RUN
パァンッ。
体育教師の打った合図のピストルの音が、賑やかな校庭に響き渡った。
私の前でその合図を待っていた女子が、力強く地面を蹴って飛び出した。それをただボーッと眺めていた私は、彼女の結果なんて確認する暇もなく、あわてて立ち上がった。危うく忘れそうだったけれど、次の走者は当たり前だが私だ。競技を眺めていないで、自分に割り振られたスタート位置に着いて、自分に向けて放られる合図を待たなければならないんだった。ほとんど同時に、私の横に並んでいた五人の生徒も、それぞれのスタート位置につく。歩き出したのはほぼ同時だったのに、立ち止まるのは六人の中で私が一番遅かった。これは、私がとろいということだろうか。いや、単に私のやる気が無いだけか。
空を見上げても、雲一つ見当たらない。今はまだ五月。とはいえ、日差しが厳しくなってきた季節、その暑さは油断できない。その上晴天となれば、日に曝されるのはごめん被りたいものだ。オンナノコである私としては日焼けも気になるところだし。
合図があればいつでも飛び出せる、という状態になったところで、思わず大きな欠伸が一つ、噛み殺すことができずに零れた。慌てて口を両手で押さえようとしたところで、タイミング悪く体育教師のかけ声が聞こえた。
「よういっ」
そのおかげで、口を押さえるべきか、構えるべきかの判断が遅れて、私の手は何ともみっともない状況に陥った。ついでに、口も大きく開いたまんま。
バアンッッ。
続いて響いた合図のピストルは、さっきよりも音の発生源に近いからか、より強く、激しい音に聞こえた。
その破裂音に追い立てられるように、私は頼りなく地面を蹴った。
私がスタートした位置は六人の中で一番カーブまでの距離が短かったはずなのに、私はカーブに差し掛かる前に、もう二人に抜かされてしまった。だからといって、私はそれに食らいついていくような性格でもないので、ひたすら自分のペースで確実にゴールまでの距離を縮めていく。というか、食らいついていこうにも、これ以上速くなんて走れない。
景色が前から後ろに飛び去って行く、ようになんて見えるはずもなくて、私は必死に足を動かしながらも、のんびりと周囲を眺めていた。見慣れた場所なのに、トラックの外いっぱいに詰め込まれたような人の海が、そこを見知らぬ場所に変えていた。
教師が約六十人に、全校生徒が数百人。その父兄は少なくとも生徒の二倍、下手をすれば三倍以上いるかもしれない。それだけの人数が一所に集まっている光景はなかなかに壮観だ。同時に、私の目には歪な景色としても映り、ずっと眺めていると気持ちが悪くなってきそうだった。
だから、トラックの外から視線を逸らして、足下を観察した。走りながら、目玉を動かさないようにじっと地面を見つめていると、私の後ろに過ぎ去って行く砂の粒が、線のように見えてきて面白い。走っている車の窓から外を見ると周りの景色が飛ぶように後ろに去って行くように見える、というあれと同じだ。だから、錯覚だけど、自分がすごく速く走っている気がして、少しだけ気分が弾む。けれどこれは、砂が過ぎていくのを目で追ってしまうと見えないから、意識してみようとするのは意外と難しいのだ。
今走っている六人の中で一番長いカーブを走っていると、また一人に抜かされた。でも、私はそんなことはこれっぽっちも気にしないで、少しだけ体をカーブの内側に傾けて足を動かす。因に、私は走るのは大嫌いだけれど、曲がるときだけは別だ。少しだけ体を傾けて微妙なバランスをとるのは、何故かはよくわからないけど楽しい。それを言ったら、親にも友達にも笑われたけれど。
そんな楽しいカーブはすぐに終わってしまって、またつまらない直線になる。足が速い子は、こういう直線こそ走るのが楽しいのだろうか。私には到底わからない。走っている人間の描写に、よく「風を切る」っていうのを見るけれど、それが気持ちいいということだろうか。確かに、自転車で想いっきりスピードを出して走るのは少し気持ちがいいかもしれない。だけど、自分の足で走ったところでそんなスピードを出せるわけ無いと思うから、走っている人間を描写した「風を切る」っていうのは、あれとは違うものなんだろうと思う。思いたい。
「頑張れー」
声が聞こえて顔を上げてみた。いや、さっきから聞こえていたはずだけれど、あえて無視していいたから、私は何も聞いていなかった。だって、こんな騒音の中、ちゃんと周りの音を聞こうとしていたら、きっと頭がおかしくなる。それに今は走る方がよっぽど大事。決して応援が鬱陶しいなんてわけじゃない。地面から視線をあげると、そこにあるのは人、人、人。とにかく人ばっかり。「頑張れ」って言葉に顔を上げてみたけど、その言葉は今、校庭中に氾濫していて、どれが誰を応援している声なんだかわかったものじゃない。もしかして、言っている方もただ「頑張れ」と言っているだけで、誰を応援しているのかはわかっていないのかもしれない。
そんなふうに、群衆を眺めていたら、いつの間にか私は二人に抜かされていた。それに気付いたのは、ダントツで一位の子が丁度ゴールを通り過ぎようとしているときだった。自分の前にある背中の数が何か多い、と思ったら私の前にいるのが三人から五人に増えていた。ということだ。それにしても、いつの間に抜かれたんだろう。
暑いし疲れたなぁ、と頭がボーってしてきたところで、トラックの周りにいる群衆がどよめいた。いつの間にかまた地面を見ていた視線をあげると、二位の子がゴールしたところのようだった。そこから少し視線を手前に戻すと、現時点三位だった子がゴール直前で転んでいた。転ぶ子がいるのは珍しいことでじゃ無いけれど、自分と一緒に走っている子が転ぶとは珍しい。というか、自分の競技中なのに、周りの反応がなければ気付かなかったかもしれない私は、注意力散漫すぎるかもしれない。
転んだ子が起き上がるまでの間に、その横を一人が抜かしてゴールした。もう一人が追いつく一瞬前に、その子は起き上がって走りだす。トップスピードで走っているであろう子と、走りだしたばかりの子。普通に考えればあとから来た子が追い抜くのだろうが、その位置がゴール直前、一瞬で結果が出る場所なので、その二人からだいぶ距離が空いていた私にはどっちの方が先にゴールしたのかは判別できない。興味も無いから問題は無いけれど。それにしても、私だって全力で走っているというのに、この差はなんなのだろうか。これだから走るのは嫌いなんだ。疲れるし。というか、結果は変わらないのだけど、五位がゴールした時点での私のゴールまでの距離が、年々開いて行っている気がするのは、悲しんだ方がいいのか、もう諦めるべきなのか。
その二人に遅れること数秒。一位はとっくにゴールして、ゴールテープも既に回収されているゴールに、私は全力疾走のままで突っ込んだ。パラパラと気のない拍手が近くで上がる。「お疲れさま」だか「本気で走りなさい」だかは知らないけれど、その拍手には何かしら意味が込められているのだろうから、甘んじて受けておいた。実際はたった百メートルで体力を使い果たして、何もしたくなかったからだけれど。
私は急ブレーキを備え付けているわけではなく、加速した体はゴールから数メートル先で止まった。
それを待ちかねていたように、次の合図がなった。私はフラフラしながらゴールからさらに数歩遠ざかった。その場に突っ立って少しの間茫然としている間に、私の次に走ってきた生徒たちが、次々に私の目の前でゴールして行った。一位の生徒がゴールを通り過ぎた時には、私のときよりもしっかりと拍手が起こったので、私は心の中でひいきだー、なんて思ってみた。こんな言葉が出てくる辺り、ゆとり教育の賜物ですかね。それでも、当たり前だけれどあくまでも思ったのは心の中でだけ。まあ、どうせ声に出したところで、この喧噪の中、誰に聞こえることも無いだろうけれど。
何もする気が起きなかったから、私は自分の応援席に戻ることもせずにゴール近くに突っ立っていたわけだけれど、それほど時間が経つ前に、近くにいた先生に遠回しに邪魔だと言われて、その場から追い払われた。暑いだなんだ言う前に、体を動かすのが億劫だったわけだけれど、怒られるのも面倒だと思って、私はその場からそそくさと離れて日陰を探した。
ともかく。
小学校最後の運動会。百メートル徒競走で、六年連続六位に自己記録更新。
感想。暑いのでもう帰りたいです。