奈落に落とされた過労聖女、快適すぎて花畑を作ったらケルベロスが懐きました
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「役立たずの穀潰しめ! 嫉妬に狂ってマリアベルを苛めるような悪女は、教団には不要だ。奈落の底で罪を償え!」
底が見えないほど暗く深い『奈落の裂け目』の縁で、勇者の冷酷な声が響き渡った。
彼の背後では、ふくよかなローブに身を包んだ神殿長が忌々しげに私を見下ろし、教団に配属されたばかりの新人聖女マリアベルが顔を覆って嘘泣きをしている。
「シェリーお姉様、ごめんなさい……。私の祈りの力が強すぎるせいで、お姉様の立場を奪ってしまって……でも、だからって私のスープに毒を入れるなんて……ひぐっ、ううっ」
「泣かないでくれマリアベル。君は何も悪くない。悪いのは、己の無能を棚に上げてこの聖女に嫉妬した、底意地の悪いこの女だ!」
勇者がマリアベルの肩を抱き寄せ、正義感に酔いしれた顔で私を睨みつける。
――毒など入れていない。そもそも、私が毎日二十時間、文字通り寝る間も惜しんで維持していた王都の大結界も、次々と運ばれてくる重傷者の治療も、すべて彼女が「自分の成果」として上層部に報告していたのだ。
朝四時に起床して祈りを捧げ、午前中は五百人の治療。
午後は結界の補修に魔力を注ぎ、夜は膨大な書類仕事。
睡眠時間は二時間あれば良い方で、手当も休暇も一切ない。
そんな私の努力は、権力者の娘であるマリアベルの「私がやりました」の一言で、すべて彼女の功績にすり替えられていた。
普通なら、裏切られた絶望で泣き叫ぶ場面なのだろう。
しかし、連日の徹夜でフラフラだった私、筆頭聖女のシェリーは、すっきりとした真顔で勇者たちを見つめ返した。
「……つまり。もう深夜の結界メンテナンスも、休日の呼び出しも、終わらない書類仕事も、私は一切やらなくていいということですね?」
「はぁ!? この期に及んで何を言って……反省の色もない悪女め、さっさと落ちろ!」
ドンッ! と背中を強く蹴られ、私の体は奈落へと真っ逆さまに落下していく。
冷たい風が全身を打ち据え、頭上では勇者たちの嘲笑が遠ざかっていく。
ああ……。
暗闇の底へ吸い込まれながら、私の口元はふわりと綻んでいた。
(ついに……! 明日、朝四時に起きなくていいのね……!!)
絶望の落下は、私にとって無期限の有給休暇の始まりだった。
* * *
ふわり、と風魔法で落下速度を殺し、ふくらはぎに負担をかけないよう優雅に着地する。
辿り着いた奈落の底は、文字通りの地獄だった。
視界を遮るほどドス黒い瘴気が渦巻き、呼吸をするだけで肺が焼けるような痛みを伴う。
地面はブクブクと泡立つ毒の沼と化しており、生命の息吹など微塵も感じられない。
「ゴホッ……静かで最高ですけれど、少し空気が悪すぎますね。お部屋の換気とお掃除をしましょうか」
私は両手を胸の前で組み、目を閉じた。
神殿では周囲の人間が魔力にあてられて気絶してしまうため、ずっと一割程度にセーブしていた私の本当の力。それを、ここでは誰に遠慮することもなく解放できる。
「――【天界浄化】」
カッ!! と、奈落の底で超新星爆発のような閃光が弾けた。
私を中心に発生した圧倒的な光の津波が、ドス黒い瘴気を一瞬でチリへと変えていく。
光の波は奈落の底をどこまでも広がり、毒沼を透き通る清らかな泉へと浄化し、ひび割れた岩肌を肥沃な大地へと変えてしまった。
「ついでに、お庭も整えましょう」
土魔法と植物魔法を応用し、見渡す限りの空間を柔らかな芝生で覆い尽くす。
そこへ色鮮やかな季節の花々と、私がずっと育ててみたかった気品ある純白の薔薇をたっぷりと咲かせた。
さらに木属性魔法で、丸太を組み上げた可愛らしいコテージを建築。天井には太陽の代わりとなる、温かで優しい光球をいくつか浮かべる。
「ふふ、素敵なガーデンになりましたね」
私が額の汗を拭い、満足気に頷いたその時だった。
ズシンッ……! ズシンッ……!!
大地を揺るがす重い足音とともに、背後の暗がり――浄化の光が届いていなかった最奥の洞窟から、『それ』が現れた。
巨大な家屋ほどもあろうかという巨体。
漆黒の毛並みを持つ、三つの頭を持つ魔獣。
神話に語られる地獄の番犬、厄災の獣『ケルベロス』だ。
『グルルルルルルァァァッ!!』
凄まじい咆哮が空気を震わせ、花畑が強風に煽られる。
しかし、その姿はあまりにも痛々しかった。全身が瘴気と自らの放つ猛毒に長年侵され、皮膚は爛れ、赤黒い血をダラダラと流している。
六つの瞳は激痛による狂乱で真っ赤に血走っていた。
本来なら、姿を見ただけで熟練の冒険者すら発狂して死に至るという絶望の化身。
だが、長年「怪我人」を見続けてきた私の目には、それがひどく怯えて苦しんでいる迷子のように見えた。
『ガァァァァッ!!』
私という異物を見つけたケルベロスが、三つの口からすべてを溶かす毒の炎を吐き出しながら飛びかかってくる。
強靭な前足が、私を握り潰そうと振り下ろされた。
「……まあまあ、そんなに暴れて。ずっと痛かったのね」
私は避けることもせず、両手に高密度の聖光をコーティングした。
そして、振り下ろされた家ほどの大きさがある巨大な爪を、素手でふわりと受け止める。
『!?』
ピタリと止まった己の攻撃に、ケルベロスの三つの頭が驚愕に見開かれる。
私はそのままフワリと跳躍し、一番近くにあった中央の巨大な頭を、両腕でギュッと抱きしめた。
「もう大丈夫ですよ。よく頑張りましたね」
耳元で優しく囁き、全魔力を込めて祈りを紡ぐ。
「――【神聖全快】」
私とケルベロスの体を、太陽のように温かく、そして力強い黄金の光が包み込んだ。
何百年、何千年もの間、ケルベロスの肉体と魂を蝕み続けていた地獄の激痛。
それを引き起こしていた呪いと毒が、文字通り跡形もなく浄化され、消し飛んでいく。
『……ピ、ギャ?』
光が収まった後。
そこには、先ほどまでの凶悪な姿が嘘のような魔獣がいた。
爛れていた皮膚はツヤツヤの美しい漆黒のシルクのような毛並みへと変わり、血走っていた六つの瞳は、澄んだ黄金色のきゅるんとした丸い瞳に変わっている。
私は地面に降り立ち、ポカンとしている三つの頭を見上げた。
一番知的な顔立ちの中央の頭。
少しやんちゃそうな右の頭。
おっとりとした左の頭。
「怪我、治りましたか?」
私が首元を撫でてやると、ケルベロスはビクッと体を震わせた後――。
中央の頭が、私の顔をべろぉん! と愛情たっぷりに舐め回した。
右の頭は私の手にすり寄って「ワフッ! ワフッ!」と尻尾を千切れんばかりに振り、左の頭は私の膝にコテンと顎を乗せて「くぅ〜ん」と甘えた声を出す。
神話の厄災は、完全に私専用のモフモフな超大型犬へと成り下がった。
「ふふっ、くすぐったいですよ。よしよし、いい子ですね。……そうですね、今日からあなたの名前は『カムイ』よ。よろしくね、カムイ」
『ワオォォォン!(大賛成!)』
奈落の底に、喜びの遠吠えが響き渡った。
* * *
一方その頃。地上の王都と大神殿は、文字通りの地獄絵図と化していた。
「ひぃぃっ! 魔獣だ! 結界が破られたぞ!!」
「マリアベル様! 早く、早く回復魔法を! 重傷者が数百人単位で運ばれてきています!!」
神殿の廊下を走り回る神官たちの悲鳴。
私という「無尽蔵の浄化フィルター」を失った途端、マリアベルの貧弱な魔力では王都を覆う大結界を維持できず、外から魔獣が雪崩れ込んできたのだ。
おまけに、奈落の底から湧き上がる瘴気を一人で抑え込んでいたのも私だったため、大地が腐り始め、疫病まで蔓延しつつあった。
「む、無理よぉ! 私、一日三回しかヒール使えないもん! もう魔力すっからかんなの!」
嘘泣きではなく、本気で顔を鼻水まみれにして泣き叫ぶマリアベル。
その姿を見て、勇者と神殿長はついに自分たちが犯した取り返しのつかない愚行を悟った。
「な、なぜだ!? あの女は、マリアベルの足を引っ張るだけの無能だったはずだろう!」
「違う! 結界も、治療も、瘴気の浄化も……すべて、すべてシェリーが一人でやっていたのだ!!」
王都が崩壊していく中、勇者たちは青ざめた顔で互いを見つめ合った。
「……奈落だ! きっとシェリーは生きている。あいつを連れ戻して、また神殿で働かせればすべて解決する!」
自分たちが突き落としておきながら、彼らは身勝手な希望を抱き、精鋭部隊を引き連れて奈落の底への決死の降下作戦を決行したのだった。
* * *
数日後。
幾多の危険なトラップと瘴気を乗り越え、ボロボロになって奈落の最深部へ辿り着いた勇者たち。
「シェリー……今助けてやるぞ……!」と息も絶え絶えに叫んだ彼らが見たものは――。
「「「……え?」」」
小鳥がさえずり、純白の薔薇が咲き乱れる、地上の王宮庭園すら凌駕する極楽浄土だった。
その中央に建てられたウッディなログハウスのテラスで、私は優雅に手作りのカモミールティーを飲みながら、焼きたてのクッキーを齧っていた。
私の足元では、神話の厄災であるケルベロス(カムイ)が、三つの頭で器用にクッキーをキャッチしながら、行儀よく尻尾を振っている。
「シェ、シェリー!? なぜ生きている……!? いや、そんなことはどうでもいい!」
勇者は目を血走らせ、私の元へと駆け寄ろうとした。
「今すぐ神殿に戻って働け! お前がいないと結界が保たないんだ! 今までの無礼は許してやるから、さっさと俺たちについてこい!」
勇者の身勝手な叫びが、美しい花畑に響き渡る。
その瞬間。
ティーカップを置く私の手から、ピタッと動きが止まった。
「……今、何て仰いました?」
私はゆっくりと立ち上がる。
穏やかだった笑顔のまま――目からスッと光が消えた。
「私のこの、ようやく手に入れた平穏な休暇。愛しいカムイと過ごすお茶の時間。それを邪魔しに来た挙句……あのクソブラックな職場に戻って、また無給で残業しろと……そう仰いましたか?」
ゴゴゴゴゴ……!!
私の背後で、超巨大な聖光の光翼がバキバキと音を立てて展開する。
あまりの神聖力の密度に、空間そのものが軋み、空気がガラスのようにヒビ割れた。
足元にいたカムイも、主人の静かな、しかし絶対的な怒りを感じ取り、三つの口からチリチリと黒い獄炎を溢れさせる。
『グルルルルルルルル……!!(ご主人様の休日に踏み込むゴミ共め……!)』
先ほどまでおねだりしていた愛犬の姿は消え、そこには再び「地獄の番犬」としての底知れぬ殺意が渦巻いていた。
「ひっ……!? あ、ああ……っ!?」
「戻りませんよ。二度と。……それとも、あなたたちもこの瘴気ごと【浄化】して差し上げましょうか?」
私がヒールに変換する前の、純粋な破壊の光を掌に集めて一歩踏み出した瞬間。
勇者たちは完全に腰を抜かした。
彼らは私とカムイの圧倒的な威圧感に恐怖し、武器もプライドも投げ捨てて、不恰好に泣き叫びながら地上へと逃げ帰っていった。
「ふぅ……。お客様には美味しいお茶を出したかったのに、マナーのなっていない失礼な方々でしたね」
彼らの気配が完全に消えると、私は一瞬でいつものほんわかとした笑顔に戻り、光翼を引っ込めた。
カムイが心配そうに中央の鼻先を私の腰に押し付けてくる。
「ありがとう、カムイ。私は全然気にしていないわ。さあ、嫌なことは忘れて、明日はあっちのエリアに新しい種を植えましょうか」
『ワォフ!』
嬉しそうに吠えるカムイの三つの頭を順番に撫でながら、私は大きく伸びをした。
誰も私を怒鳴らない。誰も仕事を押し付けてこない。朝は小鳥とカムイの鳴き声で目を覚まし、好きな時に寝て、好きな時に庭いじりをする。
奈落の底の美しいお花畑で、私の最高のセカンドライフは、まだ始まったばかりだ。
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