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静かなる憎しみ編3

◇◇◇◇◇◇


 時代も昭和から平成に移り変わり、バブルは崩壊した。

 更に追い打ちをかけるように消費税を導入され、我が家の家計も例外なく圧迫された。

 私は長年の専業主婦を返上し、パートに出ると旦那に申し出た。


 理由は、二年前に建てた家の住宅ローン、息子の学費及び塾の月謝、更には修学旅行の積み立てが重なり、これらを支払うのには旦那の稼ぎでは到底無理だと判断したからである。


 私は家事をこなしながらも、必死で働いた。

 節約しながら密かに貯金した。

毎月ちょっとずつ、ちょっとずつ。

 息子のためにと思い、貯めてきた大切なお金だった。


 ある日、いつものように、なけなしのお金を貯金しようとすると、一万円が五枚も減っていた。


「あなた~。ここのお金知らない?」


 私はソファーで新聞を読みながら寛ぐ旦那に聞いてみた。


「あぁ、それならパチンコで負けて使った。悪いな……」


「あれは正弘のために……貯めてた大切なお金……」


「まぁ、そう怒るなよ。また貯めればいいじゃないか」


 旦那から正式な謝罪の言葉はなかった。


『憎たらしい……死ねぇ、死ねぇ』


 私の頭の中は憎悪に満ち溢れていた。

 一歩間違えれば、殺してしまいたいほど……そこまで私は追い込まれていた。


 この時、私は誓った。

『この男を絶対に許さない……私の人生をめちゃくちゃにした、この恨み。生きていけないほどに、復讐してやる』と。


 そうと決めてからは、だいぶ気が楽になった。

それまでは『良き妻』を演じようと。



◇◇◇◇◇◇


 息子も成長し、三流大学だが無事卒業することが出来た。


 就職先は、地元ではそれなりに知名度のある、電子部品の会社の企画部に採用され、息子は会社の寮に入ると私達の元を離れていった。


 息子が出ていってからは部屋がやたらと広く感じた。


 会話のない旦那との生活。

我が家にはテレビの音だけが響き、旦那と一日話さないことなんてザラだった。


 そんな日々を我慢して我慢して、ようやく復讐の時がやって来た。

 この時をどれだけ待ちわびたことか……。



~その前夜~


「あなた……いよいよ明日で定年ね。長い間、本当にお疲れ様でした……」


「うむ。お前にも色々苦労させたな……」


「それはそうと、あなた。退職金なんだけど、明日私が卸して来ますから。最近じゃ、オレオレ詐欺なんかもあるし、現金であった方が安心できるわ」


「それも、そうだな。お前に任せる」


「じゃあ、今日はもう寝ましょう」


 何も知らずに、イビキをかきながら眠る旦那。

このまま首を締めてやりたい……そんな衝動にかられたのは一度や二度じゃない。

 私は何十年もの思いを胸に眠りについた。



~翌朝~


「じゃあ、行ってくる」


「いってらっしゃい、あなた」


 旦那を会社へ送り出すと、前もって準備していたスーツケースと、白地に緑の線で構成された離婚届を押し入れから取り出した。


 手際よく離婚届を記入し、判を押す。

更に便箋に、手紙を綴った。


 ここまでは予定通りだ。


 私はコーヒーを飲み一息つくと、銀行へ向かった。


 窓口で手続きをする際に、あまりに大金なため身体が震えた。


「お客様、大変お待たせ致しました。二千万円でございます。お確かめ下さい」


 あまりの大金に私は吐き気を模様した。

深呼吸をして、呼吸を整える。


「ふぅ……」


 精魂つきて私は自宅までの短い距離をタクシーで帰った。


 私は金庫に五百万ほど保管して、長年住み慣れた家を後にした。



 私は再びタクシーに乗り、運転手へこう告げた。


『私の知らない……とにかく遠いところに行きたい』と。



 私はクスッと笑った。

今頃旦那が帰って、テーブルに上がった離婚届と手紙を見ているだろうと。


「あなたへ 

金庫に五百万が入っています。それで残りの住宅ローンを支払って下さい。残りの一千五百万は、慰謝料として貰っておきます。離婚届には判も押しておいたので、記入したら提出して下さい。では、余生をお過ごし下さい。裕子」


 人生半ばにして、ようやく私は旦那という呪縛から解放された。

 人生まだまだこれからだと、知らない土地で第二の人生を送り始めた。



 それから二年後くらいに旦那の死を知った。

 自宅で心筋梗塞で倒れ、そのまま息を引き取ったらしい。

いわゆる孤独死だ。

 愛情はなかったが、長年連れ添った間柄だ、線香の一つも上げてやろうと住んでいた街に戻った。


 長年住んでいた家を見ると、少し見ない間にかなりの劣化が進んでいて、庭は荒れ放題だった。


 目を閉じると、懐かしい日々が甦る。

 旦那と正弘と三人で過ごした数少ない平和だった日々……。


 込み上げる思いを我慢出来ず、私は涙を流した。


「母さん?」


 偶然にも、正弘が私の前に姿を現した。


「母さん、久しぶりだね。家に上がってよ」


 正弘は家の鍵を預かっていたらしく、私を招き入れた。


 あの頃と変わらない家具の配置、家電製品……懐かしさに浸っていると正弘が私に手紙を渡した。

「それ、生前親父から預かってた手紙。俺にもしものことがあったら渡してくれって」


「あの人が?」


 不器用に閉じられた封筒を開けると、見覚えのあるゴツゴツした字で綴られていた。


『裕子へ すまなかった。俺が悪かった。謝っても許してもらえるとは思わないが、これだけは信じて欲しい。俺はお前を愛して………』


 手紙は滲んでこの先は読むことが、出来なかった。


「あなた……ズルいわよ……散々私達に嫌な思いさせて……先に死んで、一方的に気持ちを伝えて……ズルいわよ」


 私は後悔した。

何十年と旦那が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

 でも、こうして失って初めて気付いた。

『私は旦那を愛していたのだと』


 お互い素直になれず、歪んだ愛の形が今回のようなケースを招いたのかもしれない。


 私は墓前の前に手を合わせた。


 黄色い向日葵が天を仰ぎ、蝉の鳴き声が響き渡る。


~あの人が好きだった季節~


『憎しみは何も生まない……』


 そう、いつの時代も。

 静かなる憎しみ編は、これでおしまいです。

 次はどんな愛と憎悪が待っているのか?

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