プロローグ
「……」
壇上の中心には、”宝石で装飾された不気味な箱”が一つ置かれている。
黒いローブを纏う女性が一人、壇上に登って腕を後ろに組んでそれをじっと見つめている。
背後には同じく黒いローブを纏う集団がズラリと待機していた。
「――――諸君、ヘルメス=エーテルは間もなく”ドルスロッド”に到着する」
ドルスロッドとはギリスティアに位置する小さな村の事。
壇上に登る女性から発せられた低い声が、この静寂な大広間へと響き渡る。
しかし、集団は無言のまま女性の声にひらすら耳を傾ける事に徹していた。
女性は仰々しく振り返り、集団へと両手を掲げ。
「良いかッ! ……我々は正義ッ! ならば我々の目的を妨げる者は全て悪ッ!」
その一声に、集団から歓声が沸きあがっていく。
数え切れない程の拍手喝采、賞賛の声が次々と飛び交う。
まるで何かの宗教団体の様な異質な光景。
女性は歓声を噛み締めるようにして、ゆっくりと両手を下げ。
「我らが主は、目的の手段としてヘルメス=エーテルの抹殺も許可された。……即ち、ヘルメス=エーテルは悪であると判断されたのだ」
女性は腕を後ろに組み、一人の少女の存在を悪だと言い切ってみせたのだ。
集団もそれに同調するように、更にヒートアップしていく。
「静粛に」
騒ぐ集団を沈める合図として女性は右手を横に伸ばして切る。
すると、集団はすぐさま静寂を取り戻していく。
「……今回の任務は極めて重要である事を諸君らも心しているだろうが。今一度、確認しておくべき不確定要素につていて伝えておかねばならない事が二つある」
女性の険悪な声が最後尾にまで響き渡る。
――――不確定要素。
集団も息を呑み、緊張感を漂わせていく。
「まず、諸君らも知っての通り。ヘルメス=エーテルはどういう訳か……あの式崩しの構築に成功しているという事だ」
式崩しとは、ありとあらゆる式を破壊する世界の理から外れた存在。
「現に、あのオプリヌス=ハーティスが完成間近にまで構築させていた原点回帰はヘルメス=エーテルが構築した式崩しによって破壊された……!! その脅威は諸君らもわかるはずだ」
伝説の錬金術師、アンチスミスの遺産。
この世界を構築する世界式にすらも干渉し、無に戻す事も可能とされる原点回帰と呼ばれる式。
しかし、それでも式崩しの前に崩れ落ちたのだった。
「その式崩しを……ヘルメス=エーテルが構築した、決してそれを忘れるな。それと――――」
女性は拳を強く握り締め、自分の胸に当てて警告を鳴らす。
誰も知らない式崩しの構築をヘルメスが成功させた事実は、この場に居る全員を驚かせていたが。
しかし不確定要素はそれだけではない。
「――――もう一つ。……最近、何やら我々という組織の存在に気づいた”何者”かが不穏な動きをしているとの報告を受けている」
それに対しては、様々な困惑の声が漏れ出すが。
「静粛にッ!」
怒りの混じった声で女性が叫ぶと、集団は一気に静まり返る。
それから、女性は片方の拳を口元に当てて一度咳払いをしてから続ける。
「……ごほん。全ては我らが主に従っていれば何も問題は無い。以上の不確定要素をしかと肝に命じておくように」
黒いローブを揺らめかせ、女性はそう言い残して壇上から降りていく。
その際に、不気味な箱に視線を少し向け。
「――――”必ず、お迎えに参ります”」
不穏な発言を残し、この大広間から姿を消していく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
揺れる馬車の中。
そこには一人の青年と、一人の少女が居た。
「……やれやれ」
銀髪のオールバックに、金色の瞳を持つ不思議な容姿をする青年。
偽人のジンが大股を開いて席に座って自分の右肩を左手で揉みながら、目の前の少女の姿に呆れていた。
「なんつー、間抜けな面してやがんだこいつは……」
純白のとても綺麗な肌に、恐ろしく整った顔。
背中まで伸びた美しく煌めいた金色の長髪、銀縁の眼鏡越しの少しツリ上がった大きな二重瞼の朱色の瞳の少女。
ギリスティアの王従士に所属する錬金術師、ヘルメス=エーテルだ。
「お気楽なもんだぜ、たっくよぉ。にしても、だ……」
「ん、……スー……」
どこでも通じるであろう美貌を持つヘルメスだが。
今は涎をだらしなく垂らして惰眠を貪り、せっかくの美貌を台無しにしていた。
「……っ、目のやり場に困んだろうが……っ!」
ただでさえ、ヘルメスは錬金術師が愛用するコートの前を閉じられない程の大きな胸をしている。
暗い青を基調としたコートの下に着ている胸元の開いた白地のブラウスから、今の体勢のせいで零れんばかりにその存在を強調していた。
「チッ、やっぱここは男として――――舐めるようにっ! ぜひ観察しておくべきだろう……っ! そう俺は悪くねぇ……っ! こいつがこんな無防備なのが悪いんだ……っ! 旅ナメてんじゃねぇぞチクショウめっ!」
あくまで、そう小声で叫ぶジンであった。
ヘルメスが寝ているのを良い事に、ジンは開き直って欲望に忠実となる事を選択したのだ。
自分を救ってくれた恩人ルルもきっと不可抗力だと許してくれるだろう、と心の中で言い聞かせるジンだった。
そして。
「おぉ……、しっかし、改めてこうやって見てみると……」
左手を口元に置き、これでもかというぐらいにヘルメスの身体を観察していく。
ヘルメスの魅力は何も胸だけではない。
完全に心を許しているのか、今は油断してあられもない姿を晒している。
ソファーにもたれ、首を横にしながら両手をブランとさせて、内股の足を僅かに開いている。
「……これは、こいつに旅の危険を教える為に仕方なくしてるんだ。いかに男と二人で密室の中、眠る事が愚かな行為なのか思い知らせてやるだけなんだ……っ!」
すっかりジンはヘルメスの足元にしゃがんだ格好となっている。
金色のベルトを締めた黒のスカートから、程好くむっちりとした太股を黒のストッキングで包み込んでいる。
そのスラリと伸びた脚線美ときたら。
「もはや芸術品の域ですな、うん」
まるで変態ソムリエの様にヘルメスの脚をそう評価するジンであった。
「うへへ……おっと。何だ今の笑い方は……これじゃ、俺が変態みてぇじゃねぇか……」
そう言いながら、何故かジンは鼻の下だけでなく、ヘルメスのスカートへと手も伸ばし始める。
ジンは知っている、この先に何があるのかを。
荒野の泉に立ち寄った時にも、こうしてその中を覗く機会があった。
しかし。
「やっぱほら? いくら偽人と言え、俺も男に生まれた以上――――パンツをチェックしておくのは義務だろ……ッ!!!」
だがジンはスカートを掴んだまま少し考えてしまう。
果たして、自分をこうして信じてくれているヘルメスの寝込みを襲うような真似をして良いのだろうか。
「んん……フフ、……スー……」
ヘルメスの気持ち良さそうな吐息が聞こえてくる。
ジンは一旦、スカートの中を覗こうとする視線をヘルメスの顔へと向けてみる。
「……」
とても心地良さそうに、ヘルメスの優しい笑みがジンの心を深く抉り、伸びきった鼻を徐々に元に戻させてくる。
狂った錬金術師フェイクに構築され、一つの村を壊滅させていたジンの事を、ヘルメスは黒い歯車の存在を聞かされる前から信じてくれていた。
今から行う行為はそんなヘルメスを裏切る事になるのではないか。
「……っ」
ジンは今。
真剣な表情で、心の中で必死に葛藤している。
スカートを掴んだまま、後ろめたい気持ちに押し潰されそうになる。
そして――――遂に心が折れてしまう。
「ちっくしょうッ! 俺には……無理だ……ッ! クソッ!! 何でこんな男のロマンを打ち砕くような良心を俺に与えやがったんだフェイク……ッ! 許せねぇ……あいつは悪魔だ……ッ! パンツ……ッ!! 見た、かった……ッ!!!」
土下座するような体勢で、拳を激しく打ちつけて本気で嘆き叫ぶジンだが。
「んん……」
ジンはあまりの背徳感に耐え切れず。
遂に歯軋りを鳴らし、涙を流して何とか一歩留まる事ができた。
危うく本物の変態になる所だった。
しかし、踏み留まれたとしても。
「ん~……む、自分とした事が居眠りをしていたみたいだなぁ」
「ッ!?」
思わずジンは背筋が凍り、その場で硬直してしまう。
あまりのショックにジンは声を大きく出しすぎてしまっていた。
それに反応して目を覚ましたヘルメスが寝ぼけながら眼鏡を外して目を擦る。
「フフ……、おはようジン」
ヘルメスのとても優しい笑みと、澄んだ声が今のジンを更に恐怖へと貶めてくる。
「……ん~?」
ヘルメスは自分が涎を垂らしている事に気づき頬を赤く染め、姿勢を正してコートの内側からハンカチを慌てて取り出して拭っていく。
「い、いやはや、みっともない姿を見せてしまったな。……って――――ん……?」
目の前のソファーに座っているはずのジンが、ヘルメスの足元でしゃがみ込んでいる姿が瞳に映り込んできた。
「よ、よう、おはよ……よ、よく眠れたか?」
ジンはヘルメスの足元で他愛の無い日常会話を投げかけるが。
しかし。
ヘルメスの顔はどんどん真っ赤になり。
急いで眼鏡をかけなおし、足を閉じてスカートを両手でしっかりと押さえ込んで。
「じ、じ、じ、じ、ジンッ!? い、一体、な、な、何をしとるんですかッ!?」
ヘルメスは激しく動揺し、口調もどこかおかしくなっている。
ジンはすかさず立ち上がってありふれた弁明を試みた。
「ま、待て誤解だっ!!」
「ご、誤解だとっ!? そうか……っ!? そうに違いないっ! あのジンが寝込みの自分なんかを……と、とにかくっ! ジンはそんな事する奴じゃないものなっ!?」
どこまでもヘルメスはジンを信じてくれていた。
だからこそ、ジンの心を酷く痛めつけてくる。
そんなヘルメスの気持ちを裏切ってしまった。
思いもよらない罪悪感に、ジンは自分がしようとした行為に後悔するが。
「うっせぇッ!! パンツの一枚や二枚見られたぐらい何だってんだッ!! つか、お前ぇにも責任あんだぞチクショウめッ!!」
「なっ」
逆ギレである。
この場を平和的に解決するには、とりあえず言いくるめて押さえ込むしかないとジンは考えたのだ。
強く拳を握り、ジンは続ける。
「良いかッ!? これはお前ぇの為でもあんだよッ!! 普通、お前ぇッ!! つい最近、会ったばっかの男と密室で二人きりだってのに寝るかぁッ!? 男は皆、ケダモノなんだよッ!!! ただでさえ、俺みてぇなのと旅してんだ、気が緩みすぎじゃねぇのかッ!? ……とりあえずパンツ見せ――――やだなぁ、冗談じゃないですかヘルメスさん……」
ヘルメスはジンの顎に銃口を押し当てていた。
漆黒の奇妙な形をしたリボルバータイプの銃。
魔銃がジンに冷たく突きつけられている。
ヘルメスの顔は未だ真っ赤で、羞恥心のあまり身体も震えていた。
「お、おい、そんな状態で銃なんて持つな、万が一、引き金なんて引いちまったらどうすんだよ……」
「……ジンは死なないから問題ない……」
無限に原点の式を生み出す賢者の石を媒体に構築された偽人のジンは、どれだけその身体が破壊されようがすぐに再生されていく。
だが、ほぼ不死身の身体を持っていようが痛いものは痛いのだ。
それこそ致命傷を与えられればそれ相応の苦痛を味わう事になる。
「よ、よせ! お、お前ぇ、顎なんか撃ち抜かれちまったら……たまったもんじゃねぇよっ!!」
左手を上げながら、銃口を顎に押し当てられ必死に救いを求めるが。
「自分も……たまったもんではない屈辱を受けたんだがッ!?」
ジンの胸ぐらを掴み、ヘルメスは銃口を突きつけたまま顔を真っ赤にして冷ややかな視線を浴びせていく。
余程恥ずかしかったらしい。
二人の間に、しばし沈黙が流れていると。
「うぉっ!?」
馬車が大きく揺れ出し、ヘルメスが体勢を崩してしまう。
「おい! ヘルメスっ」
何とか揺れに耐えたジンが、倒れそうになるヘルメスの手をしっかりと掴んで助ける。
「あ、ありが……とう」
ジンに手を握られ、ヘルメスの怒りも少し和らいでいく。
そして揺れが収まるとジンはヘルメスの手をゆっくりと離し、それぞれ席に戻っていく。
「はぁ……」
ヘルメスは溜息を吐き、席に腰を下ろして腕を組み、瞳を閉じて難しい顔をして黙ってしまう。
その様子にジンは罪悪感で居た堪れなくなり。
申し訳なさそうに頭を掻きながらぶっきらぼうに謝罪したのだった。
「悪かったよ……」
短い言葉での謝罪だったが。
ヘルメスにはその気持ちが十分に伝わったのか、難しい顔が解け、瞳を閉じたままだが笑顔を取り戻していく。
「まったくだ。女の子の……女子の下着は見ちゃ駄目だって前にも言っただろ?」
今のヘルメスはまるで弟を叱りつける姉の様だった。
「し、しかも……よりにもよって自分のとは……。見ても仕方無いだろうに……」
顔を赤らめて目を大きく開いて叱りつけていく。
どうもヘルメスは自分の美貌というものを自覚していない。
その事にジンは少し悩まされていた。
内面的にも、いかに魅力的な人物なのかジンは僅かな時間で知ったからだった。
改めてそれを言うには非常に気恥ずかしく。
「……わーったよ、もうしねぇよ」
ただ謝罪の言葉を述べて謝り続けるだけだが。
ヘルメスはいつしか笑顔を取り戻してジンを見つめていた。
「まったく、君って奴は。フフ、変な奴だなぁ」
偽人でありながら、人間の青年と変わらないジンが。
ヘルメスはとても嬉しかったのだ。
偽人だろうが、ヘルメスにとってジンは――――とても優しい青年だから。
「その腕、師匠に治して貰えるように頼んでやるから……くれぐれも大人しくしていてくれ」
ジンの右腕は現在、消滅している。
それはヘルメスを庇い、原点回帰によって元から無いモノとされてしまったからだ。
賢者の石も、元から無いモノは再生してくれないらしく。
ヘルメスは自分のせいで失わせてしまったジンの右腕を師匠に新しく構築して貰おうと提案をしたのだった。
「で、ドルスロッドって村はまだかぁ? ……とんだ道草食っちまったからな。いい加減、左手だけじゃ不便で仕方ねぇよ」
ジンは失った右腕部分に触れ、ここに来るまでの道中を思い出して溜息を吐く。
「む、仕方無いだろ? コルネリウス様に頂いたお金が足りなかったんだから……」
ギリスティアを裏切り、禁忌に指定される原点回帰を完成させようとしていたオプリヌス。
だがその野望はジンとヘルメス、そしてリディアによって打ち破られた。
そして、放心状態のオプリヌスを引き取りに来たのが。
三英傑の一人、ハイリンヒ=コルネリウスだった。
ハイリンヒは、ヘルメスの師匠アリス=テレスをギリスティアに連れて来るように命じた。
しかし、ただでさえ金銭に余裕の無かったヘルメスは馬車を借りる事もできず、ハイリンヒに泣きついてようやくの思いで経費を手に入れたが。
それでも、ドルスロッドに行く為には足りなかった。
「そのせいで途中で馬車も降ろされて……まさか、あんな辱めを受ける事になるとはな……ッ!!」
ヘルメスは足りない金を稼ぐ為に道中立ち寄った観光地での出来事を思い出して紅潮する顔を両手で覆い隠してしまう。
「ま、……暇潰しにはなったけどな。へっ、あん時のアンタ、中々良かったぜ?」
「はぁ……お世辞を言ってくれるのは嬉しいが……もうあんな思いはしたくないものだ、っと。ジン、そろそろ着くぞ?」
二人は馬車の窓を開け、ようやく辿り着けたと安堵しながら顔を出して確認する。
とても気持ちの良い風が二人を歓迎する。
ヘルメスはなびく髪を押さえて、目的地に指を差す。
「見ろ! あれが、ドルスロッドだ!!」
ヘルメスの背後から顔を出し、落ちないようにヘルメスの肩を掴んでやりながらジンもその指差される村を見つめて微笑んだ。
「おおっ、待ちくたびれたぜっ!」
ギリスティアに位置するドルスロッドと呼ばれる小さな村。
二人はこの小さな村で数々の出来事に直面するのだった。




