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見えない手――センメルヴェイス、数字と沈黙の物語  出産に伴う産婦の死亡率を劇的に下げた男がたどった運命とは

作者: 村上 治
掲載日:2026/10/18

 史実に基づく歴史小説。現代の学生・真柴志織、産婦のテレージアとカタリーナは架空の人物である。十九世紀の人物と出来事は記録に沿って描いたが、会話や内面は創作であり、巻末に事実と創作の区別を記した。歴史編では、人物の近くに寄り添う語りとして、主人公を名の「イグナーツ」で呼ぶ。

プロローグ 数字の向こう側


 産科病棟の入り口には、消毒液の噴霧器が据えてあった。姉の見舞いに来た真柴志織は、扉の手前で、考える前に二回押した。手のひらに冷たいものが広がり、すぐに乾いた。

 白いシーツの上で、生まれて三日の甥が眠っていた。姉は「抱っこの前に、もう一回ね」と笑った。志織はうなずいて、もう一度、手をこすり合わせた。

 その夜は、大学の図書館で過ごした。統計学入門の最終課題の提出は、翌々日の午前九時。〈公開データから一つを選び、グラフの読み取りと考察を一枚にまとめること〉。医療のデータを選んだのには、昼間の病棟が頭に残っていたということもあったかもしれない。

 閉館までの一時間、検索Boxに「死亡率 比較 歴史」と打ち込んで、いくつか開いては閉じた。そのうち、一枚の折れ線グラフで手が止まった。

 二本の線が並んでいる。横軸は一八四一年から一八四七年、縦軸は産褥熱で亡くなった産婦の割合。同じ病院、同じ年、同じ空気の中に、二つの診療所があった。一方の線は高い位置で荒く揺れ、もう一方は低いところを這っている。差は、およそ三倍。誤差にしては大きすぎる違いだ。

 説明文によれば、高い線は医師と医学生が実習をする第一診療所、低い線は助産師が受け持つ第二診療所だった。

 志織は、まずグラフの作り方を疑った。分母の取り方、年のずれ。統計の授業では、最初に疑えと習った。だが疑っても、差は残った。

 その差を最初に見つめた医師の名は、すぐに見つかった。イグナーツ・センメルヴェイス。一八四七年に塩素水による手洗いを導入し、死亡率を大きく下げた。しかし考えは長く受け入れられず、彼は一八六五年、精神科の施設で亡くなった。

 ネット上の記事にはそう書かれている。画面の中で、一八四七年のあとの線は、はっきりと落ちている。誰が見ても分かる。数字が下がったなら、みんな真似をする筈ではないのか?そう思って画面を下へ送っても、その記事には理由は見当たらなかった。

 志織はノートの端に書いた。

<値が下がったのに、なぜ、すぐに広まらなかったのだろう。>

閉館のチャイムが鳴った。「仕方ない、明日また続きを調べよう」帰り道、病院の前を通ると、入り口の明かりの下で、噴霧器が白く光っていた。



第一部 死の差(一八四六〜一八四七年・ウィーン)


 一八四六年、十月の朝、ウィーン総合病院の入院受付には、女たちの列ができていた。

 イグナーツ・フィリップ・センメルヴェイスは、机で帳簿を開いた。ブダペストの食料品商の家に生まれ、法律を学ぶつもりでウィーンに出て、その後医学に転じた。第一産科診療所の助手に着いて三か月、二十八歳になる。

 入院は、日を替えて二つの診療所に振り分けられる。医師と医学生が学ぶ第一診療所の日と、助産師が学ぶ第二診療所の日。今日は第一の日だった。列の中には、それを知っている顔があった。女たちの視線は、帳簿を持つ彼の手元に集まっていた。

「テレージア・ホーファー。二十二歳。ボヘミアの出で、女中をしています」

腹の大きな娘は、名を書かれるあいだ、イグナーツの袖口を見つめていた。テレージアは、腹を押さえながら、もう片方の手で自らの袖口を引っ張っていた。

「先生。今日は、第一の日ですか、第二の日ですか?」

「第一だ」

「ふんっ……ここへ来る途中で、産んでしまえばよかった」

 誰に聞かせるでもない声だった。路上で産んでしまった女は、診療所の中で産んだ女よりも、しばしば生き延びる。病院の誰もが知っていて、それでいて誰も説明できないことだった。

「規則だ」とイグナーツは言った。自分の声が、他人のもののように聞こえた。

 翌朝の回診で、彼は、学生たちが解剖室から上がってくるのを見た。毎朝の習わしだった。エプロンで手を拭きながら、病室へ入っていく。そして順番に、産婦の寝台を回る。テレージアの診察は、数十秒で終わった。次の寝台へ。

 三日目の夜に、テレージアは発熱に苦しんでいた。腹が張り、息が浅くなった。四日目には膿が出て、病室に甘く腐ったにおいが広がった。テレージアは、イグナーツの顔を見ても、ため息をつくだけだった。五日目の朝、息が止まった。

 彼は帳簿の余白に、彼女の名を書いた。ホーファー、テレージア、二十二歳、産褥熱。数字の欄に一を足せば済むことだった。けれど、名を書いてからでないと、手が動かなかった。

 その月、第一診療所の頁には、三十を超える名が並んだ。第二診療所の頁は、半分も埋まっていなかった。


 年長の医師たちは言った。瘴気だ、と。空気や気候、土地の気配が、産婦を蝕むのだと。

「それなら、隣の診療所の空気は、なぜ女たちを殺さないのですか?」

 イグナーツの問いに答えは返ってこなかった。彼は一つずつ、原因を潰していった。混雑のせいか?調べると、混んでいたのはむしろ第二のほうだった。   学生の診察が荒いのか?控えさせた。産ませる姿勢か?第二と同じ横向きにさせた。

 もう一つ、試せることがあった。臨終の秘蹟を授ける司祭は、侍者の鐘を鳴らしながら、第一診療所の五つの病室を通り抜けて、死にゆく女のもとへ向かう。鐘が廊下を渡ってくると、病室の女たちは息をひそめ、毛布を引き上げた。次は自分の番かもしれない、と、顔に書いてあった。

 イグナーツは司祭に頼んで、鐘をやめさせ、通る道を変えてもらった。

何も変わらなかった。

 その夜、彼は手帳に数字を書き足しながら、独りで呟いた。数えなければ、彼女たちは、ただの不運で終わってしまう。


 一八四七年の三月、イグナーツは友人たちとヴェネツィアへ出かけた。数日の休暇。あの病棟のにおいから、初めて離れた日々だった。しかし、戻ってきた彼を待ち受けていたのは友人の死だった。

 ヤーコプ・コレチュカ。法医学の教授で、イグナーツを何かと気にかけてくれた人、友人であり先輩だった。解剖の実習の最中、学生の持つメスが、ヤーコプの指を傷つけた。ただそれだけの傷が、数日で全身の炎症になり、彼を連れ去った。

 病理解剖の部屋で、所見の写しを手渡された。読みながら、イグナーツは何度か、同じ行に戻った。リンパ管と静脈の炎症、腹膜、胸膜、心膜、髄膜に広がる炎症……。それは、テレージアの体を開いたときに見たものと、同じだった。

 イグナーツはしばらく動けなかった。窓の外で馬車の音がした。

ヤーコプの指に、解剖していた遺体から何かが入った。その何かが、全身に回って友人を殺した。では、テレージアには……。あの朝、解剖室から上がってきた学生たちの、エプロンで拭ったあとの手は……。

 彼は、自分の指を鼻に近づけた。石けんで洗ったはずの手に、解剖室のにおいが、かすかに残っていた。

「……私たちだ」

 誰もいない部屋で、声に出して言った。第二診療所の助産師たちは、遺体を解剖しない。路上で産んだ女が生き延びる理由も、これで説明がつく。でも……説明がついてしまうことが、恐ろしかった。

 確かめなければならなかった。帳簿を調べ直し、ほかの説明が残っていないかを探すべきだった。しかし、確かめているあいだにも、女たちは入院してくる。

 石けんで落ちないものを落とす、もっと強い洗浄が要る。イグナーツは薬品棚から、においを消すために使われている塩素石灰の瓶を取り出した。



第二部 証明された結果(一八四七〜一八五〇年・ウィーン)


 その年の五月中旬の朝、第一診療所の入り口の石の床に、木の桶が据えられた。塩素石灰を溶かした水は黄緑がかり、鼻の奥を刺した。壁には紙が一枚。<解剖室、あるいは病室から来た者は、産婦を診る前に、必ずここで手を洗うこと>

 イグナーツは桶の横に立っていた。解剖室から上がってきた学生たちの足音が、階段の下で途切れた。

「冗談でしょう、先生」背の高い学生が言った。笑っていたが、目は笑っていなかった。

「私たちの手は、病人を診るための手です」

「その通りだ」イグナーツは言った。「だから、洗ってほしいんだ」

 沈黙があった。後ろで誰かが咳をし、誰かが舌打ちをした。そのとき、列の端にいた小柄な学生が、黙って桶に両手を沈めた。水の冷たさに肩をすくめ、指のあいだをこすった。イグナーツは近づいて、その手を取り、鼻に近づけた。

「においが消えるまで。もう一度」

 学生は顔を赤くして、やり直した。

 階段の上に、黒い上着の裾が見えた。クライン教授だった。桶を見て、学生たちを見て、最後にイグナーツを見た。何も言わず、廊下の奥へ消えた。

 その朝、手を洗わずに病室へ入った学生はいなかった。ただ、誰もが、口をきかずに通り過ぎた。

 数字は、帳簿に積もっていった。四月に一八パーセントを超えていた第一診療所の死亡率は、六月に二パーセント台、七月には一パーセント台まで落ちた。一八四八年の通年では、一・三パーセント前後。助産師の診療所とほぼ同じ水準だった。

 七月の終わり、洗濯女のカタリーナが、赤ん坊を抱いて門を出ていった。出産から十二日目。熱は出なかった。かつてテレージアが寝ていた寝台で、彼女は産んだのだった。

「先生、もう帰っていいんですね」

「熱もない。大丈夫だ」

 カタリーナはうなずき、赤ん坊を抱き直した。

「月曜までに戻らないと、洗濯物がたまってしまうところだったさ」

「まだ働くつもりなのか?」

「働かなかったら、誰が洗濯するんですか?」彼女は不思議そうな顔をした。

 イグナーツは階段の窓から、その背中が通りに消えるまで見送った。

 喜びが先に来た。その後から、別のものが来た。これまでに運び出された女たち。その寝台の前を、洗わない手で通り過ぎた、自分自身……。


 その年の秋、彼の仮説を揺さぶる出来事があった。

 病室の奥の寝台に、子宮の癌に侵された産婦が入院していた。腐った膿が流れ出る、重い病人だった。その産婦を診察した医師の手で、続けて、同じ部屋の十二人の産婦が診察を受けた。そして、十一人が、産褥熱で亡くなった。

 その手は、解剖室帰りの手ではなかった。それでも、死者は出た。死体だけではない、生きている病人の体からも、同じものが来る。イグナーツは仮説を書き直し、洗浄は、病人を診た医師にも課されることになった。

 この修正は、のちに彼の説明を複雑にした。「死体の微粒子」という名のものに、いつのまにか別のものが加わっていく。細菌という考え方が定まる前の時代である。見えていたのは、手を洗えば死者が減る、という事実だけだった。運ばれているものの正体を、彼はうまく言葉にできなかった。


 十二月、ウィーン医師会の雑誌に、イグナーツの同僚のヘブラの文章が載った。皮膚科のフェルディナント・ヘブラは、この発見を、種痘に並ぶ意義があるものだと書いた。イグナーツが頼んだわけではない。

 病院近くのカフェで、ヘブラは刷り上がった雑誌を机に置いた。

「これは本当は、君が書くべきだったものだ、そうだね?」

「いや、私は書くのは、苦手で……」

「何を言う、講義は上手いじゃないか?」

「あれは、学生が目の前にいますから……」

 ヘブラは笑わなかった。

「では、数字を整理して、報告にまとめたらいい」

「まだ、足りません。症例が……」

「何が足りないというんだ?」

 イグナーツは、カップの縁を指でなぞっていた。答えは、尋ねられるたびに少しずつ違った。忙しい、まだ早い、自分の言葉であの「手」を説明しきれる気がしない……。どれが本当の理由だったのか、本人の口から、はっきり語られたことはない。

「数字さえ見れば、分かるはずなんですよ」

「いやっ数字は語らないよ」ヘブラは言った。「語るのは、いつも人間だ」

 内科のシュコダも、病理解剖のロキタンスキーも、イグナーツの仕事を支持していた。それでもイグナーツは、論文という形で自分の名を出すことを、避け続けた。



第三部 認められない成果(一八四八〜一八五〇年・ウィーン)


 クライン教授の部屋は、いつも暖房が効きすぎていた。

「たしかに、死亡率が下がったことは、認める」

 机の向こうで、クラインは書類から目を上げずに言った。

「だが、あれは換気のためだ。通気の工事は、去年のうちに終わっている」

「工事なら、その前にも、その前の年にもありました。それでも死亡率は、変わらなかったんです」

「では、君は何が原因だと言うのだね?」

「それは……手です」

 クラインは、ペンを置いた。机からは固い音がした。

「君は……私の学生の手が、産婦を殺したと言うのかね?」

 イグナーツは答えなかった。答えられなかったのではない。答えれば、それがそのまま答えになるからだった。

「この診療所の数字は、二十年もの間、私の署名で報告されてきた」クラインの声は、低かった。「私の署名の下で死んだ女たちの数を、君は、今になって、手の問題だと言う」落ち着いた声だったがクラインの頬は赤みを帯びていた。

「教授。私は、数字を正確に——」

「正確かどうかを訊いているのではない……」クラインは囁いたが苛立ちは隠せなかった。

 部屋には沈黙の時間が流れた。窓の外を、馬車が通っていった。暫くどちらも口をきかなかった。

  暫くしてクラインは落ち着きを取り戻して囁いた。

「もういい、下がりたまえ」

 イグナーツは廊下に出た。頬のあたりが熱かった。暖房のせいではなかった。


 一八四八年、ウィーンは革命のさなかにあった。大学の中でも、学問の自由を求める者と、旧い秩序を守ろうとする者とのあいだに、深い溝ができていた。ハンガリー出身で、ヘブラやシュコダに近いイグナーツは、それだけで、  一部の目には「あちら側」の人間に見えた。シュコダは、公の場でイグナーツの成果を擁護し、調査を求める動きも起こした。だが、それは、望んだ形では実らなかった。

 病院の廊下では、いろいろな顔がすれ違った。

年長の産科医は、イグナーツの前で足を止めて、首を振った。「手が運ぶ、か。話があまりに単純だよ、君」

 同じ階の同僚は、何も言わずに、洗面器の水で入念に手を洗って通り過ぎた。ただ、「死体の微粒子」という言葉を、決して口にしなかった。

 若い助手は、夜の階段で、小声で囁いた。「先生のおっしゃることは分かります。でも、私には、妻と子がいるんです」

 それぞれが、それぞれの事情で、目を逸らしていた。


 キールの産科医ミヒャエリスは、塩素水による手洗いを取り入れた一人だった。

 一八四八年の夏の終わり、その彼が、命を絶ったという知らせが、ウィーンに届いた。身内の産婦を、自分の手で死なせてしまったと悟ったためだ、と伝えられている。

 イグナーツは、その知らせを二度読んだ。

洗えば救える、という言葉の裏側には、「洗わなかったことで失われた命」があるということだ。彼自身が、誰よりもそれを知っていた。

 その夜、彼は帳簿のページを、いつまでもめくっていた。


 一八四九年の春、病院とイグナーツとの契約は更新されなかった。

 彼は、私講師の資格を求めた。認められたのは、翌年のことだった。条件がついていた。教えてよいのは、生きた産婦ではなく、模型を使った講義だけ。

「これでは、何も変えられない……」

 ヘブラにも、ほかの友人にも、何も告げなかった。一八五〇年の秋、イグナーツはウィーンを発った。向かう先は、故郷ブダペストだった。見送る者は、誰もいなかった。

 残された友人たちは、後になって、彼のいないことを知った。



第四部 届かない言葉(一八五〇年代〜一八六二年・ブダペスト)


 故郷に戻ったイグナーツは、しばらく定職のない日々を送った。翌年、聖ロクス病院の産科で、報酬のない名誉職の部長に就く。

 ここでも彼は、手を洗わせた。結果も同じだった。産褥熱で死ぬ産婦は、一パーセントに満たなかった。ブダペストの帳簿の数字は、ウィーンの帳簿の数字と同じ向きに、静かに並んだ。

 一八五五年、イグナーツはブダペスト大学の産科学教授に任じられる。二年後には、十九歳年下のマリア・ヴァイデンホッファーと結婚した。

結婚してから、イグナーツは、夜中に目を覚ますことがあった。隣で眠るマリアの寝息を確かめる。なぜそんなことをするのか、自分でもよく分からなかった。

ある晩、マリアが軽い熱を出した。翌朝には下がったが、その夜、彼はほとんど眠らなかった。病棟で幾度となく見てきた光景だった。昨日まで笑っていた女が、熱を出し、数日のうちに死んでいく……。考えたくもなかったが、マリアも……。

彼は、妻の眠る横顔を見つめた。ウィーンを離れて、もう何年になるだろう。自分の病院では、手を洗わせている。だが、ほかの病院ではどうなのか。

翌朝、イグナーツは、机の奥にしまってあった原稿を取り出した。


 一八六一年、ようやく、著書が世に出た。『産褥熱の病因、概念および予防』。

 長く、重く、怒りの混じった本だった。数字は豊富だったが、同じ主張が繰り返され、批判者の名は実名で挙げられた。最初の成果から、十四年が経っていた。

 反響は静かだった。いくつかの雑誌に書評が出たが、多くは冷ややかだった。批評は、この本の弱点を突いていた。細菌という考え方が確立する前であり、「死体の微粒子」の正体が示されていない。すべての産褥熱がそれで説明できるという主張は強すぎる、と。


 一八六二年の冬の夜、マリアは、茶を載せた盆を持って、夫の書斎の扉を叩いた。返事はなかった。扉を開けると、ランプの下で、イグナーツが便箋に向かっていた。机の上には、すでに書き終えた手紙が、何通も積まれていた。宛名は、ヴュルツブルクのスカンツォーニ、ゲッティンゲンのジーボルト、ウィーンの産科医シュペート・・・。

「また、手紙ですか」

「返事が来ないのでね。書くしかないんだ」

 マリアは盆を置いた。便箋の文字が、目に入った。彼女は、一度、目をそらして、それからもう一度見た。

「……その言葉は、消してください」

「どの言葉だ」

「人殺し、と」

 イグナーツは、ペンを止めた。

「事実だ。彼らが手を洗わせなかった病棟で、いったい何人が死んだと思う?」

「それは分かっています。あなたが、どれだけ数えてきたか」

「ならば……」

「その手紙を、受け取る人のことを考えてください。お願いです。その一言だけ」

 しばらく、ランプの芯の鳴る音だけが聞こえた。

「消してしまったら……」イグナーツは、低い声で言った。「死んでいった女たちが、……」イグナーツの握った手がマリアには震えているように見えた。

 マリアはそれ以上何も言わなかった。盆の茶が冷めていくのを、ため息をつきながら見ているしかなかった。手紙は、そのまま送られた。のちの書簡で、彼は、批判者たちを、人殺しと呼んだ。



第五部 帰るはずだった場所(一八六五年・ブダペストからウィーンへ)


 一八六五年の初夏、同僚たちは、イグナーツの様子に不安を覚えるようになっていた。物忘れが増える、人前で、抑えのきかない激しさを見せる、講義が、まとまらない……。

 七月十三日、一家で知人の家を訪ねた日、彼の振る舞いは、その場にそぐわないものだった。その夜、マリアは、夫の状態が急に悪くなったと感じた。

 翌日、マリアは、夫の同僚たちを訪ねた。外科のバラッサ、小児科のボーカイ、ほかにも数人が、居間に集まった。

「夫は眠れていません。食事も、ほとんど……。昨日は、私の顔を見ても、すぐには分からない様子でした」

「診断は、つきません」バラッサは、慎重に言った。「抑うつ、と呼べなくもない。だが、それだけでもなさそうだ。ここにいては、休めないでしょう。ウィーンに、専門の施設がある」

「でも……、あの人が、承知するでしょうか?」

 誰も、すぐには答えなかった。ボーカイが、膝の上で手を組んで、しばらく床を見ていた。

 やがて彼らは、収容を認める書類に署名した。旅の名目をどうするか、誰がそれを言い出したのか、わからない。進んでいく病を、放っておけないと思ったのか。人前で、取り返しのつかないことが起きるのを恐れたのか。家族を支えようとしたのか……。居間にいた誰もが、ほかの道を見つけることができなかった。


 七月三十日。イグナーツは、ウィーンへ向かう列車に乗っていた。ウィーンにいる旧友ヘブラが運営する新しい施設を見に行く旅だと聞かされていた、と複数の研究が伝えている。同行の者が、数人いた。窓の外を、麦畑が流れていく。刈り入れを終えた畑に、積まれた束が影を落としていた。

「十五年ぶりだ」

 イグナーツは、向かいの席の同行者に言った。声は明るかった。

「あの街の、カフェを覚えているか?ヘブラと、よく行ったもんだ。あそこの 珈琲は、薄かった。でもあそこでなら、何でも話せた」

 同行者たちはうなずいた。それから、窓の外に目をやった。

「ヘブラは、変わっただろうか。あいつは、あのころから、私に論文を書けと言った。でも私は、書かなかった。書かなかったから、こんなことになったのかもしれないな……」

 言葉は途中で、少しずつ速くなった。同じ話が、二度、繰り返された。それから、ふっと途切れて、彼は黙った。列車の揺れが、しばらく続いた。

「もう一度、あの街で、教えてみたい。模型ではなく、生きた産婦の前で」

 誰も、何も言わなかった。

 ウィーンの駅には、ヘブラが帽子を手に待っていた。握手を交わした。短い挨拶のあと、馬車に乗った。

 馬車が止まったのは、病院のような建物の前だった。

 イグナーツは、馬車を降りた。門の向こうの窓に、鉄の格子が見えた。立ち止まった。そこが、聞かされていた場所ではないことに、彼は、すぐに気づいた。

「ここは、……どこだ?」

 答える者はいなかった。彼は、踵を返して歩き出そうとした。数人の看護人が、両側から腕をつかんだ。

「放せ」という声は、よく通った。しかしこのときヘブラが何を思っていたのか、記録はない。


 収容されたのは、ウィーンの州立精神病院。のちの記述は、イグナーツが殴打されたこと、拘束衣を着せられたこと、暗い部屋に入れられたことを伝えている。最後の二週間に、彼が何を見て、何を考えたのか、記録はない。残っているのは、遺体の所見だけだ。

 彼の右手には傷があった。傷から広がった化膿は、全身に回っていた。この傷が、収容より前からあったものなのか、施設の中で負ったものなのか。今も、論争がある。収容前にボーカイが作成した報告書に、傷の記載がない、とする研究者もいる。解剖を担当した病理医は、膿血症と記した。


 一八六五年八月十三日。イグナーツ・フィリップ・センメルヴェイスは、四十七歳で亡くなった。産褥熱で死んだ女たちと、近い種類の病で。

 八月十五日、火曜日。埋葬が行われた。ウィーンの医学雑誌は、センメルヴェイス教授が埋葬された、とだけ短く報じた。



後日譚 遅れてきた証明(一八六五年以降)


 彼の死の二年後、イギリスのリスターは、石炭酸を用いた外科の消毒法を発表した。この仕事に、センメルヴェイスの名は出てこない。リスターが着想を得たのは、パスツールの微生物研究だった。ドイツでは、コッホが、特定の病気と特定の細菌を結びつける方法を整えていった。一八七九年には、パスツールが、産褥熱の患者から連鎖状の細菌を見いだした。

「死体の微粒子」と呼ばれたものの輪郭は、こうして、少しずつ別の言葉で語られはじめた。

 これは、死後に報われた、という話ではない。功績が認められたことと、生前に味わった苦しみとは、別のことだ。また、彼の考えは、死後になって初めて知られたのでもない。生前から、シュコダやヘブラ、ロキタンスキーといった支持者がいた。ハンガリーにも海外にも、彼の方法を取り入れた医師がいた。再評価は、突然の逆転劇ではなく、説明と実践とが積み重なっていく長い過程だった。

 一八九一年、遺骨はブダブダペストへ移された。二十世紀に入ると、市内に記念碑が建ち、のちに医科大学が彼の名を冠した。産褥熱による死が大きく減るのは、さらにのちの時代のことである。



エピローグ 数字は残る


 提出の朝を前に、志織のレポートは、ほとんど出来上がっていた。グラフ、読み取り、考察……。足りないのは、結論の欄だけだった。

 彼女はもう一度、あの二本の線を見た。数字は、最初に見たときと少しも変わっていない。高い線、低い線、一八四七年のあとで、落ちていく線。変わったのは、それを見る自分の目のほうだった。

「センメルヴェイスは正しかった」と書くのは、簡単だった。だが、それは、最初から分かっていたことだ。レポートの結論の欄には、数行だけ書いた。

〈なぜ、値が下がったのに、彼の考えはすぐには広まらなかったのか?統計学だけでは説明できない、医学だけでもない、心理学……いや、社会学の問題なのかもしれない。〉送信ボタンを押して、パソコンを閉じた。


 午後、志織は、姉の病室を訪ねた。入り口の噴霧器に、手を伸ばしかけて、止めた。自分の手を、少しのあいだ見つめた。それから、二回、押した。冷たいものが手のひらに広がり、すぐに乾いた。

 中では甥が静かに眠っていた。


(完)







巻末 事実と創作について

史実に基づく部分

•一八四〇年代のウィーン総合病院に、医師・医学生の第一診療所と助産師の第二診療所があり、産褥熱の死亡率に大きな差があったこと。路上分娩の産婦の死亡率が低いと考えられていたこと。

•産婦の体位、司祭の通り道など、複数の仮説を検討したこと。

•一八四七年三月、旅行から戻った彼が友人コレチュカの死を知り、その所見が産褥熱と似ていることから着想を得たこと。

•同年五月に塩素石灰溶液による手洗いを導入し、死亡率が大きく下がったこと。同年秋、癌の産婦をきっかけに、生きた患者からも感染が起こりうると考えを改めたこと。

•ヘブラが成果を医学誌に紹介したこと。シュコダ、ロキタンスキーの支持。クラインが換気を理由に挙げたこと。任期の不更新、模型講義という条件付きの私講師資格、一八五〇年の離脱。

•ミヒャエリスの自死。ブダペストでの名誉職、教授就任、結婚、一八六一年の著書、批判者への公開書簡と「人殺し」という表現。

•一八六五年七月十三日の悪化、バラッサらによる収容の判断、七月三十日のウィーンへの旅、州立精神病院への収容、八月十三日の死(膿血症)、八月十五日の埋葬。

•リスターの消毒法、パスツールらの研究、遺骨のブダブダペストへの移送。

創作または解釈の部分

•現代の学生・真柴志織、産婦のテレージアとカタリーナ。彼女たちの入院と死、退院の場面。

•すべての会話と内面。クラインとの対話、洗面器の前の学生たち、マリアとの夜の場面、居間での相談、列車の中の会話、駅での再会と門前の場面。

•ミヒャエリスの訃報がイグナーツに届いた経緯。

•本人が論文を書かなかった理由。史料では確定できないため、本文では一つに絞らず、答えが定まらないまま描いた。

•収容の決断に至る経緯と旅の名目の決まり方、同行者の範囲には諸説ある。ヘブラの関与の仕方を含め、誰が何を意図したのかは、史料からは確かめられず、本文では判断を避けた。

•収容先の所在地は、史料によってラザレットガッセ、ドープリングなど記述が分かれる。本文では「州立精神病院」にとどめた。右手の傷の由来には論争があり、結論を示していない。

数字と解釈について

死亡率は年・月・資料によって数値が異なる。本文では、記録の傾向が伝わる概数を用いた。また、センメルヴェイスの性格が激しかったために発見が拒絶された、という通説に対しては、近年の医学史研究が再検討を加えている。理論の不足、他の要因を除ききれない観察、受け取る側の事情など、拒絶の背景は多層的だったとされる。本文は、その結論を語り手に言わせず、場面の積み重ねにとどめた。

参照した主な資料

•センメルヴェイス自身の著書(一八六一年)

•Benedek『Ignaz Philipp Semmelweis』、Silló-Seidl『Die Affaire Semmelweis』(一九八五年)

•近年の医学史研究(収容の経緯、および「性格のせいで拒絶された」という通説の再検討に関するもの)

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