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あの午後に戻れたなら


 王宮の北棟、静寂に包まれた書庫の一室。薄明かりの中、埃の香りと古書の重みが漂う空間に、アヴェリンは足を踏み入れた。彼女の心は、懐かしさと緊張で高鳴っていた。


「……エルリック殿下」


 彼は窓際の席に座り、分厚い書物を手にしていたが、アヴェリンの声に、彼はわずかに肩を震わせた。ゆっくりと振り向いたその瞳には、かつての柔らかな光はなく、警戒と戸惑いが宿っていた。


「……アヴェリン……様」


 その声は、かつての親しみを感じさせない、硬いものだった。


「失礼しました……アヴェリン様。女神の代行者にお越しいただき光栄です」


 その言葉は、他人行儀な礼儀の仮面を被っていた。アヴェリンは胸の奥に微かな痛みを感じながらも、微笑みを絶やさなかった。


「そんなに堅くならなくてもいいのに。私たち、昔はよくここで一緒に本を読んだでしょう?」


 彼女の言葉に、エルリックは視線を逸らし、書架の方へと目を向けた。その横顔には、懐かしさと同時に、何かを拒むような硬さがあった。


「過去のことです。今の私は、あの頃の私ではありません」


 その言葉に、アヴェリンは言葉を失った。沈黙が二人の間に広がる。

 やがて、エルリックは小さな声で続けた。


「女神の代行者となったあなたは、私たちとは違う存在です。近づくことすら、恐れ多い」


 その言葉に、アヴェリンは胸の奥が締め付けられるのを感じた。彼の言葉は、彼女を遠ざけるためのものだった。


「エルリック殿下、私は変わっていません。女神の代行者であっても、私は私です」


 彼女の言葉に、エルリックはわずかに目を見開いた。しかし、すぐにその表情は元に戻り、彼は静かに頭を下げた。


「申し訳ありません。私には、あなたと対等に話す資格はありません」


 その言葉に、アヴェリンは深く息を吐いた。彼の心の壁は、思った以上に高く、厚かった。


 彼女はそっと歩み寄り、彼の前に立った。そして、彼の手を取ることなく、ただ静かに言った。


「私は、あなたと話がしたいだけです。昔のように、心を通わせたいだけです」


 エルリックはその言葉に、わずかに目を伏せた。そして、しばらくの沈黙の後、彼は小さく頷いた。


「……わかりました。少しだけ、お話ししましょう」


 その言葉に、アヴェリンは微笑んだ。



「お元気でしたか?」


「……はい。おかげさまで」


 会話はぎこちなく、度々沈黙が流れる。

 かつてのような親密さは、そこにはなかった。

 アヴェリンは、エルリックの変化に戸惑いを覚えながらも、彼の心に触れようと試みる。


「この図書室、変わっていませんね。懐かしいです」


「……そうですね」


 エルリックの返答は短く、視線も中々合わせようとしない。

 アヴェリンは、彼の態度に違和感を覚えながらも、さらに言葉を続ける。


「あの頃、よく一緒に本を読みましたね。殿下が薦めてくれた詩集、今でも覚えています」


「……」


 エルリックは、何も答えず、視線を落としたままだった。

 アヴェリンは、彼の変化に心を痛めながらも、彼の真意を知りたいと願う。


「エルリック殿下、何か……私に言いたいことがあるのでは?」


「……いえ、何も」


 その言葉に、城壁ほどだと思っていた彼の心の壁は山より高いと痛感した。


(確かにエリック王子は気が弱くてお喋りが上手な方じゃなかったけど、こんなに冷たい人じゃなかった……少ない言葉ももっと優しくて温かくて……)



***


 


 王宮の中庭。陽光が降り注ぐ午後、幼いアヴェリンは一人、花壇のそばで本を読んでいた。その静寂を破るように、第一王子レオポルドの声が響いた。


「おい、アヴェリン。そんなところで何してるんだ?」


 彼の声には嘲笑が混じっていた。アヴェリンが声に気付き顔を上げると、その瞬間レオポルドが手にしていた熟れたトマトを彼女に向かって投げつけた。


「どうだ! ど真ん中に命中したぞ!」


 トマトは彼女の顔に直撃し、赤い汁が頬を伝った。周囲にいた侍女たちは驚いていたが、誰も止めには入らなかった。アヴェリンは涙をこらえながら、頭を下げた。服も読みかけの本もトマトで汚れ、赤く染まった髪と顔も拭かずに立ち尽くし、レオポルドが立ち去るのを待った。


 涙目になる彼女を見て気分を良くしたのか、レオポルドはそのまま来た道を戻っていた。その瞬間、アヴェリンは反対の方向に涙と顔についたトマトを手で拭いながら走り去る。



 彼女が駆け込んだのは、王宮の図書室。静寂と本の香りが彼女を包み込む。隅の席に座り込み、顔を覆って泣いていると、そっと誰かが隣に座った。


「ア、アヴェリン様、だ、大丈夫ですか?」


 優しい声に顔を上げると、そこには第四王子エルリックがいた。彼はハンカチを差し出し、彼女の手にそれを握らせた。


「そ、そのように、よ、汚れたままにしていたら……き、綺麗な顔が……台無し…ですよ」



 エルリックの言葉に、アヴェリンは少し照れると受け取ったハンカチで顔と髪を拭いた。彼の存在が、彼女の心を軽くした。その日以来、二人は図書室でよく顔を合わせるようになった。



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