漂わせ、悪に立ち向かっていたと知るや、ジンは自然と笑みを浮かべてしまう。
「ヘルメス様は幼い頃から正義感が強かったみたいですねぇ~。それに比べて昔のリディアちゃんときたらお父様の地位を利用して近所の子供達を支配下に置いて日々、悪行に走っていたらしいですよぉ~」
「うわぁー……あいつ昔からそんな奴だったのか」
ジンはリディアと最初に出会った頃、王従士の立場を利用して高圧的な態度をとられた事を思い出していた。
結局それはヘルメスによって止められたが、今も昔も二人の性格や関係性は変わっていないようだ。
「いやぁ~、ある貴族の家にリディアちゃんが不法侵入した時なんかはマスターも流石に焦ったみたいでよぉ~?」
「何してんだよあいつ……。つか、クソジジイとチビも昔からの知り合いなのか?」
エリーゼは首を横に振り、少し眉を潜めて困った笑みで告げる。
「知り合いも何も……もはや、あのお二人は同盟みたいな関係ですよぉ~……」
「同盟? 何だそりゃ……」
「……いずれわかりますよぉ~」
リディアとアリスの関係性にジンが疑問を抱いていると、エリーゼは次々とページをめくってヘルメスの写真を見せては丁寧に説明していく。
俺様コレクションとあるだけに、アルバムの中にはヘルメスが映っていない写真は存在せず。
幼い頃から今に至るまで、ヘルメスの成長過程を記録したアルバムのようになっていた。
すると、ある程度ページを進めていったエリーゼが急にジンへと振り向く。
「さて、ページが先に行くにつれてヘルメス様のおっぱいが大きくなっていくわけですが」
「アンタ、それしか頭に無いのか?」
ジンは椅子にもたれ、エリーゼの発言に頭を悩ませて上を向いて溜息を吐く。
「甘いですねぇ~、その程度の罵り方では全然濡れませんよぉ~……。もっとこう~……どうせなら言葉の暴力でとことん蹂躙する勢いで来て頂かないと私の被虐性はピクリともしませんよっ!?」
「もう勘弁してくれ……。アンタと二人っきりだと疲れて仕方ねぇんだよ。大体そこまで俺はサドじゃねぇんだ、他あたってくれ」
「なるほどぉっ!? ジン君はマゾだと言うわけですねぇっ!? 大丈夫ですよぉ~! 私、基本的にマゾですけどお相手が望むのであれば立派なサドにもなれますからっ!! 安心してくださいねっ!!」
もはやジンはツッコむ気力すら無かった、乾いた笑い声をあげるだけで精一杯だった。
エリーゼは椅子から立ち上がり、目を輝かせて拳をギュッと握ってジンに性癖を合わせると言うがその拍子に。
「うぎゃあああああっ!? ま、マスターに殺されちゃいますぅ~っ!?」
アリスが大事にしているアルバムが床へと落ち、何枚かの写真が散乱してしまう。
「……チッ。何してんだよアンタ、馬鹿みてぇな事言ってからだろ……」
両手を頭に抱えてこの世の終わりを思わせるような悲壮感漂う表情をするエリーゼ。
だが、ジンは落ち着いて床に散乱した写真を一枚一枚丁寧に拾っていく。
「す、すみませんっ!! ホントすみませんっ!! ど、どうか日頃の性欲を満足行くまで私の身体にぶつけてくださって結構ですのでこの事はマスターにはぜひとも内密に……」
「わーったから、いいからアンタも拾えって。やれやれ……」
慌ててエリーゼも写真を拾い、二人は膝を床につけて必死に全ての写真を回収していくが。
ジンはある写真を拾うとそれをジッと見つめたまま動かなくなってしまう。
「これは……」
今まで、ヘルメスの写っていない写真は一枚も無かった。
しかし、ジンが偶然手にした一枚の写真にはヘルメスが写っていない。
その代わりに、若い頃のアリスが二人の男達の肩に腕をかけて嬉しそう笑顔を浮かべている姿が写っていた。
「あ~……。それはマスターが王従士に所属していた頃の写真ですねぇ~。ちなみにそれは当時の三英傑の方々で、”ある戦争”を終結した時に撮られた写真だそうですよぉ~」
「道理で血なまぐさいと思ったぜ、穴だらけの壁に崩壊した家……血と灰でズタボロじゃねぇかコイツら……」
今でこそ立派な顎髭を生やしているアリスだが、当時はまだ髭を生やしていないからか意外と若く見える。
だが雰囲気は今とあまり変わっておらず、街を徘徊するチンピラのような面立ちだった。
「このジジイの横に居る二人は誰なんだ?」
一人は相当苦労でもしているのだろうか、若くして既に頭髪を後退させている。
笑顔で自分の肩に腕を回すアリスに嫌悪感を示しているかのように、しかめ面を浮かべていた。
「……ハイリンヒ・コルネリウス様、現在の三英傑のトップに立つお方ですよぉ」
どうもエリーゼの歯切れが悪い。
ジンはヘルメスもこのハイリンヒが苦手だと話していたのを思い出す。
どうやらエリーゼも苦手らしい。
「三英傑ねぇ。って事は、もしかしてこっちは――――」
無表情のまま、まるで全てに無関心とも思える冷たい雰囲気を醸し出す人物。
金色に、朱色の瞳を持つ男性をジンは指をさす。
「パラケルスス=エーテル様……。ヘルメス様のお父様です。マスターからは本当にお優しく素晴らしい人物だったと聞かされています……」
「これが……ヘルメスの親父、か」
しかし、あまり似ていないような気がする。
確かにヘルメスと同様、見た目はとても整った顔立ちをしているが、ヘルメスとは対照的で暖かさを感じない。
すると、とても寂しげな声でエリーゼが説明していく。
「……このお三方は親友同士だったんですよ。ですけど、パラケルスス様がお亡くなりになるとマスターは王従士を抜け、コルネリウス様の事も遠ざけてしまって今ではもう親友同士だったお三方はバラバラになってしまったのです。……何とも悲しいお話ですね」
パラケルススの死、つまりエーテル家の悲劇を境に三人はバラバラになってしまったのだ。
「エーテル家の悲劇、か……」
一体何が起きたのか、何故ヘルメスは自分のせいだと自分を責め続けるのか。
ジンはヘルメスの深い部分が気になっていた。
こう思えたのは、やはり恩人のルル以外では初めての事だった。
今ではもっと、ヘルメスの事が知りたい、そう思っていた。
「ジン君」
まるでジンの考えている事に対してそのまま呼びかけるようにエリーゼが名前を呼ぶ。
振り返るとそこには真剣な表情のエリーゼが元気の無い笑顔を浮かべていた。
「誰にでも、言いたくない過去の一つや二つあるものです。ジン君だってそうでしょう? あまり……ヘルメス様を困らせないでくださいねぇ……?」
本当にエリーゼはヘルメスの事を慕っているようだ。
だが、それでもジンはヘルメスに対するこの不思議なこの気持ちを止められなかった。
特に深い意味もなくジンはエリーゼに短く告げてアルバムを片付け始める。
「どんな過去があろうと、人は、偽人だって変わろうと思えば変われるらしいぜ」
「へ……?」
キョトンとしたエリーゼを他所にジンは手際よく床に散らばる写真を集めていくのだった。




