2話:演者は揃い……
ギリスティア王都へと続く森を一台の馬車が三人を乗せて走っていた。
その中には、三英傑のみ着用を許された純白を基調とした金色の装飾が施されたコートを羽織い、鋭い眼光の厳格な雰囲気を漂わす三十代後半の男性が居た。
ギリスティアの王従士を束ねる存在、三英傑の一人である。
過度なストレスで後退した白髪を綺麗に七三に分けたハインリヒ・コルネリウスが腕を組んで静かに目を閉じて席にもたれていた。
「そろそろ着きますね! コルネリウス様!」
森を走り抜けていく馬車の窓からギリスティアが見えてくると、小柄な少女がハイリンヒの横で淀んだ空気漂う中そう口にして気を利かせる。
金色のショートボブにぱっちりと開いた碧い瞳。
白地のタンクトップの上から、茶色を基調としたコートを羽織っている。
控えめな胸をしており、しっかりと金色のベルトで前を閉めるこの美少女はリディア=エーデルソン。
ハイリンヒと同じく、ギリスティアの王従士に所属する一人だ。
「……あ、あの?」
気を利かせたリディアの発言も虚しく無視され。
馬車の中はずっと無言のまま緊迫とした雰囲気を醸し出していた。
それも無理はなかった。
何故なら全ては、厳重に鎖で拘束された護送中の男。
リディアとハイリンヒの前には、まるで魂の抜け殻のように虚ろな瞳を浮かべる凶悪な犯罪者、狂った錬金術師フェイクの弟子、オプリヌス=ハーティスを護送中だからだ。
「……はぁ。あんたもいい加減何か喋ったらどうなの?」
虚ろな碧眼に前髪を垂らして影を作るオプリヌスにリディアは困り果てた表情でそう告げる。
ジンとヘルメスによって原点回帰を破壊されたオプリヌスは今も放心状態のままだった。
数日間、重要参考人としてハイリンヒと共にオプリヌスを護送しながらギリスティア王都を目指していたリディアだったが。
この重苦しい空気にもう限界が近づいていた。
しかし、ようやくギリスティア王都が見えてきた事で多少ホッとしだしていた。
「リディア=エーデルソン。気を引き締めろ、任務中である事を忘れるでない」
腕を組んで目を静かに閉じたままのハイリンヒがリディアの様子を重苦しい口調で咎めてくると。
「も、申し訳ございひゃへんっ!」
身体をビクッと反応させて舌を噛んで謝罪するリディア。
どうもその雰囲気からしてリディアはこのハイリンヒが苦手だったのだ。
しかし、リディアの気など留める事なくハイリンヒは静かに口を開いていく。
「このクズを本部に無事届けるまで決して油断するな。こいつはあの狂った錬金術師フェイクの弟子……我々ギリスティアだけでなく、その知識を利用しようと目論む者は少なかれ存在するはずだ」
ハイリンヒは目を開け、放心状態のオプリヌスを怒りに満ちた鋭い眼光で睨みつるのだった。
突如、世界に姿を現わした狂った錬金術師フェイク。
禁忌に指定される程のおぞましい式を数多く開発し、世界を蝕もうとする脅威の存在。
オプリヌスはその弟子にあたるのだ。
フェイクの元、錬金術の研究を重ねていたオプリヌスの知識は他の錬金術師の比ではない。
そしてその知識を手にしようとオプリヌスに接触を試みている者達は少なかれ存在する。
「オプリヌス=ハーティスの身柄は何としてもギリスティアが手中に収める」
今では世界中がフェイクの凶行を止めようとその行方を血眼になって探している。
その糸口に繋がるオプリヌスだが。
それと同時に、ハイリンヒは”ある遺物”の行方についても気がかりでなかった。
「ギリスティアに戻り次第……早急に賢者の石の在り処についても吐かせねばならん」
原点回帰の完成には賢者の石が必要不可欠。
オプリヌスが原点回帰を完成させようとしていた事から、賢者の石を所有していた、もしくはその在り処を知っているはずだとハイリンヒは睨んでいる。
その為にまずはギリスティア王都へと帰還し、オプリヌスが口を開ける状態に治そうとしていた。
なので賢者の石の行方を、ジンを知っているリディアはハイリンヒの発言に思わず表情を曇らせてしまう。
何とかそれを悟られまいと必死に話を逸らしていく。
「あ、あの、ヘルメスは……大丈夫でしょうか? テレスさんが王都に来てくれるなんて到底思えませんが……」
ヘルメスの師匠、アリス=テレスは生物の式に精通するプロフェッショナル。
その腕前は元、三英傑であった事からも群を抜いていた。
もしも、オプリヌスの状態を王従士達が治せなかった事態を想定し。
ハイリンヒはヘルメスにアリスを王都まで連れて来るように命じていた。
「ふん。何故かあの大馬鹿者はヘルメス=エーテルを溺愛している。必ず来るはずだ。……必ずな」
元同僚だけあり、ハイリンヒはアリスの事を熟知していた。
だからこそハイリンヒはヘルメスを向かわせたのだ。
微かな笑みを浮かべるハイリンヒに、何故かリディアは背筋がゾクッとしたが。
その瞬間――――
「ぬ……」
「ちょ、な、何なのよこの揺れはっ!?」
外から馬の鳴き声が響くと馬車は急停止をし、大きく揺れだしたのだ。
その衝撃でオプリヌスの身体が床へと落ち。
慌ててリディアがオプリヌスの身体を起こそうとすると――――
「ぐ、ぎゅあぁあぁあ、あああ」
今度は外から馬車を運転していた男の悲鳴が響きだす。
いつも以上にハイリンヒは、眉間にシワを寄せ素早く立ち上がり、リディアの腕を掴み。
「リディア=エーデルソン、緊急事態だ。貴様はこのクズをしっかりと見張っておけ」
予め敵襲が来る事など想定済みだったハイリンヒは冷静にそう言い残し、オプリヌスをリディアに任せて馬車から颯爽と飛び出していく。
「え、あ、こ、コルネリウス様ッ!?」
馬車の中で動揺するリディアと放心状態のオプリヌスを残し。
ハイリンヒは運転手の安否を確認しに行くが。
「……ふん。ただの野盗ではあるまい。この馬車が我々を乗せていると知っていながらこのような行動を起こすとは、相当な愚か者の様だな」
馬車の前に。
漆黒のコートを纏い、仮面で顔を隠し、不吉な眼差しを向ける人物が立っていた。
「大人しくオプリヌス=ハーティスを渡して貰いましょうか。ハイリンヒ・コルネリウスさん」
とても澄んだ綺麗な声を発する謎の男。
ハイリンヒはこの男の声に覚えがあった。
「おかしな事を言うものだ。我らにオプリヌス=ハーティスの居場所を教えてきたのは貴様ではないか。……やはり横取りでもしに来たか痴れ者め」
すると、男は両手を広げ――――掌から赤黒い光を溢れさせていく。
「やだなぁ、横取りだなんて。最初から貴方達にここまでオプリヌスを運んで貰うように頼んだつもりだったんですけどね? ……さて最後の警告です。そこの男性のようになりたくなければ、大人しくオプリヌスを僕に渡してください」
ハイリンヒは地面で静かに横たわる運転手の男に目をやる。
その全身から血を吹き出し無残に転がる姿にハイリンヒは臆するどころか両肘を曲げ、男を睨みつけ戦闘態勢へと入った。
赤黒い光を掌から発しながら謎の男がゆっくりとハイリンヒへと近づいてくる。
「この私に向かってくるとは中々見上げた根性。だが――――三英傑の実力は甘くはないぞッ!!」
三英傑のトップに立つ男と、謎の仮面の襲撃者は衝突し、オプリヌスを巡る戦いが勃発するのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さぁ、着いたぞジン! ここが師匠の病院だ」
塀で囲まれ、そこそこの広さを持つ敷地。
一階建ての建物がその奥にあり、そこに続く一筋の道は美しい花々で溢れている。
まるで楽園のような、とても美しい場所だった。
「さっきまで感じてた視線が急に消えやがったな……やっぱ気のせいだったのか?」
敷地の入り口に到着したジンとヘルメスは周囲を見渡すが、先程から感じていた視線は既に消えていた。
「ふむ……確かに気がかりではあるが、まずは病院の中に入ろう。それから師匠を交えてその件についても後で相談してみようじゃないか」
「そうだな……」
片腕で大きなリュックを担いで、ジンはヘルメスと並んでこの花道を歩き進めていく。
見る限りこの花畑に雑草は生えておらず、枯れた花も一つもない。
とても大切に、丁寧に管理されている事が伺える。
ジンがこの美しい光景に圧倒されていると、ヘルメスが嬉しそうに微笑むのだった。
「フフ、凄いだろ? 師匠は花を育てるのが趣味でな。特に”マスキュア”という花は師匠にとって”とても大切な花”なんだ。ほら、あそこを見てくれ」
歩きながらヘルメスが指差す方向にジンも視線を向けると。
「おぉ……」
心温まるような、綺麗な朱色をした小さな花が沢山咲いている。
少し解読眼の瞳の色に似ている、とジンは感じていた。
「俺は花の事なんて何もわかんねぇけどよ、……あの花だけ小さすぎるっつーか、他とは何か雰囲気が違うよな?」
どことなく、その小さな存在から強さを感じさせる独特な雰囲気を持つマスキュアと呼ばれる花。
ジンの率直な感想にヘルメスは喜んで答える。
「そう、あの花は他とは違うんだ……。昔までマスキュアは蕾が開花しないような、そんな弱々しい花だった。でもな? 学者も驚くような、ある不思議な条件を満たす事で蕾は開花してあれだけの強さを感じさせる花になったんだ」
「不思議な条件……?」
「フフ、また今度にでも教えてやるよ。さぁ、玄関はもうすぐそこだ行くぞ」
上機嫌で歩を進めるヘルメスと、重石入りのリュックを背負って息を荒げるジンが、花畑をどんどん抜けていく。
そして、遂に目的地の入り口へと到着したのだった。
そこでジンはつい不安を漏らしてしまう。
「なぁ……ヘルメスの師匠ってのは本当に大丈夫なんだろうな?」
今の所、ジンはヘルメスの師匠について大雑把な事しか聞かされていない。
誤解されがちだがとても繊細で、ヘルメスが認める程に綺麗な人物。
そして、生物に関する式に長けており元、三英傑の一人。
あとは花を育てる事が趣味で、現在は病院を経営して医者をしている事ぐらいだった。
「前にも言ったろ? 自分の師匠だぞ? 何も心配しなくて大丈夫さ。ジンの事をちゃんと説明すればきっと師匠なら快く協力してくれるよ」
そう言って玄関に吊るされた鐘を大きく鳴らすヘルメスだった。
しかし、ジンには少し不安が残っている。
このヘルメスの事は信用する事ができた、しかしそれでも。
やはりジンは人間が、錬金術師が少し恐い。
ジンが俯きながら不安に満ちた表情をしていると、玄関の向こうから陽気な声が聞こえてくる。
「は~い、は~い、今出ますよ~っと」
すると扉はゆっくりと開かれ。
丈の短いナース服を着た、ヘルメスと身長が同じぐらいの若い女性が隙間から顔を出す。
ピンク色の長髪を一つに纏め、眠そうな碧眼が特徴的で。
のほほんとした見た目は癒しに似た雰囲気を醸し出している。
その姿にヘルメスは礼儀正しく頭を下げ、笑顔で挨拶を済ませた。
「お久しぶりです、”エリーゼ”さん。お変わりないようで何よりです」
それを見たエリーゼは扉を物凄い勢いで完全に開き、笑顔のヘルメスに目を輝かせて。
「きゃ~っ! ヘルメス様~っ! も~、手紙が着てからずっと待ってたんですよ~? 随分遅かったじゃないですかぁ~♪」
「も、申し訳ございません。少しここに来るまでに立ち寄った場所がありまして……」
いきなりヘルメスの両手を握ったかと思えば、飛び跳ねて歓声をあげるエリーゼにヘルメスは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
その様子をジッと横で待機して見つめるジンの存在にようやくエリーゼが気づき、今度はジンに満面の笑みを見せていく。
「おぉ~っ!? こちらの方がヘルメス様がどうしても会わせたいと手紙に書いていた殿方ですね~っ!?」
エリーゼは興味津々とばかりに、素早い身のこなしでジンの身体を奇妙な動きで観察していく。
思わず残像でも見せそうなその素早い動きに翻弄され、ジンは困った表情でヘルメスに助けを求める。
「おい……何だこの妙な女は」
興奮気味のエリーゼの姿にヘルメスは片手を額に当てて溜息を吐き。
「はぁ……そちらは”エリーゼ・カピラ”。エリーゼさんだ。医者として活動する師匠の助手をしていくださっている。まぁ、少し変わった人だが心配ない……はずだ」
ヘルメスの変な人という発言を受け、ようやくエリーゼは動きを止めて何故かその場で嬉しそうに敬礼をしだす。
「あはは~、エリーゼ・カピラでございますっ! ピチピチの19歳で趣味はエロ本収集とセクハラでありますっ! どうか宜しくお願い致しますっ!」
その見事な敬礼と、元気の良い自己紹介にジンは目を泳がせながらヘルメスに視線を向ける。
ヘルメスは頬を染めながらエリーゼから視線を逸らして俯いていた。
どうやら身内の恥ずかしい言動にヘルメスは羞恥心を煽られていたみたいだ。
「さてさてっ! ヘルメス様~、私にもこちらの殿方を紹介して貰えませんか~?」
人差し指を唇に当てて、満面の笑みを浮かべてジンの紹介を求めるエリーゼ。
「そ、そうですね」
少々、疲れた様子を見せながらヘルメスは腰に手を当ててジンの方に手を伸ばして紹介を始める。
「彼の名はジンです。……詳しい紹介は色々と問題があるのでまず中に入ってからでお願いします。今は師匠も居ますか?」
あまり外でジンの事について話すのは危険。
それに、ヘルメスはここ数日の長旅で疲れていた。
今は少しゆっくりとしたかったのだ。
ジンはジンで、明らかに警戒心を強めて先程から口数が少なくなっている。
「なるほど、ジン君ってお名前なんですね~? ……で、マスターですか~? マスターならヘルメス様からお手紙が届いた時点で半引きこもり状態でず~っとお待ちしてられますよ~――――ただ……」
エリーゼは急に真剣な表情になってジンを心配そうに見つめていく。
すると――――
「っ!? ふ、伏せろテメェらッ!!!」
この場に凄まじい殺気を纏って近づく存在にジンはいち早く気づきヘルメスとエリーゼに注意を呼びかけた。
「あらら~……」
凄まじい殺気が病院内から放たれ。
「不味い……っ!!」
続いてヘルメスもその殺気に気づき、エリーゼの頭を押さえつけるようにしてその場に伏せ。
ジンも急いで殺気を帯びたソレを避けようとしたが。
「な!?」
重石の入ったリュックを背負うジンは、いつも通りの感覚でソレを避けようとするも――――
「ジンっ!?」
「あちゃ~……」
身体が思い通りに動かず、鎖で繋がれた刺々しい鉄球がジンの顔面へと直撃してしまう。
血飛沫をあげ、ジンはそのまま後ろへと吹き飛ばされていく。
このドルスロッドに到着してジンは二度目の死を迎えてしまった。
そして病院の中から、野太い叫び声と共に息を荒げる一人の人物が姿を現す。
「ぜぇっ、ぜぇ、はぁ、……ッ、――――俺様のヘルメスに手ぇ出しやがるとは……。のこのこ俺様の元に来やがってッ!! テメェ死ぬ覚悟は出来てんだろうなああああああああッ!!!!!」
金色のオールバックにもみ上げと繋がった逞しい髭。
厳ついサングラスをかけ、真っ白なスーツをビシッと着込み、その上から白衣を纏う筋肉質の男。
よく磨かれた黒の革靴が光に照らされ、静まり返ったその場へと近づいてくる。
ヘルメスとエリーゼは病院内の存在に振り向き驚きの声をあげていく。
「し、師匠っ!?」
「うわぁ~……マスタ~……流石にやりすぎですよぉ?」
そこにはモーニングスターを握り締め。
大量の青筋を浮かせ、鬼の形相で現れた男が涙を浮かべていた。
スーツ越しでもわかる程の屈強な筋肉を持つ男が目を血張らせ、鎖を両手で握って息を激しく荒げている。
この人物こそがヘルメスが自分よりも綺麗と称していた師匠こと、アリス=テレスである。
「一体どういう事ですかっ! こ、答えてくださいっ! ジンが何をしたと言うのですかっ!?」
先程、アリスから放たれた刺々しい鉄球がジンの顔面に直撃した事に戸惑いの叫びをあげるヘルメス。
玄関で怒り狂った様子を見せるアリスの元へ駆け足で近づき、事情を聞きだそうとする。
「黙っていてはわかりません! きちんと説明してください!」
怒り顕に問い詰めるヘルメスに、大量の青筋を浮かばせていたアリスは。
「ヘル、メス……うぉおおおおおおッ!! 愛しのヘルメェエエエエエスッ!! 会いたかったぞぉおおおおおおッ!!!」
アリスはその太い両腕でヘルメスの身体を力強く抱き締め、大量の涙を流す。
「な、泣く程の事ですか!? というか色々とどうしてしまったんですっ!?」
抵抗する間もなく、あっという間に抱きしめられたヘルメスは目を大きく見開いて驚きを隠せないでいた。
大の男が泣き叫ぶ姿はとても異様なもので、ヘルメスが困惑していると背後からエリーゼが両手を少し上げて首を振る。
「やれやれですねぇ~……相変わらず子離れが出来ないというか。ここまで来ると親バカを通り越してただの異常者ですねぇ~」
エリーゼの失礼な発言など気にも留めず、アリスはただひたすらヘルメスを強く抱きしめ、ヘルメスの顔に涙を流しながら激しく頬ずりをしていく。
「ひ、酷いじゃねぇかぁああああああああッ!! 全然会いに来ねぇかと思えば、会わせてぇ野郎が居るだぁッ!? 俺は絶ッ対認めねぇぞッ!! どこの馬の骨とも知れねぇ野郎に俺のヘルメスは渡さねぇええええええッ!!!」
先程まで凄まじい殺気を放っていた恐ろしい姿も今はなく。
そこには娘を溺愛する馬鹿親と言うより、もはや泣き叫ぶただの異常者が二人の少女を困らせていた。
もみあげまで繋がった顎髭を激しく擦りつけられ、ヘルメスが苦痛の表情を浮かべていく。
「い、一体何を、っ、ひ、髭が、いっ、痛いですってばっ!」
肌を削ぎ落とす勢いで頬ずりしてくるアリスに耐えかね、ヘルメスは思わずアリスを突き飛ばしてしまう。
だがそのショックはアリスにとっては計り知れないもので。
「な、こ、これが噂に聞く……反抗期ってやつなのかッ!? う、ぉ、お、おおおおおおおおおおッ!!!」
アリスは地面に突っ伏し、そのまま哀しみを打ちつけるように号泣しながら拳を激しく何度も地面にぶつけていく。
すると周囲に地響きが起こり、ヘルメスとエリーゼの身体を大きく揺らしていく。
「ま、マスター! す、少しは落ち着いてください~!」
「ちょ、師匠っ! ご近所というか……む、村全体に迷惑が掛かりますってっ!」
ヘルメスの身体能力は常人を遥かに超えているが。
流石はそのヘルメスを鍛えただけはあり、アリスの怪力は桁外れだった。
アリスがこうして激しく地面に拳を打ちつければ、このドルスロッド全域にまでその振動を伝えて地震を起こす事も可能だった。
「馬鹿野郎ッ!! こんな状況で……落ち着いてられるかぁッ!! ようやく……ようやく会いに来てくれたかと思えば……男なんて連れてきやがって……ッ!! しかも……反抗期ときたもんだ……ッ!! 落ち着けるかこんチクショウめぇッ!!!!!」
このままでは親バカをこじらせたアリスが引き起こす地震でドルスロッドが壊滅する勢いだった。
ヘルメスとエリーゼの脳裏に最悪の事態が過ぎるが。
一人の青年の目覚めによってこの地震は間もなく終了する。
「……ッ!? あれ? 急に治まりましたねぇ~。……あ~、良かった良かった~」
「急にどうしたんだ……?」
アリスは何かが起き上がる事に気づき、地面に打ちつけようとしていた拳を止めていたのだ。
そして号泣していた態度とは打って変わり、再び殺意に満ちた表情でその場から立ち上がっていた。
「……お前ぇ何者だぁ? 確かに殺したはずだが……へっ、奇妙な身体してやがる」
厳ついサングラス越しにアリスが視線を向けると。
そこには先程、自分が殺したはずの一人の青年が。
賢者の石によって蘇ったジンが凄まじい殺気を放ちながら立ち上がっていた。
重石の入ったリュックは既に放り投げられており、ズボンのポケットに手をつっこみ眉間にシワを寄せて青筋を浮かべていた。
「じ、ジン?」
ジンの異常な殺気にヘルメスが心配そうに呼びかけてみるが。
「軽々と殺してくれやがってよぉ……このチンピラ風情が……ッ! 痛い目見せてやんよ……ッ!!」
余程痛かったらしく、ジンは完全にキレていた。
だが。
「がははは、言ってくれんじゃねぇかクソガキ……ッ!! このファッションが理解できねぇとは相当イカれてやがるみてぇだな……ッ!! テメェみてぇなイカレ野郎は金輪際ヘルメスに近づけねぇようじっくり教育してやる……ッ!!!」
顔に手をあて、腹をよじらせて爆笑していたアリス。
だがアリスはアリスで、目を血走らせながら額に大量の青筋を浮かべ、鬼の形相で不気味に微笑んでブチギレていた。
「いやぁ~、マスターのファッションセンスは中々理解されないと思いますよぉ~?」
「ちょ、エリーゼさんあまり師匠を刺激するな!」
殺気を迸らせる二人の男達と、マイペースを保つエリーゼの三名に慌てふためくヘルメス。
しかし、男達の耳にはもう外野の声は聞こえない。
己の怒りに従い、目の前の相手をぶち殺す。
それだけしか考えられなくなっていた。
「イカレ野郎だと……ッ!? ッ、……ケッ。ならお前ぇは何なんだよ……ッ!! 若作りしてるつもりかもしれねぇが――――見てて痛々しいんだよチンピラジジイッ!!!」
まずジャブ程度の煽りで挑発しつつ、攻撃を仕掛けたのはジンだった。
勢いよく地面を蹴って飛び出し、血管を浮かせた左手を広げて襲い掛かる。
「痛々しいだ、と……ッ!? ……テメェッ!!! ぶっ殺すッ!!!!!」
アリスは凄まじい速さで突っ込んでくるジンを圧殺しようと、己の筋肉を最大限にまで膨張させ、迎え撃とうとする。
あまりに膨れ上がった筋肉によりスーツの至る箇所が破けていく始末。
「テメェみてぇなクソガキにヘルメスは絶対に渡さねぇ……ッ!! ――――どうしてもヘルメスが欲しいけりゃ俺を殺して奪えぇえええええええ」
「わけのわかんねぇ事、言ってんじゃねぇぞ――――このチンピラ風情がぁああああああああああ」
互いに腹の底から怒り叫び合う。
その壮絶な怒りの込もった拳がぶつかり合おうとした瞬間。
「「ッ!?」」
ヘルメスが拳を握り締め、両手を掲げてジンとアリスの間に入ってきていたのだ。
ジンとアリスは怒りに我を忘れ、周囲が見えていなかったせいでヘルメスの存在に気づかなった。
二人は青ざめながら急いで動きを止めようとするが。
「いい加減に……しろぉッ!!」
二人の頭上にヘルメスの拳は勢いよく振り下ろされ。
「「ぶふッ」」
大きな鈍い音と共に、ジンとアリスは白目を剥いてその場に倒れ込んでしまった。
微かに身体をピクつかせる二人の姿はあまりにも哀れだった。
「たくっ……何なんだこの二人は」
腰に手を当て、片手で眼鏡のズレを直しながらヘルメスが眉をひくつかせていると。
「もう~、あんまり恐い顔しちゃ駄目ですよ~。せっかくの美貌が台無しですよぉ~?」
「きゃっ!?」
ピンク色のポニーテールを揺らし、エリーゼがヘルメスの背後からその強張った表情を崩してやろうと両脇に手をスルリと入れて胸を揉みしだこうとするが。
「な、何してるんですかッ!!」
ヘルメスは自分の胸にわきわきと卑猥な動きで迫るエリーゼの両手を間一髪の所で脇で掴んで阻止する。
「チッ。……おぉっと、失礼致しました~。いやぁ~、場を和ませようかと? それに……ヘルメス様のお胸が一段と成長を遂げていたようなので、つい♪」
「つい、じゃないですよっ! 何で和ませようとして自分の胸を揉もうとするんですかっ!! ……はぁ」
背後から顔を覗かせ、ヘルメスの胸をジッと見つめて残念そうにするエリーゼを一旦離す。
「さて……勝手に上がらせてもらうとするか。一気に疲れてしまった……」
意識を失って倒れる二人の男を、ヘルメスは軽々とそれぞれ足を掴んで引きずりながら病院の中へと入っていく。
ヘルメスの後姿に舐めるような視線を這わせて涎を垂らすエリーゼだった。
「じゅるり、あぁ~ん、やっぱり後姿も素敵ですヘルメス様~。ぜひともあの桃尻に満足いくまで顔を埋めてふがふが堪能したいですねぇ~。うふふ。待ってくださいよ~、ヘルメス様~」
ジンとアリスはヘルメスに引きずられ、所々段差で頭を盛大にぶつけながらそのまま病院の中へと連れていかれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして、ここは居間に位置する部屋。
いがみ合う男達と、冷静なヘルメスと陽気なエリーゼが一つのテーブルを囲むようにして椅子に座っていた。
「……はぁ、何で俺が可愛いヘルメスに怒られにゃならねぇんだ」
「……元はと言えばお前ぇのせいだろクソジジイ」
「んだとクソガキィ……ッ!!」
「あん? やんのかぁッ!?」
力を極力抑えながらテーブルを叩くアリスだが、それでもテーブルにヒビが入ってしまう。
「ごほん」
するとヘルメスの咳払いが二人を一瞬で静かにさせる。
ジンとアリスは背を丸めて萎縮するように俯いてしまう。
しかし、元はと言えばヘルメスがアリスに送った手紙が原因なのだ。
アリスの横で、両肘をテーブルについて陽気な笑みを浮かべるエリーゼが告げる。
「まぁ、私はマスターの気持ちはわからないでもないですよ~? だってヘルメス様の手紙には『師匠に会わせたい男性が居るので近々、挨拶に参ります』って事しか書いていませんでしらからねぇ~。てっきり私はヘルメス様が彼氏でも連れてくるものだと期待していたんですがねぇ~」
「ざっけんなぁッ!! んなもん連れてきやがったらぶっ殺してやるッ!!!」
「うっせぇんだよクソジジイ! その馬鹿デカイ声下げろっての!」
「いや、さっき説明したじゃないですか……。誰かに手紙の内容を見られては困るのであれぐらいの文しか書けなかったんですよ……」
アリスはその手紙の内容を読んだ瞬間、目の前が真っ暗になって死にそうになった、と語っていた。
怒り顕となり凄まじい殺意を放ち、ドルスロッドにいる動物全てが危機を感じて一斉にけたたましい鳴き声をあげたという程だ。
村人達に関しては天変地異の前触れだと大騒ぎをしていたらしい。
「怒りのあまり……思わず世界をぶっ壊しちまいそうになったぜ……」
恐ろしい発言をするアリスに、ヘルメスは両手で顔を覆ってうな垂れてしまう。
だが、誤解は解けた。
ジンとヘルメスの出会い、そしてここに来るまでの経緯をある程度掻い摘んでヘルメスは説明を終えたのだった。
「にしても……」
アリスは厳ついサングラスを外してテーブルに置き、朱色の瞳で改めて正面のジンの式を見つめだす。
「あのフェイクが構築したっつー偽人だとはなぁ。しかも賢者の石のオマケ付きってか? 道理でただの偽人にしては妙な式をしてやがると思ったぜ」
アリスはジンが偽人である事に最初から気づいていた。
何故ならアリスは、ヘルメスと同じく解読眼を持っているからだ。
病院の入り口に立つジンの正確な位置とその異常な式を解読眼で予め見抜いていた。
「偽人なんて私初めてみましたよぉ~、ジン君の身体もとい肉体に俄然興味が湧いてきましたよっ! ぜひとも私に隅々まで見せてくだひゃっ!?」
軽くアリスに叩かれたエリーゼは、涙目になりながら両手で頭を押さえて顔を伏せていく。
その様子にジンは不安をどんどん募らせていた。
「なぁ、ヘルメス……。千歩譲ってジジイは良いとして……あの痴女、大丈夫なんだろうな。だいぶ頭のネジがぶっ飛んでやがんぞ」
横に座るヘルメスが、ひそひそと囁くジンに相槌を打ち。
「あの人は昔からあんな感じだ。悪い人ではないんだが……その、自分も少々苦手だ」
エリーゼのセクハラは男女問わず、特にヘルメスはその餌食となっていた。
「おいクソガキッッ! ヘルメスに近づきすぎだッ! もっと離れろ殺すぞッ!」
アリスはアリスで、ヘルメスの事を実の娘のように溺愛しており。
ヘルメスをたまにこうして困らせていた。
「はぁ……師匠もさっき見たでしょ? 説明した通り、何度殺そうとジンは死にません……。それにジンは自分の恩人です、いくら師匠でも物騒な発言は謹んでください」
「うっ……」
ジンを庇うヘルメスの発言に、アリスは腕を組んだまま恨めしそうにジンを睨みつけてたじろいでしまう。
「……で、アンタ。元、三英傑だったんだろ? なら黒い歯車の解き方とか知らねぇの?」
「黒い歯車、ねぇ……」
真剣な表情のジンに、アリスも同じく真剣な表情となっていく。
今もジンを苦しめる黒い歯車。
狂った錬金術師フェイクが開発した、完全に構築者の命令に従わせる禁忌の式。
それを解く鍵を、アリスは握っているかもしれないのだ。
場が一気に静寂に包まれる。
そして、アリスはようやく口を開いていく。
「――――よく聞けクソガキ」




