4話:台本の裏側
ヘルメスはこの病院にある一室の前に、静かに瞳を閉じて立っていた。
しばらく心の中で何かを葛藤していたようだが。
ようやく覚悟を決める。
「……失礼、します」
軽くノックをしてから静かに部屋の扉を開けて恐る恐る中の様子を伺う。
すると、ヘルメスの顔は一気に青ざめてしまう。
「……っ」
いつもこの時間帯は寝ているはずの”彼女”が。
この時に限っては起きていたのだ。
後ろめたい気持ちと、何とも言えない感情によって口を閉ざしてしまうが。
それでも何とか必死に口を開いて言葉を紡ぐ。
「……母様。……ただいま、戻りました。……ヘルメスです」
部屋の中には。
ヘルメスをそのまま大人にしたような、とても美しい容姿をした女性が質素な病院服を身に纏い、ベッドの上で上半身を起こして奇妙な三つの人形を大事そうに抱えてぼんやりとしていた。
目の前の壁に視線をずっと向けて虚ろな瞳を泳がせている。
彼女こそヘルメスの母、”リリアン=エーテル”。
「……」
無言のまま、ヘルメスにではなく病室の窓に視線をゆっくりと向けるリリアン。
その虚ろな瞳からは生気が感じられなかった。
「……貴女……どちらさまですの……?」
自分を認識できていない母にヘルメスは扉をゆっくり閉めて入室していく。
「ヘルメスです。貴女の娘、ヘルメス=エーテルです」
「……娘? ……私には娘なんて居ませんが……」
とても大事そうに三つの人形を抱えて微笑むリリアン。
その人形は、ヘルメスが初めて構築した家族に似せた人形だった。
ヘルメスは、父と母、そして自分と弟のカルロスに似せた人形を構築していた。
だが、リリアンが抱えている人形の中に――――ヘルメスの人形だけは無かった。
「……」
ヘルメスが部屋を見渡してみると、やはりヘルメスの人形だけがボロボロの状態で病室の片隅に捨てられていた。
「……駄目ですよ、母様。……あまり、部屋を散らかしては。……仕方ありませんね」
もはやヘルメスの存在は完全に無視されている。
リリアンはヘルメスに対してそれ以上、口を開くことはなかった。
それでも片隅でボロボロの状態で捨てられている自分の人形をヘルメスが拾いに行くと。
「――――フフ、カルロスは良い子ねぇ。……私達の自慢の子供よ。本当に生まれてきてくれてありがとう、カルロス……」
背後からリリアンの声が急に聞こえ、ヘルメスの動きが一瞬凍りつく。
それでもすぐに自分の人形をひっそりとテーブルの上に置き、母に振り返るとその変わり果てた姿を見てとても苦しそうに表情を歪める。
「母様……ッ」
すると、リリアンは虚ろな瞳のまま。
カルロスの人形に対して微笑み、何度も優しく撫でていく。
「フフ、貴方もそう思うでしょ? あぁ……私達は何て恵まれた家族なんでしょう」
今度はヘルメスの父に似せた人形に同意を求め、嬉しそうに三つの人形で遊びだすリリアン。
「私達……私達に娘なんていません……」
人が変わったようにすぐに情緒不安定となり、抱えた三つの人形に顔を埋めて同じ言葉を何度も繰り返すリリアンの姿に、ヘルメスは気がおかしくなりそうだった。
「……あらもうこんな時間なの? すっかり真っ暗ねぇ。さぁ、そろそろ夕食にしましょうか。フフ、今日はカルロスが好きなジャリダケのベジリーフ包みよ」
リリアンは急に顔を上げ、窓から降り注ぐ太陽の光を見てそう言ってベッドから立ち上がる。
本当ならば、ヘルメスはここでリリアンを安静にさせるべく止めないといけなかったが。
今のヘルメスにリリアンの行動に手を出す事は無理だった。
「フフ、なぁに? お手伝いしてくれるの? やっぱりカルロスはお利口さんね」
立ち上がったリリリアンはヘルメスの姿を無視し、カルロスの人形を抱えながら昔ヘルメスが使っていたおままごとセットが置かれたテーブルへと向かう。
この病室の光景はとても異常だった。
日常生活で使うもの全てがオモチャで、大量のオモチャでこの部屋は埋め尽くされていた。
「そうよぉ、そう。フフ、よく出来ました」
カルロスの人形にオモチャの包丁を持たせ、リリアンは何も置かれていないまな板をトントンと叩いてはカルロスの人形を優しく撫でてやった。
「……っ」
ヘルメスは拳を強く握り締め。
唇を噛んでその様子を黙って見つめる事しかできなかった。
今ではこの部屋だけがリリアンにとっての現実。
世界そのものだった。
そうしてしまったのは――――ヘルメスだった。
リリアンは、ヘルメスのせいで壊れてしまっていた。
そして今も尚。
やはり家族の中に、ヘルメスは含まれていない。
「また……必ず会いに来ます。今度こそ原典を見つけだして……必ず……ッ!!」
部屋を出ようとするヘルメスの存在に、最後までリリアンは気づかなかった。
ヘルメスは、自分に似せて構築した人形に視線を向けてからこの病室から逃げるようにして退出していった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふぅ……ようやく体力が戻ってきやがったな。チッ、しぶてぇクソガキだぜ。……たっくよぉ、無駄に体力使わせんじゃねぇよ」
ようやく落ち着きを取り戻したのか、青あざだらけのアリスが椅子にドカッと腰掛けていく。
「元はと言やアンタの方から喧嘩売ってきたんだろうがっ」
ジンも膝をつきながら立ち上がり、不機嫌そうに椅子へと乱暴に座る。
「うっせぇッ!! 俺様のヘルメスに手ぇ出したテメェが悪ぃんだよッ!! ……チッ、丁度良い。……ヘルメスが居ねぇうちにテメェに確認しておく事がある」
アリスはテーブルに置かれた厳ついサングラスをかける。
「その見た目と、身勝手な言いがかり……まさにチンピラじゃねぇか」
何故かヘルメスに聞かれては困るような口ぶりから、ジンは首に手をやりながら面倒臭そうにしてアリスの言葉を待つ。
「で、だ。オプリヌスが構築してたっつー、原点回帰はヘルメスが破壊したんだな?」
「さっきヘルメスが説明してたろうが。ボケてんじゃねぇよ」
粗方、ジンとヘルメスが出会ってから起きた事は既にアリスも聞かされた。
しかし改めてもう一度こう確認してくる意味がジンには理解できないでいた。
肘をテーブルに付いて面倒くさそうにしていると。
「……いいから答えろッ!!」
どこか切羽詰ったようなアリスの口調がジンを鋭く突き刺す。
ジンは大きく目を開くとテーブルから肘をどけて渋々と答えていく。
「……何なんだよいきなり真剣になりやがって。……ヘルメスがさっき言った通りだ。俺の原点の式を使ってヘルメスが式崩しを構築して原点回帰をぶっ壊したんだよ。それがどうしたんだよ?」
アリスは眉間にシワを寄せ、片手で口元を覆いながら神妙な表情で続ける。
「ヘルメスには一発だけだが……式崩しの弾を渡していたはずだが?」
「だーかーらー、そいつを外しちまったから新しく式崩しを構築しねぇといけなくなったんだって……」
ジンの発言は全て、ヘルメスが話していた内容を繰り返すものだった。
しかし、アリスにとってはとても重要な事だった。
「あのヘルメスが式崩しを構築できるとは思えねぇ。もっと詳しく教えろ」
それはジンも同感だった。
ヘルメスは錬金術の腕がからっきしなのだ。
殆ど錬金術が扱えないはずのヘルメスが式崩しを構築した時はジンやリディア、そしてオプリヌスまでもが本当に驚かされていた。
だが、ヘルメスはあの時。
確かに式崩しを構築したのだ。
「……テメェ、何か心当たあんじゃねぇのか?」
ヘルメスは式崩しを構築した際に、その記憶を全て失っていた。
そのせいで、アリスはヘルメスからの説明だけでは納得できない疑問を抱えていたのだ。
「さぁな……俺もあん時は焦ってたからあんま覚えて――――」
突如。
激しい破壊音と共にテーブルの一部は粉々となって崩れていく。
緊迫としたアリスが拳を力強く握ってジンを睨みつけていた。
「……いいから思い出せクソガキィ……ッ!!!」
何故そこまでアリスが怒りを募らせているのかジンにはわからなかった。
しかし、それでも。
ヘルメスの身を案じている事が何となく感じ取れた。
ジンはテーブルを破壊したアリスに物怖じず、ズボンのポケットに手を仕舞って足を組んで真剣な表情で必死に記憶を呼び戻す。
「……確か。あん時のあいつは……奇妙な体験? をしたとか何とか言ってたっけな……」
前のめりになってアリスがその言葉に食いつく。
「奇妙な体験だと!?」
「……あぁ、思い出してきたぞ。オプリヌスが簡易式を使って構築した人形の攻撃でヘルメスは一度意識を失ったんだけどよぉ……。どうもそっから様子がおかしかったな」
意識を取り戻したヘルメスが、まるで別人の様に何かを呟いていた事をジンは思い出す。
「おいッ!! どんな様子だったッ!? ヘルメスは何か言ってたかッ!?」
目を大きく見開いてジンの元に慌てて駆け寄り、胸ぐらを掴む勢いで問い詰めてくるアリスの様子にジンも必死に思い出してみるが。
「待て……今、思い出す」
「とっとと思い出せッ!!!」
尋常ではないアリスに急かされ焦るジン。
ズボンのポケットから手を出して口元に当ててあの時、ヘルメスが呟いていた言葉を少しでも思い出していく。
「……確か、錬金術であり、錬金術じゃないとか……答えから式を導く、とか……そんな事を言ってた気が……他には……」
その瞬間、アリスは顔を青ざめて床に崩れ落ちてしまう。
脱力感に見舞われながら両手を床につけるアリスに慌ててジンが立ち上がる。
「お、おい急にどうした!?」
大量の汗を流し、床に汗を零すアリス。
「何て……こった、……やっぱり、そう……なのかっ……やっちまったのか……っ」
「どういう事だよ!? ヘルメスが、あいつが何したってんだよ!? 式崩しを構築した事に関係あんのか!?」
アリスはフラフラになりながら立ち上がって壁にもたれてうな垂れていき。
「ヘルメスは……。ヘルメスは触れちゃいけんぇもんに触れちまった……。だが、どうして……アレがヘルメスに……」
弱々しい声で身体を震わせて涙を一筋流すアリスに、ジンは妙な胸騒ぎが走る。
そして壁にもたれるアリスに近づき、ヘルメスが一体何をしたというのか問いただす。
「触れちゃいけねぇもんに触れたって……一体何の事だよ」
アリスは息を呑み涙を堪え。
ヘルメスに起きた由々しき事態を告げていく。
「奇妙な体験って……テメェの言葉が事実なら……いや、式崩しなんてもんをヘルメスが構築できちまった時点でそうなのか……。ほぼ間違いなくヘルメスは――――」
そして、ジンはアリスによって知らされる。
世界の理から外れた存在。
「――――”外部法則”に手を出したんだ……ッ!!」
事の重大性に、アリスは思わず壁の一部を握り潰してしまう。
「外部法則って……何だよそれ」
アリスは涙を拭ってジンに力強い瞳を浴びせて壁から離れて片腕で勢いよく空を切って叫ぶ。
「外部法則ってのはなぁ……この世界の理から外れた錬金術とはまったく別もんの事だ……ッ!! 全ての式を破壊できる式崩しって異質な存在はその外部法則を使って構築すんだよッ!!! ……何てこった……ッ!!!」
ジンには聞きなれない外部法則という単語と、何故アリスがそこまで怒り顕となっているのか理解できない。
ただ、一つわかった事がある。
外部法則を使った事で、ヘルメスの身に何かが起こっているのだ。
「その外部法則? ってのを使うと……どうなんだよ。何か不味い事でもあんのか?」
すると、今度は両手で顔を覆ってアリスは声を震わせてしまう。
「外部法則に触れる事は決して許されねぇもんだ……。だが、それでも外部法則に手を出した愚か者には”大きな代償が課せられる”」
大きな代償、それは一体。
ジンも額から汗を流して喉を鳴らすと。
「人が人である為に最も必要なもの……”感情の一つを失う”んだ……ッ!!!」
アリスの衝撃の発言に、ジンは言葉を失う。
ヘルメスは、オプリヌスの原点回帰を破壊する為に外部法則を使って式崩しを構築した。
つまり、アリスの言う事が本当ならば今のヘルメスは。
一部の感情を失っているという事になる。
「ちょ、待てって! 話がよくわかん――――」
「人は皆、”喜怒哀楽”そして”狂”を心に宿してる……」
人間には五つの感情があるが。
ヘルメスはそのどれかを外部法則に触れた代償として失ってしまったと言う。
「おい……式崩しを構築してから、どこかヘルメスの感情で変わった様子はなかったか? どんな些細な事でもいい……教えろ」
まだ出会ってから日は浅いものの、ここに到着するまでの出来事を慌てて思い出すジン。
そして冷や汗を垂らしてようやく口を開いていく。
「……そういえば、あいつ。……あれ以来――――」
ヘルメスは少し大人びた雰囲気を漂わせているが、脆い一面も持ち合わせていた。
式崩しを自分のせいで外し、ジンの腕が消えた時も涙を流していた。
それに、ふとした事ですぐ涙目になる可愛らしい一面もあったが。
「――――あんま泣きそうになったり、泣かなくなったな」
あれ以来、ヘルメスは一度もジンにちょっとした涙や素振りを見せていなかった。
それはたた単に、哀しいという感情が沸いてこなかっただけかもしれない。
しかし、ヘルメスは喜んだり、怒ったり、楽しんだりしていた。
「俺も久しぶりにヘルメスに会って感じたが……今回失ったのは哀か狂のどちらかの感情だろうな」
ヘルメスが失った感情が哀と狂ならば、どちらかと言えば負の感情なので特に問題無いのではとジンは思い口を滑らせてしまう。
「……むしろ良かったんじゃねぇのか?」
哀が無ければ嘆く事も無くなり。
狂が無ければ、フェイクやオプリヌスのように凶行にも走らなくなる。
だが。
「ふざけんじゃねぇッ!!!」
拳を壁に激しく打ちつけ、壁を崩壊させたアリスがジンに怒り声をあげた。
ジンも自分の不用意な発言に気づいて反省し、無言のまま俯いていくと。
アリスはとても悲しそうに叫ぶのだった。
「……人は五つの感情があってこそ人らしく生きていけんだよッ!! それに……悲しい時に、涙一つ流せねぇ事がどれだけ辛いか……。それを自覚できねぇ事がどれ程にそいつを苦しめる事になんのか……偽人だろうが、テメェはそんな事もわかんねぇのかッ!!! えぇッ!?」
「ぐっ……」
厳ついサングラスを床に投げてジンの胸ぐらを掴み、ヘルメスを想い涙を流すアリス。
とても真っ直ぐな瞳に、ジンは自分の発言がいかに愚かだったかを痛い程に思い知らされる。
「悪かった……、俺が、完全に間違ってた……」
「……チッ!!」
ジンを突き飛ばすようにして離し、床に倒れるジンにアリスは警告する。
「……いいか。この事は絶対にヘルメスには言うんじゃねぇぞ。――――テメェもだエリーッ!! さっきからコソコソ盗み聞きしやがってッ!!」
床に倒れたまま、ジンが入口に視線を向けると。
ゆっくりとエリーゼが顔を入口から出して現れる。
勿論、アリスだけでなくジンもその存在に気づいていたが。
深刻そうな内容だったのでずっと無視をしていた。
「あ、あはは~……やっぱりバレてましたかぁ~、それにしても随分とまぁ~……すっかりテーブルの見る影も無くなりましたねぇ~。せっかく普通の紅茶をお持ちしたのに、どこに置けば良いのやらぁ~……」
紅茶を入れたカップを手にして引きつった笑みを浮かべ、エリーゼがこの荒れ果てた居間にようやく入ってくる。
そして、ジンも立ち上がって服についた埃を払っていき。
「……何でヘルメスに黙ってんだ? それこそ本人にちゃんと伝えた方が良いんじゃねぇの?」
外部法則を使うには感情の一つを代償にしてしまう。
二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、きちんとヘルメスに告げておくべきだとジンは考えるが。
「ヘルメスは俺の大切な娘同然だ……そんなヘルメスを無駄に混乱させたり、苦しめる必要はねぇ。良いかテメェら、ヘルメスには俺から直接説明する。……絶対ぇに口滑らせんじゃねぇぞ」
「わかってますよぉ~、私こう見えて口も股も固いんですからはんっ!?」
エリーゼの頭部に鬼の形相をしたアリスの拳が激しくぶつけられた。
床に紅茶をぶちまけて意識を失うエリーゼに、ジンは本当に大丈夫なのかと懸念する。
しかし何故このアリスはヘルメスをそこまで大切に想っているのか疑問だった。
それに。
「何で……俺にそんな話を聞かせんだよ。アンタ、俺の事嫌いなんだろ?」
アリスはエリーゼに向けていた鬼の形相を今度はジンに向け。
とても悔しそうに歯軋りを立てながら。
”ある言葉”をジンに送った。
その言葉は、とても意外なものであったが。
ジンはそれを忘れないように、確かに胸に刻んでいた。
今度こそ、失わないように。
こうして、このドルスロッドと呼ばれる小さな村でジンとヘルメスの生活が始まるのであった。




