12話:閉ざされる唯一の光
「……錬金術とは式から答えを導くもの。……式崩しはこの世界の理から外れた存在。父様が言っていた既存の概念を取り除く……あれは”答えから式を導く”という事だったんだな……」
ヘルメスは式崩しの構築に必要な情報は既に得ていた。
そしてその構築方法も意識を取り戻した時、正しくはあの奇妙な体験から得た。
床に座り、原点の式を覆うように両手をかざし、独り言を呟くヘルメス。
「あん? 何だって……? さっきから何ぶつぶつ言ってんだ、早くしねぇと俺ら消されんぞッ」
この状況を覆す鍵とも言えるヘルメスは、先程からジンに差し出された原点の式を前にしてボソボソと早口で独り言を呟いている。
その姿は、まるで別人のように感じさせていた。
「弾を構築する式自体は視えていた……だが、あの通りに式を構築した所で普通の弾と何ら変わらない……だからこそ式から答えを導くのではなく、……答えから式を導くという形をとる事で世界の理から外れた存在にできる、と。――――よし、今の自分ならばできるッ」
誰もが知らない式崩しの構築方法。
錬金術が殆ど使えなかったはずのヘルメスは、今ならばそれが可能だと確信している。
それはあまりにも唐突かつ、ヘルメス自身も信じられない事だった。
「へッ、何だよ……その面はよぉ」
自身が差し出す原点の式を両手で覆い、静かに瞳を閉じてどこか自信溢れるヘルメス。
よく見ると口元も僅かに微笑んでいる。
それを見て、 ジンはこのような状況にも関わらず同調するように微笑んでしまう。
だが、こうしている間もリディアとオプリヌスの激しい攻防は続いている。
遠くからジンとヘルメスの動きを見つめていたオプリヌスは身体を震わせていた。
「何故だ……何故、何故――――ッ!! 何故、諦めようとしないッ!!!!!」
オプリヌスは理解しようとしなかった。
否。
理解、できなかったのだ。
リディアによる攻撃を原点回帰で消しながらも、オプリヌスは激しく混乱していた。
「貴女はいつもそうだ……ッ!! いつも――――いつもそうやって私を悪戯に混乱させてきた……ッ!!!」
それは、王従士としてヘルメスの元で活動してきた頃から何も変わってはいない。
オプリヌスがヘルメスと過ごした時間は決して長くは無かった。
しかし。
どんなに困難だと思われる高い壁に直面しようが、それが乗り越えられなくても。
ヘルメスが、決して諦めた事はなかった。
その姿はとても滑稽に見えていた。
だが――――
「何故……こうも私の心を掻き乱すんだ……ッ!!! 理解できない……ッ!! 貴女に式崩しなど構築できるはずがないというのにッ!!!!!」
オプリヌスの叫びは今のヘルメスにはもう届かない。
今まさに、ヘルメスは困難どころか、不可能に近い大きな壁を乗り越えようと全ての意識をただ一点に集中させている。
そう、ジンの手から溢れる――――原点の式に。
「は、早く、も、もう私そろそ、ろ……」
リディアは錬金術を発動させ、床を構築する式に干渉し、改変する事で次々と構築を繰り返していた。
それはつい先日、ジンが何度も喰らった大きな岩で出来た拳にそっくりなもの。
床とまったく同じ材質で構築された拳は、岩に比べてより強固な硬度を持ち、この拳を喰らえば常人であればひとたまりもない。
錬金術で構築された拳は先程から、何度もオプリヌスに向けて放たれては原点回帰によって打ち消され続けていた。
しかし、驚くべきはリディアの構築スピード。
拘束されていた時に何か心情の変化があったのか、普段とは比べ物にならない程だった。
「チ……ッ!! おいチビもう少し踏ん張れッ!! この女が……この女が式崩しを完成させるまで何とか耐えろッ!!!」
立つ事もままならないヘルメスの前に膝をついてしゃがみ込むジンが、背後のリディアに顔を向けて叫ぶ。
「か、んたんに、言ってくれ、るわね、くっ、ヘルメス……まだ、な、の」
解読眼を持たない者が錬金術を使うという事は、見えない問題用紙から一字一句間違いなく答案用紙に答えを記入するようなもの。
だからこそ錬金術師とは、一部の天才と呼ばれる者しかなれない。
しかし、その天才と呼ばれる者でも限界というものはある。
「しつこいですねぇ……ッ、今日どれだけ錬金術を使ってきたのかは知りませんが……貴女程度ではそろそろ限界でしょうに……ッ」
目に見えない膨大な式を扱う錬金術。
錬金術を使う際に、集中力というものが重要になってくる。
リディアは、その集中力が尽き始めていた。
「お、おい……どんどん拳のクオリティーが下がっていってんぞ!? つかそれもう拳でも何でもなくねぇかッ!?」
先程までは、どこからどう見ても拳にしか見えなかった構築物だが。
今ではただの大きな塊にしか見えなくなっていた。
ジンの知るリディアならばここで文句の一つでも言ってくるはずだが、それもない。
どうやら本当に限界が近づいているようだ。
「不味いな、頼むから間に合ってくれよ……」
ジンは焦りの表情を浮かべてヘルメスに視線を戻す。
「……ッ」
先程から目を瞑り、ジンに差し出される原点の式を両手で覆って沈黙を続けているヘルメス。
意識を戻した時に残っていた僅かな情報と記憶を頼りに、式崩しの構築を必死に続けていた。
だが、その疲労は壮絶なものらしく表情を徐々に苦痛へと歪ませていく。
「ようやくなんだ……ようやく……ここまできて……今さら私の希望を断たれてたまるかぁあああああッ!!!」
オプリヌスも同じく必死だった。
原点回帰を完成させる為に必要な賢者の石。
それがもう目の前にあるのだ。
「こんな小娘らに……ッ!!!」
リディアによる攻撃は何度も原点回帰で消し続けられる。
だが自分の身を守る為とはいえ、その繰り返しではオプリヌスも賢者の石を手にする事はできない。
まるで堂々巡りに見える攻防だが。
「最後に勝つのは……賢者の石を手にするのはこの私だッ!!!」
リディアの集中力はとうとう限界を迎えてしまう。
「う、ぐぐ……ッ」
「お、おい、ちょ、」
遂にリディアの集中力が途絶え、新たにオプリヌスを攻撃する為の物が構築できなくなってしまう。
つまり、オプリヌスはこの時点で原点回帰を使って自身を守る必要がなくなり、三人の元に原点回帰を向かわせ、その存在を消滅させる事が可能となったのだ。
「クハ、クハハハハハ、もうお終いだぁ、ククク、クハッハッハッハッハぁぁあ」
「うっ、なんで、よッ!!! なんでよッ!!!」
必死に両手を床に押し当て、何度も錬金術を行使しようとするリディアだが。
床は特に反応を示さず。
自分の拳を床に激しく打ちつけて悲壮感を顕にするリディアに、オプリヌスの笑い声が突き刺さってくる。
「私の、勝ちだッ!! クックックッ……クハッッハッハッハァ!!」
勝利を確信し、両手を高らかに上げて笑い声をあげるオプリヌス。
だが、この瞬間から。
オプリヌスは、絶望の淵に立たされる事に。
「ハッハッハ……ん? ……な、何だ……あれは……ッ!?」
オプリヌスの目に、見た事のない現象が飛び込んでくる。
それは、錬金術を構築した際に発生する青白い光ではなく――――
「ヘル、メス……ッ?」
リディアも何かを感じ取り、両手を床に当てた状態で背後に振り向く。
すると。
「……ケッ、上出来だ。随分待たせやがって。……やりゃぁ出来んじゃねぇかよ」
ジンの掌から溢れる青白い光、原点の式が。
禍々しい赤黒い光へと塗り替えられていく。
光はどんどん強まっていき。
どこか取り返しのつかない、決して踏み込んではいけない場所に踏み込んでしまったかのような不安をこの場に居る全員に与えていく。
赤黒い光は原点の式を、世界の理から外れた存在へと改変していく。
そして光は徐々に弱くなっていき、ジンの掌にあるモノだけが残される。
現われたそれは、金色に輝く一つの弾丸――――式崩し。
「フ、フフ……、ま、待たせた、な……」
いつもの澄んだ声は余裕など感じさせず。
両手両膝を地面につき、呼吸をするのもやっとだった。
エーテルという錬金術師の名家に生まれながら、殆ど錬金術が使えなかった少女。
そのせいで家族も失った。
だからこそ、もう何も失いたくなかった。
ヘルメス=エーテルは――――式崩しの構築を成功させた。
「ほ……本当に……!? ……ヘルメス、が? ……や、やったぁぁあああッ!!!」
リディアはすっかり腰が抜け、床に突っ伏したまま、嬉しさのあまり身体を激しく震わせていた。
「これが……」
そして、ジンは掌をジッと見つめていた。
ヘルメスに構築された式崩しは、ジンの掌の中で希望を与えるかのように金色を輝かせていた。
だが、式崩しは一人の男に絶望を与える。
「嘘だ……、……嘘だぁぁぁあああああああああああああああああッ!!!!!!!!!!」
信じられなかった。
認める事ができなかった。
所詮はミストレア=サールージュと近しい間柄というだけで、錬金術が殆ど使えないにも関わらず王従士となったヘルメスを。
自身とはまったく異なる考えを持つヘルメスを。
オプリヌスの中で、ヘルメスが式崩しを構築したという事実は心を大きく揺るがす出来事だった。
狂気、怒り、悲しみ、そして恐怖がオプリヌスを押し潰そうとしてくる。
「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
原点回帰は、オプリヌスの感情に呼応するように凄まじい速さで三人へと向かう。
だが、オプリヌスの心の大きな乱れは原点回帰のコントロールを制御できなくなっていた。
幻想的な、青白い複雑な式を剥き出しにするウロボロスのような形。
暴れ狂う大蛇はその大きく長い身体で、うねりながらこの広い部屋全体を無作為にぶつかっていく。
壁や柱、ありとあらゆる物が、原点回帰に触れて消滅していき。
「ちょ、何っ!? きゃあっ!! こ、このままじゃ……この部屋がっ!!」
崩壊する。
柱を失った事で天井の一部などが落下してきており、このままではこの場に居る全員が生き埋めになってしまう恐れがあった。
床で頭を両手で押さえながら身体をビクつかせるリディアは、背後に居るヘルメスとジンに助けを求めようとするが。
「……今度は外すなよ」
ジンとヘルメスは落ち着いた様子を見せていた。
ジンは式崩しをヘルメスに素早く投げ、ヘルメスはそれをしっかりと片手で掴み取り。
「それは、どうだ、ろう、な……フフ」
人形によるダメージ、そして式崩しを構築するにあたっての疲労がヘルメスの身体を襲っていた。
再び意識が遠のいていくのをヘルメスも自覚している。
フラフラの状態で式崩しを何とか魔銃にセットする。
だがもう、腕を上げる事すらできない。
「ちょ……あんた大丈、きゃっ!!」
リディアは立ち上がってヘルメスの元に移動しようとしたが、何も無い所で転んでしまう。
ヘルメスと同じように、錬金術を連続で何度も使用した事によってロクに立つ事もままならない状態に陥っていた。
しかしこのままではせっかく式崩しを構築したというのに、原点回帰によって消されてしまう。
「チッ……世話のかかる錬金術師共だぜ。……日々の鍛錬とやらはどうしたんだよオイ」
ジンは額に手を当てて、そんな二人に苦笑し。
「ちょ、あんたッ!! 私のヘルメスに――――」
ジンは魔銃を持ち上げる事すらできないヘルメスに寄り添うような形をとり、しっかりと肩に手を回す。
「ジ、ジン!?」
魔銃の引き金に、ヘルメスと共にジンは指を重ねてかけてくる。
この行動にはヘルメスも顔を赤らめてしまう。
だが、ジンはいたって真剣な表情だった。
そして、
「原点回帰はアンタにしか見えねぇんだ……手ぇ貸してやるからさっさと終わらせんぞ――――”ヘルメス”」
初めて、ヘルメスの名をジンが呼ぶ。
そしてヘルメスは。
何とか意識を保ちながら目を細め、どこまでも優しい笑顔をジンに向けて告げる。
「フフ、ありがとう。……本当に、ありがとう」
最後の力を振り絞り、オプリヌスの狂気に終止符を打つべく魔銃の銃口を必死に原点回帰に合わせる。
だが原点回帰の速度は今まで以上に早く、暴れまわっているので捕える事は容易ではない。
「消えろおッ!! 消えろおッ!! 消えてなくなれぇえええええッ!!! 私は幸せだった日々を取り戻すんだぁああああああああああああああああッ!!!!」
我を失ったオプリヌスはただ闇雲に原点回帰を操り周囲の壁や床を消滅させながら三人に迫らせていた。
まるでその動きは暴走したようにも見える。
愛すべき彼女を取り戻す為に、狂気に堕ちてしまった男の叫びはどこまでも哀しいものだった。
だが、もうヘルメスは迷わない。
解読眼に映る原点回帰を、ヘルメスは直前の距離でようやく捕えた。
「チェックメイトだ、オプリヌス」
魔銃の引き金にヘルメス、そしてジンの指が力強くを込められる。
「私は、私ハァアアアア亜あああああああああああああああああああああああああ」
オプリヌスの脳裏に、走馬灯のようなものが巡り出す。
式崩しは、今度こそ原点回帰を貫いていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ここはギリスティアの近郊に位置する、ハルターバと呼ばれる小さな国。
この国にはとても美しい花畑がある。
二人の男女はそんな花畑に居た。
「ねぇ、ねぇってばオプリヌス」
亜麻色のウェーブがかかった髪をなびかせる女性。
とても優しい声で、木にもたれ眠りにつくオプリヌスを呼びかける。
心地の良い、暖かいその声にオプリヌスは慌てて目を覚ます。
「はっ!? も、申し訳ございませんシャーリー様……」
女性の名はシャーリー=グラシア。
奴隷であるオプリヌスの所有者の一人娘だ。
純白のドレスがとてもよく似合う美しい女性。
「もうー……様なんて要らないって何回も言ってるでしょ? それにその喋り方なんとかならないの? 堅苦しいってばぁ」
「そ、そんな滅相もありません、私如きには勿体ないお言葉です……」
当時のオプリヌスはただの奴隷達とは違い、主に錬金術の才能を見いだされたおかげでシャーリーの護衛という名目でこのように、外に出る事が許可されていた。
「はぁ……それにどうせまたお父様のせいで夜通し錬金術の研究でもさせられてたんでしょ? たまにこうして私と二人で居る時ぐらい楽にしても良いのよ?」
護衛すべき自分を放置し、睡魔に襲われてしまったオプリヌスをシャーリーは一切責める事はなかった。
むしろ、オプリヌスの体調を心配までしていた。
「ありがと、う、ございます……ですがそういう訳には――――」
「だーかーらー、喋り方ー……もうっ!」
俯きながら言葉を詰まらせてしまうオプリヌスに、シャーリーはこの花畑の花で作った首飾りを自慢げに見せつけ。
「ふっふっふー、どう? 綺麗でしょ?」
この場所の光景と、その容姿も相まって、とても――――
「とても、美しいです……」
オプリヌスは、シャーリーに恋をしていた。
その恋心は、まだオプリヌスがまだ幼き頃から芽生えていた。
主とは違い、奴隷であるはずの自身に対して分け隔てなく接してくれ、そして何よりも純粋で優しい彼女の内面に惚れ込んでいた。
だが、奴隷という身分で主の娘に対してそのような感情を抱く事など許されない。
ましてやそれを口にする事など叶うはずなどない。
「ねぇ、オプリヌス……私は錬金術の事はさっぱりわからないわ……。でも貴方はもう立派な錬金術師としてグラシア家にとても貢献してくれてるって聞いてるの。だから……そろそろお父様もお許しをくれる頃だと思うの……」
「私程度の腕でそのような……」
オプリヌスの錬金術の腕前は、この時点で王従士にも届きうるものとなっていた。
そしてオプリヌスがまだ幼い頃、錬金術の才能に気づいた主はある提案をしていたのだ。
錬金術師として立派に成長した暁には、奴隷としてではなく一人の錬金術師としてグラシア家で正式に雇うというもの。
すなわち、奴隷から解放するというもの。
もしそうなれば、オプリヌスは胸に秘めるこの恋心を白昼堂々とシャーリーに伝える事ができる。
来る日も来る日も、それだけを生きる糧として奴隷という過酷な日々と錬金術の研究に明け暮れていた。
「私、一度、お父様に進言してみるわ!」
「しゃ、シャーリー様ッ!?」
何故あの主からこのような素晴らしい娘が生まれてきたのか、オプリヌスはとても不思議で仕方がなかった。
それから月日は経ち。
ついにオプリヌスは奴隷としてではなく、錬金術師としてグラシア家に身を置く事となった。
「ふぅ……」
グラシア家の邸に用意されたオプリヌスの研究部屋。
すっかりと身なりも小奇麗になり、今では立派な錬金術師としてグラシア家に莫大な富をもたらしていた。
「うふふ、お疲れ様。もしかして邪魔しちゃった?」
オプリヌスの研究部屋に姿を現したのは、珈琲を運びに来たシャーリーだ。
「やぁ、シャーリー。今丁度、作業を終えたばかりさ」
奴隷から解放されたと同時に、オプリヌスはシャーリーに胸に秘めていた想いを告白していた。
そして、結果として二人はすんなりと結ばれた。
元から相思相愛だった二人の距離が縮まるのに時間はいらなかった。
だが、この関係はあくまで他者には秘密である。
もしも主にバレてしまえば、せっかくオプリヌスが手に入れたこの立場も奪われてしまうのは目に見えていたからだ。
「今度はどんな研究なの?」
椅子にもたれながら、シャーリーから受け取った珈琲を啜るオプリヌスはとても嬉しそうに告げる。
「これはね、大切な人を守る錬金術だよ。私はね……君から愛と優しさを学んだ。そして理由はどうあれこうして今は錬金術師として活動している。……少しでも誰かの役に立ちたくてね。……まぁ、一番は君なんだけどね」
自分を救ってくれた最愛の恋人。
その優しさはオプリヌスを新たな目標へと導いてくれていた。
大切な人を守りたい、そんな気持ちからその錬金術を構築する研究に明け暮れていた。
「とても素敵な事だと思うわ……。うふふ、で、その錬金術の名前はどうするの?」
「あぁ、実はもう決めてるんだ……。――――正義の鎧。これが完成すれば、私だけでなく、力の無い者でも大切な人を守る事ができる……。絶対に完成させてみせるよ……!!」
この頃のオプリヌスはとても正義感が強く。
シャーリーと同様、誰に対しても優しく接する事のできる男性だった。
「正義の鎧……うふふ、貴方にぴったりね」
だが、オプリヌスはある事件をきっかけに狂気に目覚める。
「う、ぉ、ッ、が、あ、あ、あ、しゃ、シャーーリーーーーーッ!!!!!!!」
それはとても唐突な、不幸な事故だった。
オプリヌスは正義の鎧の完成まであと僅かの所まできていた。
それと同時に、ギリスティアの王従士からスカウトまで来ており、二人の関係を主に認めてもらう絶好のチャンスを掴んでいた。
「オプリ……ヌス……」
二人は、オプリヌスが王従士に所属する手続きの為に馬車でギリスティアを訪れていた。
だが、他の馬車が運悪く二人の乗る馬車に追突してしまったのだ。
「シャーリーッ!!! シャーリー……ッ!!!」
二人は重症を負っていた。
特にシャーリーはオプリヌス以上に深い傷を負っており、地面に横たわり大量の血を流していた。
言葉を発するのがやっとだった。
「何故、何故、だ……もう、すぐ、もうすぐ、だったのにッ!!!」
重症を追いながらも必死に地面を這いずり、何とかシャーリの側に辿り着いたオプリヌスは大量の涙を流してシャーリーの手を両手で強く握り締めていた。
「うふ、ふ……泣き虫、さん……」
「シャー……リー……」
もうシャーリーは助からない。
シャーリー自身、そしてオプリヌスだけでなく周囲の人々、誰もがそう思っていた。
それ程までにシャーリーの状態は酷かった。
「クソォオオッッ!!!!」
シャーリーの手に、自身の額を押し当てて己の無力さに激しく嘆き苦しむオプリヌス。
しかし。
どれだけ嘆こうが医療に関する知識の無いオプリヌスにはこの現状をどうする事もできない。
「オプリ、ヌス……」
「しゃ、喋っちゃ駄目だッ!!! 余計に、傷が……」
涙が止まらないオプリヌスの頬に、シャーリーが何とか手を這わせて最後の笑顔を見せる。
「正義、の鎧……私、は、こうな、ちゃったけど……完成、させ」
「もう喋るなッ!!!! うわぁああああああああああああああッ!!!!!!!!」
「聞いて、オプリヌス……貴方、の……錬金術は、誰か、を、大事……人、……救、って……、私、の……騎士……様……………」
「シャーーーーリィイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!!!!!!」
この事件の後、オプリヌスとシャーリーは近くの病院へと搬送されるが。
「……」
一命を取り留めたのはオプリヌスのみだった。
最愛の彼女を失い、自身の目的すらどうでもよくなっていた。
失意のどん底にオプリヌスは居た。
そしてグラシア家に彼が戻る事は二度と無かった。
シャーリーを失った今、あの場所に居る理由など無いから。
「今、行くよ、シャーリー……」
自暴自棄になり、ついに自殺を試みよとしていた。
そんな時だ。
オプリヌスが狂った錬金術師フェイクと出会ったのは。
フェイクはオプリヌスの全てを見通したように、希望を与えてくれた。
それが原点回帰。
オプリヌスに、迷いは無かった。
フェイクの弟子にしてくれるよう自ら懇願し、原点回帰の研究を進める日々。
これで、シャーリーを蘇らせる事ができる。
あの幸せな日々に戻れる。
そう信じて疑わなかった。
「シャーリー……君は、私の全てだった。君の居ないこの世界など私には……無意味なんだ。必ず、必ず私が蘇らせてみせる……ッ。例え……どれだけの時間や犠牲を払おうと……絶対にッ」
大切な者を想う気持ちは、一人の男を狂気へと堕としてしまてっいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やめてくれぇえぇええええええええええええええええええええええええ」
式崩しは世界の理から外れたその力で、ウロボロスの形をした原点回帰を頭部から破壊していく。
複雑な式で構築されたその身体は、式崩しが触れた箇所から剥がれ落ちるように崩壊を始め。
その破壊はすぐさま全体に広がっていき、原点回帰という時空を操る神と等しきその式を破滅へと誘う。
「シャー、リー……」
原点回帰を構築する大量の式は青白い光を輝かせ、爆散していく。
「ばかな、うそだ……わたしの、りすたーと、しゃーりー……うひゃ、ひゃ、ひゃひゃひゃひゃ、ひぃっひっひぃっひっひ、」
オプリヌスにとって、原点回帰は唯一の希望だった。
それが壊されてしまった。
もう一度、構築し直すには膨大な時間がまた掛かってしまう。
こうして王従士に狙われている以上、もうそんな時間はとても用意できない。
幸せだった日々に時間を戻し、シャーリーを蘇らせるというオプリヌスの全ては、ここで終わってしまった。
もうオプリヌスが自我を保つ事など不可能だった。
原点回帰と同じく、オプリヌスは足元から崩れ、自我を崩壊させた。
「や、やった……の?」
式崩しが直撃した事で、原点回帰は解読眼を持たない者でも認識のできる青白い爆発を見せていた。
「どうやらそうみてぇだな……って、おい!?」
「ヘルメス!?」
全てを出し切ったように、ヘルメスは意識を再び失ってジンに身体を預けていた。
ジンは力の抜けきったヘルメスの身体を片手で必死に抱え、耳を胸元に当てて安否を確認する。
「し、死んでないわよね!? せ、せっかく原点回帰だって破壊したのに……っ」
リディアはヘルメスの側に寄ろうとするが、疲労で身体が動かない。
不安そうな表情でジンの反応を伺う事しかできなかった。
そして、ジンは顔を青ざめて深刻な表情でリディアに視線を向ける。
「う、そ……でしょ? こ、こにきてそんなッ!!!」
だが。
「ぷっ、クク、バァァアアカ、意識失ってるだけだっつーの。こんな見え透いた嘘に騙されるとは流石は天才錬金術師殿は違うなぁ?」
ジンはリディアに馬鹿扱いされた事を根に持っていた。
その仕返しとばかり、笑えない嘘で返してみせたのだ。
満足そうに笑みを浮かべるジンに、リディアは床に横たわりながら中指を立て。
「こ、こんのクソ馬鹿がぁッ!!!」
今にも胸ぐらを掴んで何度も殺してやりたかったが案の定、身体が動かないリディアだった。
「さて、糞チビに仕返しは済んだ所で……。さぁて……」
「死ねッ、あんたの方がバァァアアカだしッ!!! 餓死しろクソッタレッ!!!」
ヘルメスを静かに床に寝かせ、リディアを無視したまま。
ジンは左手をズボンのポケットに入れ、オプリヌスの元にゆっくりと歩いていく。
「よう……んだよ、その無様な姿はよぉ」
ジンの前で、床に寝そべり不気味な笑みを零すオプリヌス。
「ふひひ、うへへへへ、けんじゃのいしぃ、それは、わたしのもんだぁ、よこせぇええ」
弱々しい声でジンに手を伸ばすオプリヌスを。
ジンは、冷ややかな視線で見下ろしてその手を足蹴にして払う。
「いい加減目ぇ覚ませよ……」
「うひっひっひ」
自我が崩壊し、狂ったままのオプリヌスの胸ぐらを掴み持ち上げ。
「おいこら……お前ぇにはまだ聞く事が色々とあんだよ。何勝手にぶっ壊れてんだ……喰い殺すぞ」
ジンの脅迫に反応を示す事なく、胸ぐらを掴まれたまま虚ろな瞳でジンを見つめるオプリヌス。
ジンから放たれる殺気は本物だ。
本当にジンはオプリヌスを喰い殺す勢いだった。
しかし。
「ヘルメス!?」
背後からリディアの声が聞こえてくる。
オプリヌスを掴んだままジンはその声に反応して振り返り。
「……もう立てんのかよ」
そこには。
ヨロヨロの状態で立ち上がるヘルメスの姿があった。
「フフ……日々の鍛錬のおかげだ」
そうは言っていても片腕を抑えながら何とか立つその姿は明らかに無理をしている。
「俺と並ぶそのタフさは認めてやるが……安静にしてろよ」
「そうよ……いくらあんたでも、まだ安静にしてた方が……」
ヘルメスとは違い、未だ身体が動いてくれないリディアは心配そうに顔を上げてヘルメスを心配そうに見つめる。
「そうもしてられんさ……自分は王従士だからな」
「ヘルメス……」
リディアをその場に残し、ヘルメスはジンとオプリヌスの元に足を引きずりながらやって来る。
「エーテル……さん」
ヘルメスが近づいてきた事で、オプリヌスが僅かに反応を示す。
その様子にジンは乱暴に突き飛ばして、オプリヌスをその場に解放してやる事に。
虚ろな瞳のまま全てを失った男は、静かに座り込んで二人を見上げている。
そして。
ヘルメスは右手の中指にハメられた装飾が施された碧の宝石の指輪を見せつける。
宝石の中心には、ウサギの紋章が刻まれている。
ギリスティアの王従士としての証だ。
「……オプリヌス=ハーティス。貴様を王従士として逮捕する」
それだけを告げると、ヘルメスはとても儚い表情を浮かべ。
「……すまないな。……自分がもっと早く……貴様の抱えている闇に気づいていればここまで大事にならなかったかもしれない」
その言葉に。
オプリヌスは、憎悪にかられて表情を歪めていく。
「……っ、この期に及んでまだそんな事を……っ、だから……私は貴女が大嫌いなんですよ……っ!!」
その優しさは、オプリヌスにとって最愛の恋人を思い出させる。
そして、昔の自分を思い出す。
今ではそんなヘルメスと相容れぬ自分を否定される事がとても耐え難いものだった。
だからこそ、オプリヌスはヘルメスが大嫌いだった。
「おい、アンタ……悪ぃが俺の用を先に済まさせてもらうぜ」
そしてジンは鋭い眼光でオプリヌスを睨みつけてしゃがみ込む。
ヘルメスは、ずっと気になっていた。
「……そういえばジンは何故、オプリヌスを追っていたんだ?」
そう、ジンはオプリヌスに聞かねばならぬ事があった。
自身の身体に刻まれた呪いについて。
一瞬、オプリヌスを問い詰める口が閉ざされるが。
ジンはもう何も恐れていなかった。
「……おい、黒い歯車の消し方を教えろ」
狂った錬金術師フェイクによって刻まれた禁忌の式、黒い歯車。
「黒い歯車、だと……? ま、待て……そうか、黒い歯車はフェイクが開発した式だ。同じくフェイクに構築されたジンならその身体に黒い歯車があっても不思議ではない……が。まさか……!? ジンが村を滅ぼしたというあの話は……」
ジンは恩人とよく似たこのヘルメスならばと、信じて真相を告げる。
「……フェイクは、俺に村人を喰い殺せと命令したんだ。何でそんな事をさせたのかわからねぇが……。ま、狂人の考えなんてわかりたくもねぇな……」
ヘルメスは今までのジンを見てきて、とても村を壊滅にまで追いやるとは思えなかった。
「そうだった、のか……」
やはり、ジンは自らの意思で村を滅ぼしたわけではなかったのだ。
全ては、狂った錬金術師フェイクによって引き起こされた事件。
「……とにかく、だ。おいこらオプリヌス。あの鎧はお前ぇが構築したもんなんだろ、なんか心当たりがあると思ってみりゃぁ似てるじゃねぇかよ。……構築者の命令に絶対的に従わされる黒い歯車によぉッ! お前ぇなら消し方知ってんじゃねぇのか、ぇえ?」
ドスの利いた声で、殺意を剥き出しにして脅してみるも。
オプリヌスには特に意味はない様子。
「……黒い歯車の解除方、ねぇ。……あんなもの、構築できるのは先生ぐらいだ。あくまで私は、真似をしただけに過ぎない……クク、解除方なんてわかるわけがない。残念でしたねぇ?」
その態度はジンの怒りに火をつけるには十分なものだった。
「テメェ……ッ」
胸ぐらを勢いよく掴んで引き寄せ、オプリヌスを本気で殺そうとするジンを、ヘルメスが慌てて無理矢理引き離してくる。
「チッ!!」
怒りが抑えきれないとばかりに、苛立った様子で立ち上がるジン。
その代わりに今度はヘルメスがオプリヌスの前にしゃがみ込み。
「……フン、随分と腐ったものだなオプリヌス。元々、悪魔の鎧は貴様が弱者の為に構築した正義の鎧だ。それだというのに貴様は――――」
ヘルメスの言葉が急に遮られる。
「弱者の為ではないッ!!!」
オプリヌスが急に荒げてヘルメスの言葉を否定しだす。
その叫びはこの場に居る者の心に届くものだった。
「……どういう事だ?」
「あれは……弱者の為に構築したものではな、ない……ッ」
オプリヌスの真意は誰にもわからない。
元々、正義の鎧は鎧を装着した者の身体能力を大幅に上げるだけで装着者の意思を操るものではなかった。
ヘルメスは瞳をそっと閉じ。
その心に触れようとする。
「……原点回帰や、正義の鎧……貴様がここまで狂気に呑みこまれてしまったのは、あの写真に写る女性が関係していたのか?」
「ッ!?」
オプリヌスの目から、涙が溢れてくる。
「どうやら、そのようだな……」
ヘルメスはジンに何かを仰ぐように視線を向ける。
だが、ジンはその意図を汲めず困り果てて肩をすくめてしまう。
すると、オプリヌスはヘルメスの胸を抉るような言葉を口にする。
「エーテルさん……貴女だって、もし、自分の家族を蘇らせる事ができるのなら……そうするでしょう」
ヘルメスも、オプリヌスと同じく大切な者を。
家族を失っていた。
だが、もし。
原点回帰を使い、時間を戻せれば――――
「それは……」
戸惑い。
それより先の言葉が上手く出てこない。
しかし、そんなヘルメスに代わり。
ジンがそれを否定する。
「……お前ぇは根本的に間違ってんだよオプリヌス」
「何ですって……」
根本的に間違えている。
オプリヌスにはその意味が理解できなかった、いや考えないようにしていたのだ。
「お前ぇに構築できた原点回帰を賢者の石すら持ってたあのフェイクが構築できなかったなんて本気で思ってんのか?」
そう。
世界そのものを無に帰す事すら可能な原点回帰を、狂った錬金術師フェイクが構築しないわけがなかった。
核となる賢者の石を所持し、恐らくその知識もオプリヌス以上にあったはず。
ならば何故、構築しなかったのか。
必死に何かを誤魔化そうとするオプリヌス。
「……先生は錬金術師としては一流でしたが、人としては三流だっ――――」
「時間なんて戻したとこで意味がねぇからに決まってんだろッ!」
まるで現実を突きつけられた子供のように。
オプリヌスは顔を青ざめながら、ジンの言葉によって捻じ伏せられてしまう。
自分が信じてきた希望すらも否定される。
「ジン、それはどういう事だ……?」
「チッ。……世界式ってのは一つの核を媒体にして構築されてんだよ。……世界の行く末、全てを決めてる”運命の歯車”によってな」
運命の歯車という聞きなれない言葉に、ヘルメスは自然とオプリヌスの方に視線を向ける。
「……どんだけ時間を戻そうが結果は全部、運命の歯車で決まってんだよ。だから原点回帰なんて使おうが死んだ人間は結局――――」
「よせッ!!!!」
その場に座り込んでいたオプリヌスが必死にそこから先の言葉を阻止しようとジンに掴みかかってくるが。
「死んだ人間を蘇らせる方法なんてねぇんだよッ!!!!!」
まるで自分に言い聞かせるように。
ジンは力強くそう言い放ち、オプリヌスの頬を思い切り殴って吹き飛ばす。
「ぐはぁッ」
ジンの怒りに満ちた拳はオプリヌスの意識を容易く奪っていく。
「ジン……やり過ぎだ」
ヘルメスは腕を組んで、瞳を閉じて首を振る。
「うっせぇ! ……アンタら錬金術師は何様のつもりだ? 神にでもなったつもりか?」
この言葉にヘルメスは何も言い返す事はできなかった。
人間は構築できない。
だが、それでも諦めきれなかった錬金術師は神の真似事で人間を構築しようとした。
その結果、人間の紛い物である偽人を構築した。
ヘルメスはもう一度、師匠の言葉を思い出す。
錬金術を扱えるのは神を冒涜しきった人間という種のみに与えられた力。
まさにそうだと思った。
ジンは偽人としてこの世界に生まれ、人間には理解できない苦しみを味わってきたのだろう。
だからこそ、あのような言葉が出てきたのだろう。
「まぁ、丁度良い。オプリヌスは意識を失っているようだ、リディア。疲れているのは承知で悪いんだが拘束具を構築してくれな……ふむ」
「……妙に静かだと思ってたら……使えねぇチビだな」
リディアは度重なる疲労によって既にダウンしていた。
「困ったな……これではギリスティアにある王従士の本部に連絡できん……」
「あん? アンタ一人じゃ無理なのか?」
「む……自分達、王従士は連絡手段に伝書鳩を使うんだが、あ、伝書鳩と言っても特殊な災獣なんだけどな? この王従士の証となる指輪には発信機のような式が組み込まれていて自分の意思でその伝書鳩を行き来させる事ができるんだが……」
その他にも、王従士の指輪は身分を証明する物でもあるので偽造防止の為にとても難解な式で構築されている。
「ただその伝書鳩に託す手紙が問題なんだ……。、防犯の為に錬金術で暗号化しなければならないんだが自分にはそれができなくてな……」
「おいおい、わざわざそのチビ起こさなくても式崩しを構築した今のアンタならそれぐらい朝飯前なんじゃねぇの?」
ヘルメスは顎に指を置いて神妙な顔で告げる。
「いや、それが……さっぱりなんだ。確かに先程までは錬金術についてのほぼ全てを理解したぐらいのつもりだったんだが……何故か今は全部忘れてしまっているんだ。むむぅ……」
「何だよそれ……」
あの時、式崩しを構築したのは奇跡だったのだろうか。
それは誰にも、今ではヘルメスにもわからない。
だが、確かにヘルメスは式崩しを構築した。
その事実だけは変わらない。
「さて……考えていても仕方がない。これから恐らく三英傑が来てオプリヌスを連行していくはずだ。……ジンはこれからどうするんだ?」
狂った錬金術師フェイクに構築された偽人。
更にはその身体に賢者の石がある。
王従士として、ヘルメスも見過ごすわけにはいかない、が。
「そうやって俺にわざわざ聞いてくる辺り嫌な予感しかしねぇんだけど……何考えてんだよアンタ」
「フフ、いや、実はな――――」




