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滅国の少女騎士 ~ボク、とってもざんこくなんですけど?~  作者: 森河尚武
第四章 黒髪少女の休息と帝国の憂鬱
20/49

朝の散歩

戦闘は特にありません。


これからまた大変な目に遭うフェテリシアの息抜き的な話がメインです。

2013/9/6 誤字脱字・追加


少しだけ、雲がひろがった肌寒い天気の帝都。

 早朝の市場が終わり、人通りが少し落ち着いてきた帝都中央市場。

 近くの道路や広場では、屋台が組み立てられたり、店舗の商品を並べたりと忙しく働いている。

 前夜に仕込んできたものを温めたり、その場で火を起こして焼いたり、揚げ油や蒸し器を温めたりなどの準備で、食欲を誘う薫りが広がっている。

さらには空きスペースに折り畳みの椅子や机が並べられて、朝食を購入した人が思い思いに座り、食事を始めている。

 帝都では、朝食は店で購入したものを好きな場所で食べたり、職場に持ち込んだりするのが一般的な風景だ。

 バターをたっぷり練りこんだふわふわのパンの真ん中を切って、マスタードとソースを塗り、レタス、ふわふわのスクランブルエッグか、ソーセージや燻製肉を挟んだサンドイッチに甘いティーか果物のジュースというのが定番の朝食なのだが、ここ帝都中央市場では少し事情が異なる。


 帝国中のものが集まる帝都では、当然のことながら地方出身者が大勢おり、地方の特産品や料理法もまた持ち込まれる。そのため帝都では食せない料理などないとまで云われている。

 それらの特産品が集まる中央市場。

 その前広場で数多く集まる出店は実にバラエティ豊かだ。


 塩味のきいた焼きたてのバケットやいろいろなゆでた野菜を混ぜたサラダ、小麦粉を練った麺にさまざまな香辛料を効かせたスープをかけたもの、一口大に切った鶏肉を揚げて、酸味のあるソースを絡めたものや小魚の油漬けを細かく刻んでにハーブと香辛料を数種類混ぜたパテ。パテは数種類もあって、鶏肉や柔甲蟹のもの、刻んだ燻製卵やあめ色の玉葱を混ぜたものなどもある。堅めのバケットに乗せて食べるとこれが実に合う。

 パンが主食だが、ライスも普通に食べられている。

炊かれたつやつやと輝く白いライスに豚の脂肉を高温の油でからっと素揚げしたものをのせて、特製ソースをかけたもの。肉の下にひかれた葉野菜の鮮やかな緑色が目にも映える。

豚の背脂と大火力で炒めたライスにばさっと薫り高いハーブをのせて、魚の出汁がよくでている澄んだスープをかけたもの、さっと火が通されたほとんど半熟のスクランブルエッグをのせ、魚醤やソースをかけて塩気のある漬け物を添えたライスなど。

 甘いものもある。ねばりのあるライスを蒸し、ちょっと粒が残るくらいについて丸めて軽くあぶり、いろんな果物のソースをからめたものや、色とりどりのカットフルーツ、オレンジ、グレープフルーツやブドウなどの搾りたてのジュースもある。ほかにも名水地から運ばれてきたミネラルウォーター、薄めたワインやジンジャーを混ぜた自家製の白濁酒を薄めた甘い飲み物など、帝国中の料理や飲み物が集まって活気あふれる商売がされている。


 帝都市民は素晴らしく豊かというわけではない。その一方で、人生は楽しむべきだという意識がある。そのためか、食事を楽しむ人が多く、味などにはとてもうるさい。安くて、少しでもおいしいものを食べようとして鵜の目鷹の目で探す。

だから、少しでも味が落ちたり飽きられたりしたら、たちまちのうちに閑古鳥が鳴くようになるほどの厳しい競争に常にさらされているのが、帝都の屋台や店舗だ。

その中でも競争の厳しさで一番有名な帝都中央市場前広場を、黒髪の少女が歩いていた。

白地に細い緋色と黒のチェック柄が入ったワンピースに、クリーム色の薄手のカーディガンを羽織った15歳くらいのかわいらしい少女。

残念なことに胸はないが、ほっそりとした手足と、華奢な腰つきには将来に期待できる片鱗がある。

 彼女は興味深そうにあっちこっちを見ながら歩き、ときどき店番の人に話しかけたりする。

「おじさん、おじさん、それってなぁに?」

「白身魚と根菜を秘伝の辛い調味料で煮込んだものだ。見た目はちょっと辛そうだが、うまいぞー。どうだい、嬢ちゃん味見してみるかい?」

「うんっ!」

「おう、うまいぞー」

 どろっとした赤橙色の汁を少しだけ小皿にすくって少女に渡す。受け取った少女はちょろっと舐めて一言。

「からっ」

 舌をだして、はふはふと息をすると、周囲の人がどっと笑った。

「ははは、嬢ちゃんにはちょっと辛すぎたかい」

 わらう店主のおじさんに少女は一言

「もうちょっと辛みをおさえたほうが好きかな?」

「そうか、そうか。でもな、こっちのロールライスと合わせるとまた違う味になるぜ。嬢ちゃんもきっと気に入る」

 隣の蒸し器の蓋をずらして、白い蒸気でいっぱいの中身を見せた。つやつやとしたつぶつぶのものがきれいに三角形に丸められていて、ちょっと茶色い。帝国南西地方で栽培されている米の一種で、炊き上げて形を整えて蒸したそれは、不思議なもちもちとした触感が特徴の食べ物だった。

「わ、なんかおもしろい。どんな風になるの?」

「こっちはこっちで甘いんだがな、煮込みを口に含んでかじるとあら不思議。辛いだけのスープが魚介の薫る旨みにかわるのさっ!」

「ほんとう?」

「もちろんさ。それがこの秘伝の煮込みとロールライスの特徴だからなっ!」

 でっぷり太った店主が胸をそらす。

「じゃ、それといっしょに一杯ちょうだい」

「おお、そうか、そうか。まいどありー」

 がまぐちから取り出した小銅貨数枚をわたして、薄い素焼きの使い捨て椀と包装紙に入れられたロールライスを受け取る。

 それから空いていたテープルを探して座った。

 

「いただきまーす」

 手を合わせて、白いサワークリームが浮いた赤橙色の魚介煮込みをぱくりと頬張る。

「からっ」

 あわてて、ロールライスをかじる。そうすると、不思議なことに辛みが薄れて香辛料や魚介の薫りがして、旨みが舌の上に広がった。

「あ、おいしい……」

ちょっと肌寒い今日の天気のせいか、温かい煮込みは身体も温めてくれる。

「むかし食べたてたのやウェンリィ姐さんのに比べれば大雑把だけど、でもおいし」

 いちおうは貴族だった彼女が慣れ親しんだ味ではないが、やはり祖国の薫りはほっとする。

 ロールライスをかじって、煮込みを口にする。ほふほふと息をして味わう。

少しだけ入っている白身の魚は丁寧に骨がとられていて身はほろほろと崩れ、大粒の貝の身をかむと中からあつい潮の香りがする汁がじゅわっとあふれる。

店主のおっちゃんが別の鍋で一煮立ちさせた貝を器に盛ってから熱い煮込みをいれたのだ。

貝の身に味は染みていないけど、辛い煮込みスープがソースになってまた違った味になっておいしい。

 最後のひとさじまですくって、手を合わせる。

「ごちそうさま」

 椀と小さじを分別回収の係員に渡す。これらは壊して再利用するのだ。水がそれなりに貴重なので、洗うよりも砕いてまた素焼きするほうが安いのだ。ロールライスの包装紙は分別ゴミ箱にいれて、また歩き出す。


 朝の出勤前の時間になり、活気にあふれる屋台村の中を邪魔しない程度にいろいろ覗きながら歩き、途中で牛乳を買う。

彼女はなるべく牛乳を飲むようにしている。

けっして牛乳売りの胸の大きいお姉さんの「ここだけの話、胸が大きくなるミルクなんだよ」という言葉につられたわけではない。胸が大きいなぁとじっと見てたら、「あら、もしかして胸に興味あるの?」と声をかけられ、思わず自分の胸を見てしまったのがまずかったらしい。

うふふと笑ってこっそりと耳打ちされたその言葉なんて、断じて関係ない。ないったらない。そもそも牛乳を飲むと胸が大きくなるなんて科学的根拠のないただの俗説であり、超科学の申し子である自分はそんなものを信じることは無い、というか別に胸が小さいことは恥ではなく、大きい胸なんて「肩こるわー」「男性のいやらしい視線を浴びちゃうのよねー」「汗かくといろいろたいへん」とかいいことなんてないのが哀れみの視線で話すお姉さま方の共通の見解でありもげろまだ成長期なのだからきっとまだ大きくなる余地があるのであって夢と希望が詰まっているからくそううらやましくなんてないのだ牛乳売りのお姉さんは「この牛乳を飲んで私も胸が大きくなったの」と言っていたが天塔騎士は年取らないのでどうでもいいのでありつまりわたしは牛乳が好きなだけで他意はない。ないのだ。

証明終了(Q.E.D.)。――なにが?


ふた付きの木製コップに入れてもらった牛乳をちびちび飲みながら、今度は河岸を歩く。

帝都は、平和だ。早朝の散歩や運動をしている人や、出勤前の愛の語らいをしている若い恋人?夫婦がいたりと、ごく普通に平和な風景がひろがっている。


彼女はいちおう貴族のお嬢さまだったから、剣術道場の行き帰りに従者と一緒に歩いたりすることがある程度で、庶民の生活はそれほど知らない。

だから、いろいろと知らないものがあってとても新鮮だった。

だいぶずれた質問や答えをしていたはずだが、市場の人々はいろいろと親切だった。中には地方からの観光客とみてぼったくろうとした人もいたが、周りからたしなめられてしぶしぶ引き下がったり。

「ほんと、こうしてみるとほかの国とそんなに変わんないのにな……なんで、あそこまで差別が出来るのかな……」

特におかしなところもない普通の人々。――だが、それは同じ帝国民同士のときだけ。

彼女はそのことをよく知っている。身をもって知っている。

だから、そのことを考えると今でも背筋に冷たいものが降りてくる。

――怖い。とても怖い。

優しく子供を撫でる手で、〝能無し(ノマー)〟を痛めつけたり殺しても平然としている。

家畜の扱いかそれ以下の感覚で、罪悪感などまったくないのだ。


魔法が使えぬものは人間に非ず。


はっきりとその国是が捧げられているとはいえ、国民の営みは文化の違いがあっても周辺国家のそれと何も変わらない。

だが、それが〝魔法の使えないもの〟に出会ったときにがらりと変わる。まるで、カードを裏返したかのように。


それは人の一番汚い部分を集めて濃縮した汚泥、醜悪そのもの。

しかも悪意だけでそうしているのではなく、普通の人がごく自然になんの悪意もなく行える歪さ。

そうすることを疑問にすら思わない。――それらが彼女に恐怖を覚えさせる。


人間の一番汚い部分に曝され続けた少女は、悪意にとても敏感だ。しかし、先日の元父さまの豹変を見て思った。

(ごく自然に、そういう態度になっていた)


悪意などない。そうすることが当たり前で、疑問にも思っていない。

ほんの数十秒前まで、〝愛する娘〟とまで云っていたその口で、役だって死ねば本望だろうと云った。

ありえない。そこまで切り替えられるのだろうか。

かつて貴族であり家族に愛されていた彼女が体験し、間近に見たその歪みの酷さ。

でも、それは帝国民すべてに共通している性質なのだ。


(まるでそういう風に洗脳されているみたい――!?)


不意に落ちてきた結論にフェテリシアはおなかに冷たいものが刺し込まれたように感じて足を止めた。

あまりにも冷たい冷気が静かに這い上がってくる。


誰かが、そうしたとしたら?

意図的にそのようにゆがめたとしたら? そのように教え込み続ければ、おそらく数世代も経ればそのようになるかもしれない。

自然とそういう性質なのだというより、まだ納得できる。――が、その目的が判らない。

どのような組織が何の目的でそんなことをしたのか。


牛乳を口に含む。甘い草のような薫りが広がり、思考をちょっとだけ冷やしてくれる。

河岸の鉄柵にひょいっと腰かけて、器用にバランスを取る。ふわふわとゆれるひざ丈の裾から黒いタイツに包まれた脚がぶらぶらとする。


 S4機密回線でユネカのデータベースにアクセス、帝国に関する情報を検索――『一部を除いてアクセス不許可。上位者許可が必要です』と表示される。

すぐにコード・アイン大佐に申請、速攻で不許可。理由を問う。

――任務上必要な情報は開示されている。また現在は謹慎中ということを忘れるな。


網膜表示された通信文は、定型かと思いきや一言追記されているので実際に返事をしたらしい。

コード・アイン大佐は彼女の行動を把握しているということをわざわざ告げている。


(あたりまえだよね、いちおう謹慎中だし)


天塔騎士に拘束や牢屋は意味がないし、そもそも任務遂行中は特例許可がない限り連行されない特権がある。

その特権の一部を停止させられてまで、現地での一時謹慎が執行されているということは、いかに重大な違反をしたかということでもある。


(任務中止が言い渡されないのが不思議なんだよね。まるで、ボクじゃなきゃ(・・・・・・)いけない(・・・・)みたい)

 ユネカは組織だ。そして組織内の人間は原則として替えが効くように整備されていると彼女は習った。

だから、今回の任務についても、換えの人員が居てもおかしくないというのに、任務続行となっている。

まるで、その程度は織り込み済とでもいうかのように。

そんなはずはないと思うのだが、その疑念はぬぐえない。


(上層部は……なにかを隠している。それも帝国に関連して。帝国の上層部、いやたぶん皇家とかなり強いつながりがあるのかな? そうじゃなきゃ、今回の入国だってできないはずだし)


 天塔騎士の移動には制限があると教わっていた。

原則として各国上層部の許可がないと入国できないのだ。例外はフェアウィルド条約に違反、または強制査察のときぐらいしかない。それとて、必ず事前通告を行うのが基本だ。

諜報活動や潜入捜査は天塔騎士の業務ではない。なぜならば天塔騎士は国の代表、大使であり他国民への看板なのだ。大使級の人間自ら諜報活動をするのはせいぜい公務を通してというのが普通だ。

諜報や潜入活動はそのための訓練を積んだ諜報部が行う。そういったプロでなければ、ユネカの立場を悪くしてしまうこともあるような活動を行う諜報部は、そういったプロの集まりだ。

もっとも国の最強戦力である天塔騎士と実戦部隊である騎士団と諜報部は仲が悪い。

情報の間違いで危機に陥る実戦部隊、実戦部隊のミスでせっかくの情報を無駄にされる諜報部、相手のミスで俺たちが尻を拭いてやっていると互いに認識しているのでは仲が良くなるわけもない。

それらはさておき、フェテリシアは今回の任務は査察ではなく、依頼だと知らされていた。


――では、依頼人は誰だ?


(あ、ちょっとやめやめ。上層部の思惑とか任務の背景とか考えても意味ないじゃない)

 牛乳を一口のむ。

 思考が暴走していることを自覚したから。牛乳を飲みながら川面を眺めている彼女の視界に巡回騎士が入ったが、そのまま普通に通り過ぎて行った。


 今日の朝の散策だけでも何回か遭遇しているが、特に彼女に気が付いた様子もない。

中には愛想よく会釈までしてきて、どうかしましたかと尋ねてくる親切な騎士もいる。ちょっと下心っぽい感じがしたが、それは大した問題ではない。

 今の彼女はほとんど昔の姿のままだ。違うのは装飾品を身に着けていなくて、服も一般市民が着るような質素な意匠のものになっているだけ。

 天塔騎士の時とは髪の色と型を変えて、ちょっと化粧をしただけだから、そんなにかわっているわけでもないはずなのだが。

掲示板でみたBモード時の手配書は、限られた光源の暗い中での記憶再生映像なので、ずいぶん凶悪な感じだった。

さらにいえば、今は表情の演技をしているというのもあるのだが、彼女は気が付いていない。

戦闘時の無表情と嗤い顔の印象が強すぎて、年頃の少女相応の表情をしている今の彼女と結びつかないのだ。


また牛乳を一口飲む。それでおしまい。

カップを手の中でくるくる回しながらとりとめなく考える。


〝事象には必ず理由がある。人の行うことには必ず意思が込められる。考えて、考え、さらに考えよ〟


 ユニカの紋章や文書冒頭に添えられている文言。それは規律の緩い組織であるユネカが、何度も繰り返し覚えさせるものだ。 それは在籍期間の短い彼女でも例外ではなく、考えないことで何度も痛い目に遭ってきた。

主に物理的に。


だから、彼女は分割思考で常に考え続ける。現在の状況、上層部の思惑、帝国の行動……考えることなんていくらでもある。

その一方で、ちょっと戸惑っている面も彼女にはあった。

あまり自由な時間を過ごした経験が彼女にはない。

幼いころから貴族として育てられ、七歳ぐらいからは剣術の才能を見出されて、令嬢としての教育以外はそればかりしていた。

ユネカに拾われてからも、治療?されて目覚めるまで約一年、その後はひたすら慣熟訓練や勉強、サバイバル訓練に追跡術などに追われてろくに自由時間などない。天塔騎士に昇格させられてからはさらに幹部教育が加わり、睡眠時間が普通に三時間ぐらいしかない。

仕様では数年でも寝ないで稼働可能とのことだが、それをしている天塔騎士はみな変人ばかりなので、そうなりたくないフェテリシアはせめてもの抵抗でなるべく眠るようにしていた。

つまり、趣味にうちこんだり、街歩きしたり友達と話したりする自由な時間などほとんどなかったのだ。

それが今や事実上「何もしないでいい」待機となり、謹慎ということで機能制限も付けられている。

危険回避用の機能以外は、ほとんど年頃の女の子相当の体力なのだ。

もっとも鍛えられた技能は使えるので、フェテリシアはそれほど心配はしていない。


(うーん、しばらく謹慎なのに、自由に歩いていいっていうのはどうなのかなぁ。なにか目的があるのだろうけど、説明ないし……)


フェテリシアは心の中でつぶやくと、ひょいっと歩道におりてまた歩き始めた。


(ただいるだけで目的を達せる? そんなはずはないから、なんらかの囮と考えるのが無難……。考えるだけ無駄かな?)

 答えのない自問を続けながら歩く。回収屋さんをみつけて、空になった木製コップを返す。

道は通勤や通学の人が増えて混雑しはじめてきた。それに伴ってなんか居心地が悪い感じがしてきた。

先ほどから、いくつか視線を集めている。

どこか獲物を見定めるような感じの視線で、ちょっと気持ち悪い。


(諜報員の可能性は……あまりないか。物取りか……それとも……)


あとは住居(セーフティハウス)に帰るだけなのだが、トラブルは避けたい。


(どこかで姿を消して帰ろ……でも、なんでこんなに注目集めてるのかな?)


自分の容姿にわりと無頓着なフェテリシアであった。



  ★★★★



「で、皇太子よ。そなたの望みはなにか」


豪奢な装飾が施された椅子に腰かけた老人は、声ひとつ震えることすらなく問いかけた。

片手をあげて、皇帝騎士を抑えている。


〝休息の間〟――そう呼ばれる部屋がある。

執務室の隣、皇帝が休むための部屋だ。

皇帝の好みに改装されるため、その内装は歴代皇帝によって異なる。

今代の休息の間は華美さを抑えてありながら、いたるところに職人の手による最高級の彫刻・塗りなどを施した実に贅沢なつくりになっている。

皇后や皇太子には不評なのだが、それは判りやすい贅を尽くしていないからだろうと、部屋の主は思っていた。

ここに入室が許されるのは、警護の皇帝騎士と皇族のみ。また皇族と云えども寸鉄を帯びることも許されない不文律があった。


だが、いま椅子に座す皇帝は、近衛騎士に囲まれていた。

皇太子直属の近衛騎士が十数人。剣こそ抜いていないが、皇帝の前にかしづくことなく、柄に手をかけている。近衛騎士ならば瞬時に抜刀、斬撃できる一足の間に入っている。

それゆえ二人の皇帝騎士もまた抜刀できる体制に入っている。

だが、彼らでは守りきれないであろう。いかんせん人数が多すぎる。

悲壮な顔をしながらも覚悟を決めた近衛騎士たちだ。皇太子の命令があれば、動くだろう。

皇族直属の騎士とはそういうものだ。忠誠は主に、その令は絶対。

ゆえに皇帝といえども、下命あらばその剣を向ける。

畏れはあれども、主が下命に従うことこそ我ら近衛の誇り、と。

そのような騎士たちに囲まれた絶体絶命の場において、皇帝は表情一つ変えていない。

革張りの椅子に座り、悠然として皇太子を眺めている。

まるで、近衛騎士などいないかのように。


「父上のやり方では手ぬるいのです。蛮族どもは我らに泥を投げつけました。無礼には懲罰を与え、躾けねばなりませぬ。それを蛮族どもを恐れて、軍の出動を抑えるとは――わがグランリアの威信をなんだと心得ているのですかっ!!」

 白地に金の刺繍が施された第一種礼装に緋色鞘の剣を腰に差した皇太子が、父たる皇帝を声高に弾劾する。

興奮して息が荒い皇太子に対して、皇帝は一言つぶやくように再度問いかけた。


「皇太子よ。余はそなたの望みを聞いたのだ」


 ただそこに座っている無力な老人であるというのに、皇太子は気圧された。

すでに30年にわたり皇帝として君臨してきた老人と、5年前にようやく皇太子となった青年では勝負にもならない。人としての厚みが、格が違いすぎた。

「私に帝位を御譲り頂きたい。もうあなたにこのグランリアは任せられない」

 怯懦を振り払うように腕をふるって、最終通告を下す。

 対する老人はゆっくりと頬杖をついた。

「ふむ。それはお前が帝国を率いてゆくということか」

 それは確認の言葉に見えて、ただつぶやいただけだった。どうでよいとでもいうように感慨すら込められていない空虚な言葉。しかし、皇太子は気がつかない。

「そうです。偉大なるグランリアの栄光を、地にあまねく広げるのですっ!」

皇太子の宣言を最後に静寂が広がる。誰一人として微動だにしない。

皇帝の言葉によって、全てが決する。この部屋にいる者すべてがそう思い、待つ。

衣擦れの音ひとつない部屋に、老人のつぶやいた言葉が静かに染みわたった。


「帝位はやらん」


 その言葉を理解した時、皇太子は静かに激昂した。

自分の覚悟を舐められたとおもったのだ。

「父上、わたしとてしたくはないが、だが覚悟がないとでもお思いかっ!!!」

 凍えるような激怒の言葉を受けても、皇帝は表情一つ変えずに、続けた。

「話は最後まで聞くがよい。帝位はやらん、だが汝を摂政とし、全て汝が決にて帝国を動かすがよい。余は、離宮《双銀月の塔》へ移ろう」

それは、帝都の外れに皇帝自らが建設させた小さな城だ。

人口湖のほとりに二つの塔をもつその城は、皇帝が年に何度か訪れて休養する場所でもある。しかし、皇帝の家族といえども一度も足を踏み入れさせたことがない。


「父殺しなどをして帝位を受け継いでも、簒奪と呼ばれることだろう。それはお前の本意ではなかろう。わしが死んだらせいぜい盛大な葬儀を挙げて正当性を示すがよい」


 自分を政治的にせいぜい利用しろと云う皇帝に、皇太子は頭を殴られた思いだった。

退位に追い込み、政治権力を握ることまでは想定していた。

だが、〝皇帝を利用する〟!?

そんなことは考えもしなかったのだ。

政務に関わり、多少の自信はあったが、そんなものは粉微塵に吹き飛んだ。

身の危険など気にもせず、状況を政治に利用する手段をすぐさま見つけ、実行する。

クーデターという傷を嫌ったのだ。いや、クーデターの際の混乱による被害、いまの困難な状況において政治的空白が起こすであろう被害の大きさを考え、最小限に抑える策を用意した。

自身すらも駒として。

全ては帝国のために。


これが、これが皇帝――!!


 思わずひざまずきそうになる脚を叱咤し、傲然と顔を向ける。

「父上は、離宮に移り何をなさるつもりか」

「なに、楽隠居をさせてもらう。別に皇帝の座に未練などない。だが、お前とて余の息子だ、子がかわいくない親などそうはいない。これより想像を絶する苦難の道を往く子への手向けだ、余――わしをせいぜい利用するがよい。あとはお前次第だ」

皇帝は背もたれにゆったりと身体を預ける。それまでは背をのせてはいても王者の気とでもいうべき威厳があったが、いまの皇帝はただの老人だった。

「玉璽は玉筆は執務室の机上だ。近衛騎士にとらせるがよい」

 そうして、手を振って退室を促す。


「もうよかろう。細部の引継ぎはまた後日だ」


 皇太子はそのまま背を向けて歩き出す。まだまだ父にはかなわぬ。が、せめて矜持だけでも見せねばならぬ。これよりグランリアを継ぐ者として、父を追い落とした者として、恥ずかしい姿は見せられぬ。

傲然と胸を張った皇太子の背に声が掛けられた。

「ああ、そうだ、一つ聞いておこう」

「……なんでしょうか」

「あれらの〝力〟をみてどう思ったか?」

 それだけで皇太子には通じた。父上はご存じであったかと内心驚愕しながらも、振り向かずに冷静に答える。

「――素晴らしき力だと思いました。あの偉大な力があれば帝国の威光をあまねく知らしめることが出来ると確信しております」

「――そうか。そう、みたか」

 皇帝は目を閉じ、無言だった。

話は終わったと皇太子が歩こうとしたところで再び声がかかる。それは、とても平坦な、だが、まぎれもなく父としての心情にあふれた言葉だった。

「わが息子よ、覚えておくがいい。力は、より強い力の前には無力だ」

「――ならば、最も強い力と成ればよいのです」

「それが可能と思うか?」

「あの力ならば」

「――そうか。お前の思うがままに、どこまでも征くがよい」

 皇太子は力強い歩みを再開し、肩で風を切って振り返ることなく、出ていく。

続いていた近衛騎士たちが一礼をして退室する。


閉じられた重厚な装飾扉を感情のない眼で眺めながら、両隣にまだ居た皇帝騎士に下命した。

「わしはもはや名ばかりの皇帝だ。次に付き、護れ」

皇帝騎士二人は黙ってひざまずき、最高礼を皇帝に献上する。頭を垂れたまま、足音一つなく静かに退室した。


灯が落ちた薄暗い部屋にただ一人、老人が残った。

「あがきをしてみたが……こうなったか……。――恐るべきは、〝ユネカの巫女〟の託宣。あれは実に手ごわいぞ、わが息子よ」

暗い部屋の中に、乾いた嗤い声が静かに響き続けた。



――のちに彼はグランリア大魔法帝国最後の皇帝と呼ばれることになる。


なんかいろいろとorzな気分で続きが書けそうにないので、ボツにしていた分を改稿して投稿



ちょっと気力充電します。そうしたら、また書くかも。


 それはさておき、物語的にデートとかの息抜きシーンがないので、ちょっとフェテリシアに帝都散歩してもらいました。

たぶんこんなの需要ないでしょうけど。


帝都は、現代で云えば国際色豊かな都市なので多種多様なごった煮文化でして、イメージ的にはパリの街や人にイスタンブールのバザールみたいな雰囲気を足した感じです。






そういえばがんばって新作投稿するたびに読者が減るんだぜ,HAHAHAHA!(自虐笑

ま、読者受けする方向に舵を切っていないので当然なんだぜっ! ひゃっはー!



実は初期構想で書いていた分の手直しです。

最初はこんな雰囲気の街中でマジカル・バニーがバカっぽく戦闘する話でした。


どーしてこーなった、どーしてこーなった。



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