エピローグ
遠く懐かしい記憶。
それはとある山中での出会いだった。
狂った錬金術師フェイクに捨てられ、何をどうすれば良いのかわからなかったジンは、ひっそりとそこに身を潜めていた。
誰とも、特に人間と関わる事を恐れていたジンはずっと一人だった。
だが、その人物はジンの心に土足で踏み込んでくる。
「くるなぁッ!!! おれに、ちかづくな……ッ!!! くいころすぞ……ッ!!!」
ありとあらゆる物質を喰う事のできるジンだが、流石に岩や木だけでは味気なく、魚を獲ろうと川に訪れると。
一人の老人がジンの背後から現われたのだ。
ここは山奥で、この場所で人と出会った事は今までなかった。
細心の注意を払い、鋭く気配を探っていたにも関わらずジンはその人物と出会ってしまった。
「……村人達がこの山に、銀髪の悪魔が出ると言うんでやって来たんだが、フフ。どこが悪魔なんだろうねぇ。私には可愛らしい坊やにしか見えないよ……」
とても、とても優しい笑みでそう告げる高齢の女性。
彼女との出会いは後に、ジンに多大なる影響を与える事になる。
「あくま、だぁ……!? ……おれは、おれはぁ……ッ!!!」
偶然、ジンをこの山で目撃してしまった村人達はその凶悪さから銀髪の悪魔と呼び恐れていたと言う。
ジンは激しく身体を震わせ、息を荒げて両手で顔を覆って自身の存在に嘆く。
すると。
気がつくと、女性は慈悲深い笑顔を浮かべてジンを強く抱きしめていた。
その温もりは、ジンにとって初めて感じるとても暖かく心地の良い人間の感触だった。
不思議と言葉も出ず、ジンはその抱擁に抵抗ができなかった。
「私は知っているよ。何度か坊やに遭遇したという村人達は誰も傷ついていなかった。……村人達は恐怖のあまり坊やに何度も銃を向けて発砲していたというのにねぇ」
ジンは遭遇した村人には威嚇のみに留まり、誰一人傷つけていなかった。
「なにをわけわけんねぇこと、は、はなせッ!!!! ほんとうにくいころすぞばばぁッ!!!!!」
おかしかった。
ジンはこの女性を突き飛ばそうと何度も試みるが、身体が動かない。
女性はそのまま、ジンを抱きしめながらこう言う。
「坊やは何も知らないんだね。だからこそ、人とどう接するのかもわからない。だから……人を傷つけないように、そうやって脅したり冷たくする事で……村人達を守ってくれていたんだねぇ」
そして。
「坊やは――――優しいんだ」
初めてかけられるその言葉。
一度たりとも、言われた事のないその言葉は。
ジンの身体を完全に封じてしまう。
何か汚く歪なモノを壊した気がした。
「おやおや、どうしたね? 男の子がそんな風に泣いて……せっかくの可愛らしい顔が台無しだよ。ほら、涙を拭いなさい?」
女性の身体に抱きしめられたまま。
何故、涙が出てくるのかジンには理解できなかった。
それでも、心が暖かく包まれていくのを確かに感じていた。
「私は旅をしている錬金術師でねぇ。たまたま立ち寄ったこの村で坊やの噂を聞いてやって来たんだけどね? フフ、坊や……偽人の子なんだねぇ」
女性は朱色の瞳で泣きじゃくるジンを優しく見つめる。
その瞳は解読眼で、ジンの身体を構築する式が人間のものと違う事にすぐ気づいていた。
しかし、それでもこの得体の知れない偽人を溢れんばかりの優しさで接してきたのだ。
一向に泣き止む気配の無い、ジンの頭を何度も丁寧に撫でる。
「私もね……あまり人様に良く思われない存在でねぇ。……一人が寂しいの。フフ、どうだろう? せっかくこうして運命の歯車の導きで出会ったんだ。坊やも一人が寂しいと思うのなら私と一緒に旅をしてみないかい?」
ジンは孤独だった。
それは狂った錬金術師フェイクの元に居た頃も同じだ。
狂った錬金術フェイク、そしてその二人の弟子に囲まれて生活をしていたが、孤独だった。
自身という人格は一切認められず、賢者の石の器としての黒匣としか扱われてこなかった。
だが、この女性は違う。
ジンを認めてくれる、そんな気にさせてくれていた。
「自己紹介がまだだったねぇ、私の事は――――”ルル”と呼んでちょうだいよ。さぁ、坊やのお名前は?」
こうして、ジンとルルの旅は始まった。
辛い事が沢山あった。
でも、それ以上に嬉しい事の方が多かった。
ルルは、ジンに大切な事を沢山教えてこの世を去っていった。
かけがえのない、大切な人が最後に残した言葉は今でもジンの中に刻まれている。
「ジン、お前はお前だ。せっかく手に入れた命だ、楽しみなさい」
そして、
「どうか私の可愛い坊やが……幸せになれますように……」
ジンはその言葉を胸に強く秘め、ずっと逃げてきた現実。
黒い歯車に向き合う決意をした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ここはヴァンク国内。
ずらりと並ぶ建物が続く通り道。
その近くには馬車小屋がある。
ジンは周囲に意識を張り巡らせながら、木にもたれて昼寝をしていた。
「ふぁ~、眠ぃ……しっかし腹減ってきたな。……あの女、まだ来ねぇのか?」
大きな欠伸をして伸びをしていると、腹の音が盛大に鳴る。
ヘルメスがうっかり具体的な待ち合わせ場所を指定するのを忘れていた事にジンも気づき、途方に暮れていた。
一応待ち合わせに適したこの馬車小屋で待機してからもう数日が経とうとしていた。
「さぁて、飯だ飯~。よっと、悪いねアンタら、またちょっくら分けて貰うぜ?」
ジンはゆっくりと立ち上がり、馬小屋へと足を進める。
従業員達が外に居ない事を確認し、ジンは馬小屋に入り、鼻息の荒い馬達と共に藁や人参を喰い始める。
「気分はまさにお馬さんってか……ん~、まぁ、悪くねぇ味だ。ただ、あの女の飯には劣るがこれはこれで中々イケるもんだなぁ」
馬と混ざり、藁と人参を頬張るジンの姿は異様なものだった。
「おい……馬の餌と自分の料理を比べられるのは流石の自分も心外だぞ」
背後から突然、澄んだ声が聞こえてくるが。
ジンは予めその気配を察知していたので特に驚く様子もなく、藁を頬張りながらゆっくりと振り返る。
そこには、大きなリュックを背負い込み、腕を組んで呆れて溜息を吐く金髪の眼鏡少女ことヘルメスが居た。
「はぁ……勝手に食べちゃ駄目だろ。それは泥棒って言うんだぞ、ジン?」
馬の横であぐらをかいて座り込み、藁と人参を次々と掴んでは口に放り込んでいくジンに、ヘルメスは「無駄な出費が増えてしまった……」と額に手を当てて嘆く。
その様子に、ジンはあぐらをかいたままヘルスに振り向いて反論しようとするが。
「ほうおほはっはは」
「……とにかく飲み込んでから話してくれないか」
藁を大量に頬張るジンの言葉はとても聞き取りずらく、眼鏡のズレを修正しながら呆れ顔を浮かべてしまうヘルメス。
「ごくん、ふぅ。いやぁ、こいつらが分けてくれるっつーから別にこれは盗み喰いでも何でもねぇよ。……さて、アンタがあまりにも遅ぇからこうして馬の餌で餓えを凌いできたわけだが、何とか言いくるめてきたみてぇだな」
「やれやれ……。まぁ、少し誤算はあったが何とか、な」
ハイリンヒに賢者の石の在り処について怪しまれながらも、何とか誤魔化せたヘルメスは解読眼でジンを探し回り。
こうして無事、ジンと合流できた。
「残念ながらリディアは事件の重要参考人という事でギリスティアに帰国してしまった……。これから師匠の元には自分と二人で向かうぞ」
ジンは腹を満たし、その場からゆっくり立ち上がって面倒くさそうに頭を掻き毟る。
「ま、あのチビが居ねぇのは精神的にも楽なんだが……どうも気が進まねぇな。アンタの師匠とやらは本当に信用できんのかぁ?」
その問に対してヘルメスは口元に手を当て、笑みを浮かべてとても嬉しそうに答えていく。
「フフ、自分の師匠だ。何も心配は要らんさ。少々気難しい人ではあるが、きっとジンに協力してくれるはずだ。とにかく……いつまでも馬小屋で話していても仕方無い。何とか馬車を借りれるだけのお金は用意できたから、さぁ行こう」
「気難しい人ねぇ……。ま、あの荒野を歩かずに済んだのは助かったな。最悪、馬車を盗もうかと思ってたがその心配は要らなかったわけだ」
ジンの馬車を盗みという発言に、ヘルメスは頭が痛くなるが今はスルーして従業員の元へと足を運び出す。
「先が思いやられるな……自分から提案しておいてアレなんだが、くれぐれも犯罪行為にだけは手を染めてくれるなよ?」
「へいへい、わーってるよ……じゃぁなお前ぇら、達者でな」
馬に対してジンが手を上げて別れの挨拶をすると、数頭の馬が軽く会釈したのにヘルメスは驚く。
ここ数日の間にジンはこの馬達とすっかり仲良くなっていたようだ。
「そうだ、ジン」
「あん?」
二人は馬車小屋まで歩き進めながら他愛の無い会話をしていく。
「式崩しを構築した時、ようやく自分の名前を呼んでくれたのに何でまた”アンタ”に戻ってるんだ?」
「は……?」
そうあの時、ジンは咄嗟にヘルメスを名前で初めて呼んだのだ。
「……そうだっけか」
しかし、それはあの一回だけであれからジンがヘルメスの事を名前で呼ぶ事は無かった。
ズボンのポケットに手を入れながら、ジンは素っ気無い態度で足を進め続ける。
「あぁ、ちゃんと覚えてるぞ。フフ、もう自分達は互いに命を預ける程の仲じゃないか。それにオプリヌスの名前は普通に呼んでたし……もしかして恥ずかしいのか? ん?」
歩きながら、わざとらしい笑顔でジンの顔を覗き込みヘルメス。
ジンは気恥ずかしくて直ぐにソッポを向いてしまう。
「どうでもいい事は覚えてんだな……。別に、んなんじゃねぇよ」
「そうか? フフ。あ、そうだ! かなり気になっていたんだが」
ヘルメスはわざわざ立ち止まって口元に手を乗せて難しい顔をする。
「次は何だよ……」
ジンも、わざわざ足を止めて非情に面倒くさいと顔をしかめてヘルメスの言葉を待つ。
「そういえばジン、君は何歳なんだ? 自分とリディアは今年で十八になるんだが」
「おいちょっと待て……あのチビ、そんな歳だったのかッ!?」
あの身長や言動からしてせいぜい十二歳ぐらいかと思っていたジンは驚いて固まってしまう。
「ん? そうだが、何故そこまで驚くんだ……?」
ジンは思わずヘルメスの身体をじっくりと観察してしまう。
コートを前に閉じる事ができない程の大きな胸。
引き締まった細いくびれに、スラリと伸びた脚線美。
顔もそうだ。
どこか大人びた雰囲気を漂わせ、今までジンが見てきたどの女性よりもヘルメスの美貌は全体的に次元が違っていた。
とてもこのヘルメスとお子様体型のリディアが同じ歳とは思えなかった。
「ど、どうした急に。そんなに見つめられると恥ずかしいじゃないか……。えー、ごほん。……で、ジンは何歳なんだ?」
まじまじとジンに自分の容姿を見つめられ、ヘルメスは急に恥ずかしくなり、頬を染めながら咳をした。
ジンも自分がそれ程までにヘルメスを見つめていた事に気づかされ、ふと我に帰って素早く頭の後ろに手を回して顔を赤くさせていた。
「え? あ、あぁ。それにしても信じられねぇ……あのチビがまさかアンタと同じ歳だったとはなぁ。で……俺の歳だったか? そうだなぁ……俺は見た目関係なく、構築されてからの期間だと今年で九歳ぐらいじゃねぇかな」
「き、九歳だとッ!?」
眼鏡に片手を置いて、今度はヘルメスが驚いてジンの容姿をまじまじと観察しだす。
見た目的な年齢で言えばヘルメスと同じぐらいか、それよりも上かと思われたが、偽人は身体が成長しないので年齢と見た目は比例しないので実年齢は非情にわかりにくい。
「なるほど……ならば、自分はジンよりお姉さんだな。そうかぁ……そう思うと何だかジンが可愛く見えてきたぞ」
「止めろ! 気持ち悪ぃ! なんだよ急に……アンタ、年齢が上だらかって偉そうにするようなタイプにはあんま思えねぇけど」
だが、ヘルメスは片手を腰に当てて嬉しそうに告げるのであった。
「よし、お姉さんとしてジンに命令しよう! 自分の事はこれから名前で呼ぶように!」
「却下する」
あまりにも即答だった。
後ろにたじろぎながら不安そうな表情を浮かべるヘルメスだが、それでも退かず。
「な、なら、お姉ちゃんでも良いぞ……?」
「俺が悪かった……名前でお願いします。……頭が痛くなってくんぜ」
額を手で押さえながらうな垂れる様子を見せるジンだが。
本当はどこか嬉しかった。
こうしたヘルメスとの何気ないやり取りが、とても心地良かったのだ。
ジンが観念するや、ヘルメスの表情は晴れるように、とても眩しい笑顔へと変わっていき。
「……うん! これから宜しくなジン!」
「あぁ、宜しくな……ヘルメスって、おいっ!?」
嬉しさを表現するように、ヘルメスがジンの腕に抱きついてきたのだ。
互いの距離が短く、密着した状態になっている。
ヘルメスの豊満な胸も押し当てられ、ジンの羞恥心をどんどん煽っていく。
「フフ、照れるな照れるな」
「う、うっせぇっ!! あ、あんま調子乗ってっと揉んじまうぞっ!?」
こうして、二人は馬車を管理する小屋へと仲慎ましい姉弟のように入っていく。
賢者の石の器、黒匣。
そして、式崩しを構築した錬金術師、ヘルメス=エーテル。
二人の出会いは決して偶然などではない。
必然。
予定調和。
全ては運命の歯車による決定事項である。
そして――――賢者の石は見届ける。
この世界の終点を。




