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《ネバーファウンド・レルム》シリーズ

吟遊詩人と湖上の姫

作者: ふゆ


        一


 その人が村を訪れたのは、ある日の夕方でした。

 私はその日の畑仕事を終え、近くで遊んでいた弟たちを呼び、家に戻ろうとしていたところでした。ふと、村の入り口に見慣れない人影があることに気付きました。

「どうした、ジニー」

「お父さん、あれ」

 私がその人の方を指差すと、農具をまとめていた父は眉をひそめ、

「……見ない顔だな」

 そう言ってその人の方へ歩いて行きました。その頃には他にも村の人たちが何人か、その人に気付いていました。私は少しだけ迷ってから、遅れてついて行きました。私が着いたときには、五、六人で、その人と向かい合う形になっていました。


 その人は若い男の人でした。背が高く、涼し気な目をしていました。ゆったりとした服を着て、腰からは短剣を吊って、背中には大きなザックを背負っていました。そのザックには竪琴が括り付けられていて、私は綺麗だなと思いました。

「何者かね」父が問いました。

「旅の吟遊詩人です」その人は答えました。「あてもなく各地を放浪しています。こちらの村に宿屋はありますでしょうか?」

 私たちの村は山の中腹の谷あいにあって、畑を耕したり山羊を飼ったりして生活しています。それで生活が成り立つので外の人たちとは年に数回交易をするだけで、旅人も滅多に訪れません。もちろん宿もありません。

 父と村の人たちは、しばらくその詩人さんと話をしていました。これまでどこを旅してきたのかとか、最近の周囲の様子はどうだとか。やがて打ち解けて、父の申し出で詩人さんは私の家に泊まっていくことになりました。


 その夜は村の皆が集会所に集まって一緒に夕食を取りました。そしてその後は詩人さんが竪琴を奏でながら色々な歌を歌いました。

 春や夏や、秋や冬の歌。花の歌に、森の歌。英雄の歌。神さまの歌。竜の歌。楽しい歌や、悲しい歌。誰もが知っている歌、誰も知らない遠い国の歌。いろいろな歌がありました。皆、ときにはじっと耳を澄ませて聞き入ったり、ときには手拍子を取りながら一緒に歌ったりしました。

 やがて一区切りしたところで、詩人さんが言いました。

「こちらの村に昔から伝わる歌というようなものはありませんか? よろしければお聴かせ下さい。私はこうやってあちこちの土地の歌を集めています」

 村の皆は少しの間互いに顔を見合わせてひそひそと言葉を交わし、やがて殆ど全員が一つの方向を見ました。その視線の先に居たのは、私でした。皆が私を見ていました。

「うむ」父が頷きました。「ジニー、歌ってあげなさい」それから詩人さんの方を見て、「村に伝わる歌というのはある。昔この辺りにあったという国の姫さまの歌でな、村の人間は誰もが歌える。その中で一番うまく歌うのが、まあ自慢するわけじゃないが、うちの娘だ」

 私は少し困りましたが、詩人さんが、

「それは素晴らしい。是非お願いします」

 と言ってやさしく微笑んだので、覚悟を決めました。


 私は歌いました。

 昔々、ある王国がありました。山中にある大きな湖を望む綺麗なお城があり、そこに一人のお姫さまが住んでいました。

 お姫さまには許婚が居ました。その若者は代々そのお城に仕える騎士でした。お姫さまの父親である王さまと、若者の父親である騎士団長が決めたのでした。

 若者はゆくゆくはお姫さまと結婚し、その国の次の王さまになるわけです。が、そのことが気に入らない人たちも居ました。一介の騎士でしかない若者に、王になる資格などあるのか、と。

 そういった人たちを納得させるために、若者は様々な試練に挑みました。いずれも困難な試練でしたが、知恵と勇気と、そしてときにはお姫さまの協力もあって、一つずつ乗り越えていきました。その度に若者に対するやっかみの声は消えていきました。

 そして若者は最後の試練に挑むために旅に出ました。最後の試練、それは竜を倒すことでした。それを達成することが出来れば、英雄として誰もが彼を次の王さまとして認めるでしょう。

 そして……若者は帰って来ませんでした。

 やがて人づてに若者が命を落としたことを知ると、お姫さまは泣きました。たくさん泣きました。その姿を見て、最後まで若者が次の王さまになることに難色を示していた人たちも、そのことを後悔しました。

 人々は若者を英雄と呼びましたが、それで彼が帰ってくるわけでもありません。

 お姫さまはその後、ずっと、泣いて暮らしたそうです。


 長い歌でしたが、実はそんなに長くない旋律を繰り返しているだけで、そして詩人さんは二番の途中辺りでそのことに気付いたらしく、竪琴で伴奏をしてくれました。

 何でこんな悲しい歌がずっと伝わっているのかは判りません。村の誰に聞いても、その理由を知っている人は居ませんでした。

 悲しい歌ですけど、私は嫌いではありません。

 詩人さんは、綺麗な歌ですね、と言いました。


 弟たちは退屈した様子で、詩人さんにもっと竜や英雄の歌を歌ってとせがみました。詩人さんは苦笑して、では今度は比較的最近の歌を、と言って〝竜騎士〟の歌を歌いました。これも騎士が竜を倒して英雄になるお話ですが、ほんの二十年か三十年ほど前のお話で、その英雄は今も騎士として王国に仕えているのだそうです。

 あのお姫さまの許婚だった若者も、無事に竜を倒して帰って来ることが出来れば、いいえ、そもそも竜なんて倒しに行かなければ良かったのに、と私は思いました。


        二


 夜中。私はふと目を覚ましました。

 明日も早いのですぐ寝直そうと思ったのですが、なかなか寝付けません。仕方なく私は寝床から出ると、台所へ行って瓶から水を汲んで飲んで、それからなんとなく庭に出てみました。

 夜空には月が二つとも満月で出ていて、辺りを白い光で明るく照らしていました。

 そしてその光の下で、庭にある樹の根本に、詩人さんが腰掛けていました。手に竪琴を持って、それを爪弾くようにしながら、でも音は出していませんでした。唇も、声は出さずに形だけ、歌を歌うように動いていました。

 私はしばらくぼんやりとその様子を眺めていました。やがて詩人さんは私に気付きました。

「……おや、どうしました、こんな夜中に?」

「何だか眠れなくて……。詩人さんは?」

「貴女に歌って頂いた歌をおさらいしているんですよ」

 そして詩人さんは少し考え、

「あの歌にあった湖というのは、この近くにあるのですか?」

 と聞いて来ました。

「歌に出てた湖かは判りませんが、近くに大きな湖はあります」

 私は答えました。

「ではそこへ案内して頂けませんか? 今から」

 今から? こんな夜中に? 私は最初、そう思いました。でも、少し考えたあと、何故か、

「判りました」

 そう答えていました。


 その湖は、村からそれほど離れていない場所にありました。こんな夜中に来るのは初めてでしたが、二つの月が映っていて、とても綺麗でした。

「お城があったとしたら、あの辺りですかね」

 詩人さんが言いました。言われた辺りを見ると、確かに、もしそこにお城があったらとても画になるだろうなと思いました。

 私たちは黙ったまましばらく湖を眺めていました。

 そしてやがて、詩人さんは竪琴を構え、静かに爪弾き始めました。歌はなく、竪琴だけでした。集会所でも弾かなかったとても綺麗な曲でした。

 ふと、湖の水面上に何かが揺れた気がしました。

 それは白い光のようなものでした。静かに揺れているそれは、最初はほんの小さなものでしたが、見ているうちに少しずつ大きく、そして形もはっきりしてきました。

 それは人の姿をしていました。綺麗な服を着た、綺麗な女の人でした。

 月の光の中、湖の上に浮かぶ、白く透き通ったお姫さま――そう、それは私が見たことの無い服でしたが、紛れもなくお姫さまの衣装でした。

「貴女に歌って頂いた歌のお姫さまですね」

 竪琴を爪弾きながら、詩人さんが言いました。


 私たちはゆっくりと湖の岸辺に近づいて行きました。お姫さまもまた、こちらに近寄って来ました。

 水際を挟んで、ほんの数メートルの距離を置いて、私たちは向かい合いました。

 お姫さまは黙ったまま、悲しげな目でこちらを見ていました。

 私は何を言えば良いのか判らなくて、ただお姫さまを見ていました。

 詩人さんはそのまましばらく同じ調子で竪琴を爪弾いていました。そしてふと、その曲調が変わりました。先ほどまでと同じく綺麗な曲でしたが、どこか、私が歌った歌に似た旋律でした。

 それを聞いて、お姫さまが何かを言いたそうに口を開きました。でも、言葉は何も聞こえませんでした。

 それを見て、詩人さんは笑顔を浮かべ、そして歌い始めました。


 それは一人の若者の物語でした。

 彼は、試練の旅の途上でした。許嫁の女性に相応しい騎士になるための試練でした。

 長く苦しい冒険でしたが、若者はくじけることなく進み続けました。そしてやがて、旅の目的地に辿り着きました。そこは故郷から遠く離れた、竜の住む島でした。

 若者は竜に挑みました。竜を倒して英雄となり、許嫁の女性に相応しい騎士となるために。

 ところがそのとき、島の火山が噴火しました。

 竜は言いました。この火山の麓には村があり、人が住んでいる。このまま放っておけば村は溶岩に飲まれるだろう。火山の火口と麓との間にある岩を砕き、溶岩の流れを誘導してやれば、それを防ぐことは出来る。だが、それはお前にとって非常に危険でもある、と。

 どうする、と竜は問いました。村のことは気にせず、どこかに隠れて溶岩をやり過ごしてから、戦いを再開するか。それとも村を救うか。自分は村の行く末に興味は無いので、手伝うことはしないが、邪魔をするつもりも無い、お前が決めろ、と、そう竜は言いました。

 若者は迷いませんでした。竜との戦いを放り出し、岩を砕きに掛かりました。岩は硬く、大きく、簡単には行きませんでしたが、これまでいくつもの試練を乗り越えてきた若者は、ついに溶岩が迫る直前それを打ち砕くことに成功し、そうして村は救われました。

 しかし若者は溶岩に飲まれ、還らぬ人となりました。

 それを見た竜は、麓に降り、火山の噴火に慄く人々に、若者のことを伝えました。それを聞いた人々は、若者を英雄と呼びました。


「遥か遠くのとある島でこの歌は代々歌い継がれているそうです。その島には大きな山がありますが、それがその歌に出てくる火山かは判りません。竜も棲んではいません。ですがもしそれが実際にあった出来事であるならば、我が身を顧みず村を救ったその若者の、いえ、英雄の物語は彼の故郷に伝えられるべきではないか、と、その島の人々は言っていました」

 詩人さんがそう言い終えると同時、お姫さまの隣にもう一つ、人の姿が現れました。

 それは立派な鎧に身を包んだ騎士の姿でした。

 お姫さまは驚いたような表情で彼の顔を見て、騎士もまた優しい目でお姫さまを見返しました。やがて二人はどちらからともなく互いを引き寄せ、強く抱き締め合いました。

 そして二人は私たちの方を見ると、その口が何かを言うように動きました。おそらく、今の私たちとは使う言葉も違っていた筈ですが、私には何となく、彼らの言っていることが判った気がしました。

 ありがとう、と、彼らはそう言ったのだと思いました。

 二人は笑顔を浮かべました。

 やがて二人の姿は白い光に包まれ、その中でだんだん薄れて行き、その光はますます強く眩しくなって、そして――


        三


 気づくと、私は自分の家の自分の部屋の寝床に居て、窓からは朝の光が差していました。

 夢だったのでしょうか。そんなことを考えていると、弟たちが私を起こしに来ました。いつもなら朝一番の山羊の世話をしている時間です。私は慌てて身支度を整え、部屋を出ました。


 しばらくすると詩人さんが出て来ました。荷物を背負っていました。また遠くへ行くので、少し早いがもう出立するのだそうです。

 私たちは、他の村の人たちも、朝の仕事の手を止めて詩人さんと挨拶をしました。

 昨夜の出来事が夢だったのか本当のことだったのか聞きたかったのですが、夢だったら恥ずかしいですし、本当のことだったら夜中に湖まで行ったなんて父に叱られるので、私は黙っていました。

 詩人さんは

「いつかまた来るので、そのときにはまた貴女の歌を聴かせて下さい、ジニーさん」

 と言い、私は黙って頷きました。

 そうして詩人さんは村を後にしました。


 仕事に戻りながら、私はなんとなく、あの歌を歌いました。

 お城に住むお姫さま。

 その許嫁の若者。

 いずれ王さまになる若者を妬む声。

 試練に挑む若者。

 最後の試練として竜を倒すため彼は旅に出る。

 そして長く苦しい旅の末――


「あれ?」

 火山の噴火から村を救い、竜とも和解した若者が故郷に帰り、お姫さまと結ばれて、と、そんな結末まで歌ったところで、私は違和感を感じました。

「ん、どうした?」

 すぐ横で私の歌を聞きながら草刈りをしていた父に、私は、

「この歌って、こんな終わり方だったかしら」

 と聞きました。父はわけが判らないという顔をしました。

「昨日までは、この歌の結末って確か……」

 そこまで言って、しかし私は自分が何を言おうとしたのか判りませんでした。

「ずっと昔からその歌の結末はお前が今歌った通りだっただろう。姫さまと若者が結ばれ、末永く幸せに暮らして、めでたしめでたし。幸せな結末だ。何か不満でもあるのか?」

 父の言葉に、私は、何でも無い、と答え、作業を再開しました。

 まだ心に引っかかるものはありましたが、あの笑顔を思えば(誰の笑顔だったかは思い出せませんが)、確かに幸せな結末に何の不満もありません。

 そしてふと、あの詩人さんは、そうやっていろいろな物語を、放浪しながらあちこちへ届けているのかな、と、そんなことを思いました。


       (了)


作業時間の半分ぐらいは「湖上」と「湖城」どっちが良いか迷ってました。

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