6話:悩みの種
すっかり日も暮れ、ドルスロッドは静寂に包まれながら眠りにつこうとしている。
そして、アリスが経営する病院の一室にジンは一人居た。
「くそ、今日は無駄に疲れたぜ……。事前情報とまったく違うじゃねぇか……。あのクソジジのどこが綺麗だってんだよ! あの頭ぶっ飛んだ女の存在と言い適当な事ばっか言いやがって。……そういや、ヘルメスはもう寝てんのかな」
薄暗い病室。
この病室にはジンしかおらず、ヘルメスの姿は無い。
ヘルメスはジンを共に連れて行こうとしたが、暴れ狂うアリスがそれを断固として認めず、その代わりとしてジンにもこの部屋があてがわれた。
ヘルメスと出会ってから久々に一人の夜を過ごす。
少し、ジンの心をナイーブにさせていた。
「ケッ……らしくもねぇ。どうしちまったんだ、俺は……」
ヘルメスと出会い、偽人の青年の心は変化を見せていた。
「はぁ……」
左手を頭の後ろに回し、ベッドに仰向けで寝転がっていたジンは朝の出来事を思い出してみる。
その表情はどこか浮かない。
「結局あの妙な視線や胸騒ぎは何だったんだ……」
この病院に辿り着くまでに感じていたあの違和感はすっかり消えている。
昼間はヘルメスとジンがここに来る事となった経緯を説明するだけで終わってしまい、アリスは昼食後から急に慌しくしていたので尋ねるタイミングが無かったのだ。
「また明日にでも聞いてみるとすっか。……でも、あいつらじゃ無意味かもしんねぇな」
ベッドからすぐ近くの月明かりが差し込む窓に視線を向け、今日出会ったばかりの二人を思い出して苦笑を浮かべてしまう。
「ヘルメスも変わってっけど、あいつらも相当変な奴らだったな。ルル、アンタの言ってた通り世界ってすっげぇ広いんだな」
ジンは少しアリスとエリーゼに安心していた。
恩人のルルとよく似たヘルメスがそうだったように。
あの二人は、ジンの過去を聞かされても決してジンをバケモノ扱いしなかったのだ。
「……」
最初は自分の過去を説明される事を激しく拒んでいたジンだったが。
ヘルメスの言葉を信じて正解だった、今はそう思えていた。
「人を見る目がある、か」
ヘルメスは本当に不思議な少女だった。
普通の錬金術師であれば、ジンのような偽人は恰好の研究材料なのですぐに拘束すべきなのだが。
それでもヘルメスの言う通り、あの二人はジンを捕えたりする事をせず、今もこうしてジンは自由に動く事ができる。
素直に、嬉しかった。
ヘルメスとの出会いに、ジンは心から感謝していた。
「……ありがとう。……おやすみ、ルル」
安心した子供のような笑みで、この世を去った恩人の名を口にし、ゆっくりと目を閉じてジンが眠りに就こうとすると。
「――――……あん?」
ジンは素早く上半身を起こして扉の向こうを警戒する。
この部屋に忍び寄る気配を察知したのだ。
「ヘルメスか……? いや……ヘルメスならわざわざコソコソしねぇはずだ。……なら、ジジイか?」
明らかに気づかれないように気配を殺して何者かが部屋の前に立っている。
「……」
ジンも気づかれないように気配を殺し、ベッドから急いで立ち上がると扉は開かれ―――――
「っ!? な、ま、まだ起きてたんですかっ!? うぅ~……てっきり寝てるかと思ってたのにぃ~……」
現われたのは、黒い下着が透けて見える薄いピンク生地のネグリジェを着たエリーゼだった。
入口の前で何故か悔しがるエリーゼの訪問にジンは口を開けてただ呆れかえっていた。
「っ、わざわざ気配まで殺して何しに来やがったっ! あ、あとその格好どうにかしろよっ!」
何とか強気を装うって警戒するジンだが、身体は悲しい事に反応してしまっていた。
ナース服を着ていた時にもジンは気づいていたが、このエリーゼ。
ヘルメス程とまではいかずとも、中々のスタイルをしている。
更に今は透けたネグリジェも合わさり、かなり刺激的な格好をしているので目のやり場に困ってしまう。
明らかに動揺するジンに気を良くしたエリーゼは満面の笑みを浮かべて目的を告げる。
「え? ただの夜這いですけども?」
「どこの世界に偽人相手に夜這いかける女が居んだよッ!!」
大歓迎ではあったがついついツッコミに回ってしまう。
「ここに居るじゃないですかぁ~。そ れ に 私、見た目が人間なら男女問わずどんな見た目でも発情できるポテンシャルを秘めてますからっ!」
「自慢げに言ってじゃねぇよッ!! よし帰れッ!!」
ジンにとって大変喜ばしい展開ではあるが、またしてもはた迷惑な理性が発動していた。
涙を呑んで扉の向こうに指を差し、エリーゼに戻るよう促す。
「えぇ~……ジン君ってば連れないですねぇ~。そんなに私って魅力ないでしょうか?」
「あん……? ッ!? お、おいッ!?」
いきなりエリーゼは、自分の胸をゆっくり揉んでいき。
「流石にヘルメス様とまでは言いませんが……中々私もエロイ身体していると思うんですけどぉ~? っ、あ、ん……か、感度も、ばっち、っ、ん、りですよ?」
蕩けた表情を浮かべ、潤んだ瞳でジンに粘っこい視線を流しつつ。
エリーゼはすっかり発情してしまったのか、自分の胸を揉んだまま悩ましい吐息でジンの理性を揺さぶってきた。
「ジン君……わ、私、も、もう……」
顔を真っ赤にさせて僅かに涎を零し、太股を擦り合わせて身を悶えさしていくエリーゼ。
その姿はジンだけでなく、男の性欲を刺激するには十分すぎる。
「や、止めろッ!! 俺は……俺はそんな軟派な野郎じゃ――――」
「ジン君~……」
「っ!?」
甘ったるい声で名を呼ばれ、ジンは言葉を失ってしまう。
ジンの理性は既に崩壊しそうになっていた。
しかし、一時的な快楽の為だけにこのエリーゼに手を出せばどうなるかを改めてよく考えてみる。
「……」
恐らくヘルメスには軽蔑されてしまうだろう。
ジンが手を顔に当てながら顔を青ざめて自我を何とか保とうとしていると。
「はぁ、はぁ……ジン君の身体温かいですぅ~……うふふふ」
「うぉッ!? てめ、いつの間にっ!?」
気がつくと、エリーゼはジンの身体にすっかり密着するように抱きついてきていた。
胴体に胸の感触がはっきりと伝わってくる。
密着状態によってエリーゼの甘い匂いがジンの鼻腔を突き通り、おかしくなりそうだった。
「あぁ~ん、意外と筋肉質なんですねぇ~? ふひひひ」
「お、俺に触るなっ!! ち、痴女っ!! この、変態っ!! だ、誰かぁあああああああああ」
エリーゼは不気味な笑い声をあげながら、ジンの胸元に顔を埋めて何度も深く息を吸い、両手でジンの身体をまさぐり始めていた。
変態。
その言葉がとても似合う行動に、ジンはすっかり身体が動かせなくなっていた。
まるで、犯される乙女のような声で助けを叫ぶジンだが。
「すー、はー……うへ、うへへへぇ、観念してください……。さぁ~!! い、いよいよオチ○ポのお披露目ですよぉ~ハァハァハァハァハァ」
「よ、よせッ!!!」
ジンの叫びは虚しく響くだけで、目を輝かせて息を荒げるエリーゼの魔の手がジンのベルトに触れだす。
悔しさと嬉しさのあまり、鼻の下を伸ばしながら涙を流して抵抗しようと頑張るジンだったが。
「ッ!?」
ある気配にジンは気づき、入口に視線を向けて完全に固まってしまう。
異変に気づいたエリーゼも一旦ジンの胸から顔を離して同じく入口に視線を向けると。
「ハァ、ハァ、うふふ、どうしたんで――――ッ!?」
そこには。
扉の前で顔を真っ赤にさせ、身体を激しく震わして立つヘルメスが居た。
就寝前だったので、ヘルメスは生地の薄い白のタンクトップと淡いピンクのハーフパンツという寝巻き姿をしている。
顔を俯けているので表情を読み取る事はできないが、見えない怒りのオーラーがはっきりとジンとエリーゼには見えていた。
二人は引きつった笑みで口を徐々に開いていく。
「あ、あのぉ~……ヘルメス様?」
「……誤解だ、ヘルメス。俺は何もしてねぇ。つか、むしろ俺はよく頑張った。俺を褒めてくれ」
冷静に誤解だと告げるジンの言葉に、ヘルメスは勢いよく顔を上げたかと思うと、眼鏡越しの鋭い眼光を二人に浴びせ――――部屋の扉を殴って粉々にしてしまう。
「「ひぃぃぃぃぃ」」
突然の行為に、ジンとエリーゼは思わずお互いに抱き合って身体を震わせて恐怖に怯える。
「……っ、一人では心細いかと心配してわざわざ様子を見に来てみれば……――――どういう事だジンッ!!!!!」
「待てっ! 俺は被害者だっ!」
この静寂に包まれたドルスロッドにヘルメスの怒号と、ジンとエリーゼの悲鳴が響き渡っていく。
怒り狂うヘルメスに無抵抗のまま何度も殴られ続ける中、ジンは青あざを作りながら必死に事情を説明するのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ようやく気が済んだのか、ヘルメスはすっかり落ち着きを取り戻していた。
再び静けさを取り戻したこの部屋で現在、ジンとエリーゼは床に正座をさせられてヘルメスからお説教を喰らっている最中。
「……ですからエリーゼさんも乙女なんですから少しは自重という言葉を覚えてください」
思いの外肌を露出している今のヘルメスの姿に、またしてもジンが目のやり場に困っていると。
「うぅ、卑しいメス豚で申し訳ございません。ですから……っ!! も、もっと私を罵るように叱りつけてくださいましぃ~」
反省の色があまり見受けられないエリーゼに、腕を組んだヘルメスが溜息を吐いて今度はジンに視線を向ける。
「まぁ、ジンは……その、すまなかったな。自分の早とちりで随分と強めに殴ってしまったからな……本当にすまなかった」
「え? あ、あぁ! 気にすんな」
腕を組んでいる事で更に強調されるヘルメスの胸ばかりに集中していたので、ジンはまった話を聞いていなかったので適当な相槌を打ってしまう。
あれだけ痛めつけられようと、眼福とばかりに礼すら言いたくなる始末。
そうとは知らずヘルメスはベッドに座り込み、腕だけではなく足も組み出していく。
「とにかく……しばらくここに滞在する以上、今後こういう事の無いように――――って、二人とも。ちゃんと聞いているのか?」
しかし、ヘルメスの話など二人は聞いていなかった。
その白く透き通る肌、程よくむっりとした太股に釘付けだった。
普段は黒のストッキングで隠されたその美脚だが、こう生足を前にすると改めてヘルメスの魅力は胸だけでは無いと二人に知らしめる。
「美味しそうですねぇ~……」
「む……?」
思わずエリーゼがボソッと心の呟きを口にすると、その視線から自分の足へと向けられている事に気づいたヘルメスは顔を真っ赤にさせ。
「な、ふざけないでくださいっ!!」
毛布を引っ張り、慌ててそれで足を隠してしまう。
「余計な事言ってんじゃねぇよッ!!」
「す、すみません!? 私とした事がとんだ失言をしてしまいましたぁ~……」
ヘルメスの生脚が拝めなくなり、無意識にジンは本気で声を荒げてしまった。
自分の馬鹿さ加減とこの状況にうんざりしながらジンは自分の額を押さえだす。
「はぁ……もう良い。そろそろ寝ようぜ……」
この長旅でヘルメスも疲れているはずだと、ジンは気も利かせてそう口にした。
ヘルメスもある程度の注意が終わり、満足したのか足を毛布で隠したまま静かに首を縦に振る。
「そうだな。……やれやれ、エリーゼさんも早く自分の部屋に戻ってください」
「あ~あ……。あと少しでしたのにぃ……。仕方ありませんねぇ~……ではお先に失礼しますねぇ~。……ではではぁ~」
深々とお辞儀をしながら不服そうにエリーゼはそのまま大人しく部屋を退出していく。
それを確認してジンもようやく立ち上がり、ヘルメスの横に腰掛ける。
「……にしてもお前ぇの師匠もだけどよ、あの女ぶっ飛びすぎじゃねぇか?」
「まぁ、昼間にも言った通りだ。アレは慣れるしかない……。悪い人じゃないのはジンも何となく感じているんじゃないか?」
「どうだろうなぁ……」
短く返事をするジンにヘルメスは笑顔を見せて立ち上がる。
「フフ。さーて、自分もそろそろ戻るとするか。ジンも今日は疲れただろ、ゆっくり休んでくれ。おやすみ、ジン」
「おう」
部屋を出て行くヘルメスをベッドの上から名残惜しそうに見送るジンだが。
ふと入り口の前でヘルメスは立ち止まり、そんなジンに振り返る。
「……その腕は、自分が絶対に何とかしてやるからな」
その一言で、ジンはヘルメスの気持ちに気づく。
結局、黒い歯車を解く手掛かりは得られなかったのだ。
それに、アリスが構築を拒否した事でジンは未だ右腕を失ったままだった。
ヘルメスは、ジンが落ち込んでいるのではないかと心配しているのだ。
「……お前ぇは気にしすぎなんだよ。でもジジイの説得は任せたぞ? 俺の頼みなんて聞きやしねぇだろあのクソジジイ……」
「フフ、それは自分に任せてくれ。では今度こそおやすみ、ジン」
そしてヘルメスを見送り、部屋に一人残されたジンは疲れきったようにベッドに倒れ込む。
だが、黒い歯車や腕の件が解決していないと言うのにジンの心は躍っていた。
「……明日もヘルメスの料理が喰えんだな。あいつ何作ってくれんだろ」
ヘルメスという存在にこうして出会え。
とても今が楽しかったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エリーゼの夜這いを受けたジンは小鳥のさえずりが聞こえてくると、ベッドの上で大きな欠伸をして目を覚ましたのだった。
「鳥、うるせ……ん~……まぶし……」
大きく伸びをすると、ジンの腹は例の如く盛大に鳴り響く。
「とりあえずまずは飯だな……」
病室に飾られた時計に目をやると時刻は朝七時を少し過ぎていた。
腹をすかせたジンはそのままベッドを下り、視界をぼんやりとしながら食事を求めて居間へと向かう。
涎を垂らしながら廊下に出ると、ジンの鼻に旨そうな匂いが飛び込んできていた。
期待に胸膨らませ、足早に居間へと到着すると。
「うひょおっ! 相変わらず旨そうだなっ!」
テーブルの上に大量の料理が用意されていた。
既にヘルメスとエリーゼが席に座っており、急いでジンも席につこうとする。
「あ、ジン君! おはようございますぅ~、昨晩は残念でしたねぇ~。あと少しで燃えるような夜が送れましたのにぃ~……、あぁ~、思い出しただけで火照っててきますねぇっ!!」
「……さて腹減って死にそうなんだ。飯だ飯ー」
晩のような刺激的な格好ではなく、ナース服を着たエリーゼが両手を頬に当てて嬉しそうに頬を染めていた。
朝からハイテンションのエリーゼを軽く無視してジンは席につく。
何故なら、ヘルメスが少し怒っているように見えたからだ。
「ごほん」
普段着のヘルメスがわざとらしく咳払いをしだすとエリーゼは自重して姿勢を正すのだった。
ヘルメスの横にジンはそそくさと腰を下ろしていく。
「おはよう、ジン」
流石に今は錬金術師が愛用するコートは着ておらず、肩だけでなく色白の肌を少し露出させたヘルメスに、ジンはドキッとしてしまう。
「すまないな、本当は自分が朝起こしに行こうと思ったんだが……師匠に止められてしまってな」
「ガキじゃあるまいし……一人で起きれるっての。んな事より飯だっ! これ、お前ぇが作ったんだろ? 廊下出た瞬間すぐ気づいたぜ!」
目の前の料理に目を輝かせて早速ジンが箸を持って手を伸ばそうとすると。
「いや? これは全て師匠が作ったものだぞ」
「……は?」
ヘルメスから意外な言葉が返ってきた事で、食欲旺盛なジンの動きも思わず止まってしまう。
「フフ、師匠は料理の腕前も凄いんだぞ。しかも家事全般の仕方まで全て自分に教えてくれたのも師匠だからな」
「ふっふっふー♪ 人は見かけによって判断できないのですよっ」
確かに昨日、荒れ果てたこの居間で華麗な掃除テクニックを披露したアリスにジンも驚かされたが。
「あの見た目で家事スキルが高いとか不気味すぎねぇか……」
チンピラ同然の見た目で家庭的な面を持つと言われるアリスに、ジンはそう率直な感想を零したのだった。
夜なべをしているアリスの姿を想像してみようものなら吹きだしてしまう。
「ジンも色々と師匠を誤解しているようだな。前にも言ったろ? 師匠は本当に綺麗な人だと教えてやったじゃないか」
「それって綺麗好きとかそういう意味だったのかよ!」
「あはは~、マスターならどこに出しても恥ずかしくない立派なお嫁さんになれますよぉ~」
得意気にアリスを語る二人の少女達にジンは箸を握って困惑するばかりだった。
「おかげで私は何もせずに済んでますからねぇ~、大助かりですっ!」
「駄目人間の発言だなおい」
しかし、ジンも人の事は言えないのでそれ以上のツッコミはあえてせず。
アリスの作った料理から漂う匂いに、悔しいが自然と涎が溢れ出してしまう。
「まったく……ジン、涎を拭け。みっともないぞ?」
「お、おい!?」
すかさずスカートのポケットからハンカチを取り出してジンの口元を拭ってやろうとするヘルメス。
しかしジンはエリーゼのニヤニヤとした表情に気づき、箸を一旦置いてハンカチを奪って自分で涎を拭いていく。
「ガ、ガキ扱いしてんじゃねぇよ」
「む? 自分の方がお姉さんだからな、当然だろ?」
ヘルメスはジンの実年齢を知ってからというもの、更に世話焼きの性格を発揮させていた。
今ではこうしてジンの事をまるで弟のように扱っているのだ。
それもジンがヘルメスの弟、カルロスに少し似ているのが原因だった。
「二人とも可愛いですねぇ~」
微笑ましい光景にエリーゼが両手を頬に当ててテーブルに肘をついていると、入り口から野太い声が聞こえてくる。
「チッ。何だぁ? 飯の匂い嗅ぎつけて結局起きてきやがったのか卑しいクソガキめ」
両手に皿を持ったアリスが舌打ちをしながらこの居間に現われ、テーブルにそのまま追加で皿を置いていく。
「ケッ、俺が朝飯逃がすわけねぇだろ。にしても、やるじゃねぇかクソジジイ。旨そうだなおい」
アリスが置いた皿に盛られた料理を見て、改めてジンは素直に賞賛してしまう。
それに気を良くしたのか、アリスはニヤリとする。
「がははは、旨そうなんじゃねぇっ! 旨ぇんだよっ! 誰が絶世の美女ヘルメスに料理を教えてやったと思ってんだぁっ? まぁ、お前ぇには勿体ねぇが……仕方ねぇ、特別に本家の味をしっかりとその舌に刻んどけっ!!」
気分を良くしたアリスは両腕を組んで豪快な笑い声で料理を食べる事を許可すると、ジンは目を輝かせて急いで箸を掴み直す。
「マスターってば単純ですねぇ~」
「フフ。まぁ、最初からジンにも食べさせてやるつもりみたいだったですけどね」
ヘルメスとエリーゼは知っていた。
最初からこのテーブルに並べられた料理の数は、三人で食べるにはあまりにも多すぎる事を。
アリスは、ジンの分もちゃんと用意していてくれたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「そうだ、お前ぇら。朝食も済ませた事だしちょっと頼みを聞いてくれねぇか?」
四人が、というか殆どジンが食い尽くしてしまったが、アリスは用件を三人に告げていく。
腹を撫でて椅子にもたれるジンと、布巾で自分の口元を拭くヘルメス。
そして呑気な表情でガラスのコップに入った水をごくごくと飲むエリーゼの三人の視線が、一斉にアリスへと向けられる。
「んだよ、感謝はしても飯の金なら払わねぇぞ?」
「ジン、師匠は自分達からお金を要求したりしないさ。というか持ち合わせも無いしな!」
「で、マスタ~。どうしたんですぅ~? ムラムラしたなら私がお手伝いしますよぉ~?」
見当違いの反応を見せる三人にアリスは頭を抱え、エリーゼだけは睨みつけられた。
「とりあえず、……エリーは後で殴るとして」
「私殴られるんですかっ!? そういうプレイですかっ!? じゅるり、いや~んマスターったら激しぶふっ」
エリーゼの頭部をアリスが軽くはたくと、そのままエリーゼは顔面をテーブルに打ちつけられて意識を失ってしまう。
その様子を心配そうに見つめていたのはジンだけだった。
ヒビ割れるテーブルを囲んだまま、そのままアリスは続ける。
「クソガキは置いといて、ヘルメス。久しぶりにドルスロッドに戻ってきたんだ。ちと、お使いついでにショッピングでも楽しんでこいよ」
「いえ、ですから自分は持ち合わせもありませんし……しかし、お使いというのは?」
王従士としてアリスをギリスティアに連れて行くという任務中のヘルメスは、例え十分な所持金があろうとショッピングを楽しんでいる場合ではないのだ。
「あー、そんな大した事じゃねぇよ。死にかけのババアに薬を届けるだけだ」
「それは大した事じゃないですか!」
思わず声を荒げてテーブルを叩いて立ち上がってツッコんでしまうヘルメス。
しかし、そのせいで再びテーブルにヒビが入ってしまう。
「なぁ、お前ぇらそのテーブルに何か恨みでもあんのか……?」
何事も無かったかのように、アリスは片手をテーブルに押し当てて青白い光を溢れさせていく。
そして錬金術を使ってさり気なくテーブルからヒビを無くす。
あまりにもスムーズなその流れ作業と、ここに来て何度も壊されてしまうそのテーブルにジンは呆れ返ってしまう。
「まぁ、死にかけのババアと言っても本当に死にかけてる訳じゃねぇ。老人共によくありがちな死ぬ死ぬ詐欺ってやつだ。だからヘルメスに届けてもらう薬だって中身はただの粉にしてあるからな!」
「いや、しかし……それでも自分にそれを任せるのも医者としてどうなんですかね……」
肩から力が抜けるように、ヘルメスは一度椅子に座り、横に居るジンに同意を求める視線を向ける。
ジンは無言のまま肩をすくめるだけだった。
「ま、そう言わず引き受けてくれよ。俺は色々と忙しくなちまってな」
「……?」
ヘルメスがその発言に疑問を抱いていると、アリスは不適な笑みを浮かべて椅子から立ち上がる。
そしてテーブルの下に隠していた布袋を取り出してそれを見せつける。
「えーと……それは?」
キョトンとした表情で布袋を見つめるヘルメスに、アリスは嬉しそうにテーブルへと置く。
「ちょっとしたお使いの駄賃だ」
嫌な予感がしたヘルメスは恐る恐る布袋を開ける。
その中身をジンも覗き込んでみると二人を口を大きく開けてしばらく絶句してしまった。
「おいおいおい……本気かこのジジイ?」
布袋の中には、大量の札束が入っていたのだ。
「し、正気ですかっ!? こ、この額は何ですっ!! お小遣いとかそういう域じゃないですよこれっ! 自分に家でも買わせる気ですかっ!?」
「ん? 何だよ……やっぱ土地でも用意した方が良かったか。しまったな……」
やらかしてしまった、とアリスが頭を掻きながら反省していたが。
ヘルメスはこの過保護っぷりに呆れ果て、札束の入った布袋をアリスへそっと返却する。
「こんな額……自分はとても受け取れませんよ」
「な、何故だッ!?」
「うわ、勿体ねぇー……そんだけあれば飯屋行き放題じゃねぇか」
ジンが名残惜しそうに布袋を見つめていると、アリスは両手で頭を抱えて床に崩れ落ちてしまう。
床に突っ伏し、激しく動揺するアリスにヘルメスは溜息を吐いて静かに告げる。
「あの、師匠。自分はお金を貰っても嬉しくありません。そもそも、師匠が頑張って稼いだお金を自分が簡単に受け取るわけないじゃないですか……」
アリスは顔をバッと上げ、両手と両足を床につけたままヘルメスの足元に這い寄り。
「こんなもんはした金だッ!! そう言わず受け取ってくれよぉぉぉぉ」
「いえ、だから……」
余程ショックだったのかヘルメスの膝を抱き、顔を埋めて大泣きする始末。
何とかそれをなだめようと、ヘルメスは呆れた表情を浮かべながらアリスの頭を優しく撫でていく。
その姿にジンはドン引きだったが、そしてアリスの財力にも驚かされていた。
「……馬鹿に金は持たすもんじゃねぇな」
「んだとゴラァッ!? 今喰ったもん全部吐かすぞクソガキィッ!!!」
「やれやれ……お使いの件はわかりました。だからそろそろ離れてくれませんか? あと二人友っ! 朝から喧嘩をしないっ!」
ヘルメスの膝を抱いたまま涙目でジンに殺気を放つアリスだったが、ヘルメスにまたしても怒られてしまい意気消沈して部屋の隅っこで身体を小さく丸くしてしまう。
こうして、ヘルメスは結局アリスのお使いを請け負う事にしたのだった。




