静かなる憎しみ編1
新しい物語の始まりです。
今度はどんな愛と憎悪が待っているのでしょうか?
『あなたには、我慢してきた憎しみがありますか?』
◇◇◇◇◇◇
一九七三年、十八年続いた高度成長期にも陰りが見え始めていた。
その背景に中東戦争の勃発により、石油輸出国機構の加盟国が原油価格を引き上げたのを引き金に、オイルショックの要因になったのは皆さんもご存知だろう。
あらゆる物の価格が高騰し、社会的混乱の中、私は親の紹介で今の旦那と出会った。
この時私(瀬波 裕子)は、若干十九歳の右も左もわからない若者だった。
厳格な父の紹介ということもあり、自分の意思とは関係なしに結婚まで至ったのは言うまでもない。
旦那は典型的な亭主関白で、『女は家事、育児をしてればいい』そんな考えの持ち主だった。
しかし、旦那しか知らない私はそれが当たり前、結婚とはそういうものだと思い、言われた通りにやるしかなかった。
今の時代と違って私の世代では『離婚』など御法度で、考えるつもりも毛頭なかった。
家事をやるのは当たり前。女は黙っていろ。旦那は口癖のように、毎日と言っていいほど私を罵倒した。
そんな日々を過ごしていたある日、一筋の光が包んだ。
長男である『正弘』の妊娠である。
この時ばかりは旦那も両手を挙げ喜んだ。
その姿を見て結婚も悪くないなと、初めて思った。
出産は難産で、陣痛が来てから一日半掛かった。
旦那は出張のため不在で、立ち会うどころか息子の顔を見たのは、出産から三日も過ぎてからだった。
里帰りを終え、自宅に戻ってからの日々は地獄だった。
旦那は正弘を抱こうともせず、酒を呑んでは私に暴力を振るうようになった。
正弘が夜泣きをすれば、『明日早いんだ。何とかしろ!』と怒鳴り散らし、背中を蹴りつける。
育児に追われ、夕飯の支度が遅れようもんなら、無能扱いされ顔面を殴り付けられた。
お陰で私はアザだらけで、腰までも傷めてしまった。
だが、誰かに相談することは身内の恥と考え私は唇を噛み締め、じっと我慢した。
◇◇◇◇◇◇
正弘もようやく私の手から離れ、小学校に入学しようという時、またも事件は起きた。
私は風邪を拗らせ、寝込んでいると『飯はまだか? まだ、Yシャツにアイロンを掛けていないのか!』と、高熱に魘される私を叩き起こし、平手打ちを喰らわした。
さすがに限界だった。
体調が戻った私は正弘を連れ、実家に逃げ込んだ。
父は納得がいかない顔をしていたが、母は温かく私達を迎えいれてくれた。
案の定翌日、旦那が迎えに来た。
私は言った。
「私は精一杯努力してるつもりです。体調が悪い時ぐらい協力して下さい」
結婚して初めての旦那に対する抵抗だった。
「わかった。これからは、なるべく協力する。だから、戻って来てくれ」
私は旦那の言葉を信じ、正弘を連れて自宅へ戻った。
自宅に戻ってからというもの、旦那は人が変わったように正弘の相手をしたり、少しずつだが家事も手伝ってくれるようになった。
だが、それも長くは続かなかった。
そう、『人は簡単には変われない』。
再び旦那は、私を奈落の底に突き落とした。
私の中で、旦那に対する憎悪が深まっていった。




