1話:不穏な壇上
「うへぇ……。くんくん……あー……そろそろホント腹減って死にそうだー、飯にしようぜ! 飯!」
ジンは口元から涎を垂らし、鼻をひくつかせて周囲に右往左往と首を振って目をギラつかせていた。
そして恥じることなく、けたたましい腹の音を鳴らしてヘルメスに空腹を訴える。
「やれやれ……。どうやら近道と言うだけでここを通ったのは失敗だったみたいだな」
大きなリュックを背負って平然と歩いていたヘルメスは自分の選択が失敗だと気づき、額に手を当てて眉を潜めてうな垂れてしまう。
それとは対照的に、手ぶらのジンは腹を押さえて前のめりになってすっかりと頬を痩せこけさせていた。
「お、おいヘルメス! あそこから凄ぇ良い匂いがすんぞ!?」
食べ物の匂いを嗅ぎつけたジンは鼻腔をひくつかせながら、今度こそはという思いで一軒の建物を差し目を輝かせたのだった。
その様子にヘルメスはただひたすら溜息しか出てこなかった。
「……ジン、君の胃袋には泥棒でも居るのではないか?」
ドルスロッドに到着してすぐ、二人はヘルメスの師匠が経営する病院へと向う近道として中央広場を通り過ぎようとしたのだ。
しかし、そこにはジンを先程から誘惑する数多くの罠が張られていた。
この中央広場は小規模ながらも、様々な店が密集して展開されている。
このドルスロッドという小さな村における商店街のような場所なのだが、この通りに関してはやけに飯屋が多くヘルメスの頭を悩ませていた。
「はぁ……一時間程前に馬車の中で何か食べていたじゃないか。もう……適当にその辺の石ころでも飴の代わりに舐めてみたらどうだ?」
数店舗の飯屋から食欲がそそるとても良い匂いが漂う。
このような場所でヘルメスの無情な言葉が空腹のジンを激しく動揺させる。
「じ、冗談だろ!? こんだけ旨そうな匂いしてんのに……石ころなんかで満足できるわけねぇだろっ! ほ、ほらっ、あそこ見てみろよっ! 世界が認める絶品料理店って張り紙があんぞっ! あそで飯食ってからでも遅くねぇだろっ!? ――――よしっ!!」
「ちょ、おい……」
飯屋の看板に掲げられる謳い文句の書かれた張り紙を見つけると全速力でジンは飢えたハイエナのようにヘルメスを置いて走り去ってしまう。
「ひゃっほーっ! 飯っ! 飯だーっ!」
確かにヘルメスの言うように。
強靭な顎と歯を持ち、ありとあらゆる物質の式を体内に納められるジンならば本当に石ころを飴のように喰う事もできるが。
「石なんて喰ってる場合じゃねぇっ」
この場所ではあまりにもそれは酷と言うものだ。
そして。
「グルルゥッ」
飯屋の外から窓ガラスに全身で張り付き、中の客と料理を血走った目で睨みつけて威嚇するジンであっった。
犬のように呻り声をあげて中の客を無駄に怯えさすジンをヘルメスは慌てて走り出して引き離そうとする。
「こ、こらっ! 何をしているんだっ! 中の人が怯えてるではないかっ! って、ちょ、お、面白がって餌を与えようとするのは止めてくださいっ!」
窓ガラスの向こうには家族連れがおり、先程まで家族団らんの食事を楽しんでいた夫婦は今や完全に怯えきっていたが。
「きゃはは、ママー? これ面白ーい」
幼い子供の方はジンの飢えた猛獣のような表情を見て、飯屋を動物園か何かと勘違いしているのか、フォークで刺したウィンナーを大喜びで窓に向けて差し出していた。
思わずヘルメスは声を荒げてしまう。
「ば、馬鹿っ! もしも通報されて王従士が来たらどうするっ! そ、それに……かなり見られてるぞっ!!」
銀髪に金色の瞳を持つジンの容姿はただでさえ目立つというのに、今のジンは呼吸を荒げて涎を滝のように流れ出して完全な不審者となっている。
ヘルメスは周囲の視線に顔を火照らせ、急いで片足を壁につけて両手でジンの服を引っ張るが、ジンはそれでも必死に抵抗してくる。
「あのガキがやるって言ってんだ……ッ!! 邪魔すんじゃねぇよ……ッ!!」
「ライオンか何かと勘違いされてるだけだっ!! っ、こんの……っ!!」
全力で踏ん張るジンにヘルメスも遂に本気を出す事に。
「……っ、いい加減に……っ! しろぉッ!!」
すると急に。
とんでもない引力に呑み込まれるようにジンの身体が少し宙に浮き始め。
「うぉっ!? ちょ、ま、待てぇえええええええええっ!?」
ジンの身体は完全に足場を失ってヘルメスに服を引っ張られて華麗に宙を舞っていき。
「ふ、ぬぅ……っ!!」
まるで巨大魚を一本釣りする感覚でそのままジンの身体をヘルメスは後方へと叩きつけてしまう。
「ぶふぁっ」
頭部の骨が陥没、あるいは粉砕される勢いだった。
「ふぅー……やれやれ、これにこりたら二度と同じ事はするんじゃないぞ?」
ジン程の力を持つ者を無理矢理引き離すには相当な力を使うらしく、ヘルメスは額に汗を流していた。
腕の裾で額の汗を拭い終わり、ジンへと振り向いてみるが。
「……」
「……む?」
まったく反応が無いジンの前でとりあえず冷静にしゃがみ込むヘルメス。
「……おーい、ジーン?」
両手をジンの耳元にかざして呼びかけてみるが。
「……」
ジンの反応がやはり無い。
「えと、ジン……?」
ヘルメスの背中に嫌な汗が伝ってくる。
どうしたものかと口元に指を置いて思考を巡らせていると。
「お、おいおい今の何だありゃ……?」
「あんな細い身体でどうやって……」
「そ、それより男の方……死んでねぇかっ!?」
この中央広場に訪れていた村人達が次々とヘルメスとジンを囲って野次馬を作り出していた。
ジンは未だ地面に激しく叩きつけられて横たわったままピクリともしない。
周囲の村人達がその状況によどめきだす。
「不味いぞこれは……」
村人達からしてみればヘルメスが人殺しにしか見えない。
そうなれば色々と厄介な事になってしまう。
ヘルメスは顔を真っ青にさせると考え無しで勢いよく立ち上がり。
「み、皆さん! じ、実は自分と彼は旅芸人なんです! あ、あはは。これは芸の……一つです!」
咄嗟に出たその発言に心の中でガッツポーズを取り、得意気な表情で自分を褒めてあげたくなるヘルメスだった。
両手を掲げ、頑張って満面の笑顔を作ってみせるが。
やはり僅かに口元が引きつってしまっている。
「旅芸人……?」
「でも……よく見てみろよ。……あのコートからして錬金術師じゃないのか?」
村人達の疑惑が深まっていき、その眼差しがヘルメスに突き刺していく。
まさか、こんな所で錬金術師が愛用するコートが仇になるとは思いもしなかった。
だが、それでもヘルメスは諦めず残念な脳をフル回転させて何とか機転を利かせていく。
「あ、その、じ、実は自分は錬金術も扱うのですが、芸もする者でして……と、とにかく! 普通あれ程のダメージを受けてしまえば即死ですが! か、彼は何と無傷で起き上がってしまうのです!」
我ながら胡散臭い、と改めて自分が嘘を吐くのが苦手な事を自覚するヘルメスだった。
「……おい、ジンどうした。……もう大丈夫なのだろ?」
あまりにも遅すぎる。
そろそろジンの損傷は賢者の石によって再生されていてもおかしくないはず。
だが、ジンは未だ起き上がらない。
ヘルメスは不安になりつつ、大きく手振りをしながら、横たわるジンに小声をかけて視線をチラっと向ける。
すると。
「……ぷっ」
必死なヘルメスの姿に堪えられず、ジンは笑い声を微かに零してしまう。
既にジンの身体は再生され、目を覚ましていたのだ。
しかし、飯屋に連れていってくれなかったヘルメスへの仕返しとばかりに死体を演じきっていたのだった。
「……」
よく見てみると、ジンの口元も先程から僅かに歪んでいる。
それに気づいたヘルメスの耳に周囲のざわめく声が聞こえてくる。
「や、やっぱ起きないわよあの人……」
「おいおい……だ、誰か医者を呼んで来た方が良いんじゃないか?」
「え、いや、その、こ、これは……ち、違うんです! ほ、本当に大丈夫ですから!」
完璧な死体を演じきるジンの姿と村人達の反応に、ヘルメスは大量の汗を流して両手をあたふたさせて困り果てた姿を見せていく。
ジンはそんなヘルメスの姿を微かに開いた目で確認し、そろそろ気も済んだし起き上がってやるかと考えていると。
「……あの程度では皆さんに驚いてもらえないと思っているんでしょうかねー」
あれ程あたふたしていたヘルメスが急にその動きを止めたかと思えば、冷静な口調で淡々と喋りだした。
ジンが違和感を感じていると。
「……もう少し強めに……それこそ地面に貫通する勢いで腹にもう一発打ち込んでみましょうか……そうすれば……きっと起きるはずですねー……」
「はぁっ!?」
おぞましい発言と、前髪で影を作って拳を激しく握るヘルメスの姿にジンは顔面を蒼白させてすぐに飛び起き。
「い、いえーい! こ、この通り俺は無傷でーす!」
地面と身体が貫通する程のダメージはジンも御免だった。
左手を仰々しく掲げ、野次馬達に手を振り。
顔をひくつかせながらジンがヘルメスに視線を向けると。
「……」
腕を組んで冷ややかな視線を送ってきている。
気のせいか、あれはまるでゴミを見るような目だ。
「あ、あっはっはは……」
恐怖によって強要された笑顔を振りまいて乾いた笑い声を零すジンだった。
「おぉ!? 本当だ!! あいつ生きてんぞ!?」
「う、嘘ぉ!?」
「どういう事だ!? ありゃ完全に頭やられてたはずだぞ!?」
野次馬と化していた村人達から次々と賞賛の拍手が響き出す。
「どうやら、上手く……いったみてぇだな?」
「……ふぅ。”おかげ様”でな」
どうやら本当に旅芸人と勘違いさせる事に成功したようだ。
ヘルメスはジンの頭を掴んで深々と下げさせ、自分も同じくお辞儀をしてから逃げるようにジンの腕を引っ張ってその場から足早に立ち去っていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
周囲のギャラリーを巻くにはとても苦労させられた。
ジンとヘルメスの後を追ってくる数人の野次馬達から何とか逃げきり、現在はとある飯屋の中に居た。
「……はぁ、自分は甘いな。つくずくそう思うよ、本当に」
ヘルメスはテーブルに肘をつき、山盛りに重ねられる皿を淀んだ瞳で見つめていた。
先程のような事がまた起きても困るので、ヘルメスはジンの空腹を満たす為に仕方なく飯屋に訪れていたのだ。
「フフ、しかし……本当によく食べる奴だな。どうだ? 満足して頂けたかな?」
透明なグラスに注がれた水を一口含み、大量の皿に隠れたジンに対して優しく微笑むヘルメス。
それにお構いなしでガツガツと勢いよく食べていくジンの姿は思わず見ているこちらまで気持ちよくなってしまう程だった。
「ふぅー……ごっつぉさん。いやぁ、おかげさんで少しは和らいだぜー」
どうもこのジンは空腹が近づくと少々、暴走してしまうフシがある。
それが偽人の特徴なのかヘルメスにはわからない。
山となった皿を少し横にどけて満足気に爪楊枝を口にするジン。
「それだけ食べたと言うのにまだ食べれるのか? 君の胃袋はどうなってるんだ……まったく。フフ」
すると、ジンは頭を掻きながらバツの悪い表情になっていく。
「んー……、今まで腹一杯になった事は一度もねぇ……」
その言葉に、ヘルメスは首を傾げてしまう。
「一度もって……九年間の間に一度もなのか?」
「……あぁ」
狂った錬金術師フェイクに偽人のジンが構築されて九年が経つ。
だが、その人生の中でジンの腹は一度も満たされた事が無かった。
その原因はジンすらもわからないと言う。
「とことん偽っと……ジンの身体は謎だらけだな。だが、もしかするとその原因も師匠に聞いてみればわかるかもしれんな」
一瞬、偽人という単語を口にしそうになったヘルメスだが。
このように大勢の人が居る場所で偽人等という単語は不用意に混乱を招いてしまうかもしれないと考え、改めてジンと言い直したのだった。
ジンもそれはわかっているので、賢者の石等の単語は口にしないようにしている。
「とりあえず空腹も少し収まったしそろそろ師匠とやらの所に行くとすっか」
「自分は最初からそう言っていたはずなんだがな……」
ジンが席から立とうとするが、何故かヘルメスは立ち上がろうしない。
そしてヘルメスは一枚の紙をジンへと突きつける。
「何だそりゃ? 悪ぃがデザートに紙切れはねぇよ……」
「ち、違う! よく見ろ! ……もし字が読めないのなら自分が読んでやるがどうなんだ?」
偽人のジンがまず字を読めるのか疑問だったヘルメスだが。
ジンはルルによってこの世界を生きる為の、ある程度の基礎知識を叩き込まれていたので難なくその紙に書かれている内容を読む事ができた。
「……請求書、か」
金銭感覚なども一般人並みに今のジンは持ち合わせている。
だからこそジンの額から一筋の汗が流れ、喉を鳴らせた。
「その通りだ……」
灼熱の荒野を歩こうが涼しい顔で汗一つ流さなかったヘルメスも額から汗を流していく。
あまりの請求額に、ジンとヘルメスの間で凄まじい緊迫感が襲っていた。
「ここに来るまでの旅で自分も理解したよ。……どうやらジンと一緒に旅をすると食費がとんでもない事になるらしい」
ここに訪れるまでに立ち寄った観光地で稼いだ大金がこれで完全に消えてしまう。
床に視線を落とし、せっかく嫌がるヘルメスの身体で稼いだ大金が消えてしまった事に深く反省するジン。
「悪ぃな……俺なんかのせいで」
だが、ヘルメスから返ってきた答えは意外なものだった。
「誰だって失敗する事はあるさ。だが、反省して同じ過ちを繰り返さなければ良いだけの話だ。そもそも勘違いしているようだが自分は別に怒ってないぞ?」
ジンが恐る恐る視線をゆっくり上げてみると。
確かにヘルメスの表情は何故か笑っていた。
「プッ、フフ、これ程の額になるまで気づかないまま夢中で食べ続けるジンが何だか面白くてなぁ。さっきのお返しに少しからかってしまったんだ。それにしても予想外に可愛らしい反応をしてくれるな、んー? 「悪ぃな……俺なんかのせいで」プッ、気にしすぎだ。そう深刻な表情になるな」
請求書をテーブルに置き、ヘルメスは身体を震わせて腹を抱えて笑いを堪えていた。
その姿にジンは安心したのか、椅子に再び座って額を手で押さえながら。
「笑えねぇ冗談かましやがるぜ……勘弁してくれよ」
ヘルメスにとって自分が負担になっている事実に、また独りぼっちになるかもしれないと本気で恐れていたのだ。
恩人のルルとよく似たヘルメスと出会った事で、賢者の石の器である黒匣という存在の心は再び大きく変化しようとしていた。
「いやぁ、すまんすまん。まさかジンがそこまで落ち込むとは思わなかったもんでな……。自分も反省しないとな」
自分に優しくこうして微笑んでくれるヘルメスは、ジンの心を暖かくしてくれる。
人間に利用され、恐れられ、蔑まれ、恨まれてきた時には感じた事のないものだ。
今まで、ルルと呼ばれる一人の女性からしか感じた事の無いこの感情。
ヘルメスの笑顔は、黒匣に向けられる笑顔とはまったく違う。
その優しさこそ、ジンがずっと求めてきたものだった。
「……りがとな」
ズボンのポケットに手を仕舞い、横の方に視線を向けてポツリとその言葉がジンの口から囁かれた。
「……。ん? 何か言ったか?」
ヘルメスの耳にそれが聞こえていたのかはわからない。
ただ。
静かにとても優しい笑みを浮かべていた。
「あん? 何も言ってねぇよ! とりあえず”これから”喰う量は少し抑えるッ! これで文句ねぇだろッ!?」
「フフ、どのみちもうお金は無くなったからな。また今みたいな量を食べさせろと言われても無理な相談だがな」
ヘルメスは一度テーブルに両手をついて静かに立ち上がり、請求書を手に取って会計に向かおうとする。
店で食べる料理は何故ここまで高いのか疑問に思っていたジンは自然と呟くのだった。
「……ヘルメスの料理の方が旨ぇのに……この店ボってんじゃねぇだろうなぁ……」
その言葉に、ヘルメスの動きが一瞬止まる。
この飯屋は先程、ジンが必死に離れようとしなかった店。
世界が認める絶品料理店。
ヘルメスはとても嬉しそうに会計を済ませ、常時上機嫌のままジンと共に仲良く目的地へと向かっていくのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジンの空腹はヘルメスの善意によって多少満たされ、ようやく二人は中央市場を抜けようとしていた。
ヘルメスの背負っていた大きなリュックは現在、片腕のジンが担いでいる。
自分のせいで所持金を全て失わせた事を気にしていたようで、自ら代わりに担ぐと申し出たのは良かったが。
「……無理していないか?」
ヘルメスは後ろに手を組みながら、息を切らしてゆっくりと歩くジンを横で心配そうに覗き込む。
「ぜぇ、お前ぇ……こんな重ぇもん今まで背負って、よく平気な面してたなぁ……はぁ、」
片腕という事を差し引いても、この大きなリュックは異様に重い。
年頃の女の子が長期に渡る旅をするのだ、色々と詰めてきているのはわかるが。
それにしても重すぎた。
「日々の鍛錬のおかげだ。自分は慣れていたが……やはりジンには重石入りのそれを持たせるのは酷だったようだな」
「お、重石ッ!?」
目を見開いてリュックへと視線を向けるジン。
「あぁ、旅の間も鍛錬を欠かさない為に物足りないがこうして持ってきていたんだ。……確か、重さで言えば軽くジン三人分はあるはずだぞ?」
ヘルメスは唇に指を置いて上を少し見てから、ジンの見た目から単純な体重を予想してそう言う。
実際のジンの体重は、あれだけ暴食しているにも関わらず平均男性の体重から少し下回っているぐらいだが。
道理で重いはずだった。
思わず自分を片腕で三人担いでいる姿を想像してしまい、ジンの表情が更に曇っていく。
「薄々気づいてたんだが、……もしかしてお前ぇ馬鹿なの?」
「な!? ば、馬鹿とは何だ!」
ジンは思い出す。
それはヴァンクの荒野での事だ。
倒れそうになる程の炎天下の中。
金が無く仕方が無かったとは言え、ヘルメスは何日もかけて徒歩でそれを横断しようとしていた。
無茶苦茶だった。
「身体鍛える前に……、錬金術師ならまず錬金術の腕上げとけよ……」
「ぐぬっ」
その最もな発言にヘルメスの表情と動きが凍りつく。
ヘルメスは、ギリスティアの王に忠誠を誓う王従士と呼ばれる錬金術師の一人。
しかし、ヘルメスは錬金術が殆ど扱えず。
王従士の中でも落ちこぼれの烙印を押されていた。
「……ほら早く行くぞ」
どうやら地雷を踏んでしまったのか。
ヘルメスは後ろで手を組んだまま、重いリュックを担ぐジンよりどんどん先に進んで行ってしまう。
「お、おい待てよヘルメ――――」
すると。
ジンの制止を呼びかける声が届く前に。
「……っ!?」
ヘルメスが何やら急に立ち止まり一歩も動かなくなっていた。
「ジ、ジ、ジジ、ジンッ!!」
瞳を輝かせ、ジンに振り向き。
手をバタバタさせて無駄にハイテンションになったヘルメスがジンを急いで呼んでくる。
「はやくっ! はやくっ!」
「あん……? 今度は何だよ、ったく……重ぇ」
急かすヘルメスには申し訳なかったが、重石の入ったリュックを担ぐジンはゆっくりとしか歩けない。
乙女チックな歓声をあげ、その場でしゃがみだすヘルメス。
一体何を見つけたと言うのか。
ジンが見た事の無い反応を示すヘルメスの元にようやく辿りつくとそこには。
「きゃぁ~っ。じ、ジンも見てみろ! ほらぁっ! あぁ~……何と愛くるしいっ」
頬に手を当てて、目を細めて喜ぶヘルメスが指差す方向に。
一匹の動物がいたのだった。
「何だ、こりゃ……」
ジンは動揺のあまり担いでいたリュックをその場に思わず落としてしまい、地面に軽くヒビを入れてしまう。
目に映り込むその動物は今まで見た事の無い、とても――――
「な、なんて不ッ細工な面してんだぁッ!?」
まさに犬と豚を半々に合わせたような、そんな見た目の動物だった。
単純に気持ち悪かった。
しかしヘルメスは恍惚の表情を浮かべ。
「あぁー……可愛いなぁー……君の名前は何と言うんだろ、首輪があるという事は飼い主がいるのか~?」
涎と鼻水を垂れ流しており、何ともマヌケ面な犬豚にヘルメスはテンションを上げていた。
瞳を輝かせ、すっかり夢中になって話しかけるヘルメスにはジンの発言が聞こえていなかったようだ。
「何て可愛らしい見た目をしているんだ君はぁ~、うぅー……、思わず抱きしめて一緒に寝てしまいたくなるぞぉ~」
犬豚の顔をくちゃくちゃに揉みしだいて愛情表現をするヘルメスに、ジンはドン引いていた。
「そいつと……一緒に……?」
想像してしまったのだ。
自分がこの涎と鼻水を垂れ流す犬豚を抱いて寝る様子を。
「起きた頃には液体まみれだな……うぇぇ。――――おい、ヘルメス。もう良いだろ、いつまでそんな不細工の相手してんだ。師匠とやらの所に急ぐんだろ?」
ジンはすっかり犬豚に骨抜きにされたヘルメスにそう言い、地面に落ちたリュックを必死の形相で何とか再び担ぎ出す。
しかし。
「な、なぁ、ジン……。この子、恐らく迷子だ」
リュックの重さに表情を歪ませていたジンに、ヘルメスは両手で犬豚を抱えながら何かを言いたそうにしていた。
「おいおい勘弁しろよ……」
ジンは改めてヘルメスの性格を思い出す。
ヘルメスは、とても難儀な性格をしているのだ。
かつて自分にかけられた発言を思い出す。
自分は困ってる人間、偽人も放っておけない性質なんだ。
このヘルメスにとって、困っているならば種族や種別は関係ないのだ。
ほとほと呆れてしまいそうになるが。
だからこそジンはそんなヘルメスの事が――――
「おぉっ!! アントワネェェェットっ!! そんな所にっ!!」
男性の声が聞こえてくる。
そして小太りの男が息を荒げながらヘルメスとジンの元へと必死の形相で駆け寄ってきた。
すると犬豚が奇声も発しながら、男の元へ向かおうとヘルメスの腕の中でジタバタとしだす。
「ブキャンッブキャンッ」
あまりにも下品な鳴き声にジンは眉を潜めて顔を青ざめてしまうが。
ヘルメスはその鳴き声すら愛しそうに表情を緩めていた。
しかし、すぐに凛としたいつもの表情に戻り。
「ご、ごほんっ。もしや貴方がこの子の飼い主さんですか?」
「はいっ! 少し目を離した隙に迷子になったようで……。どうもアントワネットは興味心旺盛な子でして……。いやぁ、見つけてくださって本当に助かりましたっ!」
深々と頭を下げる男に、ヘルメスは抱えていた犬豚を名残惜しそうに仕方なく返していく。
「アントワネットちゃんと言うのですね……とても可愛らしい名前だ」
男に抱えられ、飼い主との再会を喜ぶようにして先程以上に涎と鼻水を垂れ流すアントワネット。
綺麗な名前とそのギャップにジンは吹き出しそうになっていたが何とか堪えてみせる。
「本当に何とお礼申し上げた事か……」
「いえいえ、お気になさらず。自分達も可愛いアントワネットちゃんに会えて嬉しかったですし。な? ジン」
ジンにとってこのアントワネットと呼ばれる犬豚はとてもではないが可愛いと言い難い見た目をしている。
それでも嬉しそうなヘルメスの手前、何とかジンも気の利いた言葉を探しだすが。
出てきた言葉は最悪なものだった。
「あ、あぁ。まぁ、喰えなくはないよな」
場の空気が一気に凍りついた。
「逆に味とか気になってくるぜ。意外と喰ってみれば旨ぶごふぉっ」
ジンのみぞおちにヘルメスの鋭い肘が放たれた。
そして、先程まで腰の低かった男が怒り顕と表情を歪めていき。
「な、なんて失礼な奴だっ!! この鬼畜めっ!! もう行くぞアントワネットっ!!」
「ブキャーンッ!!」
「た、大変失礼致しましたっ!」
今度はヘルメスの方が深々と頭を下げ、ジンからアントワネットを守るようにして立ち去っていく男を見送る。
「げほっ、げほっ、……おい、何の真似だよっ!」
「それはこちらの台詞だ……」
腹を擦り、涙目になって膝をつくジンをヘルメスは腕を組んで怒りの視線を向けていた。
ジンの位置からだと、スカートの中も丸見えだったが今はそれどころではなかった。
「青……ごほん。……気ぃ利かせてやったんだろ。何怒ってんだよ……」
脳内にヘルメスの下着を鮮明に刻みつけ、戸惑いながら立ち上がるジンにヘルメスの溜息が零れる。
「はぁ……。あんな愛くるしい動物を何故、すぐ食に繋げてしまうのか自分には理解できないぞ」
ジンとしてはヘルメスの感性の方が理解に苦しむ所である。
「あの動物は”フェアリードッグ”と呼ばれる災獣でな。今、巷で大ブームなんだぞ? それを君、喰えなくないだなんて……信じられんっ」
「いや、あんな不細工が巷で流行ってる方が俺には信じらんねぇよ……。世界は予想以上に狂っちまってんだな……」
フェアリードッグの素晴らしさを理解しないジンに、ヘルメスが今度は深い溜息を吐くが。
すぐさま前方へ向き、ジンに手を差し伸べて笑顔を見せる。
「……やれやれ。あまりにも可愛らしいフェアリードッグについ時間を取られてしまったが、師匠が経営する病院はすぐそこだ。フフ、あと少しだから頑張ってくれよ」
ヘルメスの手を掴んで起き上がり。
重石の入ったリュックを片腕だけで担ぐジンだが、ヘルメスの笑顔が少しその辛さを和らいでくれた気がした。
「へいへい……」
ヘルメスの師匠はギリスティアの元、三英傑だった凄腕の錬金術師らしく。
ジンの失った右腕を構築してくれるだけではなく、黒い歯車についても何か知っている可能性がある。
二人はその人物が居る病院を目指して再び歩き出していく。
「……そうだジン」
「あん?」
ゆっくりと歩くジンのスピードに合わせて並行するヘルメスがそのまま続ける。
「さっき、自分はアントワネットちゃんの飼い主を探そうと提案するつもりだったんだが……。ジンは……その……もしそう言ったら協力してくれたか?」
少し沈黙をしてから、ジンは息を切らしながら。
「一人じゃ時間かかんだろ……」
ボソリとそう呟くジンに、ヘルメスは優しい微笑みを浮かべる。
ジンはどこか危なっかしいこの少女を放っておけなかった。
ルルと同じように。
「ジン。人は……君も、変わろうと思えば変われるんだ。どうかこの言葉をいつまでも忘れないでいてくれ」
悲惨な過去があろうと、人は最後には変われる。
それは偽人も同じだとヘルメスは信じている。
ジンは、黒い歯車によって自分の意思を奪われ。
一つの村を壊滅させた罪に今でも囚われている。
村人達を喰い殺したあの時の感触や、その時の村人達の顔はずっと忘れることができない。
「ケッ。相変わらず……、あいつみてぇな事言いやがる……」
ルルと呼ばれる錬金術師はそんなジンを受け入れて救ってくれた。
しかし。
それでもジンの中から完全に闇を消せないままこの世を去ってしまった。
だが、いつかヘルメスならばもしかすると――――
「……おい。さっきから何か視線感じねぇか?」
妙な視線に気づき、ジンは周囲を見渡す。
だが中央市場をいよいよ抜けようとするこの場所には人も大勢おり、視線の先を探し出すのは困難なものだった。
「ふむ……ジンは見た目が少々目立ってしまうしな。視線を感じるのはそのせいじゃないのか?」
ヘルメスも視線には先程から気づいていたが、それはジンが珍しい容姿をしているからだと考えて深く気に留めていなかった。
「俺の正体バレてやしねぇだろうな……」
「まさか……。この村にも確かに錬金術師は居るが、ジンのような存在について詳しく知っている者は師匠ぐらいだ」
構築が非常に難しい偽人の存在数は世界的にも僅か数体程度しか確認できていない。
金色の瞳が偽人の特徴というのも、世間一般的には広まっておらず。
一介の錬金術師でその情報を持つ者は少ない。
ヘルメスもジンに教えられて初めて知った程だった。
「……自分も持つ、全ての式が視える解読眼を持っているならジンを構築する異常な式に気づくかもしれんが……この小さな村ではそれもないだろうしな」
村人達に正体がバレていないとヘルメスがジンを安心させようとするが。
それでも、ジンの中で何かが危機を感じさせてくる。
「気のせいならいいけどな……何か、こう……胸騒ぎがするっつーか……ざわつく、感じがするんだよ……」
少し身体を震わせるジンの異常にヘルメスは少し歩くペースを速める。
「……わかった。少し急ぐぞ。師匠の所に行けば恐らく何があっても大丈夫だ。……それに自分もついてる、何も心配するな」
二人は妙な視線に気づきながらも、とにかく病院を目指して向かう。
だが、日常の裏側で”歪みの戯曲”は既に始まっていた。
そして運命の歯車は軋みながら、二人を導く事になる。




