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斬れぬものに心を奪われて


  午後の陽が緑にきらめく庭園。その奥、池のほとりの東屋には、ぐったりと寝そべる一人の青年がいた。第二王子、ケイラン・ヴァレリアンド。王国最強と謳われる剣士にして、何事にも興味を持たぬ怠け者である。


 その男が、アヴェリンとの面会を命じられたと知った時の反応は、実に彼らしかったという。



「おや、これはこれは……女神の代行者様からのご訪問とは、光栄なことだ」


 薄く笑いながらも、ケイラン殿下の声にはどこか諦めに似た響きがあった。彼の周囲には茶菓子と酒瓶が散らばり、空にはのんびりと雲が流れていた。


「……第二王子、ケイラン・ヴァレリアンド殿下」


 アヴェリンは丁寧に一礼し、彼の前に立つ。彼女の姿をじっと見たケイランは、口の端を上げた。


「やれやれ……元から王位になんか興味はないんだけどな。選ばれなかったら死刑だなんて、ずいぶん物騒な話になったものだ」


 アヴェリンは彼の前に腰を下ろし、視線を合わせる。


「恐ろしくは、ないのですか?」


「うーん……」


 ケイランは空を見上げると、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟くように言った。


「命懸けって意味じゃ、あの龍と戦ったときと変わらない気もするけどね」


 アヴェリンは目を見開いた。


「龍……」


「昔、東の山に出た、でかくて、硬くて、火も吹く厄介な奴。ひと太刀で沈めたけど、ま、あれは俺が剣士だったからできたことだ」


 彼は笑ったが、その目には一瞬だけ、命の火花をくぐった者の影が宿っていた。


「ただ、こっちは違う。剣を振るっても、腕を磨いても、どうにもならない世界だろう? 君が誰かを選び、他が死ぬ。そのルールは、剣じゃ覆せない」


「それでも、逃げようとはしないのですからご立派です……」


「逃げたって、君の力の前じゃ意味がない。だったら、こうして昼寝でもしながら運命を待つさ。戦う相手が龍ならともかく、選ぶのが君なら、剣の腕などなんの意味もない」


 アヴェリンはその言葉に胸を突かれた。彼は力を持っている。それでも、彼女の前では無力だと笑う。


「命を賭けて龍と斬り結ぶことはできても、誰かに選ばれるために生き延びるのは……どうにも性に合わないんでね」


 アヴェリンは、息を呑んだ。彼の言葉に、気取った響きはあっても、嘘はなかった。


「何故命をかける戦いに身を置ける器があるのに、今回はそのような態度なのですか?」


「火を吐くそれの喉元を狙って剣を突き立てた。簡単なことではなかったが──命を賭ける価値はあった。あれは敵だったからね。だが、今回は違う」


 その声には、微かな苦笑が混じっていた。


「私は敵ではないと?」


「さあ、どうでしょう。選ぶ側と選ばれる側。どちらが剣を持っているか……あなたが決めることだからね」


 その物言いに、アヴェリンの胸が痛んだ。選定者である自分が、彼らを追い詰めている。ケイランのような人ですら、抗う術なく、その運命の輪に巻き込まれていく。


「だから俺はこれに関わらないよ。勝手に誰か選んでくれてかまわない」


 そう言って、東屋に転がり込み、目を閉じると、あからさまな嘘寝をはじめたのだ。


「ケイラン殿下……?」


 彼女が呼びかけても、返事はない。まるでただの風の音にでも耳を澄ませるように、彼は静かに寝息を立てていた。


「……あなたにとってどうでもよくても、私にとってはとても大事なことなのです」


 なおも沈黙。彼女の言葉が、池の水面に吸い込まれていくようだった。


「私だけじゃありません。この国の為の選別です。もう少しだけでも……」


 まるでケイランは人形にでもなったかのようにアヴェリンの言葉に反応しない。


「……仕方ありませんね」


 アヴェリンは静かに腕を組んだ。その瞬間、空気がわずかに張り詰めた。


「〈言霊の律〉──。顔を、こちらに向けてください」


 命令が空気を震わせるように響いた。

 次の瞬間、ケイランのまぶたがぴくりと動いた。そのまま寝息は止まり、むくりと体を起こす。


「……あれれ? 何を言われてもだんまりを決めこむつもりだったのに…………」


 そうぼやいてる最中に目を開けると、目の前には真っ直ぐこちらを見つめる彼女がいた。これまでのイメージとは違う凛々しい彼女の表情を淡い金の瞳が捉える。それが目に飛び込んで来た時、いつもの気だるげな態度から想像もつかないその眼差しは、鋭く澄んでいた。


「私は、あなたのことをもっと知りたいんです」


 それは命令ではなかった。ただの、素直な想い。けれど、その言葉は、剣でも防げぬ何かをケイランの心に突き刺した。


「……」


 ケイランは推し黙ったままアヴェリンの顔を見つめる。アヴェリンもまた、彼の目から視線を逸らさなかった。短くも濃密な、視線の交差。


 尚も彼は言葉を失い、眉を僅かにひそめる。そんな顔は、これまで誰にも見せたことがなかっただろう。


 アヴェリンが何かを続けようとした時、ケイランがぽつりと呟いた。


「別に、王にならなくてもいいし、死んでも構わないって思ってた。……けど」


 彼は我にかえったように表情を作ると、天を仰いだ。その横顔は、どこか不思議と穏やかだった。


「いま、王になりたい理由が……ひとつ、できたかもしれないよ」


 アヴェリンが瞠目する。ケイランは視線を落とし、彼女をちらりと見た。


「……それを手に入れるのは、龍を斬るより難しそうだけど」


 それは冗談のように聞こえた。けれど、風の中に笑うその声には、初めて剣を抜く時のような、静かな決意が宿っていた。


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